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2019/07/19

日韓併合を強行したのはだれか?


日韓併合を強行したのは長州閥でした。長州閥といえば明治維新後から昭和まで、宮中から政界、軍事まで専横していたので、長州閥が日韓併合を強行したのも当然といえば当然ですね。

その長州閥の中でも「朝鮮は保護国でいい」派(閣僚)と「日韓併合」派(軍部:長州陸軍)に分かれていました。それが朝鮮人テロリスト安重根による伊藤公暗殺を機に、あれよあれよと日本は日韓併合へと動いていきました。

現在、安倍総理は戦略物資横流しで世界を核戦争の危機に陥れている韓国とやり合っていますが、長州出身者として日韓併合の後始末をキッチリやってほしいですね。


施行から109年、今も日本人を苦しめ続ける皇国史上最悪最低の政策「日韓併合」を実行したのはこの人らだ!

21世紀になった今でも明治時代の政策がいまだに半分生きていて、日本人が人的、物的被害をこうむり続けているというのは、おかしなハナシですね。


◆朝鮮は保護国でいい派…(閣僚)伊藤博文、曽弥荒助(そねあらすけ)ら

【伊藤博文】
初代内閣総理大臣、初代韓国統監。
伊東博文1【画像出典】Wikipedia-伊藤博文


【曾禰(曽弥)荒助|長州出身】
歴代内閣で閣僚職を歴任。
曽根荒助1【画像出典】Wikipedia-曾禰荒助


◆日韓併合派…(軍部:長州陸軍)寺内正毅、山県有朋、桂太郎ら

【寺内第三代統監の赴任と警戒|1910(明治43)年7月23日】
朝鮮京城本町二丁目より寿町通過、統監邸に入る状況(車上右端が寺内統監)。
陸軍大将、陸軍大臣、初代朝鮮総督などを歴任。初代朝鮮総督寺内正毅

【山県有朋|長州出身】
元帥陸軍大将、内閣総理大臣など歴任。
女性宮家山県有朋1【画像出典】Wikipedia-山県有朋


【桂太郎|長州出身】
陸軍大将。陸軍大臣、内閣総理大臣などを歴任。
桂太郎1【画像出典】Wikipedia-桂太郎




資料はこれです↓↓↓

日本のサヨク「日韓併合を実行したのは長州閥」

サヨクらしく「軍部が武力を以て朝鮮を」とか言ってます。


出典:1946(昭和21)年 岩波書店 茅原廉太郎述 「日本人民の誕生」
   第三講 戦争

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 伊藤公(公爵)曽根(原文ママ)男(男爵)等は朝鮮はよろしく保護国とすべしと意見を唱へたが、寺内元帥の率いた軍部が、武力を以て朝鮮を併合したのである。




熱血!徳富猪一郎先生
「朝鮮併合は帝国国防の第一線、山県有朋公の宿志であった」


出典:1933(昭和8)年 山県有朋公記念事業会 徳富猪一郎編 「公爵山県有朋伝 下巻」第五篇 第一章 公と戦後の政局(上) 八 公と朝鮮併合(一)

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 朝鮮併合の偉業

 朝鮮併合は、多年公が我が帝国の国是として唱道し、主張したる抱負の一であった。而(そ)して朝鮮併合の偉業が、明治四十三年十月、桂内閣時代に及んで、予定の如く遂行されたことは、公の建策(原文ママ)が与りて其(その)力あった。

 帝国の国防線と日鮮の関係 

 公が帝国国防の第一線として、日鮮の離る可(べ)からざる利害関係を有するを認め、朝鮮を併合するにあらざれば、東邦永遠の平和を維持する能(あた)はざることを主張したことは、固(もと)より一朝一夕の故では無い。明治六年、朝鮮遣使論(明治維新後、日本は真っ先に修交の手を朝鮮にさしのべた。しかし朝鮮は日本をナメ切っており、日本が送った親書を突き返し、渡韓した外務卿の引見も許さず、その対日侮蔑が六回に及んだとき日本はキレた。この朝鮮問題が佐賀、萩、薩摩の内乱へとつながっていく。その朝鮮はのちに東学党の乱に見舞われ、朝鮮人は清国属国派と日本に頼る独立派に分かれた)対応しきれず、日本に助けを求めてきた)の起るや、公が西郷、江藤、副島、板垣、後藤等の主張に雷同しなかったのは、必ずしも朝鮮問題解決政策に反対していた為にあらず、軍備の未だ完整(原文ママ)せざるを以て、徐(おもむろ)に時機の熟するのを待ったに過ぎなかった。

 征清役と独力扶植論

 明治九年江華湾の事変(江華島事件。1875(明治8)年8月、わが軍艦雲揚号が朝鮮近海の水路を測量して、江華島(漢江河口沖)の近くを過ぎたとき韓国の守兵から砲撃受けた事件。わが艦は応戦して砲台を占領し、永宗城を焼き、韓兵30余名を倒し、火砲その他を奪って帰った)、十五年、竝(ならび)に十七年京城(けいじょう:現ソウル)の政変は、朝鮮問題を解決するに於て、有為の時機であったが、国論帰一に達せざるを以て、其の抱負を遂行すること出来なかった。二十七八年役(日清戦争)起るに及んで、公は始めて百載一会の時機に達したるを認め、一面に於て征清役の第一軍を督すると同時に、他面に於て、独力扶植論を主張し、朝鮮問題を根本的に解決せんことを期した。

 然るに、朝鮮改革の失敗と遼東還附の蹉躓(さち:〔主として明治期に用いられた語〕つまずくこと。失敗すること。蹉跌さてつ)とに由りて、政府は独力扶植の政策を放棄せざるを得なかった。公が日露協商に由りて、両国の衝突を避くるに勉めたのは、此(この)際であった。其間実に八年の歳月を費やした。三十七八年の役(日露戦争)起るに及んで、公は漸く其の宿志を貫徹する時機に到着した。

 日鮮議定書と朝鮮併合の第一歩

 明治三十七年二月二十三日、林公使〔駐鮮全権公使林権助〕と李址鎔〔朝鮮外部大臣署理陸軍参将〕との間に調印された日鮮議定書と、三十八年十一月十七日林公使と外部大臣朴齋純との間に調印された第二の日鮮議定書とは、朝鮮併合を促すの第一歩にして、我が帝国が在京城帝国公使館を撤廃して、朝鮮統監府を置き、伊藤が統監に任じ、朝鮮に対する保護権の基礎を確立するに至ったのは、明治三十八年末より三十九年二月に亘(わた)る交(こう:かわりめ)であった。

 伊藤は朝鮮統監の職にあること、三年有余。彼が勇退して其(その)職を曽禰副統監に譲るや、桂首相は明治四十二年四月十七日附にて、左の書束を公に贈り、統監の後任問題に言及している。(後略)
 


軍閥とは

帝国海軍をこよなく愛した新聞記者伊藤正徳氏によると、「軍閥」という言葉は明治後半から大正時代にかけて、陸軍を批判するために支那から輸入された言葉だそうです。

支那の軍閥とは地方の有力者の私兵で、李鴻章の淮軍(のちの北洋軍閥)、中共の紅軍(八路軍)、爆殺された張作霖とその息子でヤク中だった張学良が率いた満洲の奉天軍閥などが有名です。

日本軍閥で有名なのは薩州閥(海軍)、長州閥(陸軍)、その陸軍内部の派閥である皇道派の天剣党、統制派の桜会などです。


出典:1957(昭和32)年 文藝春秋新社 伊藤正徳「軍閥興亡史第一巻」
 序~第一章 明治建軍 一、"軍服の誇り"何処に行く

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 軍閥という言葉は、軍を批判する為に、大正時代から輸入されたもので(支那から)、字義は一定していない。狭義に解すれば「政治的野心を有する軍内の一派閥」であろうが、広義に解すれば、国家の機構内にある軍部そのものを指してよかろう。著者は本文では後者を採り、さきに「大海軍を想う」の一篇に於て海軍の興亡を描いたのに続き、陸軍の消長を回顧するために此(この)言葉を藉(か)りることにした。けだし、昭和時代に常用された軍閥の字は、主として政治的に動いた陸軍を指称したからである。(中略)

 軍閥という文字は、明治の後半に支那から渡来したものであろう。二十世紀に入って、軍閥が最も活躍していたのは支那(今の中国)であり、明治の後半になって、我が国の一部批評家が、これを陸軍批判の文字として輸入したものと思われる。



念のため申し上げておきますが、山口県民にはなんの罪もありません。
日本を地獄に突き落としたのは、あくまでも過去の「軍閥」です。



長州閥が日韓併合を強行した理由

1.朝鮮の国土が原始時代のままであり、なおかつ朝鮮人が国を運営できなかった

これはもうみなさんごぞんじのとおりです。朝鮮人は形式主義で何事も表面だけパクッて権威ぶるので、基礎や集積といった中味がありません。それは今も変わりがなくて、日本から「ホワイト国からはずすよ」と"言われた"だけで韓国が崩壊の危機におちいっているのも、これが理由です。


【日韓併合前の朝鮮|大邱港市場】
物々交換経済。今はイランと物々交換経済。
朝鮮大邱港市場


2.地形的にみると、朝鮮半島は日本のワキ腹に突きつけられた短刀、日本侵略の足場

その脆弱な朝鮮半島が列国に侵略されれば、それは即、列国の日本侵略の足場になってしまう危険がありました。

それがところがどっこい、日韓併合直後から朝鮮人が日本を侵略し始めたわけですよ。そして今に至る、と。

3.西洋列国の日本領土侵略の危機

日本が国際政治デビューしたとき、世界はすでに近代帝国主義の段階に入っていました。当時は日本自身もロシアの満洲占領や樺太占領、イギリス、ロシア両国による対馬占領計画といった領土保全に危険を感じる状況にありました。

以上のような理由で日本は「カネのかかる継子」である朝鮮を併合する必要がありました。

朝鮮人は何かにつけ「日本に侵略された!」と共産主義的歴史観で日本を攻撃しますが、朝鮮がマトモな国なら日本が出しゃばっていく必要はありませんでした。


資料はこれ↓↓↓

出典:1953(昭和28)年 富士書苑 森高茂雄編 「秘録大東亜戦史 開戦篇」所収 毎日新聞社論説委員 秋定鶴三 「ワシントン会議」 大陸政策の生成と発展

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 日本が国際政治の上に登場した明治のはじめ、世界はすでに近代帝国主義の段階にはいっていた。ところが地理的に近接している朝鮮や、支那は欧州列強の極東における勢力拡張の的となっていた。日本自身もロシアの樺太占領や英露両国による対馬占領計画にみる如く、その領土保全にはすこぶる危険を感じていたときであった。

【西洋列国の近代帝国主義|アジア侵略図】
アジア植民地図


 そこで開国いらいヨーロッパ文化を移入するとともに、「富国強兵」をもって国是とした。国防上の不安を感じた当時の日本として、まずそうあるのも当然であったといえよう。(中略)

 一般には征韓論(明治六年)をもって、この政策のハシリのようにいわれているが、事実は日本の防衛を確保する以外の何ものでもなかった。

 地形的にみた朝鮮半島と日本列島との関係は、丁度(ちょうど)ワキ腹に短刀でもつきつけられているかっこうにある。

 かつての朝鮮は、文化的に、経済的に、大陸と日本とをつなぐ架橋(かけはし)として密接な関係にあった。ところが帝国主義時代の朝鮮の地位は、わが国に対する侵略の足場となりかねなかった。しかも当時の朝鮮、つまり韓国の(日本に対する)排外主義は、却って列国の勢力を誘いよせるキッカケを包んでいた。支那の排外運動による被害は、そのよい先例であった。

 そこでハタ迷惑を感じた日本が、韓国の自覚を促すため、説得役を買ってでよう、これが西郷隆盛らの提議のそもそもの趣旨であった。それはあくまでも韓国の領土保全を、ひいては日本の安全を期待したからにほかならなかった。




日韓併合はキレイゴトばかりだったのか?

そうは思いません。事実、朝鮮総督が土地払い下げをエサにワイロをもらっていたという事件「朝鮮同胞を愛せよの裏にあった朝鮮利権|朝鮮疑獄事件」というのもありましたからね。

戦前、外交官や外務大臣を歴任した重光葵も陸軍の南部仏印進駐について、「軍部は取らぬタヌキの皮算用ばかりしている」と批判しています。そして軍部のこの利権、権益への執着が、日本を太平洋戦争へ、終戦後の惨劇へと突き落としたのです。



出典:1952(昭和27)年 中央公論社 重光葵 「昭和之動乱 下巻」第七編 日独伊の枢軸(近衛第二次及び第三次内閣) 日米交渉 その二

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 日本軍部は何か物に憑かれたやうに、ドイツの全勝を盲信し、なほもドイツ勝利の暁に、日本の戦争参加によって取り得べき莫大なる分け前についてのみ、頭を悩ましていた。


【戦艦ミズーリ号上で降伏文書に調印する重光葵全権】
重光葵@ミズーリ号上2


現に朝鮮総督はそのほとんどが陸軍大将経験者で占められていました。

【歴代の朝鮮統監・総督一覧】

朝鮮統監  朝鮮総督
氏  名出  身所属・階級
伊藤博文長州立憲政友会
曽弥荒助長州大蔵大臣
逓信大臣等
寺内正毅長州陸軍大将
寺内正毅
長谷川好道長州岩国領陸軍大将
斎藤実陸奥(岩手)海軍大将
山梨半造相模(神奈川)陸軍大将
斎藤実陸奥(岩手)海軍大将
宇垣一成備前(岡山)陸軍大将
南次郎豊後(大分)陸軍大将
小磯国昭下野(栃木)陸軍大将
阿部信行加賀(石川)陸軍大将



国家、国民は第二、第三だった日本政府

終戦後、国家の庇護を失った外地の日本人は朝鮮人や中国人、ソ連兵といった敵に虐殺されました。その犠牲者たちの全身の細胞が震えるほどの悲しみと怒りと絶望を思うとき、日本政府や朝鮮総督府は、なぜもっと早く引揚命令を出さなかったのか?と思うのですよ。

せめて、マリアナ失陥で日本がすっぽり米軍の射程距離に入ってしまった時に在外日本人に引揚げを命じていたなら、万人単位の日本人が殺されずに済んだのではないか?と思うんですよ。

当時の日本政府は陸軍が牛耳っていたわけですが、軍部が利権や権益に執着した結果、ずるずる引揚の機を延ばしてしまったのではないか?と思うのですよ。

執着だけでなく、陸軍上層部が赤化していて敗戦革命をめざしていた、という事実もありますけどね。(参考記事:昭和天皇に「共産革命」を上奏した近衛公

そしてそういった朝鮮利権の構造がいまだに残っているために日本政府は、アメリカに尻をたたかれるまで、韓国の戦略物資横流しを大目に見ていたのではないか?と、そんな疑いすら持ってしまうのです、あくまでも個人的にですがね。

日本政府が国家、国民を第一に考える日は、いつ来るのでしょうねえ?


日本政府がチャッチャと動くときは外圧がかかっているとき|
安倍総理、責任をもって日韓併合の後始末をキッチリやってください


安倍首相「韓国は信頼できない」、中国ネット「確かに」「日本が韓国に強気なのは…」
2019年7月10日 レコードチャイナ

 中国メディアの観察者網は9日、安倍晋三首相が日本のテレビ番組に出演した際、「韓国は約束を守らない」と語ったことを伝えた。

 記事は、韓国紙・中央日報の同日付の記事を引用。安倍首相は7日に放送されたフジテレビの番組「ザ・プライム」に出演した際、韓国に対する輸出規制強化について「欧州の国は韓国をホワイト国にしていない。(日本が)アジアでホワイト国にしているのは韓国だけで、その特例をやめるということ」「(韓国には)きちんとした輸出管理をしているということを、しっかりと示してもらわなければならない」などとする一方、「根底にあるのは約束を守るかということ」「国際的な約束を守らないのであれば、貿易管理でも守れないと思うのは当然」との考えを示した。また、「彼ら(韓国)が言っていることは信頼できない」ために今回の措置に至ったとも発言した。

 中央日報はこの発言について、関係者の話として「つまり、韓国には初めから『ホワイト国』の資格はなく、以前は日本が特別にその資格を付与していたという意味。韓国にとってこれは非常に侮辱的な性質を持つ」と伝えた。(後略)





【参考資料】
・江華島事件:1967(昭和42)年 朝雲新聞社 防衛庁防衛研修所戦史室 「戦史叢書 大本営陸軍部〈1〉」
・朝鮮遣使論:1957(昭和32)年 文藝春秋新社 伊藤正徳「軍閥興亡史第一巻」 日韓及び日清談判 一、西郷「平和使」を買う


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