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2018/04/03

日本兵を火焔放射器で焼き殺した米軍画像集|闇に葬られる日本人差別


米軍は火焔放射器が大好きで1942(昭和17)年の反攻後は、戦線のいたる所で日本兵や日本人を生きたまま焼き殺しています。

近ごろアメリカ発のSNSで、在日敵国人に関する「禁止ワード」があるとアカウントが凍結されるという事態が急増しているそうですね。

日本で商売させてもらっている一企業が「反差別」の美名のもと、戦前からずっと差別してきた日本人に「差別主義者」のレッテルを貼る…それが共和国製造機アメリカの本性です。

太平洋戦争中の戦争犯罪を「ぜんぶ日本がやった」と罪をかぶせた、その構図そのままです。


戦前アメリカの選挙ポスター:
少数派だった日系移民を「侵略者」だと呼びかける

時と場合で変化するアメリカの差別基準。「差別」は世論誘導の道具にすぎない。

排日土地法ポスター


差別される世界にも「差別」があって、戦前の日本人差別や国際法完全無視の虐殺も世界に知らされることなく闇に葬られました。

まるでインターネットの言論弾圧や思想統制のように、誰にも知られずに。

共産党がさけぶ「国民主権」は、共産党がさけぶ「反差別」で打ち砕かれる、

この矛盾。


↓火焔放射器はジュネーブ軍縮会議で禁止された兵器↓

出典:1942(昭和17)年 海軍省大臣官房 「戦時国際法規綱要」 第一 戦時法規(敵対行為)

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


(二)
(9)寿府(ジュネーブ)一般軍縮会議ニ於ケル、一応ノ結論ハ、化学兵器焼夷兵器及細菌兵器ノ使用ハ絶対ニ之(コレ)ヲ禁止シ、又右使用ノ為ノ準備訓練(防禦ノ目的ヲ以テスルモノヲ除ク)ヲモ禁止スルコトト為(ナ)レリ。



↓火焔放射器はドイツ軍発祥。でもユダヤ人を焼き殺している映像も記録もない↓

出典:1942(昭和17)年 海軍省大臣官房 「戦時国際法規綱要」 第五部 化学戦 焼夷戦、細菌戦摘要

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


(二)焼夷性物質の使用
(註)
(二)火焔発射器ヲ戦争ニ用ヒラレタルハ、一九一六年三月「ヴェルダン」ニ於テ独国軍ガ使用シタルヲ以テ嚆矢ト為(ナ)スト謂(イ)ハル。



↓非戦闘員は攻撃の目的物にしてはならない↓

出典:1942(昭和17)年 海軍省大臣官房 「戦時国際法規綱要」 第一 戦時法規(戦争法規違反及処罰)

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


(十)敵対行為
(註一)害敵手段
(一)戦争ノ軍事上ノ目的ハ、敵軍ノ抵抗力ヲ挫クニ在ルヲ以テ、害敵手段ハ敵ノ交戦者ニ対シテ行ハルベク、非交戦者(普通人民)ハ、原則トシテ攻撃ノ目的物トスベカラズトスルヲ通説トシ、又従来ノ戦争法規慣例モ、此ノ観念ヲ基礎トシテ成立シ居レリ。



↓白人に準人類扱いされてきたアジア人↓

出典:1924(大正13)年 東亜義会 金谷栄雄 「黎明之朝鮮」

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 願ふに亜細亜(アジア)は亜細亜人の亜細亜であって何人の容喙(ようかい:横合いから口を出すこと)をも許さない、而(そ)して亜細亜人所謂(いわゆる)東洋黄色人種の大同団結は、亜細亜共通の利害を共にせる東洋人の必至的結合であって、過去数世紀の間、白色人種の為(た)めに準人類扱(あつかい)されて、剰余価値を搾取され迫害を加えられた腹癒(い)せの為めに、白色人種に対して反対に報復的に迫害を加へざるまでも(加えなくても)、将来の人種闘争を排撃するため即ち白色人種の迫害を撃滅する用意がなければならぬ、


【ガダルカナルの戦闘に参加したアメリカ兵】
戦争するならドイツ人の方がいい…彼らはわれわれと同じ人間だから。ジャップは動物と同じだね。日本人差別愚かな猿


戦前から反共日本人は人間扱いされていないので、国際法も適用されなかったし、アメリカが原爆を投下したことも罪にならないし、日本人を大虐殺した共和国人民である特アを批判したり、警戒してはならないのでしょう。

「人権」がない日本人が人権問題に真剣に取り組むと、国を失うということですね。


ガダルカナル島

火焔放射器で焼き払って進むのが米軍の戦法。わずかばかりの陸戦隊も戦闘力のない人夫たちも、これでやられた。

1米軍火炎放射器イル河口

マキン・タラワ玉砕@クエゼリン

弾薬もつきて徒手なお抗戦をつづける日本軍にふりかかる火焔の猛射。樹も建物も焼きつくして迫ってくる。

3米軍火炎放射器クェゼリン1

1944(昭和19)年2月4日、守備戦闘は終りをつげた。あとには消えようともしない硝煙だけ。

4米軍火炎放射器クェゼリン2

テニアン島

洞穴陣地に残る日本兵をかりだそうとする火焔放射器をもつ米軍掃蕩隊。

5米軍火炎放射器テニアン

ペリリュー島

洞穴に残った日本軍の抗戦は激しかった。米軍は洞穴陣地をたたく方法として特に強力な火焔放射装備のアムフトラックを繰りだした。

6米軍火炎放射器ペリリュー

フィリピン

日本軍陣地を焼く火焔放射器。

フィリピン米軍火炎放射器

硫黄島

洞穴にひそんだ日本兵には降伏を勧告し、それでも出て来なければ火焔放射器を使う。(管理人注:写真右側にもう一人の米兵の足がある。つまり二人がかりで日本兵を焼き殺しているのである)

硫黄島掃蕩戦火炎放射器

洞窟陣地の日本兵は火焔放射器や高性能爆薬で殲滅された。かろうじて脱出すればカービン銃の猛射だ。

爆破。
硫黄島日本軍殲滅4

崩れ落ちた陣地。
硫黄島日本軍殲滅1

ようすをうかがう米軍。
硫黄島日本軍殲滅2

銃をかまえて待つ米軍。
硫黄島日本軍殲滅3

慶良間列島

米軍は砲爆撃の後、戦車を繰り出して火焔の放射を浴びせかけた。岩をも熔かすものすごい威力。

慶良間列島米軍火炎放射器

沖縄

恐怖のあまりわが家に隠れて動けなかった島民の多くは家と共に焼かれた。

沖縄米軍火炎放射器民家島民

日本兵の隠れ場所となるようなものは家たると草叢(くさむら)だろうと問わず焼き払われた。

沖縄米軍火炎放射器3

米軍はお手のものの火焔放射器で洞窟を焼く。しかし日本軍の地下陣地はなかなか堅固で多くの入口を持ち四通八達(しつうはったつ:道路・交通・通信が四方八方へ通じていること)していた。

沖縄米軍火炎放射器2

ようやく火焔放射器の高射を免れ得たと思えば、すぐに米兵の弾丸に追いかけられて逃れる術もない。

沖縄米軍火炎放射器

山も林も谷も野もあらゆるものを焼き、蹂躙して米戦車は進む。この前に機銃や小銃はしょせん蟷螂の斧(とうろうのおの)だ。

管理人注:蟷螂の斧:(小さなカマキリが前脚をふりあげて大きな車に向かってゆくという、「荘子」などに見える話から)自分の微弱な力量をかえりみずに強敵に反抗すること。はかない抵抗のたとえ。


沖縄米軍火炎放射器4

伊江島

はげしい日本兵の抵抗に米軍の火焔放射器が威力を発揮する。そのかげに米兵が進撃の機をねらう。

イエ島米軍火炎放射器

従軍記者の手記:ペリリュ島「敵来襲せり」
米軍の火焔放射器に焼かれながらも友軍に無電で知らせた電信兵


出典:1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録大東亜戦史 マレー・太平洋島嶼篇」所収 共同通信社通信部次長 多田欣司 「パラオ諸島方面作戦記」

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 胸うたるる最後の無電

 十月二日司令部は戦闘の長期化とコロール.パラオ両島への上陸作戦なしと予想したか、神武山(しんぶさん)を下り再び山林中に戦闘指揮所を移動した。

 このころようやく雨季おわり、台地に出ては南洋の強い直射日光を満身に浴びることができるようになった。

 その後十月二十八日夜遠藤海軍中佐の率いる一隊のペリリュ逆上陸、十一月八日の高垣陸軍少尉の率いる一隊のガラゴン島斬りこみ。遊泳決死隊のイカダに爆雷を乗せての敵艦艇攻撃など、陸海軍の攻撃が度々(たびたび)行われているうちに戦線はフィリピン方面に急速に展開し、十一月十一日ペリリュ守備隊から、

「今なお頑健なるものわずか三百名にすぎず」との無電あり。越えて十八日夜デリーの日本語放送は、ニミッツ司令部発表として「ペリリュ、アンガウル両島の完全占領」を伝えた。十九日「洞窟人員の被害甚(はなは)だし、すでに刀折れ矢つきたり、軍旗を焼き全員自決したし」

 とペリリュ島指揮官から入電あり。

「自決待つべし最後の敢闘を祈る」

 と返電されたが十一月二十四日金曜日午後ペリリュ島洞窟の無線隊から、

「敵来襲せり、敵来襲せり」

 の暗号無電数回、最後に、

「電報いまだ一通残れるも、われこれを送る能(あた)わず……」

 とモールスをたたき終らぬうちに連絡は絶えた。米軍の火焔放射器の焔(ほのお)に追われ、その身を焼かれながらも死力を尽して、無電機の鍵(キー)を打ち続けたであろう、阿修羅(あしゅら)のような電信兵の悲壮な姿が瞼(まぶた)に浮ぶのである。

【最終目標"東京"を指さすチェスター・ニミッツ提督】
チェスター・W・ニミッツ提督


ビアク島:
日本軍の洞穴陣地に戦車砲弾が叩きこまれ、火焔放射器が焼き尽くす

経済封鎖は即「宣戦布告」を意味する。日本が太平洋戦争開戦を決意した理由は、アメリカに経済破綻か共産革命かで滅べと追いこまれたからでした。


出典:1957(昭和32)年 日本文芸社 「現代読本 第二巻第六号」所収 
   元第二軍参謀部付大尉 木村文平 「若桜! 敵陣に砕く烈々の闘魂」

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


陣地に炸裂する砲弾! 火焔放射器の猛攻! 遂に玉砕か……軍旗を焼却した葛目支隊は累積する彼我の屍体を越えて凄惨な敵陣突入を敢行した!

 軍旗を焼却する死闘

「たかが一握りの日本軍に対して、一コ師団半の戦力を投入しながら、なんという態だ」

 と、敵第八司令官アイケルバーカー中将は地団駄踏んで口惜(くや)しがり、自らビアク島に上陸、敵戦線を整理したうえ、六月十九日、遂に総攻撃の指揮をとった。

 この日奇しくも中部太平洋方面にあっては、小沢治三郎中将指揮の日本機動部隊が、再びZ旗を掲げて出撃した「あ」号決戦を、スプルアンス機動部隊と、サイパン死闘を中心に展開していた。

 支隊長葛目大佐はなお西洞窟にあって敵将陣頭指揮の総攻撃を迎え撃つが、二十日、敵と激戦に陥入(おちい)った洞窟附近をみて、遂に最後のときいたるを痛感、軍旗を焼却した。竿頭の菊花紋章、房の一部はこれを各大隊に分配(のちに軍旗投降といわれた真相がこれである)「最後の突撃」を命令してなおも抵抗したが、二十一日敵の執拗な攻撃は、ついに西洞窟を三方から包囲された。

 戦車砲弾が叩きこまれ、火焔放射器が焼き尽くすなど、直卒諸隊の死闘が続けられるなど、洞窟附近は、累積する敵味方の死体が折重なって、凄惨な地獄図絵そのままとなった。


【葛目支隊長自決の洞窟】
葛目支隊長はあとに続こうとする者約四百を後退させ、この洞穴で自決した。同じく西洞穴では歩行不能な重傷兵百数十人が手榴弾で自決して米軍を驚かせ、東洞窟の戦闘は南中佐の自刃をもって終りを告げた。
ビアク洞穴陣地

【米軍の圧倒的な補給揚陸】
上からビアク、アイタベ、ホランディア。
ビアク米軍補給



【写真出典】
・1954(昭和29)年 富士書苑 森高繁雄編「大東亜戦争写真史 孤島邀撃篇」
・1954(昭和29)年 富士書苑 森高繁雄編「大東亜戦争写真史 南方攻守篇」

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