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2017/12/05

先住朝鮮人と後発朝鮮人の争闘|在日特権・難民問題


日韓併合時代、朝鮮人がドトウのように日本に「移民」してきたため、先住朝鮮人と後発朝鮮人との間で争闘が発生しました。

「在日特権はない」と主張する人々がいますが、この先住朝鮮人と後発朝鮮人との争闘は既得権益をめぐる争いでした。


【関東大震災 保護所で食事にありつく在日朝鮮人】
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先住朝鮮人は日本に渡航してきた朝鮮人相手に違法ブローカーや飯場を営んだり、港湾労働者を希望して戦時中日本人が飢餓におちいっていた時に陸揚げされた貨物をくすねて売り飛ばし私腹を肥やしたりしていたからです。

そういう既得権益を後発朝鮮人に奪われたくなかった、それで争闘が起こっていました。

そもそも日韓併合時代、中華思想による日本人蔑視と共産主義思想で日本人を大虐殺してきた民族が、戦後サヨクと結託して「弱者」になりすまし、「差別」を盾に外国人基本条例やら違法団体民主党を組織して日本を乗っ取ろうとした、それこそ「在日特権」です。

現在、米朝戦争が取り沙汰され、マスコミが「北朝鮮難民が敵国日本に逃げてくる」というバカな論調を展開していますが、難民を受け入れれば戦前のこの新旧朝鮮人の争闘も起きるのです。


香山リカさん「在日の不当利得などありません!」

在日韓国朝鮮人が帰国しないのは日本での暮らしの方が「楽」だからでしょう?
在鮮日本人のように帰国したいのに強制抑留されているわけでなし、あれこれ訴える前に「利得」がなくて「差別」がある日本からサッサと帰国すればいいのです。

香山リカ在日の不当利得1URL:https://mobile.twitter.com/rkayama/status/934692869905924096


先住朝鮮人と後発朝鮮人の争闘

1938(昭和13)年 内務省警保局:
朝鮮人の急激な増加で新旧同胞の協調上遺憾の点少からざるものあり

後発朝鮮人は第一次世界大戦(欧洲大戦)の軍需景気を盲信して漫然と日本に渡航してきましたが、先行者利益は先住朝鮮人のものでした。


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A04010461000:内務省警保局 「社会運動の状況(昭和13年下)」(181コマ目)

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 内地在住朝鮮人運動

 第一、概説

 内地在住朝鮮人は逐年著しく増加しつゝあり、本年末に於ては七九九、八七八名となれり。

 之(これ)を昨年末に於ける七三五、六八九名に比較する時は、一ヶ年にして六四、一八九名の増加を示せり。更に之を大正二年末の三、六三五名、昭和元年一四三、七九六名、昭和十年六九〇、五〇一名に比する時は其(そ)の増加の著しきこと全く驚異に値すべし、斯(か)くの如き急激なる増加は必然的に朝鮮人関係の諸問題を頻発せしめ、新旧同胞の倍加協調上遺憾の点少からざるものあり。由来在住朝鮮人の大部分は鮮内に於ける最下層たる極貧の小作農民又は日稼人夫等が、其の活路を内地(日本国内)に求めて、内地の好景気説を盲信し親戚知己を頼り或(あるい)は知人もなく漫然渡来する者にして、無学文盲国語を解する者極めて少く(日本は朝鮮人に日本語使用を強要していなかった)、且つ特殊技能を有せざる為(ため)、其の多くは自由労働者として、内地各所を転々流浪し、一定の土地に永住して定業に勤むる者は極めて少き実情なり。

 更に彼等(かれら)の素質は低劣のみならず、其の性格は概ね粗暴にして、興奮性に富み些細なる事柄にて喧嘩口論を為(な)し、又其の衛生思想の如きも極めて幼稚にして、不潔汚穢の所為を為し毫も近隣の迷惑を省みず、且つ廉恥心薄く、各種犯罪を敢行し、為に常に内地人(日本人)の指弾擯斥を受け居(お)れり。又彼等は多分に民族的偏見を有し、付和雷同性を有するを以て容易に他の宣伝煽動に乗じて軽率妄動して団体的行動に出で、更に進んで各種不穏なる思想運動に身を投ずる者等ありて相当内地の治安を脅威しつゝある実情なり。



1927(昭和2)年 神戸市社会課:
怒濤のように押し寄せてきた朝鮮人は先住朝鮮人との間にトラブルを
巻き起こした

先住朝鮮人は人数が増えれば利益が少なくなるので、同胞が渡日してくることに反対していました。朝鮮人は口を開けば「民族ガー」と言いますが実態はこんなもんです。自分だけがかわいい。そしてこの「自分さえよければいい」という民族性が日本人に嫌われたのです。


出典:1927(昭和2)年 神戸市社会課 「在神半島民族の現状」 第二章 朝鮮人の内地移住に関する考察 一 総論

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


大正元年には半島民族は僅(わずか)に神戸に二十一人に過ぎなかったのが筍(たけのこ)の延びるが如く三八人となり五五人に増加し五〇〇人になり六〇〇人となりやがては一、五〇〇人に達し、大正十五年には到々(とうとう)二、五〇〇人を算するに至った、若(も)し日本人の急速な人口増加を気にする悲観論者にこの事実を聞かしたら彼等(かれら)は日本が忽(たちま)ちにして朝鮮人の為(た)めに押潰されて仕舞ふだらうと断言するに違ひない、事実左様に近代に於ける朝鮮人の内地移住は恐しくも亦(また)夥しきものがあった。

斯(か)く怒濤の如くに押しよせて来る朝鮮人の殺到は、いやでも応でも内地人(日本人)竝(ならび)に先住朝鮮人との間にトラブルを捲(ま)き起さずにはおかなかった、何事も自然の運命である、この事実は既に我等が再三説示した所であるが──要するに渡航制限の廃止が必然的に齎(もたら)した鮮人の急速な内地移住に依って、寧(むし)ろ鮮人相互に相食(あいは)むといふ悲惨な結果さへ生んで仕舞ったのである、(後略)



1924(大正13)年 朝鮮総督府:
朝鮮人はたがいにねたみあい、反感をいだいて友を売る


出典:1924(大正13)年 朝鮮総督府編 「阪神・京浜地方の朝鮮人労働者」 二、鮮人の職業と労銀 鮮人労働者の能率

※管理人注:( )内は管理人による注釈、●は判読不明文字です。


 また朝鮮人労働者は各地共に、協同一致の団体的の精神なく同業者や同郷者にも常に嫉視反感を懐(いだ)き、所謂(いわゆる)友を売るの例は枚挙に遑(いとま)がない。従って各地には種々の団体が無数に組織されて居るが、殆(ほと)んど有名無実なものである。大阪府下及び兵庫県下には朝鮮人労働者の数が最も多いから、各種の団体が三四十もあるが、其(その)中心人物がいづれも余り有力でない為(た)めか、それとも朝鮮人労働者が団体活動に不適当な為めか、大部分は微々として振はない。今阪神地方の朝鮮人団体を示せば左の如くである。

大阪方面{相愛会支部 朝鮮人救護会 在阪兄弟会 朝鮮職業婦人救済会 朝鮮人労働相互社 関西朝鮮人進労会 大阪相互親睦会 朝鮮人労働共済会 朝鮮人一部緒誼兄弟同盟会 済州島右面西好里青年団会 大阪鮮人親睦会 威好会 ●州共済会 朝鮮人同志会 朝鮮人協会 友信会 朝鮮人●州親睦会 東成郡朝鮮人親睦会 朝鮮人労働奨励会 同心会}

神戸方面{鮮人友和会 鮮人共同懇親会 良民良心団体会 鷹取工場鮮友互助会 神興会 朝鮮労友会 鮮人労友親睦会 御蔵夜学部校友会 槿友会 朝鮮人居住組合 鮮青会 帝国相愛会 鮮人労友和合会}

 右の如くに朝鮮人の団体は多いが、団体各自が大部分無力にして、またこれ等(ら)の団体を統一するやうな有力なる機関もなく、全く烏合の集りに過ぎないのである。


【烏合の集り】
掌隷院民主党1

小池百合子1

立憲民主党1

友を売る。
民主党前原1



参考:被害者と加害者が入れ替わっている戦後昭和史、これこそ在日特権

共産運動|1919(大正8)年 報知新聞
朝鮮独立運動で数千人の朝鮮人が手に手に凶器をたずさえ在鮮日本人を襲撃、警察官を殺傷

韓国や北朝鮮は朝鮮独立運動は美しい民族主義によって起きたと宣伝しますが、事実はこの新聞記事にあるようにソ連に赤化され、アメリカ人宣教師に煽動されて起こした「共産運動」でした。


新聞記事朝鮮暴動重大1
朝鮮暴動重大
帰化鮮人の過激思想宣伝
漸次全道に波及せんとす
当局者談


京畿道内の騒擾漸く甚しく又同道に隣接せる黄海忠南江原道に波及しつつあり其後絶え騒擾を見ざりし平安北道にも去る三月三十日以来不穏の兆ありしが三十一日以後同道北部各所及其他の各道にも若干の騒擾ありて漸次朝鮮全道に波及せんとする形勢にあり三月三十一日より四月二日に至る三日間に於て騒擾の著しき箇所百有余に上れり即ち暴民の多数は棍棒、鎌、斧、剃刀等兇器を携え或は警察官を殺傷し平北義州永山市の如きは憲兵駐在所に三千の暴民押寄せ庁舎を破壊し忠清南道并川に於ては約六百の暴民二回に亘り憲兵駐在所を襲い器物を破壊し郵便署事務所を襲い電線を切断し、京畿道安城郡陽城警官駐在所へ約二千の暴民来襲し放火して之全焼せしめ郵便署事務所を破壊し電柱を焼却す其他或は内地人の家屋を破壊し或は橋梁を焼却するが如き兇暴各所に続出する状況なり然るに交通の不便と応援の困難との為め僻地の駐在所中には憲兵一補助員三名位にて数千の暴徒の襲撃に対抗し弾薬尽きて退却の已むなきに至りたるものあり斯の如き騒擾の激変は在外鮮人就中(なかんずく)露領任留の帰化鮮人、間島在住鮮人及上海に根拠を有する鮮人等種々画策声援を与うるのみならず其一派のものを朝鮮内地に侵入せしめ密に過激思想を宣伝し愚民を煽動して先ず朝鮮内の秩序を破壊し次で累を日本内地に波及せしめんとするものの如し


【韓国「日帝侵略館」】
事実は朝鮮人が在鮮日本人を大虐殺した。
韓国日帝博物館1

【出典】神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 政治(16-011)報知新聞 1919.4.7 (大正8)



強制連行|1929(昭和4)年 大阪朝日新聞:激増する朝鮮労働者
・日本人2万人が米大陸に移民して朝鮮人10万人が日本に移民
・大都市の失業救済事業は朝鮮人労働者を救済している

朝鮮総督府や日本政府の制止も聞かず、朝鮮人は一攫千金を夢見て自由意志で日本に渡航、密航してきました。戦前日本は人口過剰、企業は低賃金で働く朝鮮人を優先的に雇用したため、日本での生活にメドが立たなくなった日本人はアメリカ大陸に移民するしか生きていく方法がありませんでした。

そして日清、日露、第一次世界大戦と日本の連勝を脅威とみなした国々は、日系移民の大弾圧を開始しました。その頃在日朝鮮人は衣食住、薬や米まで支給されて日本でヌクヌクと暮らしていたのです。戦前から日本政府は「併合した面目」だの「武士道」だのというリクツで朝鮮人を優遇し、自国民に地獄を味わわせてきたのです。


新聞記事激増する朝鮮労働者1
財界六感
激増する朝鮮労働者 

社会政策審議会がいよいよ開催の運びとなったが、首相の挨拶によっても明かであるように、失業対策は、その重要なる審議項目の一つである。

末松委員よりの『失業救済資金の支出額如何』という質問に対し、浜口会長は『事情の許す限り支出したい』と答えている。頼りあるようでもあり、ないようでもあり、委員の審議もさぞ骨の折れることだろうと思われるが、折角答申しても、事情が許さぬで、ピシャリと来ては助からぬ。

尤も緊縮政策の結果生ずべき失業者に対しては、政府はすでに土木事業を起してこれを救済することにしているから、ここにいわゆる失業対策とは、専らその根本解決を目標としたものと見ねばならぬのだが、吉田幹事長の答弁によると、知識階級の失業救済の如きは、目下攻究中とだけで、皆目見当がついていないのだから心細い。

諮問案を見ると、失業者救済のため施設すべき事項とか、有効適切なる方途とか並べてあるが、私は、失業統計も出来ていない現状のもとにおいて、その研究をどういう風にやれというのか、その趣旨からして呑込めない。恐らく容易なことでは真面目な答申案は得られまい。

それに不思議なのは、昨年十五万三千人、本年七月までに九万八千人の渡航を見た朝鮮からの労働移民を全く考慮の中においておらぬことである。拓務省では、三百五十万円の予算を以て、大にブラジル移民を奨励するとのことだが、如何に拓務省が頑張ったところで、年に三万とは送れるわけがない。二万やっとこの内地人を出して、十万からの朝鮮人を入れたら、それだけでも失業の圧迫は年と共に加わる。

現に六大都市の冬期における失業救済事業の如きも、その大半は朝鮮労働者を救済している事情であり、朝鮮労働者のために、労働市場が常に不安の状態に陥っているのは争われない事実である。

もし朝鮮から雪崩れ込んで来る労働者を、朝鮮における産業の改善によって防ぎ得るならば、莫大な国費を使って、内地労働者を移住せしむる必要も減ずるはずであり、またどうせ金を使うのなら、それを朝鮮における産業開発に注込んだ方が、有効且つ根本的だという結論にも到達する。私はこの点に対する審議会の深甚なる注意を促しておく。(六灘子)

【韓国映画「軍艦島」】
共産党の侵略と戦っていた日本が全鮮を挙げて「朝鮮独立運動」という共産運動を起した朝鮮人を強制連行、強制徴用するはずがありません。
韓国映画軍艦島6

【出典】神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 労働問題(23-027)大阪朝日新聞 1929.8.11 (昭和4)


日本の植民地支配|1918(大正7)年 東京朝日新聞
騒擾に朝鮮人労働者が多数まぎれこみ米や酒を強奪、軍隊が出動


新聞記事門司市の掠奪1
門司市の掠奪
朝鮮労働者群衆に混ず


十六日白昼の騒擾は意外に激しく各所に掠奪行われ東中町久野米穀店の如きは貯蔵米千数百俵を掠奪され又は一俵四五円にて持ち去られ二万円位の損害となりたり剰さえ金庫を破られ庫中の重要書類を奪われたり又東神倉庫の持ち去られし米二百俵内外なりと日の出町の長島商店は米其他一切を奪われ明治屋支店はビール一本五銭ブランデー一本十銭位にて強買されたり掠奪者中甚だしきは馬車を引き来り二十俵位の米を積み悠々引去りしもあり又之(これ)に朝鮮労働者多数混じ居れり興業物遊廓等は勿論市中一般業を休み戸を鎖し不安の中に夜を徹したり軍隊並に警察側は依然警戒し十七日夜は市内各戸早くより戸を閉ぢて警戒せるも何等騒擾なかりき(門司特電)


【韓国「植民地歴史博物館」】
事実は朝鮮人が日本人の財産や生命を収奪しました。
植民地歴史博物館1

【出典】神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 米(12-098)東京朝日新聞 1918.8.19 (大正7)


従軍慰安婦|1920(大正9)年 大阪朝日新聞
朝鮮女工は稼いだ金を男にみつぎ、日本人男工といい仲になって闇に
落ちていく。日本人は金持ちニダヨ

儒教の教えにより男性ベッタリの生活を営んできた朝鮮人女性らしいですね。こんな女たちがいまはすっかり「被害者」に祭りあげられています。共産党の悪宣伝の特徴は「チカン、ワイセツ、強姦」という下ネタで攻撃をしかけてくることです。


新聞記事朝鮮人労働者はどんなにしている1
朝鮮労働者は怎麽(どんな)にして居る (一〜四)
古い開港場堺市で


(四) 仕事によって男よりは女 しかし女はお尻が更に軽い

仕事の種類によっては女は男に比べたらヅウと役に立つというので岸紡の堺分工場の如きは未だ職工の潤沢な大正四年頃から使っていて現在三十余名もいる年齢は十八九歳の娘から三十四五歳の女房や妾もあって日収は最高が男工が一円二十銭、女工もまた一円二十銭で流石に紡織だけは女天下で最低も男工一円、女工が九十銭で月に四回の定休があって食わずにいても怠けていたい鮮人には又とない仕事である、と思うのは内地人の皮相観で、御本人に取ってはモッとモッと休日が多くなくては都合がよくないというのは朝鮮の女は男ほどに就業中サボらないで仕事にかかった以上は一文でも多く得て之を宿六に貢ごう、情夫に捧げたいとする又反面には金さえあったら買喰いがしたい、それに例の桃色、紅、青の毒々しい原始的のお艶で手を引いて散歩がして見たいとあって男と女も金が一文でもある間は働かないことに相場が定まっているらしい、そうしてお尻の据わらんことは男工以上で同一工場に一箇年も勤続したものは絶無である、それには色々な原因も錯雑していて彼の地の習い(朝鮮の蓄妾制=妾を持つ風習)として正妻の外に幾人かの妻が認められてあるので同じ工場で働く女房、妾を持った男工が動くと女工が一時に数名動くからでもある、その外(ほか)内地男工とは言語こそ通ぜざれ異性に輝く目は口ほどに物を言い遂に工場を捨て我から暗い闇に落ち行くのも決して少なくない、だから鮮人女工が貯金をするなど言うことは掃溜へ鶴が下りたように珍とされる現に同工場でも美奉基、美奏連という女が二十円乃至五円貯金をしたとあって昨今掃溜の鶴待遇を受けているそうだ


【従軍慰安婦】
朝鮮人女性は日本に出稼ぎに来て男といい仲になって身を持ちくずしたり、朝鮮人に連行されてきて日本では違法の私娼窟で売春していました。大阪の朝鮮人町、神戸の朝鮮ガールなどがそれです。朝鮮人女性は「日本で働ける」と誘われるとその虚栄心からホイホイと朝鮮人に連行されてきたそうです。
高校生従軍慰安婦1

【出典】神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 労働(7-110)大阪朝日新聞 1920.1.25-1920.1.29 (大正9)



【写真出典】
1925(大正14)年 警視庁 「大正大震火災誌」

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