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2017/09/28

希望の党は戦前の極左東京朝鮮人団体協議会にソックリ


マスコミが希望の党をモテはやしていますが、希望の党は戦前、在日極左朝鮮人団体を糾合して組織された東京朝鮮人団体協議会にソックリです。

共産主義では、国体や思想を異にするものが一つの闘争目標の下に糾合することを「人民戦線戦術」といいます。

大東亜戦争における連合国軍や中国の国共合作も「抗日」「打倒日本帝国主義」を闘争目標にした抗日統一人民戦線でした。

1927(昭和2)年2月、在日極左朝鮮人は日本共産党幹部福本和夫が提唱した福本イズム「社会運動の部分的経済闘争より全面的政治闘争への飛躍的進展」に刺激され、自らが組織した極左17団体を糾合して東京朝鮮人団体協議会という抗日統一人民戦線にしました。

この17団体のうちの一つである労総(在日本朝鮮労働総連盟)には約2万人の極左朝鮮人が所属していたので、この協議会がどれだけ危険な団体であったかが想像できます。

旧民主党や希望の党のような有象無象が集まる闘争手段は共産主義者の十八番なのです。人民戦線戦術は、朝鮮人の民族性である付和雷同的群衆性に合うのでしょうね。


魚市場の場所すら決められない小池都知事が総理候補?

余談ですが緑色はユダヤの聖なる色だそうです。

小池百合子1


ユダヤといえば共産党。


そして日本敗戦によって闘争目標を達成した人民戦線がどうなったかといえば、人民戦線内での権力闘争が始まりました。米ソ冷戦、国共内戦、ベトナム戦争、朝鮮戦争がそれです。

共産主義者に権力闘争が付きものなのは共産主義は「搾取」を前提にした思想なので、他者よりも上の地位にいなければ自分が搾取される側になるからです。

また西洋列国や中国、朝鮮半島は精神よりも物質を重んじる物質至上主義なので、物質を得たり奪うことに価値を見出します。

戦前流行した産児制限や現代の少子化政策、中東でくり返される戦争も、物の量に合わせて人口を削減しようという西洋式=共産主義的政策です。

大東亜戦争もアメリカがごていねいに人口過剰な日本人を虐殺して減らした戦争でした。

なので、もし今度の衆院選で希望の党が自民党に勝利したら、旧民主党のように政権発足直後から内部での権力争いや右派左派の政策のちがいなどによって分裂が始まり、国政が沈滞することは火を見るより明らかです。

北のミサイルによる脅威、半島有事とそれをキッカケに画策されている第三次世界大戦の懸念が強まっている今、国政を沈滞させることはわが日本国の滅亡につながります。

管理人は対米売国奴の自民党は評価していませんが、容共分子や親中共、親朝鮮半島分子を過分に含んだ希望の党よりかは日本人が国政に口をはさめるだけマシだと思っています。


内務省:「日本打倒のみを闘争目標とする抗日統一人民戦線」


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C15120558100:内閣情報部|内務省 「人民戦線運動 昭和13年9月10日」(14コマ目)



 こゝに特に注意すべきは、抗日人民戦線運動が植民地乃至半植民地に於ける一般的革命戦術としての単なる反帝国主義運動ではなくして所謂日本帝国主義のみと闘争目標とし、日本帝国主義打倒の為には独り国民党やその他の国内諸勢力のみならず、欧米帝国主義をも之(これ)が為に利用せんとする点にある。



思い出そう!民主党政権で失われた日本人の権利、税金、生存権

民主党マニュフェスト1
【参考記事】
「失われた3年」!?民主党政権時代に日本に起きたこと-NEVERまとめ
民主党政権の検証-迷走の3年を総括-自由民主党(PDFファイル)


共産主義者の動きは戦争のサイン

満洲事変後、日本共産党の佐野学、鍋山貞親が保守思想に偽装転向し、反日一色だった朝鮮人も親日に転向して日本を支那事変の泥沼に引きずりこみました。

希望の党の矛盾点は「安倍政権打倒」を叫びつつ、入党条件が「安保改正賛成」であるという点です。この矛盾が物語っているのは希望の党がサヨクの偽装保守政党であるということです。


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A04010461000:内務省警保局 「社会運動の状況(昭和13年下)」(207コマ目)

※管理人注:●は判読不明文字です。


内地在留朝鮮人運動
 第四、思想運動の状況

 一、概説

 在住朝鮮人の思想運動は満洲事変を契機として萎微衰退の●向を辿(たど)りつゝあり、今之(これ)が状況を検挙人員に就(つい)て見るに、昭和八年は総検挙人員一、八二〇名を算し、是(これ)を最高に昭和九年八八四名、昭和十一年一九三名、昭和十二年一四四名、昭和十三年一一七名と順次●減を示せり。(別表一参照) 而(しか)も昭和十年以降の検挙人員は関係庁府県の清掃的検挙に係るもの又は●動の程度に在りたるものなり。更に斯(かか)る趨勢は特に支那事変下に於ける時局の重圧乃至(ないし)は当局の弾圧峻厳なるに拍車せられ愈々(いよいよ)其の進路を封鎖されたるやの感あり。即ち支那事変を契機として昂揚せる在住朝鮮人の愛国的熱誠は一味不穏分子の表面的策動を容るべくもなく、自ら隔絶遊離の一途を辿りつつあるやの状況なり。

 然(しか)れ共(ども)一味分子は依然として人民戦線の新方針を選びて、凡(あら)ゆる機関に潜入し其の魔手を伸ばさんとしつゝあるのみならず、特に朝鮮人の社会運動は其の基底を民族的反感(管理人注:中華思想による日本人蔑視)に出発し、極めて執拗なる民族意識を包含し居る点に徴し前途愈々閑却を許さゞる所なり。

【親日に転向した朝鮮人の志願兵】
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【日本敗戦を喜ぶ在日朝鮮人】
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【戦後日本人を虐殺した僣称朝鮮進駐軍】
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民進党が希望の党に合流「マニフェストはウソでいいニダヨ」


衆院選2017 民進解党、合流へ 急転「自民VS希望」に
2017年9月28日 毎日新聞

希望の党が結党記者会見を開いた27日、民進党は希望に合流する党内調整を進めた。両党が別々に衆院選候補者を立てれば、政権批判票を食い合って安倍晋三首相を利するだけ。壊滅的な惨敗も予想された野党第1党が、結成されたばかりの新党に吸収される劇的な展開となった。衆院選は「自民対希望」という2大政党対決の様相を呈し、希望側の首相候補として小池百合子代表(東京都知事)が出馬するかが注目される。



本記事の資料:戦前在日極左朝鮮人が東京朝鮮人団体協議会を組織したプロセス

1927(昭和2)年2月、在日朝鮮人、在鮮朝鮮人は福本イズム「社会運動の部分的経済闘争より全面的政治闘争への飛躍的進展」を丸パクリして自分らの極左17団体を糾合し一つの大きな団体にしました。

この協議会は構成極左団体を当局が地道な検挙によって解体し、1931(昭和6)年に消滅しましたが、その後、在日極左朝鮮人は1928(昭和3)年のコミンテルンの決議どおりに日本共産党傘下の組織に合流、その極左朝鮮人ら(韓国人ふくむ)が代を重ね現在まで反日活動を続けているわけです。

この資料の中に

・ML(マルクスレーニン)派朝鮮共産党日本部(日本総局)
・高麗共産青年会日本部

という団体名がありますが、朝鮮共産党も高麗共産青年会も本部を朝鮮に置いていた組織です。朝鮮人は共産主義を理解できなかったので、共産党の鉄則である「一国一党制」を軽々と破って二つの共産党を組織したのです。

なので朝鮮人(韓国人ふくむ)は彼らの骨髄にまでしみこんだ日本人蔑視観で「反日」を叫んでいるということです。これは彼らが感情で日本人を攻撃しているということなので非常に危険です。要するに朝鮮人とは話が通じないということですから。

衆院選後も自民党政権であれば共産党やテロリストの殲滅は期待できますが、テロ団体だった旧民主党をふくむ希望の党ではそれは不可能でしょう。


出典:1973(昭和48)年 東洋文化社 社会問題資料研究会編 「朝鮮人の共産主義運動」所収 昭和十五年一月 司法省刑事局 「思想研究資料 特集第七十一号」 第三章 内地在留朝鮮人の共産主義運動概況竝(ならび)に該運動と鮮内及在外朝鮮共産運動との関係

※管理人注:( )内は管理人による注釈です。


 一、在留朝鮮人の共産主義運動概況

 在留朝鮮人の共産主義運動の萌芽と認むべきものは、昭和十年十一月組織された前記黒濤会に拠る金科全一派の啓蒙運動であるが、爾来在留朝鮮人共産主義分子は北星会、一月会、三月会、新思想研究会等の思想団体竝に実質上思想団体とも目すべき朝鮮人労働団体を結成し、之(これ)に拠って共産主義の宣伝普及に主力を傾注すると共に大衆的経済闘争の激発に努め、其の運動は漸次活況を呈するに至った。

而(そ)して此等(これら)共産主義分子は其の主義主張の相違を主たる原因として在留朝鮮人民族主義分子と対立抗争を続け来ったが、帝国の統治に反対する基本観念に於ては一脈相通ずるものがあり、時の経過と実際運動に於ける経験とに因り漸次民族主義者との対立抗争の不利を自覚するに至った。

然るに内地(日本国内)に於ける社会運動の部分的経済闘争より全面的政治闘争への飛躍的進展福本イズムの興隆は在留朝鮮人共産主義者に多大の刺戟を与へ、他方鮮内に於ては大正十四年十一月以降高麗共産青年会朝鮮共産党に対する相次ぐ弾圧と極左陣営内に於ける苛烈な派閥闘争とに因り、従来民族主義運動と対立相容れなかった共産主義運動は漸次萎微沈滞せんとするに至った。

此の時に当り京城(現ソウル)にある北星系の最高指導機関たる正友会安光泉、河弼源等は局面打開策として大正十五年十一月十五日諺文(オンモン:ハングル)各新聞紙に所謂「正友会宣言」を発表し、「朝鮮の過去の社会運動は分裂と抗争に終始し小数の派争的陰謀者に操られて居たのである。運動の将来は団結と大衆の意識如何にある、朝鮮の社会運動は民族運動を度外視することは出来ない、故に運動自体従来の極限された経済闘争より一層階級的大衆的意識形態に転換することを必要とする」と強調して民族共産両陣営に多大の衝撃を与へ、次(つい)で一月会幹部の朴自甲、李応奎等も亦(また)同月十八日「朝鮮無産階級(生産手段を持たない労働者階級)解放運動は其の内容発展の必然の結果に基き将(はたま)た環境の影響に因り今や経済闘争より政治闘争へ其の方向を転換せざるべからず(転換しなくてはならない)」との宣言書を発表した。

其の結果同年末に至り朝鮮労農総同盟は「階級対階級の運動は政治運動なるが故に我等(われら)は政治運動を是認して労農大衆に政治的意識を喚起することを当面の任務の一とする」と云ふ声明書を発表するに至り、斯くて共産民族両主義者に依り全民衆の総力量を集中し以て部分的経済闘争より大衆的政治闘争へのスローガンの下に民族単一党としての新幹会の組織が進められるに至った。

sinkankai.jpg☞新幹会結成を報じる朝鮮の新聞


他方在留朝鮮人(在日朝鮮人)間に於ても分散的局部的経済闘争より集中的全民族的政治闘争への方向転換を為(な)し以て戦線の統一拡大強化を図るべしとの声は各方面に起り、大勢の趨(おもむ)くところ其の後幾許(いくばく)もなく労総(在日本朝鮮労働総連盟の略。在日朝鮮人極左団体中最も急進的な運動をなした)の方向転換宣言書発表となり、爾来此の発展的一大方向転換を契機として言論に文章に思想団体の解体戦線統一拡大が要求宣伝されるに至った。


【参考記事:労総(極左朝鮮人2万人)を包含し先鋭化した全協(1933:昭和8年)】

新聞記事全協1

新聞記事全協2
"姿なき全協"明るみへ 急角度に尖鋭化政治闘争へ 二つのグループに分けて最初の中央委員会
大阪毎日新聞 1933.11.20 (昭和8)

日本労働組合全国協議会(略称全協)は昭和三年四月十日即ち三・一五事件直後内務省から解散を命ぜられた日本労働組合評議員会の再建を主たる目的として同年十二月二十五日東京で非合法下に結成されたもので同年三月評議会時代すでにプロフインテルン(国際赤色労働組合)に加盟していたが自来その日本支部として日本共産党と協力し(中略)毎年数回にわたり検閲と称して国際的または国内的各種記念日を期し街頭示威運動を決行せしめて実践的訓練を施す等の不穏行動に出で昭和四年十二月全国的単一産業別組合の結成に当って日本朝鮮労働組合総同盟約二万の組合員をも全協に解消せしむることとし翌五年五六月に至って大体組織替を完了した、かくて一時に多数の朝鮮人労働者を包含してその勢力著しく増大し当局の大弾圧にも拘らず次々と組織を再建し本年初頭に及んだものである

【出典】神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 思想問題(7-172)


斯くて先(ま)づ一月会は同年十一月二十八日開催の総会に於て協議の結果、「一月会創立の目的は思想的啓蒙運動を以て主眼としたが、朝鮮思想界は既に研究啓蒙の時代を経過し漸く第二期の実際的運動に入ったから創立当初の目的は大体に於て遂行した。鮮内に於ける民族主義運動及社会主義運動竝に内地に於ける労農運動は政治中心に転換した状況にあるを以て、一月会を解体して時代に順応すべき新団体を組織しなければならぬ」と主張し、一月会解散を決議し即日解体理由宣言書を発表した。

斯くて昭和二年二月在京民族共産両系其の他の諸団体を糾合する所謂戦線統一団体たる東京朝鮮人団体協議会の組織を見たが、他方鮮内に於て同月十五日新幹会の創立成るや五月以降東京、大阪、京都、名古屋等各地に其の支会が結成さるるに至った。

 此の間第二次(ML派=マルクスレーニン派=過激派)朝鮮共産党及高麗共産党青年会は其の内地(日本国内)派遣部隊として曩(さき)に東京に組織されて居た日本部の再興を決定し、党幹部安光泉より在京党員朴洛鍾に之(これ)が組織を命じた結果、同年五月に至り同人を中心とする党日本部韓林を中心とする会日本部が結成され爾来両者は後述する如き関係に於て内地の左翼組織とは何等(なんら)の関連なく組織の拡大強化共産主義の宣伝煽動に狂奔し来り、殊に労総東京朝鮮労働組合、新幹会東京支会、東京朝鮮留学生学友会、新興科学研究会(マルクスがとなえた「科学的共産主義」から命名)、在日本朝鮮青年同盟等の大衆団体内にフラクション(派閥)を構成し、之を通じて此等団体の指導に努めつつあったが、昭和三、四年中再度に亙(わた)る検挙に因り在留朝鮮人の共産主義運動は一頓挫を来した。

此の間コミンテルンは昭和三年七、八月第六回世界大会を開催して各種のテーゼを発表するに至ったが、在留朝鮮人共産主義者の間には再度の検挙に因る組織潰滅に鑑み従来の運動方針を批判して、該方針は日本共産党其の他の内地左翼組織と何等の関連なく独立の存在活動を続け来った点に於て根本的誤謬(ごびゅう:あやまり。まちがい)を犯したものとなし、闘争の過程を通じて自己陣営を解体し之を日本共産党及其の傘下各左翼組織に発展的解消を遂ぐべしとの方針を決定するに至った。

斯くて先(ま)づ在日本朝鮮青年同盟は昭和四年七月解体を声明し、昭和五年中事実上解体を遂げ日本共産青年同盟其の他の内地左翼組織に入り、労総は昭和四年十二月其の解体と全協への加入を決議して昭和五年以降全協各産別組合に加入し、東京朝鮮留学生学友会は昭和六年二月解体を声明し、朝鮮共産党日本総局及高麗共産青年会日本部も亦(また)同年十二月「赤旗」に解体声明書を発表するに至った。

尚此の間民族単一党として生れた新幹会は鮮内に於ける社会運動の極左化に伴ひ共産主義者系分子に依りて其の指導権を掌握され同年五月解消を決議するに至ったが、内地各支会も之に伴ひ或は解体を声明して或は事実上消滅した。

斯くして在留朝鮮人(在日朝鮮人)極左分子は日鮮プロレタリアート(無産階級=労働者階級)の階級的協同を強調して日本共産党以下凡(あら)ゆる内地左翼組織に入り、其の指導統制下に日本帝国主義打倒、朝鮮台湾等植民地の独立、日本竝に朝鮮労働政府樹立を目指して執拗強烈な闘争を展開したが、殊に其の闘争は彼等独特の猪突性、付和雷同性に因り屡々(しばしば)兇暴先鋭化した。


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