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2018/08/11

皇室に敵する者は必ず滅びる


日本で古くから「皇室に敵する者は必ず滅びる」といわれる理由は、日本は一大家族国家(血族的国家)なので国民の本家である皇室に反抗することは絶対に許されないからだそうです。

この思想は「朝敵滅亡思想」「朝敵必滅の理(ことわり)」と呼ばれてきました。

皇室に反抗して滅びた者は古くは蘇我入鹿、安部頼時と貞任(さだとう)、宗任(むねとう)親子、後醍醐天皇を隠岐島に配流した北条氏、最近では日本軍部、日本社会党、旧民主党、韓国の李明博などが記憶に新しいところです。

日本が一大家族国家である理由は、元宮内省総務課長が手記に書いておられますので、こちらの記事をごらんください。参考記事:韓国人が日本人と結婚するたった1つのデメリット 日本は一大家族国家


【今の日本朝敵だらけですね】
NHK、自民党、極左野党、反日勢力。
天皇皇后両陛下


後醍醐天皇を配流して滅びた北条氏
後醍醐天皇の倒幕運動に反抗して刺し違えて死んだ遠江入道、兵庫助


出典:1940(昭和15)年 内閣印刷局 高木武 「太平記と武士道」 ハ、朝敵滅亡思想

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 尊厳無比、神聖無上なる萬世一系の天皇を中心とし、血族的国家を構成している我が国に於ては、皇室に反抗し奉るといふことは、絶対に許されないことであるから、朝敵は必ず滅亡するといふ信念が、古今を通じて、国民の心を支配している。

 後醍醐天皇が北條氏の為に、隠岐国に遷(うつ)されさせ給ふことになり、聖駕(せいが:天子ののりもの)の、都路を通過し給ふや、京中の貴賤男女は、立並んでこれを見送り奉り、

 正しき一天の主(あるじ)を、下として流し奉ることのあさましさよ。武家の運命、今に尽きなん。

と憚(はばか)るところもなくいひ放ち、恰(あたか)も、赤子の母を慕ふやうに泣き悲しんだので、そぞろ哀を催して、警固の武士も、もろともに、皆鎧(よろい)の袖をぬらしたといふ次第が記されているところには、後醍醐天皇を隠岐国へ遷(うつ)し奉る北條高時の不臣の罪を認め、これに対する天罰として、やがては、北條氏が滅亡する運命に遭遇するであらうといふことを予言してある(巻四、先帝遷幸の事)

 千劔破(ちはや)城攻(しろぜめ)の時、寄手(よせて:攻めてくる軍勢)の大軍が千劔破城を幾度か力攻(ちからぜめ)にして、散々に敗れ、余りに多大な損害を被ったので、兵糧攻(ひょうろうぜめ)にせんとて、城を遠巻に囲み、退屈凌ぎに、寄手の将士たちが、連歌や双六(すごろく)などを弄(もてあそ)んでいた時、名越(なごや)遠江入道と同兵庫助とは、伯叔甥(おじおい)の間でありながら、聊(いささ)かの口論がもとで刺違えて死に、両人の家来たちも、何の意趣もないのに、差違えて、片時の間に死ぬる者が二百余人にも及んだのを見て、城中の官軍が、

 十善の君に敵(あだ)をなし奉る天罰に依って、自滅する人々の有様見よ。

といって笑った次第を記してあるところにも、朝敵は必ず滅亡するといふ思想が、はっきりとあらはれている。(巻七、千劔破城軍の事)

 隠岐判官が、船上山の官軍を攻めて敗走し、その後、幾程もなく、江州番場の辻堂で、腹かっ切って相果てたのについても、それは、大君を悩まし奉った当然の報(むくい)であるとして本書には、次のやうにいってある。

 世、澆季(ぎょうき:道徳が衰え人情の浮薄となった時代。末世。季世)に成りぬといへども、天理未(いま)だ有りけるにや、余りに君を悩まし奉りける、隠岐判官が、三十余日が間に、滅びはてて、首を軍門の幢(はたほこ:小さい旗を上部につけたほこ。儀仗に用いる)に懸(か)けられけるこそ不思議なれ(巻七、船上合戦の事)


【幢(はたほこ)】
はたほこ1

 巻十六、「日本朝敵の事」の條では、我が国に於ては、昔から、朝敵となった者は、悉(ことごと)く滅びてしまっているといふ実例を挙げた後で、

 朝敵となって叡慮(えいりょ:天子のお考え。天皇・上皇などの御心。聖慮)を悩まし、仁義を亂(みだ)る者、皆、身を刑戮(けいりく:刑罰に処すること)の下に苦しめ、屍(ほね)を獄門の前に曝(さら)さずといふことなし。

 と論断してある。

 かういふ例は、何(いず)れも、朝敵は必ず滅亡するといふ思想のあらはれたもので、尊皇忠君思想を消極的に裏面から説いたものに外(ほか)ならぬ。



親子で反乱を起して滅びた安部頼時、貞任、宗任

現在は「安倍」と書かれることが多いようです。


出典:1902(明治35)年 松村三松堂 下田歌子 「日本小歴史 女子」 第十七 朝敵また滅ぶ

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 後冷泉天皇の、天喜四年、陸奥の豪族、安部頼時、乱をおこして、国守、制すること能(あた)はざりしかば(国守が制することができなかったので)、朝廷、すなはち、源頼信の子、頼義を陸奥守鎮守府将軍として討たしめ給ふに、朝敵のならひ、存(あ)らふべくもあらずして、頼時も、遂に流矢(ながれや)にあたりて滅びぬ。

然(しか)れども、頼時の子、貞任(さだとう)宗任(むねとう)、なほ強大にして、屡々(しばしば)、官軍を苦しめ、殊に河崎の柵にては、風雲に乗じて、官軍の餒(う)え凍えたるを攻めしかば、頼義等(ら)、僅かに六騎に討ちなされたるを、賊兵、また囲みて、矢を射ること、雨の如し。頼義の子、義家、時に、歳二十(はたち)、勇闘奮戦して、遂に賊兵を退けたり。

頼義、また、出羽の豪族、清原武則を諭して、兵を発せしめ、鳥海の柵を破り、進みて、厨川の柵に逼(さしせま)り、草を積み、火をつけて、大に、賊軍を破り、貞任を斬り、宗任を降せり(投降させた。のち伊予国に配流された)。此(これ)東征の間、九年を経しかば、後に、是(こ)れを、前九年の戦ひといふ。



今こそ朝敵必滅のことわり発動希望

皇室廃止は戦時中からアメリカで計画されていたことです。(参考記事:アメリカ極秘文書「天皇と天皇制をどうするか」

また、今上陛下退位は1975年にはもう自民党内で論議されていたそうです。(参考記事:1975年から画策されていた今上天皇の「退位」


新天皇即位で恩赦検討 微罪や復権に限定…政府、被害者感情に配慮
2018年5月1日 産経ニュース

 政府が来年5月1日の皇太子さまの天皇即位に伴い、国家の刑罰権を消滅・軽減させる「恩赦」を実施する方向で検討に入ることが30日、分かった。複数の政府関係者が明らかにした。国の慶弔時などに行われる「政令恩赦」や「特別基準恩赦」が実施されれば、平成5年の皇太子さまと雅子さまのご結婚時以来で、現行憲法下では11回目となる。(後略)





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