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2014/04/24

「ナチス賛美デモ」と日本人の民族主義


1933(昭和8)年、日本は国際連盟を追放されたのち、大亜細亜(アジア)協会を立ち上げ、アジアが一丸となって白人の領土侵略・思想侵略に対抗できるよう、導いていこうとしました。

大亜細亜協会は「南京大虐殺」という汚名を着せられ、極東軍事裁判で処刑された松井石根(まついいわね)陸軍大将が発起人となって設立された団体です。

【松井石根陸軍大将】
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「大亜細亜協会創立趣意書」の文面には、日本人の民族主義が色濃く出ています。

とにかく当時の日本人は、ソ連の介入によってすっかり赤化された国連が日本を追放したことにブチ切れました。

日本人にとって満洲は日露戦争で戦ったわれらの父祖20万人の血と引き換えの土地であり、

帝政ロシア時代から続いているソ連の南下政策であるアジア侵略とソ連になってからの思想侵略を阻止する壁でした。

それを「黄色人種が権益を持つのはけしからん。それに日露戦争の戦費を貸したのはアメリカのユダヤ財閥ではないか?」と考える白人と国連に

「日本はソ連に侵略されて滅べ!!」

と突きつけられたのですから。

そこで、わが日本は共産党の宣伝機関に成り下がった国連に見切りをつけ、独自に大亜細亜協会を創立した、ということがよく分かります。

日本人の白人を憎む気持、日本人としての矜持、日本人は日本人の力で難局にぶつかって行こうとする気概、これが日本人の「民族主義」です。

日本とは反対に特亜三国の「民族主義」はアメリカに慰安婦像を建てて白人の威力に依存し、アジア情勢にうといヨーロッパに行って「捏造従軍慰安婦強制連行悲話」で白人の憐憫を買い、排日意識を高めようとし、思想はマルクス製、歴史観はコミンテルン製、韓国に至っては宗教までキリスト教です。これは特亜が戦前から白人とつるんでいたという歴史の証左です。

さらに、中国と韓国はオーストラリアにも慰安婦像を建てようと計画して、二言目には「漢民族ガー」「朝鮮民族ガー」とのたまう。

日本人から見れば、特亜三国の民族主義は「白人に依存した民族主義」であって、それはもう、「民族主義」と呼べるものではありません。


2014年4月20日支那朝鮮のいない大東亜共栄圏実現・国民大行進!2

日本人は白人に依存したりしません。このデモは明らかに日本人がナチスドイツに差別されたことや独ソ不可侵条約を知らない白人崇拝特亜やアカによるものです。

☞【参考記事】日曜の池袋に白昼堂々「ハーケンクロイツ」 ヒトラー誕生日に「ナチス賛美」デモ 2014/4/23 Jcastニュース


特亜はこういうのも知らないよね?

ナチスドイツは上海戦線の蒋介石軍を支援していました。ナチスといっしょに写っているのは日本軍です。ナチスは1936(昭和11)年の日独防共協定(共産「インターナショナル」ニ対スル協定のちの三国同盟)締結後、表向きは支那支援を中止しました。
Germany_china.jpg写真出典:1993(平成5)年 石風社 麻生徹男著 「上海より上海へ」



出典:1934(昭和9)年 大亜細亜協会編 「大亜細亜協会年報.昭和9年3月」  


大亜細亜協会創立趣意書


 満洲事変を契機として、世界政治は今や画期的なる変化と転向を遂げようとしている。世界最新の国家としての満洲国の自立は既に大戦後の国際政治史に於ける一大驚異である。

然(しか)も独立満洲国の出現は、相(あい)踵(つ)いで生起せしめらるべき世界的変化の僅かに序幕に過ぎぬ。東亜の自主が満洲の自立に次いで確立されねばならぬ。文明の母亜細亜の自由と光栄が、王道新国家の建設に踵(きびす:かかと)を接して再建されねばならぬ。

曾(かつ)て満洲は欧人の世界征服に対する東亜最後の防塞であった。今や満洲はそれ自体一個の国家として強化され統整せられた。全亜細亜の団結と再組織への工作が此(こ)の極東の新事態を前提として着手せられねばならぬ。


 惟(おも)うに、亜細亜は、文化的にも、政治的にも、経済的にも、地理的にも、はた、人種的にも明らかに一個の運命共同体である。

亜細亜諸民族の真の平和と福祉と発展とは、一体としての亜細亜の自覚とその有機的結合の上にのみ可能である。亜細亜に国するもの相互の反目と抗争とは外来の干渉に対して好箇(こうこ:ちょうどよいこと。適当)の機会を供するものであり、現に亜細亜の上に加えられつつある重圧を自ら加重する所以に外(ほか)ならぬ。

而(しか)して(そして)亜細亜諸国相互の抗争の機会を杜遏(管理人注:杜〔ず〕はふさぐ、遏〔あつ〕はおしとどめるの意)し、外来の干渉と離間を排絶するためには現在分散乱離の状態に在る亜細亜諸民族をして一個の連合体にまで組織し統整するの努力が絶対に必要である。

加之(これにくわえて)、亜細亜の混沌と乱離とはひとり亜細亜自らの不幸たるのみならず、それが常に欧羅巴(ヨーロッパ)または亜米利加(アメリカ)の野心と貪婪(どんらん:欲のきわめて深いこと)とを刺戟(しげき)するに於て、世界平和のための至大の障害であらねばならぬ。

東方の不安と動揺は、直ちに世界の不安と動揺である。亜細亜人の自立自彊による亜細亜の秩序化は実に世界政治を不動の根基の上に安定せしむる前提である。


 然(しか)り而して、亜細亜の再建と秩序化の重責は、職として皇国日本の双肩にかかる。我等は曾つて四半世紀前、国運を賭して露西亜(ロシア)帝国による東亜侵略の狂瀾(きょうらん)を既倒(きとう)に回(めぐら)し(管理人注:狂瀾を既倒に回す:あれくるってくずれた大波をあちらへ押しかえす、転じて形勢の傾きくつがえったのを再びもとに回復するの意)、全亜細亜覆没の運命を救い、よく有色諸民族台頭の気運を醸成し得た。

今や満洲事変を契機として人類史は復(ま)た一大転換の潮頭に臨んで居る。皇国日本はよろしく日露戦争の世界史的意義を拡充し、その一切の文化力、政治力、経済力、組織力を傾倒して、亜細亜の再建と統一に向って進一歩を画すべき時である。

蓋(けだ)し(考えてみるに)、亜細亜諸民族の自彊と団結の指導として欧羅巴(ヨーロッパ)偏局の現国際機構を改善し、人種不平等資源衡平の原則の上に新世界秩序を創建することこそ、我が建国の理想を恢復し皇道を四海に扶植するの一路である。大亜細亜連合の結成は、今日の日本国民が当面する歴史的任務である。


 大亜細亜連合の結成は、今日の国際政治の進化過程より見るも極めて自然の途(と、みち)である。地域的、文化的若(もし)くは人種的類縁によりて諸国民が一個の政治的並びに経済的連合体を組織せんとすることは人類社会の必然の行程である。

民族国家より世界国家に飛躍することは不自然であり不可能である。偶々(たまたま)欧州大戦なる異常なる機会に於て、歴史的要因の熟成を待たず早期に出現したる汎世界連合としての国際連盟が、汎大陸主義汎民族主義によりてその原則的修正を受くることは、蓋し当然の帰結でなければならぬ。

その加盟諸国の誠意ある努力にもかかわらず、国際紛争の解決と民族闘争の緩和に国際連盟が殆(ほとん)ど無力にして紛争解決の努力が却(かえ)って紛争を激成しつつあるの憾(感)を免れざる所以のものは、上述の如き国際政治必然の進化過程を無視して観念的世界主義の上に立脚する国際連盟の本質的欠陥に出ずるものである。

今明日の国際政治並びに国際経済は、恐らく欧羅巴(ヨーロッパ)連合或(あるい)はアングロサクソン連合等の汎大陸的乃至汎民族的諸集団の対立と協力の交錯によりて運籌(うんちゅう)せらるべき動向に在り、新(あらた)なる世界平和の機構は、まさに斯(か)くの如き諸集団並立の態勢を基調として樹立せらるざるべからざる(管理人注:樹立されてはならない)を知るのである。


 かくて、大亜細亜連合の結成は、今日の亜細亜にとりて必要なるのみならず、真箇(しんか:まことに。真正に)の世界平和確保の上にも最善且つ絶対の途である。

吾人(われら)が玆(ここ)に相図(あいはか)って大亜細亜協会を創立し、亜細亜諸国に於ける文化、政治、経済、諸事情の調査研究・皇国と亜細亜諸国との親和誘掖(ゆうえき:みちびきたすけること。補佐)関係の増進・之等(これら)の諸国に対する皇国文化の紹介普及等の努力を通じて、やがて全亜細亜諸民族を打って一丸とする亜細亜連盟の実現に向って拮(きっきょ:いそがしくつとめること)据せんとする所以のものも、亦(また)実に此の途が人類文化の進運に貢献し世界平和を確保する最善絶対の途たることを確信するが故に外(ほか)ならぬ。

大方の識者諸賢の御賛同と御協力を賜わるを得ば幸甚である。

昭和八年三月一日

大亜細亜協会創立委員
右代表(順序不同)

近衛文麿  広田弘毅  松井石根  末次信正  矢野仁一  菊池武夫  
村川堅固  小笠原長生 徳富猪一郎藤村義朗  加藤敬三郎鹿子木員信 
白鳥敏夫  坪上貞二  根岸 佶  白岩龍平  戸塚道太郎山脇正隆  
野波静雄  平泉 澄  下中弥三郎 角岡知良  本間雅晴  酒井武雄  
樋口季一郎 鈴木貞一  太田耕造  満川亀太郎 石川信吾  柴山兼四郎 
内藤智秀  筒井 潔  中平 亮  宇治田直義 清水菫三  今田新太郎 
今岡十一郎 中山 優  半田敏治  中谷武世  



本記事の資料


日本の国連追放、ナチスドイツの中国軍支援、ソ連による国連赤化と日支事変拡大工作について


出典:1952(昭和27)年 中央公論社 重光葵(しげみつまもる)著 「昭和之動乱」 上巻 



斉藤海軍内閣 二

 松岡代表は英語をもって熱弁を振った。しかし、日本を侵略国とすることは、既に予定されたことであった。決議は成立し、松岡代表は、遂に連盟との協力を見限って会議より退場した(一九三三年一月)。



広田三原則 二

 しかしながら、当時(一九三三-四年)列強においては、日本を除外して支那に軍事的借款を与え、武器を供給し、軍事顧問または教官として派遣し(主としてドイツ)、飛行場を建設するなど、反日抗日運動の気勢を煽るものがあったので、これがために、日支関係は害され、東亜の平和は擾乱せらるる処(ところ)があった。



広田三原則 三

 ソ連の参加後、共産分子の多くなった国際連盟は、衛生部長ライシマン(ポーランド-ユダヤ人、共産党員)を、当時日本攻撃の有力な材料であった阿片(アヘン)問題調査を名として、支那に派遣した。彼は、遂に支那政府の顧問となり、最も効果的に、支那政府の内部より共産党のために働いていた。

ゾルゲ諜報団もまた久しく支那、日本にわたって活動していた。コミンテルンは、世界的組織をもって日支の紛争を国際的に拡大すべく、全力を挙げていたのであった。


【ミズーリ号上で降伏文書に署名する重光葵】
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巨万の富を生んだ満洲について


出典:1931(昭和6)年 森山書店 大谷隼人著 「日本之危機」 68ページ 第四章 満蒙と日本民族の生存権



 満蒙の支那住民は日本の権益あるが故に維持せられて居る平和と秩序の下に、其の生産を営み斯(か)くして得たる原料を日本が保証する安全なる運輸機関に依って海外、主として日本に輸出し而(しか)して(そして)其の生活に必要なる各種の製品を日本より需(もと)めて居るのである。

昭和二年度に於ける南満三港(大連、營口、安東)の貿易額は四億四千七百六十余万円で全満洲貿易額の八割五分を占め其の内六割余が日本との貿易額である。

其の外(ほか)直接日本の施設を中心とする日満経済関係も極めて密接なるもので、満鉄に就(つい)て数字を挙げて見るなら其の純益は従来年額六千万円に達し、(五年度は著しき減収であったが)昭和四年度に於て支那人労働者に支払った賃銀は総額一千七百万円に達しているとのことである。

☞【参考記事】商船三井40億円支払い、中国が差し押さえ解除 2014年4月24日 読売新聞
☞【参考記事】「強制連行」中国でも日本企業を集団提訴へ 国交正常化後で初 2014年2月26日 産経新聞




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