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2017/02/11

ビルマの朝鮮人慰安婦は一人で避難した


韓国が来年度の国定歴史教科書に「日本軍が朝鮮人慰安婦を集団虐殺した」という記述を盛り込むそうです。

しかし読売新聞従軍記者の手記によると、ビルマの朝鮮人慰安婦は日本軍潰走時、たくましく一人で避難していたそうです。

その姿は「大きなトランクを頭上にのせ、はだしのまま、鉄路(線路)のうえをどんどん歩いてゆく」だったそうです。

そこへ帝国陸軍報道部と従軍記者たちが「ひとりで大丈夫かい?いっしょにいったら?」と声をかけたのですが、朝鮮人慰安婦は「大丈夫よ」と言って、おそろしく早い足で闇に消えて行ったそうです。


韓国の捏造映画「鬼郷」。日本軍に虐殺される朝鮮人慰安婦ら↓↓↓
従軍慰安婦映画鬼郷1

実際の朝鮮人慰安婦。軍にも頼らず、たくましく一人で避難↓↓↓朝鮮の女


朝鮮の婦人↓↓↓撮影@統監府
朝鮮婦人3

朝鮮のキーセン↓↓↓
妓生朝鮮1

そもそも日本が大東亜戦争に踏み切った理由は連合国に経済を死滅させられそうになったからです。

そして日本が戦争に負けた理由は連合国の「物量」に負けたからです。

ビルマ戦線においても、日本軍は弾丸なく、衣なく、食なく、破れた軍服でつえをつき、草を食みつつ敗走するといった状況でした。

そうしている間にも英印軍、米中連合軍、日本の敗戦が色濃いと見て英印軍に寝返ったビルマ国民軍が銃爆撃をかけ、日本人と見れば女、子ども関係なく襲撃してくる。

そういう状況の中で、ドサクサにまぎれて事を起す朝鮮人がおとなしくガン首そろえて日本軍に虐殺されるはずがありません。

韓国の捏造のように20万人の朝鮮人慰安婦を虐殺できる弾丸と余裕が日本軍にあったなら、英印軍や米中連合軍に撃ちこんでいたはずです。

韓国の捏造とは正反対に、実際の朝鮮人慰安婦は自分だけがかわいく、敗戦日本軍とは行動をともにせずに、ビルマでの稼ぎをトランクに詰めこんで一人で避難するほどたくましかったのです。


駐韓大使召還だけでなく、日本大使館も引き揚げろ


韓国大嘘教科書に「慰安婦の集団虐殺」 野上副長官駐韓大使「無期限待機」認める
2017年2月2日 zakzak by 夕刊フジ

 韓国・釜山の日本総領事館前に日韓合意やウィーン条約に反する慰安婦像が設置されたことを受け、一時帰国させていた駐韓大使の帰任時期について、日本政府高官は、夕刊フジの報道通り「無期限待機」を認めた。一方、韓国は「反日」色を強め、中学・高校で導入予定の国定歴史教科書に「慰安婦の集団虐殺」というあり得ない記述を書き込むという。隣国は正気を失って暴走している。

 「帰任日は未定。今後、諸般の状況を総合的に判断して検討していきたい」「引き続き韓国側に対し、粘り強くあらゆる機会をとらえて、慰安婦像の(撤去)問題も含めて合意の着実な実施を求めていきたい」

 野上浩太郎官房副長官は1月31日の記者会見で、長嶺安政駐韓大使の帰任時期と今後の対応について、こう語った。

 ジャーナリストの山口敬之氏は、夕刊フジの連載「ドキュメント永田町」(1月24日発行号)で、駐韓大使の「無期限待機」をスクープした。安倍晋三首相が「こちらから動くことはない」「1年でも半年でも(構わない)」姿勢という内容で、政府高官がこれを認めたことになる。

 こうしたなか、韓国の暴走は止まらない。

 韓国教育省は1月31日、2018年度から中学や高校で導入予定の国定歴史教科書の最終版内容を発表した。この中に、慰安婦が「集団虐殺」されたとする記述が盛り込まれているのだ。

 慰安婦問題の「真実」を徹底追及してきた、拓殖大学の藤岡信勝客員教授は「『集団虐殺』は、慰安婦をテーマにした韓国映画の一場面に過ぎない。証拠もなく、まったくの事実無根だ。ウソの強制連行という日本発のネタに妄想を加え、『歴史だ』と称して教科書に書き込むという行為で許し難い。日本国民の中には『韓国との国交断絶やむなし』という声はいっぱいある。断交するかどうかは韓国側が決めることで、日本側はこれ以上譲歩してはいけない」と語っている。




本記事の資料:
読売新聞従軍記者は見た!ビルマの朝鮮人慰安婦(資料画像付き)


出典:1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録大東亜戦史 ビルマ篇」所収
読売新聞経済部 斎藤申二 「ラングーン脱出行」

※地図出典もおなじ


 朝鮮の女

 ワウ附近で軍医部の連中とあった。顔見知りの軍医中尉がいたので、Kの傷の診察と手当をたのんだ。軟骨部の貫通銃創で、気管にも食道にも損傷はない。心配しなくても大丈夫とのことであった。

Kも意識ははっきりしているが出血のため体力を消耗して、歩行はおぼつかない。竹ざおと毛布で担架をつくり、四人でかわるがわる運ぶことにした。

 モールメンへ通ずる鉄路のうえをすすんでいった。

 ラングーンを発つときは、それぞれ大きなリュックをかつぎ、そのうえ手提鞄(てさげかばん)などをもったものもあったが、いまはみんなほんの着がえと食料だけに荷物を整理していた。


ビルマ地図_ラングーンモールメン

何日つづくかわからぬ。とうてい重いものは持ってゆけないのだ。しかし担架をかわるがわるかつがなければならないので、背の荷は軽くても、いつしか本隊におくれてしまった。

「ありゃ、ありゃ」

「すごいな」

 一行の横手をすたすた追いぬいてゆく女に一同は感嘆した。それは朝鮮の女だった。いうまでもなく、慰安所につれてこられた不幸な女たちの一人である。かの女(おんな)は、大きなトランクを頭上にのせ、はだしのまま、鉄路のうえをどんどん歩いてゆく。

「ひとりで大丈夫かい」

「いっしょにいったら」

「大丈夫よ」

 それだけ答えると、かの女(おんな)はおそろしく早い足で、闇に消えてしまった。

 夜があけてきた。灰色にひろがる平地の行手(ゆくて)に大河(おおかわ)が横たわっている。鉄橋は爆破され、渡ることはできない。

 川は巾百メートル、水が澄んでいる。幸い深さは胸のあたりまでであった。 

【資料画像】
朝鮮の女読売新聞0


朝鮮の女読売新聞1


朝鮮の女読売新聞2



補足資料:悲惨だった日本軍の敗走

(  )内は管理人による注釈です。


出典:1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録大東亜戦史 ビルマ篇」所収
朝日新聞外報部 丸山静雄 「ビルマ作戦の全貌」



 インパール作戦とは

 インパール作戦は戦闘の形態からすれば攻撃、防禦、追撃、退却、遭遇戦、陣地戦、補給戦が然(しか)も平面、立体的に行われ時間的に見れば昼間、薄暮、夜間、天明、払暁戦がある。地形から見れば平地、山地、河川、森林、と整地不整地等いわゆる特殊地形の戦闘のあらゆる場合を含んでいて、気象的には世界に類例を見ないモンスーンの下で行われた。

戦うのは日本人、白人のみでなく、アジアのほとんどすべての種族が日本軍側に、あるいは連合軍側に組みし、インド国民軍もこれに彩りを添えた。

火力のみの狭義な戦闘ばかりでなくビルマ、中国、インドを対象とした広汎、苛烈な秘密戦、民族工作運動が点綴(てんてつ:てんてい:一つ一つをつづりあわせ、結びつけること)され、中国の封鎖、インドの解放といった政治、外交戦、一大謀略戦も加味された。


援蒋ビルマルート1☞支那事変を終結させるには連合国が蒋介石軍を援助する援蒋ビルマルートを断つしかない、と日本は考えた

 
 さらにインパール作戦を貫く思想には、それが南方作戦のテコ、支えであり、同時に「大東亜共栄圏」の前哨陣地であるとするものがあったが、他方この作戦こそはアジア解放の"聖戦"であり、「大東亜共栄圏」建設の理念を最後に生かすものであるという政略的な要素もあった。

しかし人間の強烈な野望と執拗な功名心が指揮官を駆り立てた点のあったことも、否定し得まい。

 ここにまた怒濤のような無敵、破竹の一大進撃と孤島に見られた餓死、玉砕に近い戦闘も再現されている。指揮権の崩壊、部隊の潰走があり、軍司令官と師団長、兵団長と大隊長、将校と下士官兵との激越、執拗、醜悪な人間葛藤があるかと思えば、またここにほど軍の団結、上下の信頼、皮膚の色を越えた民族愛、そして人間の勇気、愛情、清純といったものが剰(あま)すところなく発揮されたところも少なかろう。

 しかし最後には英印軍の追撃の前に弾丸(たま)なく、衣なく、食なく、兵器も、車輛も、資材も投げすて、上官、戦友を顧みる隙(ひま)とてなく敗走また敗走、ボウボウたる髪、破れた被服、杖一本に裸足、痩せさらばえた体に目だけ光らせ、草を食(は)み、水を飲みつつ一歩また一歩、空襲、ジャングル、山険、濁流に阻まれ、猛獣、毒蚊(どくか)、害虫に脅かされ、一人倒れ、二人減り、しかも千里の道をよろめきつつ南下する。死屍累々、鬼哭啾々(きこくしゅうしゅう:鬼哭〔亡霊〕の声がしくしくと聞こえるさま。鬼気迫ってものすごいさま)───これが戦争の最後の偽らざる姿であった。




【写真出典】
1910(明治43)年 統監府 「韓国写真帖」  平壌の田舎
1942(昭和17)年 海洋協会編 「海洋発展史」
アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A06031078000:内閣情報局 昭和16年9月 「写真週報 185号」


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