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2016/10/06

人造石油と従軍慰安婦


1941(昭和16)年、アメリカによる対日石油輸出全面的停止により、日本は連合国軍のみならず燃料不足や物資枯渇とも戦うことになりました。

戦前、北朝鮮の阿吾地(あごぢ)や永安には朝鮮石炭工業という日本の会社があって、液化した石炭から人造石油を製造していました。

人造石油とは石油の代替品のことです。

朝鮮石炭工業には朝鮮人従業員もいましたが、日本敗戦後工場やその他の日本資産は「戦勝国民」を自称し始めた朝鮮人に「接収」という名目で強奪されました。

そして日本人従業員たちは二、三家族まとめてせまい社宅に収容され、終戦の年の一冬だけで約3000人の日本人が虐殺されました。


1944(昭和19)年10月、日本は捷一号作戦(レイテ沖海戦)敗北によって南方からの石油輸入が困難になってしまったので、昭和20年度の人造石油生産計画を19年度の約3倍にしています。

「従軍慰安婦問題を煽動しているのは北朝鮮」といわれていますが、朝日新聞が「従軍慰安婦」を報道し始めたのは1983年のことですから、戦後38年、まだ戦時中の日本の人造石油増産を知っている朝鮮人がいたはずです。

日本の燃料不足、終戦後の朝鮮人による日本人虐殺、北朝鮮はこういう事実を隠ぺいして、従軍慰安婦問題を煽動しているのですね。

燃料がないのに、いったいどうやって日本軍が朝鮮人女性は数十万人も強制連行できたというのでしょう?

1941(昭和16)年に石油が途絶して1944(昭和19)年の「陸軍石油対策」には「死んだ馬から航空潤滑油を抽出」と書かれているのですよ?

そこまでするほど日本の燃料事情は悪化していたのです。

加害者、虐殺魔でありながら戦後は作り話で被害者ヅラをするところは、北鮮も南鮮と同じですね。

一分でも早く、日本政府は朝鮮半島と断交するべきだと思います。

日本人それも罪のない女性、子供、老人を万人単位で虐殺した民族と「友好」などありえません。


朝鮮人に強奪され、日本人従業員が虐殺された朝鮮石炭工業工場、社宅など:参考友岩工場

【朝鮮石炭工業友岩工場】
朝鮮石炭工業友岩工場1

同じく工場
朝鮮石炭工業友岩工場2

工場
朝鮮石炭工業友岩1

朝鮮石炭工業友岩工場供給所
朝鮮石炭工業友岩供給所1

朝鮮石炭工業友岩工場倶楽部
朝鮮石炭工業友岩倶楽部1

朝鮮石炭工業友岩工場小学校
朝鮮石炭工業友岩小学校1

朝鮮石炭工業友岩工場附属病院
朝鮮石炭工業友岩病院1

朝鮮石炭工業友岩工場社員合宿
朝鮮石炭工業友岩社宅1

同じく朝鮮石炭工業友岩工場社宅
朝鮮石炭工業友岩社宅2


【北朝鮮阿吾地、永安の位置】

朝鮮石炭工業所在地


現在わが国において人造石油事業に手をつけているところは

〔石炭液化法〕朝鮮石炭工業の咸北阿吾地工場、南満洲鉄道の撫順工場、満洲油化工業の四平街工場
〔合成法〕三井鉱山の大牟田工場、満洲油化工業の阜新(ふしん)工場
〔低温乾溜法〕朝鮮石炭工業の咸北永安工場、三菱石炭油化工業の樺太内幌工場、日鉄輪西工場の室蘭工場、宇部窯業工業の宇部工場(後略)

【出典】1938(昭和13)-1939(昭和14)年 大阪毎日新聞社編 「戦時経済早わかり 第3集」 わが国の人造石油工業はどの位まで発達しているのか



【日満支(日本・満州・支那)液体燃料生産努力目標】
人工代用燃料の生産量が昭和19年度の約3倍、松根油は約5倍と計画された。
品 名生産量(単位 千キロリットル)備 考
昭和19年度下半期昭和20年度
国産原油(原油)150310燃料ト
シテ
使用ス
ル数字
ヲ示ス
人造石油(製品)95270
頁岩油(製品)100280
アルコール(日本)200530
〃      (満洲)3070
メタノール2050
松根油等簡易
低温乾溜製品
60300
タール製品
ビッチオイル
3050
油脂類40100
7251960
【出典】1970(昭和45)年 朝雲新聞社 防衛庁防衛研修所戦史室 「戦史叢書 陸軍軍需動員〈2〉実施編」 第十章 昭和十九年度における軍需動員


とうとう「世界初の強制動員被害国ウリナラを世界記憶遺産に」などと言いだした韓国

強制動員被害者は200万人だそうですが、従軍慰安婦と合わせて220万人もの人員を強制連行する余力が日本軍のどこにあったのか、証明してから言え、と思いますね。

朝鮮人は世界で唯一宗主国に逆移入してきた被植民地民ですから、日本政府は朝鮮民族と在日朝鮮人(韓国人含む)を世界記憶遺産登録申請すればよいとも思います。

アイルランド人はアメリカの移民法改正のせいで、しかたなくイギリスに出稼ぎに行ったのですから、最初から移民が目的で宗主国に流入してきた朝鮮人とはちがいます。


国会安全行政委員会所属イ・ミョンス議員(セヌリ党)が日帝強制動員&平和研究会、アルゴー人文研究所と共同で7日、国会議員会館2階第9懇談会室でシンポジウム「日帝強制動員の歴史、世界反戦平和の資産-世界記憶遺産登録推進戦略」を開催する。

また、世界初の強制動員被害国であるわが政府が被害事実を調査して集大成した日帝強制動員関連記録物の世界記録遺産登録のための具体的方案を提示する席を用意する。

シンポジウムとソウル地域現地踏査で構成された今回の行事は、国内最高の専門家たちの発表と討論を通じて世界遺産の意味と昨年、釈然としない理由で登録申請できなかった日帝強制動員関連記録物登録戦略、アジア太平洋戦争遺跡の活用方案などを深く議論する予定だ。

最初の発表者、アルゴー人文社会研究所オ・イルファン代表研究委員は‘世界遺産と記録・記憶遺産の現況’という発表を通じて、世界文化遺産の概要、世界記録遺産の基本概念と現況、世界記録遺産の地域別、国家別、記録物の形態別分布と現況、特に‘負の(Negative)遺産’の概念と現況などについて調べる。

引き続き日帝強制動員&平和研究会ホ・グァンム研究委員は‘なぜ世界記憶遺産なのか-日帝強制動員記録登録の意味と推進戦略’という発表を通じて強制動員関連記録物登録の意義と登録のための戦略を具体的に提示する。

三番目の発表者の韓日民族問題学会チョン・ヘギョン学会長は‘記憶遺産を越えて-韓半島、アジア太平洋遺跡活用方案’という発表を通じて、アジア太平洋戦争遺跡の文化コンテンツ活用方案を提示することになる。
(後略:他の参加者紹介)

リュ・ジェミン記者


セヌリ党イ・ミョンス議員1


ソース:dtニュース24(韓国語) イ・ミョンス、日帝強制動員世界遺産登録出る
http://www.dtnews24.com/news/article.html?no=401748


死んだ軍馬も潤滑油に…終戦直前の日本軍の燃料枯渇ぶり

人造石油には二種類ありました。

一つは石炭を液化して製造するもの、そしてもう一つは動植物油脂や魚油、パラフィン、樟脳油に酸性白土を混ぜて製造するものです。

1944(昭和19)年の「陸軍石油対策」には「斃馬(へいば:死んだ馬)から航空潤滑油の抽出」と記載されています。

そのほかにも日本軍はモミガラから重油を生産することも考えていました。

液化石炭から人造石油を製造する方法


出典:1938(昭和13)-1939(昭和14)年 大阪毎日新聞社編 「戦時経済早わかり 第3集」 人造石油および代用燃料にはどんな種類があるか



 人造石油も代用燃料もともに石油の代用となる液体燃料のことで、両者を含めて代用燃料ともいうし、或(あるい)は単に液体燃料ともいうし別に難しい区別をする必要はないが、特に人造石油および代用燃料と区別したわけは、筆者が便宜上石油に代る液体燃料を人造石油という言葉で表わし、石油と混用して石油同様の働きをさせるアルコール、ベンゾールなどを代用燃料という言葉で表わそうと思ったからで、これは学問上の区別でも何でもなく、全部をひっくるめて代用燃料といった方がいいと思う人があるかも知れないのでこの点をお断りしておきたい。

 さて、その人造石油の方であるが、一口に人造石油といっても幾種類もあるわけで、今後研究の進むにつれてその種類はますます多くなるだろうが、現在一般に研究が普及し試験時代から実用時代に入ろうとしているものだけをとりあげてみたい。

現在人造石油の原料となるものとして研究の対象にされているものは、石炭、頁岩(けつがん)、魚油、亜麻仁(あまに)油、菜種油、落花生油、大豆油、椰子(やし)油、石鹸、テレビン油、松脂(やに)、ステアリン、コレステリン、樟脳(しょうのう)油、アセチリンなど各種類に及び、このほか天然ガスを液化して石油を得ることもまた一種の人造石油工業である。

しかしこれらのうちですでに実用化されんとしている人造石油工業を大別すると石炭液化、合成液体燃料、頁岩油、石炭乾溜(かんりゅう)などに分けることができる。

 石炭液化という言葉は最近になって盛んに新聞や雑誌に現れるので、いまでは誰でもが石炭から人造石油がとれるということを知らない人はないだろう。

石炭液化も石炭乾溜も合成液体燃料もともに石炭を原料としているから、結果から見ればみんな石炭液化であるが、その工程において直接石炭を液化する場合と、そうでない場合とによって区別が出てくる。

 石炭液化というのは石炭に直接水素ガスを作用せしめて液状に化せしめる方法で、一九一三年ドイツのベルギウス博士によって発見された、これが工業化されたのはごく最近である。

しかし、このベルギウス博士の研究に先立ちフランスのベルテロー氏が一八六八年石炭から炭化水素を得ることを発見し「石炭は油になる」という確信を得たというから、この科学者も石炭液化に関連して忘れてはならない人である。

石炭を原料として液化する方法にはこのほか石炭を乾溜してタールを得、それを液体燃料に導く方法と、石炭を一旦ガス化して、それを再び液化する方法とがあるが、近年、独、英、米などで工業化され、わが国においても喧(やかま)しくいわれているのはこの水素添加による液化法であって、他のものと区別するため直接液化法といっている場合もあるがわが国でも唯(ただ)単に石炭液化という場合はこの方法のものを指す場合が多い。

(中略)

 頁岩(けつがん)油というのは油母頁岩を乾溜して得るもので、原料は石炭と石油の合の子のようなものである。昭和四年以来満鉄が撫順炭坑において行っている。

撫順炭坑には五十億瓲(トン)余の油母頁岩が埋蔵されていて、それを人造石油として利用するとしないとに関係なく石炭採掘の場合邪魔(じゃま)になるのでどうしてもこれを採掘しなければならないから、特にこれを採掘するための経費は不要で撫順炭の副産物として出てくるようなものである。

この点原料費が殆(ほとん)ど要らないという強味(つよみ)があり、現に年産五万瓲余の頁岩油を製造して海軍に収め、なお目下第二次拡張工事中で前途ある人造石油の一としてわが国に貢献するところ大なりと認められている。

 このほか低温タール(化学工業原料)および半成コークス(水性ガス原料)の製造に伴う低温乾溜による石炭液化の方法もあって、わが国のように品質の劣等な石炭や褐炭の多い国では非常に有望な液化事業の一つである。




動植物油脂、魚油、パラフィン、樟脳、ゴム類などから人造石油を製造する方法


出典:1930(昭和5)年 三省堂 小林久平 「石油の常識」 人造石油



 石油を人工的に製造した事は石油成因説の立場から之(これ)迄(まで)も屡々(しばしば)行われて来たが以上の様な見解の下に天然石油に代る人造石油を初めて製造したのは筆者であって人造石油と云(い)う名称も実は筆者の与えたものであるが其(その)後海外に於ても一般に此(この)名称が用いられる様になって来た、

筆者は大正九年魚油を原料として之(これ)に酸性白土を添加して乾溜し天然石油と同一な人造石油を製造する事が出来た詳しくは工業化学雑誌大正一〇年一月号に掲載して置いたから省略するが要するに鰛(いわし)油、鮫油、鯨油に約一倍半から二倍位迄の酸性白土を混合被覆して乾溜釜にて乾溜して行くと乾溜油約五〇-七五%を得る、之(これ)を蒸溜して一五〇度迄を揮発分として八-一四%、一五〇-二五〇度を灯油分として一〇-一八%二五〇度以上を重油分として三〇-四五%を得る事になる。

之(これ)を各精製して仕上げる時は天然石油よりの製品と全く同一な製品が得られる、唯(ただ)目下魚油の値段が比較的高価なため引合(ひきあい)はないが有事の場合或(あるい)は廃棄魚油の如き安価な物を以てすれば充分引合う事と思う。

 筆者が魚油より石油の製造を施行して以来各所に於て人造石油製造の研究が盛んに行われて来た、原料は動植物油脂、樹脂及びテレビン油、樟脳(しょうのう)油及び護謨(ゴム)類等であるが製造の方法から別(わ)けると大体次の様に二つになる。

(一)動植物油脂の加圧乾溜 動植物油脂を丁度(ちょうど)分解揮発油を製造する様に分解釜に収めて加圧の下に蒸溜する方法で古くは一八八八年エングラー氏の方法がある、我国に於ては水田政吉氏が工業的に製造実験した。

(二)特殊触媒の下に動植物油脂の熱分解 触媒を使用して動植物油を熱分解する方法で仏国のマイエ氏の方法はアルミナと銅の如き触媒を使用して之(これ)に油脂の蒸気を通して分解せしむる法である、之(これ)に似た触媒を用うる方法も色々あるが大体同様の結果が得られて居る、

酸性白土の如きを油脂に加えて乾溜する方法も此(この)内に属するもので原料としてテレビン油樹脂の如きものを用うれば得られる人造石油の成分が異って来る、

パラフィン又は樟脳油、護謨の如きものを用いても同様に触媒に依って分解されて石油が得られる、勿論(もちろん)出来た石油の成分は夫々(それぞれ)皆違っている。

 要するに人造石油は炭素、水素、酸素の複雑な化合物を熱分解して炭素、水素の化合物なる石油に変化せしめるのであるから原料としては色々のものが用いられ得る訳(わ)けであるが熱分解し易い点、又原料の豊富なる事から考えて動植物油脂が使用される可能性が最も多い


【ベルギウス法説明図】
ベルギウス法1



死んだ馬から航空潤滑油を抽出


出典:1970(昭和45)年 朝雲新聞社 防衛庁防衛研修所戦史室 「戦史叢書 陸軍軍需動員〈2〉実施編」 第十章 昭和十九年度における軍需動員 小磯新内閣の国力検討



 陸軍の石油対策

5 燃料の特殊研究

 モミガラ乾溜による重油の生産
 斃馬から航空潤滑油の抽出
 ガス発生炉の塗装による木炭の消費節約等

注 時期はややおくれるがアルコール用等のサツマ芋供出支援も行っている。(十一月中旬までに三、六〇〇万貫〔13万5000トン〕が供出されている)




【写真出典】
1940(昭和15)年 日本窒素肥料株式会社編 「日本窒素事業概要」


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