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2017/02/16

日本人慰安婦「うちは女の特攻隊です」


従軍慰安婦と慰安婦のちがいは、従軍慰安婦は外国人で日本軍に強制連行されて暴行されたと証言するニセモノ慰安婦、慰安婦は戦時中に正規のルートで日本軍占領地に渡航した公娼たちといえます。

最近、従軍慰安婦であっても「慰安婦」に呼称を統一すると取り決めたという文章をどこかで見ました。

ですが、個人的には日本軍の慰安所に行ってもいない従軍慰安婦と実際に日本軍の慰安所に行った慰安婦を同一視してはならないと思います。

宮尾登美子さんがその著書「岩伍覚え書」に「うちは女の特攻隊やと思うて頑張ります」と言って、高知から戦地へと出発して行った公娼のことを書いておられます。

そういう公娼たちと、デマばかりならべて日本に謝罪と賠償を要求する従軍慰安婦を同列にあつかうのでは、あまりにも慰安婦たちがかわいそうです。


和田政宗議員のツィート

日本政府はこの「存在しない」という言い方を改めた方がいいですね。聞きようによっては世界に、韓国や中国の主張が正しいと受け取られかねません。




本記事の資料:二十になったばかりの妓(ぎ)は戦地に行った

宮尾登美子さんのお父様は芸娼妓専門の周旋業を営んでおられました。この「岩伍覚え書」はそのお父様の日記をもとに書かれたものです。

時は昭和19年11月、二十になったばかりの妓(ぎ:娼妓。公娼)が高知から戦地の慰安所へと出発して行ったそうです。

この年の7月から連合軍による本土空襲は本格化し、列車が爆撃されたり、空襲で線路が寸断されて遠くへ行くにはとてつもない危険と忍耐力が必要とされた頃でした。

そしてここに書かれているように慰安婦募集は戦地の日本軍から内務省(現在の警視庁のような省庁)を通して周旋業者に依頼されていました。

従軍慰安婦やその支援者たちが主張するような日本軍による強制連行でもなければ、誘拐や拉致でもありません。

誘拐や拉致といった不法な手段で狩りだされた女性は、日本軍慰安所の慰安婦にはなれませんでした。

なぜなら到着した時点で領事館や憲兵隊が出発地の警察に正規に募集された女性かどうかを確認していたからです。




管理人の伯父も戦前妓楼を経営していましたが、それはそれはもうかったそうです。それで商売を広げようと思って兄弟に話を持ちかけたところ「性分に合わないから」と断られたそうです。

伯父には昼間トラックの荷台に載って「夜は遊びに来てね」と呼びかける公娼たちの写真も見せてもらいました。

生活保護が大好きな不労所得を好む朝鮮人が慰安所(妓楼)経営という不労所得のような商売に飛びつかないはずがありません。



出典:1977(昭和52)年 筑摩書房 宮尾登美子 「岩伍覚え書」
    満州往来について



 大東亜戦争もいよいよ苛烈となってまいりました昭和十九年の十一月現在、日本内地に在っても商売人と云(い)う商売人は商うにすでに品なく、敵機来襲の合い間を搔(か)いくぐっては己が食糧を得るのに血眼と云う有様なのでありますが、こう云うなかにあって私の商いはと申しますと、これが未(いま)だに大きな衰退をも見ずやはりなお、ずっと続いているので御座います。

無論後継ぎの健太郎を始め出入りの者のほとんどが応召し、それに妓(ぎ)供(ども)の移動にも面倒な手続きやら、また危険も伴います事とてひと頃のような盛況は御座いませんが、まだ外地からは注文もあり、またそれに応じる妓供も結構ありますのは、世にこの道ばかりは別、と云う事なので御座いましょうか。

それに加えてこの押し詰まった戦局も殊に若い者の血を沸(たぎ)らせておりますようで、げんに一週間前にも一人で天津へ発つと云う妓を私、高知駅に見送ってまいりましたが、やっと二十になったばかりのこの妓などは身代金の大部分を報国貯金の定期にし、

「うちは女の特攻隊やと思うて頑張ります」

 と見送りの人々に勇ましく話していたもので御座います。

 こう云う健気な言葉を聞きますと、ひと昔前までは住替え(すみかえ:公娼が他の妓楼へ移籍すること)道中の足抜き(あしぬき:公娼が逃亡すること)を警戒して、ほとんど痩せる思いであったのに較べ、この節は何と商いも楽になった事よ、とつくづく思い、またその気楽さに比例して取引先も従来の南満(満州南部)一帯を通り越し天津、上海、石家荘、太原、と先へ先へと伸びてゆくばかり、そうなると私の見届けも利きません故に、何やらさっぱりとせぬ思いばかりが残ります。


【報国貯金】
報国貯金写真週報258号1【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A06031085300:昭和18年2月10日 内閣情報局 「写真週報 258号」



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