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2016/10/22

「生前退位」と無血革命


皇后陛下がお誕生日に際し、「新聞報道の『生前退位』という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした」と述べられました。

それは国民もおなじです。なぜなら共産革命によって倒された諸外国の王や皇帝たちはみな「生前退位」だったからです。

しかも日本では終戦直後から、サヨクが日本国憲法第一章第一条を悪用する「天皇制廃止」をもくろんでいるのですから、お心が安まらないのも当然でしょう。

サヨクがもくろむ「天皇制廃止」工作とは、この「問題」について国会で議決し、それを「国民の総意」として天皇に強要することです。

終戦直後のアカが湧きまくっていた日本では、憲法学界でも「国民の総意があれば天皇制改廃は可能」といった考えが「通説」としてまかり通っていました。

その工作が成功すれば、中国にとっては完全なる無血革命となります。

共産主義とは侵略を「解放」、虐殺を「民族浄化」と美しく言い替えるサギのような思想ですから、「生前退位」もロクでもない言葉の言い替えなのだと察しがつきます。



日本国憲法

第一章 天皇

第一条【天皇の地位・国民主権】天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く。

〔出典〕1999(平成11)年 有斐閣 「小六法 平成12年版」



それに、去年あたりから極左野党間で流行している共闘ですが、

このポスターが暗示しているように、もし議席の3分の2が共産勢力になれば、「天皇制廃止」は実現します。


民進党3分の2とらせないポスター画像1

当然、民進党は無能ですから「天皇制廃止には皇室典範の改正が必要」なんてカケラも考えず、中共さまのおほめにあずかることだけを考えて、即座に議決を実行するでしょう。

日本国憲法が制定された70年前とちがって、現代日本では中国共産党の第五列(便意兵)とおぼしき人物が帰化人極左野党の党首を務めるようになりました。

そしてこの第五列は総理大臣をめざすのだとか。

もし日本無血革命が成就したら、中共国家主席をお招きして皇族の処刑をお目にかけ、それ以降の日本はこの第五列一家が統治するのではないか、そういう状況さえ連想させられます。

なんといっても、この第五列は中国人ですからね。

中国は古来から血統主義なので、中国人の血を引いているかどうかを重要視します。

蓮舫1


オザーさんも第五列を応援するそうですし↓↓↓

「蓮舫首相」実現へ共闘=小沢氏
2016年10月19日 時事通信

 自由党の小沢一郎代表は19日夜、東京都内で開かれた民進党衆院議員の会合であいさつし、「来年1月にも衆院選となり、そこで自民党に勝てば蓮舫首相となる。何としても力を合わせて国民のための政権を打ち立てたい」と述べ、政権奪取に向け野党4党による衆院選の共闘を進める意向を示した。 



戦後日本では「民主主義」がさもすばらしいもののように語られてきましたが、これは日本国憲法とセットでGHQに強要された反国家的ツールです。

それまで日本人は天照大神の皇孫であらせられる天皇を奉戴し、神勅を根拠とした皇位継承を当然のことだと考え、わが国が皇室を中心とした一大家族国家であることから、元旦には天皇と下々(しもじも)は同時に一つ年を取りました。いわゆる「数え年」という慣習ですね。

そういうふうに約3000年間、日本人はこの島国で仲よく暮らしてきたので、GHQから憲法草案を作成するように命令された日本政府は、

は?民主主義って、なんだ?

といった調子でした。

民主主義のおそろしいところは、ワイマール憲法とおなじで「民」の中に外国人もふくんでしまうところです。

70年前とはちがって、中共の第五列が最大野党の党首になり、参政権を持つ帰化人も増えました。

日本国憲法制定のころとは状況が悪い方に変わっています。

日本政府には、ご公務軽減に関する法改正ではなく、天皇陛下の地位が何があっても揺るがない、そういう法改正をしてもらいたいと思います。

反日外国人が「差別だ!」と叫んであらゆる利権にありつき、わが国の歴史を体現なさっている天皇陛下が明日をも知れぬお立場というのは、どう考えてもオカシイでしょう?


共産党(国際金融資本)に「生前退位」させられた外国の王族たち


【フランス:ルイ16世】
革命ルイ十六世1【写真出典】Wikipedia


【フランス:マリー・アントワネット】
革命マリー・アントワネット1【写真出典】Wikipedia


【ロシア:ロマノフ皇帝一家】
ロマノフ皇帝一家肖像

【オーストリア:カール一世】
革命カール一世1【出典】Wikipedia


【ドイツ:ウィルヘルム二世
ウィルヘルム二世1【写真出典】Wikipedia


【清国:宣統帝】
右端の子供が宣統帝(3歳)
革命宣統帝1

ご心労断えぬ皇后陛下


<皇室>皇后さま82歳 「生前退位」に衝撃
2016年10月20日 毎日新聞 (YAHOO! ニュース)

 皇后さまは20日、82歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、宮内記者会からの質問に文書で回答し、天皇陛下が生前退位の意向がにじむおことばを公表されたことについて「皇太子や秋篠宮ともよく御相談の上でなされ、謹んで承りました」と述べた。一方、新聞報道への感想として「『生前退位』という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした」と振り返った。(後略)


本記事の資料

( )内は管理人による注釈です。

東京大学教授小堀桂一郎氏:
・憲法学界の天皇制の改廃は国民の総意により可能という通説
・無血革命工作は日本内部で行われている
・日本国憲法が制定されたときの日本人の国家観と現代人の国家観は異なっている


出典:1986(昭和61)年 日本教文社 小堀桂一郎 「今上天皇論」 教科書の描く天皇像-その背後にひそむもの-



 六 禍(わざわい)なる哉(かな)、現代憲法学の通説

「天皇主権」「国民主権」「国民の総意」といった、国家学上の甚(はなは)だ重要な基礎概念は、この様に改めて少々の吟味を加えてみただけで、それらが現在極めて曖昧な、十人十色の解釈を許す様な不安点のままで用いられていることがわかるのだが、この不安定はしかし、必(かならず)しも教科書執筆者達の怠慢と不勉強に責任を帰してすむことではない。

むしろ、概して末流の研究者であるにすぎない彼等(かれら)にその責任を課すのは酷というべきものである。

彼等教科書屋達が己の制作物の欠陥や疎漏を責められた時の弁明の極(きめ)文句というべき一辞があって、それは「学界の通説に従ったまで」というものである。

(中略)

 そこで、日本国憲法第一章第一條に就(つい)ての通説とはどんなものであろうか。

それを知るのは少しも厄介な仕事ではない。現在簡単に手に入る日本国憲法について就ての注解・要説・講義といった題名を有する書物の中から、代表的と思える六点を選んで、その第一條に関する部分を抜書きしてみよう。

法学の書物などは普段開いてみることもない我々一般市民の知らないうちに、驚くべき事態が進行していたことがわかるのである。

以下、該当部分を摘記する。

〇伊藤正己『憲法』弘文堂・法律学講座双書。
……明治憲法のもとでは、国民が天皇の地位を否定することはまったく考えられなかったのに反し、憲法改正手続をふみ、国民の総意が天皇の地位を否定することとなれば、天皇制は廃止されることになる。天皇制の改廃ではなく、特定の天皇を国民の多数決で退位せしめる(させる)ことは現行法では認められていないが、これは皇室典範の改正によって可能である。

〇鵜飼信成『要説憲法』弘文堂・法律学入門双書。
 天皇を廃立することは憲法上可能である。天皇の地位は、主権者である日本国民の総意に基くのであるから、主権者が欲する限り、天皇の廃立が行われ得ることは当然といわなければならない。

〇小林直樹『憲法講義・上』東京大学出版会。
 憲法の根本規範が、国民主権の原則をとり、かつ天皇の地位が国民の「総意に基づく」以上、国民の総意が変れば天皇の象徴としての地位も変りうるという結論は、論理的に不可避だといわねばならぬ。

〇法学協会編『註解日本国憲法・上』有斐閣。
……本條の場合にも、天皇の地位は、主権者たる国民の意思による根拠づけによってはじめて、象徴としての存在を認容されていることを意味するものであり、そのような法的基礎を失えば、天皇の地位は変動せざるをえないものである。

〇宮沢俊義『憲法入門(新版)』勁草(けいそう)書房。
 日本国憲法の下では、事情がまったくちがいます。ここでは、主権は国民にあり、天皇の地位も、主権の存する国民の総意にもとづくとされます。したがって、国民の意思が変われば、──国民の意思は、決して永久に変わらないものではありません、──天皇制も、いつなんどき廃止変更されないものでもない、という理窟(りくつ)になります。

〇杉原泰雄『憲法読本』岩波書店・岩波ジュニア新書。
 第一に、天皇の地位は、国会や内閣などの他の国家機関のばあいと同様に、国民の総意に基礎をおくものとなりました。明治憲法の天皇制は神勅に基礎をおくものとして、国民の意志と無関係に設けられていましたが、いまの天皇制はそれとはまったくちがっているのです。憲法第一条は、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」として、このことを明示しています。国民の総意に基礎をおくものだから、国民の総意によって改廃することもできるわけです。

 まだいくつか例は挙げられるのだが、差当りこの六例を見れば十分であろう。

 この六つの例文を検して我々の側から取敢ず一つの結論を導き出すとすればこうである。即ち、日本の憲法学は病んでいる。その病根は深く、症状は憲法学界のかなり広い部分に及んでいる。

(中略)

 しかし、考えてもみるがよい。実証的自然科学の領域に於てすらも、人が実験という認識手段を採るのは、畢竟(ひっきょう:つまるところ)自分の欲する結果を得んがためである。

黒と出るか白と出るかに就て全く予断も希望もなしに、無感動且つ冷淡に構えていたのでは実験者が検証したい事実はいつまでたっても眼前に現れてこない。

或る結果を得たいがために、実験には人間の手心が加わり、方向づけがなされ、作用の促進が試みられる。

冷静で客観的な観測と公平無私な結果の測定という客観的自然科学の原則もその様な〈手心〉を前提とした上で運用されて初めて意味ある操作として成立するものである。

 文献の解釈とても同じことで、初めに、そこに何を読込み、読取りたいかという意志の発動があるのだ。

期待する内容が読取り得るか否かに就ては科学実験と同じく公平無私でなければならないが(そうでなければ学問ではない)、とにかく解釈は斯々(かくがく)の内容を読みとりたいという意志に導かれて文献の解釈に挑むのである。

天皇の地位の改廃は可能だという趣旨を何とか憲法の中に読込みたい解釈者によって初めてかかる解釈は成立する。

もしその様な意志がないとすれば、假令(たとえ)第一條の條文が〈理窟の上で〉そう読めるとしても、かかる解釈の可能性に就て人は沈黙を守るはずである。

この著者達は憲法に内在する論理の客観的な解析を試みると見せかけつつ、法的手続を操作しての天皇の放伐、即ち無血革命を唆(そそのか)しているとしか見えない。

昭和二十一年六月の極東委員会に於て、ソ連が日本国共産化の第一歩として要求し、米国が懸命に防禦して辛うじて回避することのできた、天皇制打倒の危機を彼等は国の内部から画策せん(しよう)と努めている。不謹慎の徒と名づける所以(ゆえん)である。

 彼等は無血革命の手段として一様に〈国民の総意〉を利用せん(しよう)とする。そのために〈主権は国民にあり〉との判断に固執する。

その口調には〈国民の総意〉などというものがいったい集約的に把握し表現することが可能であるのかといった難問題はついぞ反省してみたことがない、怠惰と粗漏(原文ママ)の臭気がつきまとう。

彼等の用いる〈国民の総意〉概念は、或(ある)一定の時点に偶々(たまたま)生を得ていた国民の中の、法的に意思表示の能力を有する投票「有権者」というほどのことでしかない。

何よりもそこには歴史的契機が全く顧慮されて居ない。この憲法が制定された当時に天皇の地位が基くものとされた国民意思の表示者と現在のそれとでもその実体は大きく入替わっているであろう。




法学博士里見岸雄氏:
・共産勢力が国会の3分の2を占めれば天皇制廃止が可能
・天皇の権威は日本国民の総意によって確認されたものである


出典:1961(昭和36)年 錦正社 里見岸雄 「萬世一系の天皇」 第三章 天皇存立の根拠と属性 第一節 神授説と「国民総意説」



 2 過去に於ける国民総意

 さて、神話・伝承は、戯曲や小説のようなものではなく、過去に実際にあったこと、それに関連して起った考え方などを、口から口へ伝承してきたものであるとして、その伝承は、殊に天照大神のような皇室の御祖先として語られてきたものは、単に、伝承されている、つまり、文化財的に保存されているというだけのものではなく、古代人にとって、この伝承は、絶対的権威であった。

権威であったということは、人々によって確信されたこと、つまり確信の妥当性にほかならないのであるから、わかり易く曰(い)えば、国民の総意によって確認されたものである。

現在、日本国憲法の第一条に曰う国民の総意と窮極的には同じ性質のもといってよい。

今の憲法は、文義極めて明確とは曰えないところがあるが、天皇の地位、天皇の存立は、国民の総意に基くものであることを定めたものと見て、然(しか)らば、その総意は如何にして形成されるか、或(あるい)は認定されるかという規定を伴っていないので、理論的に考えれば民主主義の多数決原理の上に立っているということになる。

すなわち、天皇を奉戴すること、国家体制の上に天皇を存置することを不可とし之(これ)を廃止すべしとする政見を立てる政党、現実に(つい)就て言えば日本共産党が国会で三分の二以上の多数を占めないかぎり、天皇は国民の総意によって存立しているのである。

だが、万一、共産党が国会で三分の二以上を占め、そして国会が天皇を廃止するよう憲法を改正しようと発議し、その結果を国民投票に訴え、過半数の賛成があれば、天皇廃止が国民の総意ということになるのである。


【参考記事】
共産・小池晃氏「ぜひ野党協力で取り組みたい」 衆院福岡6区・東京10区の2補選で党公認候補の取り下げを示唆(2016年8月29日 産経新聞)




法学博士里見岸雄氏:
天皇の人権を論じる者は天皇を軽視している者である


出典:1961(昭和36)年 錦正社 里見岸雄 「萬世一系の天皇」 第九章 天皇に関する諸問題



 (12)憲法で国民は主権者となったのだから、国民の意思で天皇を廃止出来ると思うが、どうであろうか。

 明治憲法は天皇の根拠が神勅にあったから国民の意思で天皇を廃止することは出来なかったが昭和憲法は主権者が国民となり天皇の地位は国民の総意に基くのだから、国民の意思によって天皇を廃止することも出来るというのは、現在憲法学界の通説のようだが、それは憲法以前又は憲法以外の問題である。

憲法そのものは、皇位が国民の総意に基いているという事実を明(あきら)かにしたものであって、総意が無くなったら天皇を否定することもで出来るというような可能性を明かにしたり、又は総意が無くなったら否定すべきものであるという規範を立てたものでもない。

神勅を根拠としたといっても実質的には国民の総意にほかならないのであって、昭和憲法はそれを占領下の要請により近代民主主義的に表現したものであって、皇位の根拠が民意にある事は、古今を通じて窮極的事実法である。

従って民意の支持が無ければ皇位は否定されることも同じであって、この憲法が敢てそのようなむしろ自然法的道理法的規定をしたものとは思えない。

だから此(こ)の憲法の規定を利用して天皇廃止可能を力説するのは憲法解釈として正当なものとはいえないと思う。

(中略)

(29)天皇、皇族の基本的人権をもっと尊重せよという論は正当であるか。

 天皇皇族の基本的人権を尊重することは当然だが、これを主張する者は殆(ほと)んどといってよい程、何等(なんら)かの意味で天皇の軽視者、不好(ぶすき:好きでないこと)者、反天皇主義者のようであるから、問題は単純でない。

天皇皇族の場合は、天皇たり皇族たることの本分に障害とならない範囲で基本的人権の享有があるものと解すべきで、国家や国民に無責任な人間の自己だけのものとしての人権と同架(架は棚の意)に論ずることは許されない。

旅行の自由でも言論の自由でも遊戯の自由でもその他極めて多くの自由が天皇であり皇族である故に制限されるのは当然である。

特権は国民と異り自由は国民と同じという論理は成り立たぬ。




日本政府「民主主義?なに?ソレ?」


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A15060204200:昭和21年2月22日 内閣官房総務課|内閣 「会見記(松本国務大臣手記)(五部ノ内第四、五号)」(5~6ページ)



松本国務大臣「府庁会議員等を選挙人とするのはいかに?」

GHQホイットニー将軍「それは民選で」

松本国務大臣「たとえば商業会議所議員を選挙人とするような職業代表はいかに?」

GHQホイットニー将軍「それは民選的とは認めない」?

松本国務大臣「議員の少数者を勅任するのはいかに?」

GHQホイットニー将軍「それは認められない」

九、松本国務大臣「この案についてこれを我国で適当な表現で法文化するのは、はなはだ困難である。ことに我国においては用語文章の些細の点において論議を起すことが多い(「人民の名において」問題を引用した)果して困難を克服できるかどうか自信がないが極力勉強する考えである。そしてすみやかにこの難事業を成就するのはなおさら困難なことだ」

GHQホイットニー将軍「すぐやれ。あなたの能力をもってすれば簡単なことだ」?

憲法草案民主主義1

憲法草案民主主義2



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