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2017/12/07

米軍の非人道的な室蘭艦砲射撃


1945(昭和20)年7月14日、アメリカ機動部隊は北日本近海に姿を現し、日本本土への艦砲射撃を開始しました。

艦砲射撃とは戦艦の大砲を無差別に撃ち込むことです。もともと戦艦の大砲は重厚な装甲でおおわれた軍艦を攻撃するために使われるものですから、それが人間に対して使われたならひとたまりもありません。

米機動部隊は沖縄玉砕後から広島原爆投下までの間に、この非人道的な艦砲射撃を釜石、室蘭、日立、多賀、布良、幌延、串本、新宮その他の地域に向けて実施し、破壊し尽くしました。

特に室蘭は7月14日に米軍機による波状攻撃をうけ、15日には艦砲射撃されて一時間に860発の砲弾が撃ちこまれ、一千名以上の死者、死傷者を出しました(当時の北部軍発表による)。

ちょうど7月15日は購買組合の給料日で、砲撃を受けた挺身隊の女学生たちの遺体は四肢もバラバラになるほどに噴き飛ばされていたそうです。

日本人には人権も人道もいかなる国際条約も適用されず、しかもその死は歴史から消されてしまうという差別ぶりです。


【零戦のプレート】
米軍は製造番号から日本軍用機の残りの機数を割り出していた。
零戦プレート

最近ノーベル平和賞を受賞したICANという、北朝鮮のピースボートと関係のある団体が「日本はアメリカの核の傘から離脱しろ」とキレイゴトで日本を煽動していますが、共産主義者は戦後72年が経った今でも日本人を虐殺するチャンスをねらっているのです。

こういうサヨクは日本人の「日本は被爆国だから」という感傷的な気分にツケこんできます。彼らが思想的・人種的に日本人を差別しているように、日本人の感情に訴えてくるのです。

「平和」が看板のサヨクの言うことに耳を貸すと、日本にまた核が投下されます。


日本抹殺のチャンスを作ろうとする平和団体ICAN


ノーベル平和賞のICAN“日本は核の傘から離脱を”
2017年12月6日 TBS NEWS

 ノーベル平和賞を受賞する核兵器廃絶国際キャンペーン=ICANは、JNNの取材に「日本は核兵器廃絶のリーダーになる力がある。アメリカの核の傘から離れるべきだ」との考えを示しました。
 「ICANの本部です。本当に小さな部屋から世界的な賞をとったんだなというのが第一印象です。長崎からの折り鶴もあります」(記者)
 
 スイス・ジュネーブにある本部で働くスタッフはわずか4人ですが、ICANには世界468団体が参加しています。ICANは今年7月の核兵器禁止条約の制定に貢献したなどとして、ノーベル平和賞を受賞しています。被爆国、日本が「抑止力としての核を容認」する立場で条約を批准しなかったことについては、こう話しました。
 「安倍首相はトランプ大統領側に立っている。彼は核のリスクや核兵器が使われる可能性を増大させるレトリック(物言い)を使う方を選んだ」(ICAN ダニエル・フーグスタさん)
 
 一方で、「日本は核兵器禁止条約においてリーダーになる力がある」として、こう訴えました。
 「日本はアメリカに“我々に核の傘はいらない”“それに代わる道を追求したい”と言うことができるはず」(ICAN ダニエル・フーグスタさん)
 
 10日にノルウェーで行われる授賞式前後には、日本の被爆者らとともに核兵器の廃絶を世界に訴えていく予定です。




太平洋戦争歴日表:1945(昭和20)年7月15日
米艦隊が室蘭を艦砲射撃

当時のグアム島来電によれば、この非人道的な艦砲射撃はアメリカ太平洋艦隊ドガー少将指揮のもと「作戦」として実行されました。米軍はレイテ沖海戦、沖縄戦で日本軍にはもう反撃の能力がないことを知った上で、この無差別殺戮を実行したのです。

こののち広島と長崎に原爆が投下されたことを考え合わせると、アメリカの日本攻撃には日本に対する憎しみさえ感じさせます。その理由は帝国陸軍が書き残しているようにわが国が天皇を戴く民族国家であること、そして神の選民ユダヤよりも長く日本という国を営んできたことにあるのでしょう。


室蘭艦砲射撃歴日表1

【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C13071319700:陸軍省 「昭和16年~20年 太平洋戦争歴日表」



条約は日本を拘束するためのもの
1932(昭和7)年2月27日 時事新報 アメリカ「日本は条約を守れ!」

アメリカは一切条約を守らず、自国の利益のためなら一方的に条約を破棄する国です。そんなアメリカがことあるごとに「日本は条約を守れ!」と要求していました。


新聞記事米国に於ける事件の判断1
米国に於ける事件の判断
一 有害なる遊戯


 米国国務卿スチムソン氏が上院外交委員長ボラー氏に宛てたる書翰の形式を以て、現米国政府の極東事件に対する政策を声明した其声明の内容として、世間に伝えらるる所のみを見れば、一向取留めもなき宣言の如くなれども、根本の趣旨が日本に対する一種のデモンストレーションであることは十分に察しられる。右の書翰を一読するに、スチムソン氏は九国条約及び不戦条約を云々して、日本に対して条約遵守の義務を促しているようであるが、満洲事変に於ても、又上海事件に於ても、日本が如何なる条約の文字にも又その精神にも反するものに非ざるは勿論、支那に対して領土的にも政治的にも何等の野心なき次第は、日本政府が累次繰返して世界に声明した所であって、苟も故意に他の心事を曲解せざる限り、今に至りて尚お日本の真意に安心することを得ざるが如き言を為すのは、寧ろ有害なる遊戯とさえ評せざるを得ない。斯かる曲解に依る遊戯が断然その跡を絶たざる間は、日本が如何に迅速に極東事件を解決せんとするも、局外第三国の空騒ぎを刺戟することに依って、却って一層事態を紛糾せしむるに至るの危険を免かれないであろう。

【出典】神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 外交(112-043)時事新報 1932.2.27 (昭和7)


1945(昭和20)年7月 外務省
米機動部隊が釜石、室蘭、水戸地方に接岸し艦砲射撃を開始した

アメリカは7月14日の波状攻撃で青函連絡船を徹底的に破壊しました。9隻の船が撃沈され、343名の命を奪いました。そしてその翌日には艦砲射撃で日鉄(新日鉄)、日鋼(日本鋼管)といった軍需工場を破壊、挺身隊の女学生たちをバラバラにし、救援の警察官を一片の肉片も残さないほどに噴き飛ばしました。

こういう連中が今また自分らの利益のために「女性差別ガー」「ロヒンギャガー」と偽善を展開しています。


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B02032978500:昭和20年7月20日~昭和20年7月28日 外務省 「2.太平洋戦争終結に関しソ連仲介依頼関係(含、「ソ」国交調整関係)/7 昭和20年7月20日から昭和20年7月28日」

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


一、米機動部隊ハ七月十四日以来本洲北部海面に行動ヲ開始シ釜石室蘭水戸地方ニ接岸シ艦砲射撃ヲ加ヘ其(ソ)ノ艦載機ハ本土北海道間ノ連絡ヲ妨害シ多数ノ船舶ヲ撃沈シタリト伝ヘラレ之(コレ)ニ対スル我方邀撃(ようげき:敵を迎え撃つこと)ハ敵側報道ニ依レバ海空軍トモ皆無ニ近シトノコトニテ右ハ遺憾乍(ナガ)ラ我方交戦力ノ低下ヲ如実ニ物語ルモノト考ヘラレ此(コ)ノ趨勢ヲ以テスレバ敵艦隊ノ行動ハ日を逐(オ)フテ傍若無人トナルベク現ニ今回来襲機動部隊ノ構成艦名並ニ司令官ノ姓名迄麗々ト放送シ公然日本海軍ニ挑戦シ居(オ)レリ


【資料画像】
室蘭艦砲射撃1



本記事の資料:
北海道新聞社社会部次長「被害は大きく、死者は多い」
1945(昭和20)年7月14日、アメリカ機動部隊は襟裳岬沖に現れ、北海道空襲、翌日には艦砲射撃を開始しました。ユダヤアメリカは人であれば民間人であろうと、船ならば一隻の漁船であろうと、無差別に攻撃しました。

また釧路市に対してはペリリュー島やトラック島のようにまずガソリンを巻いて銃撃したため、大火により1000戸の家屋が焼失しました。

このようにサヨクは徹底的に日本人を殺戮したのですから、日本人はサヨクの「朝鮮半島有事による朝鮮難民を日本は受け入れろ」と要求を飲む必要はありません。

その人権やら人道やらの美名に隠れているのは「日本覆滅」という彼らの野望なのですから。


出典:1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録大東亜戦史 原爆国内編」所収 北海道新聞社社会部次長 森川勇作 「北海道戦争末期図絵」

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 機動部隊をおそう

 T大尉が、こんどくるときは編隊だといった。思う存分やれるといった。

 そのとおり、七月十四日、アメリカの機動部隊は大挙して襟裳岬沖にあらわれ、空母数隻から発進させた艦載機の大編隊が北海道をおそったからだ。B29二十機を混(まじ)えて、艦載機グラマンヴォートシコルスキー三百機が主力となり、その数は実に三百二十機。

 釧路、根室、室蘭、苫小牧、小樽、函館の港湾は、銃撃、爆弾、焼夷弾を叩きつけられた。敵機は足ののびる限り暴れまわったという印象がもっとも強い。

 航空隊の基地、帯広、計根別(けねべつ)、八雲(やぐも)丘球(おかだま)は、滑走路、施設など、蜂の巣のように射(う)たれた。

 T大尉は編隊で襲来してきたなら、思う存分闘うといったが、遺憾ながらこれはあてがはずれた。この敵機の跳梁の前に、わが隼戦闘隊は出撃しなかった。爆撃機が艦隊におそいかかることもしなかった。勿論(もちろん)、一機の特攻機も進発しなかった。

「思う存分」とは敵機のことである。わが航空隊は防空壕に逃げて、息をころしていたからである。

 十四日の午後五時、大本営及び北部軍の発表は、

「撃墜十四機、撃破十機」

 であるが、いずれも高射砲、海上部隊の機関砲の戦果であって、航空隊は一機もおとしていない。

 翌十五日も矢張り朝から敵機は餌をもとめて全道の空をかけめぐった。人影もみれば路上でも田圃(たんぼ)でも機銃をあびせ、施設とみれば雲のきれ目から舞いおりて投弾した。抵抗が薄いと知ったこの日の機数は四百八十機にふえていた。機動部隊は陸地を距(へだた)る三万メートルの海上から室蘭市に艦砲射撃を浴びせたのである。

「航空隊はどうした」

 道民からエンサの声があがったが、北部軍は沈黙をもってこれにこたえた。出撃しても僅か一個船隊の隼ではどうにもならなかったし爆撃機も特攻機もなかった。事実は、本土決戦にそなえ航空機の温存をはかる軍の方針が切歯扼腕する隼の荒鷲を壕に避難させたのである。

 十五日の戦果は、

「撃墜十八機。撃破七機」

 と北部軍は発表した。そして二日間にわたるわが方の被害を、

「海陸交通機関ならびに一部都市の局所にかなりの被害を受け、また死傷一千名をだしたるも、軍事施設帯生産工場ならびにその他の都市の被害は極めて軽微なり」

 とつけ加えた。

 一部の都市のかなりの被害というのは一千戸の全焼家屋をだした釧路市であり、全町を焼いた本別町であろう。根室、函館にも火災はあったが、釧路や本別に比べると問題にならない。

 当時の被害を正確にしたいと、道庁に書類の借用をねがったが、紛失したという返事であった。

 釧路市が焼けたのは市の北端にある旭小学校に落下した焼夷弾によるものという。見張っていた教員は銃撃のため望楼からころげおち、火は浜風にあふられて橋北(きょうほく)にもえひろがっていった。ざざあーっという雨のような音をきいたのはガソリンをまいたのではないかといわれている。劫火は橋北のさかり場を悉(ことごと)く焼き払い釧路川の岸辺でとまった。道内最大の被害である。


【ペリリュー島の戦い】
米軍は島全体にガソリンをまき砲弾を撃ち込んで日本兵を焼き殺した。
ペリリュー島1

 本別町のような畑のなかの町が焼かれたのは、鉄道の分岐点池田町を襲撃しようとして誤認したのではないかと憶測された。

 交通機関の大きな被害は青函連絡船であったろう。国鉄の調べによる被害は次のようになる。

 
翔鳳丸3479トン沈没青森港外死傷47
傷者15
飛鸞丸3506トン沈没青森港外死者16
傷者3
津軽丸3485トン沈没津軽海峡死者107
傷者24
松前丸3430トン擱座函館港外死者21
傷者19
第一青函丸2326トン沈没三厩港
(みつまやこう)
死傷なし
第二青函丸2493トン沈没青森港外死者21
傷者16
第三青函丸2788トン沈没青森港外死者64
傷者8
第四青函丸2903トン沈没青森港外死者54
傷者14
第六青函丸2792トン擱座炎上青森港外死者32
傷者14
第七青函丸2851トン機関故障函館港外死傷なし
第八青函丸2851トン機関故障函館港外
第十青函丸2851トン沈没函館港外死傷なし
亜庭丸
(あていまる)
3391トン沈没青森港外死者1
傷者5
洛東丸
(らくとうまる)
82トン擱座青森港外死者1
【管理人注】擱座(かくざ)…船が浅瀬に乗り上げること。

 これを見ると、満足な船は一隻もない。沈没九隻、擱座して廃船になったもの二隻、ドックに入った第七、第八青函丸、船橋をいためた洛東丸の三隻だけが残った。青函間の連絡は十一隻の船と三百四十三名の命をうばってはたと停止した。

(中略)

 頭上に燃えるグラマン

 室蘭は十四日に艦載機の波状攻撃をうけ、港が空になる程船が沈み、翌十五日には艦砲射撃を一時間喰って、日鋼(日本鋼管)、日鉄の二つの軍需工場は、めちゃめちゃに叩かれた。

 僕はこの二日間、恰度(ちょうど)室蘭にいて命のちぢむ思いをした。

 B29が二度、三度と函館、室蘭地区を偵察しにきているので、北部軍の報道部は「本道空襲は室蘭がまっ先きである」と判断したので社としては、僕と写真の西村君を送りこんだ。

 四日前、空母を含む機動部隊が関東地区に近接し、延べ八百機をもって荒らしまわって消息を絶った。

 ハルゼー麾下(きか:ある人の指揮の下にあること。また、そのもの)の中将ジョン・マッケーンの率いる第三艦隊の空母群だとリスボン発UP電はつたえたが、僕たちはそんな大物がくるとは知らず、 B29の焼夷弾とばかり思いこんででかけていった。


【ジョン・S・マケイン・シニア】
ジョン・マケイン上院議員の祖父にあたる。
ジョン、マケイン中将1【写真出典】Wikipedia

 いつやられるか判らんさ、そんな気持でいたが、十二日の夜は昭和新山の裏にある草深い温泉のランプの灯(ほ)かげで酒をのみぐっすり眠った。

 次の日室蘭について山手にある高射砲連隊を廻って旅館に帰ってくると、本社から遠藤、原二重役がきていて痛飲した。

 頭が思い。その鈍い頭に警報のサイレンが叩きつけるように鳴った。朝六時。空は曇ってどんよりしていた。宿では握(にぎり)めしをつくってくれ、それを食べた。

 僕は二階建の郵便局の屋上にあがった。機関砲の銃座があるので、安心感があったからであろう。ごうごうと遠雷のようにひびいてくるのは爆音であるが、雲が厚いので視界がきかず、敵機はつっこんでこれないのである。

 雲のきれ目から真夏の空の蒼さが見えてきた。午前九時ごろだったろう。二重数機が突然超低空で港湾に入ってきた。台地の高射砲は射角がきかず、港内の船が一せいに打ちあげると、敵機は機銃をうちながら海上にさってしまった。やれやれと思ったが警戒警報は解けない。釧路に火災がおきて燃えひろがっているとか、函館が焼けているとか、被害情報が伝わってくる。艦載機がこんなに広く行動するとは全く予想外であった。

 午後三時、再び空襲警報は鳴りひびいた。急いで屋上にかけあがる。陣地は射撃の姿勢で殺気だっている。

「きたぞ──」

 北東、つまり襟裳岬の方向に烏(からす)のむらがるような機影を発見して兵隊が叫んだ。

 敵機は数編隊が合流したのではないかと思われるおびただしい数だ。陣地の射手が素早く数えた機数は八十を読んだ。僕は鉄帽の紐を思わずつかんでぐっとしめ、武者ぶるいに似たものを感じた。高射砲の音が爆音にまじって響きだした。紫色の弾幕がぱっ、ぱっ、とあがる。ようやく機体が判りだしたころ、編隊をといた八十六機は、いずれも港湾の船舶をめがけて数方向から襲いかかった。

 狙われたのは、港に碇泊していた駆逐艦、輸送船、掃海艇、駆潜艦など十数隻あったろうか。

 これらの艦船の舷から一せいに火箭(かせん:艦船の非常信号用の火具。空中に打ち上げると彩火・彩煙・音響を放つもの)をはじきだした。船が火の桶を描いた感じである。高射砲の弾幕をくぐったグラマンと、シコルスキーは艦船の上にくると一機ずつ急降下した。見ている僕には、整然と順序よく急降下をつづけているように見え、敵ながら見事だなあと思った。被弾して火を吐いているグラマンも、黒煙を曳(ひ)きながら矢張り急降下して艦船をねらって投弾した。

 艦船のまわり海面は落下する弾で雨のようにしぶきをあげている。

 高射砲の音、敵機の爆音、艦船からうちだす機関砲の音、爆弾の炸裂音、しかし、僕には音はあまりきこえなかった。火山のように火を噴く艦船、飛行機がうちだすまっ赤な曳光弾。海の青さ。弾幕の点々とした紫。その壮絶な海空の戦いは、美しい絵巻のように見えたのは、すでに、僕は腑ぬけになっていたからであろうか。

 被弾して、パッと燃えて、ゆらゆらと海に落ちる敵機、水しぶきがあがったと思った瞬間もうあとかたもない果(は)かなさ。燃えながらぐるぐると旋回している敵機には、何か悲壮感がただよっていた。

 船が燃えだした。駆逐艦の甲板に黒、紫、青のいりまじった煙があがり、傾斜をはじめた。屋上からすべて手にとるように見える僅かの時間のできごとである。

 獲物を充分叩いた敵機は市内に超低空で入ってきた。機関砲をうちながら轟々とやってくる。僕は防禦壁にぴったり身をつけて上を仰いだ。乗りだすようにして機銃をうっている搭乗員が見える。表情さえうかがえる近さである。標識の星がぐっと圧するようだ。

「畜生!」

 兵隊がうめくように叫んで射ちまくった。弾をはこぶ兵は銃撃の中をかけめぐり、手の空いている射手は小銃をもってうちあった。小銃をうって何になるのだろう。この兵隊の心理は恐怖であろうか、憎悪であろうか。いずれにせよ、頭上に敵機をむかえ、そこら一面に機銃弾のおちるまっ只中にいて、小銃でもピストルででも射とうという心理は僕だって同じだった。

 薬莢は、ぱんぱんぱん、とひびくたびに僕の体までとんできて、鉄帽を叩いた。黒煙を噴いてすぎてゆく敵機、発動機に火がつき、ごおーっと燃える音をさせてゆくグラマン。風防ガラスの中では必死に操縦している姿がみえる。

 もう駄目と観念したのか、車輪をだしかけている機もある。敵が市内に入ってから、わが高射砲は急にいきいきとして、命中弾が多くなっているのが判る。僅か十数分、敵機は南の洋上にすぎていった。

 こう書けば、いかにも僕が落ちついて、すべてに眼を向けて観察していたと思うだろうが、いや、自分は実に立派に、少しも狼狽(あわ)てなかったつもりだが、戦闘がすんで、兵隊たちが、

「あんたの狼狽ぶりは大変だった」

 といった。自分が落ちついているつもりでも、どうも他人には狼狽した姿としかうつらないのであろう。そういう、兵隊たちの機関砲もあわてすぎて飛行機をうたず、五メートル眼の前の大煙突をうちあげて、ずい分弾痕をこしらえているのは、僕と五十歩、百歩のあわてかたというべきであろう。

 港内は大変であった。すべての船が燃えていた。ある船はすでにマストだけをだして沈んでいる。傾斜した駆逐艦の甲板に、まっ白い服をきた水兵がひしめいたと思ったら、一せいに海にとびこんだ。全員退艦の命令がでたのであろう。白い服がひらめいて青い海にとけこんだと思ったら、あとの海面は黒い頭と、茶黄色の顔が海一面をうづめた。嘘のような情景で、悲壮感というより白昼夢の感じである。

 港は燃え上る黒煙で暗くなった。岸壁の方でサイレンが鳴りだした。この音が現実にもどしてくれたのだ。黒い頭は岸辺に泳いでいた。死の中に生を見出した人々であれば、その泳ぎも必死なのである。

 救急車がざわめいて走っている。被害はどの程度なのか、僕はそんなことを知ろうとする気力もなかった。

「漁船をねらっているぞ」
 
 兵隊がいうので沖を見ると、傷つかぬグラマンの一機が、ポツンと点のように見える発動機船の上空をいくどもいくども旋回して機銃をうっている。

 発動機船からも火閃がみえるのは応射しているのかも知れない。その敵機は発動機船が沈むまで、機銃でうちまくると、ゆっくり洋上にきえた。

 機動部隊室蘭を砲撃

 翌朝十五日も未明から警戒警報である。洋上の機動部隊はいまだ遊弋(ゆうよく:艦船が海上を往復して待機すること)しているのだ。

 函館、帯広、旭川、釧路地区にけさも艦載機がとんでいるという情報だが室蘭地区にはその気配さえない。安堵感が漂った。

 ところが、九時ごろ、

「艦影がみえます。艦隊だ」

 と監視哨がとらえた。

「日本の艦隊です。南東海上約三万メートルの地点、十三隻です」

 ようやく日本の海軍は腰をあげたのである。

「いよいよ室蘭沖で敵空母を叩いてくれるか。有難い」

 支社の編集室でみんなが明るい顔になったとき、

「只今のは間違い。アメリカ艦隊です。室蘭を指向しています。待避して下さい」

 けたたましい電話の声に騒然として僕たちは、すっかりうろたえて、急いで防空壕にとびこんだ。サイレンが全市一せいに鳴りだした。

 日鉄、日鋼の機械音がぴたりと停まり、構内を入換中の機関車も死んだように沈黙した。喧噪をきわめた工都室蘭が、海の底に沈んだようにしん閑(かん)としてしまったのは不気味であった。

 全く予期しない艦隊の出現である。飛行機なら防空壕でやや安全である。しかし艦砲射撃ではどうなのだろう。死角を探さねばならない。最初の一撃で吹きとばされたならそれでおしまいだ。

 逃げたい。しかし何処(どこ)が安全といえるか。僕たちは焦慮で一ぱいだった。完全に俎(まないた)の上にあがっていた。艦影は刻々近づき、二万メートルと観測された。

 後で判ったことだが、室蘭沖にあらわれた米艦隊は、リスボン電報によると、


グアム島来電=ニミッツ司令部は十五日公報で、室蘭砲撃をつぎの通り発表した。十五日午前九時三十五分(東京時間)頃、太平洋艦隊の戦艦数隻からなる砲撃部隊は北海道南部室蘭に対する砲撃の火蓋をきった。この作戦は現在バドガー少将の指揮の下に依然継続されており、同部隊には戦艦アイオワ、ミズリー、ウイスコンシン及び駆逐艦ノルマン、スコット、レメーの各艦が加わっている。

 

 こうしてみると、前日釜石を砲撃した艦隊とは違うのである。

 午前九時三十分、遠雷のような音がした。駆逐艦を前面に、戦艦が一列に海上にならんで、一斉に砲門をひらいたのである。

 だあーん。沖合に発車音が響くと、数秒して、ひゅる、ひゅる、ひゅると唸り、ばり、ばり、ばり、だだだだあーん。天地が鳴動する物凄い爆発音だ。

 僕もいろいろ砲の音をきいたが、艦砲射撃のこの地軸をゆする爆発音には息がとまるばかりだ。炸裂するたびに地面はゆれ、壕はぐらぐらと地震のように動(う)ごく。一度に七、八発の砲弾が十秒と間をおかず鳴動するのだ。壕の中の誰の顔にも生色がなかった。

「軍需工場を狙っているんだよ。市内には落ちていない。日鉄と日鋼だけが射たれているんだ」

 やや経ってからそのような結論がでた。音の方向も工場地帯の輪西(りんせい)の方である。

 僕は壕をでた。何んとか艦砲下の状況を見たかったので、壕のうらの山をのぼりだした。

 五、六歩あがると、また炸裂音である。体さえ吹きとばしそうな音に、へたへたと腰をおとし、幾度も草に伏せた。じつに恐(こわ)い。こんな体験は将来もあるまい。

 ようやく山にのぼった。やはり前方一千メートルの工場地帯に砲弾は近づいていた。海面に水柱をあげている弾もあるが、次第に土塊をはねとばし、工場の建物に集中しだした。

 ふと頭上をみると、艦載機が二機、観測しながらとんでいる。弾着を刻々修正し報告しているのであろう。

 向うの山の中腹の畠の中にボコン、ボコンと穴があく。すごい土煙り。学校の一角がけしとんだ。購買組合の大きな建物がペタンと坐(すわ)ってしまった。ハーモニカの職工長屋がとび散る。

 日鉄と日鋼の工場はもっとものすごかった。炸裂音とともに、炎が黄と赤に燃えて工場のなかを駈けめぐっているのだ。

 熔鉱炉二基は砂をかけて火を消してしまったのか、煙のでないその煙突が三本、真ん中から折れてぶらさがっている。火をいれるのに数カ月かかる熔鉱炉、ついに鉄はできなくなった。

 鉄片が空高く舞う。きーん、きーん、ばり、ばり、だだあーん。大工場は音と火焔のるつぼとなり、この世のものとは思えない。

 壕に帰ってみると、特攻機がでたという噂がつたわっていた。そんな情報にもかかわらず、砲撃は少しもゆるまなかった。十分、二十分、三十分と、僅かばかりの工業地帯に叩きこんだ鉄量は、すでに三百発をこえているようだ。

 やがて、みんなが音に慣れてきた。弾道が自分をはずれていることが安心であった。

 死んだ街が、少し動きだした感じがした。眼下にみえる鉄道構内では鉄帽をかぶった職員が、レール上を這(は)うように走っている。数カ所から発煙筒の黒煙が天に向って噴きだした。あとできくと偽装作戦で、被弾で火災をおこしたように見せようという魂胆であったという。

 電話が生きているということも驚異であった。輪西郵便局の交換手牧口キヨ、高橋ヒナさんの二人が守りぬいたのである。防衛部隊の交換兵はとっくに壕に逃げたのに、うら若い二人の女性が一歩も退(し)りぞかなかったのは賞讃に値しよう。

 砲撃が牧口さん達の局舎に次第に近づいてきた時、局長は待避命令をだした。二人の交換嬢は、

「私たちがいま交換台を離れたら、軍の作戦も民防衛も滅茶苦茶になりましょう。どうしても私たちを残して下さい。仕事のためには私たちの生命など問題ではありません」

 決死の申出に局長もこれを許した。二人は市内と市外の台についた。地軸をゆすり、耳朶(じだ:耳)をつんざく轟音が連続して、危険はせまった。至近弾は局舎の周辺に激しく落ち、その度に、交換台は揺れた。窓ガラスは砲弾の破片で破られて、砲煙は室内に渦まいた。こうしたなかで、二人の交換嬢は応答をつゞけ、敵襲情報はくまなく伝わっていったのだ。

「あたりまえのことです」

 札幌局長に表彰の手続がとられたとき、二人の交換嬢はそういってはにかんだ。

 恰度(ちょうど)一時間、砲撃は間隔をおいて遠のきはじめた。

 僕はいそいで、再び山に駈けのぼり突端の高射砲陣地にいった。高射砲の兵隊は、きのうとうって変って、腑ぬけた顔で、

「戦艦と高射砲じゃあ、太刀手(たちうち)もならん」

 とぼやいていた。僕はすぐさま眼鏡をかりた。遥か南の水平線上に点々とする敵艦影をようやく認めることができた。すでに砲門を閉ざし、艦隊は静かに消えていった。僕は憎悪を感じた。

 死の街工都

 工場は死の沈黙から俄(にわ)かによみがえった。

「全員職場に復帰せよ」

 拡声器から大きな声が流れ、工員が蟻(あり)のようにぞろぞろと出てきた。防空壕の土砂をはねて続々とでてくる。救急車が構内を走っているのは生き埋めの壕を掘るためであろう(防空壕に入ったままがれきなどで生き埋めになること)。一時間に、五、六百発打ちこまれた荒廃の工場、さっきまでは整然としていた職場。工員たちはしばらく呆然とした。工都室蘭は八分通り不随となったようだ。

 僕は自転車にのって工場地帯から工員住宅を走った。道路は十二インチ砲(戦艦大和の世界最強といわれた主砲は18.1インチ砲)の弾痕で十メートルもある大きな穴になって、水道の破管で、もう水が溜っていた。その水面に漂っている木片や藁(わら)くず。埋められた壕を掘って死体をひきだしている。

「まだ温いぜ」

 人夫が無表情でいっている。家の下敷になった人たちの掘りだし作業もつづいている。

 四、五人の人が壕のそばでうろうろ探しているのが目についた。

「堀さんの遺品(かたみ)がないかと思って──」

 髪ぼうぼうの主婦が語ってくれた。

 艦砲ときくと、輪西方面をうけもっていた堀巡査は工員住宅に駈けつけて

「早やく逃げろ、防空壕に入れ!」

 叫んだ。ぞろぞろと集ったのは三百名の主婦と子供たちだ。堀巡査は、

「順々に、あわてないで──」

 と一人一人壕に送りこんだ。そうして自分も入ろうとしたとき、飛びきたった一弾は堀巡査を肉片一つ残さず噴きあげたのだ。主婦たちは堀巡査の服の一片(ひときれ)でもと探しているのだった。

 死体が山とつまれてトラックで運ばれていった。僕は思わず目をそむけた。水道管もガス管も壊れ、バケツをもった女たちが坂道をぞろぞろおりて水を汲みにいった。

 購買組合の防空壕は直撃弾をうけていた。この日は給料日だったので主任は金庫を提げて壕にとびこんだ。事務員は挺身隊の女学生が多かった。直撃弾は無慈悲である。一瞬花もさかぬ少女たちを奪った。

 その屍体は一つとして満足でなく、手と足、胴体と、みんなばらばらになって四散した。

 土砂にまみれた掌(てのひら)、そのそばに散っている泥まみれの紙幣、無情感をそそる姿であった。

 僕は支社に帰って原稿を書いた。被害は大きく、死者は多い。そのまま書けば軍の報道部は許可しない。記事はもっぱら艦砲下の人々の闘魂を中心とする。(後略)



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