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2017/07/20

コトムケヤハスと特高だった大伯父の思い出


わが国の古称のひとつに「言挙(コトアゲ)せぬ国」というのがあります。

「言挙せぬ国」とは「実行を主として議論を主とせぬ国」という意味です。

その「コトアゲセヌ」の対義語が「コトムケヤハス」です。漢字まじりだと「言向け和す」または「言向け和平す」と書きます。

そしてその意味は「背(そむ)ける者を、こちらへ向かせ、帰服させて、暴戻なる者を平にさせる」という意味です。

戦前は「言挙せぬ国」という国家観から「日本男児は言挙せぬ」と言って、戦後軍事裁判にかけられても、生きて復員してきても戦争について語る日本人はほとんどいませんでした。

私の大伯父は特別高等警察(特高)でしたが、やはり何も言わぬまま1987(昭和62)年11月、ひっそりと亡くなりました。

昭和のころは「元特高」というと「聞こえが悪い」などと言って身内にそういう人がいたことを隠す風潮がありましたが、私はぜんぜん悪くないと思います。

戦前米ソによる世界革命政策から日本と皇室を守り、帝国主義者、民族主義者という敵をたくさん殺すほど格が上がる共産主義者に立ち向かった人々なのですから、むしろ誇りに思います。

トランプ&習1

戦前日本の思想戦展

戦争の種類は{経済戦・武力戦・思想戦(宣伝戦)}の3つです。

このうち思想戦(宣伝戦)は、もっとも平和的に敵を内部から弱体化させる戦争です。

コミンテルンの魔手を発(あば)く。
特高思想戦展2【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A06031059700:1938(昭和13)年2月23日 内閣情報部 「写真週報 2号」

特高思想戦展1【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A06031059600:1938(昭和13)年2月16日 内閣情報部 「写真週報 創刊号」

コトアゲセヌとコトムケヤハスとは


コトアゲセヌとは「あれこれ言いたてることはせず実行本意」という意味

当時の帝国海軍のスローガンも「コトアゲせぬ国」という国家観を繁栄してか「不言実行」でした。

山本五十六海軍大将の名言である


やってみせ、言って聞かせて、 させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ。 話し合い、耳を傾け、承認し、 任せてやらねば、人は育たず。 やっている、姿を感謝で見守って、 信頼せねば、人は実らず


にもコトアゲセヌ精神が宿っています。


出典:1930(昭和5)年 同文書院 栗田元次 「国史教育原論」 第二章 国民性の本質 第六節 実行本位-言挙げせぬ国振



 言挙げせぬ我国振(くにぶり:国のすがた)とは、国学者の唱えた所であるが、議論よりも実行を尊んだことは、古来の特質である。我が古代人が、率直にして極めて実行力に富んでいたことは、其(その)著しい特色である。



コトムケヤハスとは敵を説諭し帰服させること

日本は皇室と国民の間に血統的絆がある一大家族国家です。それゆえ日本人同士であればコトアゲセヌでも意思疎通が可能で、大体「アレ」で話が通じたりします。

主語がなくても話が通じるのが日本人同士の会話です。

そして民族的に「殺」を好まない日本人は、神代から敵に対し「ことば」で諭して帰服させてきました。

ところが、わが日本には「コトアゲセヌ」だけでなく、言って言って言いまくる「コトムケヤハス」という手段もあったのです。

なので日本人はもっと、いろんなことを言って言って言いまくりましょう!

従軍慰安婦南京大虐殺という戦後捏造された「日本の戦争犯罪」が今でも猛威をふるっているのは、日本政府がコトアゲセヌ態度でいるからです。

特に敵が外国人である場合は、たいていの日本人が抱く「いずれわかる」という気持ちを忖度してはくれません。


出典:1942(昭和17)年 明世堂 小倉鏗爾 「み民われの信念」 第十六章 神武



 ──『ことむけ』『やはす』ということ──

 日本は神武の国であります。単に武の国にあらずして、尚武(しょうぶ:武事・軍事を重んずること)の国であり、神武の国であります。世界に国を立つるもの、みな武を有します。しかしながら、神武の国は、東西古今、ただわが日本のみであります。従って、単なる武をもって神武に対しても、到底勝つことはできないのであります。

 神武とは何か。普通に説明すれば、非常に優れたる武力、人間以上の武力ということであります。しかも、わが国の神武は、天照大御神様より発し、神武天皇様が受け行われ、大成せられしもので、正しく神武であります。これを云(い)いかえれば、萬世一系の天皇様の大御稜威(おおみいつ)によって成れる武が、神武であり、されば、神武は即ち皇武であって、いかに自ら強大を誇る武といえども、この日本の神武即ち皇武には、到底敵対することを得ないのであります。

(中略)

 神武の動くところ、いかなる強敵といえども、撃滅されざるはありません。しかもその敵を撃滅するのは、殺を好むがために非(あら)ずして、敵を帰服(したがう)させ、真の平和を招来させるためであります。わが古語に、『ことむけ』と 『やはす』という語があります。ことむけは本居宣長先生が「古事記伝」において説ける如く、背(そむ)ける者を、こちらへ向かせるという意味で、即ち帰服させることであり、やはすは、和すであって、暴戻なる者を平にさせる意味であります。即ち「古事記」に、

 故(こ)れ建御雷神(たけみかづちのかみ)返り参上(まいのぼ)りて、葦原中国(あしはらのなかつくに)言向け和平(やは)しぬる状(かたち)を復奏(まを)したまひき。

 とあります。建御雷神は、官幣大社鹿島神宮にお祭りしてある軍神武神であります。天孫御降臨に先立ち、天照大御神様の御命令によって、葦原中国に降られ、荒ぶる者共を、ことむけやはし、以て天孫御降臨に支障のないようにし奉りたる神代における大功臣大武神であられます。もし日本の武が他国に多く見る武であるならば、ことむけとかやはすなどという語は用いられなかったでありましょう。


日本の敵は共産党だった


戦後、共産主義者らは日本が大東亜戦争開戦を決意した理由を

日本はアジアを侵略しようとした

と子どもにもわかるようにリライトして戦後日本に広めました。

しかし、大東亜戦争をしかけてきたのは共産党側なので、陸軍省、外務省、日本共産党の資料を置いておきます。


帝国陸軍「ソビエト共産党の攻撃目標はわが国である」


出典:1938(昭和13)年 日本評論社 大久保弘一 「陸軍読本」 第一 国防について 三 わが国の国防的環境



 蘇聯邦

 次は蘇聯邦(ソ連邦)である。

 東亜を窺(うかが)う赤き熊、蘇聯邦は寧(むし)ろ支那よりも直接的脅威を与うるものというべきであって、赤化謀略と相(あい)俟(ま)って虎視眈々国境に集中する近代的装備の優秀を誇る赤軍の挑戦的態度は、わが国防環境に於て最も重視すべき対照である。

 特に共産党の攻撃目標がわが国に向けられていることは一刻も忘れることの出来ないところで、現に支那事変に於て、蘇聯邦が持続しつつある抗日支那支援は如実にこれを示しているのであって、これに対してわが国が東洋平和確保の厳たる決心を為(な)さねばならぬことは勿論(もちろん)である。



戦前外務省
「連邦共産党(コミンテルン)が各国共産党と提携し世界革命を企図」


出典:1946(昭和21)年 外務省調査局第二課 「ソ聯の基本的性格及び世界政策」 第四章 ソ聯政治の性格



 第八節 ソ聯の世界革命政策

 ソ聯(連)は聯邦共産党の独裁-(共産党自身の主張によれば独裁でなくして指導であると云われるが)-の下にある国家であって、共産党の意思乃至(ないし)目的がそのまま国家意思、国家目的となる。

(中略)

 更に共産主義者は、社会主義体制の実現を以て全世界の人民大衆を資本主義の桎梏(しっこく:足かせ)から解放する唯一無二の方途であると確信しており、しかもこれはマルクス主義の資本主義体制崩壊必然論の理論的支持を受けて強烈な正義感となって現われ、その結果ソ聯及び各国の真摯な共産党員は「人類解放のために」献身的な熱情を以て国際的規模に於ける革命の実現に努めることとなるのである。ここに聯邦共産党(コミンテルン)が、各国共産党と提携し、革命事業に於ける先輩としてこれを指導しつつ、世界革命を企図する積極的理由がある。



わが国の敵コミンテルンと提携したのが日本共産党=彼らは悲劇の主人公ではない!人生をダメにしたのは自分自身だろが

戦前日本人は共産党を「赤魔」と呼んでいました。

なぜなら彼らは悪魔のように物事を逆から考え、結果を得るために原因を仕込むからです。

第二次世界大戦を工作したのは共産党であり、戦争とつながっていたのは治安維持法でも特高でもなく、共産党員でした。

戦前共産党はドイツ革命のような日本敗戦革命を夢見、現在は「在日外国人に対する差別」を捏造してロシア革命のような日本敗戦革命を夢見ています。

戦前日本に関する共産主義者らの宣伝を聞くと「戦前日本人は保守ばかりで好戦的だった」と思いこまされそうですが、実際は教育界、法曹界は赤化され、軍隊にも共産分子が侵入していました。


姿変えた治安維持法だ 弾圧犠牲者が「共謀罪」を告発 会見で体験語る
2017年5月23日 しんぶん赤旗

 治安維持法で弾圧された犠牲者4人が22日、「共謀罪」法案の廃案を求めて、国会内で初めて記者会見し、体験を語りました。戦時下の日本では治安維持法が猛威をふるい、言論や表現の自由が制限され、多くの「一般人」が弾圧の対象となりました。

 杉浦正男さん(102)=千葉県船橋市=は、印刷労働者でつくる親睦会「出版工クラブ」を解散しなかったことで投獄されました。「共謀罪と治安維持法に違いはない。戦前に戻すような、憲法違反の法案は廃案にしなければならない」と訴えました。

【管理人注】

「親睦会」とカワイイ名称ですが実態は極左派全協に所属する組織でした。内鮮合体とは「日本共産党の傘下に在日朝鮮人が合流した」という意味です。

全協とは正式名称「日本労働組合全国協議会」といいます。1930(昭和5)年、在日朝鮮人の労働団体だった労総(在日本朝鮮労働総聯盟)は自主的に解消(解散)したのち、全協に合流しました。

特高内鮮合体全協

玉姫紹介所親睦会、王子任労親睦会、日暮里紹介所親睦会。紹介所とは職業紹介所のことです。
特高内鮮合体全協2

↓↓↓上掲2枚目画像の拡大↓↓↓
特高内鮮合体全協3

【画像出典】
・1973(昭和48)年 東洋文化社 社会問題資料研究会編 「朝鮮人の共産主義運動 思想研究資料特集第71・71号遺補」


 水谷安子さん(103)=川崎市=は、富山女子師範学校在学時に投獄され、教員の夢は断たれました。「理不尽なことが二度とないように願う」と話しました。

 松本五郎さん(96)=北海道音更町=と菱谷良一さん(95)=同旭川市=は、旭川師範学校在学時に、生活をありのままに描いた絵が治安維持法違反だとして検挙、投獄されました(生活図画事件)。特高警察からどう喝と甘言を使った激しい取り調べを受けました。

 松本さんは「為政者に都合の良い政治を行うための、戦争とつながった法律だった。内心の自由をうばい、生きにくい世の中ができあがった」。

 「戦時中は何も知らないうちに、法律によってがんじがらめになっていた。共謀罪は姿を変えた治安維持法だ」と菱谷さん。

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟によると、生存している犠牲者は全国で19人です。

【管理人注】

↓↓↓戦前日本も赤化教員だらけだった↓↓↓
「昭和六年八月、日本教育界は一斉に異常なるショックを受けた。それは全日本の教育界に極左共産党の魔手がのびて来て、潜行秘密裡に、多数の青年訓導を獲得し、その手裡にある児童及び青年処女を通して、革命思想を鼓吹宣伝し、共産党の主義綱領をわが日本に断行せんとする運動が曝露されたからである。」
特高頻々たる赤化教員1

一、岩手共産党事件 二、全日本小学教員赤化運動 
三、「新興教育」講習会事件 四、埼玉教育労働部の検挙事件 
五、朝鮮教育界赤化事件

特高頻々たる赤化教員2

特高頻々たる赤化教員3

赤化教員は学生を赤化しました。その範囲は帝国大学、官公私立大学、官公私立高等学校、官公私立専門学校、高等師範学校、中等学校、小学校、青少年団体、在日中華学生と広範囲でした。そして学生たちは教員をお手本にして、のびのびと共産運動にはげみ、検挙されたわけですね。

特高頻々たる赤化学生1

特高頻々たる赤化学生2

特高頻々たる赤化学生3

【1923(大正12)年6月6日付大阪朝日新聞】
大臣暗殺と軍隊、学生の赤化を企てた極東共産党の大検挙。極東共産党とロシア共産党極東部委員会のことです。この委員会はロシア革命の翌年である1919(大正8)年末にウラジオストックで組織され、在ロシア領朝鮮人および在満洲朝鮮人を赤化して朝鮮や日本国内に潜入させていました。

特高学生赤化国際共産党1


【画像出典】
1931(昭和6)年 中正社 橋本啓一郎 「教育赤化と其の対策」
1930(昭和5)-1932(昭和7)年 文部省学生部 「学生思想事件一覧. 昭和5年12月(自昭和4年11月至昭和5年10月)」
神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 社会問題(3-018)

大伯父のことを少しだけ


私が小さかったとき、いたずらをすると明治生まれの祖母が

「特高がくるよっ!」

「憲兵さんがくるよっ!」

と、よく言ったものでした。戦前は特高、憲兵といえば「泣く子もだまる」といわれるほど恐ろしい存在だったからだそうです。

しかし、本当に特高だった大伯父は眼光こそ鋭いけれど、無口な優しい人でした。

私は大伯父が共産党員をボコボコにしたときの話などを聞きたくて、聞きたくて、ウズウズしていたのです。私の家はあさま山荘事件にしても「ああいう人間になるな」というような家でしたから。

そして私も「うん、わかった」と返事するすなおな子でしたから。

でも当の大伯父は、今のこの時を生きることをやめていました。

大伯父の姿を見ていると、その胸に大きな穴が空いているように見えました。

大伯父の家は旧士族で明治維新では薩長に家も禄も剥奪されて道に放りだされ、維新当時は他藩の藩士でしたが元が会津藩士の血脈だったことから特に差別されたようです。

そして生きていくために寺子屋を開いたり、慣れない農業や漁業にも取り組んだりしたそうです。

そんな環境で育った大伯父は特高になったとき「またお上のお役に立てる」と
喜び、誇りを持ったと思うのです。

それが日本敗戦によって無残にもつぶされ、戦勝国民である共産主義者らに「戦争を主導した」といういわれのない罪と汚名を着せられて公職追放になった。

戦後日本もアリ地獄のように萎縮して、落ちる者は見殺しにするようになった。

明治維新、元会津藩士、そして特高と大伯父の人生や希望は三度も「新日本誕生」のために踏みつぶされてしまった。

まっとうに忠義に生きただけなのに、戦争を主導した外国勢力に三度もつぶされた。

大伯父が世捨て人のようになってしまった絶望の大きさはよくわかる気がしました。

でも、でもですよ、

大伯父たちが口を閉ざさず大東亜戦争の真実についてもっと話してくれていたなら、戦後日本はこんなに左傾化しなかったと思うし、戦後日本人も歴史の路頭に迷うことはなかったと思うのです。

戦後日本人は、第二次世界大戦を工作し、原爆を投下した共産党の日本悪宣伝に踊らされ、真の戦争犯罪人である共産党に加担して外国の思想である共産主義を美化するようになりました。

そして学生運動や共産運動に参加して、人生を踏みはずした人々も数知れず、二極対立がなければ存在できないアメリカがなぜ思想転向したかも考えず、反基地運動に走る。

私は大伯父が無言で伝えてきた「いずれわかる」がわかってしまった、オバマ大統領が山本五十六海軍大将やジェロニモを「テロリスト」呼ばわりした時、「ああ、そうか、アメリカは共産主義国なのだ」と。

アメリカ。

民族国家に言いがかりをつけて戦争をしかけ、共和制に転落させてきたのはどの国か?

戦争はビジネス、戦争中は戦時国債で、戦後は復興国債で儲けるのはどの国か?

戦前条約で禁止された連合国のダムダム弾は中国に流され、毒ガスはアメリカが爆弾に詰めて、それで殺されたのは日本人だったではないか。

インディアナ・ポリスに3個目の原爆が積まれているという情報を聞いて、事の真偽を確かめる間もなく特攻をかけた英霊たち。

肉体を失ってしまった日本人たちの言葉を聞き、肉体をもって今を変えねばならないのは今生きている日本人しかいない。

なので私は、もっともっとコトムケヤハシていくつもりです。

亡くなった人たちが「伝えて」という言葉を。

なぜなら戦争は共産党の暴力革命なので、絶対に避けねばならないからです。

今度、戦争に巻きこまれたら、日本は終ります。

ですからもっとも平和的な手段として、戦後共産党が隠ぺいした真実の歴史を太陽の下に引きずり出していくのです。


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