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2017/03/17

教育勅語抹殺とローマ帝国滅亡の共通点


教育勅語抹殺とローマ帝国滅亡の共通点は「家族制度の破壊」です。

家族制度は家長が家族を統制、支配する制度で、ローマ帝国の場合は日本の家族制度よりもずっと家長の権限が強く、「ローマの家庭は服従を教える学校である」といわれたそうです。

ローマの子女は服従と国法を守る精神が家庭で養われ、その結果、ローマ帝国は団結力や結束力が強い国家となって、広大な領土と繁栄を有することになりました。


ローマ帝国1

そのローマ帝国が滅亡した理由は、「家族制度の破壊」でした。商工業の発展により「個人の利益」を追求するようになったことやキリスト教とともに流入した平等主義、個人主義といった思想がローマ帝国の家族制度を破壊したのです。

要するに水が低い方へ流れるようにローマ人が堕落した結果、帝国も滅亡したのです。

反日マスコミの森友学園たたきも、その発端は「園児たちに教育勅語を教えていた」からでした。

世界統一をめざす共産主義者らが日本の家族制度に根ざした「教育勅語」を抹殺しようとする理由は、ローマ帝国を滅亡させた成功パターンを踏襲しているからにほかなりません。


ローマ帝国滅亡の原因と現代日本との共通点

「人道」や「グローバル化」の美名にかくれた日本破壊工作は以下のとおりです。

ローマ帝国滅亡の原因現代日本との共通点
社会の事情商工業の発展につれて
利己的観念が強くなった
個人の利益の追求
物質主義
唯物論
交通の発展により都会に
集まる者が多くなり家族的
生活を営むことが不可能に
なった
核家族化
単身赴任
幼稚園
保育園
託児所
老人ホーム
諸人種の移動が行われた
ためにローマ人の血が混乱
し家の観念が薄弱になった
外国人労働者受入
外国人留学生受入
移民政策←イマココ
思想上の影響学術や文芸の進歩とともに
自由の思想を重んじるように
なった
外来思想全般
共産主義
社会主義
自由主義
個人主義
民主主義
個性を尊重し外部の権威を
軽んじるようになった
皇室軽視
皇族の敬称撤廃
天皇退位に向け
皇室典範改正←イマココ
キリスト教の流入により平等
主義、個人主義をとなえるよ
うになった
新興宗教の蔓延
人権偏重←イマココ



ブザマだった安倍政権転覆工作

「教育勅語」の精神がカケラも身についていなかったのは当の籠池氏でした。

【類は友を呼ぶ】
森友類友1

マスコミは朴大統領親友事件のような事件をデッチあげれば、日本人が韓国人のように政権転覆デモをやるとでも思ったのでしょうか?

・総理の長年のお友だち
・総理の名前で金集め
・総理の口利きで個人が甘い汁を吸う
・総理と家族ぐるみのおつきあい

なにもかもソックリ。

森友学園朴崔1

日本人の場合、不道徳な人間の成敗は神仏におまかせします。

そして日本人は、この現実世界で国の安全を真っ先に考えます。

自民党政権も大いに「?」が付く部分はありますが、東アジア動乱の予兆が見えるいま、北朝鮮、韓国に続いて国が不安定になるようなことは防止しなければなりません。


蓮舫氏「教育勅語はわれわれが痛烈に反省しなければいけない戦争につながる」もしかして、明治時代の文語の意味がわからない?

サヨクやマスコミが問題視しているのは「教育勅語」の「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」という部分です。

しかし、大東亜戦争は日本人が共産党の侵略という「緩急」に義勇を奉じただけです。

「教育勅語」のどこにも「武力で外国を侵略しろ」などとは書かれていません。


民進・蓮舫代表、教育勅語めぐり稲田朋美防衛相を批判
2017年3月9日 産経ニュース

 民進党の蓮舫代表は9日の記者会見で、稲田朋美防衛相が教育勅語を「まったくの誤りとは違う」などと述べたことについて「教育勅語は衆院で昭和23年6月に排除決議がなされている。稲田氏が院の決議の重みを十分踏まえた認識を持っているか大きな問題だ」と批判した。

 稲田氏は8日の参院予算委員会で、教育勅語に関し「日本が道義国家を目指すべきだという精神は取り戻すべきだ」と述べていた。

 蓮舫氏は「教育勅語には『夫婦は仲むつまじく、友人は信じ合い』というものが含まれているが、衆院は教育勅語が主権在君の立場から、家族のあり方、友人のあり方などを国家が指導していることそのものを否定している」と指摘。

 そのうえで「家庭の教育のあり方や人の生き方まで国家が口を挟むことは、民進党の考え方と全く違う」と強調した。

 蓮舫氏はさらに、教育勅語があった戦前に「基本的人権が侵され、われわれが痛烈に反省しなければいけない戦争に歩んだ道もある」と言及。「(稲田氏が)そこをしっかり押さえておられるかは疑義がある」とも述べた。



本記事の資料:ローマ帝国の家族制度と滅亡の原因


出典:1931(昭和6)年 国体擁護会編 「護国 昭和6年版」 我が国の家族制度と思想



 家族制度とは「家」を単位とする社会組織を云(い)うのである。即ち、一族の者が集って「家」をなし、家の中に家長を設け、家長が統率する所の制度である。

 東洋に於て最も完全に家族制度の形式の残れるは我が大日本帝国である。我が国の家族制度は其(そ)の起原が頗(すこぶ)る遠く、古代に此の制度の存在せる形跡がある。即ち、古代に於て行われた氏族制度の如きは一種の家族制度とも認むべきものである。

 我が国の家族制度は、祖孫相続の精神を中心とするものであるから、それが為(ため)に、祖先と子孫との間に、一の系統的観念を生じ、祖先は子孫の繁栄を望み、子孫は祖先に対して敬慕の情を起し、祖先の意志を尊重して益々これが発展をはかるに至る。祖先崇敬の思想は家族制度の随伴するものである。

 家族制度は綜合家族制度と個別家族制度とに分たる。我が国の家族制度は綜合家族制度である。綜合家族制度は必ず個別家族制度をも含むものであるが、個別家族制度は必ずしも綜合家族制度ではないのである。此(こ)の綜合家族制度を国家組織の形式として見た時には、これを族制的国家と名づける。

 我が国の社会組織は綜合家族制度であるから、同時に個別家族制度をも含んで居る。個々の家に家長というものがあって、其の家を支配するが如く、国家には其の領域内の家を総括して統一する所の大家長がある。即ち萬世一系の天皇がそれである。かくの如く、我が国は国家全体が一の大なる家の形式をなし、天皇は家長に当り、国民は家族に当って居る。これが我が家族制度の一大特色である。かくの如き社会組織をなせる国は、現今の地球上に、我が国より外(ほか)には其の類例がないのである。

 西洋諸国の家族制度は今日では全く其の跡を絶ってしまったが、古代に於て明かに存在していたのである。中にもローマの家族制度は最も整頓したものであった。古代ローマに於ては家長の権限が頗る強く、家族は家長に対して全然無力であった。家族は常に奴隷の如く、何事によらず、家長から絶対的の服従を命ぜられるのみならず、時として生殺の権さえも左右せられて居た。

さればローマの家庭は服従を教える学校であるとも称せられた。ローマの子女が家庭にあって養われた服従の習慣は、長じて国法に遵(したが)う精神の根柢(底)となった。ローマの国民が法治国民として最も必要な遵法の精神は、家庭に於ける服従の習慣によって養われたものと云ってよい。

而(そ)して、ローマの国民が近隣の諸国を征服して大帝国を建設したのは、質素にして勤勉なことと、私情を顧みずして国法に遵う精神の強固なこととを有力な原因とするものであるから、ローマ帝国の発展は家族制度の賜(たまもの)であると云うも過言ではない。

然(しか)るに幾(いくば)くもなくローマの家族制度は崩壊した。其の理由の重(おも)なるものを挙ぐれば、第一に社会の事情が家族制度の維持を困難ならしめたことである。即ち商工業の発展につれて利己的観念が強くなり、交通のひらけ行くに従って、都会に集る者が次第に多くなり、以前の如く家族的生活を営むことが不可能になったのによる。また当時は諸人種の移動が行われた為に、ローマ人の血液が混乱して家の観念を薄弱ならしめたことも一の理由である。

第二には思想上の影響が家族制度の根柢(底)を破壊した。学術や文芸の進歩と共に、自由の思想を重んじ、個性を尊重し外部の権威を軽んずるの風を生じたので、家長の絶対的権利を認める家族制度の精神は衰退せざるを得ないのである。当時尚(な)
お此の思想上から家族制度に大打撃を加えたものは基督(キリスト)教である。基督教は家族制度と全く相反する平等主義、個人主義を唱え、家族制度の精神を根柢(底)から破壊した。

 家族制度を失ったローマは、国力が次第に衰えて、また昔日の面影もなく、遂に北方に起れる日耳曼(ゲルマン)民族の侵略を受けて、これに抵抗することを得ず、さしもに奇蹟の如く発展した広大な大帝国も、一朝にしてあと方なく瓦解してしまった。ローマに代った日耳曼民族は、文明の程度が甚(はなは)だ低く、却って、己れの征服したローマの感化をうけ、ローマの文明を伝えて、近世文明の端緒をひらいたが、遊牧民族の常として、定まれる故郷もなく、祖先崇敬の観念もなかったので、家族制度の精神は、ローマの滅亡と共に、全く欧州の天地から消滅してしまった。




補足資料:ローマ帝国では
商工業の発展で貧富の差が拡大、ローマを中心とした交通網の発展、チュートン人のローマ移住


出典:1925(大正14)年 文芸社 小林鶯里 「興亡五千年史 第5巻(キリストの出現)



 ダラッカス兄弟(紀元前百二十一年)

 そして表面から見た処(ところ)では、政治上の人民の権利は、同等のようであるけれども、富豪は其(その)財力に因(よっ)て、いろいろな悪手段を用い、賄賂(わいろ)を用い或(ある)いは盛宴を張りなどして、投票者の心を迎え、其の選挙権を、勝手にするようになった。そこで実際の有様を見れば重要の職は、皆貴族の専有となってしまい、そして貧富の隔たりも、益々(ますます)甚(はなは)だしくなり、富むものはますます富み、貧しいものは益々貧しくなった。

 紀元前百七十七年に、新たに住民を四方に移した。是(こ)れが最後のイタリー移住民である。其頃(そのころ)の公有地は、僅か数十人の豪族、及びイタリーの富民が、占有する所となって、一般の人民は、其(その)分割を受けなかったから、貧富の差は実に甚だしくなり、貧民の数はますます増(まし)て来た。

 オーガスタス(紀元前四十七年)

 そしてローマ人が「我海(わがうみ)」と称(とな)える地中海は、大領土の航通を便にし、幾百筋の道路はローマを中心として、地方の都府と聯(連)絡し、各国は固(もと)からの国語を用い、固からの宗教を奉じ、不慮の備えには三十五万の陸軍なり、一万の近衛兵は帝王の身辺を警固(けいご)した。ローマは此(こ)の広大なる帝国の首府となり、帝王は此の大国の全権を握ったのである。 

 西ローマ帝国の滅亡(紀元四百七十六年)

 さて北方ゼルマン即ち今のドイツの地方にチュートン人種と云(い)う蛮族があって、連(しき)りに西ローマ帝国の領地を侵した、が、之(こ)れは今始まった事ではない、彼(か)のオーガスタスの頃から此(この)患(うれい)が絶えないで、歴代の帝王は度々兵を交えた。

 此の時は、まだローマの勢(いきおい)が盛んであったから、慄悍(ひょうかん:すばやくて強いこと。荒々しく強いこと)なる蛮族も其(その)目的を達すことが出来なかった。

 ところが追々(おいおい)年を経るに従がって、蛮族はだんだん勢力がよくなり、之(これ)と反対にローマは、次第に国力が衰えて、遂に此の蛮族を獅子や虎のように怖(おそ)れ、年々財宝を納(い)れて、彼等(かれら)が歓心を求め、武力でなくて金の力で鎮(しず)めようとした。

(中略)

 是(これ)よりチュートン人種はだんだん西ローマに移住して来て、其(その)数が非常に増え、至る所に跋扈(ばっこ)するようになった。そして其の移住者が非常に増加して来たのは、他にも原因がある。其原因というのは蛮族等(ら)が互いに侵略を始めたことである。 

 当時ハンヌを始め、アジアのチュレニヤン人種など、支那地方から駆逐されて、他に居所を求めようとするものが、沢山(たくさん)にゼルマン地方に侵入し、其勢も甚だ猖獗であった。

 そこでチュートン人は非常に苦しみ、其の土地に安心して居ることが出来ないから、共に其故郷を去って、ローマに引越して来たのである。

(中略)

 此時(このとき)ローマ帝国は大(おおい)に乱れて、蛮族どもは国内を横行し、以前外にあった患(うれい)は、今は内部の患となったのである。そして帝王の廃立は頻りに行われ、殺逆は絶えず、僣王は四方に起って、帝国の威力は全く地に落てしまった。




補足資料:チュートン人とはアングロサクソン人種の祖先


出典:1929(昭和4)年 日本公民中学会 「新撰外国史講義 後期」 第三章 中世紀に於けるゲルマニア、サラセン両民族 第一節 ゲルマニア民族の大遷移とローマ帝国の崩壊 



【ローマ帝国の瓦解とゲルマニア民族】

 この民族はチュートン民族ともいい、現代のイギリス、ドイツ、オートリア(原文ママ)、北アメリカ合衆国民などの祖先にあたるものである。その当時は、今のドイツを中心とした地方に住んでいたもので、沼沢や森林の間に生活し農牧を営んで戦闘や狩猟などを好んでいた。従ってこの民族は、良き土地と優れた文化を求めて、頻りにローマ帝国内に侵入することとなったのである。



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