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2014/05/21

中国軍の軍事顧問はナチスドイツだった


白人の犬中共さまが「アジア支配」へ野望を抱いているそうです。


習主席、「アジア支配」へ野望=米秩序の対立軸狙う-周辺国と摩擦拡大・中国
2014年5月21日 時事ドットコム

 【上海時事】中国の習近平国家主席は21日、上海で開催されたアジア相互協力信頼醸成会議(CICA)首脳会議で、「アジアの安全はアジアの国民によって守られなければならない」と述べ、「米国抜き」のアジア安全保障の枠組み構築に向け主導権を握る意向を示した。米国中心の価値観への対立軸を構築し、その勢力拡大を図ることが狙い。「アジア支配」の野望をあらわにし、日米や周辺国との摩擦が深まるのは必至だ。



日本人として言わせていただきますけれども、日本が「アジアの安全をアジアの国民によって守ろう」とした時、中共さまとその子分の朝鮮人は何をしました?

白人に金をもらって、アジアを白人に売ったではないですか?

そしていまだに白人と口を合わせて、日本を「侵略国」呼ばわりしているのはどこの国ですか?

白人と戦う勇気もなく、白人に媚びへつらい、白人製のマルクス思想に染まって、まるで白人のようにアジア人を弾圧・虐殺している中国が「アジアの安全」を守れますか?

中国が「アジアの秩序」になるならば、中国は中国のみでなく、今度こそアジア全体を白人に売り渡すでしょう。

【ウイグルの悲劇 中国の狙いは民族絶滅】


【チベットにおける中国軍の蛮行】


かたや日本は、中共さまとは正反対で、白人のアジア侵略(領土・経済・思想侵略)と戦いました。

特亜が知らない歴史「大東亜共同宣言」採択


日本は「大東亜共同宣言」採択により、日本と心あるアジア諸国は大東亜戦争を共有しました。一方、中共、韓国、北朝鮮は事大による白人崇拝により連合国側に加担、アジアを白人に売った犬です。


出典:1952 (昭和27)年 中央公論社 重光葵著 「昭和之動乱」下巻 大東亜宣言 昭和十八年



 一九四三年秋十一月に、東京において歴史的大東亜会議が開催された。自覚したる東亜民族の会合であって、アジア人の考える世界観を協議宣言せんとするものであった。

東亜の独立国として、これに列席したものは支那(陥落後の南京で組織された防共親日中国人による南京維新政府)、満洲国泰国(タイ)フィリッピン(日本が独立国として承認した)、ビルマ(現ミャンマー)及び日本であって、自由印度仮政府も参加した。

日本は戦争末期において、インドネシアにも安南(フランス領時代のベトナム北部から中部を指す)にも独立承認を与えたが、この会議には間に合わなかった。出席者は汪兆銘(支那)、張景恵(満州国)、ワンワイ公(泰)、ラウレル(フィリッピン)、バーモ(ビルマ)、チャンドラ・ボース(印度)及び東條(日本)の諸氏で、日本代表者が選ばれて司会した。

 この会議において、一つの共同宣言が採択せられた。この宣言は、大東亜各民族が、独立平等の立場において相互に主権を尊重し、共存共栄の精神に則って東亜の発展向上のために、相互に協力することを決定し、通商の自由、文化の交流を行うことを宣言し、アジアの解放及び復興のために戦い抜くことを誓ったものである。



【大東亜共同宣言】

出典:1952(昭和27)年 中央公論社 重光葵著 「昭和之動乱」下巻 資料


 大東亜共同宣言

抑々世界各国が各其の所を得相倚(よ)り相扶(たす)けて萬邦共栄の楽を偕(とも)にするは世界平和確立の根本要義たり

然(しかる)は米英は自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行い大東亜隷属化の野望を逞(たくまし)うし遂には大東亜の安定を根底より覆さんとせり

大東亜戦争の原因玆(ここ)に存す

大東亜各国は相提携して大東亜戦争を完遂し大東亜を米英の桎梏(管理人注:手かせと足かせ。きびしく縛って自由にさせないこと)より解放して其の自存自衛を全うし左の綱領に基き大東亜を建設し以て世界平和の確立に寄与せんことを期す

一、大東亜各国は協同して大東亜の安定を確保し道義に基く共存共栄の秩序を建設す

二、大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦の実を挙げ大東亜の親和を確立す

三、大東亜各国は相互に其の伝統を尊重し各民族の創造性を伸暢し大東亜の文化を昂揚す

四、大東亜各国は互恵の下緊密に提携し其の経済発展を図り大東亜の繁栄を増進す

五、大東亜各国は萬邦との交誼を篤(あつ)うし人種的差別を撤廃し普(あまね)く文化を交流し進んで資源を開放し以て世界の進運に貢献す



白人に媚びる中国 軍事顧問はナチスドイツだった


中国と韓国は、日本とナチスドイツを同一視するプロパガンダ(宣伝)を世界に垂れ流していますが、戦前中国軍の軍事顧問はナチスドイツでした。

【ナチスドイツ in 中国】
ナチスドイツと日本軍。ナチスドイツが中国にいたのは動かしようのない事実。
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国民党軍の軍事顧問はナチスドイツ、中国共産党軍の軍事顧問はソ連から派遣された軍官と元ナチスドイツの軍人でした。

国民党軍の軍事顧問は国共合作時代、ソ連が派遣したロシア人でしたが、蒋介石は第一次国共合作を解消したのち、軍事顧問をナチスドイツに依頼しました。

ナチスドイツは「反共」でしたので、国共合作を解消した蒋介石の要請に応じることにし、「日独伊防共協定(のちの日独伊三国同盟)」締結までナチスドイツの軍人を中国に派遣し続けました。

日本はナチスドイツ治下のドイツで日本人差別が激しかったこともあり、ナチスドイツとは日独防共協定を締結しただけの関係でしたが、「日本とナチスドイツは同じだ!」というプロパガンダを垂れ流している中国はナチスドイツにどっぷり依存していたのですから、笑うしかありません。

ナチスドイツの人種差別は、当時、南米などの有色人種圏でも問題視され、抗議活動が行われています。正しい歴史を知らないのは、本当に悲しいことですね。


蒋介石国民党軍の軍事顧問はナチスドイツだった

【蒋介石、ナチスドイツに軍事顧問を乞う】
ナチスドイツが蒋介石の要請にこたえたのは、中国の権益が目当てだったこともある。

出典:1940(昭和15)年 生活社 クルト・ブロッホ著 「極東に於ける独逸の権益と政策」  20ページ 第三章 支那の軍備再組織に於ける独逸(ドイツ)の指導



 蒋介石が露西亜(ロシア)人の顧問を放逐した後に、独逸の軍事専門家を求めたことは驚くべきことではない。国民主義の熱が高まりつつある限り、「帝国主義」諸国の一つよりの軍事顧問を露西亜の顧問に代えることは明白に不可能であった。且つ独逸の軍事上の名声は普仏戦争以来極東に於ては高く評価せられていた。

 更に筆者に与えられた信拠すべき報告に依れば、独逸の某工業団体が蒋介石にワルター・バウエル大佐(世界大戦に於てルーデンドルフ将軍麾下の作戦部長)を招聘し支那の国民軍隊の建設を援助せしめんことを暗示したのは事実と思われる。

(中略)

バウエルは一九二七年十一月広東に到着し、一九二八年春に帰国したが、直ぐに引続き支那の使節が独逸に赴いた。ところが当時の独逸政府は支那に独逸の軍事顧問を派遣するバウエル案に賛成しなかった。バウエルはルーデンドルフ及びヒトラーの友として時の政府と折合がよくなかったが彼に帰せられた行動に対する下記の「否定文」を発表した。
 


【ナチスドイツが中国を去る時、蒋介石は盛大な送別会を開いた】

出典:1939(昭和14)年 日本国際協会 赤松祐之著 「昭和十三年の国際情勢(一九三八年)」 第十八章 独逸大使及び軍事顧問の引揚



 日支事変に対する独逸政府の態度の一表現として、駐支独逸大使トラウトマンが六月廿六日漢口出発帰国した。又支那政府に軍事顧問として傭聘されていた独逸人二十数名も、ヒトラー総統の命令一下引揚げることに決定、ファルケンハウゼン将軍以下全部が七月五日漢口を離れた。

軍事顧問の引揚げに対しては、蒋介石政府は百方手を尽して之(これ)を阻止せんと試みたが、遂に及ばず、結局諦めて盛大な送別会を開いて一行を送った。 


中国共産党軍の軍事顧問は元ドイツ軍人だった


出典:1953(昭和28)年 筑摩書房 エドガー・スノウ著 宇佐美誠次郎訳 「中国の赤い星」 三 保安にて



 1 ソヴィエトの巨頭

 私は一時ソヴィエト政府(管理人注:毛沢東が首席を勤めた中国ソビエト政府のこと)の賓客となった。私が到着したので、保安の外人数はふえたわけである。

ほかの西洋人は、李徳(リデー)同志と呼ばれた一ドイツ人であった。かれは元ドイツ軍の高級将校で、紅軍と共にある唯一の外人軍人顧問(ヒットラーにとってはまったくいまいましいことだが)である。

【中国ソビエト政府首席毛沢東】
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