HOME > 対日ヘイト・ヘイトスピーチ > title - 日本人が受けた差別と朝鮮人が訴える「差別」のちがい
2016/10/12

日本人が受けた差別と朝鮮人が訴える「差別」のちがい


ワサビテロだの韓国人差別チケットだの朝鮮学校無償化除外は差別だの、朝鮮人が訴える「差別」がショボすぎて話になりません。

本当の差別・弾圧は日系移民を苦しめた排日土地法のように、国や地方が特定の人種、民族を排斥する法を制定して行われるものです。

在日ふくめ朝鮮人は、日系移民のように生存権を剥奪されたわけではありません。

ましてや日本に帰化する資格もある、日本の土地も買うことができる、商売もできる、家族呼び寄せもできる、法務省や地方議会に訴えれば朝鮮人を保護する法まで成立する、ある意味日本人よりも恵まれていて、どこが「差別」なのでしょうか?

日本人を「差別主義者」呼ばわりしたいのならば、かつて日本人が受けた差別以上の差別を受けてから言え!

と思います。

日本が大東亜戦争に踏み切った一因は、白人による激しい人種差別にありました。そして戦争中も、日本人は虫ケラのように虐殺されつづけました。

それでも日本人は国を挙げて人種差別に立ち向かいました。そうしなければ白人に絶滅させられたからです。

人種差別によって数百万人もの同胞を失い、昔から人種差別に反対してきた日本人に向かって「ワサビテロだ、差別だ」と騒ぐ朝鮮人のスケールの小ささは話になりません。

それって「差別」なんですか?

日韓通貨スワップを締結してほしくて、言いがかりをつけているだけでしょう?

【リオ五輪開会式に登場した日系移民】
朝鮮人が日本に渡航して来なければ移民する必要がなかった日本人たち。この日本で幸福に暮らす資格があるのは在日朝鮮人ではなく日系移民や朝鮮半島で虐殺された日本人たちだ。
リオ五輪1
第一次世界大戦後に始まった在米日系移民弾圧

1921(大正10)年、アメリカでは日系移民弾圧が始まっていました。

その理由は有色人種である日本人が植民地を持ち、満州の利権をアメリカに譲らなかったからです。

第一次世界大戦後、戦勝国日本は敗戦ドイツから南洋統治領を委譲されました。

その南洋統治領がアメリカの植民地フィリピンへの入口をふさいでいたことと南洋統治領を手に入れた日本が太平洋に進出してくることを脅威と考えたアメリカは1924(大正13)年9月、日本を仮想敵国としたオレンジ戦争計画を策定しました。

そして日系移民弾圧をはじめとする日本挑発を次々と展開しました。中国と借款を締結して蒋介石を援助し日中間をもませたり、中国の関税を引き上げて日本品の輸入を杜絶させたり、対日禁輸や在米資産凍結令で日本経済を死滅させようとしました。

こうしたアメリカの策動によって日本人はじっと座しているだけで死ぬ状況に追いこまれたのです。

アメリカをはじめとする連合国の狙いは、中国と満洲から日本を追放することでした。

日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と日本が手に入れた正当なる権益は、ことごとく連合国に蹂躙されていきました。

日本が連合国に要求したことは、正当なる権益を日本の手中に取り戻すことだけです。

しかし、日本の要求が聞き入れられることはありませんでした。

自存自衛のため大東亜戦争開戦を決意した日本の苦渋は、東條首相の内閣総理大臣説明によく現れています。

大東亜戦争をしかけたのはアメリカ↓↓↓

南洋統治領_フィリピン

 かくて米国は、パナマ運河の開通によって太平洋の戦略的地位を固めたが、日本が南洋諸島を支配することになり、フィリピンとの間に深く楔(くさび)を打ち込まれた態勢となり、日米は戦略的に激しく相対立することになった。

(中略)

 オレンジ戦争計画が最終的に決定したのは一九二四年(大正十三年)九月である。これにより米国は、第一次大戦後における情勢に基づく、対日戦の場合の諸作戦とその目的を初めて総括的に策定したのであった。

【出典】1967(昭和42)年 朝雲新聞社 防衛庁防衛研修所戦史室 「戦史叢書 大本営陸軍部〈1〉」日米対立の深まり


【1920(大正9)年 排日政策を訴えるアメリカの選挙ポスター】
排日政策を訴える議員の選挙ポスター。カリフォルニア州に伸びる日本人の手を抑え「無言の侵略」と書かれている。これが現在トランプ氏の差別発言を批判しているアメリカの素性である。

排日土地法1920年

【大東亜戦争開戦決意は日本の苦渋の決断】

内閣総理大臣説明

十一月五日御前会議ニ基ヅキマシテ、陸海軍ニ於テハ作戦準備ノ完整ニ勉メマスル一方、政府に於キマシテハ凡有(アラユル)手段ヲ講ジ、全力ヲ傾注シテ、対米国交調整ノ成立ニ努力シテ参リマシタガ、米国ハ従来ノ主張ヲ一歩モ譲ラザルノミナラズ、更ニ米英蘭支連合ノ下ニ支那ヨリ無条件全面撤兵、南京政府ノ否認、日独伊三国条約ノ死文化ヲ要求スル等新ナル条件ヲ追加シ帝国ノ一方的譲歩ヲ強要シテ参リマシタ。若(モ)シ帝国ニシテ之(コレ)ニ服従センガ帝国ノ権威ヲ失墜シ支那事変ノ完遂ヲ期シ得ザルノミナラズ、遂ニハ帝国ノ存立ヲモ危殆ニ陥ラシムル結果ト相成ル次第デアリマシテ、外交手段ニ依リテハ到底帝国ノ主張ヲ貫徹シ得ザルコトガ明(アキラカ)トナリマシタ。

(中略)

帝国ハ現下ノ危局ヲ打開シ、自存自衛ヲ全ウスル為、米英蘭ニ対シ開戦ノ已(ヤ)ムナキニ立チ至リマシタル次第デアリマス。(以下省略)


toujou_hideki1.jpg


【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C12120188300:昭和16年12月1日 陸軍省 「御前会議議事録 内閣総理大臣説明」

1921(大正10)年、アメリカ議会に提出された排日法一覧

排日法案は主に排日の気風が強かったカリフォルニア州で決議され、アメリカ上院に提出されました。

日系移民には帰化資格がなく、当然市民権もなく、土地の購入や借地を禁止され、子どもたちは隔離学校、隔離学級に通わされ、家族呼び寄せ、写真による見合い結婚も禁止され、商売すらも排斥されて生存権を奪われました。


・カリフォルニア州日本人漁業禁止法案

日本人にカリフォルニア州に接する海岸で漁業を営むことを禁止する法案。4月8日アメリカ上院で可決されたが、南部地方の大缶詰会社代表者の阻止運動によって本法案はにぎりつぶされた。

・日本人学校法案(日本児童隔離法案)

3月上旬カリフォルニア州議会で制定された、日本人学校および日本人学級を隔離する法律。同時に児童の保護者らには日本人学校教師一名につき100ドルの俸給を支払う義務が課せられた。

・カリフォルニア州人頭税問題

6月1日から効力を発生したカリフォルニア州在住外国人一人に付き毎年10ドルの人頭税を課す法律。州議会で可決を見たものの在米日本人会が高等法院に訴え、日米通商条約違反であるとの判決により日本人は人頭税の納付義務から免れた。

・カリフォルニア州排日協会の綱領発表

カリフォルニア州上院議員らが帰化の資格がない外国人である日本人を米国国法によって絶対的に排斥し、土地の購買はおろか借地も禁止するという政策を決議、4月4日上院に連合決議案として提出。本法案は全会一致で可決された。

・米国労働連合会員の排日決議(共産党系団体)

6月13日、デンバー市で可決された日本人および一切の東洋人を米国から排斥する決議。共産主義では労働者は国を越えて団結するものであるが、アメリカ労働者は日本人労働者を排斥した。共産主義者がとなえる「平等」は日本人には適用されないのである。

・テキサス州の邦人立ち退き強要事件

1月6日、テキサス州ハーリンゲンの土地を購入した大隅氏兄弟8名がテキサス州に到着してすぐ、地元民に土地購入を反対された事件。アメリカ人土地仲買人が自分の購入した土地の処分に困って大隅氏兄弟に売却し、「近く日本人移住者数千名がここにやってくる」という虚言を広めたために起きた。同月7日、同州ブラウンスヴィルでも土地を購入した加藤氏という日本人が地元民に「48時間以内にここを去れ」と強要された事件が起きた。

・カリフォルニア州邦人追放事件

7月10日、リヴィングストン付近の果樹収穫作業に来た日本人労働者が白人に暴行され、私財を強奪された事件。日本人労働者約50名は真夜中に白人労働者に襲撃され、運搬自動車に積み込まれて強制的に同地から放逐された。犯人は白人労働団体(共産党系)で自分らよりも安い賃金で労働する日本人を排斥したものであった。

・サンフランシスコの日本人洗濯屋排斥運動

9月28日、サンフランシスコで排日本人洗濯屋同盟が起した日本人排斥一大示威(デモ)運動。「同盟」なので共産主義者らによる排日運動だと推測できる。



アメリカにおける排日運動を主導したのは、共産主義者たちでした。

共産主義者といえば「インターナショナル」ですから、排日運動は全世界で行われました。

アジアでは「白人の犬」という評判をほしいままにしている中国朝鮮が排日、抗日、反日に狂奔したのは言うまでもありません。

排日貨を訴える中国のポスター

「凡(すべ)て血気あるものは決して甘受せずと排日貨」。中国の排日を煽動したのも米英である。

排日貨ポスター1【出典】1932(昭和7)年 満洲日報社 「時局及排日ポスター写真帖」


1928(昭和3)年 華僑の排日を報じる新聞

「中国国民党の発祥地は広東にして南洋華僑のほとんど全部は広東、福建の出身者なり。中国国民党と華僑とは密接なる関係にあるものたるは大に注目を要すべき点とす」。

この記事の図にあるように華僑と中央党部は直接つながっていた。戦前華僑の排日はアジア各地で行われた。華僑はその財力にまかせて、日本軍が必要とする物資を買い占めたり、排日貨運動などを展開した。

華僑は思想運動に熱心だった。なぜなら戦乱に明け暮れる祖国シナは国力も国威もなかったため、華僑たちは移民先のオランダ領やイギリス領で弾圧されたからである。

華僑は祖国シナが戦勝国となり、国力を持つことを願って排日運動に加担した。

華僑排日1【出典】神戸大学新聞記事文庫:大阪時事新報 1928.10.7-1928.10.13(昭和3):中国(10-061)


先祖代々「排日」の血筋
蓮舫1


1921(大正10)年 朝鮮人による排日演劇

中国で演じられていた排日演劇。ストーリーは


伊藤博文公が李王世子を拉致して日本へ連行し、日韓併合に応じなければ王世子を虐殺すると李王を脅迫、寺内総督は着剣した軍人に王を包囲させ、むせびなく王の腕をつかんでむりやり日韓併合の証書に押印させた。そののち(日本)政府は朝鮮宮廷の女官に命じて王を毒殺したが、良心の呵責に耐えかねた女官は自らもその毒をあおって死んだ



という、いい加減にもほどがある話になっている。朝鮮人は共産運動の一環として演劇団を組織し、真実を知らない朝鮮人に悪質な日韓併合ストーリーを刷りこんでいった。

不逞鮮人の排日演劇1【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C06031138500:1921(大正10)年5月16日 陸軍省 「密第33号其154 国外情報 不逞鮮人の排日演劇に関する件」


あまりのショボさが日本人の意表をつく朝鮮人の唯一の武器「差別」


『隣国が日本を差別用語で呼ぶのは当然』と韓国人記者が”日本の劣等性”を嘲笑。1000年たっても日本は格下だ
2016年10月11日 イータイムス(韓国語)集団コンプレックス

今日の日本人は1万2千年前、海水面上昇で日本が島として孤立する時、陸地から渡ってきた3-4の人種の子孫だ。韓半島から移動したモンゴル系人種、シベリアから南下したアイヌ族、そしてポリネシアと中国から渡ってきた南方海洋族と中国人などだ。これらが日本人の先祖になったが、支配種族は韓半島から渡ったモンゴル系渡来人だった。今、日本人の血の半分近くはモンゴル系だ。

その後、1万年余りが流れたBC3世紀-AD1世紀、弥生文化時代の時に韓半島から渡来人が大挙して日本に渡っていった。そしてAD4世紀に第二陣の渡来人が日本へ渡った。この渡来人が奈良に大和政権をたててそこに定着した土着人という一種の民族意識を持つようになった。

(中略)

最近、韓国人客に提供するすしにワサビを過度に入れた大阪のすしチェーン店「市場ずし」の'ワサビテロ'が広く知られた。続いて韓国人乗客に発給したバス切符に‘キム・チョン’と表記した大阪阪急バスも物議を醸した。

韓国人に対してこの様な差別行動をした人々は平凡な日本人たちだ。彼らがこの様な差別的行動をした動機は大きく二種類ある。一つは日本人の間に広範囲に広まっている歴史的コンプレックスが誤った形で表現されている点だ。二つめは彼らがちょっと良い暮らしをすることになるとすぐに隣国を見下す成金根性が底辺に敷かれているためといえる。

従って最近の事件は社会心理学的に対韓コンプレックス+成金の自惚れ、ということが一つに重なって現れた集団コンプレックス現象と見なければならない。歴史的に隣国は日本を倭(ウェ)と呼んだ。ちびで浅はかな者たちが暮らす国と蔑視して呼んだ名前だ。ワサビテロと同じ正常ではない行為に接したら、なぜ古人たちが彼らを倭と呼んだのか分かってあまりある。恐らく倭という名前はこれから千年過ぎてもなくならないようだ。

チェ・ジェワン主筆
http://www.etimes.net/Picture/2016/10/10/20161010_10823435.jpg

ソース元URL:イータイムス(韓国語) 集団コンプレックス
http://www.etimes.net/service/etimes_2011/ShellView.asp?ArticleID=2016101010285800749




本記事の資料:日本人が受けた本当の差別


出典:1920(大正9)年-1926(大正15)年 大原社会問題研究所編 「日本労働年鑑 大正11年」 労働移民問題



 排日運動概要

 カルホルニア(カリフォルニア)州スチーブンス氏は太平洋沿岸諸州の知事に四月中旬自ら書を裁して各州共同して法律を制定し総(すべ)ての日本人州民を排斥すべきことを勤説し、同時に各議員に向って米国に同化しない外国人は人種争闘をなして益々危殆に導き、且つ国際間の意思疎通を紊(みだ)すものであると切言したと報ぜられているがサクラメント(アメリカ合衆国カリフォルニア州北部サクラメント郡の都市。カリフォルニア州都ならびにサクラメント郡の郡庁所在地)で公式に発表した処(ところ)によると、加州知事の主張は、ユタ、アリゾナ、コロラド、オレゴン各州の知事から声援の誓約を得たとある。

殊にオレゴン州知事オルコット氏の如きは同地方人が日本人排斥を好まざる色あるに拘(かかわ)らず躍起となって排日を呼号し同州選出連邦議会議員に対し書状にて議会は断じて日本人移民の入国を拒絶すべき行動に出でん事を希望し「予は日本人問題を痛感し前記州議会に於てもあらゆる方法を以て適当なる法律を制定せんと力(つと)めたが失敗に終ったる故此際(このさい)中央政府及び国会は強硬な態度を以て日本移民の入国を阻止せん事を希望す、若(も)し政府にして右の態度に出でんか、重大なる移民問題は早晩満足な解決を告げ得べし」と述べた。

 又(また)加州排日同盟巨頭マックラチイ氏は同四月中旬下院移民委員会に対し、永久的移民法の基礎条件として日本人学生、旅行者、商人、美術家及び教師にのみ一時的居住を許可するの外(ほか)、日本人移民全部を将来絶対に排斥せん(排斥する)事を提議し、併(あわ)せて加州立法部外西部八州の承認を得た加州排日同盟会の綱領宣言書をも提出した。

マ氏は排日同盟会の正式代表者として下院移民委員会に出席し『米国は現在日本との協定により日本移民の取締監督を日本に委任しつつあるが米国官憲は斯(かか)る協定に依らずして特殊の法律及び取締規則を以て此(この)種の移民排斥を実行する意ありや否(いな)やと質問し、更に日本人には特別に農地の購入又は借用の何(いず)れをも許さない規定を設ける事を主張した。

氏の言動に刺戟(しげき)せられた西部十一州出身の上下両院議員より成る団体は四月廿(二十)日ワシントンに会し一致結束して日本移民問題に当るべく申合せた。

 又加州上院は諸外国語学校を公立学校教育監督官の厳重な監督の下に置かんとする法案を四月下旬可決し之(こ)れを知事に回附(付)したが、六月初旬裁可せられた。

同案は教員が免許を受けるには先(ま)ず米国の歴史及び法制に関し十分の知識を有することの認定を得べき事を規定し、授業時間を一週六時間に限定した。

加州に散在する日本人補助学校は之(こ)れがため多少の影響を免がれないであろう。

尚(なお)之れと同時に州内在住外国人は総て登録を受け人頭税率年額十弗(ドル)を納附(付)する義務ある旨を規定した法案を可決して知事に回附したが五月下旬裁可せられ六月一日より実施のこととなり同日より七月卅(三十)一日迄(まで)の二ヶ月間に登録をなさしめ八月一日より愈々(いよいよ)徴収する筈(はず)である。(別項参照)

 之(これ)を要するに政治問題とし排日運動が起ったのは一月から四月までであった。蓋(けだ)し幣原駐米日本大使、モリス駐日米国大使間に於て専(もっぱ)ら交渉中であった日米条約が一月上旬成立発表され、米国議会に法案として提出せられ、審議の期に入らんとしたので其(そ)れを中心として急激に起った観がある。

然(しか)し其れ以上に議会期に際して居たこととて政策の具に供せられて居たと云(い)う事も疑う可(べ)き余地がないであろう。と云うのは議会期が終了すると同時に、流石(さすが)に猖獗を極めた排日の声が殆(ほと)んど潜んでしまったからである。




日本人漁業禁止法案


出典:1920(大正9)年-1926(大正15)年 大原社会問題研究所編 「日本労働年鑑 大正11年」 労働移民問題



 加州日本人漁業禁止法案

 排日の巨頭として有名な米国カルホルニヤ(カリフォルニア)州上院議員インマン氏の提出にかかる。

日本人漁業禁止法案(帰化の資格なき外国人に対し加州に接する海洋に於て漁業を営むことを禁ずる法案)は上院に於て激烈な討論の後三十対四で可決された。

其(その)際提出者インマン氏の所論に曰(いわ)く

本法案は日米戦争勃発の可能なる事を考慮に置き日本人漁業者の大半を駆逐する事を目的とするものである。……五十万の日本軍は今や無防備の加州を襲撃せんとしている。故に本法案は吾人(ごじん:われら)が今遭遇している非常に危険な状勢を未然に防ぎ戦時に於て米国の脅威となる日本の船舶を悉(ことごと)く駆逐せんとするものである

 而(そ)して四月八日には二十二票対十六票の差にて終(つい)に上院第三議会を通過したが、同十一日、上院全院会議はサンチャゴ選出議員サンプル氏の動議を採用して此(この)法案を漁業法委員に還附(付)し該法の実施期をインマン法案規定の九十日以内とする代りに千九百二十三年一月に効力を発生せしめる修正意見を附して再考を求めることに決定した。

斯(か)くて下院に回附せられたが、加州南部の資本家の阻止運動を功を奏して四月十四日の委員会に於て握(にぎり)潰しを決議され、十九日の本会議に於て同案を再議に附せんとする動議は十二票対四十八票にて否決せられた。

 而して提出者インマン氏一派の排日議員等は「議会が之(こ)れを否決せる以上、唯(ただ)一般投票を以て初志を貫徹せんのみ」と声言(原文ママ)した。

 該法案は既に今日まで七回州議会を通過したけれども南部地方の大缶詰代表者は若(も)し日本人の漁業を禁止し現在有利に使用されつつある数百人の日本人が其(その)職を失うに至る時は年額七百万弗(ドル)に上る南部加州の漁業は危殆に瀕するであろうと宣言したため八回まで再審議に附せられたものである。

 因(ちなみ)に南部カリホルニア在住の本邦人漁業者は漁業界の一勢力にして殊に太平洋沿岸に於ける漁業の大宗(たいそう:物事のおおもと。大家)たる鮪(まぐろ)漁の如きは殆(ほと)んど本邦人の独占に属し、漁業中心地たるロスアンゼルス港サンデーゴ港附近に於ける一九二〇年度漁期の本邦人漁夫其他の数は大略次の如くである(大正十年三月四日附大山領事報告)

一、ロスアンゼルス港附近
     漁夫約七百乃至(ないし)八百人
     缶詰会社雇用者約二百人

一、サンデーゴ港附近  漁夫約二百人

 而して日本人漁夫所有の船船(原文ママ)現在数はロスアンゼルス港百六十八、サンデーゴ港四十隻にて逈(はるか)に他国人を凌駕し従って同期に於ける日本人漁業者の鮪漁獲高は全漁獲高の八割九分を占めて居る。




日本人学校法案


出典:1920(大正9)年-1926(大正15)年 大原社会問題研究所編 「日本労働年鑑 大正11年」 労働移民問題



 日本人学校法案

 三月上旬加州州議会下院教育委員会は教育当局者が学校設立に決定した場合には同時に日本人のために別個の学校を設立せんとする法案を提出したが全会一致を以て協議会を通過した。

 而(そ)して八月十八日発行サクラメント、ビー紙所載に拠ると加州プレザー郡ペンリンに於て最近日本学童のため隔離学校を設け日本人側より教師一名に対する俸給百弗(ドル)を支弁(支払)すべしと云(い)うことである。

又同郡ニューキャスルに於ては教室の隔離を来学期より開始することとなり、ロッソンヴィル郊外には既に隔離学校設立せられて授業を開始して居ると云うが、之等(これら)は皆此(この)法案の趣意を実現したもので成績の如何によっては漸次流行を見ん(見よう)とする形勢である。




人頭税問題


出典:1920(大正9)年-1926(大正15)年 大原社会問題研究所編 「日本労働年鑑 大正11年」 労働移民問題



 加州人頭税問題

 本春加州議会は外国人人頭税法を可決したが、該法は六月一日から効力を発生した 其(その)大要左の如し。

一、廿(二十)歳以上六十歳以下の男子にして加州内に居住する者の中(うち)、被救恤(きゅうじゅつ:〔「恤」はめぐむ意〕困窮者・罹災者などを救い恵むこと)者、白痴者、精神病者を除く外(ほか)は一人に付毎年十弗(ドル)の人頭税を納付すべきものとす。

二、本年十二月卅(三十)一日迄に納付を怠りたる者は本税五割の付加税を課し更に利息を加算徴収す

三、次年よりは毎年三月一日より七月卅一日迄に納付すべし、若(も)し之(こ)れに反する時は前項同様五割の付加税に利息を加算徴収す

四、人頭税納付義務を有する者は郡市役所に於て登録をなすことを要し、右の場合年齢、特徴、身元、職業、国籍等の誓約をなさざる可(べ)からず(なさなくてはならない)

五、右登録は本年に限り七月卅一日迄に申告をなし、次年よりは一月一日以降三月第一日曜日の土曜日を以て終了すること

六、右法律の制裁として登録を怠り、又は拒み、又は虚偽の申請をなしたる者に対しては軽罰を以て処断す

 右に対し在米日本人会は日本通商条約第一条第二項の規定「該臣民又は人民は何等(なんら)の名義を以てするも内国臣民又は人民の納付し若(もし)くは納付することあるべき処(ところ)と異るか又は之(これ)より多額なる課金又は租税を徴収せらるる事なかるべし(があってはならない)」を楯に顧問弁護士エリオット氏の名によって高等法院に試訴を提起したが在桑港(サンフランシスコ)の同院は九月十二日「加州外人人頭税法にして日本人に関する限り之(これ)を実施すべからず」との判決を下し同時に曩(さき)に登録並(ならび)に納付を拒絶した廉(かど)によって逮捕せられていたオークランド市在住の照井平吉氏の放免を命じた。

判決理由は右人頭税徴収は日米通商条約第一条第二項に違反し且つ州検事総長ウェップ氏の主張する州法の権利も国土の至上法たる条約に対して権威なし(米国憲法第六条)との解釈に拠るものの如く、斯(か)くて日本人は予期通り人頭税年十弗(ドル)の納付義務を免れた。




カリフォルニア州排日協会の綱領発表


出典:1920(大正9)年-1926(大正15)年 大原社会問題研究所編 「日本労働年鑑 大正11年」 労働移民問題



 カリホルニア州排日協会は日本人排斥を徹底せしむるため四月上旬左の如き政策を発表した。

一、農夫、小売商人、技術労働者を含む男女日本人を絶対に排斥する 但し旅行者、学生、芸術家、商人、教師及之(これ)に類する日本人に対しては一時的居住を許可す

二、日本人排斥は米国の国法に依り米国官憲をして行わしむ(行わさせる)

三、連邦政府をして憲法を遵奉せしめ且(かつ)州の土地管理権を無効とせしめ或(あるい)は帰化の資格なき人種に市民権を賦与する為条約権を行使せん(しよう)とする脅威を放棄する事

 右綱領には此(こ)の外(ほか)米国市民権を得る資格のない者は今後農地を購買又は借地するを得ない旨特に規定してある。

右に付き加州上院議員シャーキー氏は四月四日上院に対し同排日綱領を是認する連合決議案を提出したが、同院は四月十日全会一致にて之(こ)れを可決した。




米国労働連合会員(共産党系団体)の排日決議


出典:1920(大正9)年-1926(大正15)年 大原社会問題研究所編 「日本労働年鑑 大正11年」 労働移民問題



 米国労働連合会員の排日決議

米国労働連合会(American Federtion of Labour)は六月十三日よりデンバー市に第四回大会を開きたるが、同廿(二十)一日日本人其他の東洋人を一切米国より排斥すべしとの決議を可決した。

今其(その)決議案を記せば次の通りである。

一、日本人の加州侵入に対する加州人の観察及び対策は妥当である。日本移民は集団をなして漸次豊饒(ほうじょう)なる農耕地から米国人を駆逐し其(その)生活態度の低級なるため農産市場に於ても有利な地位を占めて居る

二、紳士協約は其(その)実績挙(あが)らない。蓋し(けだし:まさしく)日本人は陰険悪辣なる方法によって同協約の規定を潜るに因るのである。右は啻(ただ)に加州の重大問題たるばかりでなく全米国に対する脅威である。扔(よっ)て吾々(われわれ)は紳士協約の廃棄を主張すると同時に日本人其他一般東洋人の絶対排斥を行うべき政策の樹立を希望する。又右の趣意に於て加州議員から連邦議会に発案す可(べ)き如何なる立法案にも賛成する

三、米国は東洋の労力及び生産品と競争の地位に立てるばかりでなく戦争勃発の危険を招くべき事態の発展あることを自覚しなければならない。而(そ)して両国の戦争により受く可き損害の大なることを最も痛切に了知するものは米国の労働者である。吾々は日本労働者が米国労働者と同様平和の継続を希望し日米間の不和を阻止する手段を講ずるよう希望して止まないのである。




テキサス州の邦人立ち退き強要事件


出典:1920(大正9)年-1926(大正15)年 大原社会問題研究所編 「日本労働年鑑 大正11年」 労働移民問題



 テキサス州の邦人立退(たちのき)強要事件

 米国テキサス州ハーリンゲン地方に於て曩(さき)に邦人が買収したる土地に移住いようとして本邦人大隅氏兄弟八名の一行が一月六日ハーリンゲンに到着した処(ところ)市民及在郷軍人会代表者から日本人の同地方移住は面白からざる(おもしろくない)事情ある故引返すか他地方に行かれたき旨の勧告を受けた。

其(その)内情に就(つ)き在郷軍人会長の語る処を聴くに大隅氏等(ら)が土地を買入れた米人土地仲買人が地方人に信用なく自己の購入したる土地の売捌(さば))きに困じたる結果日本人に土地を売却し近く日本人移住者数千を召致すと公言したるが偶々(たまたま)昨年九月邦人視察団の来遊ありたるを以て地方人は日本移民の来る事を恐れ日本人に譲渡せる土地の取消方を勧告せるも不結果に終りたる故不止得(やむをえず)邦人来らば他地方に赴かしむべし(赴かせるべきである)と決議した次第にて若(も)し日本人が少数にて個々別々に右仲介人以外の者より土地を購入し移住せしならば同地方民も斯(か)くの如き態度に出でなかったのであろうと尚(なお)大隅氏一行が他地方に移住する場合には在郷軍人会は其(その)顧問弁護士をして無手数料にて該土地の買入代金取戻及損害賠償の訴訟を取扱わしめる(取り扱いをする)と云(い)うことであった。

 更に同月七日、同州ブラウンスヴィルに加州から到着した加藤某氏は搭乗列車内にて米国在郷軍人会、商業会議所、小売商組合、農業組合等の各代表者と会見したるに右代表者達は氏に対して四十八時間以内に退去すべしと通達し氏は之(こ)れに従う外(ほか)なく直ちに承諾した。




カリフォルニア州邦人追放事件


出典:1920(大正9)年-1926(大正15)年 大原社会問題研究所編 「日本労働年鑑 大正11年」 労働移民問題



 加州邦人追放事件

 加州に於ける排日傾向は朝野を通じて益益(ますます)濃厚を加え殊に果樹収穫期に際しては農園就働の邦人に対する白人労働者の迫害沙汰が頻(しき)りに伝えられた。

七月十日リヴィングストン附近無花果(いちじく)畑に就働せる邦人十一名は十一台の自働車に分乗した覆面の白人団の来襲を受けスタックトン市に送り返されたが、同様の事実は七月十九日スタニスラウス郡ターロッタ地方に於ても起り、約五十名の邦人は夜半多数の白人労働者に襲われ運搬自働車に積込まれ強制的に同地方より放逐せられた(された)。

右の原因は最近同地方メロン畑の地主と労働者間に賃銀上の争あり労働団体より地主に対して各種の要求を提出し争議継続中であったが邦人労働者は白人労働団体の要求額より低廉な賃銀にて就業するに至った事が白人側の憤怒を買い 果物収穫のため多数の日本人が同地方に入込めるのに対して人種的感情も加わったであろうが職業上の利益を擁護する為(た)め之(これ)を機会に日本人を一掃せん(しよう)として此(この)策に出でたるものの如く、此(この)際邦人は何等(なんら)の抵抗をも試みずに白人団の行為に任せた。

暴行団は放逐成功後邦人の住宅を荒し遺留品を掠奪したものがあり邦人の物質上の損害は一万弗(ドル)内外に上った。

之(こ)れに対して米国の与論は一般に暴行白人団の非難を非難し排日派も之れを以て排日政策に障碍を与うるものとして厳重な検挙を主張した。

在米日本人会は本事件発生と同時に役員を派して取調べ夫々(それぞれ)為(な)すべき処置を尽したが在留邦人は一般に本事件に対して極めて冷静穏健の態度を持した。

幸(さいわい)に其(その)後同種の事件が勃発しなかったので地方的に解決を見、十二月八日桑港(サンフランシスコ)発時事新報社着の電報によると 本事件の暴行者は予審に於て有罪の宣告を受けたそうである。




サンフランシスコの日本人洗濯屋排斥運動


出典:1920(大正9)年-1926(大正15)年 大原社会問題研究所編 「日本労働年鑑 大正11年」 労働移民問題



 桑港(サンフランシスコ)の日本人洗濯屋排斥運動

 桑港九月廿(二十)八日発大阪毎日新聞社着の特電によると桑港に於て排日本人洗濯屋同盟が勃発して一大示威運動(デモ運動)が行われて居(お)り廿八日にも大きな車に紙箱を乗せ之(こ)れに「日本人洗濯屋を排除せよ」「白人には白人の洗濯屋を」と云(い)うような文句を書き連ねて引廻(まわ)したとの事である。



関連記事
スポンサーサイト