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2018/01/14

中共の事大思想と虐小思想|中共の背後にいる白人


中国人の事大思想はよく知られていますが、その反動の虐小思想というのもあるそうです。

虐小思想とは読んで字のごとく「弱いものには徹底的に暴虐をはたらく」思想です。

要するに中国人とは「強い白人には事大し、その反動で同じアジア人には暴虐をはたらく」という二つの思想を内包している人種なのです。


↓↓↓白人事大の中国人に事大しているのが朝鮮人↓↓↓
清国属国1

ちなみに中国が日本に暴虐をはたらき始めたのは第一次世界大戦後に日本が戦利品として得たドイツの在支権益の大半を、西洋列国の圧力で放棄した時からだそうです。

その時、中国人は「白人の力を借りれば日本を支那から追い出せる」と学習してしまったのです。

そして中国は白人に事大しながら、日本に「台湾を返せ、琉球を返せ、朝鮮を返せ!」と要求し始め、ついには日本全土まで支那のものにしてしまうような態度に出始めたそうです。

西洋列国の植民地だった中国が「どこでも自国の領土」と主張し始めたのは戦前のことで、そのキッカケは日本が西洋列国の圧力に屈して一歩引いてしまったことでした。

ということは中共がチベット、ウィグルで暴虐をはたらき、南シナ海、東シナ海を支配しようとし、日本、台湾に侵略の魔手を伸ばしても世界が見て見ぬふりをするのは、中共の背後に白人がいるからなのですね。

もし日本が中共と同じことをやったら、すぐに原爆を投下されますからね、白人に。


白人にはぜったい反抗しない中共サマwwwww

共産主義はカール・マルクス発案の、いわば白人発祥の思想です。その思想をちょっとイジって毛沢東思想とか習近平思想とか名前を変えてみても、その本質は白人発祥であることに変わりはありません。

北東アジアが共産主義国だらけになったのは米英ソに赤化されたからです。それとは逆に日本や台湾が赤化しなかったのは、反共枢軸国だったからです。

ですから中国共産党がアメリカと戦争する、などというのは幻想です。なぜって、現在の中共の地位は白人に与えられたものだからです。


習「太平洋を半分…分けてくれアル…」
日本人「戦争して勝ち取れ!コシヌケが」
obama_and_shu.jpg

習「冷遇されても耐えるアル…」
日本人「死なばもろとも、米鬼よ、覚悟しろ!」
トランプ&習1

習「手袋握手されてもトイレ前での会見でも文句言えないアル…」
日本人「共産党のクセに皇帝になりたいんだってよwバカじゃねーの、コイツ」
エリザベス女王1

帝国海軍の資料によるとアメリカは「中国人は力で押さえつければいい」と言っていたそうです。

中共が白人に事大してその威を借りてアジアでどんなに勢力をふるおうとも、白人から見れば使い勝手のいい犬でしかないのです。

もし、お近くに中国人がいたらこの事実を教えてあげてくださいね。


白人「チッ、アジアのシュギシャは使えねーのばっかだ」

尖閣周辺に入ってきた中共潜水艦はブザマでしたね。映画「レッドオクトーバーを追え」のソ連の潜水艦みたいでした。

ソ連の潜水艦はガタガタとエンジン音がうるさくて、アメリカ側に捕捉されまくりでしたね。


尖閣に潜水艦 中国の本性を見過ごすな
2018年1月13日 産経ニュース

 日本固有の領土である尖閣諸島(沖縄県)を奪おうとする野心を隠さない中国が、海警局の公船だけではあきたらず、海軍の艦船を尖閣周辺海域へ投入してきた。

 中国海軍の水上艦と、潜ったままの外国潜水艦各1隻が尖閣周辺の接続水域を同時に航行しているのを自衛隊が見つけ、追尾した。初めてのことである。潜水艦は後に公海で浮上し、中国の国旗を掲げた。

(中略)

 中国外務省の報道官は会見で尖閣を「固有の領土」と強弁し、「中国海軍が日本側の活動を追跡、監視した」と、事実とは正反対の説明をした。(後略) 


【山東省の山賊ふぜいが海洋民族のフリをした結果:バレて会見】
世界に恥をさらすwwwww
こぎれいになった中国人1


中国の事大思想と虐小思想

1922(大正11)年 外務省:
支那は白人に事大するその反動で弱いものイジメをする

戦前、ロシア軍人は中国人商人から買い物をしてもその代金を払わなかったそうです。もし中国人商人が代金を要求しようものなら、すぐさま殴りつけたそうです。ロシア人を恐れる中国人は言いわけのように「ロシア軍人はえらい」と言っていたそうです。

日本はロシア、アメリカに学びましょう。中国人、朝鮮人は力で弾圧するのが一番だそうです。日本政府には今後がんばってほしいものです。

それからサヨクのみなさんに言っておきますが、中国人が反日なのは日本に侵略されたからではなく、中国人にはもともと「中華思想による日本人蔑視」があるのです。その証拠は、その日本人を蔑視する優越感を白人に利用され、抗日へと駆り立てられたことです。


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B03050333000:1922(大正11)年 外務省|関東庁警務局 「3 支那民族性実例集(関東参謀部報)」(19コマ目)

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 六 事大

支那民族は古来専制政治、就中(なかんずく)暴政下に立ちしこと多きを以て彼等(かれら)は自己擁護の必要上自然に強者に阿附(あふ:おもねること。へつらうこと)すべき事大的特性を養成するに至れり 但し其(その)間常に利己的打算の存すること勿論(もちろん)なりとす 而(そ)して彼等は又誤事大思想の反動として一面大に虐小主義を有するは看過すべからず 例(たと)へば古昔(こせき:むかし)隴(ろう:中国の地名。甘粛省南東部)を得て蜀を望みしが如き(後漢書:隴を得て蜀を望む:一つの望みが達せられると、さらにその上が望まれること。欲望にきりがないことのたとえ。望蜀)最近に於ては対露人(ロシア人)態度或(あるい)は山東問題に対する態度の如き何(いず)れも誤主義の発露なり、

実例、

一、北清事変後京津地方駐在露国軍人は支那商人等より物品を購入して其(その)価を払はず 若(も)し支払を要求せば直(すぐ)に鉄拳を喰わすを常とせり 而(しか)も当時に於ける支那人の弁に曰(いわ)く流石(さすが)に露国は大国なり、露国軍人は「エライ」と

一、、孟恩遠は先年張作霖と争覇の結果失脚したるを以て、張作霖とは不倶戴天の仇(かたき)なるに拘(かかわ)らず近時張作霖が天津に至るや孟は日々其(その)旅館に出入しあり 之(こ)れ孟は昔時の仇を思ふより又近時に於ける張の勢力に阿附し自己の復活を策する事大主義より来れるものならん 又馮徳麟は曩(さき)に寧(むし)ろ張の先輩として威を揮(ふる)い而も張の為に逐(お)はれたるに拘らず今や其(その)傘下に満足しあるが如き其(その)適例ならんとせんや

一、北満(ほくまん:満洲北部)に於ける支那人は近時漸く親米に傾かんとするの勢を示し来るは日本に対し反感を有すと云(い)ふよりも寧ろ米国最近の勢力を見て之(これ)に迎合せんとするより来れるものと言ふべきなり 前吉林省長徐及鼎霖の親米的態度を執りしは確(たしか)に事大主義より出でたるものなるが如し

一、日本軍の駐屯しある地方に於ては彼等は日本軍の駐劄(ちゅうさつ:駐留)せざる地方又は駐屯しあるも支那軍の兵力寧ろ強大なる時は其(その)態度傲慢となり我を軽侮するの態度に出て事を醸す(衝突を作り出す)ことあり 此等(これら)も亦(また)事大思想より来れるものと云(い)ふを得べし、

一、従来支那各地の政変に於て堂々たる軍人政治家等が当初其(その)旗色を極(きわめ)て不鮮明にして軈(やが)て形勢の定まるを見るや直に大勢の向ふ所に加担するは常に見る所の現象なり 之(こ)れ打算的事大思想の発露とす

一、支那官吏の外出に際し多数随従者を帯同するが如きは之亦(これまた)事大主義より来れる慣習ならん

一、近時露支国境至る所に於て支那人の露国人に暴虐を加ふることは枚挙に遑(いとま)あらず 其(その)人道を無視する点に於て彼等の弱者苛(いじ)めは実に徹底的なりとす 之(こ)れ一般支那人の有する前記虐小思想発露の一例とす

一、最近山東問題に於て日本が譲歩するに従ひ彼等は益々其(その)要求を高め以て日本の寛大公正の精神を認めざるのみならず帝国の譲歩は却(かえっ)て彼等の侮蔑を招けり 而(そ)して彼等は日本を抑(おさ)ふるは米国を引用するに如(し)かずと為(な)せり 之れ即ち彼等の虐小思想並(ならびに)事大思想発露の一端とす



戦前日本人「日本の譲歩が支那を増長させた」
支那「台湾をかへせ、琉球をかへせ、朝鮮をかへせ!」

戦前欧米の日本人差別・弾圧は言語に絶するものでした。最近アメリカで「反人種差別」が叫ばれていますが、正直なところ、アメリカはどうにかなってしまったとしか思えません。

欧米に事大した中国人は中国各地で、華僑は東南アジアや南洋で何度も暴動を起こして、日本人を襲撃、虐殺しました。彼らがそういう暴挙に出ることができたのも白人のおかげです。

そんなふうに日本が見くびられてしまったのは三国干渉に続き、第一次世界大戦の戦利品である在支権益を列国の圧力で放棄したことです。つまり、今後、日本は中共に対してあらゆることに一歩たりとも引いてはならないということです。

日本が西洋列国の圧力に屈したのは日清戦争時の日本人口は約3000万人、第一次世界大戦時は約5500万人だったこと、明治維新という革命で国内混乱、国力もないかいま一つという状態だったからでしょう。


出典:1937(昭和11)年 今日の問題社 斎藤二郎 「支那をめぐる日・ソ・英・米」 第六章 急迫せる日支関係と邦人惨殺事件の真相

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 五、抗日は何故(なぜ)激化するか

 支那は清朝末期以来漸く国内の不統制、圧政を暴露し、その間隙に乗じて欧米勢力に蚕食され『眠れる獅子から眠れる猫』となった。英国を始め、独、仏、露によって、支那の海港は奪はれ、要地を失ひ、支那の土地でありながら支那の自由にならぬところとなって来た。又満洲蒙古、西蔵(チベット)等辺疆諸地方は外国の保護領又は勢力下におかれ、支那崩壊の過程をたどった。

 この間において、支那は且つて日本が小国であり、同じ有色人種で、世界争覇の舞台に後(おく)れて登場したが故に、いつまでも日本人を無力、小国として軽蔑した。

 欧米諸国を恐れ、白人を優等視し、その比較の感情は日本軽蔑熱となって現はれた。そこへもって来て、列国の支那侵略の野心も手伝ひ、支那人の排外感情を日本にむけた、侮日は支那の心奥に住んでゐた。この感情はロシヤにつゝかれて日清戦争を起した。その結果は甚(はなはだ)しい敗亡であった。これは支那の正体を曝露する結果になった。支那は日本を怨みとするに至った。この感情は白人諸国にたよる心を強め、益々日本侮辱にかたむいた。

 日本が日露戦争で強国ロシヤを破ってからは、日本の強さを認め、東洋の提携をさへ考へるに至った。少くも一九一一年の支那革命(辛亥革命)における対日感情には、この考へは相当強かったのである。日本も亦(また)革命を支持したのである。

 だが革命後の支那はやはり侮日であった。白人のやることは、白人の強さ、文明の高さを強信し、その反対現象として日本侮蔑は甚しかった。この感情は間歇(かんけつ:一定の時間を隔てて起きること)的に火を吹いてゐた。

 而(しか)し、なほ統一的な感情となっておらず、一部政客(せいかく:政治家)や商人の政略、商略(排日貨で巨利を得た浙江財閥など)に利用され、外国の対日政策の一端でしかなかったし、その排日層としても一部学生の間にあるに過ぎなかった。

 これが激しくなって来た最初の山はパリー会議、ワシントン会議にあった。日本は世界大戦に参加し、極東におけるドイツ勢力を駆逐した。その結果ドイツが蟠居(ばんきょ:広大な土地を領し勢力をふるうこと)してゐた青島を得、山東におけるドイツ利権を得た。これは念のために云(い)ふておくが、決して支那から得たものではない。ドイツと戦ひ、ドイツを破って得た戦利品なのである。

 パリーの平和会議において日本は当然これを得るべき筈(はず)であり、世界をして確認せしむべき筈であった。戦勝の列国はドイツに対し天文学的数字の賠償を負担せしめ、ドイツのあらゆる領土を分割占拠した。この分け前に日本はあづからなかった。そこで列強は満ち足りた。最好条件下に世界の現状維持政策を決めた。こんな勝手な話はないのである。

 そのとき日本一人は『お前に分け前はやれない、お前がドイツから得た青島はもともと支那のだから、そのまゝとることは不都合だぞ』ときめつけられた。我が代表は欧米の勝手な熱に反撃をなし得なかったのである。支那の欧米に依存する政策はこのときをもって遥かに強くなった。つまり欧米にたよってゐれば、少くとも日本だけはやっつけられる。そして、どんな理由にもせよ、日本が支那から得てゐる土地や権利を無償で奪ひかへせると考へた。この考へは支那に欧米派なるものを一つの勢力として育てたのである。支那人の性格は弱いもの、おとなしいものには強く、強いものには弱いのである。そこで支那人は、二十一ヶ条の反対をとなへ、ワシントン会議では青島の奪還運動を起した。

 日本が日露戦争後強大になってゐるのを嫌悪してゐた米国は、支那を可愛がることによって日本排撃の主役となってゐた。

 大戦後英国も多年の同盟を忘れ、日本の台頭を恐れ、米国と結んで日本を排撃して来た。支那の日本排撃は好条件に恵まれた。支那は青島の返還を求めた。内心日本がこれに応じるとは考へてゐなかった。支那だって、日本が如何にして青島を得たか知ってゐるからである。

 然るに、日本は支那の背後にゐる欧米を恐れた。当時の日本の外交は一にも英米、二にも英米であったのだ。その観念は今でも妄者のやうに日本人の一部につきまとってゐるのである。嗚呼、禍(わざわひ)なるかな、この観念!

 日本は支那側の提議に、易々諾々(原文ママ)として応じた。多数の将兵を殺し、国帑(こくど:国庫の財貨)を費して得た青島と山東の権益の大半に『グッド・バイ』をあっさり告げた。これには支那も欧米も、日本の人の好さと弱腰にあきれた。この結果支那は英米にすがって、日本に強く出れば、日本はすぐひっこむ弱虫だと思った。侮日の感情は強くなった。これは政府の政策としても効果的な手段と思ふに至った。爾来、侮日は大きな支那の感情として、運動に統一され、強大となって来た。

 支那は青島奪還に味をしめ、台湾をかへせ、琉球をかへせ、朝鮮をかへせ、旅大をかへせとわめき、何の代償も払はず、日本全土も支那のものにしてしまひさうな行動をとるに至り、排日は侮日の形で、一種の国民運動の形をとり始めたのである。



アメリカ人「中国人は力で押さえつければいいのさ」

結局、犬は犬ってことですね。白人に事大して思想まで白人発祥のものに替えてアジアではわがもの顔でふるまっている中共も、白人の前では土下座してその靴をなめているのですよ、白人の顔色をうかがいながら。

中共が中国を支配する根拠は「日本に勝利したから」だそうですが、日本軍は中共とは戦争していません。中共は日本と戦争したと思っているかも知れませんが、日本軍の敵は蒋介石の国民党軍であって、日本軍はただ中共粛清作戦をやっただけです。


出典:1933(昭和8)年 有終会編 「海軍要覧 昭和8年版」 第一篇 戦備 第二章 帝国の海軍政策 第三節 帝国の存立上直面せる脅威

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


『支那人の恐るゝものは唯(ただ)力あるのみ』と某米国人は言って居るが、支那は放任すれば放任する程増長することは明瞭である。況(いわ)んや第三者が放任することを可とするが如き態度を示す場合に於てをやである。


中共の事大:その他の資料

1936(昭和11)年 外務省情報部:
事大中国人はソ連を救世主のように仰いだ

コミンテルンは世界革命の端緒としてまずヨーロッパを赤化しようとしました。しかしヨーロッパ諸国の政治的、経済的基礎は意外にも強固であったため、コミンテルンはヨーロッパ赤化からアジア赤化に方針転換しました。

当時のアジアは日本とタイ以外の国々は西洋列国の植民地だったため、コミンテルンは植民地を赤化して宗主国に反目させれば資源の輸出が止まり、西洋列国を弱体化できると考えたのです。

そしてアジア諸国でもっとも赤化に適していると選ばれたのが、日本蔑視に満ちている自称「世界の中心」中国でした。

ちょうど中国では「ベルサイユ条約で山東省のドイツの権益が日本に譲渡される」という報道を耳にした人民が荒れ狂って、五・四運動という全支規模の排日運動を展開している真っ最中でした。

そんな中国に対し、ソ連は「帝政ロシア時代の不平等条約と権益を一切放棄する」と宣言して中国に取り入りました。そして中国人民は地獄に突き落とされるとも知らず、ソ連を救世主のように仰いだのでした。


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B02130968400:1936(昭和11)年 外務省情報部 「第五章 東亜に於けるコム・インターンの活動」(3コマ目)

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 第二節 支那赤化運動

 支那赤化運動の出発点は、一九一九年七月二十五日のカラハン宣言である。蓋し(けだし:まさしく)ソヴィエト・ロシア外交の指導者たるコム・インターン莫斯科(モスクワ)本部は、革命当初欧洲資本主義が没落期に直面してゐるとなし、大戦に基づく此等(これら)諸国の経済的・政治的不安に乗じ、宣伝員を派遣して左翼運動を激成せしむる一方、トロツキーをして赤軍を率ゐて波蘭(ポーランド)を衝き、東欧の武装赤化を企図させ、極力欧洲資本主義の顚(転)覆を計ったのであるが、その予想に反し、欧洲の政治的、経済的基礎は意外に鞏(強)固で、到底短日月の間にその没落を期待し得ないことが判明したのみならず、諸国はロシアの運動を大いに警戒し、対欧赤化運動は益々困難となった。

一方ソ聯(連)内に於ける共産主義実施の成績が思はしくなく、内乱凶作相次いで起り、従来の所謂(いわゆる)戦時共産主義を飽く迄継続すれば、ソヴィエト政権自体の基礎さへ危いといふ状勢になったので、新経済政策の名の下に、共産主義制度を緩和し、資本主義を部分的に採用すると共に、国内経済復興に資する為(た)め、欧洲諸国から資本を輸入する必要を生じた。その結果対欧宣伝を緩和し、宣伝の中心を亜細亜(アジア)に移し、先(ま)づ東洋諸国を赤化して、欧洲資本主義の培養機関ともいふべき東洋の地盤を顚覆し間接に欧洲諸国に痛撃を与へようとした。

而(そ)して東洋諸国中、コム・インターンが最も望みを嘱(たく)したのは、既に或る程度の国民運動及び反帝国主義運動の勃興を見てゐた支那であった。斯くして現はれたのがカラハン宣言であり、此の宣言に於て対支不平等条約の撤廃と旧帝政ロシア時代の権益抛棄を声明し支那上下の同情を獲得しようと図ったのである。

 赤化目標の支那は、この時如何なる状勢に在ったか?一九一一年の辛亥革命に依って、清朝を打倒し、名のみは中華民国となったが、内乱に次ぐ内乱で、社会の秩序が紊乱(びんらん:みだれること)し、経済は破壊され、農科(原文ママ)は荒廃してゐた。軍閥混戦の最中に、中国国民党といふ、急進ブルヂョア及びインテリゲンツイア(共産主義でいう知識階級のこと)の党があって、国家改造の原理を採択した揚句の果てが、仮令(けりょう:かりに)如何に有害な主義であっても、眼をつぶって利用しようといふ横道に傾いてゐた。

更に一層急進的なインテリゲンツイアの一部である学生は、ロシア革命の影響を最も鋭敏に甘受し、一九一八年の春、早くも『マルクス主義研究会』を結成し、その鼓動の下に一九一九年五月四日、五・四運動〔親日派曹汝霖邸焼打事件〕(ベルサイユ条約で山東省のドイツの権益が日本に譲渡されること知った支那民衆が起した全支的排日運動)を勃発させてゐた。

斯(かか)る状勢を目指して、カラハン宣言が発せられたのは、薪に油を注いだ様なものであり、北京政府の懐疑的態度に関せず、支那民衆は、ソヴィエト・ロシアを恰(あた)かも救世主の如く仰いだ。



中国人「日本は礼節を知らぬ下品な東洋鬼、白人をおそれ白人をまねるニセ洋鬼」

中国いわく「今日の日本の文化は中国のおかげ、その中国に対し礼節を知らない日本人は下品な民族、東洋鬼」、「白人をおそれまねる日本人は偽洋鬼」、「日本がいう日支親善は口先だけ、わが国の虚を狙っている」だそうです。

中国を大中華、朝鮮を小中華というそうですが、日本を蔑視する言葉も同じとは。

そして中国の小学校の教科書には「日本は不倶戴天の敵」と書いてあったそうです。ホントに「おまゆう」って感じですね。


出典:1929(昭和4)年 太田寿編 「鮮支一瞥」

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 十、支那人の日本人観

 漢人は非常に自負心の強い民族であって、古来他民族を總(すべ)て夷狄(いてき)と蔑視してゐた、其(その)気風は今の支那人にも中々抜けないやうである。前述の青年との筆談中によってもわかるやうに、「古来亜州文化中枢而貴国之師也」とすましてゐる。これは独り其(その)青年だけではなく、中国を以て誇る智識階級には「今日の日本の文化は支那のお蔭(かげ)である、然るに亡(忘)恩的な日本人の態度は剛(傲)慢である」と云(い)ふ中心観念を以ってゐるらしい。「そして礼節を知らぬ下品な民族であって、決して大国民の品格はない。たゞ短気の気象(気性)は猪突的に激発して戦争に強いと云ふだけに過ぎぬ」と思ってゐる。又彼(か)の青年が答へたやうに、日本人の説く日支親善は口先のお世辞であって、眈々として我虚を睨(狙)ってゐる東洋鬼であると広言し、小学校の読本中にも「日本は不倶戴天の敵」と訓(教)へてゐる。

 又日本人は常に自国の美風を無視して西洋を真似、西洋人を尊敬し支那人を馬鹿にする偽洋鬼である。日本の最も怖(おそ)れるのは西洋人であるから、日本に対するには西洋諸国の力に頼ることが最上の手段である。所謂(いわゆる)、西夷を以て東夷を制する遠交近攻の策をとるに到った。



1941(昭和16)年 陸軍省北支那方面軍「思想戦指導要領」:
「支那民衆の英米ソ依存思想を絶滅させ対日依存心を強化し、中共の恐怖政治を打破せよ」

最近、反中共系メディアとか中共に弾圧されている中国青年などが日本人に対して中共の危険性を説いていますけど、日本は100年前にあなた方に共産党の危険性を何度も粘り強く宣伝しています。

その日本軍を「鬼」呼ばわりして耳を貸さず、白人に事大して「抗日」「新中国建設」という白人製の宣伝にダマされて、意気揚々と共産主義体制を選びとったのは中国人自身です。

今ごろ中共の危険性とか、助けを求められても「何をいまさら」って感じなんですよ、事大中国人に大虐殺された日本人としては。

われら日本人のご先祖さまたちは白人に生き地獄の目に遭わされても事大せず、赤化も拒否しました。

われら日本人のご先祖さまたちは偉かったです。子孫が外国に助けを求めたりするような選択をしなかったのですから。


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C11110956500:1941(昭和16)年 陸軍省|北支那方面軍司令部 「昭和16年度思想戦指導要領 方軍作命甲第244号別冊 昭和16年6月14日 北支那方面軍司令部」(2コマ目~)

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 昭和十六年度思想戦指導要領

 一、方針

二、我連続不断ノ作戦成果、日独伊枢軸及対蘇(ソ)友好関係ヲ有効ニ利用シ重慶政権及中国共産党ノ闘争心ヲ消磨セシムルト共ニ民衆ノ英米ソ依存思想ノ絶滅ヲ期シ対日依存心ヲ益々強化ス


 二、指導要領

二、共産党ノ支那ニ於テ享(ウ)ケ容(イ)レラレザル本質ヲ究明シ其ノ根源的弱点及現ニ実施シツツアル恐怖政治ノ実情ヲ洽(ヒロ)ク全民衆ニ知得セシムルト共ニ進ンデ民衆自体ガ一致協力以テ之(コレ)ニ当ルトキハ容易ニ打破シ得ルノ信念ヲ附与シ強力ナル実践ニ誘導ス


【日本は100年前に共産党と米英の危険性を支那人民に訴えた】


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