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2017/02/22

港がなかった朝鮮|竹島問題


韓国が竹島を「ウリナラ固有の領土」と主張していますが、日韓併合まで朝鮮半島には人工の港がありませんでした。

港がなかったので、当然外洋に出られるような大きな船もありませんでした。

ですから、朝鮮人が竹島まで行くことは物理的に不可能だったのです。


【日韓併合当時の朝鮮の船@江華島】
蒙古襲来が朝鮮が用意した船であのザマに終わった時から進歩なし。
朝鮮港湾船1【出典】1911(明治44)年 朝鮮総督府鉄道局 「釜山鴨緑江間写真帖」


現在朝鮮半島にある港を建設したのは日本です。

日韓併合後、日本は大金を投入して朝鮮の港を建設しました。その数は1931(昭和6)年時点で「二百数十港に達する」と朝鮮総督府の資料にあります。

その工事費は1920(大正9)年までで総額1213万2890円にものぼりました。

日本が朝鮮半島の自立を願って港を建設した結果、朝鮮は近代国家然とした外見となり、「竹島は韓国の領土」などというデマが世界に通じるようになってしまったのです。

日本がよかれと思って施したことを逆手にとって言いがかりをつけてくるのが朝鮮人です。

今後日本は、韓国に対して一切の援助を行ってはなりません。


日本が朝鮮の港建設に投入した費用【1920(大正9)年まで分】

海関工事予算費及工程
種 別予算総額工 程摘 要
釜山港工事3,824,060大正七年七月竣工大正九年度全部竣工予定
(船渠工事は大正七年
十月竣工)
大正八年度竣工予定
仁川港工事5,664,455八歩二厘
元山港工事1,560,000六歩一厘
鎮南浦港工事955,000大正四年三月竣工
平壌港工事129,375大正三年三月竣工
合  計12,132,890
【出典】1912(明治45)-1922(大正11)年 朝鮮総督府編 「最近朝鮮事情要覧 大正8年」



日本が建設した朝鮮港湾一覧図

北鮮
朝鮮港湾一覧北1

南鮮
朝鮮港湾一覧南1【出典】1931(昭和6)年 朝鮮総督府内務局土木課 「朝鮮港湾要覧」

上掲画像の説明文↓↓↓

出典:1931(昭和6)年 朝鮮総督府内務局土木課 「朝鮮港湾要覧」 第一章 総説 第一節 地勢竝(ならび)に港湾の分布



 港湾の分布

 港湾の総数は約二百数十港に達し、其の分布状態は南海岸には内鮮及欧亜連絡の関門である釜山港を始め慶尚南道に馬山・鎮海・統営・三千浦・長承浦・全羅南道に麗水・済州・城山浦等を主なるものとし其(その)他漁港避難港として点在するもの百数十港に達する、西海岸には開港として、木浦・群山・仁川・鎮南浦・龍岩浦・新義州があり、又(また)新義州に対し副港の用を為(な)す多獅島錨地がある、地方港としては全羅南道に法聖浦・黄海道に兼二浦・龍塘浦港あり、此(こ)の外(ほか)漁港又は季節的に漁業の根拠地として利用せらるるもの約八十余港に達している。

 東海岸には開港として、元山・城津・清津・雄基あり、地方港として又漁港として主要なるものは慶尚南道に方漁津・長生浦・慶尚北道に甘浦・九龍浦・浦項・江口・丑山あり、江原道に長箭・注文津・庫底・汀羅の諸港、咸鏡南道に西湖津・新浦・新昌・遮湖、咸鏡北道に漁大津・羅津・西水羅がある。




日韓併合まで原始のままだった朝鮮人と港

朝鮮人は中央アジアのザハ共和国あたりから半島まで流れてきたエベンキ族ですから、狩猟民族です。日本人のような海洋民族ではありません。


南鮮の大都会といわれた大邱の市場。
朝鮮港湾大邱市場1

天然の良港」といわれた釜山港。
朝鮮港湾釜山港1

馬山浦。
朝鮮港湾馬山浦1

仁川港。
朝鮮港湾仁川港1【出典】1911(明治44)年 朝鮮総督府鉄道局 「釜山鴨緑江間写真帖」


妄想と抗議だけは一人前


「竹島の日」式典 韓国外務省が公使に抗議
2017年2月22日 日本テレビ系(NNN)

2月22日は島根県が条例で定めた「竹島の日」。松江市で行われた記念式典では内閣府の務台政務官が、竹島は日本固有の領土であることを強調した。

 一方、韓国・ソウルの日本大使館前では、市民団体が式典に抗議する集会を開いた。

 韓国外務省は「竹島に対する不当な主張をやめ、歴史を謙虚に直視する姿勢を示すべきだ」との声明を発表するとともに、日本大使館の鈴木総括公使を呼び出し、直接、抗議した。




本記事の資料:仁川港岩石除去までやった日本


出典:1912(明治45)-1922(大正11)年 朝鮮総督府編 「最近朝鮮事情要覧 大正8年」



 第三節 港湾

 朝鮮に於ける各開港場の港湾設備は従来人工を加えたるもの極めて少なく僅(わずか)に天然の地形を利用せるもののみなりしが此くては今日文明発展の趨勢に応じ難きを以て海陸連絡設備計画を立て明治三十九年以来工事に着手し併合の際に於て更に必要に応じ設備拡張を計画せるものあり

即ち明治四十四年度以降大正七年度に至る八箇年継続事業に属する海関(かいかん:中国で、清朝が開港場に設けた外国貿易に対する税関。今日でも、飛行場に設けたものも含めて、税関をこう呼ぶ)工事費は八百二十七万千八百二十九円にして釜山、仁川、鎮南浦、平壌の四港に対する海陸連絡設備なりとす

更に大正三年度に於て鎮南浦に対し陸上諸設備費十二万円仁川港に対し航路岩石除去費四十三万一千六十一円を増加し大正四年度に於て元山港海陸連絡設備を計画し工事費を百五十六万円とし大正四年度以降大正八年度に至る五箇年継続事業として起工し尚(なお)大正六年度に於て仁川港に対し二期築港工事を計画し工事費百七十五万円を大正九年度に亙(わた)る事業として追加したるを以て海関工事費の総額は一千二百十三万二千八百九十円となれり




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