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2014/04/27

ナチスドイツに差別・排斥された日本人


日本の近隣に「日本=ナチスドイツ」と思いこんでいる国々があるようです。それらの国々は、日本とナチスドイツがズブズブの仲良しで、いっしょに世界を侵略したかのように思っているようですが、実際は違います。

ナチスドイツは日本人を「黄貨(ゲルベ・ワーレン)」または「ヤップ」と呼んで、差別していました。「黄(ゲルブ)」という言葉は、日本人に対する憎悪と侮辱を意味しています。


国連で「日本とナチスドイツは同じ」とブチあげたバ韓国

さらに「従軍慰安婦はホロコーストニダ!!」と発言。黄色人種を差別したドイツ人やユダヤ人と同じになりたがる朝鮮人。 彼らは本当に「歴史」を知らない。
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我ら日本人にとっての「黄(ゲルブ)」は、白人が使う「ジャップ」、中国が使う「小日本」、「日本鬼子」、朝鮮人が使う「倭奴」、「倭猿」に等しい侮蔑語・差別語です。

最近、中国と韓国が共闘して、世界中に「日本はナチスドイツと同じ、中国人・韓国人はユダヤ人と同じ」という宣伝(プロパガンダ)を広めようとしていますが、この宣伝が世界(特にドイツとイスラエル)に拒否されるのは当然のことなのです。

中華思想という選民思想と共産主義思想の反帝国主義闘争で日本を侮辱する特亜こそ、特異な人種観でユダヤ人と有色人種を差別したナチスドイツと同じです。

日本人はナチスドイツに差別されていたので強制連行や虐殺など、ナチスまがいのことをやるはずがありませんし、白人に対する依存心が強い特亜のように「ナチスドイツは友邦だ、友軍だ」と思うこともなかったのです。なので現代の日本人にも、ナチスドイツに対する親近感のようなものはありません。

ドイツ少年による日本人少女殴打事件


ナチスドイツは「アリアン種は優秀な人種である」という人種観から、

『ユダヤ人、ネグロ(黒人)、およびその他の有色人種』

を劣等人種とし、実際に排斥・迫害しました。

1933(昭和8)年、ドイツでドイツ人少年に日本人少女が棒で顔を殴られるという事件が発生しました。この事件に対し、永井駐独大使は日本政府の訓令を待たず、ただちにドイツ政府に抗議しました。

それほど、ナチスドイツ治下のドイツでは人種差別が横行しており、当時の在独日本人にとってこの事件は見すごすことのできないものだったのです。

その後、ナチス政府は日本政府になんの通告もなしに人絹輸入制限を実施しました。その結果、ハムブルグに輸送された貨物船二隻分の日本の人絹がむだになってしまうという事件も起きました。

1934(昭和9)年にはベルリンで開催されたドイツ内相の講演「第三国家の人種法制」に出席した日本人が、ナチス党綱領の異人種排斥に関する部分と、ヒトラーの「我が闘争」中の日本差別の記述について追求しています。

この日本人の追求に対し、ドイツ内相フリックは「他に用事がある」と言って、さっさと逃亡してしまいました。

この他にも、東京駐在ドイツ大使館員が日本の新聞社をたずねて「あなた方の在独特派員がドイツの人種差別について書きたてているのは遺憾である、場合によってはその特派員をドイツから立ち退かせる」と抗議したりもしています。

このように、ナチスドイツは程度こそ違えど、日本人とユダヤ人を差別・排斥していました。ここで、『ではなぜ、日本とナチスドイツは三国同盟を締結したのか?』という疑問が湧いてきます。

日本がナチスドイツと日独防共協定のちの三国同盟を締結したのは、『ソ連の南下と思想侵略を防止する』という対ソ問題で一致しただけのことです。

「日本とナチスドイツの関係は、対ソ問題以外では稀薄だった」と、当時の外交官・政治家だった重光葵(しげみつまもる)も言及しています。

なので、中国と韓国の「日本はナチスドイツと同じ」という宣伝は、彼らの歴史観と同じく、事実をねじ曲げて作った異常なものなのです。

本記事の資料


日本人少女殴打事件-国際問題化したドイツ人の日本人差別
「黄禍(ゲルベ・ゲファル)」という言葉を使い始めたのはドイツ皇帝ウィルヘルム二世である


出典:1988(昭和63)年 文藝春秋 「『文藝春秋』にみる昭和史」
   第一巻所収 鈴木東民「ナチスは日本に好意をもつか」
    (「文藝春秋」昭和9年6月号掲載」)




 日本の少女が、ドイツの少年のために殴打されて、顔に傷を負うた事件が、去年の十月にベルリンで起った。普段なれば、それはたいして問題とさるべき性質のものでなかったかもしれない。

しかし当時のドイツ国内の雰囲気というものは、いままでとはまるで違っていたので、ドイツ在住の邦人等は、この事件をば単純な個人的問題として、看過する気にはなれなかった。

この事件が起るや、外務省でも特に慎重派と言われる永井駐独大使は、本国政府の訓令を待たず独断でただちにドイツ政府に抗議した。

 何故(なぜ)この事件はそうまで重大視されなければならなかったか。それは有色人種に対する差別観念に根ざしたものだったからだ。

ナチスのひとりよがりな人種観は、ユダヤ人にばかりでなく、有色人種にまで、その排撃の鉾(ほこ)をむけてきたのだ。彼らは小学校の児童にまでアリアン人種は人種中のもっともすぐれたものであり、ユダヤ人と有色人種とはもっとも劣等なものだということを教え込んだ。

 ある日本人が小学校の児童に、日本の風景や風俗をうつした写真帖(帳)をくれた。するとその子供は、学校で先生に、『それは劣等な人種の風俗や習慣をうつしたものだから棄(す)ててしまえ』と言われたと言って、数日後にそれを返しに来た。これは実際にあった話である。

こうした学校の雰囲気の中で、日本の少女がしばしば不愉快な思いをしなければならなかったであろうことは容易に想像できる。この少女が負傷したのは、「ヤップ」という侮辱の言葉を浴びせられたのに対し、抗弁したために、棒ぎれで顔をぶたれたのだ。

永井大使の抗議は少女殴打事件そのものだけに対してなされたのではなく、それをきっかけに、ナチスの不合理にして、危険な人種差別観に対してなされたものであった。

 永井大使の抗議をうけて狼狽したドイツ政府は、外務次官フォン・ビュウロオを弁解の使者に立てた。フォン・ビュウロオの言うところはこうだった。

ナチスの排斥しているのはユダヤ人とネグロだけだ。決して日本人に対して差別観念を抱いているわけではない。けれども文字で表現する場合には「ユダヤ人、ネグロおよびその他の有色人種」となるものだから、つい日本人を含んでいるかのようにとられてしまうのだ。これにはわれわれも実際困っている。それでわれわれは今、一生懸命に、その適切な表現方法を研究中だから、しばらく抗議の手をゆるめていただきたいと。

 こんな子供だましみたいな弁解で、もとより永井大使が満足するはずはなかった。

 ナチス政府が、日本人のために、適切な表現の文句をまだ発見しかねているうちに、またもや抗議の火の手は別の方面からあげられた。

ドイツの巡洋艦が、コロムボかどこかの港に入ったとき、艦上でレセプションを催すことになったが、土地の新聞は、「ドイツ政府はわれわれ有色人種を排斥しているから、それに対する報復として、レセプションをボイコットせよ」と書き立てた。レセプションの当日は、ひとりも招待に応じたものがなかった。いかに旅の恥でも、これだけはかき棄てというわけにゆかなかった。

内相フリックは大あわてにあわてて声明を出した。それは去年の十二月五日のことだった。フリックの声明の要旨は、ドイツ政府が排斥するのはユダヤ人だけで、他の人種は絶対に排斥しない。外国人がドイツの国内で生活し、その子弟をドイツの学校に学ばせることに対しては、ドイツ政府は何らの制限を加えるものでないことを特に強調したいというのであった。

 実際は有色人種を排斥しておきながら、どこまでもしらばくれようとするところに、ナチス一流のクソずうずうしさがある。

 彼らが日本人に対して差別観念を抱いている証拠には、ヒトラアの政府はこの少女殴打事件が起る前に、その母が日本婦人であるとの理由で、一人の官吏を馘(くびき)っている。彼の名はオットオ・ウルハン、その父親はいわゆるアリアン人種で、彼ももちろんドイツの国籍をもっているのだが、その母親が日本婦人だとの理由でその職を追われたのだ。

これはドイツの官吏法第三条を適用されたもので、それには、「アリアン種にあらざる官吏は解職さるるものとす」とある。この条文はユダヤ人だけに適用されるものと一般には信ぜられているが、事実はそうではない。日本人にも実際、適用されているのだ。

フォン・ビュウロオやフリックが、いかに口先だけでごまかそうとしても事実は蔽(おお)うことができない。ナチスはわれわれ日本人を、ユダヤ人と同様に排斥しているのだ。

 日本とドイツとの貿易関係は、日本の対独輸出額一に対し、ドイツの対日輸出額五の割合になっている。にもかかわらず、ナチスの新聞は、さかんに日貨排斥を書き立てた。『黄貨(ゲルベ・ワアレン)の脅威』などという文句を遠慮会釈もなく使ったものだ。

日本人に対して彼らが「黄(ゲルブ)」という言葉を用いるときには、それは必ず侮辱を意味する。廃帝(カイザア)ウイルヘルム二世が、「黄禍(ゲルベ・ゲファル)」という言葉を用いたのは、日本人に対する彼の憎悪と侮辱感とのあらわれである。

彼の『黄禍論』に憤慨したほどの日本人は、ナチスの「黄貨」排斥論を黙過することはできぬだろう。



重光葵「日独関係は稀薄である」


出典:1952(昭和27)年 中央公論社 重光葵著 「昭和之動乱」上巻 三国同盟 その一



 元来、日本とドイツとの関係は、防共協定締結の経緯によってあきらかなように、ソ連を挟む両国の地位から来たものであって、対ソ問題を外(ほか)にしては、両国の関係は稀薄であった。


※管理人注:ソ連をはさむ日独の地位とは?

ナチスドイツがヨーロッパ方面から、日本が背後からソ連を刺す。これにおびえたソ連(コミンテルン)は中国人、朝鮮人を煽動して反日満運動を起こさせ、日本軍を挑発して南下させた。
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