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2017/07/30

台湾華僑の愛国心と共産運動


週刊文春が「蓮舫が絶対に中国のスパイになれない3つの理由」という記事を掲載していましたが、在台湾華僑も祖国支那の共産抗日運動に加担していました。

たとえば1938(昭和13)年時点の台湾構成人口531万5642人のうち、499万31人が華僑で人口の94%を占めていましたから、その94%が共産運動に加担していたのです。その華僑らの内訳は福建省系と広東省系です。

また大正時代末期には台湾共産党日本共産党の民族支部という形で組織されましたが、早期に当局によって発見、潰滅されたため台湾の共産運動は朝鮮ほど重症にならずにすんだだけの話です。


【韓国の共産プロパガンダ映画「軍艦島」】
映画も共産主義宣伝手法の一つ。
韓国映画軍艦島1

日本共産党が台湾共産党組織のために設けた準備委員会は、欧米ユダヤ財閥のアジア侵略拠点だった上海で策動していました。

共産党とは「反搾取」をうたいつつ、その正体は非ユダヤ人を搾取、虐殺する工作員なのですね。中国共産党が組織されたのも上海ですからね。

日本軍に「山東省の山賊」と呼ばれていた中国共産党が、わざわざ山から出て上海くんだりまで行ったのですから、まったくご苦労なことです。


【山賊時代の毛沢東】
汚な。
mou_takutou.jpg

【山賊時代の周恩来】
上に同じ。毛沢東にアゴで使われてガリッガリ。
shu_onrai.jpg

その後、台湾は大東亜戦争で日本とともに共産党の経済・領土・思想侵略と戦うことになるのですが、蓮舫さんは在台湾華僑共産運動の残存分子でしょう。

なので、蓮舫さんはじゅうぶん中国共産党のスパイたりえるのです。


週刊文春「日本人よ、第五列に無関心になれ」

第五列とは、敵国に潜入して敵国を敗戦に導くため敵国民を宣伝煽動する外国人や自国民に対する呼称です。


ついに代表辞任! 蓮舫が絶対に「中国のスパイ」になれない3つの理由
著書のトンデモ中国記述を追いかける

 今年7月27日、民進党の党首辞任を電撃的に発表した蓮舫。その一因となったのは、昨年秋の党首選のときからくすぶっていた「二重国籍」問題だった。ネットを見ると、もっぱらこの件を問題視したのは保守系の識者やネットユーザーであり、彼らのなかには(蓮舫の旧国籍は台湾(中華民国)にあったにもかかわらず)「蓮舫は中国のスパイだ」といった主張を展開する人も多くいた。

 この「二重国籍」問題については、そもそも同件を「問題」と考えるか否か自体がイデオロギーの踏み絵のようになっていて取り扱いが面倒なため、今回は言及しない。筆者がこの記事で考察してみるのは、蓮舫はそもそも「中国のスパイ」になれるような人材だったのか、という疑問である。

蓮舫の著書『一番じゃなきゃダメですか?』を読んでみよう

 ここで紐解くのが、蓮舫が旧民主党政権下で事業仕分けに携わっていた2010年6月に刊行した著書『一番じゃなきゃダメですか?』(PHP研究所)だ。政治家としての彼女の生き方や政見、華人(台湾人)としてのルーツが垣間見える、現時点でほぼ唯一の書籍である。(後略)



在台湾華僑は戦前から中国共産党と関係があった


出典:1942(昭和17)年 支那派遣軍総司令部報道部 時局参考資料第22、23集 「抗戦支那の宣伝 上」 第三章 宣伝の対象とその内容 第八節 華僑に対する宣伝



華僑工作系統図1_2

華僑も朝鮮人と同じで抗日団体をいくつも結成し、その華僑団体は国民党政府、中国共産党と関係していました。


【管理人注】
僑務委員会とは…支那政府が支那事変の軍費を華僑からせしめるために設立した組織。

藍衣社(らんいしゃ)とは…満洲事変後に、国民党内に組織された反共団体。その前身は第一次国共合作時代だった1924年に広東で設立された「孫文主義学会」。当時は共産党の全盛時代で、国民党は共産党側の圧力に対抗する自衛的目的から孫文主義学会を組織した。この団体は思想方面の理論的闘争および人員数においては共産党の比ではなかったが、1926年1月には会員300余名を数えた。

C・C団とは…藍衣社と同じく共産党側の圧力に対抗するため国民党内に組織された反共団体。共産党の武器である組織力をそのままパクッたもの。

藍衣社もC・C団も組織当初は反共団体ですが、蒋介石のジジイが容共になったり反共になったりフラフラするたびにその性質も変りました。

青ので囲んだ部分は華僑団体。

【出典】
・藍衣社:1940(昭和15)年 外務省情報部第三課 「支那抗日陣営に於ける反共勢力」
・C・C団:1940(昭和15)年 外務省情報部第三課 「支那抗日陣営に於ける反共勢力」


蓮舫さん自身も「私は華僑だ」と発言、国籍は台湾でもルーツは中国

華僑とは:
海外に在る支那人を華僑と言ってるが、華とは中華の華で、僑とは僑居の僑で「かりずまい」「旅のやどり」の意味である。然(しか)し実際には二世三世を含む永住者をも包含している。之(これ)を法律的に正確に提議することは困難だが、福田氏(華僑経済論二頁)に依れば、国籍を問題とせず外国に移住した支那移民並に其の子孫と言う。

【出典】1943(昭和18)年 司法研究所編 「司法研究 第35集 第3号」 第二節 華僑 一 司法一般


「私は多様性の象徴」などとわが国体に反する共産主義宣伝をやってるだけでも、中共の第五列といえるのではないでしょうか?

蓮舫氏証明写真1

支那事変勃発後、日本の主要都市に居住していた華僑の人口は半減しています。
けれども中共プロパガンダ宣伝員蓮舫さんの先代は帰国せず、嫌いな日本に残ったというわけですね。


【参考:日本主要都市における支那事変前後の華僑人口】
都 市 名支那事変前支那事変後
東 京約7,200人約2,000人
横 浜約5,000人約2,600人
名古屋約500人約240人
京 都約830人約400人
大 阪約3,000人約1,700人
神 戸約6,000人約2,800人
福 岡約900人約470人
長 崎約1,400人約700人


在台湾華僑の共産運動の歴史

共産運動の発端は朝鮮と同じで「日本帝国主義による被圧迫民族の反抗」です。

最初は地方的突発的騒動に始まり、その後林献堂という台中の富豪だった華僑「台湾人と内地人との平等なる権利待遇」を要求する運動を開始して1915(大正4)年に解散させられます。

しかし林献堂が始めた民族運動は在東京台湾人留学生に飛び火、東京で「六三法撤廃期成同盟会」が組織され、台湾民報(最初は台湾青年)を発行して台湾民族運動の指導的活動に努めました。

「六三法」とは1896(明治29)年に台湾総督が公布した法律第六十三号のことで、「台湾総督は必要に応じて法律と同一の効力を有する律令を発することが出来る」と規定した法律のことです。

が、在東京台湾人留学生らは「これが台湾人圧迫の武器となっているのだから、これを撤廃して台湾人にも日本人と同一の法律的待遇と自由を与えるべきだ」と要求したのです。

その後も台湾無産青年会(大正15年結成)、台湾民党、台湾民衆党、台湾工友総連盟などの民族主義的右派、共産主義的左派の抗日団体がモロモロ組織され、最終的には日本共産党と上海ユダヤ財閥の策動によって台湾共産党が組織されるに至りました。

台湾共産党組織の目的は世界赤化運動の一部を成すこと、暴力革命による台湾の完全なる独立、民主的共和国の創設、台湾を日本に反抗させ日本を弱体化する、というものでした。

現在、中共は「台湾の独立は許さん」と言ってますが、この一貫性のなさが共産主義です。

↓↓↓資料↓↓↓

出典:1936(昭和11)年 日本警察社編 「思想警察通論」



 台湾に於ける極左運動

一 清国領下の台湾は、難治の地として土匪(どひ:匪賊、盗賊)の反乱頻(しき)りに行われたが、明治二十八年わが国の領土となるや土匪の鎮定成り、理蕃事業進み、その社会治安情勢は一新するに至った。

管理人注:理蕃事業とは

生蕃討伐事業。日本は台湾領有に当り、台湾全島の10分の6を占めていたアルタイル族などの蕃族を討伐した。

台湾タイヤル族1☞台湾蕃族のうち最強最兇といわれたタイヤル族


【出典】
1912(明治45)年 昭文堂 西村才介(南溟漁人) 「解剖せる台湾」
1912(明治45)年 成田写真製版所 「台湾生蕃種族写真帖:附・理蕃実況」


 とは云(い)いながら、日本内地資本の移入、台湾に於ける産業機構の大工業化、内地人(日本人)の移入等によって台湾島人の被圧迫感を強め、その具体的な現れとしては地方的突発的騒動を惹起することがあった。けれどもそれ等(ら)は、一部少数者の無組織的行動であり台湾政治上それほど重要視せらるべき性質のものではなかった。

二 しかるに大正三年、板垣退助が台湾に渡り、台湾同化会を組織し、「台湾人と内地人との平等なる権利待遇」を要求する全島的組織団体たらしめた。この団体は林献堂(台中の富豪)を中心として発展し、遂に大正四年に解散を命ぜられるに至った。しかし、この運動によって刺戟された民族運動は容易に根絶すべくもなく、一方在東京の台湾人学生は総督政治の改正を目的として大正七年「六三法撤廃期成同盟会」を組織し、台湾民報(最初は台湾青年)を発行して台湾民族運動の指導的活動に努めた。即ち明治二十九年法律第六十三号を以て台湾総督は、必要に応じて法律と同一の効力を有する律令を発することが出来ることを規定したが、これが台湾人圧迫の武器となって居るのだから、これを撤廃し、台湾人をして内地人と同一の法律的待遇と自由を与えらるべきだというのである。

 この運動も急激に発展し大正十年には台湾議会設置請願運動となって現れた。その表理の目的は、

イ 台湾住人の公選による代表者を以てする台湾議会を設置すること、

ロ その議会は、台湾特殊の事情に基く法規、台湾の予算の議決権を持つこと、

ハ 一般会計に属する予算或(あるい)は一般的法律事項は帝国議会の権限とすること、

ニ 台湾議会の協賛せる法規案は裁可を仰ぐべきは勿論(もちろん)のこと、台湾議会は帝国政府と連絡を保ち活動すること、

等々の極めて限定された自治権要求運動であったが、大正十二年にこの運動は台湾総督の弾圧に遭い投獄せられる者すらあった。しかし最近これに対する取締りが寛大となり、今日に於ても続行せられている。

三 これより先、大正十年に台湾同化会の解散分子が、台湾文化協会を組織した。その目的とするところは台湾人の文化向上を計る啓蒙運動の全島的組織である。この団体は、数次に亘(わた)って全島民の文化運動の中心となっていたのであるが、やがて内部に思想的対立を生ずるに至り昭和二年その左翼派たる台湾無産青年会(大正十五年結成す)のために指導的地位を独占せられるに至った。それがためにその右翼派は同協会より脱退し、台湾民党を創立したが解散せられたるため、更(さ)らに台湾民衆党を結成し、台湾自治の要求文化の普及を目標として活動することになった。その支持団体は、台湾に於ける右翼労働組合である台湾工友総連盟である。

四 一方、文化協会の左翼派は、台湾共産党の結成を企て、左翼労働組合の獲得に努めたけれども、全島の組合が殆(ほと)んど工友総連盟の指導下にあり、少数の左翼組合は各地に分散し統一結成が困難であった。しかるに昭和三年に極左的指導者によって全島的地域に及ぶ台湾農民組合が組織されそれが台湾共産党の指導下にあり、共産党員の吸み(原文ママ)取り地盤として存在することになった。

五 台湾共産党は、未だ勢力的発展を見ず、確固たる地盤を有するに至らざる間に発覚潰滅せしめられたものであるが、その結成準備会の如きは主として上海(上海は欧米ユダヤ財閥のアジア侵略拠点)に於て行われ、日本共産党の民族支部として組織されたものであり、直接にコミンテルンと連絡があったわけではなくして、日本共産党を通じて世界赤化運動の一部を成していたものである。

 云うまでもなく暴力革命による台湾の完全なる独立、民主的共和国の創設等々を目的とし、それによって日本の国力を減殺せしめ、日本プロレタリヤ(生産手段を持たない無産者=労働者)と協力して日本帝国の赤化を企てたるものであり、これ等(ら)の点は国際共産党(コミンテルン)の植民地の解放理論(植民地を赤化し帝国主義国である宗主国に反抗させ帝国主義国の国力を弱体化する理論)をそのままに遵守したるものである。


日本共産党志位和夫1_300px☞諸悪の根源共産党


六 その後当局の警戒によって組織的拡大を見るに至っていないが、それだからと云ってこの種運動が根絶したと見るべきでは決してない。必ず潜行的活動を続け、右翼の仮面をもって時機の到来に準備しつつあるであろう分子の残されていることは必定である。ことに最近に於ては、合法的運動によって右翼団体の指導的地位を占めることに努め、一定の機会にこれを左翼運動に動員せんとすることが周到に用意せられるのが常則(満洲事変勃発を機に共産分子朝鮮人が保守に偽装転向した事実がある)であるから、単に合法的の故を以てその査察を空閑にするが如きは大なる悔いを残す蟻穴と思うべしである。


蓮舫氏1☞日本赤化の時機到来を待つ残存分子


☞保守を偽装し始めた民進党>リベラルか保守か「決着つける戦い」 枝野氏と前原氏(2017年7月29日)>「将軍さま、マンセー」じゃないのかよ?

NHKカメラ閃光1☞皇室すら意のままにするNHKがアメリカとタッグを組んで戦争煽動を開始>NHKの複数カメラにせん光のような映像(2017年7月29日)>ミサイル発射も着水も日本国民は直接見ることはできない


一方、台湾蕃族は「支那人の首を切ってみたい」


出典:1938(昭和13)年 第一出版社 永丘智太郎 「極東の計画と民族」 四、事変と台湾に於ける民心の動向



 通州に於ける反乱保安隊の残虐行為報道せらるるや、在台支那人は多大なショックを受け、内台人(日本人と台湾人)間に於て在留支那人に対する処置寛大に過ぐと私語する者等があったため、面倒が起りはしないかと当局を警戒させたが、今迄の処(ところ)では日支人間に紛争が起ったことを聞かない。ただ例の流言蜚語を放つ者が、支那人に多いのは注目すべき事である。

 台湾の蕃族即ち高砂族の人口は十五万四八九人(昭和十年末)である。彼等(かれら)の種族のインテリは集会又は、演説会に出席し、今次時局に対する認識は相当なものがある。花蓮港玉里庄頭目の如きは、「日本は我等(われら)の先祖であるから、我等は当然日本を守らねばならない。早く我等も出征さして貰って支那人の首を切って見たい」云々と公言し誠に愛すべきものがある。



在台湾華僑の共産運動についてサラッと


世界に流出した華僑人口

私の祖母は19世紀生まれの明治人でしたが、よく「戦前の日本は広かったんだよ、北は樺太、南は台湾、南洋まで日本だった」と懐かしんでいました。

祖母は明治の女らしく気軽に外地に出て、大日本帝国内だけでなくシンガポール、インド、中国に住んだり、台湾高雄にも定宿にしていたホテルがあって、いつ行ってもそのホテルには日本人の書生さんが宿泊していたそうです。

そんな祖母の思い出話には必ず「アジア中、どこに行っても中国人がいる」というセリフがくっついていました。


【華僑の世界的分布状況:単位(人)】
南方諸地方
暹羅(シャム:現タイ国)2,500,000
蘭領印度(オランダ領インドシナ)1,232,650
英領馬来(イギリス領マレーシア)1,709,392
仏領印度支那(フランス領インドシナ)381,471
比律賓(フィリピン)110,500
英領ボルネオ75,000
合      計6,009,013
印度及濠洲
印度(インド)15,000
印度洋諸島5,000
ビルマ(現ミャンマー)193,598
濠洲(オーストラリア)15,500
新西蘭(ニュージーランド)2,854
合      計231,952
極東諸地方
日本内地20,074
台湾46,691
朝鮮41,303
マカオ29,875
香港825,645
ソヴェト(ソビエト社会主義共和国連邦:現ロシア)251,500
合      計1,215,088
太平洋諸島
ハワイ27,179
その他1,200
タイチ(タヒチ)3,500
合      計31,879
欧洲30,335
亜弗利加(アフリカ)4,500
南米15,950
北米
合衆国74,954
加奈陀(カナダ)42,100
メキシコ25,000
中米諸国69,000
西印度諸島36,400
合      計247,454


これだけの華僑が支那事変勃発と同時にそれぞれの居住地で、いっせいに日貨排斥や日貨不買、暴動による日本人襲撃、虐殺という暴挙に出たのです。


【大日本帝国および大東亜共栄圏】
大東亜共栄圏1

台湾人口の94%が福建省系、広東省系の華僑だった


出典:1938(昭和13)年 第一出版社 永丘智太郎 「極東の計画と民族」 支那事変と外地の動向



 四、事変と台湾に於ける民心の動向

 支那との戦争に直面しては、朝鮮よりもむしろ台湾の方が治安の点で問題になる。というのは台湾の構成人口五百卅一万五千六百四十二人中、四百九十九万卅一人即ち九四%までは本島人である。此(こ)の本島人というのが、福建系と広東系に大別されるが、彼等が血統に於て支那の「遺民」であると云(い)うのが難点だ。然(しか)も彼等に日本のイデオロギーを植付けるには、国語教育の普及に待たねばならぬのだが、それが昭和十一年度に入って漸(や)っと三二・九%にしか理解されていないと云うのでは、その日本化の成果に疑いを持ちたくなる。



在台湾華僑を赤化したのは南京放送の日本悪宣伝

台湾における流言蜚語の出所は南京放送でした。

「球」とはラジオに使用されている真空管の数です。


出典:1938(昭和13)年 第一出版社 永丘智太郎 「極東の計画と民族」 支那事変と外地の動向



  だが、大体に於て、事変後の台湾の民心は平静である。何等(なんら)の著るしい動揺とては起っていない。時局認識徹底に関する講演会があったり、国防献金運動があったり、国威宣揚祈願祭を催したり、思想動員に拍車がかけられている。ただ困る事は、南京の中央放送局から毎晩日本語で出鱈目(でたらめ)な放送をするのを、台湾人が聞きたがる事だ。台湾では四球以上のラヂオなら、南京放送を完全に聴取出来るが、七月末現在四球以上のラヂオ設置者が約一万人いるとの事で、これの取締対策に当局では大童(おおわらわ)の体(てい)である。

 台湾に於ける流言蜚語の製造元は、この南京放送局の聴取者である。流言蜚語に関する処罰者をすでに可(か)なり出しているが、それら流言蛮言の主なるものを列挙すれば左の如し。

一、日本側新聞なりラヂオの報道は虚報にて事実は支那軍が優勢である。

一、日本は一時戦勝するも、支那の長期抗戦と支那に好意を持つソ連その他列強の援助により遂に敗戦し、その結果台湾は支那に復帰するであろう。

一、戦費多額を要する結果、高率な増税を断行し且つ銀行、信用組合等に於ける民間預金の一部は強制的に献金せしめられる。



孫文「華僑は革命の母」~華僑の夢は漢民族を圧迫した清朝を倒すことだった


出典:1939(昭和14)年 松山房 企画院編 「華僑の研究」 第六 事変下馬来華僑の抗日的力量



 二 抗日力培養の諸要素
  (一) 思想的根源
   イ 革命的伝統

南洋華僑の対本国の政治運動の顕著なるものは清朝の中期以後に於て現われる、当時、南洋華僑は清朝よりは、反逆不逞の徒と目されて、仮に帰郷する場合も多大の迫害を受けたのであるから、彼らは清朝覆滅の気に燃えていたのである、十八世紀に至り本国内に清朝討伐の目的をもつ秘密結社三合会・白蓮社あって之が華僑の出身地なる南支那に根城を置いて相当な勢力を有していた、十九世紀初期華僑の集中する馬来(マレー)半島其の他に之が支部の如きが設けられて之(こ)れと緊密なる連絡をとるに至った。十九世紀中葉洪秀全の長髪賊の乱が華僑の出身地南支に根拠地を置いて清朝を震撼した時、三合会は之と疎通し、また南洋華僑が之に呼応して多大の援助をなしたという、乱平げられるや残党多く、南洋華僑を頼って亡命したのであった。当時の南洋華僑の策動地も今の新嘉坡(シンガポール)であったらしい。



支那政府の対華僑宣伝「祖国衰微の原因は日本の異常な発展である」

明治維新後、貧しかった日本は努力して、日清・日露両戦役では同胞の血を流して一等国になりましたが、中国の場合「ライバルは殺せ」になるところが日本との大きなちがいです。

支那政府は華僑らに「日本を倒せば支那は強くなる」と宣伝したのです。

こんな民族との「友好」はありえません。

私の祖母もよく言っていました、「支那人に指輪を見せるな、指を切断されて盗られる」「金歯を見せるな」「襟巻きは前で結べ、日本のように後ろに垂らすと首を絞められて金を盗られる」と。

こういう心得を持つほど日本人は中国人にひどい目にあわされたということでしょう。


出典:1935(昭和10)年 外務省通商局第二課 「華僑ノ現勢」 第十四章 結論



 今後一般華僑大衆ガ大体本国政府及彼等ノ指導階級ノ動向ニ追随スルモノデアルト観察セラルル処、目下支那政府ハ自国衰微ノ原因ガ日本ノ異常ナル発展ニアルトスルノ見当違(チガイ)並(ナラビニ)欧米崇拝ノ謬見(びゅうけん:まちがった考え)ニ目醒(メザ)メ、他方華僑ノ指導階級モ日貨排斥ノ結果ヲ認識シ初メテ来タ模様デ、本邦ノ為(タメ)慶賀スベキ処デアルガ、此(コ)ノ情勢ガ果シテ続クモノカ、過去ノ経験ニ徴スレバ、甚(ハナハ)ダ心許(モト)ナイ次第デアル。



英領マレーの抗日運動の巨頭も福建省系の華僑だった


出典:1939(昭和14)年 松山房 企画院編 「華僑の研究」 第六 事変下馬来華僑の抗日的力量 二 抗日力培養の諸要素



 (五)抗日諸団体の活動
  イ 陳嘉庚

 ここに陳嘉庚(Tan Kah Kee)なる男が居る。この男を除外して馬来の抗日運動に止まらず凡(あら)ゆる華僑の社会運動は考えられない、彼こそは華僑社会の大親分であり、黒幕である。彼は福建省の出身で世界恐慌前まではその経済的実力に於て全馬来に覇を唱えて、広東人たる胡文虎と拮立して、その絶大なる勢力を振っていたのである。

(中略)

彼は現在星華籌賑会の会頭であり、また抗日及排日貨の総本山である難民救済会の委員長の地位にあって抗日運動に奔命しているのである、一時彼の辞任が伝えられたが、それは誤報らしく依然、抗日陣営に采配を振っているのである。彼はまた特に排日の目的を以って早くも一九一三年、南洋商報なる新聞を発刊し言論界をもその影響下に置ている。現在その発行部数約一万部であるという。