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2018/01/18

人間のクズが支那兵になる


戦前中国では、人間のクズが兵隊になったのだそうです。

当時の中国で人間のクズが兵隊になった理由は、中国人から見た場合、


・中国では「馭者(ぎょしゃ)にも肉体労働者にもなれない意気地なしの男は乞食(こじき)か兵隊にならないと食べていく道はない」とされていたこと

・中国では大昔から戦乱が絶えず、そのたびに国民は軍閥に物資や食糧を略奪され、証拠隠滅のために部落を焼き払われたこと

・兵隊が部落から略奪してきた物資や食糧を兵営に持ち帰ると、上官がその上前をハネたこと

・子どもにも「決して兵隊になってはいけない」と教え、いましめていたこと


です。

そして、日本人から見た支那兵がクズだった理由は、


・中国では大昔から戦乱が絶えなかったため、国民は国を信用しておらず、自分さえよければいいという個人主義におちいっていたこと。つまり、個人>国

・中国は古来より私有財産制度を基礎とした社会制度だったこと、戦乱が絶えなかったことから中国人個人の武器は金だけとなり、支那兵にとって大事だったのは国ではなく「私有財産」だったこと


でした。


中国人にとって最大の関心事は日々の食と個人の幸福

日本軍に山盛りの白飯を食わせてもらってシアワセそうな支那兵捕虜たち。

このころの中国人民の主食はコーリャンと呼ばれるトウキビの一種でした。

senbu_han5.jpg【写真出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A06031061600:1938(昭和13)年7月6日 内閣情報部 「写真週報 21号」(5コマ目)


戦前日本人「人間のクズが支那兵になる」

1931(昭和6)年の満洲事変で日本軍が支那軍の兵営を攻撃した際、いましがた兵営から出て行った支那兵があわててもどってきて、兵営の頑強な裏門を破壊しようとしていた日本軍を手伝ったのだそうです。

日本軍にしてみれば「まさか!」の展開だったのですが、支那兵にしてみれば当然の行動でした。

その理由は「兵営に置いている自分たちの所有物を捨てて逃げるのは忍びない」というものだったそうです。

支那兵にとっては個人の所有物=私有財産の方が、国家の命運よりも大切だったのです。この民族性はいまも変わっていないでしょう。

民族性とは血や魂に刻まれたものなので、偏向教育や思想教育で後天的に変えられるものではないからです。


出典:1932(昭和7)年 岡村書店 鹿山鶯村 「明け行く満蒙の透視」

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 人間の屑(くず)

 支那人の性格や心理といふものは、迚(とて)もはっきりつきとめることは出来ないと、在満の同胞の誰もが言ってゐた。

 まして僅かな旅の観察ぐらゐで、これはかうと断定してしまふことは、僣越至極といふよりは滑稽な話である。

 しかし、いろいろな見聞を綜合して見れば、彼等(かれら)の性格や習癖位は、ぼんやりながらも想像のつかないといふこともなかった。

 南嶺(なんれい)攻撃の挿話の中に、も一つ面白い話があった。


【南嶺地図】
南嶺山脈1【出典】Wikipedia

 それはかうである。

 出動命令をうけた吾(わ)が一個大隊は、散兵(さんぺい:敵前で兵を密集させず、適当の距離を隔てて散開させること)の隊形を保ちながら、高粱(コウリャン:中国産のもろこし。とうきび)の畑を越えて、次第に敵の兵営にと近づいていった。そして全員が南嶺の敵兵営に接近した頃、夜はすっかり明けはなれた。

 するとほどなく、支那の兵営からは、裏門を開いて支那兵達が、三々五々と馬を曳(ひ)いて朝の運動に営外に出てゆく様子が見うけられた。

 これ等(ら)の支那兵は、日本兵の進軍に気づいてはゐたのであったが、それは日本兵の演習だとばかり思ひ込んで、少しも意に介するやうなことはなかった。

 泥酔してゐた吾が大隊長は、ほどよいところで一斉攻撃を命令した。皇軍は破竹の勢ひで突撃を開始した。然(しか)し兵営を圍(めぐ)らしてゐる土手は高い。その土手を越えることは極めて困難であった。

 そこで今支那兵が出ていった裏門から突入し様(よう)として、大隊は之(これ)に向ったので有(あっ)たが、もう其(その)門は堅く閉(とざ)されて開かなかった。已(や)むを得ず某少尉は、一個小隊約三十名ほどを率ひて自ら裏門の破壊にかゝったのである。しかし中からは厳重に門を閉して頑強である。

 少尉の軍刀は折れた。士卒(しそつ:兵士。軍兵)の銃剣は曲った。苦心の汗の干(ひ)る間もない。

 突如として起(た)ったこの猛撃の銃声を聞いた先(さ)っきの支那兵は、曳き出した馬に跨(またが)り一目散に鞭(むち)をあてゝ黎明(れいめい:明け方。よあけ)の彼方へ遁(に)げていったか? と思ふと彼等は却って馬を捨(すて)て一気にいま出ていった裏門さして飛んで戻った。

 裏門はまさに吾が一個小隊が全力をあげて開門を企てゝゐる。そこへ遁げ戻った四五十名の支那兵は吾が兵に応援して、これも必死に門扉に縋(すが)った。

 この思ひがけない支那兵の応援を得た吾が小隊は、支那兵と共に七八十名、その合力にかゝってさしも堅く閉した門扉を忽(ただ)ちに八文字に開いてしまった。

 大隊はつひにこの裏門から雪崩(なだれ)をうって殺到した。ついでに今応援してくれた支那兵まで悉(ことごと)く銃剣の錆(さび)にしてまったしといふことである。

 さて、営外に出てゐたこれ等(ら)の支那兵は何故(なぜ)遁げてゆかなかったか? こゝに支那人の面白味があるのである。

 彼等の考へからして見れば、馬は軍隊の馬であった。だからそれは他人(ひと)のものだ。ところが営舎内には自分達の物品が在る。それは自分の所有品だ。自分の物は一番大事なのである。それを捨て遁げることは、到底彼等の忍び得るところではなかったのだ。生命(いのち)にかけても自分の物は自分の物にするといふ。この徹底せる奇形な個人主義が、かうした滑稽を演じたのである。これは彼等にとってまことに自然な常識であるらしい。


【満洲の次は尖閣諸島、その次は沖縄強奪を予定している中国共産党】
尖閣中国船海保1

 大体、支那人を我々の常識で判断するといふことはあたまで無理な話である。殊(こと)に支那兵といふものは支那人の屑だ、常識の縄にかけやうがない。


【菅のおっさん「訪日客が過去最高。わかりやすい成功例」】


 支那人は子供達を誨(おしえ)るときに、決して兵隊になってはいけないと誡(いまし)めた。支那にあっては兵隊は人間の屑だからである。
 
 支那人のなかで、馭者(ぎょしゃ:馬をとりあつかう人)にもなれず、苦力(くりょく:中国語読みではクーリー。肉体労働者)にもなる事の出来ない謂(いわ)ば意気地なしの男は、乞食になるか兵隊になるか、その一つを選ぶほか衣食の道はないのであった。


習近平死をおそれるな1

 兵隊になれば無論食ひはぐれはない。然し支那の軍隊は、一度身を兵籍においた以上、それは絶対に除隊することが出来ないのである。つまり永久の兵隊だ。若(も)し脱走でも企てやうものなら、発見され次第銃殺の浮目(うきめ)に逢ふのが軍令だった。それは軍隊の秘密が洩れるからなのだ。

 支那軍隊は例外なく傭兵である。みんなサラリーマンだ。そのサラリーは然し何時(いつ)も満足に支給されることはない。従って俸給不払の浮目に度々彼等は逢った。だから彼等はまた常に自衛の手段を忘れない。俸給不払になると大隊長は早速部下を引率して野外演習に出かける。その演習はむろん教練ではない。遠く行軍をつゞけた彼等は、馬車に物資をドッサリ積みこんで数日の後には戻って来る。略奪行軍であることは解り切った話だった。さうして兵営内で彼等は鳩首(きゅうしゅ:人々が集まって相談すること)して分配し合ふといふことである。

 上官はその頭をはねる。調法なものだ。この通り魔にひっかゝった部落こそいゝ面(つら)の皮だ。略奪された上に部落は焼払われてしまふと云(い)ふことである。これは馬賊匪賊の特長で、彼等は証拠湮滅のためにかうするのだと耳(き)いた。略奪演習もまたこの寸法に漏れることはない。


【反日マスコミ「南京大虐殺はあった」】
昭和12年12月13日付。当時の大阪毎日新聞と東京日日新聞、鹿児島新聞、鹿児島朝日新聞、鹿児島毎日新聞が報道した。100nin00001.jpg


日本でいう軍閥とは大東亜戦争前までは「陸軍は長州のもの、海軍は薩摩のもの」といわれたように、長州閥と薩州閥の二大勢力でした。もちろん、日本軍は日本国の軍隊でした。

一方、戦前中国の軍閥とは地方の豪族、権力者が所有していた私兵集団のことでした。中国全土にそういった軍閥がうじゃうじゃ存在していて、内乱という権力争いが始まると人民は兵隊に田畑を踏み荒らされ、物資、食糧は強奪され、家は放火されといった具合で、兵隊とは憎悪の対象でしかなかったのです。

現在の中国でも人民解放軍は中国共産党の軍隊です。

東シナ海公海上で中国国旗を掲げて航行する原子力潜水艦
艦か人民解放軍か、どちらかに重大な欠陥があるとしか思えないwww

人民解放軍とは中国人民を解放する軍という意味ではありません。資本主義国の「人民」を「資本家>労働者」「天皇>人民」という階級社会から解放する軍なので、人民解放軍といいます。

このネーミングからして共産主義が覇権主義であることを示しています。革命を望まない他国民にしてみれば、押し込み強盗のようなものですね。

日本には憲法9条があるから外国から攻撃されない、と考える人たちはウソツキか、逆に人を疑うことを知らない、ものすごく心がキレイな人かのどちらかです。

中共潜水艦1


尖閣接続水域入域の中国潜水艦は「商」級攻撃型原潜 長射程巡航ミサイル搭載か 防衛相が発表
2018年1月15日 産経ニュース

 小野寺五典防衛相は15日、尖閣諸島(沖縄県石垣島)周辺の日本の接続水域を10、11両日に潜没航行した中国海軍の潜水艦は、「商」級の攻撃型原子力潜水艦だったと記者団に明らかにした。小野寺氏は「国際的な常識から、潜水艦が潜航したまま相手の領海近くに航行することはあってはならない」と中国軍を批判し、「毅然(きぜん)とした対処をしていく」と強調した。(後略)


その他の資料

金だけが中国人民の武器なので中国人は貯金に励む

中国人はフトコロに金があると、ほがらかなのだそうです。


出典:1938(昭和13)年 巌松堂書店 馬郡健次郎 「大陸経営」 第三編 支那事変と新生支那

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 十四、支那人の日常生活

 支那人は朝、出遇(あ)っても晩に出遇っても「吃了飯了麽(チイラファンラマ)」といふ。即ち「飯を食ったか」といふだけで万事の御挨拶(ごあいさつ)が済む。これは食ふ事が生命であり食はなければ死ぬるからでもあり、食ふ一事が重大問題でその人間的重大事の安否を先(ま)づもって先に聞くといふ御挨拶である。

 又一面から見れば身体が強健なれば食事は進む。だから食事をしたと云(い)へば従って健康体だとの反証が上る。だから健康の安否がこの珍妙な御挨拶で徹底する。又一面から見れば一食の飯が食へると云ふ事は大なる幸福を意味するもので、先づ第一に飯にありついたかと云ふ事を尋ねる意味にもなる。そして自分は飯にありついておると云ふ事を他の人に見せたい気持も手伝ってか支那人は子供と云はず、大人と云はず、女子と云はず、老婆と云はず、飯椀と箸とを手にして人の前で立ちながら平気で食べる。

 中には家の外に出て来て飯椀と箸とを持って食べながら人通りを眺めておる。

 この辺の気持は一寸(ちょっと)我々日本人には判断がつきかねる所もある。

 又支那一般に認められる感心な事は貯蓄心の根よき事である。云ふまでもなく、独立独行の唯一の武器は貯金のある事で之(これ)が何よりも頼りになる力となる。見た所、乞食体をしてゐようが破衣を纏(まと)ふてゐようがその胸に貯(たくわ)へを有しておる者は心が常に豊かである。特に支那は内乱戦火の為に何時(いつ)兵隊に襲はれるか分らない。その時の用心も常々あるであらうが、私(ひそ)かに壺に入れたり、箱に入れたり、山の岩蔭(いわかげ)、木の根本に蔵してあると云った風にそれぞれ、こればかりは秘中の秘として取り行はれておる。


民進党政党交付金1

 要路の大官、その他社会人などの支那銀行を信用しないで外国銀行に家族の名義で又は部下の名義で預金してゐる者が少くない。金そのものが我が命であると見てゐる支那人に取っては貯金はその道楽でもあるが、又趣味化された我が生命であるとして見られてゐる。支那人のこの貯蓄に対する極秘の気持は到底外から考へつかない粘り強さと細かい頭脳とを働かしておる。


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戦前日本人「支那は古来より私有財産制度を採ってきた国なので共産主義には不向きである」


出典:1931(昭和6)年 日本評論社 斎藤良衛 「ソヴィエト露国の極東進出」 第三章 ソヴィエト露国の支那赤化

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 支那赤化運動失敗の原因 其の一

 然(しか)らば共産「インターナショナル」の支那赤化運動が、其の異常な努力にも拘(かか)はらず、何故に斯(か)くも支那で失敗したかと曰(い)ふに、其の根本的原因としては、共産主義が支那には不向きであることを挙げねばならぬ、従来共産主義は私有財産制度を認めず、一切の財産権は之(こ)れを国有とすることを以て基調とするものであることは、今更(いまさ)ら絮説(じょせつ:くどくどと説くこと)の必要が無い、一体此(この)基調が果して理窟(りくつ)に合ふかどうか、人民の幸福と成るかどうかと曰った様な問題は暫(しば)らく措(お)き、支那古来の財産観念と此思想とは到底合致し得ぬものである、支那は古(いにしえ)から私有財産制度を基礎としての家族制度あり、社会制度あり、政治あり、経済ありで、政府は即ち人民の私有財産の保護を以て其の主要な職務とし、社会制度も此観念から出来て居る、


【連合国に「抗日」で煽動され、取り返しのつかない失敗をした中国人民】
容共抗日2【写真出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A06031061600:1938(昭和13)年7月6日 内閣情報部 「写真週報 21号」(4コマ目)

今更ら周だ唐だのの古制を援用する迄もなく、又孔孟の民主主義を攻究する迄もなく、手近の支那特有の家族制度から見ても、亦(また)此点の大体の推測が附く、支那の家族制度は、家長の下に一切の家族が有り、これが小さな社会組織を成し、家には之(こ)れに附いた私有財産があり、家族としても共同的な行動は、私有財産の共同保護から出る場合が甚(はなは)だ多い、然しながら、家に附いた財産は決して家そのものに付いたものとされずに、家族各個が夫々(それぞれ)財産を持つことが本則である、衆子均分の相続制度は即ち此観念を物語るものである、(後略)


【共産党に搾取され続ける中国人民-上海株暴落】
共産党_上海株暴落1


戦前中国人「民国人は昔から国に救済されたことがない。だから自分さえよければいい個人主義になった」

国家意識に乏しい中国人民ですが、唯一「日本」と聞くと中国人の虐小思想が燃えあがり、国論がまとまりやすくなりました。


出典:1988(昭和63)年 文藝春秋 「『文藝春秋』にみる昭和史」第一巻所収 「砲声殷々たる北平における日支両国青年座談会」(昭和12年9月号掲載)

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 まったくです。まことにお羞(はず)かしい話ですが、支那の一般民衆は自分の国家がどんな危急存亡に瀕しようともまったく無関心で、対岸の火事を見るような顔をしている国民です。政府当局がいかに大騒ぎをして国論を湧起させようとして宣伝、絶叫し、逼迫した時局の認識をさせ、国民の奮起を促そうと努力しても、さっぱり反響の起こらない心細い国民です。しかしこれは決して民国人に愛国心がないからではなく、昔から人民は、天災、地変、洪水、悪疫、飢饉に悩まされていたが、これに対して適当の処置をして救済する機関がなかったばかりか、かえって軍閥の重税、圧政、搾取、徴発に苦しめられ、また絶えず革命、騒動、一揆、兵乱が年中行事のように続いていたので、もう麻痺して少しぐらいの動乱なぞは、一度も保境安民の実績を挙げ得た国家機関が存立しなかったので自然、政府なぞは頼むに足らずという観念を抱くようになり、自分一人の安心立命の生き方を考えるようになり、ついには個人主義になってしまったので、それで政府の言うことなぞは当たらず触らずにしていた方が賢明だと思うようになってしまったのです。ところが妙なことには、こんなに国家意識の乏しい支那民衆がただ一つ、相手が日本だということになると、果然、眼の色を変えて熱狂し、憤激し激昂し、国論もたちまち沸騰するという馬鹿馬鹿しい特異性を有していることです。これはまったく徹底した排日運動がもたらした結果で、今日の支那民衆は日本は悪いんだと信ずることのみを訓練せられたので、正しい批判眼を失ってしまったという悲しむべき結果となっているのです。

吉村 確かにそうです、また政府当局はたくみにこの民衆の特異性を操縦して、時難を乗り切り、まったく不可能と見られていた中央集権の実さえちゃくちゃく挙げ得ているほどです。打開に苦しむような危局に遭遇すると、この事件は日本の策動によるものである、黒幕は日本であると宣伝して民心を煽動して一挙に解決しているのです。日本こそいい面の皮です。



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