HOME > 連合国 > title - 朝鮮人とアメリカの歴史
2017/06/30

朝鮮人とアメリカの歴史


朝鮮人とアメリカの歴史は1627年(朝鮮では仁祖5年)にオランダ人が朝鮮に上陸後、フランス、イギリス、ロシア、アメリカ、ドイツ、イタリア、ハンガリー、ベルギー、デンマークなどがドシドシ朝鮮にやって来た時に始まります。

朝鮮に上陸した白人たちは全鮮にキリスト教を広めましたが、白人宣教師のうち、特にアメリカ人宣教師は日韓併合前から朝鮮人の排日を煽動していました。

アメリカは朝鮮独立運動を皮切りに第二次世界大戦終戦まで朝鮮の排日、反日を支援し続けました。

その結果、アメリカと連絡を取り合っていた朝鮮人は日本人よりも戦況にくわしくなり、日本が1945(昭和20)年8月に敗戦することも前年の夏ごろには知っていました。

そして朝鮮人は、日本敗戦後に日本人を虐殺する計画すら立てていました。

そして米軍もソ連軍も日本人を虐殺した朝鮮人を処罰しませんでした。

【おなじみ俗称朝鮮進駐軍】
chosen_shinchu.jpg

終戦直後、満洲朝鮮、日本国内で同時に日本人虐殺が起きたのは、朝鮮人が在外同胞と連絡を取り合っていたことによる計画的なものと思われます。

知らぬはノーテンキな日本政府、朝鮮総督府、朝鮮軍(日本軍の朝鮮駐留軍)と日本人居留民だけでした。


【戦前サヨクの回想から↓↓↓】

出典:1946(昭和21)年 岩波書店 茅原廉太郎述 「日本人民の誕生」



 第三講 戦争

朝鮮人がよく私に語ったものだが、朝鮮が独立する場合には、否応(いやおう)なしに日本人の虐殺が起る。その場合京城に居(お)られても茅原先生だけには決して手をつけないと。



【司法省刑事局資料:在日朝鮮人は在外不逞鮮人と連絡を取り合っている】

在日朝鮮人の共産運動外国と連繋_2
【書き起こし】
(五)在外不逞鮮人との連絡策謀

 在留朝鮮人の民族主義運動に於て注目すべきは在外不逞鮮人との連絡策謀である。満州事変を契機として在外殊に上海の朝鮮人民族主義運動団体の活動は俄然熾烈狂暴化し、昭和七年一月には李奉昌が同地民族派不逞団より密派されて桜田門外に於ける不敬事件を敢行するに至ったが、在留朝鮮人民族主義者中には此等(これら)在外不逞団体との連絡策謀を企図するものが表れ、上海仮政府幹部梁起鐸の長男中大(中央大)生梁孝孫は昭和九年二月内地居住学生中より勇敢にして実行力に富むものを物色派遣すべき旨の梁起鐸の通信に接し、韓永協を勧誘して之(これ)を上海に潜入せしめんと策動し、又天道教青年党東京部委員金鉉國は在(こ:上海の別称)友人と連絡して六月朴南英其の他を勧説し広東軍官学校に入学の為(ため)乗船出発せしめた。他方昭和八年九月には上海の興士団員李迺柱が内地(日本国内)に潜入し来り、昭和十二年八月には、洛陽の韓国軍人会及南京民族革命党に加入し同党本部軍事部員として活動した張樂洙、同党華南支部石牌区執行委員として活動した徐尚虎竝(ならび)に同党に加入し内地及鮮内侵入活動分子の獲得党資金調達等を担当して居た金正龍長崎に潜入し来った。前二者は長崎後者は福岡に於て夫々(それぞれ)治安維持法違反として起訴処刑されたが、朝鮮の独立と民主共和国の建設を目的とする前示結社を法第一条に所謂(いわゆる)我が国体の変革を目的とする結社に該当するものと認定した内地に於ける事件として注目さるべきである。

【出典】1973(昭和48)年 東洋文化社 社会問題資料研究会編 「朝鮮人の共産主義運動」所収 昭和十五年一月「思想研究資料第七十一号」 第二章 内地在留朝鮮人の民族主義運動竝に無政府主義運動概況


この恩知らずどもがwww共和国を建国して下さったのはアメリカさまだぞ

北朝鮮反米闘争の日1

北朝鮮 「反米闘争の日」大規模集会で対決姿勢強調か
2015年6月25日 NHK NEWS WEB

北朝鮮は、67年前に朝鮮戦争が勃発した日にあたる6月25日を「反米闘争の日」と位置づけており、首都ピョンヤンで大規模な集会を開くなどしてアメリカへの対決姿勢を強調し、韓国との首脳会談を控えたトランプ政権をけん制するものと見られます。

(中略)

また、朝鮮中央通信は、朝鮮戦争に関する記事の中で、「アメリカに鉄ついを下すことがわが軍隊と人民の意志だ。東方の核強国、アジアのミサイル盟主であるわが国からアメリカが得られるのは、惨めな敗北だけだ」と主張しました。(後略)



日本政府:敵国人は野放しにしたままだからなw日本人は自分で自分の生命を守れwww

第二次世界大戦のとき、われわれ日本国民と皇室は共産分子が入りこんだ日本政府および軍部に放置されました。

もしふたたび日本が戦争に巻きこまれるとしたら、今回の戦後に訪れるのもまた朝鮮人による日本人大虐殺でしょうか?

アメリカが戦前から破壊したいのは、わが日本です。アメリカの世界政策と矛盾する、民族主義が強い日本人と事大で使い勝手がいい朝鮮人とを入れ替えたいと思うのは当然のことでしょう。



いまも国際金融資本とズブズブの朝鮮人

韓国サマも戦前共産運動の聖地ニューヨークと相性がいいですね。

従軍慰安婦サイモン1_2【参考記事】【慰安婦問題】「アジアのホロコーストだ」韓国人団体、NYホロコースト記念館に米国初の「慰安婦展示館」設置へ-ユダヤ人から支援か
2013年3月20日 聯合ニュース

戦前から現在までずっとつながる朝鮮人とアメリカの歴史


朝鮮人とアメリカの関係は資料でたどることができます。

別々の人間が別々のことを書いたものなのに時系列で並べると一つのストーリーとして成立する。これが「事実」です。

朝鮮人という事大性の強い民族が、日本人に対して大きな態度に出るときは必ず背後に大国が付いています。

パククネ元大統領時代の韓国が中国に見捨てられただの、日米から仲間ハズレにされただのとギャーギャー騒いでいましたね?

アレが「事大」です。コバンザメのように寄生できそうな大国を探してさまよう、それが朝鮮民族です。

なぜ朝鮮人が寄生できる大国を探すのかというと、一国ではワールドカップさえ開催できない経済弱国であり、また一国では日本に対抗できる勇気がないからです。

【ウミガメに付着したコバンザメ】
コバンザメ1【出典】Wikipedia

朝鮮人がどんなに「朝鮮は5000年間独立国」だったという歴史を捏造しても、ちょっとした時に本性が出てしまうのです。

戦前は日本の一地方だった朝鮮が、戦後はコミンテルンの朝鮮問題決議をいじくりまわした「正しい歴史」をふりかざして、併合を「植民地支配」と呼び、日本の投資を「侵略」と呼び、「戦勝国民」を自称する。これも大国に依存した事大です。

ですから朝鮮人を弱体化するには、大国と分断するのがもっとも有効な方法です。

日本が共産党の侵略と戦っていたときに朝鮮人は敵側と結託して日本を敗戦に追いこんだ、それが正しい歴史です。

朝鮮人と朝鮮人を支援したアメリカの歴史一覧

ナンバーをクリックすると資料に飛びます。

戦 前0.基本~共産主義者は前衛にすぎず、それに続く本隊はアメリカ
資本主義である
1.
ソ連が朝鮮人数千人を養い労農韓国建国を約束
2.米英ユダヤ財閥が朝鮮人を煽動
3.ソビエト政府が朝鮮独立運動を支援
4.米軍人(元在露ユダヤ人)が不逞鮮人と密会
5.在オムスクシベリア革命委員会が朝鮮共産党を支援
6.ユダヤ財閥のアジア侵略拠点上海に在露、在米、在鮮朝鮮独立
運動活動家が集合しアメリカ領事、支那革命派と何事か画策、朝鮮
独立運動の長期化により一般朝鮮人も独立を望むようになった
7.不逞鮮人とソ連過激派が連絡、日本人排斥のビラを配付
8.朝鮮独立活動家はモスクワを中心に活動した
戦時中9.ラジオを通じて敵国の指令を受け、日本空襲時に米軍が降下し
てきた場合は米軍と行動をともにする、空襲が夜間ならば民家に
放火する、空襲時には日本人を危険な場所へ誘導することなどを
協議
10.出稼ぎ労働者に偽装した朝鮮人活動家が炭鉱に潜入し、朝鮮人
労働者に日本を敗戦に導き米国援助の下朝鮮独立を果たす絶好の
機会と煽動
終戦直前11.1944(昭和19)年、在満朝鮮人、満洲人が口々に「来年の8月
日本はツブれる」
と言い始め日本人の言うことを聞かなくなった
12.1944(昭和19)年11月、朝鮮に入った帝国陸軍を朝鮮人が
みかかるような目付き
で見る
13.1945(昭和20)年、朝鮮空襲が開始されても朝鮮人は「米軍は
朝鮮を空襲しない」
と固く信じて退避しなくなった(実際に朝鮮空
襲の被害は軽微だった)
14.1945(昭和20)年8月初旬、ソ満国境の綏芬河から朝鮮人、満
洲人が逃亡
を開始
15.朝鮮人が日本敗戦後の日本人虐殺計画を立てる
終戦後16.ソ連軍の満洲侵攻の日に金日成が帰鮮
17.朝鮮人は日本敗戦の日に合せて赤旗、ソ連軍歓迎のビラを準備
していた
18.在満、在鮮日本人の大虐殺開始(日本国内でも日本人虐殺開始)

本記事の資料


0.基本はコレ
陸軍省:共産主義者は前衛部隊にすぎず、それに続く本隊はアメリカ資本主義である


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C03010395100:1926(大正15)年 陸軍省 「猶太研究配布の件」(183コマ目~)



千九百二十年初め『モスコー(モスクワ)』に於ける第八回過激派大会の決議。

 吾人(ごじん:我々)は須(すべから)く共産主義を前衛となし、世界の無産階級を味方に引入れ以て有(あ)らゆる階級制度と資本主義を倒すべし。

を熟読するときは共産主義は前衛にして本隊に非ず、単に世界の人口の大部を占め兵員と労働者を出す階級を味方に引入るる手段に過ぎず、其(その)後方には或る本隊の続行し来ること明(あきらか)なり、本隊とは何ぞや──米国猶太(ユダヤ)の貯蔵する金貨と、之(これ)を運用する資本組織と、之を擁護する所謂(いわゆる)民主組織之なり。
 


陸軍省:
1.ソ連が朝鮮人数千人を養い労農韓国建国を約束
2.米英ユダヤ財閥が朝鮮人を煽動


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C03010395100:1926(大正15)年 陸軍省 「猶太研究配布の件」

※青文字は管理人による現代語訳です。

(194コマ目)
 
 然るに『トロツキー』事 『プロンシテイン』の労農政府は世界の無産階級(労働者)に号令して列国の内政、労働政策に干渉を試み、『トーベリソン』の政府は朝鮮人数千を養ひ労農韓国の設立を約し以て帝国の朝鮮統治に干渉し、而(そし)て中外殊に米国に向っては日本の駐兵を以て内政干渉と為(な)して悪宣伝至らざるなし(悪宣伝をやめない)。

そういうことで『トロツキー』こと『プロンシテイン』の労農政府(共産党政府)は世界の無産階級(生産手段を持たない一般の)に号令して列国の内政、労働政策に干渉を試み、極東共和国のトーベリソンの政府は朝鮮人数千人を養い、労農韓国の設立を約束し、そうして日本の朝鮮統治に干渉し、そしてことに米国に向かって日本のシベリア出兵は内政干渉だという悪宣伝をやめなかった。

【管理人注】
極東共和国…1920~1922年の間、極東に存在した共産圏。日本はこの地域を共産主義を防御する緩衝地帯にしようとしたが失敗に終わった。

極東共和国1【出典】Wikipedia

トーベリソン…元在米ユダヤ人。通名はクラスノシチョコフ。極東共和国の中心人物でモスクワ政府東洋局長だった。

【ユダヤ人トーベリソンの通名は「クラスノシチョコフ」】
新聞記事トベリソン極東共和国1
藻掻(もが)き廻るウ政権の実体 全く猶太人の天下 労農政府と異りたる色彩 物質慾に騙られたる分子の集合
十六日奉天発電 藤木特派員 1920(大正9)年9月18日 大阪朝日新聞

クラスノシチョコフ氏は久しく米国にありて民主的共和国の建設には相当の研究を積める人というべし彼は猶太人にして本名をトベリソンと云い首相チェルオンヌイ氏も亦猶太人にしてシュメッキーが本姓なり

【出典】神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 政治(13-103)大阪朝日新聞 1920.9.18 (大正9)


(214コマ目)

然るに若し猶太人にして飽く迄帝国を倒し以て自己民族の世界統一を実現せんとして猛進し来り、朝鮮を煽動し、日支を争はせ、日米を闘はせ、又は日露と事を構へしめ以て日本を弱めんとするの策を改めされは、是明に帝国の正義を無視し神明に反抗するものなり、

それでももしユダヤ人があくまでも日本を倒してユダヤ民族の世界統一を実現しようと猛進して、朝鮮人を煽動し、日本と支那を争わせ、日本とアメリカを戦争させ、または日本とソ連を戦争させて日本を弱めようとする策を改めないならば、その態度は明らかに日本の正義を無視し、人の道にはずれた行為である、

【ソ連政府の要人だったトロツキーことプロンシテイン】
トロツキー2_250


3.ソビエト政府が朝鮮独立運動を支援


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C06031150800:1920(大正9)年2月12日 陸軍省|朝鮮軍参謀部 「密第102号 其721 露国過激派政府の韓族独立運動援助に関する件」

※青文字は管理人による現代語訳です。


密第一〇二号其七二一
 大正九年二月十二日 高警第三八二三号 軍事第六〇号
 秘 国外情報 ○露国過激派政府ノ韓族独立運動援助ニ干(関)スル件 (浦汐派遣員報告要旨)

 二月五、六両日発行浦汐(ウラジオ)露字新聞ハ過激派政府ガ朝鮮ニ於ケル革命運動ヲ発展セシムルコトニ腐心シツツアリト報ジ現ニ在莫斯科(モスクワ)ノ朝鮮国民委員会ハ左ノ宣布文ヲ朝鮮内ニ送付シタリトノ記事ヲ掲ケタリ

 2月5、6両日発行のウラジオストックロシア語新聞は、過激派政府(ソビエトボルシェビキ政府)が朝鮮における革命運動を発展させることに腐心しつつあると報じた。現にモスクワ朝鮮国民委員会は左の宣布文を朝鮮内に送付したという記事を掲げた

 莫斯科ハ朝鮮革命党員ノ為唯一安全ナル避難所ナリ吾人ハ朝鮮ノ民族的運動ニ総有援助ヲ与フベシ政治的亡命鮮人ガ西比利亜ヲ経テ無事本国ニ帰還シ得ルノ日ハ遠カラサルベシ朝鮮人ハ過激派政府ト協同シテ日本人ヲ駆逐スルノ機ヲ逸スベカラズ鮮人革命党員ハ鮮人特別連隊編成中ナリ

 モスクワは朝鮮革命党員のための唯一の安全な避難所である。われわれは朝鮮の民族的運動に同志としての援助を与える。政治的亡命朝鮮人がシベリアを経由して無事朝鮮に帰還する日は遠くない。朝鮮人は過激派政府と協同して日本人を駆逐する機会を逃してはならない。朝鮮人革命党員は朝鮮人特別連隊を編成中である



4.米軍人(元在露ユダヤ人)が不逞鮮人と密会


出典:ジア歴史資料センター:レファレンスコード:C06031189400:1919(大正8)年4月25日 陸軍省 「大正8年4月25日 騒密第867号 独立運動に関する件(国外第48報)」



大正八年四月二十五日 騒密第八六七号
 独立運動ニ関スル件 (国外第四十八報)
 極秘 一、露領鮮人間ニ於ケル過激思想ノ感染 (浦潮派遣員報告)

 三月二十日頃浦潮新韓村不逞鮮人咸世仁方ニ於テ 文昌範 金喆訓 金萬謙 金河球 韓容憲 咸世仁 露国人「ミーキング」(東洋学院学生ニシテ猶太人ナリ) 等密カニ会合シ何事カ協議ヲ為シタルガ右「ミーキング」ハ元来熱烈ナル過激主義崇拝者ニシテ夙ニ米国軍籍ニ入リ現今米国ノ軍人ナリ 右会合ノ内容ハ未詳ナルモ浦潮地方ノ朝鮮人等(ラ)ハ之ヲ目シテ過激脈トノ連絡等ニ関スル協議ニアラサレハ米国軍トノ間ニ何等カ連絡スヘク協議ヲ遂ケタルモノナルヘシト信シ居レリ 又露国帰化鮮人中ニハ社会革命党ニ属スル者多ク(後略)

 3月20日頃ウラジオストック新韓村の不逞鮮人咸世仁の自宅において 文昌範 金喆訓 金萬謙 金河球 韓容憲 咸世仁とロシア人「ミーキング」(東洋学院学生にしてユダヤ人)らが密会し、何事か協議したが、「ミーキング」は元来熱烈な過激主義崇拝者であって、過去にアメリカ軍籍に入って現在はアメリカの軍人である。会合の内容はつまびらかではないがウラジオストック地方の朝鮮人らはこの密会がソ連過激派との連絡ではないならば、アメリカ軍となんらかの連絡をすべく協議したものだと信じている。またソ連に帰化した朝鮮人の中には社会革命党に属する者が多い(後略)



5.在オムスクシベリア革命委員会が朝鮮共産党を支援


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C06031089000:1921(大正10)年6月7日 陸軍省 「密第33号其179 国外情報 朝鮮人共産党中央委員会の組織及其の目的」

※青文字は管理人による現代語訳です。


密第三三号其一七九
 大正十年六月七日高警第一八六三六号
 秘 国外情報
 ●朝鮮人共産党中央委員会ノ組織及其ノ目的

 五月六日付浦潮(ウラジオストック)露字新聞ノ報ズル処ニ依レバ目下「イルクック(イルクーツク)」ニ於テ朝鮮人共産党大会開催中ニシテ中央委員会ヲ組織シタルガ同会ハ近々極東露領ニ移動シ朝鮮内地(日本国内)ニ封スル共産主義ノ宣伝竝(ナラビニ)不逞運動ノ扇動ヲ為(ナ)スノ計画ヲ有スト云フ 尚在「オムスク」西比利亜(シベリア)革命委員会ハ同会ニ対シ多大ノ物資的援助ヲ与ヘタリト(後略)

 5月6日付ウラジオストックロシア語新聞が報じたところによれば、目下「イルクーツク」において朝鮮人共産党大会開催中であり、中央委員会を組織したが、同会は近々極東ロシア領に移動して朝鮮内に対する共産主義の宣伝ならびに不逞運動の煽動をする計画を有しているという なお在「オムスク」シベリア革命委員会は同会に対し多大の物資的援助を与えたと(後略)



6.ユダヤ財閥のアジア侵略拠点上海に在露、在米、在鮮朝鮮独立運動活動家が集合しアメリカ領事、支那革命派と何事か画策、朝鮮独立運動の長期化により一般朝鮮人も独立を望むようになった

上海は米欧ユダヤ財閥のアジア侵略拠点でした。


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C06031190500:1919(大正8)年4月27日 陸軍省 「大正8年4月27日 騒密第985号 独立運動に関する件(国外日報第54号)」

※青文字は管理人による現代語訳です。


大正八年四月二十七日 騒密第九八五号
 独立運動ニ関スル件 爾今国外報ヲ国外日報ト改ム (国外日報第五十四報)
 極秘 図們江方面 
 支那領 (間島電報)

 一、上海蘇東進徐日輔(南京支那陸軍連長)鮮人蔡極ハ吉林ヲ経テ間島ニ来リ二十二日琿春ニ向ヘリ又目下上海ニハ露領、米領及鮮内地ノ韓族独立運動有力者四十名集合シ居レリ 米国領事及支那革命派ト連絡シ画策中ナル旨同志ニ通信アリ 

一、上海蘇東進、徐日輔(南京支那陸軍連長)、朝鮮人蔡極は吉林を経て間島に来て22日琿春に向かった また目下上海には在露、在米、朝鮮内の韓族独立運動有力者四十名が集合し、アメリカ領事および支那革命派と連絡し何事か画策中である旨同志に通信した

 鴨緑江方面 

 一、在奉天鮮人ノ動静

(中略)

一般鮮人ノ意嚮(向)ヲ偵察スルニ客月(カクゲツ:先月)上旬朝鮮内地騒擾当時ハ一時的暴動トシテ格別介意セル模様ナカリシガ爾来騒擾月余ニ及ビ鮮境ノ満洲各地ニ於テモ独立運動ヲ開始シ通信又ハ鮮人ノ来往連絡等ニ依リ今ヤ一般ニ独立ヲ希望セルモノノ如ク 又斯(カカ)ル形勢推移スル内ニハ必ズ独立ノ目的ヲ達シ得ルモノノ如ク思惟シ従来親日的態度ヲ持シ居レル者モ全般ニ浸潤セル独立的思想ニ幾分同化セル傾キアリ(後略)

一般朝鮮人の意向を偵察するに先月上旬の朝鮮の騒擾(三・一独立運動)当時は一時的暴動として格別意に介したようすではなかったが、騒擾がいまだ続行するにおよび朝鮮と満洲の国境各地においても独立運動を開始し通信または朝鮮人の往来連絡などにより、いまや一般の朝鮮人も独立を望んでいるようである またこのような情勢が続くならば必ず独立できるものと考えて、これまで親日的であった朝鮮人全般にも独立思想が浸潤し、共産主義にいくぶん同化しつつある傾向がある(後略)



7.不逞鮮人とソ連過激派が連絡、日本人排斥のビラを配付
8.朝鮮独立活動家はモスクワを中心に活動した


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C06031130100:1921(大正10)年2月24日 陸軍省|特高警察 「密第33号其68 国外情報 浦潮に於ける不穏文書の配布」

※青文字は管理人による現代語訳です。


密第三三号其六八
 大正十年二月二十四日 高警第三九七九号
 秘 国外情報

 △浦潮(ウラジオストック)ニ於ケル不穏文書ノ配布

 近時露領方面ノ不逞鮮人ト過激派ト連絡シ赤化運動ニ奔走シツツアルハ屡(シバシバ)報ゼル所ナルガ今回黒龍州国民議会ヨリ浦潮朝鮮民会ニ宛別紙訳文ノ如クノ鮮人ニ革命党ト連絡シ日本人ヲ排斥シ独立ノ目的ヲ達スベシト勧告セル不穏文書ヲ配付セリ

 近頃ロシア領方面の不逞鮮人とソ連過激派とが連絡し赤化運動に奔走しつつあることはしばしば報じてきたところであるが、今回黒龍州国民議会よりウラジオストック朝鮮民会にあてて別紙訳文にあるように朝鮮人に革命党と連絡し日本人を排斥して朝鮮独立の目的を達成すると勧告する不穏文書を配付した。

 (別紙) 警告韓人全体

 我農工民ノ赤軍ハ両年ノ間沸クガ如キノ血ヲ以テ精力ヲ尽シテ千万層重セル風波ヲ冒シ西伯利(シベリア)ノ白軍(反共軍)ヲ討滅シテ殆(ホトン)ド陥落セムトシタル西伯利ヲ回復シテ該地ヲ農工民及韓人ニ自由ヲ特許シタリ現今日本人ノ強制的法律ヲ排斥スル革命当局者ト協和政府及韓国革命党ハ何処(ドコ)迄モ其ノ強制的法律ヲ排斥撲滅スベク勘勉ス 其ノ大要下ノ如シ

 われら農工民の赤軍はこの一、二年の間、血が沸くような勢力を尽くして一千万の層を重ねる風と波を押し切ってシベリアの反共軍を討滅してほとんど陥落しそうだったシベリアを回復し、当地の農工民および朝鮮人の自由を得た いま日本人の強制的法律を排斥する革命当局者と協和政府および韓国革命党はどこまでも日本の強制的法律を排斥、撲滅すべく苦難に耐えて勉めていく その大要は以下のとおりである

 韓人ハ既ニ十五年の間日本ノ強盗輩(ヤカラ)ト戦争セシガ不幸ニシテ遂ニ三千里ノ疆土(キョウド:領土)ハ強奪セラルル処(トコロ)トナレリ 愛国ノ思想ヲ有スル者ハ罪の有無ヲ問ハズ死刑ノ宣告ヲ受ケ其ノ子孫迄鉄窓内ニ投ジ天日ヲ拝セザラシム(太陽ヲ拝メナクシタ)如此(コノゴトキ)ノ強制的法律ニ服セズ憂国ノ赤心ヨリ怨痛憤懣(モダエ)禁ジ難キ有名ナル韓国ノ志士等ハ祖国ト涙ヲ揮(フルッ)テ離別シ露西亜(ロシア)墺太利亜(オーストラリア)亜米利加(アメリカ)及中国等ノ地ニ亡命迯(逃)出シタリ

 朝鮮人はすでに15年間もの間日本の強盗どもと戦争してきたが不幸にして遂に三千里の祖国は日本に強奪されるところとなった 愛国思想を持つ者は罪の有無を問わず死刑の宣告を受け、その子孫までも刑務所に投じ、太陽すら拝めないようにした このような強制的法律に服さず憂国のまごころから恨み、痛み、憤懣を禁じ得ない有名なる韓国の志士らは祖国と涙を流して離別し、ロシア、オーストラリア、アメリカおよび中国の地に亡命した

(中略)

此ノ時ニ当リ韓国有志党等ハ韓国ノ独立ト自由ノ生活ヲ回復セムガ為ニ中央莫斯科(モスクワ)ヲ中心ト定メ露西亜国民政府ノ範囲内ニ於テ韓人国民会ヲ成立シタリ 其ノ趣旨ト目的ハ韓国ノ独立ヲ主唱シ露西亜ノ赤軍ニ倣(ナラ)ヒ韓人自由軍隊ヲ召集セムトスルモノニシテ強盗日本人ヲ圧倒砕滅シテ韓国内地ニ在ル同胞ヲ救済セムガ為ニ出軍セムトスルモノナリ 又韓国ノ労力民ハ今般露西亜第三特色民族会ニ入会セルガ夫(ソレ)ハ他ニアラズ世界ノ労働者等ヲシテ大同団結セシメ財産家ト勢力家トヲ合心打破シ世界の小弱国ヲ合同結盟セムトスルニアリ

いまこの時、韓国有志党などは韓国の独立と自由な生活を回復するためにソ連の首都モスクワをわれらの中心と定め、ソ連政府治下において韓人国民会を成立させた その趣旨と目的は韓国の独立を主唱しソ連赤軍にならって韓人自由軍隊を召集し強盗日本人を圧倒砕滅して韓国内にある同胞を救済するため軍を出すものとする また韓国人民は今般ロシア第三特色民族会に入会したがそれはほかでもない世界の労働者らと大同団結して資本家や支配階級を打破し世界の弱小国を合同結盟するものである

然(シカ)シテ韓国ノ独立軍隊ト露西亜ノ赤軍隊トガ合心合力シテ彼(カ)ノ「ウラル」山以東韓国内地ニ至ル迄ノ間ニ住居スル日本人ヲ一気ニ撲滅スルノ時ハ韓国内地ニ在ル革命党及外洋ニ出テ居ル革命ノ志士当局者ガ兵力ト力トヲ合シテ大同ノ主義ト革命ノ目的ヲ達スルノ時ニシテ亦(マタ)韓国永遠ノ独立ヲ回復スルノ日ハ即チ此ノ時ヲ距(ヘダテ)ル遠カラザルナリ 革命ノ主義者等ハ此ノ機ヲ逸セズ奮力尽闘アラムコトヲ希(ネガ)フ

そして韓国の独立軍隊とソ連赤軍とが心と力を合わせてかの「ウラル」山以東韓国に至るまでの間に居住する日本人を一気に撲滅する時は韓国内にある革命党および外国にいる革命の志士当局者が兵力と力とを合わせて世界主義と革命の目的を達する時であって、また韓国永遠の独立を回復する日は遠くない 革命主義者らはこの機を逃さず力を奮って戦い抜くことを願う


戦時中も朝鮮人はアメリカと連絡


9.ラジオを通じて敵国の指令を受け、日本空襲時に米軍が降下してきた場合は米軍と行動をともにする、空襲が夜間ならば民家に放火する、空襲時には日本人を危険な場所へ誘導することなどを協議


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A05020292800:昭和19年10月 内務省警保局保安課 「国民動員計画に伴ふ移入朝鮮人労務者並在住朝鮮人の要注意動向」 38ページ

※管理人注:〇は判読不明文字です。


(二)思想運動の状況

(中略)

殊(こと)に大東亜戦争勃発後は緒戦当時一時少康を得たるも其(そ)の後は我国内外の諸情勢を批判して、予(かね)て窬窺(管理人注:窺窬:きゆ:すきをうかがう。機会をねらう)し来(きた)れる独立の為(ため)蜂起すべき大与の好機なりと為(な)し、何(いず)れも日本の敗戦を信じ之(これ)が策動は陰に陽に極めて活発矯激化しつつあり、

すなわち緒戦の結果華々しかりし昭和十七年の検挙一六八名に比し戦局漸(ようやく)く〇〇化の感ありたる昭和十八年は一九二名にして約一割五分の増加を見、更に本年七月末の検挙者は一一五名に及び昨年同期に比し三三名の増加を見、漸次増加の傾向にあるを窺(うかが)わる。

又(また)運動内容に於ても予ての民族意識乃至思想の啓蒙、宣伝を超脱し、戦争過程に於て敵機来襲其の他財政の破綻等により生ずる混乱〇に対応する具体的態度を云〇し、「防空防火活動を妨害すること」「落下傘部隊あらば之(これ)と連繋すること」「敵機来襲の場合夜間は民家に放火し之と〇〇誘導すること」「混乱助長の為(ため)宣伝ビラの撒布謀略流言の流布をすること」等を協議しつつあり、或(ある)いは日本を敗戦に導くため生産阻害を為(な)すべきなりと為(な)す等著しく謀略的となれり。

尚(なお)玆(ここ)に注目すべき敵国は朝鮮人を対象として銃後攪乱を企図し凡有(ありとあらゆる)謀略を画策しつつある事実にして、現にラヂオ放送により巧みに在住朝鮮人に呼び掛け反日謀略策動を煽動し、又一方大陸に蟠居(管理人注:ばんきょ:広大な土地を領して勢力をふるうこと)する不逞鮮人団体就中(なかんずく)重慶に蟠居する仮政府に在りては最近在支不逞鮮人団体を統合し金九、金元鳳両派の合同を遂げその陣営を整備拡充し、矯激なる反日策動を推展しつつあり

又華北(管理人注:中国北部)に於ける共産主義系朝鮮人は中共の領導下に其の基礎を拡充し内地在住鮮人に働き掛けんとして一味分子を内地に潜入せしめんと〇々策動を続けつつあり、而(し)かも国内に於ける思想分子に在りても之等(これら)在外同志の策動に対しては尋常の関心と期待を持ち一部には積極的に之(これ)と脈絡せんとする策動を露呈する等両者の動向は厳戒の要ある所なり。



10.出稼ぎ労働者に偽装した朝鮮人活動家が炭鉱に潜入し、朝鮮人労働者に日本を敗戦に導き米国援助の下朝鮮独立を果たす絶好の機会と煽動


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A05020292800:昭和19年10月 内務省警保局保安課 「国民動員計画に伴ふ移入朝鮮人労務者並在住朝鮮人の要注意動向」 23ページ



⑶ 大東亜戦争で日本を敗戦に導き米国援助の下に朝鮮の独立すべき絶好の機会である。

⑷ 日本を敗戦に導く捷経(管理人注:しょうけい:近道)は一切の戦力の根基である石炭の出炭量を低下せしむるにあり、之(これ)が為(ため)移入労務者の全面的稼働率低下乃至(ないし)怠業(管理人注:ストライキ)を実現する要あり

(中略)

現に、夕張砿業所に於ては、崔元貞の指導の下に客年(管理人注:去年)二月より十一月迄(まで)の間十ヶ月に亙(わた)り作業場に於ける怠業を持続し出炭能率を二割ないし四割方減退せしめたる事実判明し居(お)る等之(これ)が策動は極めて危険なるものありたり。


日本敗戦を知っていた朝鮮人はソ満国境からいちはやく逃亡、日本人のいうことも聞かなくなった


11.1944(昭和19)年、在満朝鮮人、満洲人が口々に「来年の8月日本はツブれる」と言い始め日本人の言うことを聞かなくなった


出典:1959(昭和34)年 日本文芸社 「現代読本」第四巻第十二号所収 
    「虚国 『満州国』 の予言」



 日本軍政により、ドタバタと建国された「満州国」は、皇帝執政として、今はソ連に抑留されている溥儀が天津より、例の甘粕元憲兵大尉と、後に天津で銃殺された川島芳子等に連れ出され、途中、苦力(管理人注:クーリー:中国人の人夫)の変装で天津脱出をし、満州国皇帝として迎えられた。

(中略)

 勿論(もちろん)、協和会は全国に支部を置いた(五族協和)(管理人注:今でいう多文化共生)を唱えたのもここである。─── 会員の五分の二はいわゆる満州国人の官吏であって、いかにも、日、満、蒙、鮮、白露人が居た。

 中でも日本人以外はそれぞれの国で一応インテリばかりであった。それが……終戦一年前から決して日本人官吏に対し非常に冷たい態度はとる、協力はしないし、役所の仕事は投げて、室の片隅で密談ばかりする日々が続いた。

 その頃、戦果発表は怪(あや)しくなり、モウ”軍艦マーチ”も鳴らなかった。誰云(い)うとなく

「来年(二十年)八月頃日本ツブれる」

と伝わって来て、心ある日本人を怒らせた。

 一般の満人も、電車やバスの行列に、日本人を押しのけて乗る有様(ありさま)。事実、それ迄(まで)日本人は優位を信じ満人に威張り返していたが、そんな事は考えられなかった。

「来年八月ツブれる」の声は次第に大きくなっていった。

 そしてとうとう予言通り日本人は敗戦の日を「八月」に迎えた。

 それにしても、ピタリ当った八月説の予言は果して何処(どこ)から出たか?



12.1944(昭和19)年11月、朝鮮に入った帝国陸軍を朝鮮人が挑みかかるような目付きで見る


出典:1957(昭和32)年 日本文芸社 「現代読本」第二巻第六号所収
   元戦車第三師団陸軍曹長 小山純一 「若き鉄牛隊の火だるま戦法」



 グラマン何ものぞ!

──京城(現ソウル)に着いた我々は、町外(はず)れの松波部落に駐屯することになった。この隊の教育主任は、日露の軍神・乃木大将の甥に当る湯地大尉だった。我々は山根省三中尉の一中隊に編入された。待機の態勢であった。

 だが我々の到着後、間もなく米機動部隊の沖縄攻撃、米軍レイテ島上陸、フィリッピン沖海戦に続いて十一月末、B29約八十機の東京初空襲の報が入り我々は歯がみして口惜(くや)しがった。この時分から、それまで厭(いや)らしいまでに卑屈な感じの一部朝鮮人達の態度が豹変して、挑みかかるような目付きになった。

 明けて二十年二月には艦載機約一千機など続いて三月十日、B29百三十余機の東京大空襲と、その後の数度の悲惨な事態の内に遂に八月十五日を迎えたのだった。京城に於ける"青年同盟"など暴徒の行動は目に余るものがあった。



13.1945(昭和20)年、朝鮮空襲が開始されても朝鮮人は「米軍は朝鮮を空襲しない」と固く信じて退避しなくなった(実際に朝鮮空襲の被害は軽微だった)


出典:1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録大東亜戦史 朝鮮篇」所収
    元京城日報社主筆 中保与作 「掠奪と赤色の劫火」



 いつものB29がやって来た。しかし多くの朝鮮人は、もう退避命令を聞かなくなっている。本社の特設防護団長以下、団の幹部が血眼になって、「退避、退避」と怒鳴って歩くが、どの職場にもほとんど動揺の色がない。本社の職員は八十パーセント以上も朝鮮人で占めているが、先を争い、あわてふためいた二三カ月前とはすっかり違ってみんな泰然と落ち着き払っている。屋上から銀翼を見上げて「きれいだね」と話し合っている一群さえある。「危いじゃないか」と注意しても、「はい」と肯(うなず)くだけで、急いで下りようともしない。

(中略)

 しかし、朝鮮人の多くは、「米軍は決して朝鮮人を爆撃しない」と信じている。彼らの間では、朝鮮の独立を認めたカイロ宣言も、耳から耳へささやかれている。

「いよいよ独立の日が近づいた」と目と目とが互いに語り合っている。



14.1945(昭和20)年8月初旬、ソ満国境の綏芬河(すいふんが)から朝鮮人、満洲人が逃亡を開始


出典:1958(昭和33)年 日本文芸社 「現代読本」第三巻第五号 
   元綏芬河特務機関 北野征夫 「痛恨! ソ満国境部隊の奮戦」



戦雲ただよう国境の町

 まだ北東の一隅に不気味な雷雲が低迷してはいたが、満州の八月にしては、すがすがし過ぎるくらい、からりと晴れ渡った八月八日の夕は、涼風をただよわせながら、今日も静かに暮れていった。

 しかし日本軍がガダルカナルに転進、南方の悲報が伝わるたびに、毎日、ソ連国境線を彷徨して、情報を集めていたわれわれは、何か物騒な圧力を感じていた。

 すでに七月からだったが、肉眼でもソ連のグロテコウオ飛行場には、一〇〇機に余る戦闘機を目撃したし、またその附近の地上部隊は、毎日実弾を使って歩砲(ほほう)連合演習を繰り返していた。

 このころ、われわれの諜報機関も、そうしたソ連の行動が、何を意味しているのか、それを探るため、七月六日にスパイを潜入させたが、スパイはそのまま帰ってこなかった。

 そして毎日のように、夜をも十時を過ぎると国境前線の作戦道路を、敵の戦車機械化部隊が轟々(ごうごう)とキャタピラをとどろかし、夜通し示威行進を行っていた。

 こうするうち、八月にはいると、国境の町綏芬河からは、夜になると満鮮人が馬車をつらねて、荷物の移動を開始するようになり、夜の街の一人歩きはちょっと、心細い状態になった。それでもなお街々には、最後の勝利の信念をもった歩兵一個大隊だけの、綏芬河守備隊が残されていた。

【綏芬河(満洲)】
鮮満北支交通図1_2綏芬河


15.朝鮮人が日本敗戦後の日本人虐殺計画を立てる


出典:1946(昭和21)年 岩波書店 茅原廉太郎述 「日本人民の誕生」



 第三講 戦争

朝鮮人がよく私に語ったものだが、朝鮮が独立する場合には、否応(いやおう)なしに日本人の虐殺が起る。その場合京城(現ソウル)に居(お)られても茅原先生だけには決して手をつけないと。



16.ソ連軍対日参戦の日に金日成が帰鮮


出典:1950(昭和25)年 文藝春秋新社 「文藝春秋」10月特別号所収 
    渡邊龍策 「金日成真疑調書-謎の男の神秘をはぐ-」



 金日成と私

 金日成がソ連から祖国朝鮮に帰って来たのは、ソ連が対日参戦をした日であるという。

【帰って来た金日成:左側の人物】
金日成金九1

【本物の東北抗日第一路軍第二方面軍金日成】
金日成本物

日本政府または日本軍の書きこみ「現在の金日成と大分異る」
金日成書き込み1【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C13010013700:1952(昭和27)年11月 陸軍省 「第12巻・第4篇/第9章 匪賊及住民(3)」

日本敗戦~全朝鮮で革命の嵐が吹き荒れ、日本人虐殺開始


17.朝鮮人は日本敗戦の日に合せて赤旗、ソ連軍歓迎のビラを準備していた


出典:1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録大東亜戦史 朝鮮篇」所収
    元京城日報社主筆 中保与作 「掠奪と赤色の劫火」



 赤旗のるつぼ

 西大門刑務所の屋上には、いつの間にか、「革命は遂に成れり」と大書したのぼりが高々と翻った。政治犯や思想犯や経済犯としてそこに囚われていた人達は、囚衣を着替える暇もなくさっと街頭へ走り出した。

(中略)

 いつの間にか.「午後一時、ソ連軍入城」「行け京城駅へ」「ソ連軍歓迎」「ソ連軍万歳」などの貼紙が硝子(ガラス)戸にも、壁にも、塀にも、電柱にも貼られている。人間を満載したトラックが右へ左へ猛烈なスピードで駛(はし)って行く。ひっきりなしに、オートバイが赤旗を振りちぎりながら、「革命だ、革命だ──」と叫んでゆく。ワーッ、ワーッと潮騒を思わせるざわめきが全城の隅隅(すみずみ)から湧き立っている。あの窓からもこの窓からも赤旗を振っている。

【ソ連軍を拍手で迎える朝鮮人】
ソ連軍を迎える朝鮮民族

【米軍進駐を拍手で迎える朝鮮人】
kingstation_1945_10_jpg.jpg


18.満洲、朝鮮で日本人大虐殺開始


出典:1957(昭和32)年 日本文芸社 「現代読本」第二巻第六号所収
   元黒河特務機関 綿貫弘 「ソ連潜入混血学徒兵の謀略隊」



 怖(おそ)るべき狼犬に包囲さる

 やはり、空気は何かしら不気味だ。そのうち六月に入ると、白系の連中の一部で、特に商人の連中が、盛んに品物を隠匿し始めたではないか──。

 もう動かし難い情況である。私はその一団のリストを作って、刻々と機関に送った。

 だが、機関としては、どうすることもできなかったようである。

 何故(なぜ)ならば、ソ連参戦による関東軍の戦力、それと、在満同胞を如何にその毒牙から救うかだった。これは一特務機関の力ではどうしようもなかったことだ。しかも、ソ連参戦は意外に早かった理由もあるが、ついに『国境異状の兆(きざし)あり』という私の一報が現実となって、あの、世界にも類例のない惨虐が、全満の同胞を襲ったのだ。



18.元日本兵:虐殺された日本人の死体が丸太のように転がっていた


出典:1962(昭和37)年 錦正社 原田政盛著 「我が満蒙日記」
    28 ああ敗戦



 翌朝新京駅に停車した。一時間余も停車していたであろうか? その間、青天白日(管理人注:中華民国の旗)の徽章(管理人注:きしょう:身分や職業などを示すしるし)をつけた中国人が二、三人乗車して来て、私共をにらみつけるようにして

「此処(ここ)では日本人が沢山(たくさん)殺されている」

と如何(いか)にも憎々しそうに吐き捨てるように言って立ち去った。

 窓の外を見ていた私の隣りの兵隊が真っさをな顔をして指さすので、私も窓の外を眺めた。

 始めは、雨に打たれて何か丸太のようなものが転がっていると思ったのが、じっと見ているうちにそれが人間の屍体である事が判(わか)って来た。

そんなのが三つも四つも転がっていたが、恐らく敗戦の日に暴民に襲われた日本人の惨殺屍体であっただろうと思い、今更乍(なが)ら廃残の悲哀を感じさせられたのである。

昨日に変る今日の此(こ)の同胞の姿は、又、我々日本人全部の運命であると思い知らされた。どんなに無念であったであろうと心を締めつけられる思いがした。



ノーテンキだった日本政府 「日本国民は朝鮮同胞を愛せよ」@昭和19年


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B02031286200:昭和19年 「7.朝鮮及台湾同胞ニ対スル処遇改善要綱/2 朝鮮及台湾同胞ニ対スル処遇改善要綱の2」 1ページ



参考

朝鮮同胞ニ対スル処遇改善要領各項ノ具体的施策トシテ実施スベキ事項概ネ左ノ如シ

一、一般内地人ノ啓発

(1)新聞、雑誌、映画、者作等各種ノ方法ヲ以テ朝鮮同胞皇民化ノ実相ヲ知ラシメ之(コレ)ヲ親愛スベキコトヲ認識セシムルコト

shogu_kaizen1.jpg

【法務省:朝鮮人へのヘイトスピーチは許さない】
ヘイトスピーチ許さない2

【自民党:朝鮮人へのヘイトスピーチは許さない】
西田昌司議員1


↓↓↓「差別」は作られ、宣伝される↓↓↓
朝鮮人群衆性川崎4

関連記事
スポンサーサイト