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2017/10/03

朝鮮人がすぐ結党しすぐ解散する理由


希望の党に入党できなかった民進党の議員が気持ちがいいくらい発狂しています。

この日本人とは思えない反応は、朝鮮人の権力と名を好む民族性です。

李氏朝鮮時代、官職にありつけなかった者は官吏にワイロを贈って罪人を捕える縄を一本もらい、それをもって「官職に任官した」と誇りにしたそうです。

能力もないのに地位や名声にこだわる、権力にありつくためなら娘をキーセンに売り飛ばす、そして娘が官吏や王族の愛人になって一族に官職が舞いこむのを心待ちにする、それが朝鮮人の民族性です。

まったく「従軍慰安婦被害者」もへったくれもない民族性なのです。

北朝鮮の三代目にぶらさがっている、いやらしいほどにへりくだっている高官らを見れば、彼らの民族性は一目瞭然ですね。


権力と名声にありつけず発狂中の民進党の議員たち

日本人をバカにしまくった白眞勲議員。顔色わる。

民進党白眞勲1

集団でいた時は自民党議員をどつくほど威勢がよかった階(シナ)議員も…、




一人になったらこのしおらしさ。よほど今話題沸騰中の希望の党に入りたいようですね。ああ、肩で風を切って歩きたい。

民進党階1

で、この民進党議員やその祖国は「在日は強制連行の被害者」だと主張して日本人を恫喝していますが、そう信じているのは彼らだけで、事実は朝鮮人が自由意志で日本に渡航してきて、日本国内で留学生学友会や相互扶助団体、左傾思想団体を星の数ほど組織していました。

朝鮮人には付和雷同的群衆性という民族性もあるので、常に集団行動をとるのです。「集団でいないと日本人に襲撃されるから」というのは彼らの都合のいい言いわけで、真実は群れる民族性なのです。だから単独だと不安でたまらないのでしょうね。

集団でいられて権力と名声、社会的地位にも恵まれる政治家という仕事は朝鮮人にとって夢の職業なのでしょう。


戦前(大正時代)に神戸で組織された在日朝鮮人団体

以下の団体のうち朝鮮留学生学友会は民族主義が強い思想団体で、日本中で組織されました。

この在日朝鮮人留学生学友会の思想運動が朝鮮独立運動の端緒だと言ってよく、彼らは第一次世界大戦後にウィルソン米大統領が民族自決主義を唱えると、いち早く朝鮮独立運動を開始し、日本国内でも示威運動を展開しました。

それが今では「強制連行」「強制徴用」ですからね、ふざけるなと言いたい。

名称所在地及
創立年月日
団員数中心人物氏名目的及行動
鮮人労友和合会70会長
崔益壽
鮮人労働者の相互救済団体なり
神戸市今出在家3丁目113
1923(大正12)年12月9日創立 ※管理人注:関東大震災後に創立
朝鮮留学生学友会36幹事長兼
文芸部長
崔啓哲
神戸市に於ける(近郊を含む)
鮮人学生が相互の友誼を敦睦し
智識交換を目的として創立す
一定の事務所なく庶務部幹事に於て事務を執る
1923(大正12)年4月28日創立
神戸朝鮮青年会33会長
赤松清郎
(御蔵小学校
訓導)
鮮人青年労働者の指導誘掖の
為毎年春秋二季に鮮人慰安会
を開催す
神戸市菅原通4丁目34
1924(大正13)年2月10日
鮮人同志団23団長
崔泰文
鮮人労働者相互救済のため
行動特記すべきものなし
神戸市西尻池町5丁目50
1924(大正13)年8月25日創立
兵庫県鮮人青年団260団長
金永達
鮮人青年の相互救済竝(ならび
に)修養を標榜して設立するもの
神戸市脇ノ濱町2丁目272ノ20
1924(大正13)年12月14日創立
ウリー相助会17理事兼外交
李徳永
東亜ホテル内、鮮人雇人の相互
扶助のため
神戸市北野町4丁目東亜ホテル内
1925(大正14)年5月1日創立
神戸朝鮮労働同盟会90執行委員長
劉鍾烈
鮮人労働者の社会的地位向上
促進を目的として全国的の総同
盟と軌を同じくして設立したるも
最近幹部にその人を得ざると資
金皆無のため漸次衰兆あり
神戸市脇ノ濱町73ノ81
1925(大正14)年3月29日創立
宮住交親会102副会長
李香雨
内地人(日本人)土木請負業宮住
繁雄の配下となり鮮人労働者を糾
合して組織せるもの
神戸市脇ノ濱町3丁目73ノ57
1925(大正14)年8月23日創立
救産会21会長
李泰英
川崎造船所鮮人運搬夫中の妻帯
者のみにて相互救済の為
神戸市東出町1丁目329
1925(大正14)年10月20日創立


参考資料:戦前朝鮮人留学生団体の思想運動

朝鮮人はその民族性によってすぐ結党し、地位や権力にありつけなかったり、思想運動がうまくいかないとすぐ解散して別の団体を組織する、ということを日韓併合時代からずっとくり返してきました。

そして朝鮮人団体同士で連絡して不穏策動を計画したり、抗日統一人民戦線を組織したりしてこの100年間ずっと日本人に危害を加えてきました。

日本官憲が朝鮮語を禁止したのは、彼らが朝鮮語で不穏策動について話し合っていたからです。

朝鮮人の思想運動は民族主義であれ共産主義であれ、その目的が「抗日」「反日」であれば日本転覆をもくろむアメリカや外国の共産党から対日工作資金をもらえるという点も彼らにとっては魅力的でした。

朝鮮人が団体を組織してはつぶしてしまう、その理由は彼らが地位や名声、権力欲、金銭欲のため、そして日本人に危害を加えるためだけに団体を組織するからです。彼らにあるのは中華思想による日本人蔑視と日本人に対する憎しみだけ、その憎しみが彼らを自滅に導くのです。


出典:1973(昭和48)年 東洋文化社 社会問題資料研究会編 「朝鮮人の共産主義運動」所収 昭和十五年一月 司法省刑事局 「思想研究資料 特集第七十一号」 第二章 内地在留朝鮮人の民族主義運動竝(ならびに)無政府主義運動概況

※(  )内は管理人による注釈です。


 (一)朝鮮人留学生団体の活動

 鮮内外民族主義者は内地(日本国内)在留朝鮮人留学生を使嗾(しそう:そそのかすこと)煽動し排日独立思想を鼓吹し来ったが、此等(これら)学生の民族主義運動が其(そ)の高潮に達したのは大正三年日独戦争(第一次世界大戦)開始後のことであり、第一次欧洲大戦の終熄(息)に際しウイルソンの提唱した民族自決主義は在留朝鮮人留学生に非常な衝撃を与へ、彼等の思想は遂に動揺の兆(きざし)を表した。

殊に在米排日朝鮮人巨頭連が朝鮮独立運動を開始するに及び之(これ)に刺戟された在東京朝鮮留学生学友会が先(ま)づ此の運動に呼応して立ち、崔八鱅其の他は大正八年一月六日より三日間神田区西小川町の朝鮮基督教青年会館に集合して朝鮮独立宣言を為(な)すべきことを協議し、超えて二月八日朝鮮独立青年団の名を以て文辞頗(すこぶ)る激越を極めた民族大会召集請願書独立宣言書決議文等の不穏印刷物を各国務大臣、貴衆両院議長、駐在各国大公使、朝鮮総督、各新聞雑誌社等に郵送すると共に、同日同人等約三百名の学生は右会館に会合して宣言書を壇上に掲げ之(これ)が実行方法を発表し、為(ため)に会衆は熱狂して不穏の形勢を生じた。

そこで所轄警察署は之が解散を命ずると共に代表たる委員十名を検束するに至ったが、此等の情況は朝鮮に通信せられて鮮内大衆に甚大の衝動を与へ、右独立運動と李太王殿下薨去とが導火線となって三月一日独立万歳事件の勃発となり、爾来騒擾日数六十日参加者凡(およ)そ五十万人に上る全鮮的な空前の騒擾事件を惹起した。

此の間三月十九日大阪に於て独立示威運動の開始を見るに至った為、朝鮮人留学生中学業を廃して祖国の難に殉ずべしと主張し帰鮮の途に就いたのが八十名の多きに達し、越えて四月上海に僣称仮政府の組織せらるるや進んで之に投ずるものを生ずる等在留朝鮮人留学生は挙(こぞっ)て急進的暴力民族主義に共鳴するに至り、此の運動が失敗に帰した後大正十年十一月ワシントン会議開催に際し在外不逞分子の独立請願再燃につれ又もや之に声援し、同月五日独立宣言書を作成して貴衆両院議長、駐在各国大公使及海外朝鮮人に郵送する一方、或(あるい)は多衆会同して独立万歳を高唱し或は挙(こぞ)って同盟休校(学生らが同盟していっせいに授業を欠席すること)を為(な)す等各種示威行動に出でた。

然(しか)るに此等の運動も亦(また)列国の顧るところとならずして失敗に帰したので、此等留学生も鮮内民族主義者と共に深く過去の失敗を反省し、先づ民族自立の基礎を確立し文化の発達実力の充実を図り以て他日に期せなければならぬとし、爾来各地に学術奨励学生相互間の親睦を図ることを名として学友会、同窓会を組織又は拡充し、機関紙の発行、雄弁大会、運動会の開催等活発な運動を展開し、民族精神の昂揚、反日意識の強化等に努め来った。

然るに近年内地及朝鮮に於ける共産主義運動の急激な進展に伴ひ此等留学生中極左運動に趨(はし)るものが増加し、漸次民族主義運動を圧倒するに至った。

 在東京朝鮮留学生学友会は大正元年十月大韓興学会の改称せられたもので在留朝鮮学生学友会中最も勢力を有し、機関紙「学の光」を発行すると共に各種会合を開き之を通じて民族精神を鼓吹し来り、前記の如く独立万歳事件の勃発に一導因を与へたが、其の後引続き或は機関紙を通じて民族精神を鼓吹し鮮内外の各種社会問題其の他に容喙(ようかい:口を出すこと)策動して民族的偏見(中華思想による日本人蔑視)の批判を加へ、大正十五年以降趙憲泳、金光洙、摧国彬、朴鍾大、李浩、摧寧煕、朴準之、方昌禄、丁奎昶、金聖敏等の民族主義者竝(ならび)に李如星、安光泉等の共産主義者に率ひられ東京朝鮮基督教青年会、各大学朝鮮留学生同窓会其の他の団体と連絡して活動を続け、昭和二年二月在京朝鮮人各団体を以て組織された朝鮮人団体協議会にあっては其の主動者(原文ママ)となって策動し、又同年鮮内に学生同休事件発生するや斯かる行為は結局朝鮮総督府の組織的暴圧に起因するものと称し「朝鮮学生諸君に檄す」と題する檄文を撒布して之を煽動し、更に同年末頃より起った支那官民の在満朝鮮人に対する圧迫問題に付(つい)て昭和三年一月「惨虐なる在満同胞駆逐事件に関し全朝鮮民族に檄す」と云ふ煽動檄文を作成送付し、次(つい)で昭和四年十一月所謂(いわゆる)光州学生事件が起るや労総(在日本朝鮮労働総連盟の略)幹部と通謀してデモを計画する等の挙に出でたが、此の間漸次共産主義分子の指導力の拡大に伴ひ同会の活動は内地在留朝鮮人の民族共産主義運動の主要なる一翼を形成するに至った。

在大阪朝鮮留学生学友会は大正十二年創立以来朝鮮民族の団結に依る国権快復民族解放を企て来ったものであるが、次第に共産主義分子の増加を見るに至って民族共産両派の対立抗争を生じ、在京都朝鮮留学生学友会も同様活動中之亦(これまた)内部に両派の対立抗争を惹起するに至った。

 其の後各地朝鮮人留学生団体は次第に共産主義系分子に依り侵蝕されて昔日の面影を失ひ、表面上は単に親睦を図る一機関に過ぎざるの状況を呈するに至ったが、斯かる民族主義派の頽勢を挽回せんとして其の機を窺(うかが)ひつつあった一部留学生は、満洲事変竝に上海事件の発生当局の追撃的検挙に因る共産主義運動の萎微沈滞等内外情勢の変化に乗じ、民族主義運動の再興を企て策動を開始するに至った。

在京朝鮮人留学生の民族的統一機関であった在東京朝鮮留学生学友会が共産主義系勢力の侵入に依り共産主義運動を以て朝鮮民族の解放を期せざるべからず(期さなくてはならない)として昭和六年二月学内左翼運動に合流解体して以来、萎微振はなかった在京民族主義系留学生の間には再び民族的統一運動結成の気運が台頭し、昭和九年五月に至り日大、中大、法大、早大、明大各有志は学友会再組織問題懇談会を開催した。其の後此の運動は漸次具体化に向ひ、昭和十一年六月明大生朴容七以下十七名の有志は表面学術研究を名とする朝鮮留学生研学会を結成し裏面に於て民族意識の昂揚に努めつつあった。

次で昭和十二年に入り七月の南鮮水害、九月の関西地方風水害に対する在京十大学参加に依る聯合南鮮及関西風水害救済運動を契機として、各大学連合運動会新入生卒業生に対する各同窓会連合歓送迎会等の開催を通じ恒常的統一機関設置要望の気運は頓(とみ)に進展したが、支那事変の勃発拡大の為一時表面的活動を中止するの止(や)むなきに至り、前記研学会も昭和十三年二月其の解体を声明した。

 在京都朝鮮留学生学友会は昭和十年十一月米国人トーマスの支援を受くるに及び其の活動は漸次活発となり、昭和十一年に入り京都に於ける朝鮮人団体中最も民族主義的色彩の濃厚な朝鮮人団体協議会と連絡して同地在留朝鮮人の民族的指導啓蒙を策し、十月秋期総会に於て当局より朝鮮語使用を禁止せらるるや爾来之に対する反対運動に狂奔した。



神戸市社会課
「鮮人団体はシャボン玉が消えるのよりももっと早くできたり消えたりする」


出典:1927(昭和2)年 神戸市社会課編 「在神半島民族の現状」

※(  )内は管理人による注釈です。


 第八章 市内に於ける鮮人団体の調査

鮮人はよく団体をつくりたがる──そして、会長の争奪にはたのめも馬鹿らしい程に血道をあげる。最も日本人も、此(こ)の道にかけては敢て人後におちない方で、同業組合から町内の寄合(よりあい)にまで──中々忙しいことではある。

この団体病もよくよく考へて見ると、移住民の生活からかけ離して考えられない、因果の小車にガッシリとくひこまれて居るのである。丁度(ちょうど)カリフォルニアで、汗だくに働く日本人労働者が至る処(ところ)に──日本人会やら県人会やらを設立して、会長の椅子にワアッとばかり殺倒(原文ママ)しては──淡い名誉慾(欲)に子供の喧嘩(けんか)見たいな、稚気(ちき:おさなげなさま)満々たる争ひを際限なく続けて行くのも、結局するに移民地独特の色彩を──空気にかられて居る点が頗る多いのである。

(中略)

鮮人が内地へ来て在米日本人流儀に、盛んに会をたてる──そして盛んにつぶす。シャボン玉の消えるのよりもっと早く、出来たり消えたりするのが鮮人団体の一つの特徴とは、余りに残酷な気がしない事もないが──乍然(しかしながら)、事実とあらば致し方のない処(ところ)。

そしてこの出来星し(出来星:できぼし:新しく出現した星。なりあがり)の会が、中々こったしかけで、金の鍬形打つたる兜(くわがたのかぶと:くわがたを正面につけたかぶと)を戴いた大将株の会長から、四天王まがひの幹事長幹事に至る迄──役員の数だけは驚く程御叮嚀(ごていねい)に並べたてられてある。最もこうした頭ばかりが、重たい会がすぐ重心を失ってひっくり返るのは、物理の法則から云って平凡自然な成行(なりゆき)かも知れない。

我等(われら)は堅実な中心が総(すべ)ての部分を飽迄(あくまで)も牽引する──底力のあることを信ずるが故に──在市鮮人が、其(そ)の内地(日本国内)に於ける社会生活と同胞共存の重心としての、権威ある団体を速(すみやか)に設立し、順調なる発展の軌道に歩ましむべきを熱望して止(や)まない。



戦前日本人
「朝鮮人は政争と陰謀を好み陰険、残忍、名を好み、たがいに疑いあい、信愛の情なく、権力にありつけないとすぐ解散し別に結党する」
「官職にありつけなかった朝鮮人はワイロを贈って縄を一本もらい官職任官の誇りとする」


出典:1924(大正13)年 東亜義会 金谷栄雄 「黎明之朝鮮」 参考資料

※(  )内は管理人による注釈です。


 九、朋党性と空名の競漁

 朝鮮人が政争と陰謀を好む民族であることは既に述べたるが如し、而(し)かも其(その)歴代の政争史を繙(ひもと)くものは、何人も余りの陰険、余りの執念、余りの残忍に呆れざるものはあるまい、蓋(けだ)し(まさしく、本当に)彼等が牛朋李党、排陥(はいかん:人を排斥しおとしいれること)を設けて争ふは朝鮮人の民族性にしに(原文ママ)、其朋党性と名聞性とは実に其痼疾(こしつ:ひさしく治らない病気。持病)である、東京に遊学せる学生が五、七人集れば必ず何々会を造る、会長あり評議員あり書記あり会計あり、平会員と称するものは決して無い、これは朝鮮人が如何に空名を競漁する特殊の民族であるかを物語るものであって、若(も)し平会員があったとすれば彼等は直(すぐ)に離れて別に会を起す、だから東京だけでも革命党とか独立会とか称する三五人の集会が幾つあるか判らない、殊に独立騒擾事件以来上海に韓国独立仮政府が擁立されてから各地に大小無数の同性異名のものが爾後筍出したことは世間公知の事実である、現に日華国境附近の不逞鮮人団でも、琿春韓民会、独立軍、軍政署、都督府、国民会、韓族会、義勇軍、武士団等殆(ほと)んど指を屈するの繁に堪へない、而かも北京に義烈団あり、米国各地に独立党あり、露領北満には鮮人団あり、高麗共産党あり、然(しか)らば是等(これら)の団体は同一目的の下に運動を起したのであるから、聯(連)絡があり脈絡を保って居るかと云(い)ふに、総(す)べてが孤立して互(たがい)に嫉視反目して居るのである、蓋し同族猜嫉疑惧して信愛の実なく、空名を競漁して排擠(はいせい:人をおしのけおとしいれること)を事とするは、朝鮮人固有の民性であって、上海仮政府が内訌(ないこう:うちわもめ)を起して倒壊したのも、資金の欠乏が其最大原因を為(な)したことは事実であったにもせよ、其主因は同僚排擠であったことは疑ふの余地がない。

 殊に朝鮮人が空名を競漁することは有名なもので、旧韓国時代に於て幣帛(にきて:神に供える麻の布の称。後には絹または紙を用いた。ぬさ)を以て其官職を購(あがな)ふを得たる時代に於て、官職の欠員なき時は贈賄して一筋の捕縄を貰(もら)ひ、之(こ)れを以て官吏に任官せりとて誇りとしたのである、現在にても何々会長、何々理事等に祭り上げられ産を破った(破産した)ものは決して珍(めず)らしくない、独立論者の如きも之れと轍(わだち)を同(おなじ)ふし、空名を競漁し、啻(ただ)に志士或(あるい)は国士として遇せらるゝを喜び、一時の功名心に駆られて不逞団に投じたもの亦(また)決して少しとしない、亦哀むべきでないか。

【国より「候補者の生活」が大事な民進党玄葉氏】
民進党玄葉1
【参考記事】
「結局、民進で戦えばよかったのに」“激震”に見舞われた民進関係者はため息 産経新聞 2017年10月3日(写真出典も同じ)
「候補者の人生かかってる」合流について語った玄葉光一郎元外相の言葉に反発「転職活動のつもりか」 BuzzNews.jp


【えだのん「新党組織しました!」】
もっとわかりすい「日本革命党」とかにすればよかったのに。



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