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2017/04/03

共産党の悪性デマ宣伝とは


共産主義者は戦前から対日悪性デマ宣伝をやっていることをご存じですか?

そして戦前も日本が真実を発表すると、現在の極左野党や反日マスコミのように必死で「日本の発表はデマだ!」とデマで日本の発表をごまかしていました。

なので、共産主義者が「デマだ!」と断定するものは「真実」です。

たとえば戦前の陸軍省新聞班の週報には、日本の「支那飛行機を300機撃墜した」という声明を、自国人民に不利な戦況を知られたくない支那側が「デマだ!」と宣伝したことが記録されています。


▽十月十三日同盟電──南京来電に依れば、支那側は支那飛行機三百機を撃墜又は爆破したという日本の声明に対し戦闘開始当時飛行に堪(た)える支那飛行機はかかる多数には達しなかったと云(い)、更に今日までに支那側の失ったものは二十七機であると称している。

【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A06031024500:1938(昭和13)年5月18日 内閣情報部 「週報 第83号」 敗戦支那のデマ戦術 陸軍省新聞班(17コマ目)
※全文は↓に書き起こしていますので、そちらをごらん下さい。



【民進党支持者「デマだ!」=真実】
民進党の構成分子は戦前から「デマ」宣伝をやってきた左傾思想者または民族。

悪性デマの成分とは

戦前中国共産党の対日悪性デマの成分はザックリ分類すると「戦況に関するデマ」と「思想関係のデマ」の二つに分けられます。

「戦況に関するデマ」には「戦況」から「婦女子・幼児への暴行」といった9つの「対日悪宣伝」がふくまれ、「思想関係のデマ」には「テロ」から「革命運動」という3つの「革命宣伝」がふくまれていました。

この悪性デマ分類は現在でも使えるので、共産党のデマ宣伝の種類とその目的を一覧表にしてみました。

共産党の対日悪性デマ宣伝一覧表

種  別
デマ宣伝の目的
分  類デマの例
戦況に関するデマ

【目的】
・外国の同情を
求める

・日本軍が戦争
法規に触れてい
ると宣伝して
第三国の干渉を
誘致する
(=南京大虐殺、
 従軍慰安婦)


・中国軍の優勢を
宣伝して自軍の
不利な戦況を
隠ぺいする

・中国軍の優勢を
宣伝して人民の
反日抗日、革命
運動を煽る

・日本軍兵士の
厭戦気分を煽る
戦況・日本軍はその大半を殲滅されその兵力
は20万に減じた
・日本は男子を使い尽くし軍隊は補充に
困難している。女子が鉄道工事をやらな
ければならないほど窮している。
飛行機・支那飛行機は日本軍艦二隻を爆破した
ところ日本軍艦は米国旗を掲げ修理を
受けつつある。
・中国軍は日本軍兵士2、3万を殲滅し
敵の飛行機200機を撃墜した。
軍艦・支那側は昨夜の空襲で日本軍艦五隻に
爆弾を命中させた。
毒ガス・日本出先官憲は発電所を破壊し水道
貯水池に毒薬を投入する計画を有して
いる。
ダムダム弾・日本軍は〇〇地方でダムダム弾(下記
註参照)
を使用した。
毒物使用・日本軍は毒を混ぜたものを中国人民に
食わしている。これを食えば病体となり、
肌が黒色となるので毒が入れてあることが
判明した。
上級指揮官の
戦死
・日本軍総司令官松井大将が負傷して
日本に帰った。
・日本軍の大将〇〇〇は我が軍に殺さ
れた。
俘虜(捕虜)
投降/
投降呼びかけ
・日本軍四千は中国軍に降参した。
・一千名の日本兵が武器を捨てて支那軍に
降参した。
・中国では今度日本の捕虜を優待すること
となった。
婦女子、幼児
の死傷虐待
・日本潜水艇の攻撃で支那漁民が殺戮
され290名が殺された。そのうち100名は
婦女子であった。
・住民なき大都市街路上で置き去りにさ
れている幼児が母を求めて号泣している
写真が盛んに使用された。
思想に関するデマ

【目的】
・日本の内部崩壊

・日本人に革命気
分をすりこむ

・日本軍兵士の
厭戦気分を煽る
テロ・京都府宇治火薬製作所が日本の侵略
反対者によって爆破され死傷者30余名を
出した。
反戦・日本の青年の間では反戦が大いに高唱
されている。
.二・二六事件後、第一師団が満洲へ出動し
ようとした際、一般兵士の家族らが線路に
伏して列車の進行をさえぎった。
・神戸から出征する増援部隊兵士が輸送船
への乗船を拒んだ結果、日本官憲に弾圧さ
れた。すると見送りの家族や出征兵士の一部
が反戦のスローガンを叫んで泣きわめいた。
革命運動・台湾では革命の空気が濃厚である。
・台湾の革命家が日本軍に惨殺された。


【管理人註】
・ダムダム弾とは

 イギリスがインドのダムダムという地で初めて製造した銃弾。弾の外包が中心全部を蓋包せず、したがって人体内に入って展開または扁平となり、それだけ苦痛を被害者に与える構造となっている。
 1899(明治32)年の第一回ハーグ平和会議においてダムダム弾禁止宣言が採択されたが、支那軍は日本軍との上海戦において全線でダムダム弾を盛んに使用した。

【日本軍が戦利品として没収したダムダム弾】
アヘンダムダム弾1

【出典】1932(昭和7)年 信夫淳平 「上海戦と国際法」 第三章 敵の兵種及び兵器 第四項 支那軍のダムダム弾の使用


今回の森友学園問題からいっせいに辻元氏の名前が抹消され、辻元氏と震災義援金3600億円の記事を掲載したブログが攻撃されたのは、辻元氏の工作が日本国民にバレてしまったからでしょう?

工作でミスしたことを思想的母国に知られたくないからでしょう?

共産主義とは国の富から個人の私有財産までぜんぶ国際金融資本が強奪するためのサギのような思想ですから、他者よりも優位な立場でなければ自分が搾取されてしまいます。

そういう思想なので共産党には内紛や権力争いが付き物なのです。

参考記事↓↓↓

今、辻元清美はデマに苦しんでいます。

火消しに失敗した辻元清美が『デマだと幾度も絶叫する』悲惨な展開に。公式サイトで情けない姿を露呈中

民進党「辻元清美の件はデマです。報道したらその局は終わり」 民進党がマスコミに圧力を掛けた証拠流出キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 松本龍の頃から何も変わってないなwwww

【民進党】蓮舫代表「抗議文と法的措置を含め対応検討」「昭恵夫人の言葉が正しいという資料ない」産経の辻元疑惑報道と、記事に言及した安倍首相を批判

【速報】辻元清美に新たな疑惑!中山成彬氏「辻元議員といえば東北大震災の義捐金3600億円の使途の責任者だった筈だが、報告はなされていたかな?」

前代未聞のネット弾圧キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!【辻元】ch規制に続き、大手まとめサイトが昨夜から続々つながらない事態に!

疑惑の辻元清美、衆院本会議に出席wwwwww 死人の表情でワロタwwwwwwwww


モルガン風刺画☞こどもの貯金箱にまで手を伸ばすモルガン商会の風刺画(戦前アメリカ)。



なんというか、日本人は一番に「国という大きな命」を思う民族なので、こういう薄汚い工作をされればされるほどイライラしてサヨクを排撃することにサヨクは気づいていないのでしょう。

辻元氏の工作上のミスを「デマだ!」と信じこみたいのは共産主義者らの都合ですから、なにも真実一路の日本国民が彼女のミスをカバーしてやる必要などありません。

あちらが発狂するくらい「真実」を突きつけつづけましょう。

日本は戦前から「真実」を宣伝してきた国です。

80年前から日本は「共産党は悪だ!」「共産主義は私有財産制を保持してきた中国人には合わない!」と宣伝してきました。

日本が正しかったことは中国の民主化運動や北朝鮮脱北者が証明していますよね?

私たちのご先祖さまも共産党の対日悪性デマと戦ったのです。

私たちもご先祖さま方の遺志を継ぎ、今年で100年間も日本に粘着している共産主義を撲滅しましょう!

その第一の方策は反日マスコミや極左野党の宣伝を真に受けないことです。

共産主義は宣伝が命ですから。

1934(昭和9)年 国民新聞
「全世界に乱れ飛ぶ対日中傷のデマ! 注目される思想工作」

アヘン対日中傷デマ1【出典】神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 思想問題(8-018)国民新聞 1934.3.3 (昭和9)


辻元氏「今度は自民党の内部に離間工作しまーす!」と宣伝

反日統一人民戦線の任務は日本の保守派を分断、煽動することです。辻元氏のこのインタビューは氏の思想的母国への言いわけとも聞こえますね。


渦中の辻元清美に訊く「デマと保守」
2017年4月1日 文春オンライン(YAHOO! JAPAN ニュース)

 森友学園問題は籠池諄子さんが安倍昭恵さんに宛てたメールをきっかけに新たな局面を迎えた。

〈辻元清美が幼稚園に侵入しかけ私達を怒らせようとしました〉
〈三日だけきた作業員が辻元清美が潜らせた関西なんとか連合に入っている人間らしい〉

 これについて菅義偉は記者会見で「民進党において証拠提出なり、説明をされるのではないか」と発言。安倍晋三は「辻元議員は真っ向から否定している。これも証明しなくてはいけないことになる」と参院の委員会で答弁した。同じ日、当事者である民進党衆院議員の辻元は報道機関にコメントを出した。

〈入っておりませんし、入ろうとした事実もございません〉
〈(作業員を)送り込んだということも一切ございません〉

(中略)

なぜ保守を語るようになったのか? 

辻元といえば、保守派と対立するリベラル派のイメージが強い。本人はどう思っているのだろうか。

「1996年に初当選した頃は自社さ政権だったので、私は自分で勝手に『自社さの申し子』だと思っています。総理は橋本龍太郎さん、官房長官は梶山静六さん、官房副長官は与謝野馨さん、自民党幹事長は加藤紘一さん、政調会長が山崎拓さん、総務会長が村岡兼造さん、参議院幹事長が村上正邦さん。総務局長に古賀誠さんがいたりもして。幹事長代理が野中広務さんで、社民党の幹事長代理は一年生の私だったから、いろんな交渉を野中さんとやりました。

 当時の自民党議員は、もっと歴史を知っていて、変えていいことと変えてはならないことの峻別をしながら、四方八方を見渡して政治をつかさどっていたように思うんですよね。私、どちらかと言うと『左翼』と見られるんだけど、野中さんや古賀さんとは割と親しくさせてもらって、そういう人たちと一緒に与党の経験をしたということは自分の中でも大きくて、自民党とは親和性はあったように思えた。私も昔は左に振れ切れそうになっていたのかもしれないけど、やっぱり政治は右に振れ過ぎても、左に振れ過ぎてもダメなんです。やっぱり真ん中に重心があって、少し右に行ったり、左に行ったりしながら政権運営をしないと不安定になるんですよ。

 そういうのが保守政治だと思っていると、安倍政権の言う『保守』とは歪んでいるとしか見えないんです。安倍さんは初当選が私より一期上なのですが、当時から『教科書問題』で飛び跳ねていて、自民党の『造反分子』のようだった。私は、自民党執行部と一緒になってそれを抑える側だったんですよ(笑)。

(中略)

「自民党のちゃんとした保守の人は今弾圧されています」

 辻元を始め、野党議員らの質問で自衛隊の「消えた日報」問題は発覚した。時代錯誤的な隠ぺい体質が存在し、シビリアンコントロールが効いていない実態が国会審議で詳らかにされた。結果、安倍政権は防衛相に「特別防衛監察」なる強権を発動させて調査に乗り出し、南スーダンからの撤退を決めた。

 その間、辻元のところには保守派を称する憂国の士たちが次々と助言に訪れたという。

 多数派が必ずしも正義というわけではない。少数者が正論を訴え、世論の支持があれば、マンモス与党をも凌駕できる。オープンな場の言葉だけで政党や思想の違いを飛び越え、国策が変わる瞬間は意外にあるのだ。だから、国会論戦への興味は尽きることがない。

 最後に辻元は言った。

「自民党と民進党の何人かで外交安保の勉強会を開こうと準備しています。自民党のちゃんとした保守の人は今弾圧されていますから、水面下で非合法組織のようにじっくりやろうとしています」(後略)




本記事の資料:
陸軍省新聞班「悪性デマの種類を述べよう」

この記録の中で支那側が宣伝した日本軍の被害は、合計すると事実ではない架空の数字だということがわかります。

ある意味、こーでなければ圧倒的物量を誇った米軍でも無理だと思われる「南京大虐殺」や「従軍慰安婦強制連行」を平気で宣伝できませんよね?

中国は自称戦勝国であり、事実は南京陥落で日本に敗戦しています。日本が条件付降伏をしたのはアメリカだけで、連合国の他の国には戦勝しています。

支那事変が長期化したのは中国が対日悪性デマで日本軍を挑発したことが一因です。

陸軍省情報部砲兵中佐は「支那が宣伝するデタラメな日本軍犠牲者の数は靖国神社に祀られた英霊の数と比較すればすぐにバレる」と言っています。


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A06031024500:1938(昭和13)年5月18日 内閣情報部 「週報 第83号」 敗戦支那のデマ戦術 陸軍省新聞班(17コマ目)



 現代国家がその総力戦、特に思想戦に於ける闘争手段として宣伝を重視することは、既に世界大戦当時の経験からして周知の事実となっている。人間の理智と感情とが複雑、微妙を極めている現代社会の群集心理を巧みに利用して放送される宣伝こそは、寔(まこと)に近代思想戦の表徴である。

 併(しか)しながら、もし宣伝が徒(いたづら)に軽躁(けいそう:軽はずみなこと)誇張に趨(はし)り所謂(いわゆる)デマ性を含むならば宣伝は次第に雲煙(うんえん:雲や煙。または雲やかすみ)過眼視されることとなり、更に悪性デマの性質を帯びるに及んでは、遂には社会の顰蹙(ひんしゅく)と嘲笑とを買う以外の何ものでもなくなる。

 このことは、最近徐州方面の戦況に関する支那側郭沫若(かくまつじゃく:中国の文学者・政治家。四川の人。日本の九大医学部卒。郁達夫らと創造社を興す。北伐に従軍後、日本に亡命するが日中戦争開始とともに帰国、抗日救国の文化活動に活躍)一流の悪性デマ宣伝に於て特にその感を深くするところである。彼等(かれら)は既に京津(けいしん)地区で屡々(しばしば)かかる常套手段を弄(もてあそ)んでは幾度か馬脚を露(あらわ)したにも拘(かかわ)らず、昨今も、相も変わらず悪性デマに狂奔している有様である。実に笑止という外(ほか)はない。

 以下は、この悪性デマの常習者が事変以来如何なる方面に於て、どんな造言と蜚語とを飛ばしたかということを、その材料の一端を俎上(そじょう)にして暴露せんとするものであるが、これには二つの意図がある。

その一は今後益々敗戦に喘ぐ支那側が更に繰返し使用せんとする悪性極まる「あの手この手」なるものが如何なるものであるかを周知せしめんとすること、その二は苟(いやし)くも帝国が宣伝戦に於てその優越性を保持拡大せんとするに於ては、支那の宣伝が悪性である限り、如何に荒唐無稽なものであるにしても、また白髪三千丈(はくはつさんぜんじょう:長年の憂いのために頭髪が白くなり伸び放題になったこと。心配ごとや悲しみが積もることの形容。また、誇張した表現の例とされる)式のものであるにしても、これを傍若無人に跳梁させておく理由を断じて認め得ないからである。

むしろ、空に、陸に、海に終始その優勢を保持している我が武力戦と併行して時にはこれに先んじて悪性デマを粉砕し且つこれを清掃して置くことが極めて重要であるからである。

殊(こと)に、事変の経過が漸く長期戦に入りつつあるの秋に於ては特にその必要がある。

×   ×   ×

 
 最も多く悪性デマの資料となって居(お)り、またなったのは何と云(い)っても戦況である。戦況デマはやがては戦果として一の客観的情勢を齎(もたら)すことになるから支那側が徒に詭弁を弄しても結局は支那側の厚顔と無恥とを暴露するに外ならない。

 戦況デマ資料中特に注目されるものは飛行機、軍艦、毒瓦斯(ガス)、ダムダム弾、毒物使用に関するもの、更に上級指揮官の戦死、俘虜投降に関するもの、婦女子幼児の死傷虐待に関するものである。これは外国の同情を求めようとする考えと、戦争法規に触れていると宣伝して第三国の干渉を誘致しようとする魂胆である。

以下それを例示して見よう。

▽十二月八日放送──毛沢東は三日夜世界人士に次のように語った。「日本軍はその大半を殲滅され現にその兵力は二十万に減じた。」

▽三月十三日放送──日本は既に男子を使い尽した。軍隊は補充に困難している。女子が鉄道工事をやらなければならない程窮している。

 これ等(ら)の宣伝は、如何に日本の兵力というものの認識に欠けていることか。嘲笑というよりもむしろ噴飯に堪(た)えない。このことは戦況そのものに関しても同様である。

▽三月十一日放送──山西省方面の戦闘は臨汾で進行している。日本軍の後方には支那の正式軍遊撃隊が活動し日本軍は損害を受けている。山西省の戦いで日本軍は一万五千名の兵を失った。

▽三月二十日放送──平漢線の中国遊撃隊は、日本軍と接戦し一週間以来中国五連隊は日本軍を撃退し彼等(かれら)全部を包囲した。日本軍約三千名一千名の死体を遺棄して潰走し中国部隊は前進中である。日本軍は全線に亙(わた)って動揺している。

▽三月二十日放送──中国軍は日本軍六千名を殪(たお)しその他多くの武器弾薬を捕獲した。

▽四月十二日放送──中国軍は南京城の周囲を包囲日本軍当局や政府は恐慌を来(きた)している。南京政府成立の日一万余名の中国軍は南京郊外に到着、日本軍に脅威を与えたが、その後南京郊外は中国軍に依って包囲の態勢に置かれ南京は近く攻落されんとしている。


matsui_iwane00001.jpg☞松井石根(まついいわね)大将。東京裁判でデマである「南京大虐殺」の責任を問われ死刑になった。


 次には飛行機に関する悪性デマである。

▽八月十六日某漢字紙──南京政府は全国に於ける支那飛行士の数は三千名にして政府は彼等総(すべ)てを戦線に向けるため参謀本部に召集している。

▽八月二十六日某漢字紙──支那飛行機は日本軍艦二隻爆破したるところ、同艦は米国旗を掲げ修理を受けつつある。

▽十月六日放送──我々は開戦して河北に、山東に、上海にと敵と戦い大勝利を博している。我々は遠からず河北から熱河へと進む。我々は既に二、三万の敵を殲滅し敵の飛行機二百余台を撃墜した。

▽十月十三日同盟電──南京来電に依れば、支那側は支那飛行機三百機を撃墜又は爆破したという日本の声明に対し戦闘開始当時飛行に堪(た)える支那飛行機はかかる多数には達しなかったと云(い)、更に今日までに支那側の失ったものは二十七機であると称している。

アヘン辻元清美1☞塚本幼稚園に行ったのに今は「行ってない、デマだ」と言う辻元清美氏。



▽十一月十三日放送──我が(註-支那側)空軍は敵の航空母艦の上空に直下し爆弾を投下し数発は艦上命中した。これにより艦上の飛行機十二台を爆破したが、また同艦尾に命中せる一弾は火災を起し艦は傾斜した。同艦では不意をくらって狼狽し防戦大いに努めたが、我が空軍は目的を達し無事引揚げた。


▽二月二十五日香港発電──本日の支那紙は昨日支那機一機は長駆して東京に飛び上空より偵察飛行を行い無事漢口に帰還した。近く大々的に東京空襲を敢行するであろう。


アヘンドーリットル空襲1ドーリットル空襲は1942(昭和17)年4月18日。しかも日本本土に飛来したのは米軍機であって支那軍機ではない。最近空を飛びだした中共が「何を言うか」という感じ。


▽三月三日放送──中国空軍は毎日台北空軍根拠地を爆撃している。中国空軍は連日各地戦線に於て日本軍に多大の損害を与えている。日本軍は中国空軍を撃滅したと云っているが、昨日全く撃滅された筈(はず)の中国空軍は午前〇〇台の大編隊を以て始めて渡洋爆撃を敢行し台北空軍根拠地を襲い大型爆撃機四十数機を爆破格納庫、ガソリンタンクその他の重要施設を爆撃した。


アヘン一つの中国1☞支那事変中「台湾を爆撃した」と嬉々として宣伝した共産党が現在は「一つの中国」を宣伝www


▽三月十一日放送──対日抗戦開始以来今日迄中国軍の射落した日本軍の飛行機は合計五百四十台に上っている。

96_shiki_rikukou_11gata.jpg☞支那敗戦後、南京城上空を悠々と飛ぶわが96式陸上攻撃機。


 次には軍艦の撃沈又は爆撃に関する悪性デマも亦(また)多くの資料を供給している。即ち前述した八月二十六日の日本軍艦二隻爆破云々というが如きデマの外(ほか)次のようなものがある。

▽九月十四日上海発電──支那側では昨夜の空襲に日本軍艦五隻(その中〔うち〕二隻は駆逐艦)に爆弾を命中せしめたと称している。

 また毒瓦斯(ガス)、ダムダム弾、毒物使用に関する悪性デマも少くない。

▽九月二十五日上海外字紙発表──日本出先官憲は発電所を破壊し水道貯水池毒薬を投入する計画を有す。(工部局は租界の安寧を害すると認め発行を停止した。)

▽十一月十五日放送──蘇州からの報道に依れば、日本軍は〇〇地方の戦でダムダム弾を使用したことが判明した。

▽三月十七日放送──日本軍の非人道行為を述べよう。日本人は毒を混じたものを中国人民に食わしている。これを食えば病体となり黒色となるので毒が入れてあることが判(わか)った。

senbu_han8_1.jpg☞日本軍の中国人民物資配給を手伝う北京婦女宣撫班
 

 次は上級指揮官戦死に関するデマである。

▽十月七日上海発電──日本軍総司令官松井大将負傷して日本に帰ったという支那側報道は広く流布されている。

▽十二月九日放送──香港十八日電──天津からの報告に依れば敵の大将〇〇〇は平漢線で我が軍に殺された。死骸は天津に運ばれて荼毘(だび)に附せられ遺骨は日本に運び去られた。

▽四月十一日外国通信──昨日台児荘の戦闘で〇〇、〇〇の両中将は自決した模様であると支那紙は報じている。

▽四月十五日放送──上海日本側の消息によれば、〇〇中将は中国軍に襲われ戦死したことが判明した。

 投降俘虜に関しては支那側は屡々(しばしば)投降を勧め俘虜の優遇を宣伝している。

▽三月十一日放送──日本軍四千は中国軍に降参した。中国軍はこの日本軍を直ちに送り還(かえ)した。

▽三月十三日放送──山西省に在る日本軍はひどい目に遇(あ)わされている。或る場所では一千名の日本兵は武器を捨てて支那軍に降参した。

▽四月十二日放送──中国では今度日本の捕虜を優待することとなった。
   イ 飛行士負傷者を特に優遇する。
   ロ 日本の捕虜を優待すること、虐待を許さず。
   ハ 銃を捨て日本に帰らんとするものには旅費を与えること。

 又婦女子小児のような所謂社会の弱者を利用する悪性デマも好んで使用するところである。

▽九月三十日外字紙発表──南支那海に於ける日本潜水艦に依る支那漁民の殺戮──九月二十二日香港方面に於て、日本潜水艇は平和に漁獲をしていた支那漁夫のジャンク(船)を襲撃した。ジャンクには漁夫及びその家族三百名が乗り込んでいたが、中(うち)百名は婦女子であった。潜水艇はジャンクに接近するや砲門を引き次ぎ次ぎにジャンクを沈没させ負傷した漁夫等も海底の藻屑(もくず)となった。日本の海賊行為の結果死者二百九十名内百名婦女子)に達した。

 これに対しては我が海軍省は昨年十月一日副官談の形式で駁撃(ばくげき:他人の言論・所説を攻撃すること。非難)したことは既に世間周知の通りである。

 子供を悪性デマに使用した実例としては、住民なき大都市街路上に置き去りにされている幼児が号泣母を求めつつある写真が盛んに使用された。

 思想関係の悪性デマには反戦的なものが最も多い。支那が近代総力戦的見地から日本の内部崩壊を期待したものと考えると全く笑止千万と云う外はない。

▽九月四日放送──消息通側に達した上海電に依れば、日本陸軍省は二日「京都府宇治火薬製作所は一日夜爆発、翌日朝二時死傷三十余名である。」ことを発表した。今次宇治火薬製作所の爆発は日本の侵略反対者のなせるところであろう。

▽十月一日放送──外人側の消息──日本の青年間には反戦が大いに高唱されている。又大学、中学の学生八百万人で組織している連合会は代表を推し政府に支那侵略の理由を質問したが要領を得なかった。

▽十月二十日放送──日本軍隊の家庭では戦争税の負担年々重きを加え、父母妻子児女は飢寒に迫り(日本常備軍兵士は多く農民の子弟なり)、しかも兵員の俸給を以てしてはその家族を不要する能(あた)わず故に「索夫団」の運動常に発生す。例えば二・二六事変後第一師団が満洲へ出動せんとした際、一般兵士の家族老若男女鉄路に横臥して列車の進行を遮りたる事件を発生せるが如きはその例である。

▽十二月二十七日放送──福州二十三日電──台湾の革命首領竹倉次郎日本に反抗し革命を企てつつあり。全台湾には革命の空気濃厚である。

▽十二月二十八日京津外字紙発表──十二月十六日朝鮮総督宇垣大将は爆弾を投ぜられたが辛うじて難を免れた。朝鮮、台湾では革命運動が活発である。

▽一月九日放送──日本は大本営を設け今回支那に出兵し台湾人をも戦線に繰り出し作戦したのであるが、その後彼等は一人も帰来せず、台湾の革命家コウヒは三日三百の部下を率いて革命を起し戦うこと三時間後軍に送られ釈放された後皆惨殺された。

▽二月二十六日外国電報──外国商人談に依れば、二月十八日、日本神戸に於て六千名の増援部隊兵士が輸送船に乗船を拒んだ結果、死者三十七名負傷者四千名、検束者千名近くを出したと云う。兄弟子息の見送りのため埠頭に押しかけた家族により即座に大規模の反戦行進が組織された。出征兵士の一部もこの行進に参加し反戦のスローガンを叫んで泣き喚(わめ)いた。日本憲兵はこれを鎮圧せんとして発砲し多数の死傷者を出すに至った。検束者一千名の中(うち)三百名は出征兵の家族残余は兵士である。なお同部隊は当日神戸を出帆することができなかった。

 思想的宣伝は支那側が共産党と合作の上に動いている限り最も関心を払っているところであろう。しかしながら反戦的危機は、支那側自体が国共分裂を包蔵している限り、寧(むし)ろ支那側自体が直面している危機と考うべきであろう。

×   ×   ×

 
 以上支那の悪性デマの内容をば具体的実例によって説明した。これ等(ら)のものは結局すべて荒唐無稽のものに非ずんば白髪三千丈式のものであるから問題とするに足りないが、ただこれらの背後にあってこれを支配している支那側の悪性デマの精神は充分警戒し且つ打倒すべきものである。

今や事変は長期戦過程に入った。その限り将来支那の悪性デマが更に深化してゆくであろうということは推知されるところであり、これは今から充分に覚悟せねばならぬ。

そしてこれに対しては、我々は益々自覚と信念とを強め、堅忍持久以て充分に時艱(じかん:その時代の当面する難題)を克服するの覚悟を強めなければならない。

【南京陥落を知って東方遥拝、万歳三唱する日本軍】
1937(昭和12)年12月13日、新市街予定地の綿畑の中で。この時から日本軍は帰国の準備を開始した。が、中国側の挑発により支那事変が長期化する。
南京陥落【写真出典】1993(平成5)年 石風社 麻生徹男 「上海より上海へ-兵站病院の産婦人科医」



参考資料:支那事変の真実は日本軍が再建中の赤色ルートを遠征爆撃して帰投した


出典:1940(昭和15)年 同盟通信社編 「鉄牛と荒鷲:支那事変三週年」 三 漢口陥落後から現在まで 



 支那全土鵬翼の下に

 その上、爆撃部隊も新鋭を加え、十一月十五日、敵は赤色ルート甘粛省の首都蘭州に空軍基地を構え、十月末にソ聯(連)から戦闘機、偵察機、軽爆機、重爆機、輸送機、百二十数機を集めて空軍の再建に力をそそいでいるとの報に接したので、未明の闇を蹴って原田、栗原、阪本の各隊は勇躍出動し、午前七時四十分、蘭州上空に姿を現わし、狼狽する敵を尻目に蘭州西都北部にある軍事施設を猛爆した。

更に同日午後三時十五分、原田部隊は再び出動して寧夏(ねいか)を強襲し、城外西四粁(キロ)の飛行場を猛爆して兵舎、滑走路を破壊し夕刻帰還、この間山瀬部隊も同日午後三時、赤色ルートの一拠点西安をめざし、市の南西端にある飛行場に至って地上の十機及格納庫を炎上せしめ悠々帰還、永持部隊の一隊は綏遠省(すいえんしょう)五原に姿を現わし道路、兵営を爆破して帰った。

かくして一日の中(うち)に五原、西安、蘭州、寧夏と四大赤色ルートの中枢地の遠征爆撃を行って全く支那空軍を蹂躙し去った。




参考資料:陸軍省情報部砲兵中佐
「日本側の戦死者は靖国に祀られ、その数は明瞭である」


出典:1939(昭和14)年 大日本雄弁会講談社 陸軍省情報部砲兵中佐松村秀逸 「日本の進路」 戦ふ日本 大陸戦線



 喘ぐ支那軍

 実際支那軍は遺棄死体の数を計算して見ても百万に上るのであって、それに逃亡兵、負傷者、病人等を合せたら、恐らく三百万近くになるのではないかと思う。

 これに引き代えて、日本軍の方の、尊い犠牲者は六万足らずである。支那側では、日本軍に百数十万の犠牲者があったように放送しているが、これは全く出鱈目(でたらめ)である。四月攻勢の直後、大本営から、彼我(ひが:あちらとこちら)の損害を発表した時、アメリカの新聞記者が、

『支那側は日本の損害を百十数万といっているのに、日本側の発表は、六万足らずになっているが、よほど桁(けた)が違う。これは一体どういう訳(わけ)だろうか』

 と質問をして来たが、日本側の発表に嘘、偽りのあろう筈(はず)はない。申すまでもなく、日本では、戦死者は悉(ことごと)く護国の神となって、靖国神社に祀られ、一々上奏(じょうそう:天皇に報告すること)申上げている訳であって、全国民の感激、感謝の中に、極めて鄭(丁)重に取扱われているのであるから、その数は実に明瞭である。

ところが支那の方は戸籍も何もない、死体も戦場に遺棄したまま逃げるという始末であって、はっきりしたことはわからないのである。

寧(むし)ろ、更にもっと詳細に検(しら)べてみたら、それ以上の数に上るのではないかと思われるのである。

何(いず)れにしても支那軍に、百万以上の戦死者があったということは、間違いのない事実であって、これが為(た)め、蒋介石は再建軍備に大童(おおわらわ)になっているのである。



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