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2018/08/04

宣伝される差別と宣伝されない差別|在鮮満日本人救済を拒絶した容共連合国


サヨクは差別する対象も「差別」して、サヨクの利益になる差別は宣伝され、利益にならない差別は隠ぺいします。

日本国転覆という意図を含んだ「LGBT反差別」は大々的に宣伝されていますね。その一方で、

・終戦後、日本・朝鮮・満洲の権益あさりに夢中だった連合国が、日本政府の「朝鮮、満洲方面で生命の危機にさらされている日本人を救済してほしい」という懇請を拒絶して朝鮮人、中国人による日本人虐殺を拡大させたこと、

・日本が敗戦国となるや、連合国はそれまでの「戦争は休戦によって戦争行為が終わる」という観念を撤廃して、軍事裁判や虐殺黙認、外地日本人の強制抑留という復讐的殺人行為を続行したこと、

は隠ぺいされています。

【しょせん売文屋】

週刊文春2

オウム死刑囚刑執行で日本を批判した容共連合国は、終戦後の軍事裁判で700人以上の日本人に死刑を宣告しています。


【骨のズイまで差別主義者の容共連合国】

東京裁判1_2

【容共連合国のスローガンで埋めつくされたサヨクの旗】
日本人は容共連合国発の反差別運動に参加しない。

サヨクデモ2

【朝鮮人に虐殺された在鮮日本人慰霊碑|北朝鮮】

在鮮日本人居留民慰霊碑2

資料|元京城日本人世話会
権益あさりに夢中だった米ソ軍は日本人の生命など問題にしなかった

米ソ軍による情報封鎖下、日本政府の情報源は脱出者、引揚者の証言だけでした。日本政府は連合国に「満洲、蒙古、新疆、朝鮮で生命の危機にさらされている日本人を救済してほしい」と何度も、あらゆるルートを使って懇請しましたが、米ソ軍は日本人の生命など問題にしませんでした。

台湾の日本人引揚げは一年で完了しましたが、日本にいちばん近い朝鮮からの引揚げには三年かかり、その間日本人は誰にも守られず、なぶり殺しにされるだけでした。


出典:1953(昭和28)年 富士書苑 森高繁雄編「秘録大東亜戦史朝鮮篇」所収 元京城日本人世話会「三八線に変貌する北と南-朝鮮引揚史 その三-」

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 日本政府のこころみた外交的努力

 ソ軍の進駐とともに一変した北鮮の様相は、脱出者により逐一京城(現ソウル)につたえられ、さらに東京におくられた。

 日本政府はこれに対処するため、八月二十三日に、マックァーサー司令官あてに、

「満洲、蒙疆(もうきょう:蒙古と新疆)、北鮮で日本軍および居留民が無法な発砲、掠奪、強姦の犠牲になっているので、日本軍に武器をもつことを許してもらいたい」

 と要請した。二十八日に、朝鮮総督から外務大臣に、咸南(感興南道)や平南(平安南道)の道庁幹部が抑留されたことやソ軍の暴行を訴えて、

「南鮮に進駐する米軍がこのようなことをおこなわぬよう米軍司令官に談判されたい」

 と電報をうった。

 日本政府は、マックァーサー司令官あてに、北鮮の事態が急激に悪化したことをつげ、その情勢が南鮮に波及するおそれがあるので、「すみやかに日本軍にかわって治安維持に任ずる連合軍の到着を切望し、日本軍の武装解除と行政機関の接収に充分配慮されたい」

とのべた。二十九日、総督府は京城のソ連総領事に、北鮮のソ軍司令官に交渉するようたのんだが、ソ連総領事は自分は直接北鮮のソ軍司令官と接衝する権限がないといって応じなかった。

また、政務総監は外務次官に電報をおくり、京城のソ連総領事が平壌のソ軍司令官に面会できるよう、駐日ソ連大使を通じて諒解をえてほしいとのべ、日本人の生命財産を保護し、官公吏、警察官の抑留をやめること、興南日窒(日本窒素)の工場施設には、日本人職員を留用すること、咸北(感興北道)の白岩(はくがん)、茂山(もさん)間に避難している日本人の救護のことを要望した。

【戦勝国民ではない朝鮮人が強制接収した広大な日本窒素工場】
日本窒素@興南空中写真2

 外務省は、ソ連政府と直接交渉ができないので、日本におけるソ連の利益保護事務をおこなっていたスエーデン公使にたのんで、駐日ソ連大使を通じて、この総督府からの要求を平壌のソ軍司令官につたえてほしいとたのみまたスエーデンの岡本公使あてに同じことをたのんだ。しかしソ連のロゾフスキー外務人民代理は、

「日本が降伏したので、ソ連の利益事務は、マックァーサー司令部で処理される。ソ連に存在する日本人の地位は一方的に処理される」

 と回答してきた。

 九月九日、マックァーサー司令部に満洲、北鮮の事態の改善を希望し、日本人引揚のために、新京、奉天、山海関(さんかいかん)から釜山(ふざん)への直通列車の運転、南北朝鮮間の鉄道運行、羅津(らしん)、清津(せいしん)、元山(げんざん)、鎮南浦(ちんなんぽ)、大連への配船、日本人引揚打あわせのため、東京から京城経由で、新京へ輸送機一機の派遣の許可をねがった。しかしそれについて、北鮮のことや釜山への直通列車再開は、ソ連の所管であると回答してきた。

 九月十日に重光外務大臣は、スイスの加瀬公使に電報をおくり、北鮮や満洲のことについて、ゼネバ(ジュネーブ)の赤十字本社に援助を懇請するよう指令し、一方またスエーデンの岡本公使にもスエーデン政府にかさねて依頼すること、また、外交関係の再開するまでは、スエーデンを利益保護国とみとめてもらうようソ連への再交渉を要望した。

 スイスの加瀬公使は、赤十字国際委員会副総裁ジュヌヴィエール氏と会見したが、

「ソ連官憲との直接連絡は、ヨーロッパでも不可能にちかい。むしろ米英側を動かす方がよいから、東京のジュノー博士にマックァーサー司令官への連絡を訓令する」

 という返答だった。ジュノー博士はその後十月六日京城まで来て、北鮮に入ろうとしたが、許可がえられずに日本に帰った。

 十月十二日、ソ軍参謀将校五名が、平壌から京城の米軍司令部にやってきた事をきいて、終戦連絡事務局児玉総裁は、ただちに総司令部のサザランド参謀長に書簡を送り、北鮮日本人救済についての覚書を渡すよう依頼した。

 また外務省は、かってソ連にいたことのある亀山参事官を送って直接ソ軍との交渉にあたらしめんとした。亀山氏はマックァーサー司令官の許可をえて、京城に行き、ソ連総領事に北鮮のソ軍司令官へ連絡をたのんだが、

「自分の権限は南鮮だけに限定されているから、ソ軍司令官への紹介は何の効果もない」

 とことわられ、また総司令部から北鮮のソ軍司令官に交渉したが、

「この種出張の要をみとめず」

 という返事で、ついに目的がはたされずに帰ってきた。

 東京政府は外交的にあらゆる手を講じた。しかし一つも現地の日本人にひびく成果をあげえなかった。敗戦直後の混沌たる情勢下、戦後の工作にいそがしい米ソは、日本政府の要求を問題にしなかったのである。

 九月から十月、朝鮮の秋はもう冷たい。北鮮からの脱出者はひきもきらずつぎつぎ寒させまる中に苦闘する日本人の実情を語った。



当時の外務大臣重光葵(しげみつまもる)|
連合国は戦争は休戦によって戦争行為が終るという観念を撤廃、700人以上に死刑宣告した


出典:1952(昭和27)年 中央公論社 重光葵 「昭和之動乱」下巻
    第九編 大東亜戦争 続き(小磯、米内連立内閣)

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 戦犯者の究明

 戦争は容赦もなく最終的段階に進んで行った。人類の貴重と思はれた生命は、草木の如く軽く取扱はれた。空襲は日本全国にわたってますます激しくなって、遂に広島と長崎に原子爆弾が、恰(あた)かも実験用の如くに投ぜられた。一度に二十余万の非戦闘員の人命が犠牲になった。その時は、日本はすでに降伏の意を決して、その手続を進行していた時であった。

 米英支比(フィリピン)和(オランダ)仏ソ各国は合同して、及び単独に、戦争犯罪裁判を開設して、戦争の政治的責任を問ひ、または不法行為に対する責任を厳重に処罰した。各国の裁判は、各国おのおの特色を有するもので、一々これを記述することを欲しないが、いづれも戦勝国の軍事裁判の性質を遺憾なく発揮した。その中には中世紀的のものもあった。

米国の裁判においても、戦時日本の俘虜または抑留者であったものの文書による証言を、そのまま証拠として取り上げて、反対質問の機会は与へられざるまま、裁判は厳刑をもって臨んだ。今日(一九四九年六月)まですでに四千人以上の処刑宣告を受けたものがあり、その内七百人以上の死刑宣告者がある。それのみならず、戦後四年の今日なほ、日本人の俘虜または普通人の戦傷者側に抑留せられて、労役に使用せられているものは、数十万に上っていることが発表されている。

 戦争は休戦によって戦争行為が終る、といふことがこれまでの観念であった。第二次世界戦争は、休戦三年以上も経て、いまだ敵味方の関係において復讐的殺人が行はれている。戦争終結後の殺人行為は、たとへ裁判の形式がとられても、宗教的に見て許すことの出来ぬものと記者(重光葵本人のこと)は信ずる。

一九四五年九月二日ミズリー号上における終戦文書署名者として、記者は、将来の国際関係の融和、人類の親和のために、一日も速かに勝者の敗者に対する処罰が終息して、自由平等なる平和状態の快復せられんことを望んでやまぬ。


【アメリカ「北朝鮮にこれまで見たこともない制裁を加える」】
日本人に加えた制裁以上のものがあるらしい。

金正恩2


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