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2017/10/10

じゃんじゃん共産党を結党した朝鮮人|共産党は一国一党制です


今日は北朝鮮の朝鮮労働党の創立記念日だそうですが、朝鮮労働党が「共産党」を名乗れないのは共産主義を理解できなかった朝鮮人が共産党を組織しまくってコミンテルンの怒りを買い、「朝鮮人の共産主義団体は解散しろ」と指令されたからです。

共産党の党是は「一国一党制」です。それなのに戦前朝鮮人はその党是を軽々と破って共産主義団体を組織しまくりました。

その目的はコミンテルンや連合国から対日工作資金や朝鮮での宣伝工作費をもらって私腹を肥やすため、権力を手に入れて自分に箔を付けたいという極めて私的な欲望、そして共産主義をふりかざして公然と日本人を虐殺することにありました。


↓↓↓朝鮮半島の共産系組織は必ず日本国内でも組織される↓↓↓
国難プラカード1

現在中共がチベットやウイグルで虐殺を続行していますが、その行為は「共産主義」の名の下に世界から黙認されています。

終戦直後、満洲朝鮮半島で大勢の日本人が虐殺されましたが、それも共産主義の名の下に隠ぺいされ、虐殺魔は処罰されることすらありません。

そして、朝鮮共産運動の特徴は必ず朝鮮半島と日本国内の組織が連動していることです。戦前も朝鮮共産党日本総局、高麗共産青年会日本部、新幹会東京支会といった朝鮮半島で組織された共産主義団体の派遣部隊が日本国内でも組織されました。

今回の衆院選でサヨク陣営が政権を取れば、半島有事にともなうわが国への朝鮮難民の大量流入はまぬがれません。

反日勢力の最後の目標は日本ですから、朝鮮難民の流入は即日本人虐殺につながると懸念されます。

米軍もアテにはなりません。終戦直後の南鮮で在鮮日本人が朝鮮人に殺されるのを見てみぬふりをし、在鮮日本人の資産、持ち物すべてを朝鮮人に与えたのも、日本人をみな殺しにすべく原爆を投下したのも米軍です。


↓↓↓共産主義は理解できないが日本人蔑視は世界一↓↓↓
金正恩2

そして「朝鮮人は共産主義を理解できない」という事実は大変恐ろしいことでもあります。

なぜなら、彼らはただただ日本人をさげすみ、憎み、虐殺したいと思っているのであって、感情的な彼らにはどんな主義主張も理解してもらえないからです。

要するに、理論的な話が通じない、できないということです。


戦前朝鮮人が組織した共産主義団体 分裂したり改称したり

ここに列記したほかにも上海で組織された大韓共産党、朝鮮内で組織されそうになって当局に検挙され結党未遂に終った咸鏡北道共産党というのもありました。

朝鮮人初の共産主義団体は朝鮮人共産主義者李東輝がハバロフスクで組織した韓人社会党でした。そして、これを皮切りに朝鮮人の共産主義団体は無数に増えていきました。

李東輝といえば民族主義者李承晩の部下なのにクレムリンに対日工作資金をせびりに行って、レーニンの質問に何も答えられず、クレムリンからつまみ出された朝鮮人です。

そして朝鮮人は分派した組織の中でまたもやいくつもの派閥に分派して権力闘争を演じ、また分派するということをくり返しました。そのおろかさは日本の極左野党と一脈通じるものがあります。

団 体 名て ん ま つ
韓人社会党1918(大正7)年(ロシア革命の翌年)朝鮮人共産主義者
李東輝がハバロフスクで組織した朝鮮人最初の共産主義団体。
1919(大正8)年(三・一独立万歳事件の年)高麗共産党と
改称、中心を上海に移した(上海は連合国のアジア侵略拠点
だった)。
全露韓族共産党高麗共産党が上海に移転する虚に乗じ、一層急進的な朝鮮人
共産主義者によってイルクーツクで組織された。
コミンテルンは高麗共産党と全露韓族共産党の併存を許可し
た。
全露高麗共産党高麗共産党が上海派と全露派に分裂し、全露派は全露韓族共
産党に吸収された。
1921(大正10)年11月、全露韓族共産党はコミンテルンに
取り入り、
「全露高麗共産党」と改称朝鮮人共産運動の最
高団体
と自称した。
高麗共産党
北満支部
分裂した高麗共産党上海派が全露高麗共産党に対抗して満洲
寧古塔で組織した共産主義団体。
ここでコミンテルンは朝鮮人共産主義者に愛想をつかし、
麗共産党の解散およびソ連の組織であるウラジオストックの
全露共産党極東地方委員会への吸収を指令した。
全露共産党
極東地方委員会
高麗部
1923(大正12)年(関東大震災の年)コミンテルンの指令で
解散した高麗共産党北満支部の朝鮮人共産主義者を吸収する
ためにコミンテルンが設立した。
ソビエト社会主義共和国連邦の組織。
大韓義勇軍李東輝が組織した共産匪賊。正式な軍ではない。
東、南、北満
三青年総同盟
1924(大正13)年~1926(大正15)年に李東輝が組織した
団体。
朝鮮共産党1925(大正14)年朝鮮内の共産党としてコミンテルンに承認
されたが日本当局の弾圧によって1931(昭和6)年に解体
(解消)。
その解体声明書は朝鮮共産党の日本派遣部隊である朝鮮共産
党日本総局
の名で12月23日付「赤旗第61号」に掲載された。
解体声明書の内容は「解体は新たなる闘争への転向であり、
日本、朝鮮あらゆるプロレタリア(労働者階級)の革命的組織
の中に自己の任務を見出すためである」だった。
第三次党日本当局の弾圧で解体した朝鮮共産党の残党がウラジオストッ
クに逃れて組織した団体。
第三次党
満洲総局
1926(大正15)年、第三次党が東支鉄道沿線で組織した団
体。
全露共産党極東地方委員会高麗部内に吸収された朝鮮人共産
主義者を吸収した。
しかし朝鮮人共産主義者の派閥闘争、権力闘争はやまず、激怒
したコミンテルン
は在満朝鮮人共産主義団体の解散を命じ、朝
鮮人共産主義者は中国共産党傘下に加入した。
これより先1928(昭和3)年にコミンテルンは「朝鮮問題決
議(いわゆる12月テーゼ」を決議、在日朝鮮人共産主義者団
体を解消して日本共産党傘下の組織への加入を指令した。
【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B02130968400:1936(昭和11)年 外務省情報部 「第五章 東亜に於けるコム・インターンの活動」(16コマ目)

【分裂しすぎて小さくなってしまったオザーさん】
とうとう無所属で衆院選に出馬。
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また税金でテロリストを養いますか?皇国の興廃この衆院選にあり

「安倍政権打倒」が目標なら、政治家ではなく活動家になればいいのです。

でもなぜ、政治家になるのか?

それは合法的に日本を破壊し、乗っ取るためでしょう。

いまの日本にイチから政治や外交をやり直す時間はありません。なので旧民主党、民進党の候補者に投票するのは考えものです。

「安倍政権打倒」を叫ぶ候補者は自虐史観=共産主義的歴史観なのに、どこが「保守」なんでしょうね?

小池百合子1【参考記事】小池氏「安倍1強にノー」希望が総決起大会 日本経済新聞 2017年10月9日

革命家を仕立てて外国を乗っ取るのは共産主義者の常套手段ですね。
→【参考】過去記事:アメリカがしかけたパナマ革命と日本


「日本死ね」新語・流行語大賞トップ10入りを喜んだ前原さんも、衆院選闘争目標は「安倍政権打倒」。おまえらは落選させてやるわ。


前原さんは革命的マルクスなんちゃら(過激派)と共闘したいそうです。

枝野寝ろ1【参考記事】前原氏、立憲民主と協力 「安倍政権を倒すため」 日本経済新聞 2017年10月7日


コミンテルンに破門されたなんちゃって共産団体の創立記念日w

NHKはニュースページのヘッダーに不細工のドアップをのせて、日本人を威嚇しているつもりでしょうか?


きょう党創立記念日 各国警戒
2017年10月10日 NHK NEWS WEB

北朝鮮は10日、朝鮮労働党の創立から72年の記念日を迎え、加速させる核・ミサイル開発をキム・ジョンウン(金正恩)委員長の「業績」として誇示し、さらなる権威づけや国威発揚を図ると見られ、関係国は、記念日に合わせた追加の挑発への警戒と監視を続けています。

【参考記事】エスカレートする北朝鮮の日本威嚇 レコードチャイナ 2017年10月7日

本記事の資料


外務省情報部
「朝鮮人お得意の内紛はやまず七、八派に分れて、おたがい排斥し合っている」


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B02130968400:1936(昭和11)年 外務省情報部 「第五章 東亜に於けるコム・インターンの活動」(16コマ目)



 第四節 満洲赤化工作

 朝鮮系の赤化運動は、一九一八年に遡(さかのぼ)ることが出来る。当時既に間島等の地方を中心として朝鮮民族主義団体が存在していたが、其(そ)の赤化に依って、鮮人最初の共産主義団体がハバロフスクで結成された。李東輝の『韓人社会党』が夫(そ)れである。党は一九一九年、コム・インターンからグルッペ(グループ)として承認され、『高麗共産党』と改称、中心を上海に移したが、其の虚に乗じ、一層急進的な主義者に依って、イルクーツクに『全露韓族共産党』成立。両派の訌争(こうそう:うちわもめ。内紛)はコム・インターンに調解(原文ママ)せられ、活動範囲を画し、両者併存のこととなった。

然(しか)し、夫(そ)れも束の間、上海派を二派に分裂し、一部は全露派に吸収され、優勢に成った全露派は甘くコム・インターンに取り入って、一九二一年十一月『全露高麗共産党』改称し、鮮人共産運動の最高団体と名乗ったが、上海派は之(こ)れに服せず、寧古塔に『高麗共産党北満支部』を建てて対抗した。

コム・インターンは鮮人団体の訌争に愛想を尽かし、高麗共産党を解散し、一九二三年浦潮(うらじお:ウラジオストック)の全露共産党極東地方委員会内に 『高麗部』を設立した。部の中心人物は依然李東輝で其の其の指揮下に、間島一帯に『大韓義勇軍』(義勇軍とは名ばかりで実態は共産匪賊)の活躍を見、一九二四-六年には、矢張り其の指揮下に、東、南、北満三青年総同盟が設立した。

 以上は在露、満(満洲)の鮮人団体だが、朝鮮内にも共産団体の成立を見、一九二五年『朝鮮共産党』としてコム・インターンから承認された。之(こ)れが検挙に因って消滅すると、残党は浦塩(うらじお:ウラジオストック)に遁(のが)れて第三次党を組織し、直(すぐ)に満洲に進出、一九二六年、東鉄(東支鉄道)沿線に其の『満洲総局』を設けた。

【参考資料】
司法省刑事局
「朝鮮人の共産運動は必ず朝鮮共産団体の派遣部隊を日本国内で組織する」



 第五項 朝鮮共産党日本総局竝(ならびに)高麗共産青年会日本部の解消

 前述の如く第一次第二次の検挙に因り中枢前衛分子を喪(うしな)った朝鮮人の極左陣営は殆(ほとん)ど潰滅状態に陥り、在日本朝鮮青年同盟労総(在日本朝鮮労働総連盟)は遂に解体して内地(日本国内)極左団体に合流するに至り、斯かる状況の下にあって党日本総局及会本部は殆ど其(そ)の形態を失って仕舞ったかの観があったところ、突如昭和六年十二月二十三日附「赤旗」第六十一号に左の如き解体声明書を発表し、解体は新(あらた)なる闘争への転向であり向後日鮮プロレタリアの凡(あら)ゆる革命的組織の中に自己的任務を見出すべき旨を述べて、前記同盟及労総の解体理論と同様内地の極左組織中に於て日鮮合体の闘争に入ることを明(あきらか)にした。

【出典】1973(昭和48)年 東洋文化社 社会問題資料研究会 「朝鮮人の共産主義運動」 第六章 内鮮合体運動期


其の結果『高麗部』内の高麗派は之(こ)れに併合され、一応満洲総局に統一せられた形となったが、鮮人御得意の内訌は尚熄(や)まず、七、八派に分れて排斥し合ひ、運動は萎微(原文ママ)沈滞した。コム・インターンは赫怒(かくど:はげしく怒ること)して在満鮮人団体の中国共産党加入を命じ、一九三〇年四月から八月に掛け、在満鮮人団体は解体して、中共傘下に入った。

【参考資料】
コミンテルン幹部オットー・クーシネン
「朝鮮人は共産主義を理解できないし、コミンテルンは朝鮮人共産主義者を理解できない」


 同志諸君、私は玆(ここ)に理論上の不一致の意義に関する評価には、二通りの見解がある。或る同志はフラクション(分派)闘争を弁護するに際って、斯かる闘争を原則的なものとして居る。

彼等は曰く、「朝鮮では各分派間に於て理論的な論争が行われた。それは寧(むし)ろ有益なもので、理論上の不一致を除去する要はない。で、斯かる論争は当然であろう」と結論して居る。

他の方面からはこういう考え方を表明して居る。即ち、「斯かる論争は不必要だ。何故なれば、朝鮮には諸諸の重要なる実際運動が欠けて居る。のみならず、現在行われて居る理論は悉(ことごと)く卑屈なものである。実験は極めて重要であるが、理論はそう大した意義を持たない」という様なことをいって居るのが朝鮮に於ける現状であって、先づ此の点に付て意見を述べることにする。

 私は斯かる不当な意見には賛成出来ない。

(中略)

 同志スターリンは、先年共産党運動に於けるフラクション(派閥闘争)の害毒に付精細に陳述して居る。彼の説は雑誌「ボルシェヴィク」第一号に最近公開されて居る。同志スターリンの説の中のフラクションの害毒に関する部分を、同志諸君に暗記して貰いたくなる。

【オットー・クーシネン】
ソ連クーシネン1

【出典】1973(昭和48)年 東洋文化社 社会問題資料研究会 「朝鮮人の共産主義運動」所収 (五)朝鮮共産運動に関するクーシネンの意見書

※全文は過去記事民主党がダメな理由に掲載しています。


【参考資料】
中国共産党
「朝鮮人共産主義者は我々の兄弟党ではない。ゆえに同等のあつかいはできない」


(二)在満各派韓国共産主義者の組織には決定した綱領なく亦(また)国際共産党(コミンテルン)の支部でないことは事実であり、単に共産主義の集団で党の組織ではない。故に中国共産党には其(その)何派を指して兄弟党と云ふ訳(わけ)には行かず従って兄弟党としてこの弁法による待遇が出来ない。


【綱領がなかった民主党】
掌隷院民主党1

【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A04010418400:1931(昭和6)年 内務省警保局 「外事警察報第109号」(38コマ目)二 在満共産主義鮮人の中国共産党への合流問題


【正式な共産主義者ではない極左野党と共闘したいという志位さん】
日本共産党志位和夫1_300px


上海で組織された大韓共産党


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C06031102200:1921(大正10)年 陸軍省 「密第33号其323 国外情報 上海に於ける共産党の状況」(2コマ目)



大正十年十一月七日 高警第二八七三〇号
 国外情報

〇上海ニ於ケル共産党ノ状況
「イルクック(イルクーツク)」ニ派遣スベキ代表者ノ件

十月二十三日午後七時ヨリ上海法界淡水路麗水防一四号ニ於テ革命党及共産党代表者金萬謙等十数名会集シ既報「イルクック」ニ於テ十一月十一日ヨリ開催セラルベキ極東革命党大会ニ提出スベキ事項竝(ナラビニ)派遣代表者ヲ決定セリ 尚本会ニハ露国人一名モ参加シタリト云フ

(中略)
(2)代表者

大韓愛国婦人会代表
 金元慶 権愛羅

大韓共産党代表
 崔昌植   (後略)




未遂に終った咸鏡北道共産党結党事件


出典:1934(昭和9)年 新光閣 中川矩方 「内地・鮮・台・満洲思想犯罪捜査提要」 四 共産党統一運動



 六 朝鮮共産党再建事件及咸北共産党事件

 共産大学卒業生ML派(マルクスレーニン派=過激派)、韓斌崔定鎬全宇一に朝鮮共産党再建を十二月テーゼに基き為(な)すべく慫慂(しょうよう:かたわらから誘いすすめること)し、両名を入鮮せしめ咸鏡北道を中心に党を組織し之(これ)を全鮮に及さんと企て、咸北隱城郡を中心として活動中一味四十五名咸鏡北道に於て検挙されたが彼等の罪名は強盗、窃盗に関するものもあった。(昭和六年四月二十三日朝鮮日報咸北共産党予審決定書)。