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2018/08/22

神意発動をジャマして虐殺された日本人|国民精神作興詔書


明治維新以後、日本に個人主義、デモクラシー(民主主義)、自由平等主義、世界主義・国際主義(共産主義)などといった西洋思想が流入してきました。

前回の記事で「日本に敵する者は必ず滅びる」という法則を紹介しましたが、この神意をジャマしてきたのが日本人自身です。

現在、至高の美徳のように宣伝されている「自由・人権・平等・友愛」というのは共産主義のスローガンですが、この悪意ある美徳に洗脳された日本人は、神が滅ぼそうとしている敵国を「人道」だの「武士道」などと言って助けてきました。

その結果、日本人が果した人道、正義は悪に悪用され、日本人が虐殺されてきました。

もういい加減、日本人はこの悪循環を断ち切るべきです。


【大正天皇】
大正天皇

大正天皇「危険思想を締め直せ」

日本人が西洋思想に夢中になって国体の本義を忘れたとき、関東大震災が起きました。その時、大正天皇は「国民精神作興詔書」を国民にお下しになりました。

その詔書で大正天皇は「危険思想を締め直せ」と仰せになっています。

危険思想とは西洋から流入したすべての思想のことです。

明治天皇も、日本人が西洋思想にカブレて自分勝手になったり、個人の利益を追うようになったのを見て悲しまれ、外来思想から国民を守るため、「教育勅語」をお下しになりました(参考記事:教育勅語とは外来思想からの自衛手段)。


【明治天皇】
明治天皇

なので日本人は二度も天皇に「西洋思想にカブレるな」と諭されているのに耳を貸さなかった。そのなれの果てがウォール街のために働いている現在の日本政府です。

規制緩和、官から民へというのは、外国資本が日本を自由にするための政策です。


大正天皇の詔書をガン無視した日本政府の日本人虐殺スローガン一覧

西洋思想にカブレた日本政府は戦前から日本国民にガマンを強要し、外国人は厚遇してきました。その結果がコレです。日本人が虐殺されるのは、日本政府が神意に逆らう罰かも知れません。

戦前地域スローガン結   果
朝 鮮内鮮一体
朝鮮同胞を愛せよ
日韓併合前から、日本人を襲撃、
虐殺


天皇、政府要人に爆弾テロ

終戦後日本人大虐殺

日本の機密を連合国に売る

日本を敗戦に導く
満 洲五族協和
王道楽土
・満洲の中心部を中共に乗っ取られ
日本人弾圧

米英国際金融資本が日本の権益を
強奪、日本製品を満洲から追放


共産パルチザンによる日本人襲撃、
日本人虐殺


終戦後、日本人大虐殺
中 国日支友好
日華合作
打倒共産党
第一次世界大戦後以降、
日本人襲撃、大虐殺

日貨排斥

世界中の華僑が日本人を襲撃、虐殺
南 方大東亜共栄圏
日本人はアジア人の鑑
(かがみ)たれ
・終戦直前、ゲリラや連合国に寝返っ
原住民による日本人大虐殺
現在全世界日韓友好
日中友好
日本人は外国に配慮しろ
ヘイトスピーチ解消法
人手不足なので移民を
受け入れます
日本革命による日本人大虐殺



大正天皇に賜った「国民精神作興詔書」

大正天皇が仰せになられたように日本には約3000年間保ってきた国体があり、国民が遵守すべき大道があります。それなのについこの間できた国の文化や思想、悪意ある美徳をありがたがる日本人は本当にバカじゃなかろーか?と思います。

軽佻詭激ヲ矯(タ)メテが「危険思想を締め直せ」という部分です。


出典:1930(昭和5)年 尚文堂 国民教育振興会編纂局編 「四大詔勅釈義」

出典:1933(昭和8)年 東京出版社 国民教育研究会編 「高等小学校修身書精義:教材解説 第3学年用」 第二十六課 国民精神作興に関する詔書(その二)

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


国民精神作興詔書釈義

 一、詔書の由来

 国民精神作興詔書は、去る大正十二年十一月十日 畏くも現代社会の状勢と帝都を中心とする関東一帯の被れる大震火災の復興とに深く御軫念(しんねん:天皇陛下がご心配になること)あらせ給ふ 大正天皇が、一層国民精神を振作し給はんとの御趣旨よりして、国民に下し給へる大詔なり。(中略)


詔書

朕惟(オモ)フニ国家興隆ノ本ハ国民精神ノ剛健ニ在リ之(コレ)ヲ涵養シ之ヲ振作シテ以テ国本ヲ固クセサルヘカラス是(コレ)ヲ以テ先帝意ヲ教育ニ留メサセラレ国体ニ基キ淵源ニ遡(サカノボ)リ皇祖皇宗ノ遺訓ヲ掲ケテ其ノ大綱ヲ昭示シタマヒ後又臣民ニ詔(ミコトノリ)シテ忠実勤倹ヲ勧メ信義ノ訓(オシヘ)ヲ申(カサ)ネテ荒怠ノ誡(イマシメ)ヲ垂レタマヘリ是(コ)レ皆道徳ヲ尊重シテ国民精神ヲ涵養振作スル所以(ユエン)ノ洪謨(コウボ)ニ非(アラ)サルナシ爾来趨向(スウコウ)一定シテ効果大ニ著(アラハ)レ以テ国家ノ興隆ヲ致セリ朕即位以来夙夜(シュクヤ)兢々(キョウキョウ)トシテ常ニ紹述ヲ思ヒシニ俄(ニハカ)ニ災変ニ遭(ア)ヒテ憂悚(ユウショウ)交々(コモゴモ)至レリ輓近(バンキン)学術益々開ケ人智日ニ進ム然(シカ)レトモ浮華(フカ)放縦ノ習(ナラヒ)漸ク萌(キザ)シ軽佻詭激(キゲキ)ノ風モ亦(マタ)生ス今ニ及ヒテ時弊ヲ革(アラタ)メスムハ或(アルヒ)ハ前緒(ゼンショ)ヲ失墜セムコトヲ恐ル況(イワン)ヤ今次ノ災禍甚タ大ニシテ文化ノ紹復国力ノ振興ハ皆国民ノ精神ニ待ツヲヤ是(コ)レ実ニ上下協戮(キョウリク)振作更張(コウチョウ)ノ時ナリ振作更張ノ道ハ他ナシ先帝ノ聖訓ニ恪遵(カクジュン)シテ其ノ実効ヲ挙クルニ在ルノミ宜(ヨロシ)ク教育ノ淵源ヲ祟(タット)ヒテ智徳ノ竝進(ヘイシン)ヲ努メ綱紀ヲ粛正シ風俗ヲ匡励(キョウレイ)シ浮華放縦ヲ斥(シリゾ)ケテ質実剛健ニ趨(オモム)キ軽佻詭激ヲ矯(タ)メテ醇厚中正(ジュンコウチュウセイ)ニ帰シ人倫ヲ明(アキラカ)ニシテ親和ヲ致シ公徳ヲ守リテ秩序ヲ保チ責任ヲ重(オモン)シ節制ヲ尚(タット)ヒ忠孝義勇ノ美ヲ挙ケ博愛共存ノ誼(ギ)ヲ篤(アツ)クシ入リテハ恭倹(キョウケン)勤敏(キンビン)業ニ服シ産ヲ治メ出(イ)テテハ一己(イッコ)ノ利害ニ偏セスシテ力ヲ公益世務ニ竭(ツク)シ以テ国家ノ興隆ト民族ノ安栄社会ノ福祉トヲ図ルヘシ朕ハ臣民ノ協翼(キョウヨク)ニ頼(ヨ)リテ彌々(イヨイヨ)国本ヲ固クシ以テ大業ヲ恢弘(カイコウ)セムコトヲ冀(コヒネガ)フ爾(ナンジ)臣民其レ之ヲ勉(ツト)メヨ

 御名御璽
   摂政名

大正十二年十一月十日



 要旨

 国民精神作興に関する詔書の御趣旨を遵守して、至誠以て国民精神の作興に勉むべきことを知らしめる。

 詔書の大意

 国家が隆に興って行く本体は、国民各自の精神が、固く確(しっか)りしたもので、且つ強く力のあるものであることによるのである。其処(そこ)で此の国民精神の剛健であるやうに養ひ立て、之(これ)を振ひ起して国家の土台を固くして行かねばならぬ。それ故に 明治天皇には教育のことに深く大御心(おおみこころ)を御留めになり、国体に基いて、深く其の大源に遡(さかのぼ)り、皇祖皇宗の遺された訓(おしえ)をお示しになって国民の遵守すべき大道を昭(あき)らかに(教育勅語)お示しになった。其の後、重ねて臣民に詔(みことのり)をお下しになって、忠実に其の業を励み勤倹にして産を治むべきことをお勧めになり「惟(コ)レ信惟レ義」と信義の訓を垂れ給ひ荒怠(何もせずにぶらぶらしているやうな)ことのないやうにお誡(いまし)めになった。

 それからといふもの、我が国民の心の向ふ所が一つに定まり、教育勅語並に戌申詔書の御趣意が大そうよく著(あら)はれて、我が国家は益々隆(さか)んに興って来た。そこで大正天皇は先帝の後を承(う)けて、皇位に即(つ)かれてから、朝夙(はや)くから夜晩(おそ)くまで、御心配をされながらいつも先帝陛下の大御心のあらはれたところを紹(つ)ぎ述べることをしてまいった所、俄(にわ)かに大正の大震火災に遭(あ)ひ、憂(うれひ)と懼(おそれ)と入りまじって起ったと仰せられた。

 近頃学問技術が益々開けて来て、知識が日々に進んで来た。それは誠に慶(よろこ)ぶべきことであるけれども、それと共に浮つ(原文ママ)調子で勝手気儘(きまま)になって行く習はしが次第に萌(きざ)して来て、軽はづみで、且つ道に外(はず)れたことをするやうな風が生じて来た。今のうちに此の時代の悪い所を矯(た)め直すことをしなければ、或は先帝のお始めになった洪謨(こうぼ:おおきなはかりごと)を其のままに継いで行くことが出来ず、之(これ)を失ひ墜(お)とすやうなことがありはしないかと恐れる。

況(ま)して、今次の災禍は非常に大きいものであった。此の災禍によって、破壊された文化を元のやうに回復し、国家の力を振ひ興すのは、悉(ことごと)く国民の精神によってしなければならぬ。今の秋にあっては尚更さうである。 「災禍がなくとも浮華放縦軽佻詭激の風習が漸く萌(きざ)した」所へ更に此の天災が加はったから、国民は一層精神的に発奮しなければならぬ。実に此の際は上下共に協心戮力(心を合せ力を一にして)精神を振ひ作し、一層之を拡め張るべき時である。

それならば振作更張は如何にして成すべきであるか。振作更張の道即ち方法は他にはない。只(ただ)先帝の聖訓をよく遵守して、而(し)かも其の聖訓を実際の上に現はして行くことより外(ほか)にないのである。宜(よろ)しく其の教育の大本を大切にし、智徳並び進むことを努め、規律を緩めないやうに引締め、風俗を正しくし、浮華放縦を斥(しりぞ)けて、質実剛健にし、軽佻や危険な思想を締め直して、真面目に正しくなるやうにし、人の道を明かにして、互(たがい)に仲を親しくし、又公徳を守って社会の秩序を保ち、各々(おのおの)自分等(ら)の責任を重んじて、節制を尚(たっと)び、忠孝義勇の美徳を揚げ、博(ひろ)く他を愛して、相互に世の中に存在の出来る誼(ぎ)を篤くし、内にあっては、恭倹(きょうけん:人に対してうやうやしく、自分の行いは慎み深いこと)に勤敏に業務を致して産を治め、外にあっては只自分一己の利害に片寄らないで、公益世務に力を竭(つく)し、さうして国家の興隆民族の安栄社会の幸福を図らねばならぬ。

 陛下には畏くも、お前達臣民の力を合せ(協力)輔け(輔翼)ることによって、益(ますます)国家の本体を固め、さうして如上(じょじょう:上に述べたところ。上述)の大業を広く大きくしようと思ふ。お前達臣民よ、よく此の事を体して(心にとめて守る。目上の人の教えや意向に沿って行動する)勉めなさいよ。




日本は滅びゆく朝鮮半島を助けてはならない

元寇では日本人一丸となって元と高麗を撃退したものを、それができなくなったのは共産主義者が「人道ガー」「人権ガー」と反日勢力を擁護するからです。


日中は通貨スワップ再開するが…韓日は?
2018年8月22日 中央日報

日中両国の政府が中央銀行間の通貨スワップ協定再開について協議中で、規模は約3兆円で調整していると、日本の共同通信が21日報じた。両国は2002年から2013年まで約30億ドル規模の通貨スワップを維持していた。今回新たに協議する通貨スワップ規模は従来の10倍。通貨スワップを締結すれば、有事の際にあらかじめ決めておいた為替レートで日本円と人民元を交換できる。

日中は5月、通貨スワップ早期再開の原則に合意した。日本政府は、安倍晋三首相が10月に訪中して習近平国家主席と首脳会談をする席で、両国間の通貨スワップ締結を公式発表することを目標にしている。

一方、韓国と日本は2001年に初めて通貨スワップ契約を締結し、2011年には700億ドルまで規模を拡大したが、2012年8月に李明博(イ・ミョンバク)元大統領が独島(ドクト、日本名・竹島)を訪問したことで韓日関係が悪化し、2015年2月に完全に終了した。2016年末に韓日間で関連の協議があったが、2017年1月に釜山(プサン)日本領事館前に慰安婦少女像が設置されたことを受け、日本側が一方的に交渉を中断した。

しかし最近、韓国財界を中心に韓日通貨スワップ再開の必要性が提起されている。韓国の経済団体「全国経済人連合会(全経連)」は日本の与党・自民党に韓日通貨スワップの再開を建議した。許昌秀(ホ・チャンス)会長ら全経連代表団は6月4日、東京を訪れ、日本自民党の幹部であり日韓議員連盟所属議員の二階俊博幹事長、竹下亘総務会長らを表敬訪問した。この席で全経連代表団は韓日通貨スワップの再開を建議した。 (後略)


【神意発動】
ラオスダム事故2


コレも変だろぉぉぉぉぉ!
アメリカに経済制裁された中共をアメリカの同盟国日本が助ける

戦前日本は中国の段祺瑞内閣と2億4000万円の借款を締結しまして、段内閣はその借款を軍閥政府強化に使いました。結局この借款は段内閣の権力失墜で回収不能となり、踏み倒されました(西原借款)。

そしてもうひとつ注意が必要なのは戦前、国際金融資本は日本をつぶして中国をアジアの大国にしようとしていたので、日本の中共援助は要注意です(参考記事:有色人種を殺戮する金は有色人種に出させる|連合国の戦争ビジネス


日中両政府が通貨スワップの再開検討、3兆円規模=関係筋
2018年8月22日 ロイター

[東京 22日 ロイター] - 複数の関係筋によると、日中両政府は有事に中央銀行同士で通貨を融通し合う通貨交換(スワップ)協定を再開する方向で検討に入った。規模は3兆円規模になる見通し。 (後略)




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