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2018/05/09

殺戮者の群れアメリカ第58機動部隊の破壊力と日本軍


米海軍第58機動部隊とは、日本から日本の正当な権益を強奪するべく襲来してきた機動部隊です。

アメリカで空母を中心とする強大な機動部隊が初めて編成されたのは、日本海軍より21年も遅い1943(昭和18)年11月のタラワ攻略戦のときでした。

第58機動部隊は米海軍で「殺戮者の群れ」と呼ばれ、その艦載機800機に近い死の翼がはばたく時には、陸上にも海上にも何も残らないといわれたそうです。

そしてあとはごぞんじのとおり、大勢の日本人が虐殺され、領土は奪われ、国土は金沢と京都以外は焦土と化して終戦後の日本には何も残りませんでした。


空母は日本発祥|空母鳳翔(ほうしょう)

1922(大正11)年末、空母として設計建造された世界最初の艦。浅野造船所(鶴見)で建造され、1925(大正14)年度の第一艦隊に編入された。

空母鳳翔2

日本が憲法9条を掲げてどんなに戦争を拒否しても、戦争は破壊と建設をくり返すビジネスであり、民族国家を破壊して共和制に改造するツールですから、攻めてくる者は攻めてきます。

その攻めてくる者の先兵がメディアで、ネットで、国会でこう宣伝しています、

「改憲反対(=アジア人の命を奪った日本人は無防備のまま虐殺されろ)」

まるで巨悪を隠ぺいするための捏造モリカケ問題のように。


アメリカ艦隊に向け火を吹く戦艦長門の40センチ砲

われらのご先祖さまたちは、共産主義者の日本人差別に敢然と立ち向かいました。
でもまだ共産主義と中華思想による思想的日本人差別は続いています。

日本軍が戦った第58機動部隊をふくむ米海軍兵力…空母22、軽空母9、護送空母72、戦艦25、重巡洋艦27、軽巡洋艦49、駆逐艦917(普通505、護衛412)、潜水艦295、航空機49500。

戦艦長門40センチ砲2

画像で比較|容共アメリカの死の翼と反共日本

戦後「アジアで殺戮の限りをつくしたのは日本軍」と宣伝されるようになったので、わかりやすいように日本軍と米軍のやり方を比較してみました。

日本人が共産主義者にどのように差別され、虐殺されたかをごらんください。

フィリピン

日本艦隊@マニラ湾。軽巡洋艦、駆潜艇、二等駆逐艦、水雷艇などが勢ぞろいしている。

日本艦隊@マニラ湾2

1944年9月、米軍のマニラ攻撃。アメリカのやり方はまず海軍がナパーム弾や空襲、艦砲射撃で敵地を焼きはらい、そのあと陸軍が上陸してさらに破壊するという方法だった。

米軍@マニラ攻撃3-2

ルソン島をナパーム弾で攻撃する米軍。

米軍@ルソン島攻撃2

艦砲射撃とは軍艦の大砲を陸地に撃ちこむこと。軍艦の厚い装甲板を撃ちぬく砲弾で生身の人間を虐殺する。写真はタラワを艦砲射撃する米戦艦メリーランド。

米軍@艦砲射撃タラワ

日本軍占領下のマニラ。上空に「WAR IS OVER(戦争は終わり)」のアドバルーンが浮いている。

日本軍占領下のマニラ2

米軍のマニラ占領。1945(昭和20)年2月24日。現地召集された日本人で組織した市民部隊(約1500名)は気も狂わんばかりに続いた米軍の激しい砲撃に倒れ、女子供はフィリピンゲリラの日本人狩りで虐殺された。

米軍@マニラ占領2

ダバオで行進する帝国海軍陸戦隊。子供たちが歩調を合わせてついてくる。

帝国海軍陸戦隊行進@ダバオ2

米軍のセブ島占領。子供たちはついてこない。

米軍@セブ島占領2

ボルネオ方面

日本軍のジャワ島上陸。白昼、揚陸作業を急ぐ今村兵団。すべてが機械化された米軍とちがって、工作機械も禁輸されていた日本軍は飛行場設営も道路工作もすべてが人力だった。

日本軍@ジャワ島上陸2

ツルハシとシャベルでガダルカナルの密林を開墾する日本設営隊。仮に日本から機械を送っても、途中で米軍に撃沈され、前線に届くことはまれだった。物資も人も米軍によって海に沈められた。米軍が沈めた日本艦船は単純計算で戦艦大和6隻分にあたる。

日本軍@ガダルカナル人海2

日本に経済封鎖対日禁輸を強き、無制限潜水艦戦で日本の補給路も絶ったアメリカは、LSTや空輸で圧倒的な補給を行った。LSTとは海上貨物車と呼ばれた補給艦のこと。写真はブーゲンビルのレンドヴァをめざすLSTの隊列。

米軍@シービーズ1-2

橋頭堡(きょうとうほ)を確保して物資を陸揚げするシービーズ。シービーズとは米軍の設営隊で、60種の職種に従事していた人々を集めて編成された基地建設工事の専門部隊。トラックに物資を積んで船に乗せてあるので早い。

米軍@シービーズ2-2

機械化されていたシービーズ。米軍のブルドーザーやキャリオールは飛行場設営に大活躍した。密林はなぎ倒され、飛行場に早変わりした。

米軍@シービーズ3-2

バリクパパンに上陸するオーストラリア軍。攻撃で炎上した油田の黒煙は一週間以上もつづいた。日本軍陣地は黒煙と油にそまった。

米軍@バリクパパン上陸2

ジャワ島を行進する日本軍。ここでも子供たちが軍隊についてくる。

日本軍@ジャワ島行進2

かつて日本軍が空挺隊で占領したバリクパパンをB24で大空襲する米軍。この空襲下に大勢の子供たちがいた。

米軍@バリクパパン空襲2

ニューギニア方面

1942(昭和17)年1月23日、第四艦隊を基幹とする南洋部隊は陸軍の南洋支隊と協力、ビスマルク諸島ラバウルとカヴィエンに上陸した。

日本軍@ニューギニア上陸2

日本軍の洞穴陣地を火焔放射器で攻撃する米軍。火焔は岩をも熔かす高熱。最初から日本人を生きたまま焼き殺すつもりだったので火焔放射器を持参している。

米軍@ニューギニア焦土1-2

日本軍占領下のニューギニアサラモア。風光明媚な美しい土地だった。

ニューギニアサラモア2

ニューギニアのホランディアに上陸した米軍。ホランディアに隣接しているビアクは日本の防空要衝地、ホランディアは日本軍の補給基地だった。日本軍の海岸付近に集積されていた糧秣と軍需品の大部分が敵の手におちた。

米軍@ニューギニア焦土2-2

ラバウル方面

ラバウルに上陸後、ただちに敵掃蕩戦を開始した海軍陸戦隊。ラバウルは島全体が火山なので地震が多く、温泉が湧いた。英霊は「内地に似ている」と「らばうるの湯」という施設を作り、日本を懐かしんだという。

日本軍@ラバウル上陸2

慰問袋に入っていたぬいぐるみに癒される日本軍。かなり盛り上がっているのが
伝わってくる。最前線にぬいぐるみを送る後方のセンスもすごいと思う。

日本軍@ラバウル慰問袋ぬいぐるみ2

一方、くまのプーさんの祖国アメリカはラバウル島を焼きつくした。

米軍@ラバウル空襲2

日本軍占領下のラバウル飛行場。

日本軍@ラバウル飛行場2

米軍のラバウル飛行場空襲。

米軍@ラバウル飛行場空襲2

南洋委任統治領|サイパン、パラオ、ペリリュー、テニアン

南洋委任統治領は第一次世界大戦で日本とイギリスがドイツ領南洋諸島を占領、ドイツ敗戦後、国連を通じて赤道から北は日本に、南はイギリス、グアム島はアメリカに割譲された領土。

この写真の脚注には「上陸した日本海軍を歓迎するサイパン島の女性。兵力の圧倒的優位により一滴の血も流すことなく占領したため、島民に危機感を与えなかった」とある。

日本軍@サイパン島無血占領2

米軍のサイパン島攻撃後。米軍の孤島の焼き方は島全体にガソリンをまいてから艦砲射撃し、島全体を丸焼きにする。そこに日本の女子供がいようが知ったことではない。日本人がアメリカ発の反差別運動や#Metoo運動などハナにもかけない理由である。

偽善者ほど正義を語りたがる。

米軍@サイパン焦土2

米軍@サイパン破壊2

B24の白昼爆撃にさらされたパラオ。

米軍@パラオ爆撃2

米軍上陸後のペリリュー島。米軍の艦砲射撃で島の形は変り、空襲で島は焼けただれた。日本軍は山中に500もの洞穴陣地を造り、迫撃砲で抵抗した。すると米軍は洞穴陣地をたたく方法としてアムフトラックをくり出し、日本兵を生きたまま焼き殺した。

米軍「@ペリリュー島上陸

アムフトラック。

アムフトラック

米軍のテニアン島空襲。日本軍を軟化させるため、ナパーム弾を投下して地上一切のものを焼きつくそうとした。

米軍@テニアン島空襲2

米軍のテニアン島上陸。日本軍の抵抗により4回目にして奇襲上陸に成功した。

米軍@テニアン島上陸2


米軍は日本軍をたたきつぶすたびに薄ら笑いを浮かべるように"TO TOKYO"という立て札を立てた。写真はアラカン戦線のミートキーナ。悪鬼のような米軍の最終目標は東京。日本軍が特攻隊という死に物狂いの反抗を続けた要因である。

米軍@ミートキーナto tokyo-500

特攻。アメリカの死の翼を日本の死の翼が破壊する。爆発、炎上する米空母。

特攻@米空母2


本記事の資料:アメリカ第58機動部隊について


第五十八機動部隊

 一夜のうちに七百キロも移動できるこの部隊は太平洋の王者になり無敵艦隊になった。その八百機に近い死の翼がはばたく時には、陸上にも海上にも何も残らなかった。

 この部隊は米海軍では「殺戮者の群」とよばれていたが、正にその通りだった。トラックもパラオもサイパンも、フィリピンも台湾も、日本商船隊も艦隊もこの機動部隊の訪問を受けたが最後、目も当てられない惨状を呈するのが常だった。根こそぎ、洗いざらいやられて一物もあまさなかった。恐るべき颱風にも似ていた。全くハルゼー颱風であった。マリアナ作戦のときこのタスクフォースの兵力は実に百隻をこえる大兵力であった。


【中部太平洋に現れた第58機動部隊艦載機の大群】
アメリカ「いつでも どこにでも われわれは20000機をもって敵に大打撃を
与え得る」
第58機動部隊艦載機群2
【出典】1954(昭和29)年 富士書苑 森高繁雄編「大東亜戦争写真史 特攻決戦篇」



第58機動部隊編成表

指揮官 海軍少将 マーク・ミッチャー
第58・1群 リーヴズ少将
空 母ヨークタウン、エンタープライズ、ベローウッド
戦 艦ワシントン、マサチューセッツ、インディアナ
軽 巡オークランド
駆逐艦9隻
第58・2群 モンゴメリー少将 
空 母イントレピッド、エセックス、キャボット
戦 艦サウスダコタ、アラバマ、ノースカロライナ
防空巡サンディエゴ
駆逐艦10隻
第58・3群 シャーマン少将
空 母バンカーヒル、モンテレー、カウペンス
戦 艦アイオワ、ニュージャージー
重 巡ウィチタ
駆逐艦3隻
第58・4群 ギンダー少将
空 母サラトガ、プリンストン、ラングレー
重 巡ボストン、バルティモア
防空巡サンファン
駆逐艦8隻
マーシャル群島来攻の際は、この小艦艇を合せて300隻以上、
艦載機約700機



健康的な記事かと思ったらちがってたwww

マスコミと極左野党って、ほんとうにコワイですね。


明治天皇の死の真相は宮内庁の「パンドラの匣」の中に!尿毒症、糖尿病、果ては「替え玉説」まで
2018年5月3日 HEALTH PRESS

明治天皇の死因や実像をたぐると、深い密林に踏み惑う探検家さながらに「未知」と「暗闇」が待ち受ける――。

 古来、天皇の死を「崩御」「薨去(こうきょ)」と言い習わす。異様なまでに極秘や憶測に塗れた明治天皇の死。その死因は、尿毒症、糖尿病、梅毒などと伝わる。頑なに口を噤んだ「パンドラの匣」を押し開くほかない。

(中略)

 今上天皇(明仁天皇)の退位と皇太子徳仁親王(新天皇)の即位に伴う儀式の議論が熱い。ただ、日本人が終生、胸に刻むべき記憶と教訓がある。

 明治から大正、昭和に至るほぼ1世紀。欧米列強との緊迫した政治事情も、軍部の策謀・暗躍を許した政治状況も、国民や世論の翼賛ムードもあった。しかし、明治・大正・昭和の歴代天皇らがうち振った「菊の御紋」「錦の御旗」の大義名分が、世界幾百万もの無辜の尊い生命を奪った事実だけは、ゆめゆめ忘れてはならない。

 5月3日は憲法記念日、大日本帝国憲法の時代に想像力を働かせてみるのも必要だ。


【人種差別で日本をリンチした連合軍】
アメリカ、イギリス、オーストラリア、オランダは入れかわり立ちかわり、疲れた日本軍を攻撃した。第二次世界大戦は大国がよってたかって日本を暴力で打ちのめし、領土を強奪した人種差別的リンチだった。
連合軍@日本砲撃3-2



【出典】
・1953(昭和28)年 富士書苑 森高繁雄編「秘録大東亜戦史 比島篇」
・1954(昭和29)年 富士書苑 森高繁雄編「大東亜戦争写真史 特攻決戦篇」
・1954(昭和29)年 富士書苑 森高繁雄編「大東亜戦争写真史太平洋攻防篇」
・1954(昭和29)年 富士書苑 森高繁雄編「大東亜戦争写真史 南方攻守篇」
・1954(昭和29)年 富士書苑 森高繁雄編「大東亜戦争写真史 落日終戦篇」
・1967(昭和42)年 朝日新聞社 ハドソン・W・ボールドウィン「勝利と敗北 第二次大戦の記録」
・1970(昭和45)年 株式会社ベストセラーズ 福井静夫「写真集|日本の軍艦 ありし日のわが海軍艦艇」
・1987(昭和62)年 講談社 「20世紀全記録クロニック」


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