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2017/06/19

アメリカ極秘文書「天皇と天皇制をどうするか」


日本敗戦が決定的となった1944(昭和19)年初め、アメリカ国務省内に設けられた対日占領政策委員会で「天皇制廃止」と「日本解体」についての話し合いが行われました。

その結果、占領政策が実施される間、「天皇制」は存続されることに決定しましたが、その後の天皇制については「棚上げ」という形になっています。

委員は天皇制廃止派が多数で「日本で天皇制を廃止したら天皇制支持派による広範なテロが起きるだろう」といった発言もありました。

先日可決成立した「テロ等準備罪」は本当に一般人には関係ないのでしょうか?

「テロ等準備罪」と「天皇退位特例法」はリンクしているのではないでしょうか?


1975(昭和50)年10月2日 昭和天皇、香淳皇后両陛下初の御訪米(ウィリアムバーグにて)

天皇制昭和天皇米国訪問


太平洋戦争開戦前と同じルートをたどる現在の日本政府

1941(昭和16)年5月「国防保安法(=特定秘密保護法)」施行


天皇制国家保安法施行令1

【出典】1941(昭和16)年 天泉社 尾山万次郎 「改正刑法及刑事訴訟法:附・関係条文・昭和16年版」


1941(昭和16)年 治安維持法改正(=テロ等準備罪)


天皇制治安維持法1

【出典】1941(昭和16)年 天泉社 尾山万次郎 「改正刑法及刑事訴訟法:附・関係条文・昭和16年版」


右翼運動も特高の取締対象だった


天皇制治安維持法右翼関係1
一、右翼運動とは如何なるものか

 右翼とは左翼に対する反対語にして、右翼運動とは国家発展の為に現状を改善せんとする運動の総称である

 国粋主義、農本主義、日本主義、国家社会主義等の愛国主義運動である

(中略)

一、右翼運動に対して何故取締を行わねばならぬのか

 真の右翼運動者に就(つい)ては其の精神に於て元より吾人(ごじん:われわれ)警察官と何等異る点はないのである、即ち至尊の御為に、皇国の為にと云ったその尽忠の至誠に於ては寧(むし)ろ同志といった感なしとしないが、併(しか)し如何に其の目的は正しく又貴(とうと)く是認さるるものであってもその手段に於て国法に違背し治安を紊(みだ)るに於ては之(これ)が放置さるべきものではないのである

【出典】1944(昭和19)年 大阪府警察練習所 島村一 「高等警察概要」 第一章 特別高等警察

アメリカの理想は
「日本に天皇がいない政治制度を発達させること」


1944(昭和19)年初め、アメリカ国務省内に設けられた委員会は「国際極東地域委員会」「戦後計画委員会」の二つでした。

このうち「国際極東地域委員会」は作業機関(作業委員会)として設けられたもので、ここに属した知日派(親日派)はごく少数でした。

まず、太平洋戦争開戦まで駐日大使だったジョセフ・グルー、




そして

グルー元駐日大使のもとで参事官を務めたユージン・ドゥーマン、

広東と奉天の総領事を務めた極東通のジョゼフ・バランタイン極東部次長、

国際法の大家でリットン調査団の米国代表団顧問だったジョージ・ブレークスリー博士、

コロンビア大学で日本史と日本語を教えていた日本学者で、戦前、東京帝大に留学した経験があるヒュー・ボートン

といった面々でした。

この親日派委員らは

「天皇制を廃止すれば日本が瓦解する」

「天皇はローマ法王のようなものだ」

「天皇は女王蜂のようなもので何も決定しないが働き蜂から敬愛されている。女王蜂がいなくなると、蜂の巣社会も解体する。日本の天皇もそのようなものだ」

「天皇制を利用しよう、そうすれば日本占領は少ない兵で達成できて効率的だ」

などといった論法で、大多数の天皇制廃止派を説得してまわりました。

一方、ユダヤ系メディアやユダヤ系大学などは

「天皇崇拝を根絶するために、皇族は一人残らず、配流し、投獄し、断種せよ」

といった論を展開しました。

それは、国際極東地域委員会の天皇制廃止派委員たちも同じでした。

天皇制廃止派委員らの主張は共産主義的ですが、アメリカは「共和制」を理想として発足した国なので、天皇制廃止派委員らは「アメリカの保守派」だったのです。

天皇制廃止派委員らの主張と一致する自民党の売国政策


・天皇制存続はアメリカの長期的目的に反する(天皇退位特例法)

・長期的には天皇制を根絶することが不可欠である

・アメリカの理想は日本に天皇がいない政治制度を発達させることである

・天皇制を存続させれば日本の中央集権化が進み、アメリカの脅威になる(天皇ないし天皇を通じて操作する連中には日本のあらゆる分野に浸透する力が潜んでいる)

・天皇制廃止後、日本で広範なテロや官公吏のボイコットが起きた場合は「天皇を国外に移送する」と日本人を脅迫し、言うことをきかせる(アメリカ国務省案)(テロ等準備罪)

・天皇制を廃止すれば日本政府は瓦解し、日本人の礼儀正しい行為は停まり、地下活動の混沌と無秩序はついに山間地方や周辺地のゲリラ戦にまで発展するだろう(マッカーサーから本国への返電)

・日本を完全に地方分権化させ、軍事力を弱体化させるべきだ
  ↑↑↑現在自民党で推進中↓↓↓
道州制基本法案(骨子案) 道州制推進本部 - 自由民主党(「道州制基本法案(骨子案)」1ページ目~3 基本理念 ②中央集権体制を見直し、国と地方の役割分担を踏まえ、道州及び基礎自治体を中心とする地方分権体制を構築すること。)



1945(昭和20)年春、ルーズベルト大統領が財務長官に起用したヘンリー・モーゲンソー(ユダヤ系)が日本にもドイツと同じように直接占領政策を布くよう、委員会に強要してきました。

直接占領政策になるということは占領軍の軍政が布かれ、日本政府と皇室、日本の軍事力は廃止され、永遠に日本独立の芽が摘まれてしまうということです。

しかし同年4月12日、ルーズベルト大統領が急死。モーゲンソーの影響力は急速におとろえてしまいました。

後任のトルーマン大統領は国務省の言い分を聞き、親日派委員らが作成した間接占領案(日本政府と天皇制を認める政策)を承認、間接占領案は統合参謀本部を経てマッカーサー司令部に送られ、「天皇制」も今日まで存続することになりました。

しかし、このようなドタバタのために、天皇制問題は「棚上げ」した形になってしまいました。

そもそも敗戦国の王を処刑して革命を起こすという「敗戦革命」を考案したのは、長い間ヨーロッパの王室に弾圧されてきたユダヤ人です。

ロシア革命が起きなければ、日露戦争で敗戦したロマノフ王朝も安泰だったのです。

現在、トランプ米大統領誕生以降、急速に世界の共産化(グローバル化)が進行しています。

おとなりの韓国もついに、資本主義→共産主義 というステップを踏んでしまいました。

テロ等準備罪は「天皇制廃止」を完遂するための布石のように思えませんか?

ちなみに天皇制廃止派だったルーズベルト、ハル、ロング、モーゲンソー、そして天皇制存続に関わったマッカーサー、グルー、ブレークスリー、バランタイン、ドゥーマンといった人々は1975(昭和50)年までに死んでしまいました。

そして1975年、昭和天皇は初のアメリカ御訪米を無事に済ませられました。


自民党「テロ等準備罪は一般は処罰対象にならないよ。(今のところは…)」


自民が説明冊子配布「一般は処罰対象にならない」 民進ブーメランも盛り込む
2017年3月31日

 自民党は31日、共謀罪の構成要件を厳格化した「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案の概要をまとめた冊子を党所属国会議員に配布した。衆院本会議での早期審議入りを念頭に、議員や支援者に法案の意義を理解してもらう狙いがある。

 冊子はA4で計3枚。テロ等準備罪の必要性については、3年後に迫る平成32(2020)年の東京オリンピック・パラリンピックを踏まえ、「テロ等の組織犯罪を未然に防ぐための国際協力が不可欠」とした上で、各国と協調してテロに対峙(たいじ)する国際組織犯罪防止条約(TOC条約・パレルモ条約)の締結を急ぐためには国内法の整備が必要と主張した。

 また、「一般の方々は処罰対象にはなりません」と明記した上で、暴力団や麻薬密売などの組織的犯罪集団や、重大犯罪を計画し、実際に犯罪資金の調達や凶器調達など準備行為を行うといった犯罪の成立要件を例示した。(後略)




本記事の資料

このレポートが「文芸春秋」に掲載された1975年は共産運動が過激だった時で、ひめゆりの塔をご参拝になった今上陛下に火炎ビンが投げつけられる事件が起きたり、日本赤軍クアラルンプール事件、その前年には東アジア反日武装戦線による連続企業爆破事件、日本赤軍ハーグフランス大使館占拠事件などが起きています。

この筆者も共産運動がはげしさを増す中、皇室を案じて過去のことを調べたくなったのだと思います。


出典:1989(平成元)年 文藝春秋 「『文藝春秋』にみる昭和史・別巻 昭和天皇の時代」所収 大前正臣 「天皇と天皇制をどうするか」
           (「文芸春秋」昭和50年2月号掲載)



昭和十九年春、アメリカの国務省や陸海軍省間で大議論がもち上っていた。戦勝がいよいよ明白ないま、戦後の日本をどう処理し、そして天皇をどう扱うべきか、をめぐって、意見が二つにも三つにもわかれたのである。この白熱の論議の帰着したものは──戦時下の日本人のだれひとり知らなかった事実を、戦後発掘された極秘文書によって明らかにする。

× × × × × × ×


 天皇は今年、日本国天皇としては初めての米国公式訪問をされるが、米国民がこれにどのように反応するかはきわめて興味深い。共和制を理想として発足し、建国二百年にもならないこの国にとって、千年以上も一つの家系が続いた王朝は全く異質の存在だからである。しかも米国はそんなに遠くない昔、天皇と天皇制の運命に深くかかわった。アメリカ人は歴史的に天皇をどのように見てきただろうか。

 一般にアメリカ人にとって天皇は理解しにくい存在である。理解しにくいものは身近なものから連想したがる。アメリカ人が初め、ヨーロッパの皇帝から天皇を見ようとしたのは驚くに当らない。明治時代、宮中を訪れた米国の有力者の報告にこれがうかがわれる。

 明治十二年、グラント前大統領の訪日に同行した新聞記者、ジョン・ラッセル・ヤングはそのルポで、明治天皇について「その口と唇はハプスブルク家の伝統的な口を思い起こさせる」と報告し、また宮中のマナーを「ヨーロッパの王室より堅苦しい」とも比較している。

 日露戦争後、明治天皇は米国のユダヤ人金融家、ジェーコブ・シフを宮中に招待した。シフは日露戦争中、だれも引受け手のなかった五百万ポンドの日本公債を引受けてくれた大の功労者だが、彼は友人への手紙に「宮中の生活はヨーロッパの王宮とそっくりで、日本のミカドは欧州の王侯といってよいだろう」と書き送っている。


ヤコブ(ジェイコブ)・シフ(シッフ)1☞ジェイコブ・シフ

 
 このイメージは容易にヨーロッパの独裁者のそれに転化した。太平洋戦争が始まると、日本の"皇帝"はいつも軍服をつけ、白馬にまたがった好戦的指導者ヒロヒトとして浮かびあがってきた。米国のマスコミは天皇をヒトラームソリーニなみの独裁者として描き出した。


御料馬白雪1☞昭和天皇と御料馬白雪

 
 しかし、これだけだったら、軍国主義日本を征服した米国にとって、天皇を戦犯として処刑するなり、王朝を廃絶することは容易だったろう。実際、そうせよという世論はきわめて強かった。が、そうはならなかった。これにはいくつもの説明がある。占領行政に天皇を利用する方が"経済的"だったと説明されている。ようやく脅威となり始めた共産主義への防壁として天皇制を利用しようとしたとも説明されている。

 二つとも正しいだろう。しかし私にはまだ納得のゆかないものがあった。何かもっと深い動機があると思われた。そこで米国で戦争中のアメリカ政府当局者の話を聴き、資料も漁ってみた。そのうち、ワシントンで最近解禁になった当時の意外な極秘文書を発見した。それは戦時中、国務省が「天皇と天皇制をどうするか」を討議した議事録である。

 日本の敗北がほとんど決定的になった昭和十九年初めから、、米国の陸海軍両省は占領政策をどうしたらよいかについて、しきりに国務省に諮問した。国務省はこれに対し、二つの委員会を設けた。一つは省内の各部の対日政策関係者を集めた「国際極東地域委員会」という作業機関である。もう一つは国務長官を委員長とし、省内の高官を集めた「戦後計画委員会」という政策決定機関である。作業委員会は軍部の諮問に応じ、勧告案をつくり、政策委員会に上げる。政策委はこれを討議し、承諾した案を軍部に報告する。私が入手したのはこの二つの委員会の天皇問題に関する討議記録である。

 これを読むと、戦時中、アメリカ政府部内に先にあげたステロタイプのものとは全く別の天皇観があったこと、それが当時われわれよりも正確に天皇を理解していたことがうかがわれる。もっと興味深いことは、この天皇観が次第に有力になり、天皇制存続がついにアメリカ国務省の方針になる過程が描かれていることである。


女性宮家民進党津村1☞女性宮家を推進する民進党津村啓介議員

 
 戦争が進むにつれ、天皇はどうもヨーロッパの皇帝や独裁者と違うことが気づかれてきた。たとえば日本の民衆が悲惨な生活を送っていることがわかるにつれ(アメリカはあらゆる方法で日本の社会状況の変化を正確に探知していた)、政府部内に、日本国民が自らの手で天皇を退位させるか、暗殺するかもしれないという期待が高まってきた。

 広東と奉天の総領事を務めた極東通のジョゼフ・バランタイン極東部次長までが十九年四月十四日の政策委で「アメリカ軍が日本に上陸する前に、日本国民が天皇を"取除いている"ことも大いに考えられる」と分析しているほどである。ヨーロッパでは敗戦の皇帝が国民に追出されるのは珍しくない。独裁者も、ムソリーニは民衆の手で虐殺された。ヒトラーもすでに六回、暗殺計画が立てられた。天皇をヨーロッパの皇帝や独裁者と同じ目で見れば、同じことが起きると期待してよいはずである。

 ところがそうはゆかなかった。それどころか、敗戦の悲報が相次ぐなかで、日本人の天皇崇拝心は一向に衰えそうもない。同年六月の作業委員会は「現在のところ、天皇に対する献身がいくらかでも衰えたとか、衰えそうな気配もない」と呆(あき)れ顔で報告している。

 陸海軍省が国務省に求めてきた天皇問題の助言にはおもしろいのがある。十九年秋には「天皇が国外に逃亡したら、いかがすべきか」といってきた。天皇が自ら国外に逃げ出すことは考えられるだろうか。が、ヨーロッパでは第一次大戦後、ドイツ皇帝ウィルヘルム一世がオランダに逃げたように、敗戦の皇帝が国外に亡命するのは常識である。

 作業委員会は軍部から出された天皇逃亡問題について討議した。占領軍が日本に上陸した際、天皇がどこか国外に逃げていたらどうするか。

 バランタイン極東部次長はこんな発言をする。

「この問題はその時点で、われわれが天皇制廃止か、存続か、どちらに傾いているかによる。もし廃止に傾いていれば、天皇の行方不明はわれわれにとって、もっけの幸いである。いずれにせよ日本は天皇制廃止論者と存続論者の二つに分裂するだろう。天皇がいなくなっても、われわれが何も手を打たないでいれば、それは廃止論者の勝利になる」

 ただしバランタインの腹は天皇制存続である。彼は続けていう。

「しかし天皇制が日本にとってプラスで、その存続がわが国の利益にもかなうという決定がなされるかもしれない。その際は占領軍が新帝を擁立することになろう。しかし日本国民が新帝を受け入れなければ、軍としては新帝を支持する各勢力をさまざまな形でバックアップすることになるかもしれない」

 委員長はジョージ・ブレークスリー博士、国際法の大家で、リットン視察団の米国代表団の顧問として満州を訪れたこともある極東通だが、彼がこんな問題も提起する。

「退位が天皇以外の人間では宣言されないとすると、たとえば天皇が(敗北のショックで)発狂した場合、どうするかね」

 バランタインがすかさず答える。

「その場合は摂政宮を立てればよい。ただし占領軍にとって受入れられるような摂政でなければならない」

 作業委はこの問題について上級の戦後計画委に勧告案を提出した。ここで承認されれば、国務省の公式意見として陸海軍省に送られる。作業委は天皇逃亡問題に関する勧告案のなかで、前出の意見のほかに次の見解もつけ加えた。

一、連合軍が天皇の国外逃亡を退位と見なされると決定しても、日本国民はそんな決定を無視するかもしれない。天皇が退位を宣言するか、摂政が立てられない限り、天皇がどこにいようと、国民はなおも天皇が君臨し続けていると思うだろう。

一、もしも日本国民がそのような態度をとれば、天皇が退位を宣言する前に連合軍が後継者を選ぶと、日本国民はそれを皇位簒奪者と見るだろう。したがって占領軍が皇族のだれかを皇位につけてもあまり意味がない。

 まるで京都に上った武士集団か明治以後の重臣が天皇をどうするかを相談しているようである。実際、この作業委のメンバーたちは日本の歴史を研究し、歴史の危機において、天皇がどのように動かされたかを熟知していた。あとでも気づかれようが、天皇を現代だけでなく、歴史の観念でとらえており天皇処遇のシナリオは歴史の経験から発想されている。たとえば天皇が発狂したら摂政を立てるというのも、大正天皇が体が弱かったので現天皇が摂政になられた例に、ヒントを得たものだろう。


shouwatennou1.jpg☞摂政宮時代の昭和天皇

 
 これは驚くに当らない。なぜならば、このグループに集められた外交官、学者たちには日本での生活を経験し、日本人をよく理解していたエキスパートがいたからである。天皇と天皇制が何を意味するかも知っていた。とくに委員長のブレークスリー博士と組んで事務長を務めたヒュー・ボートン委員はコロンビア大学で日本史と日本語を教えていた日本学者で、戦前、東京帝大に留学した経験の持主であった。

 それでも西欧的メンタリティの軍部はなおもトンチンカンな問題で助言を求めた。こんどは「日本国民が占領政策に協力しない場合、天皇の身柄を国外に移すべきだろうか」といってきた。

 後述するが、国務省は米軍の日本占領後、天皇を"保護監禁"する政策をすでに決めていた。それによって日本国民に占領軍に協力させる狙いである。

 しかし、それでも国内で広範なテロが起きたら、官公吏が占領行政を一斉にボイコットしたらどうしよう。占領軍としては天皇の身柄を国外に移すぞとオドシをかければ、国民も困って協力するようになるだろうか。

 作業委はこの議題で会議を開き、バランタイン極東部次長が発言した。

「もしも占領軍当局が天皇の身柄を手元に置いておきさえすれば、騒ぎを起こすと天皇の命が危ないと、日本国民はおとなしくするにちがいない。したがって天皇を国外に移すとおどしても意味がないね」

 日本で生まれ、グルー元駐日大使のもとで参事官を務めた日本通のユージン・ドゥーマン委員が「日本国民の協力を求めようということと、天皇の身柄を国外に移すぞとオドシをかけることとは関係がないね。そんなオドシをかけなくちゃならない事態にいたれば、占領軍としては直接統制を強めるよりないよ」と意見を述べる。

 作業委はそこで次の勧告案を戦後計画委に提出した。

「占領中、広範なテロや官公吏の一斉非協力が起き、天皇もその情勢を緩和できない場合、占領軍当局としては直接統制を強めるほかない。天皇の身柄を国外に移すと発表しただけで事態は好転しないだろう。万一、天皇を国外に移すことが望ましいような情勢になれば、それは政治的な重要問題なので、必ず国務省と相談されたい」

 勧告案は上級委で承認された。

 こんな質問が出てくるのも、一般に天皇という存在がますますわからなくなったためである。それに対し、国務省の極東問題作業委の回答はほぼ当を得ていた。天皇を"保護監禁"するというのも、歴史からアイデアを得たにちがいないが、それでもこれが"人質"と受取られないようにと厳重に注意していた。人質だとわかれば、国民は反感を持つだろう。さらに外国に連れてゆくなどといえば、いっそう反感をつのらせるだろう。

 なぜならば日本には西欧的、アラブ的な人質の観念はきわめて薄いからである。人質を取ることは卑怯な行為である。殺された人質は殉教者となり、人びとをますます奮起させる。作業委は日本人のこのメンタリティをよく心得ていた。ドゥーマンの「天皇の身柄を移すぞとオドシをかけることと、国民に協力させることとは別」というのはここからきている。

 さて作業委員会はもっと根本的な問題として、対日占領政策案を立てねばならなかった。これには二つの方法があった。一つはドイツに対するように、政府を認めず、軍政を布く直接占領案である。もう一つは日本政府を認める間接占領案である。

 このどちらにするか、この問題は作業委のなかでも、もめにもめた。知日派は間接占領案を採った。作業委のメンバーは十数人、うち知日派はブレークスリー、バランタイン、ドゥーマン、ディッコーバー、ボートンらの数人にすぎなかったが、彼らは、見事な団結を見せ、間接占領案を作業委案として採択させた。

 私はマサチューセッツ州スプリングフィールドの近郊に引退中のボートン教授に会い、当時の背景をきいてみた。七十歳を越した教授は温顔に似合わず、当時の熱気をうかがわすように力をこめて話してくれた。以下、ボートンさんの話。


 占領といっても、ドイツの場合は簡単である。政府も、ナチス党も解体し、占領軍が直接軍政を布く。連合国にはドイツ語が話せ、行政担当能力のある人間が多いので、占領地域の鉄道も水道も動かせる。

 一方、日本はそうはゆかない。直接占領するとなると、日本語が十分に話せ、日本の行政が担当できる要員が必要だが、そんな能力のあるアメリカ人は何人いるだろうか。効率ある占領行政を布くとすれば、現存する日本の行政機構を活用するほかない。それには天皇と天皇制を残すほかないだろう。なぜならば秩序ある日本の行政機構はみな天皇の権威から発しているからである。



 日本間接占領案はここで天皇制存続問題にぶつかる。民主国家への再生という占領目的を達成するためには、天皇制は残さねばならない。それには他の理由もある。日本国民の天皇に対する敬愛の念は戦争の悲惨な状況下でも一向に衰えず、降伏後にも、天皇制を廃止しそうな気配はない。これでは占領軍が一片の指令で廃止を命じても、実効はないだろう。それに廃止しようとすれば、占領軍に対するすごい反感が起き、占領行政が妨げられるだろう。

 また天皇の大権を縮小するとすれば、それは現行憲法の大幅改正ないし新憲法の制定によって、もっと効果的にやれるはずである。


20110910「赤旗」に載った昭和天皇を戯画化したもの☞終戦直後日本共産党が「赤旗」に掲載した「天皇大権」の風刺画


 逆に、天皇と天皇制を残したいならば、それには間接占領よりない。
 
 ここで作業委は天皇に無条件降伏を宣言させ、天皇と現存する日本政府機構を通じて占領行政を行うという間接行政を行うという間接占領政策を立てた。

 ボートン、ドゥーマン両委員はこれに関連し、天皇の扱いに関する政策案も作成した。同案は「陸海軍両省から受けた諮問のうち、これほど難しいものはない」と嘆きながら、日本の天皇はユニークな存在なので、簡単に割切れないのだと断り、天皇の身柄を警護の容易な葉山の御用邸に移し、隔離することを提案している。ただし顧問官は接触できるようにし、天皇に対してはこれまでどおり丁重に扱う。実質的には占領軍の指令だが、行政は引き続き天皇の名前で行う。いずれにせよ天皇と天皇制は残す含みである。

 作業委はこれらの案を可決したが、上級委で猛反対を受け、もめにもめた。それは当時の世論から考えたら当然だったろう。こんな案はとんでもない"対日軟弱論"だった。

 米国のマスコミには、天皇制廃止を叫ぶジャーナリストが多かった。

 学者のうちにもハーバード大学の人類学者アーネスト・ホートンのように「天皇崇拝を根絶するために、皇族は一人残らず、配流し、投獄し、断種せよ」と乱暴な意見を吐くのもいた。

 海外では英国は天皇制存続だったが、オーストラリアと中国の世論は対日強硬論で、とくに米国に伝わってくる中国の世論は激しかった。クリスチャン・サイエンス・モニター紙の重慶特派員、ガンサー・スタイン記者は「中国人は一般に天皇崇拝を破壊し、天皇制を廃止し、後継者になりそうな皇族をみな国外に移せという考えだ」と報告してきた(一九四三・一一・九)。

 また孫行政院長はニューヨーク・タイムズ紙に手紙を送り「軍部と天皇と天皇制を一掃し、民主的な共和国をつくらない限り、対日勝利とはいえない。日本の新しい民主制度は主として米国と中国の手で外から導入しなければならないだろう」と提案した。米国には日本は弱い者いじめをしているとして中国に同情する世論が澎湃(管理人注:ほうはい:水のみなぎりさかまくさま。転じて、物事が盛んな勢いで起こるさま)として起きていた。

 問題はむしろ外部の世論よりも、政府部内の政策プランナーの意見だったが、その点でも、国務省内、上級委の戦後計画委の意見は天皇制存続案に必ずしも好意的でなかった。

 天皇制をめぐる少数の賛成派と多数の反対派との意見衝突は昭和十九年四月にクライマックスに達した。

 政策委の議事録その他、私が発見した別の記録から、天皇制にとって"一番長かった二週間"の白熱した討議を再現してみたい。日本降伏一年四カ月前のことである。日本は太平洋戦争ですでにガダルカナルを失い、古賀連合艦隊司令長官は死に、日本本土を守るマリアナの絶対国防線は圧倒的な米海空軍力の前にまさに切れかけようとしていた。憂色に包まれた天皇はちょうど四十三歳の誕生日を迎えようとしていた。


古賀峯一連合艦隊司令長官☞古賀峯一第二代連合艦隊司令長官。1944(昭和19)年3月殉職


米軍ガ島上陸☞1942(昭和17)年8月7日昼、米軍ガダルカナル上陸


マリアナ空襲桜花作戦☞1944(昭和19)年6月19日マリアナ空襲(桜花作戦)


 そのころワシントンはホワイトハウス横、いまは行政府ビルと呼ばれるオバケのような国務省の会議室で、天皇と天皇制の運命を決める激論が闘わされ、アメリカ政府部内の"国体護持派"が孤軍奮闘していたのである。

 四月十四日、ハル覚書でおなじみのハル国務長官の司会のもとに、戦後問題委員会の第二十一回会議が開かれる。バランタイン極東部次長がこれまで提出した文書中の「天皇制存続案」について説明を求められる。


コーデル・ハル1☞コーデル・ハル


バランタイン「最終的に天皇をどうするかは決まっていない。しかし占領期間を考えると、何万人ものアメリカ人要員を使って完璧で直接的な軍政を布くか、現行の日本の行政機構を通じて統治するかの問題にぶつかる。後者を選ぶとすれば、天皇の身柄を引き離しておき、天皇の名前で命令を出させる方がよいだろう」

某委員「天皇の運命がどうなろうと、日本の官僚としては非協力地域がひどい目にあわないためにも、占領軍に協力する方が身のためになると思うのでないだろうか」

バランタイン「われわれとしては天皇の力を強化しないように注意しなくてはならないが、連合国が現在の天皇を除いても、天皇制が廃止される結果にはならない」

ハル「天皇の扱いには多くの異論が出てくるだろう。天皇がどこまで軍部に利用されたのか、開戦前夜の行動のように、どこまで過半数の意見に従ったまでなのか、そのへんを見きわめる必要がある。天皇が軍部のイデオロギーに利用されないよう大いに注意しなくてはならない」

 十九日、バランタインが再び天皇制存続案について説明、これこそ日本の国内治安を保障し、日本国民に占領軍当局に協力させ、最小限の占領軍要員で管理できる案だと主張。

 これに対し対日強硬派から次の反論が提起された。

 この案は短期的な目的にかなうかもしれないが、長期的にはどうか。天皇の象徴性を行政に利用すると、かえって天皇制の継続に先立つことになりはしないか。天皇制は根本的に日本帝国主義の一部だから、長期的には天皇制を根絶することが不可欠なのではないか。

 日本の左翼の意見にそっくりだが、ここではむしろアメリカの保守派から出されている。会議は時間切れで、天皇制存続案は次の会議で引き続き討議されることになった。次回で、作業委は「天皇制は軍国主義と無関係だ」と証明しなければならない。このとき知日派は猛反攻に出る。

 ところで会議の記録だけでは議論がどれだけ激しかったかはわかりにくい。私はたまたまワシントンの国会図書館で、当時の委員の一人だったブリッケンリッジ・ロング国務次官補の日記も発見した。彼は駐伊大使をしたとき、一時、ムソリーニに心酔した男で、ひどい日本ぎらい。日本解体論者である。真珠湾直後、十人くらいしか泊まれないマサチューセッツ街の日本大使館に四十人もの館員を押しこめ、寝具も取換えさせなかった。彼の日記を読むと、いかに憎しみに満ちた感情で激論が交わされたかがうかがわれる。

 四月二十三日のロング日記。


「先週、われわれはまた日本占領に関する陸軍省への指示と陸軍省からの問合せに取組んだ。またしても極東部は日本的メンタリティをもとに、天皇を残し、天皇とその後継ぎを栄光でもって扱いたがった。自分は厳しい扱いを主張した。それが"日嗣(ひつ)ぎの皇子(みこ)"とその系統全部を絶やすことを意味しても、こういう略奪的な制度は根こそぎにしなければいけない。彼らは天皇制をひいきにし、これは残した方がよいという。しかし自分には軍部と政治権力体制(軍人でいっぱいの)と天皇を頂点とする宗教的体制三つの顔の体が見える。この全部を根絶しなくてはならない。次回には修正案を討議する」



 この三日後、再びハルの司会で討議続開。

 作業委は前回までに問題になった「天皇制存続案」の修正案を提出する。これには反対派への譲歩として「日本国民の天皇制反対感情を助長すべきである」という新項目がつけ加えられた。しかし内容は旧案とほとんど変らない。反対派は「なんだ、変り映えしないではないか」と怒る。

 会議の冒頭、バランタイン極東部次長が長い反論声明を読みあげた。「占領軍は天皇は人間としての国家元首であり、事実、人間であることを国民に伝えるべきである」とか「われわれ作業委の多くも、理想的には日本に天皇のいない政治制度を発達させるべきだと思っている」と譲歩しながら、天皇制と軍国主義は無関係だと断固として言い切る。

「米国の安全が天皇制によって脅かされているという印象がある。それで天皇制をなくすれば、日本軍国主義もなくなるという印象が出てきた。しかし、これは歴史的には真実でない。天皇制が軍国主義の宣伝と軍事官僚の立場強化に利用されたのは比較的新しい。それまでは日本の唯一の正統な権威の源泉である天皇も簒奪者の軍事官僚の手によって迷惑者に扱われ、天皇自身、ほとんど完全に忘れられ、文字どおり貧困のなかに生きてきた。侵略政策を天皇の政策として打出した試みは八十年の歴史もないのである」

 バランタインは続ける。

「われわれは日本軍国主義が天皇とか他の単一の機構に根ざしていると思わない。したがって何かを除けば、軍国主義がたちまち根絶するというようなことはないと考えている。軍国主義は日本国民の間に何世紀にもわたって続いてきた考え方の習慣とイデオロギーに根ざしている。これは戦争で敗北させることによってしか根絶できない」

 したがって天皇制は長期的にみても決して米国の安全を脅かすものではないというのである。

 声明の朗読が終り、討議が始まってしばらくすると、中国派を中心とする反対派はこんどは中国の世論で攻め始めた。前述したように米国には中国要人の強硬論がいやというほど伝えられている。

某委員「中国の世論の大半は対日強硬論だね」

バランタイン「しかし蒋介石総統はじめ中国の最も権威ある意見は本案(天皇制存続案)と全く同じである(注=蒋介石はカイロ会談で天皇制を残すことに同意したと伝えられる)。それに日本を直接知っているアメリカ人の大半も本案と同意見だということである。他方、日本をあまりよく知らない新聞記者などが天皇を厳しく扱えという意見に賛成している」

ロング「問題は天皇が生き残るかどうかということでない。本会議で、対日占領政策の目的として、日本が再び米国にとって脅威でないようにすることが承認されたが、問題はこの目的が達成されるかどうかだ。その点で、宗教的人物の天皇を頂点に戴き高度に中央集権化され、統一された日本政府を考える必要がある。天皇ないし天皇を通じて操作を行う連中には官僚と軍部の全要素を結合させ、日本のあらゆる分野に浸透する力が潜んでいる。日本に平和を守らせるなら、こんな中央権力はブチ壊さなくてはならない」

 つまり天皇制を残しておくと、日本は中央集権化し、米国の脅威になるので、認めるわけにはゆかない。ロングは徹底した日本分権化論者なのである。この論争は翌日の会議でも再開され、結局、ロングが負けるのだが、ここでグルーが「占領目的には全く賛成だが、方法については慎重な検討を要しますよ」

 と、口を出した。

 開戦まで十年間、駐日大使を務め、昭和十八年に交換船で帰国したジョゼフ・グルーは天皇制は残せと全米各地を説いてまわっていた。天皇の観念がわかりにくいので、ローマ法王のようなものだとも説明した。「天皇女王蜂論」も発明した。女王蜂は何も決定しないが、働き蜂から敬愛されている。女王蜂がいなくなると、蜂の巣社会も解体する。日本の天皇もそのようなものだと。彼は前線の海軍基地に派遣されたときも、ニミッツ提督に「宮城を直撃する特別爆撃隊のような天皇に対する直接戦闘行動は避けてほしい。日本本土の将軍たちに降伏させることのできるのは天皇だけだ」と訴えた。そのため対日強硬論のマスコミからは"親日軟弱分子"と、どれだけたたかれたことか。
 
 グルーは国務省顧問として戦後計画委に出席していたが、それまではほとんど何も発言しなかった。ロングに反論する形で、しゃべり始めたので、一同は何をいうかと視線を向けた。「今日初めてしゃべらせてもらいます」と前置きし、用意してきた長いステートメントを読み始めた。それはバランタインと同じように、前回で提起された「天皇制存続は米国の長期的目的に反するのではないか」という問題に対する反論である。彼はそのなかでこういった。

「天皇を英語の God で解釈したら、divine (神聖な)と見るのは誤りだ。日本民族の考え方は英語では説明しにくい。強いて説明すれば、日本人は天皇も自分たちもなにか高い精神的存在である祖先の末裔だと考えており、同じ流れの天皇はいわば僕らの父親だと信じている。
 ヒロヒトはずっと米国との戦争に反対してきたとの確証がある。しかし、いまとなっては彼が皇位に留まるのは難しいだろう。しかしそれより問題なのは天皇制である。米国への脅威を除くことが占領の目的なら、天皇制は日本国民を再生させ、平和に導く手段ともなる。再び軍国主義のシンボルになる危険があるというが、それなら国際平和のシンボルにもなろう。
 神道も諸悪の根元といわれるが、これも軍国主義に利用されたものであり、日本が軍国主義者でなく平和的指導者によって統治される暁には、欠陥でなく財産となろう。私は天皇制も神道も再建日本の強力な財産になると信ずる」



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 ブリッケンリッジ・ロングはその日の日記に再び忌ま忌まし気に会議の感想を書き残しているが、知日派の天皇制存続論にうんざりした感じである。


またしても戦後委で、日本問題の討議があり、天皇派の主張に堕してしまった。グルーも彼らの仲間に加わり、王朝こそ日本統治に最もふさわしい機関だと主張する声明を読みあげた。占領中は天皇の大権の一部を停止し、占領後にそれを元に戻せという。自分は再び、天皇にも、その後継ぎにも、王朝にも興味はないといってやった。自分に関心があるのは日本に再び太平洋や米国の平和を乱さないようにさせることである。

 しかし天皇とその側近に権力を集中させた中央集権制度ではどうしてその目的は達成されよう。自分はこんな制度はこわしてしまえと主張した。この"制度"を分解し、神的人格が宗教的権威の名前のもとに再び政治的、軍事的勢力を結合させないようにしたい。会議は明日も続開される。 



 どうやらグルーやバランタインの長広舌も彼を説得できなかったようだ。彼の最大欠陥は日本を知らないことである。知日派にとって幸いなことに、ロングは事務担当で、政策立案担当でない。

 それに彼は同じ反日派のホーンベック極東部長とひどく仲が悪かった。

 同じ知日派でも二人はいがみあった。

 翌二十七日、同じ議題で続開。委員長はロングが代行。一つのテーマで会議が連続して開かれるのは珍しく、いかに天皇制存続問題が紛糾したかをうかがわせる。

 おそらくホーンベックらの中国派だったろうが、反対派は口ぐちにまたしても中国の世論で攻めてきた。これに対し、バランタイン極東部次長は中国の世論があてにならないこと、中国人は日本の天皇を中国の皇帝から見ているが、それは誤りだと反撃する。

某委員「ジュリアス・プラット教授の調査論文だと、中国の世論の大半は日本の天皇制に厳しく当れといっているではないか」

バランタイン「中国の新聞発表や公的声明は世論を公正に反映しているとはいえない、したがって賛否どちらにせよ、結論として受取るわけにゆかない。一体、これらの調査に、日本をかなりよく知っている中国人の意見がどれだけ含まれているか確かめる必要がある。日本人は集団行動に毒されており、中国人は個人主義的なので、日本にいたことのある中国人の意見でないと問題だ。それに中国はまだ工業化されていない」

 しばしば引き合いに出されるプラット論文は国務省がジュリアス・プラット教授(ニューヨーク州立大学)に依頼して作成させた「日本天皇論」。教授はアメリカ史専攻だが、天皇論では驚くほど的確にとらえていた。天皇は万世一系だというが、必ずしも直系が続いているわけではなく、傍系からも血が入っている。しかし日本人の観念では、それでも家系は続いていることになる、とまで指摘している。

 てれ屋のバランタインはどもり、どもり、反論を続ける。

「実際のところ、中国人は日本の天皇制について歴史的、政治的に不正確な考えを持っている。彼らは天皇は清朝の皇帝と同じ地位を持ち、したがって日本の天皇制も中国の王朝と同じように廃止できると考えている。天皇制の問題については中国の態度を米国の態度の決定要因にすべきでない」

 これで中国派は黙ったが、これに追討ちをかけるように、東南アジア専門のケネス・ランドン極東部員の分析も披露される。彼によると、日本の天皇は中国の皇帝とは全く違い、タイやラオスなどの国王に似ている。これらの国の王は物理的な力は持たないが、"文化的存在"で、敵も味方もその前にはハッとひれふす。別の委員がヤブ蛇の質問をする。

某委員「ソ連は天皇制をどう見ているか」

バランタイン「自分はソ連の専門でないが、ソ連は日本に、ソ連に都合のよい状況をつくりだしたいと望んでいるだろう」

 いうまでもなく、それは天皇制の廃止である。あとでまた天皇制に戻るのだが、議論は次に日本の政策決定機関の処理問題に移った。作業委の勧告案では枢密院、内閣、国会の機能を一時停止させるとあったが、ある委員はこれらの機関は非民主的なので解体すべきだと主張した。これに対し、グルーが「国会が民主的なこともあったのだ」と反論、現行の機関でも自由主義的な機能を果たすかもしれないので、いまから廃止を決めつけておくべきでないと訴えた。

 このテーマも、もめにもめた。要点は日本に効率のよい中央政府を認めるか、徹底的に地方分権化するかである。グルーの同調者が発言した。

委員「価格抑制やインフレ克服のような重大問題をこなすには効率的な政府が必要だ。もしも戦後できる民主主義志向の日本政府がこれらの問題を処理しきれる機構を持たなければ、政府は倒れるだろう。そうなったら、民主的政府とつくろうというわれわれの努力も水の泡になるね」

ロング「行政機構と警察、産業、労組、課税の統制、それから教育、宗教、海運、商業に対する助成金の割当などを完全に地方分権化しなくてはならない。これらの権限を中央政府から地方当局に移さなくてはならない

某委員「そんなことをいっても、地方分権化したら、日本は生き残れるだろうか。なるほど分権化すれば、日本は軍事的にはインポテントになろうが、歴史的にいっても、効率的な政府には中央行政が必要だよ。戦後の日本は海外領土と商船隊を没収され、工業施設を破壊されているだろうから、とくにそうだ。それでは日本は経済的に生き残れない。現在の政府機構が解体されれば、情勢はますます混乱するね」


☞再燃した大阪都構想


 これにはロングも黙った。

 ここで討議はまたしても天皇制に逆戻りする。占領目的が日本解体でなく、民主日本の再建とすれば、効率のよい政府をつくらねばならず、それにはある程度の中央集権がなければならない。それはまた天皇制を解体しては覚束(おぼつか)ない。ドイツ問題での討議ではこんな議論は出なかった。ナチス党を壊滅させるのは自明の理だった。しかし天皇制はナチスとはちがうようである。

 会議にはプラット論文が提出されたが、それに指摘されているように、帝国憲法を読むと、天皇はほとんど半独裁的な権限を持っているようでも、実際に天皇自身が行使できる権限はヒトラーやスターリンに及びもつかない。米国大統領の権限にも及ばず、せいぜい英国国王なみである。それに国民から尊崇されているものの、それはヨーロッパの皇帝や国王、大統領が国民から受けている敬意とちがい、崇拝に近い。

 ある委員は、天皇を"保護監禁"すれば、官公吏が必然的に占領軍に協力すると想定するのはどうかという問題を提起した。

 別の委員は「でき得べくんば」と前置きして、米国の政治思想からいえば、天皇なしにやってゆくのが望ましいと発言。

 さらに別の委員が結論的に「この問題は実利的な面から扱うべきだ。つまり天皇制を存続させることが、日本に信頼できる政府をつくるのに役立つかどうかで決めるべきだ」と述べ、これで会議はお開きになる。

 反対論も出尽くし、それに対する知日派の反論も出尽くし、結局、実利論に落着いた。実利論なら、天皇制存続である。知日派の狙いもそこにあった。天皇制利用論でなければ、どうして圧倒的な日本解体論を説得できよう。

 議事録を見る限り、国務省の天皇制論争はこれで終っているが、天皇に親近感を持つ知日派は闘い抜き、天皇存続を含む作業委の案は年末、一括承認され、国務省の公式政策案として軍部に送られた。軍部もこれを受入れた。とくに陸軍長官のヘンリー.スチムソンは国務省の知日派の意見に強く影響された。以後、天皇制の問題は棚上げになった形だが、ボートン教授によると、国務省が作成し、米国の公式政策となった日本占領政策には、間接統治による天皇制存続の含みがあったという。


ヘンリー・スティムソン1☞ヘンリー・スチムソン


 しかし、この仕上げにはもう一人の知日派、遠征軍司令官マッカーサーの天皇観の一大変化を待たねばならない。

厚木マッカーサー1945☞厚木に到着したマッカーサー


 駐日武官の父親を持ち、彼自身、日本を知っていたマッカーサーは初めから天皇と日本政府を通じて占領行政を行うつもりだった。その点で、彼も世論の非難を受けた。

 マッカーサーの天皇観が決定的になったのは昭和二十年九月二十七日、初めて天皇に会ってからであろう。ヨーロッパの皇帝のように命乞いにきたかと思ったのに、天皇はすべては自分に責任があると命を投げだしてきた。「私は途方もない感動に圧倒された。この死をもいとわぬ勇気ある責任観念に、私は、骨の髄まで感動した。彼は生まれながらの天皇である。が、私はそのとき、日本第一の天成の紳士に向かっているのだと知った」(回想録)

 これでは天皇は殺せない。しかし彼は単に共産主義へのトリデとして天皇を残そうとしたのだろうか。私はそうは思わない。私はワシントンで別の解禁文書を見た。それは彼が昭和二十一年一月二十五日、天皇戦犯問題について統合参謀本部に送った返電だが、その激しい文面からマッカーサーの天皇観があの会見以後、決定的に変わったことがうかがわれる。

 統合参謀本部は前年十一月二十九日、国務・陸・海三省調整委の指示を受け、「天皇制でなく、ヒロヒト個人に関し戦犯としての証拠を集められたい」と指令してきた。マッカーサーはその返電のなかで、過去十年間にさかのぼり、徹底的に調査したが、天皇は顧問の助言に自動的に応じただけで、戦犯として起訴するような証拠はなんら発見できなかったと報告。さらに続けて、

「天皇を起訴すれば、日本国民に途方もない動揺を起こすことは間違いない。その反動は測り知れざるものがある。天皇は日本国民すべてを結びつける象徴である。天皇をなきものにすれば、日本国家は瓦解するだろう。実質的に日本人全部が天皇を国家の社会的首長として崇めており、正確にせよ、誤っているにせよ、ポツダム宣言で彼は日本国天皇として保持されていると信じている」
 
 彼はさらに天皇を処刑した場合の日本社会の混乱を想定している。古事記を読んだわけではないだろうが、それは天照大神が天岩屋に隠れると、高天原が暗黒になり、あらゆる妖(わざわ)いが一斉に起きたときの描写をほうふつとさせる。すなわち日本の政府機関はすべて瓦解し、礼儀正しい行為は停まり、地下活動の混沌と無秩序はついに山間地方や周辺地のゲリラ戦にまで発展しよう。それでも天皇を裁判にかけよというなら、あと百万の援兵をよこせ。

 その文面から、本国政府と連合国がタバになってきても、天皇を絶対に渡すものか、といった気迫がうかがわれる。これは天皇に人間的感動をおぼえなかったら書けない文章だろう。ワシントンはこの一喝以後、再びこの種の指令を出していない。

 ボートンさんはマサチューセッツで私に「マッカーサーが天皇制について、どんな行動に出るかとヒヤヒヤしたものですよ」と胸をなでおろすように述懐したものである。

 前に遡(さかのぼ)る、天皇と天皇制を残す含みの日本間接占領案は必ずしもすんなりと最高首脳部の政策になったわけではなかった。国務省の案にはなったものの、ホワイトハウスへの承認は受けていなかった。それどころかホワイトハウスが直接占領政策を押しつけてくる危険も出てきた。というのはルーズベルト大統領が財務長官に起用したヘンリー・モーゲンソーがドイツ占領政策に深く関係し、国務省が提出したドイツ政策案を拒否するだけでなく、日本にも手を出しそうになってきたからである。




 昭和二十年春、ドイツ帝国の崩壊が刻一刻近づくにつれ、その危険はいっそう高まった。モーゲンソーは間もなく、日本に目を転じ、ドイツと同じ苛酷な直接占領政策を要求してくる気配がますます濃厚になってきた。ユダヤ系の彼に日本の天皇制の特殊性がどうしてわかろう。ついにある日、ホワイトハウスから国務省の作業委員会に「日本にもドイツ案を適用したらいいじゃないか」と電話がかかってきた。作業委は「Impossible!」と一言のもとにハネつけた。

 危険が迫ったのを知ったブレークスリー、ドゥーマン、ボートンらの知日派は急いで日本間接占領案の手直しにかかった。モーゲンソーが口出しできぬよう、巧妙なトリックを使って財務省の実質的承認を取りつける芸当も演じた。それでも個人外交を得意とするルーズベルトがどんな政策に出るかもわからなかった。彼が天皇制保持の意向だったという確証はない。

 "幸いにも"彼は四月十二日、急死した。モーゲンソーの影響力は急速に衰えた。外交に素人のトルーマン新大統領は国務省の言い分をきき、知日派の立てた間接占領案を八月ついに承認、政策指令は統参本部からマッカーサー司令部のもとに送られたのである。これは知日派の勝利を意味した。長い闘いのあとで、彼らは歓喜に包まれた。

 それにしても滔々(とうとう)たる対日強硬論のもとで、渺(びょう:かすか。ごく小さい)たる存在の彼らがどうしてあれだけ闘い抜いたのだろう。彼らの論旨は「天皇を利用するに限る」ということであった。しかし、それだけであれほど粘れたろうか。

 私の疑問もそこにあった。

 これについてボートンさんは語った。

「私たちは日本の天皇がヨーロッパの皇帝や国王と違うことを知っていた。私自身、御大典のとき宮城前で妻といっしょに民衆の万歳を見たが、あんな純真な敬愛の情は他国では見られない。戦争でも、天皇が名目上の存在にすぎないことを知っていた。しかし会議ではどうしてそんな感情を出せよう」

 それで、論敵を説得するために天皇制利用論を正面に押出したというのである。


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☞「御大典」とは昭和天皇御成婚のこと


 徹底的に利用論をブチまくったグルー大使も同じだったろう。天皇の名のもとに日本が降伏した日、国務次官だった彼はこれで役目はすんだと辞表を提出した。マッカーサーの政治顧問として日本に戻らないかと慰留されたが、"勝利者"として再び日本の知己に会いたくないと、彼はそのまま田舎に引退した。

 あの悪夢のような時代からすでに三十年。

 ルーズベルトも、トルーマンも、ハル、ロングも死に、マッカーサーもいまやない。国務省で天皇制保持のために闘ったグルー、ブレークスリー、バランタイン、ドゥーマンも鬼籍に入った。

 一方、天皇はいまなお健在で東京にアメリカ合衆国大統領を迎え、握手し、あいさつの言葉を交わし、乾盃(かんぱい)の盃(さかずき)を触れ合った。天皇は「不幸な時代もありました」と感慨深げに語った。大統領は「世界で最も広い海に隔てられた両国がますます結びつきますように」と答えた。

 天皇はさらに米国を答礼訪問する。戦争の狂気が産んだ日本抹殺、天皇制根絶のアメリカ世論はいまやない。人間を抽象的存在としてとらえ、理論一本槍の社会改革に熱意を燃やした進歩的な知識階級(管理人注:マルクスが唱えた科学的共産主義を指す。サヨクが天皇制は非科学的、聖徳太子が存在したかは不確実などと言うのもこれに同じ)もいまや人間の不可解さに沈潜している。そこには天皇という千年以上も続いた永続性の象徴に対する、ちょっとした好奇心、ちょっとした畏敬の念がある。政治の汚濁から超越し、日本社会の不思議な安定要素と見る人もいよう。

 あのヒヤリとした時代を経験した人びとにとっては感慨はひとしおである。私はドゥーマン夫人に電話で天皇訪米の発表を知らせると、コネチカットの田舎に余生を送っている未亡人は「グルーさんと主人は本当に闘いましたわ。日本に住んだことがあれば、日本にとって天皇がどんなに重要か理解できるはずです。陛下がいらっしゃるとは主人たちの政策が賢明だったと証明されることですね」と興奮して語った。知日派生き残りただ一人のボートンさんはただ「幸運だった。全く幸運だったと思う」と眼をしばたくのだった。

 天皇は温かい歓迎を受けよう。(了)




【写真出典】
・1983(昭和58)年 講談社 「写真図説 帝国連合艦隊-日本海軍100年史-」
・1954(昭和29)年 富士書苑 森高繁雄 「大東亜戦争写真史 特攻決戦篇」
・1995(平成7)年 毎日新聞社 「毎日ムック 戦後50年」