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2017/10/19

日本人が怒り狂った阿波丸撃沈事件


阿波丸撃沈事件とは1945(昭和20)年4月1日、アメリカから依頼された捕虜への救済品をシンガポールに届けた阿波丸がその帰途、台湾海峡で米潜水艦に撃沈された事件です。

阿波丸の航行についてアメリカ政府は安全を保障していました。その取り決めが反古にされ、2000余名の日本人が虐殺されたのですから、当時の日本人の怒りは並大抵のものではありませんでした。

阿波丸は軍用船ではなく、ふつうの貨客船であり、乗客も民間人でした。シンガポールでは帰途につく阿波丸は連合軍に安全が保障されているという理由で乗船希望者が殺到したため、乗船券にプレミアムがついて一万円もの高額になったそうです。

この出来事は当時の日本人の間ではもう、日本人にジュネーブ条約や国際法は適用されない、連合軍は日本船、日本人を見れば無差別に撃沈、虐殺するのだということが常識になっていたことを物語っています。

米軍は情報を聞きだすために、大勢の溺れいく人々の中からたった一名だけを救助したそうです。あとは当初の計画どおり溺死させたわけです。

そして終戦後、日本政府は阿波丸撃沈事件に関する賠償請求権を放棄させられました。

こういう国にわが国の防衛を依存させている、それが憲法9条と日米同盟です。日本政府が依存しきっている日米同盟も戦前の日米通商航海条約のようにいつ一方的に廃棄されてもおかしくないのです。

その危機感からくる「改憲」の声を抹殺しているのもまた、デモクラシー(民主主義)というアメリカニズムに洗脳された日本のサヨクであり、そのサヨクとアメリカとのつなぎ役である中共、北朝鮮、韓国なのです。


1945(昭和20)年4月18日付 読売新聞

米潜水艦は夜間に阿波丸を雷撃しました。救恤(きゅうじゅつ)品とは、俘虜、抑留者あてに本国から送られる救済品のことです。

※(  )は管理人による注釈です。

阿波丸新聞切り抜き1

米潜艦、阿波丸を撃沈
 俘虜、抑留者救恤品の輸送航行中
  台湾海峡 敵前例なき暴挙

暴戻あくなき敵米は従来屡々(しばしば)国際法を無視してわが病院船を不法攻撃し、その鬼畜性、非人道性を遺憾なく世界に暴露したが今また米国の要望に基きその俘虜及び抑留者に対する救恤品の輸送に従事したわが阿波丸に対し安導券(あんどうけん)を無視してこれを撃沈するの前例なき暴挙を敢てし、口に人道主義、国際信義を唱道しつゝその実態においては如何に厚顔無恥の鬼畜的背信行為を臆面もなく行ふかを全的に露呈する事件が勃発、今更の如く世界各国を唖然たらしめてゐる。すなはち阿波丸(一万一千余噸〔トン〕)はわが権力下にある敵国俘虜及び抑留者宛に送付された米国よりの救恤品を南方諸地域に輸送の為(た)め航海中四月一日夜半台湾海峡で米国の潜水艦に依り撃沈されたのである、しかも同船は米国及びその与国政府がその往復航とも同船に対し攻撃は勿論(もちろん)停船、臨検その他何等(なんら)の妨害をなさないことを確約した安導券を持ち、予(あらかじ)め通告した航路に従ひ完全なる標識(赤十字の標識)及び照明をしつゝ航行してをり、且つ最後の連絡電による同船の位置は正確に予定地点にあってしかもこの暴挙に遭ったのである

【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B02032942900:1945(昭和20)年 外務省 「1.事件経緯/4 新聞切抜」(大東亜戦争関係一件/国際法違反行為/阿波丸遭難関係)(5コマ目)



天皇陛下のお言葉|読点(、)も正しく使えない宮内庁のサイトから

二年前、今上陛下も「敵」のわが船舶無差別撃沈について、お言葉の中で示されていました。


天皇陛下お誕生日に際し(平成27年)
 会見年月日:平成27年12月18日
 会見場所:宮殿 石橋の間

軍人以外に戦争によって生命にかかわる大きな犠牲を払った人々として,民間の船の船員があります。将来は外国航路の船員になることも夢見た人々が,民間の船を徴用して軍人や軍用物資などをのせる輸送船の船員として働き,敵の攻撃によって命を失いました。日本は海に囲まれ,海運国として発展していました。私も小さい時,船の絵葉書を見て楽しんだことがありますが,それらの船は,病院船として残った氷川丸以外は,ほとんど海に沈んだということを後に知りました。制空権がなく,輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも,輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います。今年の6月には第45回戦没・殉職船員追悼式が神奈川県の戦没船員の碑の前で行われ,亡くなった船員のことを思い,供花しました。

【出典】宮内庁 おことば・記者会見



日米同盟を強調する自民党

1938(昭和13)年以来アメリカは軍備増強に拍車をかけ、7月以降さらに対日経済圧迫を推進しました。

そして翌年7月26日、アメリカは一方的に日米通商航海条約を廃棄しました。


野上浩太郎官房副長官「日米同盟の強固な絆を世界に示す絶好の機会」トランプ大統領の来日
2017年10月17日 産経ニュース

 野上浩太郎官房副長官は17日午前の記者会見で、トランプ米大統領が11月5~7日に来日し、安倍晋三首相と会談することについて「北朝鮮を含む地域の安全保障環境が一層厳しさを増す中、国際社会が直面する課題を議論し、日米同盟の強固な絆を改めて世界に示す絶好の機会だ。日本政府としてトランプ大統領ご夫妻の訪日を心から歓迎する」と述べた。

 また、トランプ氏が安倍首相とともに北朝鮮による拉致被害者の家族と面会することに関し「拉致問題は日本政府にとって最重要課題の一つ。その最重要課題を日米の首脳の間で取り上げるのは極めて意義がある」と強調した。


【本気で外国を防衛したのは日本軍だけ】
1943(昭和18)年11月6日、東南アジア諸国とインド、中国新政府が東京に結集して開催した大東亜会議。中央は東條英機元総理大臣。物質至上主義の西洋列国にあるのは自国の利益だけ。
大東亜会議1_550

本記事の資料


元外交官、外務大臣 重光葵
・阿波丸は船腹が不足する中で軍部を説得して調達した船であった
・犠牲者の中にはわが国の将来建設に必要な人々もいた
・米軍は情報を得るためにただ一名だけを救助した


出典:1952(昭和27)年 中央公論社 重光葵 「昭和之動乱」下巻 第九編 大東亜戦争 続き(小磯、米内連立内閣) 俘虜問題

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 五 取扱ひの改善

 利益代表国の要求された収容所の訪問も寛大になり、また救恤(きゅうじゅつ:困窮者、罹災者などを救い恵むこと)品の配布について便宜が与へられた。特に敵国が赤十字を通して送付する多量の救恤品を、ソ連が指定する沿海州の港から日本本土を経て、南方地域一帯に配布することについて、船腹の極度に不足する際に、軍部を説得することは容易のことではなかった。


大東亜戦争写真史戦時日本船腹事情☞戦時日本の船腹事情(喪失日本船舶2259隻〔814万トン〕、米潜水艦による日本船舶損失(全体の60%)1150隻〔486万トン〕


それでも、少からざる噸(トン)数をこれに対して使用することに軍部を説得することが出来た。その最後の船は阿波丸(一万七千噸)であった。阿波丸は、この任務遂行のために、日本より南方(シンガポールまで)を往復するために、敵国側から無条件の安全通過を保障されて出帆した。無事その任務を果しての帰途、台湾海峡において、敵の潜水艦によって撃沈せられ、我が南方よりの帰還者、二千余名の軍人にあらざる便乗者は、船とともに海底に沈んだ。その中には、日本将来の建設のためにかけ替へのない人々もあった。敵の潜水艦は、情報を得るためにその内のただ一名を救助した。これが記者(重光葵本人のこと)の在任中の最後の出来事で、一九四五年四月初めのことであった。

日本商船沈没地点概図☞日本商船沈没地点概図(1941年12月~1944年10月)

【資料出典】1954(昭和29)年 富士書苑 「大東亜戦争写真史 特攻決戦篇」 


共同通信社論説委員
・阿波丸の乗船券はプレミアムがついて一万円という高額になった
・阿波丸は昼も夜も赤十字の標識を点灯して航行した
・米軍が阿波丸を撃沈したのは禁制品を積んでいたからではない
・米軍はボーイ一名だけを救助した

連合軍に安全を保障されても、阿波丸は用心して赤十字の標識を点灯し続けていました。


出典:1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録大東亜戦史 マレー・太平洋島嶼篇」所収 共同通信社論説委員 牛島俊作「二人の美女の物語り」

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 阿波丸の撃沈

 マレーに残った日本人は最後までよく奮闘した。しかし日本人の心を暗くし、その敗戦感を決定的にしたのは昭和二十年四月一日台湾沖で撃沈された阿波丸事件である。

 阿波丸は南方各地の白人捕虜への救恤品を積んで、シンガポールに入港した。阿波丸の往復の航路の安全は連合軍によって保障されていたはずなのでこの船にのって日本へ帰ろうとする希望者が多かった。乗客数には限度があるのでしまいにはプレミアムがついた。一人日本まで一万円という高い値段であった。

 阿波丸は昼も夜もその赤十字標識に電気をつけて航行した。しかし阿波丸のシンガポール入港以来、マレー半島の南部からおびただしい電波が乱れとぶのが日本軍のほうにわかっていた。シンガポールとその周辺に連合軍の第五列(敵国に潜入した工作員)が沢山(たくさん)入りこんで信号を送っているものと判断された。それで憲兵隊では阿波丸は危いといっていた。阿波丸には積んではならないはずの石油、ゴム、ボーキサイトが積んであったようである。しかし禁制品を積んでいたが故(ゆえ)に、この船を雷撃したのではなかろう。アメリカは当時すでに、原爆が出来たらこれを日本に使おうと思っていたはずである。夜間にこれを雷撃し、ボーイ一名だけが救われたという。

 マレーの各地で阿波丸撃沈に対する抗議大会が開かれたが、それはもはや犬の遠ぼえほどの力もなかった。



1949(昭和24)年 外務大臣吉田茂
「阿波丸撃沈事件に関する賠償請求権は米国の対日援助にかんがみ
放棄する」

米国政府は阿波丸撃沈事件の犠牲者家族に対し「この災難で死亡した者の家族に対し同情を表する」と述べました。そして犠牲者家族への賠償は日本政府が行うようにと命じました。


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A13111294800:1949(昭和24)年 内閣|外務大臣 吉田茂 「阿波丸請求権の処理のための日本国政府及び米国政府間の協定」

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


阿波丸請求権放棄1

阿波丸請求権の処理のための日本国政府及び米国政府間の協定

 本協定は、日米間に協議して定める時日までは絶対に発表してはならないことになっている。

 日本国政府及び米国政府は、先の敵対行動中、日本国政府が当時日本国の支配下にあった太平洋の諸地域における連合国民の救済品を輸送する船舶を提供すべきこと、並びに米国政府がかかる任務に従事する船舶を、その往航及び復航のいずれにおいても、連合軍の攻撃から免れさせることを保障すべきことについて、合意に達したので、又

 日本貨客船阿波丸は、千九百四十五年四月一日、前記の任務から帰航の途次撃沈されたので、又

 米国政府は、右の船舶の撃沈についての責任を認め、且つ、敵対行動の終止後損害賠償の問題を考慮する用意のあることを、日本国政府に対して保証したので、又

 日本国政府及び米国政府は、この請求権の公正な且つ双方にとって満足な解決に到達するため努力したので、又

 ダグラス・マックァーサー元帥は、意見の一致を容易にするため、日本国政府と米国政府との間の仲介者として斡旋の労をとったので、

 下名は、各自国の政府からそのための正当な委任を受け、連合国最高司令官の斡旋によって、次の通り協定した。

  第一條

 日本国政府は、ダグラス・マックァーサー元帥の下に日本占領が開始されて以来進展した公正な事態を考慮し、且つ、降伏後の期間において米国政府から受けた物資及び役務による直接及び間接の援助を多として、阿波丸の撃沈から生じた米国政府又は米国民に対するいかなる種類の請求権をも、日本国政府自身及び一切の関係日本国民のために、すべて放棄する。

  第二條

 第一條の規定は、同條に掲げられた種類のすべての請求権を、完全且つ最終的に、打ち切るものであって、これらの請求権は、何人が利害関係者であっても、今後消滅するものとする。

  第三條

 日本国政府は、この事件の特殊性にかんがみ、この災難で死亡した者の家族及び前記の船舶の所有者に対し、見舞金の支給による適当な待遇を与えるため努力するものとする。

  第四條

 米国政府は、阿波丸の撃沈につき深甚な遺憾の意を表し、且つ、この災難で死亡した者の家族に対し同情を表する。

  第五條

 この協定は、署名の日から効力を生ずる。

 昭和二十四年(千九百四十九年)四月十四日東京において、日本語及び英語をもって、本書二通を作成した。

     日本国政府のために
       外務大臣

     米国政府のために
       日本関係米国政治顧問

 ここに認証する。
    
     連合国最高司令官
       米国陸軍元帥

(後略)


【昭和25年 官報(1950年7月31日)】
〇阿波丸事件死亡者の遺族の方々へ見舞金を支給する件
阿波丸外務省公告1

【出典】大蔵省印刷局〔編〕官報.1950年7月31日(16コマ目)


帝国海軍「わが国はたび重なる人種差別に耐え忍んできた」


出典:1933(昭和8)年 海軍有終会編 「海軍要覧 昭和8年版」 第一篇 戦備 第一章 太平洋問題の解決

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 第三節 太平洋のスパーク

況(いわ)んや日本創造の神様は、天照大御神で、女性にましますに於てをや。その御本体は和魂(ニギミタマ)であらせられるゝが故に、天祖の御光の充満する日本国土に於ては、生とし生けるもの皆平和瑞祥を冀(こいねが)はざるものはない。たとひ太平洋の彼岸に於て其(そ)の国民が急激なる火花の発生を希望しても、我れに於ては出来る丈(だ)け之(これ)を避けるのが王道であり、政治家の採るべき道である。過去に於ては幾多理不尽なる排日運動も忍んだ。学童問題にも土地所有権法案にも忍んだ。而(そ)して最後に移民問題にさへ、我国は耐へ忍んだのだ。

(中略)

 さて米国と日本との間に高低が出来たとすれば、必ず或る作用が海を渡って起る。有形にも無形にも起る。例へば日本国民精神が個性の緊張を失ふた時に、米国より必ず思潮の流入が起る。之はデモクラシー(民主主義)の流入であった。あったにあらずして今も尚継続しつゝあるやうである。又建築の方式にも、生産事業にも、日常の生活様式にも運動、娯楽にも、甚(はなは)だしきは教育の方法にも、アメリカニズムといふものに知らず知らず浸潤されてゐるのではないか。

 これ等(ら)の減少は、総(すべ)て先(ま)づ精神的に日本国民が米国民よりも低い位置に置かれたからである。否(い)な置かれたにあらずして、自ら卑下して置いたからである。その結果は如何? 滔々として米国式の中毒に罹り、日本人か米人か本性も分らぬやうな鵺(ぬえ:頭はサル、尾はヘビ、手足は虎、胴体はタヌキとされるもののけ)的男女青年を見受けるやうになった。人間も個性を失っては価値はない。況んや天来の優秀なる個性を放棄して、平等劣悪の前に叩頭(こうとう:頭を地につけて拝礼すること)するに於てをや。

【鵺(ぬえ)】
阿波丸鵺1【出典】Wikipedia


 以上は単に社会的に起る交流作用であるが、之と同様なる現象が国防的に起れば、それは真に由々敷(ゆゆしき)大事である。国防上の交流作用も両国海軍力の高低に依って起るのは論を俟(ま)たない。両国海軍が攻むるに難く、守るに充分なる海軍であれば、太平洋は読んで字の如く太平である。即ち互(たがい)に手出しの出来ない程度のものであらねばならぬ。互に相手方の実力に対し敬意を持つ限り、玆(ここ)に平和が続くのだ。之は人間性を甚だ安値に見たる観(見)方であるが、真実の処、現代の人間は、まだまだ神や仏の足許(あしもと)にも及ばぬ。国際連盟の動向を見よ、軍縮会議の諸提案を見よ、現実と理想とは余程距離があるやうだ。