HOME > 従軍慰安婦 > title - 聞きあきた!!「牡丹江の日本軍慰安所に強制連行された」というウソ
2014/06/06

聞きあきた!!「牡丹江の日本軍慰安所に強制連行された」というウソ


自称元従軍慰安婦が「謝罪と賠償をしなければ日本は滅ぶ」と言っていますが、今にも滅びそうな韓国に「滅ぶ」と言われても困ります。

そもそも、韓国が滅びそうになっているのは、日本に関するデマを自国内や海外に広めたその結果ではないですか?

「日本は滅ぶ」と言った自称元従軍慰安婦も、李守山のように、牡丹江の日本軍慰安所に強制連行されたそうです。


【牡丹江の日本軍慰安所に強制連行されたと言う李守山】
従軍慰安婦李守山1

しかし、牡丹江に強制連行されたという自称元従軍慰安婦の証言には、おかしな点が4つあります。


1)当時の牡丹江はソビエト共産党(コミンテルン)、中国共産党、共産匪賊の巣窟で、日本軍が朝鮮人女性を強制連行できる場所ではないこと

2)太平洋戦争開戦後、満洲方面の日本軍兵力と武器・兵器は南方へ転進していること(終戦間近のソ連軍満洲侵攻で日本が受けた被害はこのせいで起きた。一般人男性も武装してソ連軍と戦った)

3)満洲には旧来朝鮮人移民が多く、「韓国の英雄」である共産匪賊がいたこと

4)日本軍の慰安所で働いたのならば、満洲警察への届出が必要なこと



自称元従軍慰安婦が「日本軍に強制連行された」と言うのは、こういった「事実」をすっ飛ばして、「日本は謝罪と賠償をするニダ!!」と糾弾したいからでしょう。


慰安婦犠牲者の姜日出「謝罪と賠償を行い許しを乞わねば、日本は滅ぶ」
2014年6月2日 東亜日報

先月30日バージニア州フェアファックス・カウンティ政府庁舎で開かれた慰安婦キリム平和公園開幕式に招待された慰安婦犠牲者、姜日出(カン・イルチュル、86)ハルモニは行事の途中、放生された蝶の羽ばたきのようにひょいひょいと‘蝶々踊り’を踊った。圧迫と野蛮の鎖を切って自由な世界に向かう身振りを人々は感動に充ちた視線で見守った。あまりに苦痛だった3年の慰安所生活。その試練だけでは足らず日本軍は彼女を生きたまま焼き殺そうとした。(中略)

慶北尚州郡化東面が故郷の彼女は1943年秋、わずか16才で日本刀を帯びた二人の日本巡査に強制的に引きずられて行った。他の幼い女性たちと一緒にトラックと汽車に乗せられ遠く中国まで連れていかれた彼女は牧丹江慰安所の赤いレンガ造りの家に収容された。



一目でわかる当時の牡丹江


1937(昭和12)年、支那事変が起きた年にはもう、満洲は共産勢力で真っ赤っかでした。

日本軍の戦争目的の一つはアジアから共産主義を排撃することでしたし、共産党は共産党で1920(大正9)年に一方的に日本を敵国認定(日本に皇室があり、日本が資本主義国だったため)していたので、そういうキ〇ガイ共産党の巣窟牡丹江に日本軍が朝鮮人女性を強制連行するために足を踏み入れるなど、するはずがないと思いませんか?

【当時の牡丹江周辺】
zaiman_kyousantou_keitouzu2.jpg【出典】1973(昭和48)年 東洋文化社 社会問題資料研究会 「思想情勢視察報告集(其の四)満州に於ける共産主義運動」所収 1937(昭和12)年 司法省刑事局 在満共産党組織系統図及領導系統竝(ならびに)交通関係図 

手薄だった満洲防衛


「牡丹江の日本軍慰安所」について、李守山は「毎日、日本兵が列をなした」と証言していますが、列をなすほど、当時の満洲に日本軍はいませんでした。それに満洲では終戦が近づくほど、ソ連軍機が越境してきて日本軍をバカにするように曲芸飛行を見せるなどし、不穏な緊張が満ちていました。

日本軍には武器も兵力もなく、そのような状況下で、朝鮮人従軍慰安婦を虐待している余裕があったでしょうか?


【満洲から12個師団が引き抜かれ、南方に転進した:資料】

出典:1958(昭和33)年 日本文芸社 「現代読本」第三巻 第五号所収 元新京航空隊司令部高級嘱託 関東軍報道隊員 作家 楳本捨三 「壮烈! 蘭花特別攻撃隊」  



飛べる飛行機が欲しい

 昭和十八年四月、連合艦隊司令長官元帥山本五十六の戦死以来、ようやく戦況は楽観を許さなくなった。この年五月十二日には、米軍がアッツ島に反抗上陸し、三十日、日本守備隊は全滅した。

 十九年五月五日には連合艦隊司令長官大将古賀峯一の戦死が公表された。そして、この真相は終戦後に至って戦死ではなかったことが語られたのである。

 クエゼリン、ルオット両島の日本守備隊全滅、ニューギニア、ビアク島への米軍逆上陸、あるいは、サイパン、グアム、テニヤンの玉砕と、悲風は相次いだのであった。

 この頃の満州はどうであったろう。かつて無敵を誇り、精鋭無比を呼号した関東軍は昔日の面影もなかった。北辺鎮護の重責をにない、敵味方から、恐るべき関東総軍とその実力を信じられていた関東軍に対して、多くの不信と怒りが投げつけられたのは終戦、そして終戦以後のことであった。

 しかし、それは関東軍のために、あまりに冷酷、理解なきことといわなければならなかったであろう。実に、北の守りはカガシ同然に立ち至っていたのだ。精鋭を誇った関東軍はすべて南方に投入されていたのである。

 十九年夏までに南方に転戦した各師団をあげてみるなら、

二月(第二九師団-グアム)
  (第一四師団-パラオ)

六月(第九師団-沖縄-後台湾)
  (第二八師団-宮古島)
  (第六八師団-台湾-後レイテ)

七月(第一師団-ルソン-後レイテ)
  (第八師団-ルソン)
  (第二四師団-沖縄)
  (戦車第二師団-ルソン)

 ほかに第一二師団、第七一師団、第二三師団、計十二個師団がひきぬかれていたのである。

(中略)

 満州には第二空軍(軍司令官板花中将)が厳として存在していた。しかし、厳として存在していたのは空軍司令部だけであったといっても過言ではなかったろう。




【満洲の武器、兵器も南方へ移送、ソ連侵攻に当り一般人男性が武装した:資料】

出典:1958(昭和33)年 日本文芸社 「現代読本」第三巻 第五号所収 元綏芬河(すいふんが) 特務機関 北野征夫 「痛恨! ソ満国境部隊の奮戦」 



戦雲ただよう国境の町

 まだ北東の一隅に不気味な雷雲が低迷してはいたが、満州の八月にしては、すがすがし過ぎるくらい、からりと晴れ渡った八月八日の夕は、涼風をただよわせながら、今日も静かに暮れていった。

 しかし日本軍がガダルカナルに転進、南方の悲報が伝わるたびに、毎日、ソ満国境線を彷徨して、情報を集めていたわれわれは、何か物騒な圧力を感じていた。

こうするうち、八月に入ると、国境の町綏芬河からは、夜になると満鮮人が馬車をつらねて、荷物の移動を開始するようになり、夜の街の一人歩きはちょっと、心細い状態になった。それでもなお街々には、最後の勝利の信念をもった歩兵一個大隊だけの、綏芬河守備隊が残されていた。

(中略)

突如ソ連の越境侵入

 日はすでに上って六時を大分過ぎたころ、駐屯地命令が出て、邦人の男子は武装をととのえて天長山陣地にはいること……婦女子および満鮮露系は、洞河沙洞を経て穆稜(りょうりょう)に向い避難すること……と伝達されてきた。

戦力なき前線陣地

 ところが巨額の資材をつぎこんで構築された、この前線陣地は、坑道も銃砲座もすわっているが、肝心の機銃と砲は全部取りはずして、すでに南方の戦に廻してしまったあとなのだ。



【陸軍省軍務局:北支方面兵力削減計画】

出典:1979(昭和54)年 芙蓉書房 上法快男著 「陸軍省軍務局」 四 昭和期の軍備充実と軍務局 (二)更改軍備充実計画(三号軍備)昭和十五年七月



 六月一日から六日まで、北支、南支、第十三軍(第十一軍は宜昌作戦の最中であるので後まわしにすることとした)の主任参謀も集まって、当面支那派遣軍から八万の兵数を削減するため、右の各方面に削減数の割当を行う会議を行った。各軍参謀は兵力の不足を感じているので、始めから削減を拒否した。しかし強引に削減案を割当てて折衝した。

例えば北支方面軍には二万五千人の削減を提示したが、田村大佐は一万以上はできないと頑張った。二日がかりの折衝で、結局二万に落着いた。その他の軍も同様な状況であった。まことにみみっちい取引であった。

 この削減が、軍備充実とその後の情勢の激変に伴う兵力運用に、果してどれだけ役に立ったか疑問である。次章に述べる関特演に伴い、支那から数コ師団の兵力を引抜く準備をしたことなどを考えると、全く意味をなさないものであった。

 実際のところ、国の運命を根本的に考えるならば、八万や十万の削減ではなく、八十五万の在支軍を全部引上げるため、極度に条件を緩和して支那と和平をしなければならなかったのである。



日本の資料はどこから拾ってきても『北支那、満洲方面の兵力は削減されていた』と、内容が一致しています。

満洲には自称元従軍慰安婦の同胞がたくさんいた


さらに満洲には、韓国が誇らしげに「義勇軍」などと呼ぶ共産匪賊(在満極左不逞鮮人団体。鮮匪ともいう)が中国共産党とソビエト共産党に金で飼われていました。


出典:1973(昭和48)年 東洋文化社 社会問題資料研究会 「思想情勢視察報告集(其の四)満州に於ける共産主義運動」所収 昭和十二年 司法省刑事局 「満洲に於ける中国共産党と共産匪 第三編 余論」



 満洲に於ける鮮匪(せんぴ)は其(その)起源明治四十三年八月二十二日の韓国併合条約調印直後、日本の施政に不平を抱ける急進分子が、其(その)身の危険を感じ、安住の地を満洲に求めて朝鮮を脱出、中国の援助下に韓国独立運動を標榜したるに始まり、当初は其(その)勢力微々たるものなりし



"英雄"共産匪賊 は武器を所持していたのに、日本軍に強制連行されて行く同胞女性を救出できなかったようです。

【朝鮮革命軍編成表】
chousen_kakumeigun.jpg

【武器も所持していた朝鮮革命軍】
小 隊 長 名隊員(人)小銃(挺)拳銃(挺)軽機関銃(銃)
第一小隊長 金徳成2535--
第二小隊長 金龍泰2614-1
第三小隊長 金東浩3015--
第四小隊長   欠24174-
第五小隊長 梁鳳雄352051
第六小隊長 光 炳2514--
第七小隊長 金東浩2620-1
合    計20112593
【出典】1973(昭和48)年 東洋文化社 社会問題資料研究会 「思想情勢視察報告集(其の四)満州に於ける共産主義運動」所収  昭和十二年 司法省刑事局 「満洲に於ける中国共産党と共産匪」

日本軍の慰安所に行ったのなら、警察届出が必要


姜日出が本当に満洲の日本軍慰安所で働いたのならば、満州警察に届出が必要でした。こういった記録や書類に自称元従軍慰安婦の名前がないから、「強制連行」をデッチあげたり、「日本軍が焼いた」などと荒唐無稽なことを言うのではないでしょうか?


出典:1941(昭和16)年 大同印書館編集部編 「満洲帝国現行法令類纂.第2巻」  408-42 芸妓、酌婦取締規則(康徳四年十一月三十日治安部令 第二九号)



第一条 芸妓又は酌婦たらんとするものは営業主と連署し左の事項を具し所轄警察官署に願出で許可を受くべし

一 本籍、住所、氏名(芸名を併記すること)生年月日

二 寄寓の場所及商号

三 就業の事由

四 略歴

前項の申請書には戸籍謄本又は之(これ)に代るべきもの医師の健康診断書、名刺型写真、契約書、妻に在りては夫、未成年者なるときは法定代理人の承諾書(承諾を与うべきものなきときは其の事由書)を添附すべし

契約を変更せんとするときは営業主と連署し所轄警察官署の認可を受くべし

第二条 左の各号の一に該当するときは芸妓、酌婦の許可を為(な)さず

一 正当の事由なく夫又は法定代理人の承諾なき者

二 芸妓に在りては満十四歳酌婦に在りては満十七歳以下の者



特亜三国よ、

はよ滅べ!!!!!




関連記事
スポンサーサイト