朝鮮で大流行した通名は伊藤博文の「伊藤」だった
朝鮮人が勝手に名乗る日本名を「通名」といいますが、その始まりは日韓併合前でした。統監府時代、朝鮮で大流行した通名は伊藤博文の「伊藤」だったそうです。
【伊藤博文統監】

朝鮮人は口を開けば
日本が国を奪った、言葉を奪った、民族名を奪った
などと言いますが、通名の始まりは1939(昭和14)年の「創氏改名」ではありません。
伊藤統監の「伊藤」を通名にしたくらいですから、統監府時代(日韓併合前)から、朝鮮人が勝手に日本名を名乗っていたのが通名の始まりです。
出典:1930(昭和5)年 南山吟社 今村鞆著 「歴史民俗朝鮮漫談」 日鮮人の間柄 当時表面的ではあるが、鮮人が日本に同化の意を表わす為(た)めに、吉田権太郎(本名権丙吉)、伊藤彬(本名李冑彬)、吉野柳之助(本名柳学文)と云(い)う様に、日本人名を附ける事が流行した。 其中(そのなか)伊藤(統監と同姓)と云う姓が一番多かった。此等(これら)は民籍が出来て後にも、民籍へ日本名で登録されてあった。 或る時、会計が間違えて朝鮮人官吏へ、日本人額の旅費を払い渡し、夫(そ)れが問題になって、爾来日本名を付することを禁止した。寺内総督の時である、ツマラヌ事をしたものである。 |
寺内総督は初代と二代目の朝鮮総督で、在任期間は1910(明治43)年10月1日から1916(大正5)年10月9日まででした。
なので、この総督府令をもって、朝鮮人の通名を直接民籍に記入することを禁止しました。
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出典:1934(昭和9)年 帝国地方行政学会編 「現行朝鮮法規集覧.第4巻」 第十三集 法務 第二章 民事 第七款 戸籍 ●朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件 明治四十四年十月二十六日朝鮮総督府令第百二十四号 改正 大正四年三月第一九号 朝鮮人の姓名改称に関する件左の通定む 第一条 朝鮮人にして姓名を改称せんとするときは左の事項を具し民籍謄本を添え所轄面長又は府尹(管理人注:朝鮮の村長、町長のようなもの)を経由し道長官に願出て許可を受くべし 一 本籍、住所、姓名、職業、年齢 二 改称せんとする姓名 三 改称の理由 第二条 前条の願書には妻又は妾に在りては其の夫の承諾書、満二十歳以下の者に在りては戸主の承諾書を添附すべし 前項の場合に於て其の承諾を与うべき者なきときは願書に其の事実を記載すべし 第三条 第一条に依り姓名改称の出願を為(な)す者は手数料として五十銭を納付すべし 前項の手数料は収入印紙を願書に貼附して之(これ)を納むべし 附 則 本令は明治四十四年十一月一日より之を施行す ![]() ※カナ書きをかな書きに、旧漢字を新漢字に改めました。 |
併合時代、朝鮮人は自らの意志で日本名を勝手に名乗り、伊藤統監の姓まで通名にしておきながら、戦後は
日本に名前を奪われ、日本名を強要された
などとウソをつき、被害者になりすまそうとするから、日本人に「帰れ!!」と言われるのです。
【事実ではないことで日本を攻撃する対日ヘイトスピーチ】
時代の正体 ヘイトスピーチ考(上) 朝鮮学校に吹く寒風
神奈川新聞 2014年7月26日
在日コリアンの排斥を唱えるヘイトスピーチ。京都の朝鮮学校に対する街宣活動について大阪高裁は今月8日、「明白な人種差別」として損害賠償を認めた一審判決を支持した。在日朝鮮人社会に差し込んだ一筋の光-。そのまばゆさが照らし出す「いま」を1人の朝鮮学校教員の目を通して見詰める。
(中略)
在日朝鮮人3世の金は誇らしげに語る1世のハルモニ(おばあさん)の姿を忘れない。
「国を奪われ、言葉は禁じられ、民族名を名乗るのも許されなかった。とても寂しいことだった。だから戦争が終わるとすぐ、子どもたちに言葉を教えるのだと皆が立ち上がった」
本当にウソばっかりつく民族ですね。
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