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2017/06/17

「革命」を生んだ帝政ロシアのポグロム


ポグロムとは帝政ロシア時代に行われた日常的なユダヤ人虐殺のことです。

ポグロムには軍隊や警察も参加して、ユダヤ人ならだれでも、赤ん坊まで撲殺したので流血をともなう大惨事になったそうです。

ポグロムだけでなく帝政ロシアでは日常的にユダヤ人弾圧が行われていました。
そのユダヤ人の不平不満が生みだした反動が共産主義であり、ロシア革命です。


【パリのユダヤ人区域ロジェ町】
猶太人パリユダヤ人区域1

【ポーランドのユダヤ風俗】
猶太人ポーランドユダヤ人1

在露ユダヤ人は在米ユダヤ人の資金援助によって帝政を転覆させ、解放という自由を得ました。

戦前ユダヤ人を弾圧したのはナチスドイツだけでなく、ロシア、ヨーロッパ、アメリカと白人社会では有色人種差別と同じでごくふつうに、日常的に行われていました。

被圧迫民だったユダヤ人は、

王→貴族→政治家→資本家→労働者

という階級がある社会、少数民族を弾圧する民族国家とその国家権力である軍隊、警察を呪い、それらを破壊する「共産主義」を考えだしました。

わが日本にもウジャウジャ共産主義者がいて、中共、北朝鮮、韓国と共闘していますが、彼らはユダヤ人のように弾圧されたわけではないのに日本国や天皇に弾圧されたかのようなウソを言って「日本革命」を起そうとしています。

彼らはいわば「カネをくれるなら代わりに恨みを晴らしてやろう」という、「必殺仕事人」のようなものです、「頭おかしい」ですね。

「反日は商売」といわれるようにカネの切れ目が共産主義者の縁の切れ目で、それも共産主義がユダヤ発祥であることをよく示しています。

日当が出なければ、沖縄米軍基地反対運動や共謀罪反対デモの参加者は壊滅的に減るでしょう。

ユダヤ人が嫌われ、弾圧された理由


1 ユダヤ人はキリスト教徒ではない

2 ユダヤ人は自由主義的であり革命運動を支持する

3 ユダヤ人は常にスパイ的役割を果たす

4 ユダヤ人は勤労者に寄生する

5 ユダヤ人はヘブライ語に固執する(同化しない)

6 ユダヤ人は高利貸で農民をむさぼる

7 移住した国家に対し不忠であり、兵役を忌避し、敗戦を望む



ロシア革命以前の主なポグロム


1 1881年~1883年
南ロシアおよびポーランドで224件のポグロムが発生、7万5000人のユダヤ人が家宅から追い出され、約1100万ルーブルの損害を受けた

2 1891年、1892年、1903年に小規模なポグロムが発生した

3 1905年10月
ポグロムが725ヶ所で発生、流血をともなう暴動状態となり、20万人のユダヤ人が受けた損害は6300万ルーブルにのぼった

4 1905年10月~1906年9月
約一年間、暴動状態が継続した。ユダヤ人の死傷は
  死 1000余人
  傷 7000~8000余人

に達し、経済上の直接的な損害は6600万ルーブルにのぼった 


帝政ロシア時代のユダヤ人弾圧


主なユダヤ人弾圧政策

1 居住・営業に関する制限

2 教育の制限

3 官公吏転任の制限

4 土地所有の制限

5 過重な兵役義務

6 中央政府令、地方令による二重の束縛令


ユダヤ人弾圧の具体例


〇イワン雷帝時代(在位:1533年~1547年)

ロシアイワン雷帝1
出典:Wikipedia


・1563年ポロック(リトアニアの重要都市)を攻略した時、同地に在住していたユダヤ人を川に放りこんで溺死させた。

〇エカチェリーナ二世時代(在位:1762年~1796年)

ロシアエカチェリーナ二世1
出典:Wikipedia


・1795年ポーランドの最終分割後、1887年にロストツフ、ヤルタ地方からユダヤ人を駆逐した

・ユダヤ人の居住区はユダヤ人口がロシア総人口の24分の1であることから国土の24分の1と定められたが、ユダヤ人は居住区の随所に居住していたわけではなく、居住区はきゅうくつで公平な土地分配ではなかった。


【ユダヤ人の国ポーランドの最終分割と消滅】
緑色の部分がロシア領になった地域。
ロシアユダヤポーランド分割1

【ユダヤ人に居住が許可された地域】
リトアニア、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、南部ロシア。ウクライナはユダヤ人口が多い地域。またユダヤ人がヨーロッパやトルコのロシア侵略を想定した人間の盾にされたこともわかる。
ロシアユダヤヨーロッパ地図1

〇アレキサンドル二世時代(在位:1855年~1881年)

アレキサンドル二世1出典:Wikipedia


・アレキサンドル二世治下ではユダヤ人に対する圧迫が多少緩和され、以下の条件を満たした者は好きな場所に居住してもよいことになった。

1 完全に兵役の義務を果たした者

2 一等組合の商人でユダヤ人居住区域内で引き続き5年間800~1000ルーブルの営業税を納めた者

3 大学および高等専門学校の職員、学生、薬剤師および助手、歯科医、外科医、助産婦およびそれらの助手

4 機関士、酒精およびビール醸造者、俳優、その他の芸人
※今日ユダヤ人の中に上に列記した職業に従事する者が多い一因はこの法令の結果である。

しかしアレキサンドル二世が発した法は中央政府、地方官憲の任意で実行されたため、兵役満期となる年齢が老兵に限られる結果となり、ユダヤ人兵1万8000人は退役後、ふたたびユダヤ人居住区域に帰還するしかなかった。

また上記の条件に合致する者でも地方官憲が何かしら文句をつけてユダヤ人居住区域に帰された。

・ペトログラードその他の地方官憲は無許可でユダヤ人が居住していないか点検を行った。点検時は用があるのに帰宅を強制され、夜中に点検が行われる時は男女問わずベッドから追い出された。

〇アレキサンドル三世時代(在位:1881~1894年)

ロシアアレクサンドル三世1
出典:Wikipedia


・1882年イグナチェフ伯爵が発布した臨時法律により、ユダヤ人は他の村落への移住禁止となった。また一度村落を出たユダヤ人は帰還を許されず、他の村落にも移住できないので農業を捨て、市街地に移住することを余儀なくされた。

・ユダヤ人が移住した市街地は役人の筆先三寸で村落に格下げされ、ユダヤ人を追放した。

・圧迫政策により、ロシア在住ユダヤ人の95%以上がユダヤ人居住区域の市街地に群居して経済的にも圧迫された。

〇上記以降

・1910年にはキエフから5000人のユダヤ人が追放された。

・1909年から10年間、厳寒の中シベリア在住ユダヤ人(病人もふくむ)が追放された。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓


これらのユダヤ人弾圧を続けた結果、

・ユダヤ人が弾圧から逃れるために警察官を買収するという悪風が生まれた。

・ユダヤ人の共産運動が激化してロシア革命が起きた。



国民が期待したことはNHKの宮内庁ゲートを明らかにすることだったのではないか?

いつからNHKに皇室を意のままにする権限が与えられたのでしょうね?


「退位」特例法 今月16日にも正式公布
2017年6月13日 NHK NEWS WEB

政府は、13日の閣議で、先週成立した天皇陛下の退位に向けた特例法の公布を決定し、今月16日にも特例法が正式に公布されることになり、遅くとも3年後の2020年6月までに天皇陛下は退位されることになりました。

天皇陛下の退位に向けた特例法は、先週、参議院本会議で採決が行われ、退席した自由党を除く全会一致で可決・成立しました。

これを受け、政府は13日の閣議で、特例法の公布を決定しました。
法律の公布は憲法が定める天皇の国事行為の1つで、特例法は、天皇陛下の署名などの手続きを経て、今月16日にも官報に掲載されて正式に公布されることになりました。

特例法では、天皇陛下が退位される日は法律の公布から3年を超えない範囲内で政令によって定める日となっていて、遅くとも3年後の2020年6月までに天皇陛下は退位され、退位後の称号は「上皇」となります。

天皇の退位は、江戸時代後期の光格天皇以来、およそ200年ぶりで、生涯、天皇であり続ける仕組みとなった明治以降では初めてのこととなります。(後略)

ソース元URL:http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170613/k10011015721000.html

本記事の資料


(  )内は管理人による注釈です。

ポグロムが起きた理由その1


出典:1938(昭和13)年 雄生閣 国際思想研究所〔編〕 「英・米・露に於けるユダヤ人の策動」 第六章 ソ聯邦とユダヤ人



帝制ロシアに於けるユダヤ人の迫害は周知の事だが、ユダヤ人隔離の理由は、

一、ユダヤ人は基督(キリスト)教徒でない
二、ユダヤ人は自由主義的であり革命運動を支持する
三、ユダヤ人は常にスパイ的役割を演ず
四、ユダヤ人は勤労者に寄生する
五、ユダヤ人はユダヤ人語を固執する

 以上の通りであるが、それにも拘(かかわ)らずユダヤ人の経済的勢力は、やがてロシアの支配的地位を獲得するに至り、遂にはポグロム(ユダヤ人虐殺)の動機となった。而(しか)もそれは後年ロシア革命運動にユダヤ人の勢力を扶植する契機を形成するに至ったのである。 



ポグロムが起きた理由その2
ポグロムは流血をともなう暴動状態である


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C03010395100:大正15年(1926/01/01 - 1926/12/31):陸軍省 北満洲特務機関長 濱面又助 「猶太研究配布の件」(80コマ目~)

※青文字は管理人による現代語訳です。


日露戦役間猶太人の投降者少からざりしは前にも述べたる如き露帝国を呪い其の敗戦を希望する点以外に平時より鬱積せる不平の勃発も亦其一因なるべく、又日露戦争後露人の猶太人に対する圧迫虐殺の盛んとなりし一因は、戦線に於ける猶太兵の不忠と露西亜内部に於ける猶太人の革命的陰謀露顕せる結果なるべし、

日露戦争でユダヤ人の投降者が少なくなかったのは前にも述べたようにロシア帝国を呪いその敗戦を希望する点以外に平時より鬱積していた不平の勃発もその一因であるように、また日露戦争後ロシア人によるユダヤ人に対する圧迫虐殺が盛んとなった一因は、戦線におけるユダヤ兵の不忠とロシア内部におけるユダヤ人の革命的陰謀が露見した結果である。

宇宙間の森羅万象悉く因は果を生じ果は又因をなし輪転極まる所なし、故に一図に猶太人に同情することは能わざるも、露国官憲が仏国革命以前の如き取扱法を猶太人に加えて憚らざりしは、今日の動乱を招ける一大原因と云(い)わざるを得ず。

宇宙間の森羅万象ことごとく原因は結果を生じ結果はまた原因があってのことで堂々めぐりは止まる所なく、ゆえに単純にユダヤ人に同情することはできないが、ロシア官憲がフランス革命以前のような取り扱いをユダヤ人に加えて平気でいるのは、今日の動乱(ロシア革命)を招いた一大原因と言わねばならない。

以上列挙せる所有権、居住権、職業の選択、兵役に関する凡(すべ)ての不公平は猶太人の苦痛には相違なきも、猶太人虐殺に比すれば日常茶飯事と言う可し、猶太人虐殺(ポグロム)に際しては血に渇せる悪漢は露国官憲の召集に応じ猶太人と見れば赤児に至る迄之を撲殺し其教会を破壊し其家財を掠奪し宛然たる地獄を露国の一角に現はせり、『ポグロム』には軍隊及警察官も参与すと云う。

以上列挙した所有権、居住権、職業の選択、兵役に関するすべての不公平はユダヤ人の苦痛であったことに相違ないけれども、ユダヤ人虐殺にくらべれば日常茶飯事と言えるもので、ユダヤ人虐殺(ポグロム)に際しては血を欲する悪者らはロシア官憲の召集に応じユダヤ人と見れば赤ん坊にいたるまで撲殺し、その教会を破壊し、その家財を掠奪し、地獄さながらの光景をロシアの一角に出現させた、『ポグロム』には軍隊および警察官も参加するという。

近年行われたるポグロムを列挙すれば

一、自千八百八十一年至千八百八十三年
南露及波蘭に二百二十四個の『ポグロム』起り七万五千の猶太人は其の家宅より追い出され約一千一百万留の損失を招けり。

二、千八百九十一年、九十二年、千九百〇三年屢々(しばしば)小ポグロムあり

三、千九百〇五年十月
『ポグロム』は七百二十五箇所に起り流血を伴う暴動状態となり二十万人の猶太人が直接受けたる損害六千三百万留に上れり。

四、自千九百〇五年十月至千九百〇六年九月
   暴動状態継続し猶太人の死傷
    死 一千余人
    傷 七千乃至(ないし)八千余人

 に達し、又経済上の間接なる打撃を除き、直接受けたる損害六千六百万留に上れり。

近年行われたポグロムを列挙すれば

一、1881年~1883年
南ロシアおよびポーランドに224件の『ポグロム』が発生し7万5000人のユダヤ人はその住宅より追い出され、約1100万ルーブルの損害を受けた。

二、1891年、1892年、1903年しばしば小規模なポグロムが発生した

三、1905年10月
『ポグロム』は725ヶ所で発生し流血をともなう暴動状態となり20万人のユダヤ人が直接受けた損害は6300万ルーブルに上った。

四、1905年10月~1906年9月
  暴動状態は継続しユダヤ人の死傷
   死 1000余人
   傷 7000~8000余人

 に達し、また経済上の間接的な打撃を除いた直接の損害は6600万ルーブルに上った。
 

此の如き不正義に対しては、露国人間にも必ずや反対の声挙らざる可らず。

このようおな不正義に対しては、ロシア人の間にも必ず反対の声があがるものである。

千八百八十二年(即ち亜暦山二世虚無党に殺され亜暦山三世登極の翌年)伯爵『バーレン』を長とする猶太問題調査委員は、猶太人に有利なる報告を呈出し逐次に猶太人に自由を与え終に完全なる同権となすべき事を主張せり、然れ共束縛の絆は尚数年間締められたる儘なりき。

1882年(アレキサンドル二世が虚無党〔管理人注:帝政ロシアの反ユダヤ主義組織〕に殺されアレキサンドル三世が即位した翌年)バーレン伯爵を長とするユダヤ問題調査委員は、ユダヤ人に有利な報告を提出し順をおってユダヤ人に自由を与え、最終的にはロシア人と完全に同権とすべき事を主張した、しかしユダヤ人束縛はその後数年間締められたままである。

千九百〇五年十月米国より帰りたる『ウイッテ』伯は、露国臣民は人種別宗教の差別を論ぜず同一市民権を与えらるべきものなるを主張せり、此の月より『ポグロム』勃発し約一年に亙りて伝染病的に全国を荒らしたるなり。

1905年10月米国から帰国したウイッテ伯爵は、ロシア臣民は異人種、異教徒の別を問わず同一市民権を与えられるべきであることを主張した、この月から『ポグロム』が勃発し約一年にわたって伝染病のようにロシア全土を荒した。

千九百〇七年には首相『ストルイピン』は、既に猶太人居住地域外に定住するものには、従来其特権無かりしものにても、他に行政上支障なければ正当の居住権を与ふべき閣令を発せり、此の公文は却って居住権を有する猶太人に対する攻撃の材料となり幾千の老幼猶太人放浪生活をなすに至れり。

1907年には首相『ストルイピン』は、すでにユダヤ人居住地域外に定住するものには、従来その特権がない者でも、他に行政上支障がなければ正当な居住権を与えるべきであるとその職権による命令を発した、この文書はかえって居住権を有するユダヤ人に対する攻撃の材料となり幾千もの老幼ユダヤ人が放浪生活を余儀なくされた。  



補足:無権利だったパリのユダヤ民衆の勝利-フランス革命


出典:1942(昭和17)年 南満洲鉄道 ドウブノフ著 「近世猶太民族史. 第1巻 第1次解放時代(1789-1815)」 第一次解放の時代(一七八九年-一八一五年) 第一章 革命時代及び帝国時代のフランスに於けるユダヤ人の解放



 十三節 「権利の宣言」を中心とする権利平等の運動
 フランスの議会がパリーに召集され、間もなくそれが憲法制定国民議会に変った一七八九年の歴史的盛時に、フランスのユダヤ人は台頭せる自由解放の波が彼等(かれら)を無権利のどん底から救い上げるだろうと意識した。

市民生活から遠ざけられていたユダヤ民衆は、国民代表の召集に先立った社会運動に参加することが出来なかった。

又議員を選ぶことも、彼等に与えられた指令に自分達の希望を表明することも出来なかった。ただ帰化したセフアルヂ系の団体のみはボルドーに於て選挙に参加した。彼等の被選挙人の一人ダヴィード・グラデイスは議員に当選するには数票だけ足りなかった。

然(しか)しアルサス・ローレンのアシュケプージ系は権利の為の戦いに対して、独自的に準備した。戦いは此処(ここ)では自己擁護の必要によって喚(よ)び起された。

(中略)

 一七八九年の七月革命はユダヤ人に喜びと悲しみとを齎(もた)らした。パリーのユダヤ人は破壊されたバスチーユと暴政の没落と民衆の勝利とを目撃した。

つい昨日まで無権利のユダヤ人を勝手に首都から放逐することの出来た警察官の前に戦(おのの)いていた人々は俄(にわ)かに甦(よみがえ)った。パリーに於てユダヤ人の団体は自由の軍隊に、国民親衛隊に入った。


帝政ロシアのユダヤ人弾圧


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C03010395100:大正15年(1926/01/01 - 1926/12/31):陸軍省 北満洲特務機関長 濱面又助 「猶太研究配布の件」(74コマ目~)

※青文字は管理人による現代語訳です。


 其一、 露国

露国には六百万の猶太人あり、即ち世界猶太の約半数を収容し而も制限、圧迫、虐殺相次で至り、世界猶太の怨府となり以て世界大戦勃発の一原因をなし、次で又露国革命の大原因をなし、現今に於ては全然反対に過激派政治の為世界嫌忌の焦点となるに至れり。

ロシアには600万人の猶太人がいる、すなわち世界ユダヤ人口の約半数を収容し、しかも制限、圧迫、虐殺が相次いで起こり、世界のユダヤ人の怨(うら)みの集まる所となり、ゆえに世界大戦勃発の一原因をなし、次で又ロシア革命の大原因をなし、現今においてはまったく反対にユダヤ人による過激派政治のため、世界が嫌うところとなっている。

此の如く露国の猶太問題は英米は勿論世界猶太問題の根源なるを以て以下少く詳細に亘り説く所あらんとす。

このようにロシアのユダヤ問題は英米はもちろん、世界ユダヤ問題の大根源となっているので、以下に少し詳しく述べてみよう。

ロシアの猶太人圧迫史中最も顕著なるは『イワン』第四世(千五百三十三年より千六千五百〇五年)(原文ママ)に亘(わた)り帝位にあり、一名『怖るべきイワン』か、千五百六十三年『ポロック』を攻略せしとき『同地に猶太人あり如何に取扱うべきや』の伺いに対し即坐に『洗礼を施すか、又は河の中にて往生せしめよ』と命じ、事実溺死せしめたるの事跡とす(猶太と大戦一二一頁)(『プラゴエシチェンスク』附近江東六十四屯問題の時三千人の支那人を黒竜江に葬りたる事を回想し露人の残忍性を偲ばしむ)

ロシアのユダヤ人圧迫史の中でもっともきわだっているのがイワン四世(管理人註:1547年より1584年に訂正)にわたり帝位にあり、一名『おそるべきイワン(日本ではイワン雷帝)』が1563年ポロック(リトアニアの重要都市)を攻略したとき『同地にユダヤ人がいますがどう取り扱いましょうか?』とのおうかがいに対し即座に『洗礼をほどこすか、または河に放りこんで殺せ』と命じ、事実溺死させた事実がある(猶太と大戦221ページ)。(『プラゴエシチェンスク』付近江東六十四屯(こうとうろくじゅうしとん)問題(1900=明治33年7月13日義和団の乱に乗じて満洲に侵攻したロシアのコサック兵がアムール左岸に住んでいた清国人3000人を虐殺、翌8月2日から3日には清国人2万5千名が虐殺されアムール川に投げ捨てられた事件)の時、三千人の支那人を黒竜江に葬ったことを回想しロシア人の残忍が思い起こされる)

露国に猶太人居住区域を定めたるは千七百六十九年(『カテリン』二世の治下)なりしか、千七百九十五年に至り波蘭の最終分割の後更に其区域を拡張せり、然れども其後千八百八十七年に至り『ロストツフ』の工業地域を、次て『ヤルタ』地方を区域より除きて猶太人を駆逐したるを以て、猶太居住区域は全露国面積の二十四分一を占む而て露国総人口に対する猶太人の数も亦約二十四分一なるを以て、人口に対する土地の配当概ね公平なるか如しと雖とも実際は猶太人は居住区域の髄所に居住し得るに非さるを以て、其居住は極めて窮屈なりき、

ロシアにユダヤ人居住区域を定めたのは1769年カテリン二世(エカチェリーナ二世)の治下である、1795年になってポーランドの最終分割ののちさらにその区域を拡張した、しかしながらその後1887年になってロストツフの工業地域を、ついでヤルタ地方を区域より除いて猶太人を追放したため、ユダヤ人居住区域は全ロシア面積の24分の1を占めることとなった。なのでロシア総人口に対するユダヤ人口もまた24分の1であることから、人口に対する土地の配当はおおむね公平のように思えるけれども、実際はユダヤ人は居住区域に分散して住んでいたわけではないので、その居住区はきわめてきゅうくつであった、

是れ千八百八十二年伯爵『イグナチェフ』の臨時法律なるもの発布せられ猶太人は従来居住せしもの以外には新に村落に移住するを得す、又何かの事情にて一度村落を出てたるものは再ひ帰還を許されさるのみならす、他の村落にも移住するを得すして市街地に移住するの止むなきに至れるを以てなり、

このユダヤ人追放が起きた原因は、1882年イグナチェフ伯爵の臨時法律が発布され、ユダヤ人は従来居住していた者以外は新しい村落に移住することが認められず、また何かの事情で一度村落を出た者は再び戻ることを許されないばかりか、他の村落への移住も禁止されたので市街地に住むことを余儀なくされたことである、

其後若干の市街地も総督の筆の先にて村落に格を下し以て猶太人を駆逐するの策に出てたることあり、此の如くにして露国猶太の九十五『プロセント』以上は猶太人居住区域の市街のみに群居し経済上の圧迫と戦わさる可らさるに至れり。

その後若干の市街地も総督の筆先三寸で村落に格下げされユダヤ人を追放するという策に出たこともあった、このようにロシアユダヤ人の95パーセント以上がユダヤ人居住区域の市街のみに群居して経済上の圧迫と戦うことを余儀なくされた。

亜歴山二世に至り此圧迫は多少緩和せられ左の四種類の少数猶太人は任意に国内に居住し得ることとなれり。

一、完全に兵役の義務を果したるもの。

二、一等組合の商人(引続き五ヶ年間猶太区域内にて八百乃至千留の営業税を納めたるもの。)

三、大学及高等専門学校の職員、学生、薬剤師及助手、歯科医、外科医、産婆及其等の助手。

四、機関師、酒精及麦酒醸造者、俳優其他の芸人。

今日猶太人中に右に列記せる職業に従事するもの多き一因は此法令の結果にして、哈爾賓に於て歯科医と薬剤師とは全部猶太人と見て差支えなしと云う露人あり其全部なるや否やは明かならさるも少くも大部は然るものと認む。

アレキサンドル二世の治下になってユダヤ人に対するこの圧迫は多少緩和され、左の四種類の少数ユダヤ人は国内の任意の場所に居住してもよいことになった。

一、完全に兵役の義務を果たした者。
二、一等組合の商人(引続き五ヶ年間ユダヤ人居住区域ないで800ないし1000ルーブルの営業税を納めた者
三、大学および高等専門学校の職員、学生、薬剤師及助手、歯科医、外科医、助産婦およびそれらの助手。
四、機関士、酒精およびビール醸造者、俳優その他の芸人


今日ユダヤ人の中に右に列記した職業に従事する者が多い一因はこの法令の結果であって、ハルビンの歯科医と薬剤師は全員ユダヤ人と見て差しつかえないというロシア人もいる、そのロシア人がいうとおりに本当に全員がそうなのかは明らかではないが少なくとも大部分がそうであろうと認められる。

(中略)

亜歴山二世の居住緩和令は猶太人に対する多少の恩典なりしも、事実は法文の見解に於て中央政府と地方官憲とに相違ありて結局実行機関たる地方警察の任意に実行せられて寛厳一定せす又満期兵の年次も極めて老兵に限らるることとなり、年々露軍に入営する猶太兵一万八千人は満期後再び猶太人居住区域に帰還するの止むなきに至れり、

アレキサンドル二世の居住緩和令はユダヤ人に対する多少の恩典であったが、事実は法文の解釈が中央政府と地方官憲ではちがっていたので、結局実行機関である地方警察の任意で法が実行され、処分の程度も一定しなかった また満期兵の年齢も老兵に限られることとなり、年々ロシア軍に入営するユダヤ人兵一万八千人は満期後再びユダヤ人居住区域に帰還するしかなかった、

其他前記の特典者も何かの文句を附して猶太人居住区域に帰さるるもの多し例えば学校職員の如きは法律文に男姓の文字にて記載せられあるを以て婦人職員は特典に浴する資格無しと強解し又一般地域に開業せる前記職業者も若し不具病体等の為めに業を執る能わすして徒食するときは、許可の理由消滅したりとなし、容赦なく猶太人居住地域に逐い帰さるるに至れりと云う。

その他前記の特典に合致する者も何かしら文句を付けてユダヤ人居住区域に帰される者が多かった たとえば学校職員ならば法律文に男姓しか記載されていないので婦人職員は特典に浴する資格がないと強引な説明をし、また一般地域に開業した前記特典職業者も身体に障害を負ったり、病気などで仕事ができなくなったりして遊び暮らすようなことになれば許可を取り消され、容赦なくユダヤ人居住地域に負い帰されたという。

(中略)

前記諸制限の実行に関しては中央政府及地方官憲共に随分乱暴なる方法を取れるか如し、時々『ペトログラード』其他の官憲より命令下りて許可なき猶太人が居住することなきやの点検を行う此点検の際には要務にて市街を通行中のものをも一応帰宅せしむるは勿論最も堪え難きは夜半の点検にして老弱(原文ママ)男女の別なく寝台より追い出すにあり。

戦記諸制限の実行に関して中央政府および地方官憲ともにずいぶんと乱暴な方法をとった、ときどきペトログラードその他の官憲から命令が下って無許可のユダヤ人が街に居住していないか点検を行った。この点検の際には用があって市街を歩いているにもかかわらずユダヤ人は帰宅を命じられるのはもちろん、もっとも耐えがたいのは夜中の点検であって老弱男女の区別なくベッドから追い出された。

此の如くにして千九百十年には『キーエフ』より五千人の猶太人追立てられ、又千九百〇九年より十年に亙る冬期間幾百の猶太人は厳塞(原文ママ)の中に西伯利より追立てられたり、此際病気の故を以て猶予すること無し

このようにして1910年にはキエフより五千人のユダヤ人が追放され、また1909年より1910年にわたる冬、幾百のユダヤ人は厳寒のシベリアから追放された、このとき病気であってもロシアの官憲は追放を猶予することはなかった

此の如き追立の後尚在住希望者は居常不安を感ずるを以て玆に警察の特別保護を受くるか為に之を買収するの悪風を養成し、常時の概算によれは年々約二百乃至二百五十万留は此くして『保護』の為猶太人より仕払われたり、是即ち猶太人等が露国官僚派か猶太人解放に反対する有力なる理由をなす所以なり。

このようなユダヤ人追放があってもなお在住を希望する者は日常的に不安を感ずるため、ここに警察の保護を特別に受けるために警官を買収するという悪風が養成された。常時の概算によれば年々約200ないし250万ルーブルが「保護」にあずかりたいユダヤ人から官憲に支払われた。これはすなわちユダヤ人みずからロシア官僚派がユダヤ人解放に反対する有力な理由を作ってしまったのである。

其他教育の方面にも圧迫あり、猶太人の子弟か大学に入学し得るは猶太居住地域内にては全学生の十『パーセント』迄其他の地方にあっては五『パーセント』迄『ペトログラード』と 『モスコー』は特に三 『パーセント』迄なり、彼等か商業学校に入学し得るは以上の如き制限に非すして商業組合に払う組合税の多寡により其率を定む、

その他教育方面でも圧迫があった、ユダヤ人の子弟が大学に入学できるのはユダヤ居住地域内では全学生の10パーセント、その他の地方では5パーセントまでペトログラードとモスクワは特に3パーセントまでだった、彼らが商業学校に入学できるのは以上のような制限ではなく商業組合に払う組合税の多寡によってその率が決められた、

商業学校の費用の大部は此の収入を以て支弁し得たりと称せらる、此の如き状態なるを以て、猶太学生は其の知識欲を充す為、自然外国に留学せり最初は独逸の大学に向い後墺国及瑞西にも向えり、然れとも独逸も亦終には猶太人の数を制限し墺、瑞、亦排猶太熱に感染せり。

商業学校の費用の大部分はこの収入で支払われたといわれる、このような状態だったため、ユダヤ人学生はその知識欲を満たすため自然と外国に留学した 最初はドイツの大学に向かい、のちオーストリア、スイスにも留学した、しかしながらドイツまたついにユダヤ人の数を制限し、オーストリア、スイスもまたユダヤ人排斥熱に感染した。

右猶太学生入学制限の件は一露国法学士も亦其事実なることを明言せり、而して同人は此の制限を加うる理由を説明して曰く、猶太学生は兎角同盟休校の指導を為し又学生の分際を忘れて労働者の煽動其他革命的の事件に尽力するの弊風ありしか故に、此種の制限を加えて危険分子を減少するの必要ありたるなりと、

右ユダヤ人学生入学制限の件は一ロシア人法学士もまたそれが事実であると明言した、そして同人はこの制限を加える理由を説明していわく、ユダヤ人学生はとにかく同盟休校(共産運動のひとつ。学費や教科書の値上げ、気に入らない教員の追放などを訴えて学生同士で同盟を結び、いっせいに学校を休む闘争形態)を指導し、また学生のぶんざいを忘れて労働者の煽動その他革命的事件に尽力する風習があるがゆえに、この種の制限を加えて危険分子を減少させる必要があると、

又一露国工学士は学生時代猶太人の悲境に同情し、多数の猶太人を親友とせり、終にはいつしか彼等に共鳴して、学生の身分をも顧みす、赤旗を立てて騒ぎ廻りたることもありしか、思慮熟し、彼等の真意を了解するに及んで著く彼等を悪むに至りたるを物語れり。

また一ロシア人工学士は学生時代ユダヤ人の悲しい境遇に同情し、多数のユダヤ人を親友とした、ついにはいつしか彼らに共鳴して、学生の身分をもかえりみず、赤旗を立てて騒ぎまわることもあった、のち思慮熟し、彼らの真意を了解するにおよんで著しく彼らを憎むに至ったことを物語った。

猶太人を知識階級及び経済界より駆逐せんとする圧迫政策は終に露国をして国務は勿論市町村の公職より猶太人を駆逐するの政策を取るに至らしめ、終には職業の自由選択、果ては私有財産に迄其圧迫波及せり、

ユダヤ人を知識階級および経済界から駆逐する圧迫政策は、ついにロシアの国務はもちろん市町村の公職からもユダヤ人を駆逐する政策を取るに至らせ、ついには職業の自由選択、果ては私有再残にまで圧迫が及んだ

ロシアの帝国大学卒業生と雖も基督教に改宗せざれば職業に就く能わす、警察には探偵及情報勤務の外には使用せられす此の如くして猶太人は学校の教職は勿論、郵便、電信並に鉄道の勤務より遠ざけられたり。

ロシアの帝国大学卒業生といえどもキリスト教に改宗しなければ職業につくこともできず、警察には探偵および情報勤務のほかには採用されず、このようにユダヤ人は学校の教職はもちろん、郵便、電信ならびに鉄道の勤務から遠ざけられた(鉄道は軍隊を輸送するため、革命を企図するユダヤ人を採用しなかった。日本のこころの議員に切符を売らなかった緑の窓口のようになるおそれがある)。



ポグロムが起きた原因その3
アンチセミリスムとは「反ユダヤ主義」のこと


出典:1922(大正11)年 外務省欧米局第二課編 「猶太人問題」 第四章 猶太人ノ同化(Assimilation)及反猶太主義(Antisemitism)



 第四節 露西亜政府ノ猶太人迫害

斯(カ)クシテ玆(ココ)ニ激烈ナル「アンチセミチスム」起レリ猶太人ニ対スル最大ノ攻撃ハ到ル処(トコロ)其(ソ)ノ経済上ノ害悪絞取殊(コト)ニ猶太人ガ好ンデ高利貸業ヲ営ミ以テ農民ヲ貪ボリタルニ対シ行ワレタリ、而(ソ)シテ露西亜政府ガ反猶太的態度ヲ取リタル為(タメ)露西亜猶太人ニ対シ最大ノ迫害時代ヲ現出スルニ至レリ

掠奪(Pogrome)ハ猶太人ニ対スル痛撃ナルモ露国権力者ノ猶太人ニ対スル迫害圧制ハ一層甚(ハナハダ)シキモノアリ、物質的困難ハ猶太人ヲ絶望的状態ニ陥(オトシイ)ルルニ至レリ、右迫害ノ結果猶太青年ヲシテ腐敗セル莫斯科(モスクワ政府ヲ倒壊セント努力シツツアル者に組セシメ従テ露国国民主義者ハ彼等ニ対シ激烈ナル復讐ヲ加エタリ、



いま日本人に迫っている危機-ポグロムは軍隊、警察が参加したため非常の事となった
ユダヤ教のバッスオーヴァー祭では必ずポグロムが起った


出典:1924(大正13)年 大阪毎日新聞社 渡辺巳之次郎 「猶太民族の世界的活動」 第十五章 各国に於ける猶太人の状態



 第十三節 露西亜=模範的虐待国
   虐待の開始より革命まで=虐待の具体的実例

第七 排猶太人暴動の実例=殺傷、掠奪、破壊、放火

 法令の濫用、既に恐るべきことであるが、更に恐るべきものはポグロム(一団、一階級に対して行う殺戮の義)即ち排猶太暴動で、コレは恰(あたか)も米国白人の黒人に対して行うリンチ(私刑)の大規模のようなものである。

殊(こと)にソレが軍隊や警察などの暗示を受けたり援助を得たりして行われると、非常の事になる。殴打、殺傷、掠奪、破壊、放火、人から家から教会堂に及び、乱暴喩(たと)えようがない。


ロシアユダヤ川崎県警1☞ユダヤ人どころか日本人よりも甘やかされている在日朝鮮人をかばう神奈川県警。危険な兆候:0605川崎ヘイトデモ 神奈川県警「これが国民世論の力なんだよ!」


一八八一年から八三年までの間には、南露及び波蘭(ポーランド)で二百廿(二十)四回爆発し、掠奪を蒙った猶太人は七万人、其(その)損害は一千満留(ルーブル)以上と計算せられた。

一八九一年、一八九二年、一九〇三年においては、虐殺が行われ、一九〇五年のポグロムは殊に甚(はなは)だしく、一揆の形を以て殺傷(焼き殺されたるものあり)掠奪の行われたこと七百二十五箇所の多きに及び、猶太人の直接損害を受けたものが二十万人、損害額六千三百万留と計算された。

☞民進党「一揆はテロ等準備罪にあたるのか?」


のみならず暴動は一九〇五年の十月から一九〇六年の九月に亙(わた)って行われ、之(これ)が為(た)めに猶太人の殺されたものが一千人、負傷したものが七、八千人、物質的全損害六千六百万留、間接の損害に至ってはドレだけだか分らぬという騒ぎであった。

殊にバッスオーヴァー祭(踰越祭)(ゆえつさい:ユダヤの民がモーゼにひきいられてエジプトから脱出したことを記念する祝祭)には猶太人は基督(キリスト)教徒の子供の血を取って血祭りをするという浮説が信ぜられ、ソレが為(ため)に踰越祭の夕には必ずポグロムが起るというに至っては、実に驚くべき事であった。




【写真出典】
1941(昭和16)年 内外書房 四王天延孝 「ユダヤ思想及運動」