朝鮮時代の世界地図|竹島と対馬
日韓併合前、日本人が朝鮮で収集した物品の中に「朝鮮之世界図」という世界地図がありました。
その地図は朝鮮人が約1000年前に作製したものだそうで、すでにアメリカ大陸も描かれていました。
当然その地図には竹島は描かれていませんし、それに加えて当時の朝鮮人は対馬が日本全土だと思っていたそうです。
朝鮮人は日韓併合で日本が精密な地図を持ちこむまで、このグニャグニャした世界観の中に生きていました。
さすがに朝鮮宮廷でもこの世界地図をはずかしいと思ったらしく、閔妃を殺害した大院君が大臣に修正を命じたそうです。
でも、小さな部分しか修正できなかったそうです。
それもそうでしょう、朝鮮人は船を持たず、泳げもしなかったのですから。
日本人としてはこの地図を宮廷で使っていたことの方がおどろきです。
朝鮮人が竹島の存在を知ったのは日韓併合後と考えるのが妥当です。
朝鮮の汚物のような世界地図「朝鮮之世界図」(自称西暦894年頃作製www)
資料本文から国名や海、河川の名称を入れてみたものがこちら↓↓↓
【出典】1894(明治27)年 丸善 矢津昌永 「朝鮮西伯利紀行」一方、日本では
江戸時代(1809年文化6年)古屋野意春が描いた「万国一覧図」(208年前)
江戸時代(1809年文化6年)古屋野意春が描いた「万国一覧図」(208年前)
南北アメリカ大陸~ロシア、日本、朝鮮、支那
ロシア~ヨーロッパ、支那~インド、中東
南米~太平洋
インド~スリランカ~アフリカ
【出典】・1809(文化6)年 含章堂藤村宗助 古屋野意春元鄰製 「萬国一覧図」・2000(平成12)年 英米文化学会 森本峰子 「江戸時代の古地図に見るオーストラリア」(4ページ)
日本による植民地支配、従軍慰安婦、独島はウリナラの領土…みずからの捏造で滅亡する韓国
組織委会長「対応しない」 平昌五輪HPの「独島」表記 2017年1月20日 産経ニュース 2018年平昌冬季五輪組織委員会が、公式ホームページの地図などで島根県の竹島を韓国名の「Dokdo」(独島)と表記し韓国領としていることに、日本の外務省が韓国政府に対応を求めたことについて、組織委の李煕範会長は20日、聯合ニュースに「独島は韓国領土だ。(要請は)一顧の価値もない主張で、対応する考えはない」と述べた。 聯合ニュースによると李氏は、現段階で組織委には正式な要請は届いていないとし、「このような問題には対応しない方が良い」と述べた。 一方、五輪を担当する文化体育観光省関係者は聯合に「(韓国)外務省を通じ事実関係を確認している。組織委と協議し判断する」としている。(共同) |
本記事の資料
( )内は管理人による注釈です。
明治時代の文献なので【意訳】を併記しました。
出典:1894(明治27)年 丸善 矢津昌永 「朝鮮西伯利紀行」 ※●は判読不明文字です。 (31)朝鮮の世界図 今序に朝鮮人の世界に対する観念に就(つ)き左に説明し併せて地図に就き解説すべし 【意訳】 今ついでに朝鮮人の世界に対する観念について左に説明し、あわせて地図について解説しよう 朝鮮人の世界に対する観念 朝鮮人が世の事物に対して、頗(すこぶ)る珍奇の考えを有するとは、毎度珍しからぬ事にして、彼等(かれら)が世界という観念の如きも、其(その)一(ひとつ)ならんが、則(すなわ)ち左に掲ぐる、奇態なる地図?)(原文ママ)は、朝鮮人の考案に成れる世界地図にして、何れの時代、誰某の手に成りしかは、今詳(つまびらか)ならざれ共(ども)、兎に角(とにかく)一千年以前の作なりとの説あるには再び驚かざるを得ず、何となれば、甚(はなは)だ不完全ながらにもせよ、稍々(やや)現今の地図の位置と、粗々(あらあら:ざっと。大略)似たる所あるべければなり、恐らくは今の朝鮮人此(こ)の観念あるやを疑うなり、左(さ)ればにや、今を距(へだた)るを二十余年前、今の大院君、自ら指揮せられ、朝臣金応校なる人に命じて、補正せられたれども、旧体(態)を改めず、唯(ただ)其(その)小部分の修正に止(とどま)りしと● 【意訳】 朝鮮人が世の事物に対して、すこぶる珍奇な考えを持っていることは、毎度めずらしいことではなく、彼らが世界という観念にしても、その一つであるが、すなわち左に掲げる風変わりな地図?)は、朝鮮人が考案した世界地図にして、いつの時代、誰の手になるものかは、今つまびらかではないが、とにかく一千年前の作との説があることには再び驚いた、なぜなら、はなはだ不完全ながらにせよ、いくらか現今の地図の位置と、だいたい似た所があるからである、おそらく今の朝鮮人はこの地図の観念を疑っている、それゆえ今から二十余年前、今の大院君が指揮して、朝廷に仕える大臣金応校に命じて、補正させたけれども、このままの状態を改めることはなく、ただその小部分の修正にとどまっただけであった 朝鮮世界図の解 地図の略説を示さんに、如何にも、奇態なるには相違なきも、前にも言える如く、千年以前、斯(かか)る地図を製するに至りたりとせば、古代苟(いやしく)も、地理学の稍々(やや)発芽し、始めんとせりしは見るべきなり、則ち亜細亜(アジア)亜非利加(アフリカ)欧羅巴(ヨーロッパ)の如き、一部分の地形は、殆(ほとん)ど相類する所あれば也、図中符合にて示す、(一)は朝鮮にして、黄海に突出し、(二)は支那にて其(その)左右にあるは、黄河及揚子江ならん、(三)は安南(あんなん:ベトナム)を示し、其抱く海は、余り湾入に過ぎれ共(ども)、東京(トンキン)湾ならん、(四)は蕃胡(胡は西域民族のこと)とて印度(インド)を指し、(五)は欧亜の境なる裏海(りかい:カスピ海)なり、又(イ)より(ロ)にかけては、則ち西伯利(シベリア)なり、(四)と(六)との間に湾入するは紅海にして、(六)は則ち西域(広義には中国の西方諸外国の汎称)とて、今の亜非利加(アフリカ)なり、(七)は日本とあれ共、恐らくは対州(対馬)のみを以て、日本と信ぜしものならん、(八)は九州(九)は原名広桑とありて、今何れに当るや詳(つまびらか)ならざれ共、或(あるい)は琉球ならんとの説あり、併(しか)し朝鮮にては、古来琉球を琉球国と称し居(お)れば、或は又琉球にもあらざる可(べ)しとの説もあり、(十)は四国、(十一)は本州(十二)は北海道ならんか、然(しか)れども原図之(これ)を示さざれば、詳ならず、又(十三)は白民とありて、今の英国にして、人種の面貌によりて斯(か)く名(なづ)けしものならんか、地図の周囲を繞(めぐ)れる陸地は南及北亜米利加(アメリカ)に当れるが、此(この)図一千年前の作と云(い)えば、未(ま)だコロンブス氏が米州発見前なるが、斯る大陸の存することを、既に知りしものなるか、元、此図を作る頃は、勿論(もちろん)世界を平扁のものと想像せしを以て、南北に細長き、亜米利加は、之(これ)を円(まる)くして、周囲を繞(めぐら)したるものならんとの説あり、(ハ)と(ニ)との間なるは、巴拿馬(パナマ)地頸(地峡:ちきょう:両側から海が迫り大陸の一部が極端に狭まった地形)なるか、(十四)(十五)の如き図形なるは、沼沢の地にして、北米の北部は、今も「大湖地方」とて、湖沼多きは人の知る所にして、既に此等(これら)の事も知れ居(お)りしか、此(この)原図には、国を列すると九十五の多きあれ共、今之(これ)を略き、其最も奇なるものは 無暇 三首 無暢 大幽 深目 不死 淑女 盤水 一目 食米 火山 広野 羽民 大人 中容 甘淵 三身 毛民 君子 等の如き国名あり、各々(おのおの)其(その)容貌、性質、風土等によりて、名(なづ)けしものならん 【意訳】 地図の略説を示せば、いかにも風変わりなのにはちがいないが、前にも述べたとおり、千年前、このような地図を作製するに至ったとするならば、古代かりそめにも、地理学がやや発芽し始めたと見るべきであろう、すなわちアジア、アフリカ、ヨーロッパのような一部分の地形がほとんど相似する所があるからである、 図中に符号を描いて示してみよう、 (一)は朝鮮で、黄海に突出し、 (二)は支那でその左右にあるのは黄河と揚子江である、 (三)は安南(あんなん:ベトナム)を示し、その抱く海はトンキン湾である、 (四)はインドを指し、 (五)はヨーロッパとアジアの境であるカスピ海である、 また (イ)より(ロ)にかけてはシベリアである、 (四)と(六)との間に湾入しているのは紅海であり、 (六)はアフリカである、 (七)は日本とあるが、恐らくは対州(対馬)のみをもって日本と信じたものであろう、 (八)は九州、 (九)は原名に広桑とあるが、どこのことなのかつまびらかではないが、あるいは琉球(沖縄)ではないかとの説がある、しかし朝鮮では古来より琉球を琉球国と称しているので、琉球ではないとの説もある、 (十)は四国、 (十一)は本州、 (十二)は北海道だろうか、原図を示さないならばつまびらかではない、 又、(十三)は白民とあって、今の英国のことである、人種の容貌によってこのように名づけたのではないだろうか、 地図の周囲をめぐる陸地は南および北アメリカに当たるが、この図が一千年前のものだとするならばまだコロンブス氏が米大陸を発見する前であるが、朝鮮人はこの大陸の存在をすでに知っていたのであろうか、元(はじめ)、この地図を作る頃は、もちろん世界を平らなものだと想像していたのであるから、南北に細長いアメリカはこれをまるくして周囲をめぐらせたのであろうという説がある、 (ハ)と(ニ)の間にあるのはパナマ運河であろうか、 (十四)(十五)のような図形は沼沢の地であって、北米の北部はいまも「大湖地方」であり、湖沼が多いのは多くの人々の知るところであるが、朝鮮人はすでにこれら湖沼のことも知っていたのであろうか、 この原図には九十五の国が描かれているけれども、そのもっともめずらしいものは 無暇 三首 無暢 大幽 深目 不死 淑女 盤水 一目 食米 火山 広野 羽民 大人 中容 甘淵 三身 毛民 君子 などという国名で、おのおのその容貌、性質、風土等によって名づけたものであろう |
【参考資料】
・1942(昭和17)年 刀江書院 藤田元春 「日本地理学史」
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