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2016/12/13

台湾人慰安婦のすべて


台湾で「慰安婦博物館」が開館したそうです。その運営費は「民間からの募金や補助金」をあてこんでいるそうで、すでに1200万台湾ドルを集めたそうです。

でも、コレってサギですよね?

架空の「従軍慰安婦」をネタに、お金を集めたわけですから。

台湾では1911(明治44)年日本国内と同様の規則である「芸妓酌婦取締規則」が導入され、貸座敷(遊廓)免許地が指定されて、いくつも遊廓ができました。

なので、共産主義者が宣伝するように「日本軍が暴力や脅迫で台湾人女性を集め」る必要はありませんでした。

慰安所が必要ならば、基地の最寄りの遊廓の中にある妓楼を「慰安所に指定」すればよかったのですから。

それに台湾の公娼の大半も日本人女性でした。


【台湾人芸妓(公娼=慰安婦)】
警察に許可された正規の慰安婦なので写真も残っている。
台湾人芸妓

それから…

台湾の「慰安婦博物館」は台北で開館したそうですが、台湾の主な遊廓は南部に作られました。

その理由は台湾南部に日本の陸海軍の基地が多かったこととフィリピンや日本の南洋統治領に近かったからです。

1944(昭和19)年に日本海軍がフィリピンから転進してきたのは台湾南部ですし、台湾沖海戦で特攻隊が出撃したのも台湾南部の基地からでした。

「慰安婦博物館」が台北で開館したのは、朝鮮や中国から女性を強制連行してきた場合に台北の方が近い、と考えたからでしょうか?

それは、さておき、

台湾の主な遊廓は以下のとおりです。

・台北市萬華遊廓
・彰化街遊廓
・花蓮港遊廓
・台中初音町遊廓
・嘉義遊廓
・台南市新町遊廓
・台南市台湾人遊廓
・高雄市栄町遊廓
・馬公街遊廓

◆…海軍基地 ◇…陸軍基地
台湾地図基地遊廓所在地


台湾新竹にあった貸座敷の広告~
貸座敷 会席御料理 新竹南門外塚廼家第三支店 群鶴楼

慰安所は日本軍経営ではなく民間経営でした。最近朝鮮人が苦しまぎれに「慰安所の民間経営を許可した日本が悪い!」とか言っていますが、日本の領土や占領地に民間が進出してくるのは当然のことでした。戦前は朝鮮人経営慰安所や台湾人経営慰安所もあったのです。

台湾貸座敷1【出典】1900(明治33)年 史伝編纂所 瀬川光行編 「日本之名勝」

最近、日本国内で梅毒感染者が激増しているというニュースがありましたが、戦前は法律で芸娼妓や酌婦の性病検査を義務づけていました。そして性病に感染した場合は警察が指定した病院や娼妓専用病院で療養するよう、規則が設けられていました。

この国家が売春婦を管理する「公娼制」は戦後GHQが提唱した「女性の人権保護」により廃止されましたが、GHQの本来の目的は日本国内に性病を蔓延させることでした。

性病は国家を滅ぼす恐ろしい病気です。ローマ帝国が滅亡したのも性病が原因だったといわれています。

共産主義者が提唱する「美名」の裏には、必ず「本来の目的」があるのです。

もし日本の公娼制が廃止されなかったら、思いもよらなかった性病に感染してしまい、一人で悩む女性たちはいなかったでしょうし、性病の感染拡大もなかったでしょう。

そして共産主義者が宣伝する「従軍慰安婦」とは正反対で、当時の公娼(慰安婦)は暴力で狩り集められた女性たちではなく「楼主(慰安所経営者)と契約を交わした」女性たちであり、自由廃業も認められていました。

台湾人慰安婦(公娼)を保護した芸妓酌婦取締規則


出典:1911(明治44)年 日本マイクロ写真 大蔵省印刷局[編] 「官報 1911年10月03日」



台湾芸妓酌婦取締規則1
台湾総督府令第六十九号
芸妓酌婦取締規則左ノ通定ム
  明治四十四年九月二十日 台湾総督 伯爵佐久間左馬太

 芸妓酌婦取締規則

第一条 芸妓又ハ酌婦ノ稼業ヲ為(ナ)サムトスル者ハ左ノ事項ヲ具シ庁長ノ指定シタル医師ノ健康診断書ヲ添ヘ庁長ニ願出許可証ノ下付ヲ受クヘシ

一 姓名、生年月日、本居(本籍)地、寄留地、未成年者ニ在リテハ法定代理人ノ姓名、住所、有夫ノ婦ハ夫ノ姓名、住所

二 稼業地及寄寓所

三 芸名又ハ別名

四 抱主ノ姓名、住所

五 稼業ニ関シ抱主トノ間ニ契約アル者ハ其(ソ)ノ契約書ノ写

六 曾(カツ)テ芸娼妓、酌婦タリシ者ハ其ノ稼業ノ種類、場所、抱主アリタル者ニシテ債務ノ弁済ヲ終ラサルモノハ其ノ金額、廃業年月日及其ノ事由

第二条 左ノ各号ノ一ニ該当スル場合ハ三日内ニ庁又ハ支庁ニ届出ヘシ

一 前条第一号乃至第四号ノ事項ニ異動ヲ生シタルトキ

二 許可証ヲ亡失又ハ汚損シタルトキ

三 廃業シタルトキ

四 死亡又ハ行衛(方)不明トナリタルトキ

前項第一号及第二号ノ場合ハ許可証ノ書換又ハ再下付ヲ申請シ第三号第四号及稼業ノ許可ヲ取消サレタル場合ハ許可証ヲ返納スヘシ

第三条 稼業ニ関シ抱主トノ契約ヲ変更セムトスルトキハ予(アラカジ)メ庁又ハ支庁ニ届出認可ヲ受クヘシ

第四条 庁長ハ左ノ各号ノ一ニ該当スルトキハ芸妓、酌婦稼業ヲ許可セサルコトヲ得

一 結核、癩(らい)、黴(梅)毒、伝染性皮膚病ノ疾患アル者

二 芸娼妓、酌婦稼業中債務ヲ履行セス抱主ノ意ニ反シ廃業シタル者又ハ芸娼妓、酌婦稼業ノ許可ヲ取消サレ若(モシク)ハ稼業停止中廃業シ一年ヲ経過セサル者

三 公安又ハ風俗ヲ害スルノ虞(オソレ)アリ若ハ其ノ稼業ニ不適当ト認ムルトキ

四 稼業ノ契約ヲ不当ト認ムルトキ

第五条 芸妓、酌婦ハ左ノ事項ヲ遵守スヘシ

一 稼業中ハ許可証ヲ携帯スヘシ

二 許可証ハ之(コレ)ヲ他人ニ貸与スルコトヲ得ス

三 街路ヨリ見透(通)シ得ヘキ場所ニ於テ粉粧ヲ為シ又ハ目立ツヘキ粉粧ヲ為シテ街路ヲ徘徊スルコトヲ得ス

四 芸妓ハ宿屋ニ於テ歌舞、音曲ヲ演スルコトヲ得ス

五 酌婦ハ客席ニ於テ歌舞、音曲ヲ演スルコトヲ得ス

六 稼業地外ニ旅行シ又ハ寄寓所外ニ宿泊セムトスルトキハ其ノ往先地事由及日数ヲ具シ庁又ハ支庁ニ届出認可ヲ受クヘシ 旅行又ハ外泊中疾病其ノ他ノ事由ニ因リ期日内ニ帰宅スルコト能(アタ)ハサルトキハ診断書又ハ証明書ヲ添ヘ届出認可ヲ受クヘシ

七 警察官吏ヨリ許可証ノ呈示ヲ求メラレタルトキハ之ヲ拒ムコトヲ得ス

八 自宅ニ客ヲ誘引シ若ハ宿泊セシムルコトヲ得ス

九 前各号ノ外(ホカ)取締上特ニ命セラレタル事項

第六条 芸妓、酌婦ノ抱主ハ芸妓、酌婦毎ニ貸借計算簿(一帳簿ニ記載ノ場合ハ一人毎ニ口座ヲ設ケ区別スヘシ)ヲ調製シ一切ノ貸借関係ヲ記載スヘシ

前項ノ簿冊ハ副本ヲ作リ之ヲ芸妓酌婦ニ交付スヘシ

警察官吏ハ前二項ノ貸借計算簿及其ノ副本ヲ検査スルコトヲ得

第七条 庁長ハ衛生上必要ナリト認ムルトキハ芸妓又ハ酌婦ニ対シ其ノ指定セル医師ノ作成シタル健康診断書ノ提出ヲ命スルコトヲ得

庁長ハ結核、癩、黴(梅)毒、伝染性皮膚病ノ疾患アリト診断セラレタル芸妓又ハ酌婦ニ対シ指定ノ場所ニ於テ治療ヲ命スルコトヲ得

前項ノ費用ハ抱主又ハ患者ノ負担トス

第八条 庁長ハ芸妓、酌婦ニシテ公安又ハ風俗ヲ害スル虞アリト認ムルトキ又ハ虚偽ノ申告ヲ為シ許可ヲ得タルトキハ稼業ヲ停止シ又ハ其ノ許可ヲ取消スコトヲ得

第九条 第一条、第二条、第三条、第五条、第六条第一項及第二項ノ規定又ハ本令ニ基ク命令ニ違反シ若ハ第六条第一項ノ貸借計算簿ニ虚偽ノ記載ヲ為シタル者又ハ同条第三項ノ検査ヲ拒ミタルトキハ拘留又ハ科料ニ処ス

第十条 庁長ハ土地ノ状況ニ依リ台湾総督ノ認可ヲ得テ本令ノ一部ヲ施行セサルコトヲ得

 附  則

本令ハ明治四十四年十月一日ヨリ之ヲ施行ス

本令施行前芸妓又ハ酌婦稼業ノ許可ヲ受ケタル者ハ本令ニ依リ許可ヲ受ケタルモノト看做(ミナ)ス




慰安婦制度、同じ間違い、人権教育サギwwwww
台湾で従軍慰安婦博物館が開館

「慰安婦制度」というのは共産主義者の捏造です。日本にあったのは公娼制度です。

いつの間にか「従軍慰安婦」と言わなくなったこういうサギを、日本政府はいつまで野放しにしておくのでしょうね。


慰安婦博物館が開館 台湾で初、女性人権団体が設立
2016年12月11日 朝日新聞

 台湾で初の慰安婦博物館が10日、台北で開館した。女性人権団体「婦女救援基金会」が設立したもので、慰安婦制度などの説明や元慰安婦らについての展示がある。開館式に出席した鄭麗君文化部長(文化相)は「同じ間違いを繰り返さないために痛みに向き合う必要がある」などと述べた。

 博物館の正式名称は「おばあちゃんの家―平和と女性人権館」で、慰安婦を中心とした女性の人権をテーマに据えている。カフェを併設しているほか、ワークショップなどを開く空間もあり、人権教育の拠点を目指していくという。

 第2次大戦終戦まで日本の植民地だった台湾でも慰安婦が集められた。同会は台湾の59人を元慰安婦と認定したが、今も存命なのは3人となっている。このうちの一人、陳蓮花さん(92)が開館式に出席して博物館を見学した。

 博物館は台北の中でも古くから栄えて観光客にも人気の迪化街に位置しており、築90年超という3階建て、広さ約500平方メートルの建物を改装した。同会によると開館当初2年の運営費を約2千万台湾ドル(約7千万円)と見込んでおり、これまでに民間からの募金や補助金で1200万台湾ドルを集めたという。(台北=鵜飼啓)




「おまゆう」朝日↓↓↓



台湾の遊廓一覧と公娼民族別内訳~
台湾の公娼(慰安婦)のほとんどは日本人女性だった

台湾には、台湾人経営で芸娼妓も台湾人のみという妓楼が集まった台湾人遊廓もありました。

楼 名所 在 地貸座敷数
娼妓数
娼妓民族別内訳
朝鮮人経営と
思われる楼名
萬華遊廓台北市萬華街貸座敷約60軒
娼妓560人位
彰化街遊廓台中州彰化街西門貸座敷約5軒
娼妓約40人位
主に日本人に少数の朝鮮人
花蓮港遊廓花蓮港庁花蓮港
(かれんこう)
貸座敷約10軒
娼妓約80人
日本人と朝鮮人ほぼ同数
初音町遊廓台中市初音町
(はつねちょう)
貸座敷約8軒
娼妓約80人
朝鮮楼
嘉義遊廓台南州嘉義街西門外貸座敷約10軒
娼妓約70人
新町遊廓台南市新町貸座敷14軒
芸妓70人、娼妓110人
鹿児島の女性が多く、
次は長崎県、熊本県
鮮月楼
朝鮮楼
台湾人遊廓台南市新町の日本人
遊廓と小川一筋を隔て
た向かい側
貸座敷10軒
芸妓109人、娼妓94人
楼主、芸妓、娼妓すべて
台湾人
栄町遊廓高雄州高雄市栄町貸座敷11軒
娼妓150人、芸妓55人
20~30名の朝鮮人の
他は日本人
鮮月楼
朝鮮楼
馬公街遊廓澎湖(ほうこ)庁
馬公街
貸座敷14軒
娼妓約150人
朝鮮人、台湾人もいるが
日本人が一番多い
【出典】1930(昭和5)年 日本遊覧社 「全国遊廓案内」 台湾地方
本記事の資料

補足資料:廓(くるわ)ことばのしをり

遊廓内で使われる特殊な言葉を「くるわことば」または「遊廓語(さとことば)」と呼びました。


・遊廓(ゆうかく)…ある定められた一廓(いっかく)に、貸座敷(かしざしき)、娼妓、芸妓(げいしゃ)、待合(まちあい)、料理店等の集合している遊里(ゆうり)一本に成る。小芸妓から大芸妓に成る事

・公娼こうしょう…娼妓(しょうぎ)とも花魁(おいらん)ともいう。娼妓の鑑札を持っている女。(管理人注:戦時中の慰安婦は公娼、芸妓、酌婦などの「すでに醜業に就いている女性」だった。素人の女性を強制連行したというのは朝日新聞・韓国・北朝鮮・中共の捏造で、戦前は性病検査を受けていない素人女性の方が性病に感染する危険性が高かった)

・貸座敷(かしざしき)…芸娼妓の置屋、揚屋(あげや)、又は兼営の家等を総称したもの

・居稼ぎ(いかせぎ)…芸娼妓が抱え主(かかえぬし)の家で客を取って稼ぐこと

・二枚鑑札(にまいかんさつ)…一人の女で芸妓の鑑札と、娼妓の鑑札とを同時に二枚持っていること(管理人注:鑑札は娼妓と契約した妓楼所在地の警察署長に願い出て発行してもらう)

・廻し制(まわしせい)…廻し花制(まわしはなせい)ともいう。一人の娼妓が同時に二人以上の客を取って、順次に客から客へ廻って歩くこと

・通し花制(とおしはなせい)…客の廻しを取らずに、一人の客に一人の娼妓が附(つ)きっきりでいること

・時間制(じかんせい)…時間花制(じかんはなせい)ともいう。一時間いくらで客を遊ばせる仕組みで、この場合には廻しを取らぬ事が多いようである

・送り込み制(おくりこみせい)…関西方面に多く、置屋は置屋、揚屋は揚屋と、各専門的に営業をして居る所で、娼妓は置屋から揚屋に送り込まれて行くのでこの称がある

・置屋(おきや)…芸妓または娼妓を抱えておく家

・御定り(おきまり)…標準または並という意味で、どこの遊廓でも此(こ)の御定りが一番勉強してある

・陰店(かげみせ)…表に店を張って居ずに、くぐりを入って、表から見えない処に店を張って居ること

・張店(はりみせ)…娼妓が表店にならんで店を張っていること(管理人注:時代劇などで遊廓の通りに面した格子の向こうに娼妓らがすわっているのが張店)

・揚屋(あげや)…置屋から芸妓または娼妓を呼んで遊ぶ所。料理は仕出屋から取る

・置屋(おきや)…芸妓又は娼妓を抱えておく家。

・台の物(だいのもの)…通し物(とおしもの)ともいい、ただ単に「台」ともいう。客席に出す、酒、肴(さかな)、茶菓等のことである

【出典】1930(昭和5)年 日本遊覧社 「全国遊廓案内」



♪台湾は恋し南の島よい所な、キタコラ、キタコラ、ヨイキタ♪
台湾地方の遊廓案内



出典:1930(昭和5)年 日本遊覧社 「全国遊廓案内」

(管理人注:写真店とは張店がなく、娼妓の写真を見て呼ぶ娼妓を決める制度をとっている妓楼のこと)


 台湾地方

台北市萬華遊廓 は台北市萬華(まんか)駅で下車する。勿論(もちろん)一廓をなした遊廓だ。台北市は府庁の在る処(ところ)で基隆(キールン)港からわずか二時間位で到着する。市街の整然として紊(みだ)さぬ処は正(まさ)しく外国に行った様な気分のする町である。市の東北に台湾神社がある。貸座敷数は約六十軒、娼妓約五百六十人位居る。写真店で、娼妓は全部居(い)稼ぎ制だ遊興は全部時間制又は通し花制であるから廻しは取らない「御定り(おきまり)」芸娼妓なら六円、酒肴附(つき)で娼妓(しょうぎ)なら五円同じく酒肴附である。遊興税は五円以上一割となって居る。一時間遊びは二円見当。此(こ)の地は芸妓(げいしゃ)及娼妓と芸娼妓の三種がある。

【基隆新岸壁】
基隆新岸壁

【官幣大社台湾神社】
台湾神社1


彰化街遊廓 は台湾台中州彰化街西門にあって、鉄道は縦貫線彰化(しょうか)駅で下車する。貸座敷は約五軒、娼妓は約四十人位居て、主に内地人〔日本人〕及少数の朝鮮人が居る様である。店は写真店又は陰店を張って居り、時間制で廻しは取らない事になって居る。「御定り」は四円と五円とあって、四円は娼妓五円は芸娼妓である。何れも台附で一泊が出来る。一時間遊びは一円七十銭位。


花蓮港遊廓 は台湾花蓮港(かれんこう)庁花蓮港にあって、汽車なら台湾本線花蓮港駅で下車し、船便なら基隆(きーるん)との間に毎日航行して居る。貸座敷は約十軒、娼妓は約八十名位居て、朝鮮人と内地人〔日本人〕とほぼ同数だと言われて居る。「御定り」は芸娼妓六円娼妓五円位で酒肴附で一泊が出来る。廻しは取らないので、何れもゆっくり遊興が出来る訳(わけ)だ。


台中初音町遊廓 は台湾台中市初音町(はつねちょう)にあって、汽車は台中駅で下車する。貸座敷は約八軒、娼妓は約八十人位居る。店は写真制娼妓は居稼ぎである。「御定り」は五円で妓娼(原文ママ)相方、芸娼妓は六円位で両者とも酒肴附一泊の通し花遊びである。廻しはない。情緒は一見料理店で芸者を揚げて遊興する感がある。楼名、浪花楼、小泉楼、大正楼、常磐楼、富士見楼、八千代楼、朝鮮楼、吾妻楼


嘉義遊廓 は台湾台南州嘉義町西門外にあって、汽車は台湾縦貫線嘉義駅へ下車する。貸座敷数約十軒、娼妓約七十人位居て写真店である。大阪式の時間制又は通し花制で廻しは取らぬ事になって居る。「御定り」は一泊酒肴附四円位で、娼妓にも二枚鑑札を持って居る者も居るので此の場合は一円高見当である。一時間遊びは二円程。


台南市新町遊廓 は台南州台南市新町(しんまち)に在って、台湾幹線台南駅から西南へ約十丁、乗合自動車は新町で下車する。賃十銭。

(中略)

玆(ここ)の遊廓は大正四年に現在の個処(かしょ)に移転したものであるが、元は市内南勢街に在ったものだ。目下貸座敷は十四軒あって、芸妓七十人娼妓は百十人居る。鹿児島県の女最も多く、次は長崎県、熊本県の女である。

店は写真店、芸娼妓は前部居稼ぎ制で、送り込みは芸妓もやらない。遊興は時間制と、通し花制で、廻しは取らない。御定り一泊は五円五十銭で、一時間遊びは二円だ。何れも台の物は附(つ)かない。

妓楼は、置屋、揚屋、料理屋の兼営だ。芸妓の玉代(ぎょくだい)は一時間一円二十銭。妓楼は、北国楼、布引楼、加賀屋、東楼、明月楼、豊本、皆花園、高砂、明石楼、鮮月楼朝鮮楼、開門楼、富士見、金波楼、の十四軒。

台南の民謡「門司を出てから、二夜(ふたよ)は夢よ、恋し南の島へ着く。ホーラ、ホーライ、ヨイトコナ、キタコラ、キタコラ、ヨイキタ、ホーライ、ヨイヤサ。「君と南へ、北回帰線、月は新高山(にいたかやま)の上。ホーラ、ホーライ、ヨイトコナ、キタコラ、キタコラ、ヨイキタ、ホーライ、ヨイヤサ。「冬がいやなら、南の島へ、雪のない島、春の島。「夢が見たけりゃ、南の島へ、椰子(やし)の木かげで、恋のゆめ」附近にはオランダ時代の珍しい城址がある。


台南市台湾人遊廓 台南市新町の日本人遊廓と小川一筋を隔てた向側に在る。台湾へ行って、真の台湾気分を味わうならば先(ま)ず此の台湾人遊廓へ行って見ねばならない。楼主から芸妓から、娼妓迄が悉(ことごと)く台湾人で、妓楼十軒、芸妓百九人、娼妓九十四人居る。店は写真式で、芸娼妓は居稼ぎ制、廻しは取らない。費用は日本人のよりも一割方安いと思えば間違いない。唄や、舞踊や、鳴物(なりもの)等は一切支那式だから面白い。


高雄市栄町遊廓 は高雄州高雄市栄町に在って、縦貫線高雄駅で下車すれば東へ約十丁の地点に在って、乗合自動車は栄町で下車すれば宜(よろ)しい。高雄には軍港があり州庁があって、高雄州第一の都会である。

此処(ここ)の遊廓は明治三十八年に旗后に設置されたものであったが、大正八年に現在の個処へ移転したものである。現在同業者は十一軒あって、娼妓は百五十人、芸妓は五十五人居る。娼妓は二三十名の鮮人の他は全部内地(日本)の女である。各自貸座敷業者が、芸妓と娼妓とを同時に抱えて居り、中には二枚鑑札の女も居て、客の要求に応じて居稼ぎをやる事に成って居る。

娼妓は陰店を張って居るが、芸妓も娼妓も送り込みはやらない。遊興は通し花制で廻しは取らない。費用は一夜四円八十銭が最低で、其(そ)れ以上なら色々ある。税は五円以上から一割取られる。

娼妓には、大笑楼、金波楼、君之家、花の家、松葉楼、真栄楼、東海楼、幸楼、二葉楼、鮮月楼朝鮮楼等がある。

馬公街遊廓 台湾澎湖庁馬公街(まこうがい)が在って、鉄道の駅は無い。一小島嶼であるから鉄道を施(し)く余地が無いのである。けれども海路は非常に便利で、毎日本島との往復便船がある。

此処の遊廓は明治三十九年に許可されたもので、現在貸座敷が十四軒あって、娼妓が約百五十人居る。中には朝鮮人も居れば、本島人も居るが、内地人が一番多い

店は写真式で娼妓の揚げ方は居稼ぎ式で送り込み制では無い。時間制だから廻しは取らない。此処の客は多く船員が多いので、時間遊びより一泊の客が多い。一時間約二円、一泊が四円五十銭、昼は午前六時から午後五時迄が四円五十銭と云(い)う事に成って居る。五円以上は消費額の一割が遊興税として取られる。

娼妓の中には二枚鑑札の女も居るから、芸妓を呼ぼうとする場合には便利である。但し此の場合には、遊興費が約五割程量(かさ)む事を覚悟せねばならない妓楼は、都館、萬月、新正楼、開栄楼、松の江、朝日楼、太陽館、敷島楼、新喜楼、富の家、松の江分店、開福楼、松山楼、新栄楼、等である。




【写真出典】
1911(明治44)年 沼田日進堂 葛西虎次郎 「台湾風景写真帖」


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