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2017/01/16

日本共産党員は見た!戦場のリアル慰安婦


日本人民反戦同盟とは、戦前、日本共産党員だった鹿地亘が支那で組織した反戦団体です。

その組織者だった山川要氏が手記の中で、戦時中の中支(支那中部)にやって来た慰安婦について記しています。

その時期は文中に「南京陥落後」とあること、上官が「慰安所を作る」と命令していることから1938(昭和13)年頃と推測できます。

当時、山川氏は帝国陸軍軍人でしたが、ひそかに日本人民反戦同盟員でもありました。

山川氏は自身が所属していた隊にやって来た慰安婦について、

「今日着いたばかりの慰安婦が飯を食っている。まだ炊事場ができないので、本部で炊事して食わせたんだそうだ。当番兵がその食器を洗ってやっていた。泉少尉が女将らしい年増の女とむかいあって腰かけて、なにか一生けんめいに話しこんでいる」

と書いています。

この一文から、


・慰安婦は日本軍による強制連行ではなく「女将らしい年増の女」に引率されて中国まで渡航してきたこと

・慰安婦たちは日本内地から来たこと(当時、成人した朝鮮人の大半が日本語を理解できなかった

・慰安所は開設当初から民間の経営だったこと

・日本軍は慰安婦を虐待するどころか炊事して飯を食わせ、慰安婦が汚した食器を洗ってやっていた



ことがわかります。


【上海(中支)に設置された慰安所第一号】
gun_senyo_ianjo.jpg


今月12日、日本共産党の小池書記局長が民団新年会で「日本政府は元慰安婦に誠実な謝罪を」などと言ったそうですが、戦時中、日本共産党員は戦場のリアル慰安婦を見ていたのです。

この山川氏の手記は1940(昭和15)年に発行された反戦同盟総部機関誌「真理の闘い」に連載されたものだそうですが、

日本のメディアと同じく、日本共産党も真実の慰安婦を知りながら捏造された「朝鮮人従軍慰安婦」を宣伝しているのですね。

「従軍慰安婦」は日本人を精神的に武装解除させるため、戦争を忌避させるために捏造されたものです。

本来、共産主義は「科学的共産主義」といって科学的でなければならないのですが、日本をすみやかに中共に売り渡すためならば党の過去の活動との矛盾なんかどーでもいい、ウソ捏造でも平気で宣伝拡散する、現在の共産党は科学的もへったくれもない、ということです。

戦前、日本人は「共産主義者は左翼小児病という精神病」と言っていましたが、まさにそのとおりです。


【おい、小池!】
日本共産党小池あきら1


中共や朝鮮人が旧正月を祝うのは、
新正月を祝う日本人と同じになりたくないから


共産・小池晃書記局長、民団新年会で「日本政府は元慰安婦に誠実な謝罪を」 地方参政権実現も主張
2017年1月12日 産経ニュース

 在日本大韓民国民団(民団)は12日昼、都内のホテルで新年会を開いた。出席した共産党の小池晃書記局長は慰安婦問題に関し「日本政府は、過去に元慰安婦の人権を著しく侵害したことへの誠実な謝罪が必要だ」と強調した。韓国・釜山の総領事館前の慰安婦像設置には言及しなかった。

 また、小池氏は永住外国人地方参政権付与について「超党派で力を合わせ、実現に向けた努力を続ける」と述べた。社民党の福島瑞穂副党首も「今年、地方参政権の問題を一歩進められるよう国会議員や民団の皆さんとやっていきたい」とあいさつした。

 日韓議員連盟会長の額賀福志郎元財務相(自民)は、日本政府が慰安婦像設置への対抗措置として駐韓大使らを一時帰国させたことを「国と国との約束(慰安婦問題に関する日韓合意)を守っていくために初心に帰ってがんばろうというというメッセージだ」と語った。





本記事の資料


出典:1982(昭和57)年 同成社 鹿地 亘 「日本人民反戦同盟闘争資料」 Ⅰ ルポルタージュ

※資料画像添付


 死闘を越えて

     山川 要(故)

山川要は本名及川安之亟、宮城県本吉郡小泉村字下宿九三、農民。日本人民反戦同盟のすぐれた組織者であったが、後に結核におかされ、一九四六年六月復員、翌年二月二二日郷里で逝去。東京青山墓地の無名戦士の墓に合葬されている。本文は一九四〇年に発行された反戦同盟総部機関誌「真理の闘い」に連載されたもの。


日本人民反戦同盟闘争資料

日本人民反戦同盟闘争資料2

(中略)

 第二回

 病院より帰る途中、彼を恢(快)復させたいと思う一念のほか何も考えることができなかった。

 なにしろ負傷したところが大腸だったし、この酷暑だから生きているのが不思議なくらいだ。帰って朝飯を食っているところに、同郷出身の海野君がやってきた。

「おい、今日はばかに飯がおそいじゃないか。」

「いま分会長のところに見舞にいってきたとこだよ。」

 分会長がどうかしたんか? 知らなかったのか? 第二次隊が昨夜〇〇部隊の応援にいっただろう。分会長は将校斥候(せっこう:敵状・地形等の状況を偵察・捜索させるため、部隊から派遣する少数の兵士)にいったんだそうだ。ところが敵が稲の中に潜伏していてねらい撃ちされて、重傷を負ったんだ。今朝五時ごろ〇〇病院に入院したが、あまり重傷で病院には設備がないため、手当の方法がないそうだ。僕のみるところでは意識はしっかりしているけれど、今にもむずかしい容態だ。───僕も見舞にいってきたいなあ。いってきたらいいじゃないか。いきたいけれど今日は本部の使役だよ。今日はなんの使役かな? 泉少尉の指示を受けろと命令をうけたんだ。僕がいって泉少尉からきいてやろう。

 そのうちに丸山伍長が集合と叫んでいる。

「丸山伍長、今日は使役でどんなことをするんだ?」

「こんど慰安所ができるんだ。その慰安所にする家の掃除をするんだ。」


日本人民反戦同盟闘争資料3

 そうか、君に願いごとがあるんだがな、あの〇中隊からきた使役にちょっと二時間ばかり暇をやってくれ。それはどうかなあ? そんなこと心配するなよ。泉少尉のことだからなあ。よしめんどうだ。俺いって直接で交渉するからいい。

 泉少尉どの今日ですな、〇中隊からきた使役に二時間ばかり暇をやってください。どうするんだ。昨夜〇中隊の〇〇少尉が負傷して〇〇病院に入院しているんです。それに見舞にいきたいんだそうです。今日は忙しいんだからだめだよ。中隊に連絡をとって代りを出すならいいが、どうせ二時間と思っても一日になるだろう。───そのとき僕の胸のなかは怒りと興奮でもえてきた。

「できなかったらよいです。」

 帰ってきて───海野君、今日は忙しいから暇をやることはできないそうだ。泉少尉は最近補充できた戦(いく)さの味を知らぬ青二才だ。ただ少尉の肩書だけで仕事をしようとする人間だ。血も涙もない馬鹿者が───××にいた戦友といっしょになって罵倒した。その使役たるや、なんか軍の作戦にでも影響することなら願いもせぬが、慰安所を作るのを看板にして素町人(すちょうにん:身分の賤しい町人。また、町人を卑しめていう語)の犬にするのだ。我々をいったいなんと思うんだ。一身一家を犠牲にしている明日にも知れない生命なんだ。そんなのに素町人の経営する商売の使役とはなんたることだ。如何に上官の命令とはいえ、僕だったらそんな命令に服従できないよ。日本軍隊もこれほど堕落しては戦争に負けるぞ! 海野君、僕が代ってやるから安心していってきたまえ。後の文句は僕がひきうける。

 海野君が病院にいくと、僕はそのあとすぐ自分の部屋に帰ってきた。まもなく泉少尉が僕のところにきて、大きな声で叱るのだった。僕も最初のうちは少しきいていたが、ついに堪忍袋の緒をきらして、口角泡をとばして議論を始めた。少尉はますます立腹して副官に報告したので、早速に呼び出されていった。理由がどうであれ、上官の命令に服従しない、上官に反抗したというので、さんざん説教されたが、しばらくして副官もしずかになって、僕のいう事情に耳をかしてくれた。

(中略)

 その後、四五日すぎた夕方、炊事場の前を通ると、やかましく女の声がきこえるので、のぞいてみると、慰安所の女が飯を食っている。よくきいてみると、今日着いたばかり、まだ炊事場ができないので、本部で炊事して食わせたんだそうだ。なかには食いおわった者もある。まだ食っている者もある。当番兵がその食器を洗ってやっていた。泉少尉が女将らしい年増の女とむかいあって腰かけて、なにか一生けんめいに話しこんでいる。このありさまをみたから僕は容赦できなかった。いきなり当番兵にむかって、

「この馬鹿者め! 貴様らなんのために一家を捨てて戦争にきている! 女郎の食器洗いにきたのか! 貴様ら家をでるとき、父母妻子になんといってきた? 女郎の食器洗いをいたしますといってきたか!」

 当番にはべつだん罪はない。実は泉少尉へのあてつけでさんざん罵(ののし)ってやった。くそみそにやっつけてから、僕は日頃の溜飲が一時に下がったようなきもちになった。



日本人民反戦同盟闘争資料4

日本人民反戦同盟闘争資料5



【写真出典】1993(平成5)年 石風社 麻生徹男 「上海より上海へ 兵站病院の産婦人科医」




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