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2014/05/23

舞の海氏が排外発言?「海ゆかば」は天皇に仕える異民族の喜びの歌


昭和天皇万歳集会で、舞の海秀平氏が角界のモンゴル力士を「蒙古襲来」になぞらえ、それが「排外発言」に当たると書いた記事があります。

「蒙古襲来」は高麗が元をそそのかしたことが原因と言われていますから、「蒙古」と言われてよかったではないですか?

それとも「高麗が蒙古をそそのかして対馬を侵略した」と真実を語った方がよかったのでしょうか?

それからもう一つ、この記事の終りには

「天皇のために人々が犠牲となる『海ゆかば』」

と間違ったことが書かれています。

「海ゆかば」は太古、蝦夷族や隼人族といった異民族が天皇に禁衛(国防)を任された喜びを、国防を司っていた大伴氏の大伴家持が歌にしたもので、天皇のために「死ね」と命令された歌ではありません。

異民族が「天皇のおそばにお仕えし、お守りするこの喜びよ」と歌っているのです。

【「海ゆかば」の作詞者大伴家持】
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“昭和天皇万歳”集会で――舞の海氏が排外発言
週刊金曜日 2014年5月22日 

 改憲を唱える政治団体が4月29日、東京・明治神宮会館で開いた「昭和の日をお祝いする集い」で、厚労政務官・高鳥修一衆院議員(自民)らを先頭に、来賓と全参加者約250人が起立し、“聖寿万歳”と称し「天皇陛下万歳」を大合唱した。この日は昭和天皇の死去後、みどりの日になったが2005年に昭和の日に法改正。主催団体であるNPO法人「昭和の日ネットワーク」は、吉見義明中央大学教授の従軍「慰安婦」問題訴訟で被告・桜内文城衆院議員(維新)の代理人を務めている高池勝彦弁護士の事務所に連絡先を置く。

「昭和天皇と大相撲」と題し“記念講演”をした舞の海秀平氏が「外国人力士が強くなり過ぎ、相撲を見なくなる人が多くなった。NHK解説では言えないが、蒙古襲来だ。外国人力士を排除したらいいと言う人がいる」と語ると、参加者から拍手が湧いた。“日の丸”旗を手にした男性が「頑張れよ」と叫び、会場は排外主義的空気が顕著になった。さらに舞の海氏が「天覧相撲の再開が必要だ。日本に天皇がいたからこそ、大相撲は生き延びてこられた。天皇という大きな懐の中で生かされていると感じる。皇室の安泰を」と結ぶと、大拍手が起こっていた。

 最後の拓殖大学吹奏楽部による記念演奏会は“昭和のメロディー”と題されたものだが、「陸軍分列行進曲」「軍艦行進曲」など、軍歌が多かった。天皇のために人々が犠牲となる「海ゆかば」は、筆者を除く全員が起立斉唱していた

(永野厚男・教育ライター、5月9日号)



【海行かば】


古代に「マルクス思想」はなかった


戦後、左翼が必死になって

天皇家は国民の頂点だ

と、マルクス思想に根ざした「階級制度」を広めましたが、その宣伝はしょせん外国製の外国王室向けの思想でしかなく、皇室を中心として社会を組織する日本の国体「天皇中心思想」にはあてはまりません。

戦後、赤色GHQに破壊されるまで、日本国は「一大家族国家」として発展し、日本国民は「大御親(おおみおや)」であらせられる天皇を中心とする大きな家族として、古代から国の仕事は各氏族、各家で分担する分業制がとられてきました。

この制度を「氏族制度」といって、明治維新までは世襲制で代々氏族や家の仕事を受け継いでいました。

「海ゆかば」を歌った大伴家持の大伴氏は、久米氏とともに天皇に隋(したが)い奉る禁衛(宮中の警護、国防)を司る氏族でした。

久米氏が率いた近衛兵久米部は、当時異民族だった隼人族から徴募された兵士で組織された部で、久米氏が衰えたのち、久米部は大伴部とともに大伴氏に専属することになりました。

のち、雄略天皇の御世からは佐伯部という部が、蝦夷族(異民族)によって組織され、大伴氏の専属となりました(古代は大氏>小氏>部>曲といった形で氏族の中で更なる分業制がとられていた)。

古代、禁衛は天皇のおそばに仕え、天皇をお守りし、また国防をになう大変重い役職でした。また役職は世襲制でしたので、隼人族、蝦夷族は身分も経済的にも安定したので、天皇の思し召しに感激しつつ職務を遂行したのです。

その異民族の喜びを歌にしたものが「海ゆかば」です。

国防に異民族を使うのは異民族差別ではないか?


共産主義者なら、そう思うでしょう。

しかし、古代日本の国防は、ローマ帝国のように国民が兵役をいやがったから異民族を使ったのではなく、異民族も同じ日本の民として扱い、反乱を起すかも知れないという疑念ではなく、信頼をもって異民族に接したという証です。

こういう形こそ、本当の「平等」でしょう?
現在日本で権利ばかりを主張する外国人とは異なる点です。


戦時中、曲がついた部分は「海ゆかば」の冒頭で、まだ続きの詞があります。最後のところで、隼人族と蝦夷族は

我をおきてまた人はあらじと、彌(いや)立ちて思ひし増る

(我をおいて大君を守る者はなしと、真っ先に立ち思いは増する)

と歌っています。「海ゆかば」は決して

天皇のために「死ね」と言われた歌

ではありません。

ついでに言ってしまうと、現在、日本で「日本人は排外主義者」だの「日本人はレイシスト」だのと言っている人々は、日本の歴史を知らず、日本の国体にまったく合致しないマルクス思想をふりかざしている外国人です。


本記事の資料



出典:1938(昭和13)年 同文書院 新見吉治著「すめらみくに」
    第五章 国体の精華 三、階級制度



 久米氏の率いた近衛兵久米部というは最初は隼人族から徴募せられた兵士であった。それが世襲の衛門職となり、名負氏人となり、大伴部久米部というた。

久米氏衰えて後久米部は大伴部と共に大伴氏に専属し、時には靱負部として知られた。雄略天皇の御代より佐伯部というが蝦夷を以て組織せられて、衛門の兵士として最も重きをなした。東人ともいわれた。維新前まで左右衛門兵衛という称呼が民間に多かったことも皇室中心思想の一例である。

 こういうように天皇が隼人や蝦夷のような異民族を以て近衛兵とせられたことは、ローマ帝国の晩年に至り、帝国内の国民が兵役に就くことを好まぬようになったから、外国人をして国境防衛に当らしめたとは違い、未(ま)だ十分に皇化に浴せざる皇国の両極地の人民を以て、衛門の光栄ある任務を負わされたということは何たる宏量の御処置であったであろうか。この光栄ある兵士等また皇恩に感激、滅私奉公の誠心を磨いたことであろう。

 大伴の家持が其(その)氏人の伝統的精神を詠じた歌に


 大伴の遠つ神祖の、其の名をば大来目主と、負ひ持ちて什へし官(つかさ)、

 海行かば水漬(つ)く屍、山行かば草生(む)す屍、大君の邊にこそ死なめ、

 顧みはせじ
と言立て、丈夫(ますらを)の清き其の名を、

 古(いにしえ)よ今の現(うつつ)に流さへる祖の子どもぞ、

 大伴と佐伯の氏は、人の祖の立つる言立て、人の子の祖の名絶たず、

 大君に奉仕(まつろ)ふものと、言い継げる言の職ぞ梓弓手に取り持ちて、

 剣太刀腰に取り佩き、朝守り、夕の守りに大王の御門の守護(まもり)、

 我をおきてまた人はあらじと、彌立ちて思ひし増る、

 大皇(おほきみ)の御言の幸(さき)の貴(とうと)くしあれば


とある。

 

余談ですが、

大伴、久米、佐伯、中臣、忌部、玉造、山守、土師、菅、精華、清原、中原、坂上、三善、安倍、加茂、和気、丹波

といった姓は、古代氏族が天皇から賜った姓ですので、通名に使っている外国人もいるでしょうが、皇室に最も近い姓をわざわざ名乗るのはどんな気持なのでしょうね?




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