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2018/07/22

フランス領インドシナを防衛した旭日旗|日仏共同防衛


韓国がまた、フランス革命記念日で自衛隊が掲げた旭日旗を問題視して「日帝強占期の被害国の事情は考慮していない」などと批判していますが、日本はその旭日旗を掲げて独伊と休戦したフランスの植民地ベトナム、ラオス、カンボジアを防衛したのです。

しかも、ベトナム独立の気運が高まったきっかけは、少人数の日本兵がフランス軍の大部隊を生け捕りにするところを目撃したからだそうです。

まさに"WIN-WIN-WIN"じゃないですか?旭日旗のどこが問題なのでしょう?


【植民地時代のベトナムサイゴン港】
フランスの植民地らしい美しさ。でもその裏では約80年間におよぶ植民地支配と同化政策が行われていた。フランスは国王からベトナムの国土を収奪し、フランス人に分与した。
サイゴン港2【出典】1942(昭和17)年 欧文社編集局 「大東亜太平洋圏の新展望」 第四章 仏領印度支那


侵略ではなかった日本の南部仏印進駐

しかも日本の仏領インドシナ防衛は「侵略」ではなく、休戦したフランスのヴィシー政府と正式に日仏議定書および日仏印共同防衛議定書を取り交わした上でのフランスとの共同防衛という形でした。

ナチスドイツに降伏したフランスにアジアまで増援部隊を送る余力がなかったからです。


【日仏議定書|日本はフランスの権利、利益、領土保全、主権を尊重する】

大日本国政府及仏蘭西(フランス)国政府は現下の国際情勢を考慮しその結果仏領印度支那の安全が脅威せらるる場合に於ては、日本国が東亜に於ける一般的静謐及自国の安全が危険に曝(さら)されたりと為(な)す理由あるを認め、此(こ)の機会に一方日本国に依りて為されたる東亜に於ける仏蘭西国の権利及利益特に仏領印度支那の領土保全及印度支那連邦の全部に対する仏蘭西国の主権を尊重する旨の約束を、他方仏蘭西国に依りて為されたる日本国に対し直接又は間接に対抗するが如き性質の政治上、経済上又は軍事上の協力を予見する何等(なんら)の協定又は諒解をも印度支那に関し第三国と帰結せざる旨の約束を新(あらた)にし左の諸規定を協定せり

一、両国政府は仏領印度支那の共同防衛の為(ため)軍事上協力を為(な)すことを約す

二、前記協力の為に執るべき措置は特別取極の目的たるべし

三、前記諸規定は其(そ)の採用の動機と為りたる情勢の存続する限りに於てのみ効力を有すべし

 右証拠として下名は各本国政府より正当の委任を受け本日より実施せらるる本議定書に署名調印す
昭和十六年七月二十九日即ち千九百四十一年七月二十九日「ヴィシー」に於て日本文及仏蘭西文を以て本書二通を作成す

              加藤外松
              ダルラン


【出典】1942(昭和17)年 日独出版協会 原田瓊生 「反共十字軍:独ソ戦の真相とその経過」
【原本】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A03022679300:1941(昭和16)年 8月1日 内閣 「御署名原本・昭和十六年・条約第一四号・仏領印度支那ノ共同防衛ニ関スル日本国「フランス」国間議定書」


【仏政府の対米声明|仏蘭西は今仏印に増援部隊を派遣する余力を持たぬ】

出典:1942(昭和17)年 日独出版協会 原田瓊生 「反共十字軍:独ソ戦の真相とその経過」 仏国に対する米国の憤慨

※管理人注:〔  〕内は管理人による注釈です。


 ウェルズ国務次官の非難に対し、ヴィシー政府は七月四日次の声明を発して之を反駁した。

一、シリヤに於て仏蘭西は最後通牒もなければ何の予告をも受けずして、英国の公然たる侵略に対して対抗しなければならなかった。我が陸軍は増援部隊も物資の供給をも期待出来なかった。而〔しか〕も我が軍隊は事実上三十一日間の抵抗をよく続けたのである。

一、仏印に於て仏蘭西は七月三十日東亜に於ける日本の優越的地位を承認し、それにもとづいて日本に軍事施設を提供したのである。当時米国は何等の行動にも出なかった。

一、今や日本は敵軍(重慶軍〔蒋介石軍〕を意味す)の集中により仏印は脅威されてゐると我々に通告した。仏蘭西は今仏印に増援部隊を派遣する余力を持たぬ。よって加藤大使の協定申入れに同意して、日本軍隊による仏印防衛措置を承認したのである。かかる事態は他の何処〔どこ〕の仏蘭西領土にも存在せず、殊に阿弗利加(アフリカ)の仏蘭西植民地にはかかる事態は絶対に存しない。

と、セネガルの要港ダカールに対し独逸が共同防衛をヴィシー政府へ申込んだと云ふデマを併せて粉砕した。



これらの議定書を日仏間で取り交わした際、「ナチスドイツは一切関与していない」つまりナチスドイツのフランスへの圧力はなかった、と東条英機元首相が宣誓供述書の中で述べています。


出典:1948(昭和23)年 洋洋社 東京裁判研究会 「東条英機宣誓供述書」

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


四十七、「フランス」政府との交渉につき我方が「ドイツ」政府に斡旋を求めたことは事実でありますが、「ドイツ」外相は此(こ)の斡旋を拒絶して来ました。従って起訴状にある如く「ドイツ」側を経て「フランス」を圧迫したといふ事実はありません。



日本を東南アジアへ押し出したのは連合国

また、当時の日本が南部仏印進駐という米英を刺激するであろう危険な賭けに出た理由は、以下の3点にありました。


・連合国がABCD対日包囲網という対日経済封鎖をかけていたこと

・日本が戦争に必要な石油取得のためオランダと交渉していた日蘭会商が決裂したこと

・支那事変が終わらないよう、連合国が蒋介石に物資を送り続けている援蒋ビルマルートを遮断すること



ABCD対日包囲網と援蒋ビルマルート
連合国は日本を経済封鎖し蒋介石には莫大な援助を行った

日本の戦略とフランスの利益が合致した、その結果が日本の南部仏印進駐でした。

ABCD援蒋ビルマルート2_2【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A06031077600:1941(昭和16)年8月13日 内閣|情報局「写真週報181号」(2コマ目)

援蒋ビルマルートの航空写真。米、英、オランダを牛耳っている国際金融資本は、じゃんじゃん蒋介石や中共に武器、物資を供給して有色人種同士殺し合いをさせ、私腹を肥やしました。中国に送った武器、物資の代金は各国の対支借款=米、英、オランダ国民の税金で、その借款を返済するのは中国人民でした。

援蒋ビルマルート写真2

仏領インドシナの人々に白人と戦う勇気を分けた日本

日本が仏領インドシナに進駐したとき、フランス本国内がヴィシー政権勢力とドゴール派勢力が入り乱れていたことなどから日本軍と現地フランス軍で局地的戦闘が起こりました。

そのとき、ベトナムの人々は数少ない日本兵が列車で移動中のフランス軍大部隊を列車ごと生け捕りにするのを見て、ベトミンが成立したのだそうです。

日本人の体格はベトナム人とほぼ同じだったので「日本人にできるなら我らにもできるはずだ!」と思ったのです。


「それまでフランス人のムチにおびえるだけがベトナム人でした」


出典:1999(平成11)年 朝日新聞社 「週刊朝日12-15増刊 司馬遼太郎からの手紙」 忠恕という国民性-海軍の友人、陸軍の友人へ(七)



 そんな宗像さんだから、司馬さんはいろいろな手紙を書いている。国際的な話題、歴史的な問題、そして軍隊についての手紙もある。まず、ベトナム旅行の感想を書いた宗像さんの手紙への返事である(九三年三月三日)。

 
 ベトナムにゆかれたとのこと、すばらしいことです。ハノイ工大の女性の教授の『「明治」という国家』への言及には、感じ入りました。小生はあの本を、東南アジアのまだ見ぬ読者と、後世の未知の日本人のために書きました。仏印進駐は、米英への刺激、両国(とくにアメリカ)の戦争参加の決意を固めさせる結果になりましたが、局地的(戦争ではなく戦闘レベル)では、北のベトナム人に異様なショックを与えました。大部隊を輸送中の仏軍の列車を、一個小隊か、それ未満の日本兵(ベトナム人と同じ体格)が無血拿捕するのをかれらがみて、ベトミンが成立した、ということを、昭和四十年代、サイゴンのフランス料理屋シガール(蝉)で、ウェイター(ハノイ人)からききました。

「あのときの驚きは、ハノイじゅうが共有しました。それまでフランスの旦那のムチにおびえるだけがベトナム人でした」と、ウェイター。

 仏印進駐は、日本にとっては悪結果でしたが、アジアにとっては意外な影響をあたえました。歴史は善悪でみるとまちがいをおかしがちになります。善悪を外(はず)してみればふしぎなものですね。


【平和的だった日本の南部仏印進駐】
仏印国境に近いドンダンに入った中村兵団。
ドンダンに入った中村兵団2

日仏印共同防衛の取極めが行われたのが1941(昭和16)年7月21日、飯田中将の率いる第25軍の銀輪(ぎんりん)部隊が熱風の町サイゴンに入ったのは月末だった(28日)。町は平穏に歓迎した。銀輪とは自転車のこと。
サイゴンに入る第25軍2



ベトナム人を強姦・虐殺した韓国は自国の無知と無恥におびえろ


韓国でまた「旭日旗」やり玉に、「陸自が掲げてパリ市内行進」と問題視、アイテムに使用のゲーム会社は謝罪
2018年7月21日 BIGLOBEニュース(レコードチャイナ)

2018年7月20日、韓国で日本の軍国主義の象徴としてやり玉に挙げられる旭日旗。韓国紙はフランス革命記念日のパレードに参加した陸上自衛隊の部隊がパリ市内で旭日旗を掲げて行進したことを問題視している。さらに旭日旗をデザインしたアイテムを発売したゲーム会社が謝罪に追い込まれたとも報じている。(中略)

旭日旗について、中央日報は「フランス刑法第645—1条には『ナチスなど反人類行為犯罪を犯した集団を連想させる装飾などの着用または展示を禁止し、これを犯した場合は罰金刑に処する』」という内容がある」と指摘。「ナチス・ドイツの象徴であるハーケンクロイツ模様の使用は厳格に禁じられているが、同じ意味を持つ日本の旭日旗を国家的行事に堂々と掲げて行進することを許した点は、日帝強占期の被害国の事情は考慮していないと解釈される余地がある」と論じた。

国民日報も「旭日旗は第2次世界大戦で使用された戦犯旗で、日本軍国主義の象徴とされる。日本が太平洋戦争を起こしアジア各国を侵略した時に使用されていた旗」と報道。「このような旭日旗をフランス革命の記念日に持ち込むのは、国民の自由と個人の平等な権利を確立し今日の民主主義の土台を作ったフランス革命の趣旨と相いれない」と主張した。

中央日報はサッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会の国際サッカー連盟(FIFA)のユニホームと応援物品販売サイトでも、旭日旗模様が描かれたTシャツが堂々と販売されていた、と紹介。ファッション業界関係者の「西欧では旭日旗が軍国主義の象徴かどうか分からない人が多い」との声を伝えている。(後略)


【旭日旗を掲げる朝鮮人兵】
自力で祖国防衛も独立も成し遂げたことがない朝鮮半島。ナチスドイツに降伏して日本に進駐されたフランスは旭日旗に抗議したりしない。旭日旗朝鮮人兵1


どんなに平和的に進駐したとはいえ、その本質は戦争ですから、当然日本は仏領インドシナの人々に苦しみや悲しみも与えました。

でも、ベトナムの人々は日本に友好を示してくれています。それは日本のかけがえのない財産です。

日本敗戦後、フランスはまたコソッともどってきてインドシナ諸国を植民地にしようとしましたが、勇敢なベトナム人に撃退されたそうです。

白人を崇拝して事大して、連合国に赤化されて反日になって、歴史観まで連合国と同じにしてしまうどっかの国々とは大ちがいです。


【参考資料】
・1954(昭和29)年 富士書苑 森高繁雄編「大東亜戦争写真史 南方攻守篇」
・1954(昭和29)年 富士書苑 森高繁雄編「大東亜戦争写真史 開戦進攻篇」
・1954(昭和29)年 富士書苑 森高繁雄編「大東亜戦争写真史 大陸戦塵篇」


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