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2017/10/17

禁止兵器で虐殺された日本軍


北朝鮮と関係があるピースボートとノーベル平和賞受賞が決まったICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が日本に対し「核禁止条約を批准しろ」と迫っています。

日本がこんな条約を批准するのは亡国への早道です。大東亜戦争中、日本兵はハーグ条約で禁止されたダムダム弾で虐殺されました。

つまり、日本人は禁止兵器でごく普通に殺されたのです。

そしてその連合国の非人道的行為を非難する者はだれもいませんでした。


【ダムダム弾】
禁止兵器ダムダム弾1【出典】1932(昭和7)年 信夫淳平 「上海戦と国際法」 第三章 敵の兵種及び兵器 第四項 支那軍のダムダム弾の使用


ダムダム弾とはイギリスが植民地民を虐殺するために開発した銃弾で、鉛でできており、人体に入ると扁平に変形して骨を粉砕し、砕けた鉛が体内に飛散し、銃創も惨状をきわめる、被害者に大変な苦痛を与える銃弾だったそうです。

戦前日本はきまじめにハーグ条約やジュネーブ条約を遵守しましたが、連合国は軍縮会議の決定事項すら無視してじゃんじゃん艦船を建造し、原爆まで開発して日本に投下しました。

日本が条約を批准しようが、遵守しようが、ダムダム弾を使う国は使うし、核ミサイルを発射する国は発射してくるのです。

戦前から日本人には人権も人道も国際条約も適用されたことはありません

そもそも「人権」「人道」というのは共産党のプロパガンダで、彼らの破壊活動を容易にするための武器ですから、彼らが敵とみなす日本人に人権や人道を適用するはずがないのです。

日本人は人権や人道といったマヤカシを「とてつもなく崇高なもの」のように捉えていますが、その崇高なものは日本人にはいっさい与えられません。

国連や連合国が日本にゴリ押しする「人権」「人道」に日本人が圧迫を感じるのは、この日本人差別からくる不平等感が原因です。


日本人に国際条約は適用されないから原爆が投下されたのに条約を批准しろと要求するパラドックス

日本に原子爆弾を投下した共産主義者どもが何を言ってんだ? という話です。

第二次世界大戦と原爆で虐殺した日本人を宣伝の力でさらに圧迫して武装解除させる、これが共産主義者の正体です。


被爆者、核禁止条約批准を 国連で推進国やNGOイベント
2017年10月17日 共同通信

 【ニューヨーク共同】国連総会第1委員会(軍縮)が開かれているニューヨークの国連本部で16日、被爆者の証言を聞き、7月に採択された核兵器禁止条約への批准を求めるイベントが開かれた。日本の非政府組織(NGO)ピースボートと、条約を推進するオーストリアとコスタリカの国連代表部が共催した。

 ピースボート共同代表で、今年のノーベル平和賞受賞が決まった核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の川崎哲国際運営委員が司会を務め「(共催した)両国などの努力があって条約ができ、平和賞の受賞が決まった。できるだけ早く発効させたい」とあいさつした。


【海上自衛隊に護衛を頼んだピースボート
この船は北朝鮮の工作船で船内では性的に解放された共産主義者が乱〇パーティーを開催している、とのウワサがある。
禁止兵器ダムダム弾ピースボート1【参考記事】ピースボート、海上自衛隊の護衛でソマリア沖航海 「主張とギャップ」の声 ハフィントンポスト 2016年5月17日



1939(昭和14)年
従軍記者「背後からダムダム弾で狙撃された時の恐ろしかったこと」

ダムダム弾がハーグ条約で禁止されたのは1907(明治40)年でした。


禁止兵器ダムダム弾吉田さん証言1

禁止兵器ダムダム弾吉田さん証言2
江北大殲滅戦 血と汗・従軍報告 (上・下)
大阪朝日新聞 1939.6.5-1939.6.6 (昭和14)

(上) 十七日に百八十里 「歩く戦争」足の指から噴く血 「死の覚悟」送信の最中に敵襲

吉田(太) 皇軍の進撃が物凄いもんだから逃げおくれた敵が部隊を追及する我々一行とばったり遭うんだ、すると江戸の仇を長崎でといったやつで山の蔭からチェッコ機銃でドンドン撃ちまくるんだ、忘れもしない十七日から三日間、○○南方の山の中で彷徨した時はもう生きては帰れぬと覚悟したね
 背後からダムダムで狙撃された時の恐ろしかったこと、バンという音と同時に右足の靴に恐ろしい衝撃を受けた、とたんにもんどり打って一間ほど前につんのめったんだ、「やられたッ!」と思ったが、夢中で立上って走った、するとなんとヅンヅン走れるじゃないか、嬉しかったなあ、後から考えるとちょうど靴と土との間に弾丸が落ちたわけだ

【出典】神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 軍事(国防)(46-151)


日本人の美点はウィークポイント

戦前日本はご先祖さまに恥じないようにと条約を遵守しました。でもその日本人の美点は連合国にとって「都合のいいもの」でしかありませんでした。


出典:1952(昭和27)年 中央公論社 重光葵 「昭和之動乱」下巻 俘虜問題

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 敵愾心と人道問題

 戦争による敵対行為と、俘虜及び敵国人の取扱ひの人道問題とは全然別問題である。如何なる場合においても、日本人は人道上に欠くるところがあってはならない。この精神に欠くるところがあっては、日本人は伝統に反し、祖先に顔向けはならぬ。これは戦争の勝敗以上の問題である。記者(重光葵本人のこと)は立派な態度で戦争を遂行すれば、たとへ戦争がどうなっても、必ずや後に残るべき日本精神の上に、国際関係はまた快復し得る望みがある。とすら思った。

(中略)

 敵愾心の行き過ぎ

 記者が一九四三年四月、中央において外相の地位に就いた時は、開戦後すでに一年半足らずの時を経、俘虜または敵国人の取扱ひに関するヘーグ條約(ハーグ条約)及びゼネバ條約(ジュネーブ条約)を適用または準用する法律命令は、すでに国内的に確定公布せられてゐて、軍当局はこれによって更に軍命令を制定して、俘虜問題を措置してゐた。俘虜の取扱ひ及び情報交換については、前例により、特に陸軍省に俘虜管理部及び俘虜情報局が設けられた。


【戦艦ミズーリ号上で降伏文書に調印する重光葵】
重光葵_350


ダムダム弾だけでなく、条約で禁止された毒ガスでも殺された日本人

イギリスのダムダム弾製造拠点は鉛が採れる中国雲南でした。ソ連やフランスもダムダム弾を製造しており、製造されたダムダム弾は支那軍に支給されて日本人殺傷に使われ、航空機でインドに運ばれてインド人弾圧にも使用されていました。


出典:1940(昭和15)-1941(昭和16)年 清水園出版部 滝田錬太郎 「祖国を如何にして守るべきか? : 世界危機と国際作戦」

※管理人注:〔 〕内は管理人による注釈です。


 序文

 過労に次ぐ過労、絶望に次ぐ絶望の極、時には多くの自殺者、若干の××者をも出したる程の苦闘の苦闘──云〔い〕はゞ、一滴の雫〔しずく〕だになき苦闘の沙漠を饑〔飢〕餓と闘ひつつ行進するにも似たる苦闘を顧る時、飽くなきイギリス間諜軍の荒掠下にも、今尚、それのみは奪ひ去る事の出来得ざる四時〔しいじ:四季〕の光繁き祖国の太陽の下にこの書の生るゝを思へば、うたた感慨深きものがある。

とはいへ、世界再建=人類ルネッサンスの前奏曲たり得べきこの書の生るゝ今日、辛酸苦艱を共にいつゝ常に人類最後の運命を荷〔にな〕ひ来りし幾多有能なる戦友同志等、或〔ある〕ひはダムダム弾に倒れ、或ひは毒瓦斯(ガス)攻撃をうけ、或ひは電波攻撃を喰〔くら〕ひ、幾多の古き戦跡を語ると共に輝しき人類の未来史を描くわが戦列の中に発見し得るを得ざる者あるは、深き愴〔いた〕みと共に一抹の寂寞を感ぜざるを得ない次第である。


【在キューバ米国大使館に音響攻撃】
禁止兵器ダムダム弾在キューバ米大使館2【参考記事】在米キューバ大使館員、3分の2を追放へ 謎の「音響攻撃」で対抗措置 ハフィントンポスト 2017年10月3日

(中略)

 四、雲南に於ける英=仏の投資と軍需工場

 ダムダム弾。

 鉛が豊富に採れるのでダムダム弾を作る。日支事変中の凡(すべ)てのダムダム弾(よしや、中にはソ聯〔連〕のマーク入り、仏蘭西〔フランス〕マーク入りがあらうとも)はこの雲南からイギリス・スパイ軍によって搬〔はこ〕ばれて支那軍に支給されたものである。又印度〔インド〕で年中行事の様に土民がブッ放されてゐるダムダム弾、十万のイギリス・スパイ軍が世界の各地で使ってゐるダムダム弾の大部分は航空機によって此処〔ここ〕から搬出されたものである。



米国は"不必要な苦痛を与える兵器を禁止するハーグ条約"に加盟せず

1907(明治40)年8月、しぶっていたイギリスは条約に加盟しましたが、アメリカは加盟しませんでした。しかし条約に加盟したはずのイギリスはダムダム弾を製造し続け、支那事変では支那軍にダムダム弾を支給しました。

さらにたちの悪いことに日本が支那軍のダムダム弾使用に対して抗議すると、支那側は「ダムダム弾を使ったのは日本軍だ!」とドイツ人医師を証人として日本悪宣伝を展開しました。

そしてここでも日本人は外国人を日本人と同一視して「列国中に支那の言い分を信じる者がいないのは明瞭なことだから、言いわけをする必要はない」と言っています。


出典:1932(昭和7)年 信夫淳平 「上海戦と国際法」 第三章 敵の兵種及び兵器 第四項 支那軍のダムダム弾の使用

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 ダムダムの起源

 ダムダム弾とは、往昔(おうせき:すぎさったむかし)英国が印度(インド)のダムダムといふ地にある兵廠で創(はじめ)て造った銃弾で、弾の外包が中心全部を蓋包せず、隨(したが)って人体内に入りて展開し、又は扁平となり、それだけ苦痛を被害者に与へるといふ構造のものである。英国は一八九八年のオムドルマンの役(ナイル河を挟んでカールツムに相対する回教王(マージー)の首都 Omdurman で、キッチナー将軍曾(かつ)てマーヂー軍を同地に破り、その結果スーダンは埃及(エジプト)に併合せられ、英国の統治に帰したといふ記念的戦場である)に於て、当時英軍の使用せる銃弾は以て叛徒たる阿弗利加(アフリカ)番兵(蕃は未開の民族の意)の戦闘力を挫くに不充分なるを実験し、即ち右の蕃兵討伐のために特別の銃弾を造り出した。それがダムダム弾の由来である。

(中略)

【ダムダム所在地】
禁止兵器ダムダム弾ダムダム地図1

 右宣言と英米

 その後英国は一九〇七年八月にこの宣言に加盟したが、米国は之(これ)に加盟しなかった。けれども第二回海牙(ハーグ)平和会議議定の陸戦法規慣例規則第二十三條のホ号には『不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器投射物、其ノ他ノ物質ヲ用ユルコト』を特に禁止し、而(そ)して米国は同規則の調印団の一であるから、之に依りダムダム弾不使用の拘束を間接に受くるものと云へば云へるのである。

(中略)

 今次支那軍は盛(さかん)に使用した

 今次の上海戦に於て、支那軍が全線に亘(わた)り、殊に閘北(こうほく:現在の上海市閘北区)の戦闘に於て、ダムダム弾を盛に使用したことは、証跡歴として掩(おお)ひ得ない。我が陸戦隊の初期に於ける負傷兵にして佐世保海軍病院に後送せられたる者の中(うち)、ダムダム弾に依る銃創と認められた者は十一名とある。中にありて骨の破壊甚(はなは)だしく、且(かつ)射道附近に弾片を残せるもの三名、盲管創にして変形せる鉛片を摘出せるもの二名、尖端鉛より成るものと認めらるゝ銃丸を摘出せるもの一名、射入口に比し射出口著しく大で且射道に弾片を残せるもの二名、貫通銃創にして射道附近に多数の弾片を残せるもの二名、腰部に残留せる弾丸でX光線検査上尖端の変形せるもの一名あったと聞く。

これは二月半ばまでの分で、その後の負傷に係る者を加算すれば、蓋(けだ)し(まさしく。たしかに)之(これ)に倍蓰(ばいし:倍加)することであったらう。更に又我が陸軍兵のダムダム弾に依る死傷を調査したならば、何程の多きに上り居るか測り知れない。我が陸戦隊にては、同弾を二月五日四明公所占領の際約一千発、同月十四日中部小学校北方の松柏里街奪取の際約五百発から鹵獲(ろかく:戦勝の結果、敵の軍用品などを奪うこと)した。その後各方面に於て鹵獲したる数量も蓋し少なからざるべく、以て如何に支那軍がダムダム弾を巨多に積蔵且使用したかの一端を察知すべきである。

 然(しか)るに支那側にては、却って日本軍がダムダムを使用したと盛にぎぼう誣謗(ふぼう:事実を曲げて批判すること)した。二月十九日の国際連盟理事会にて支那代表顔恵慶は『日本軍がダムダム弾を使用することは独逸(ドイツ)人医師に依り確証せられたり』と述べ(その独逸人医師とはブーメなる者で、これは後に記する)、その他支那側では内外諸新聞紙や支那人の手に成る上海戦記などを藉(か)りて同様の誣謗を流布した。

(中略)

 列国の識者支那の宣伝に乗るまい

 要するに支那側にて、故(こと)さら日本兵のダムダム使用といふが如き荒誕無稽(原文ママ)の言を以て我方を誣(し)ゆる(しいる:ない事をあるようにして人をそしる)のは、畢竟(ひっきょう:つまるところ。つまり)一は彼等(かれら)自らダムダム弾を使用し居れるため予めその立場を擁護せんがためと、一は故意に日本軍にダムダム弾使用の無実の汚名を被せて国外与論を有利に導き、欧米列国の同情を博さんがための宣伝に外(ほか)ならない。しかも国際法規を厳守するに於て何(いず)れの文明国にも後(おく)れを取らざる我軍が、戦時法規の禁止するダムダム弾を使用するが如きことの絶対に有り得べからざるは列国識者の疾(と)く承知する所であらうから、如何に支那側が宣伝これ努めたりとて、列国中に一人の之を信ずる者なかりしは問はずして明瞭で、敢て説明や弁疏(べんそ:言いわけ)を要しない。



陸軍省「ダムダム弾の銃創は惨状を呈する」


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C11112020800:1937(昭和12)年 陸軍省 「6 治療の状況」

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 六、治療ノ概況

戦傷ニ対スル治療並(ナラビ)ニ続発伝染病ノ予防方針ニ就(ツイ)テハ既ニ江家宅及顧家角業務詳報ニ記述セシヲ以テ重複ヲ避ケ省略ス

一般ニ創傷ノ程度ハ前記二開設地ニ於ケルモノニ比シ重ク殊(コト)ニ「ダムダム弾」ニ依ルモノハ射出出入口共ニ大ニシテ惨状ヲ呈セリ





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