HOME > 従軍慰安婦 > title - 松根油(しょうこんゆ)と従軍慰安婦
2016/10/02

松根油(しょうこんゆ)と従軍慰安婦


松根油(しょうこんゆ)とは松の根から採れる油でテレビン油ともいいます。身近なところでは油絵具の薄め液や塗料・ワニスの溶剤として使われています。

1944(昭和19)年、極度の物資不足におちいった日本は、この松根油を採取して航空機の燃料にする計画をたて、翌年には松根油で飛ぶ「梅花」という攻撃機研究に着手しました。

しかし松根油は松の根400トンから、わずか1キロリットルしか採油できず、数千機分の航空燃料をまかなうには気の遠くなるような計画でした。

1941(昭和16)年、まだ経済封鎖前の日本の試算には「原油43万キロリットル、人造石油28万キロリットル」とあります。

対日禁輸や経済制裁が適用された1941(昭和16)年以降、日本の物資は枯渇の一途をたどり、終戦前年の昭和19年には国民総出で松の根を掘るまでに追い詰められていました。

重光葵(しげみつまもる)はその時のことを「松の根を掘っても、それを煮る釜の配布がなかった」と手記に記しています。


【降伏文書に調印する全権大使重光葵】
重光葵_350


戦争末期、今まさに連合国軍という赤軍が日本に襲いかかろうとしているときに、 ご先祖さまたちはどんな気持ちで松の根を掘ったのだろうかと思うと涙が出てきます。

この日本の物資不足は韓国の教科書にも記述されています。しかも物資不足と従軍慰安婦が併記されています。

こういう矛盾に気づかず、従軍慰安婦や強制徴用で日本をユスってくる、それが韓国という国です。

皇国史上最大の危機が迫っているときに、日本軍がノコノコ朝鮮半島まで行って強制連行なんかやると思います?

1944(昭和19)年10月にはもう沖縄方面に米軍機動部隊が出没していたのですよ?

しかも燃料も船もないのに、韓国は日本軍が従軍慰安婦20万人、強制徴用200万人を強制連行したと真顔で主張するのだから驚きです。

本当におまえら、そのころ「日本人」だったのかよ?

と問い返したくなる無知ぶりです。

まったく「従軍慰安婦」「強制連行」は一国で戦争したことのない特アならではの捏造です。


一分でも早く韓国との断交を


出典:1998(平成10)年 明石書店 石渡延男監訳/三橋広夫共訳 「入門 韓国の歴史-国定韓国中学校教科書」



 日帝の民族抹殺政策

 中日戦争によって中国大陸を侵略した日帝は、戦争をさらに拡大してアメリカの真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争を起こした(1941)。日帝の侵略戦争によって、わが国は日本の戦争物資を供給する兵站基地に変わった

(中略)

 また、わが民族の食料を強制的に略奪し、戦争の終わりには古鉄、真鍮の器、スプーンやはしまでも奪った

日帝はこうした物的な略奪ばかりか、韓国人を強制徴用によって鉱山工場苦痛に満ちた労働を強要したり、強制徴兵制と学徒志願兵制度を実施した。

これにより多くの韓国の青壮年が各地の戦線で犠牲となった。このとき、女性までも挺身隊という名目で引き立てられ、日本軍の慰安婦として犠牲になったりした。



どうやら韓国は「慰安婦問題は日本に対する有効な圧力」だとカンちがいしているようですね。↓↓↓

通貨スワップ5兆円はやく出せニダ!


韓国、日本に通貨スワップ「5兆円」懇願か IMF危機並みに経済指標悪化
2016年9月29日 zakzak(夕刊フジ)

 日本との「通貨交換(スワップ)協定」再開を狙う韓国で、締結額が500億ドル(約5兆円)規模の巨額になるとの観測が浮上している。経済指標が、国際通貨基金(IMF)の管理下に入った1990年代の危機当時の水準まで悪化しており、日本のマネーをあてにするしかない韓国当局の願望も透けてみえる。

(中略)

 そんななか、韓国の経済メディア、ソウル経済は、韓国の企画財政部(財務省に相当)の関係者の話として、新たな日韓スワップが「500億ドル以上の大規模になる可能性が高い」と明らかにしたと報じた。

 これが実現すれば、欧州の財政危機を背景に700億ドル(約7兆円)まで拡大した11年当時に匹敵する規模だ。

【その他韓国が日本に圧力をかけているとおぼしき報道♡慰安婦♡慰安婦♡】
【書籍】 「慰安婦」は禁忌語?日本社会の醜悪な素顔~植村隆著『私は「捏造記者」ではない』、韓国で出版

北原みのり「『慰安婦』たちの記録」

日本側の「感性的な措置」期待 慰安婦問題で=韓国外交部

本記事の資料

松根油の作り方

材料は伐採して7、8年以上経った松の切り株です。それを直径3センチ長さ30センチほどに割って、金属製の釜に入れ、最初は180度、次に280度、それから300~350度という高温で熱します。

すると最初に木酢液(もくさくえき)が出、その次に松ヤニと呼ばれる揮発性の樹脂油(松根原油、別名テレピン原油)が多く出、最後に黒色の粘り気のある松根タール(別名山タール)が混じって出て来るそうです。

松を伐採、と書くと韓国がまた「日帝がウリナラの松を…」と言いがかりをつけてきそうですが、松の切り株の所有者は採掘承諾書を市町村長に提出するよう義務づけられていました。

さすが、日本は法治国家です。


写真週報松根油1

※本文書き起こし。●は判読不明文字、( )内は管理人による注釈です。
勝利の油 松根油を増産しよう

 戦争にはあらゆる物資が必要とされますが、中でも油は最も重要なものの一つです。

いくら飛行機をつくっても油がなくては飛べませんし、工場の機械も油がなくては動きません。残念なことに只今(ただいま)のところでは敵側の方が油の量も多いので、日本でも盟邦ドイツでも、全力をあげて増産に努めると共に、できるだけこれを節約し、また科学技術を傾けて、代用油の製造に大童(おおわらわ)です。ここにお話しようとする『松根油(しょうこんゆ)』もその一つであります。『松根油』は簡単にいうと、松の根からとれる重油とガソリンのような油で、今度農商省ではこの大増産をはかることになりました

松根油の製造

▲松の切株を掘り出して、これを経一寸(約3センチメートル)、長さ一尺(約30センチメートル)位の大きさに小割りにし
▲鉄板製の釜(かま)の中に入れ
▲最初百八十度位の温度で長時間乾溜し
(乾溜〔かんりゅう〕とは空気を遮断して、●●を加熱し、揮発成分や不揮発性物質を分解●●させ、後、これを冷却回収する方法です)
▲次ぎに二百八十度位に温度が上ったとき、加熱を弱め
▲終りに三百乃至(ないし)三百五十度位にまた強く加熱して乾溜すると
▲いわゆる松ヤニ(樹脂分)が出て来ます。これが松根原油のもとです
 乾溜すると──
◎最初は水分の多い木酢液(もくさくえき)が出て
◎次ぎに揮発性の樹脂油(松根原油、別名テレピン原油)が多く出るようになり
◎最後に黒色の粘り気あり松根タール(別名山タール)が混って出て来ます

 このタールの大部分は途中でタール溜の方へ流れてゆき、松根原油と木酢液は、しばらくするとニ●に分れて、軽い松根原油が上の方に溜ります。この松根原油と松根タールを一括して松根油というのです

松根油の重要性

 今まで松根油は兵器の洗浄液や、塗料溶剤や、軍需品製造の副資材として使用されていたに過ぎなかったのですが、最近その用途は一変して、航空機などの作戦用の燃料として、質的にも、量的にも、極めて優秀性を持っていることが分り、新たに決戦物資として登場して来たのです

松根油の原料

 松根油の原料としては、勿論(もちろん)、松の根が一番よいのですが、檜(ひのき)や●(ひば:木へんに屠)からもとれますので、今度の大増産に当っては、これらも加えることになりました
 松の根は伐採してから七、八年以上を経過したものが一番よく、油のとれる率も多くて、普通百貫(一貫は3.75キログラム。百貫は375キログラム)から三、四斗(一斗は約18リットル、三斗は約54リットル、四斗は約72リットル)位は得られますが、新らしい根でも、平均二斗五升(一升は約1.8リットル。二斗五升は約45リットル)位はとれます。ですから今は古い新らしいを問わず、掘り出せるものはすべて徹底的に掘り出して、少しでも多く、松根油をつくらねばなりません

(中略)

 今まで幹が生産の第一線に応召した後、山野にそのまま放置されて、肩身の狭い思いをしていた松の根にも、いよいよ応召の時が来たのです。松の根の所有者は、今こそ進んで採掘承諾書を市町村長に提出し、一刻も早く『松根油』の増産に努めようではありませんか。 


写真週報松根油2

【写真横の解説-書き起こし】
鋸(のこぎり)や鉈(なた)で小割りにされて、高さ三尺五寸(一尺は約30センチメートル。三尺五寸は約105センチメートル)直径三尺の金籠(かご)につめられた松の根は、さらに乾溜釜に積込まれる。密閉したまま焚きつけて乾溜するこの八十貫(約300キログラム)ほどの松根からは、原油が一斗六升(約28.8リットル)タール二斗二升(約39.6リットル)が採れる(大島油脂工業所)

【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A06031094300:内閣情報局 昭和19年11月29日 「写真週報 349号」



松根油で飛ぶパルス・ジェット機「梅花」

日本人にとっては悲しみの象徴でしかない「桜花」、それから日本初のジェット機にして幻の特攻機となった橘花に続いた特殊攻撃機が「梅花」でした。

梅花の開発は1945(昭和20)年7月に開始されたため、開発途中で終戦を迎えました。

松根油の採取には気の遠くなるような手間と時間がかかりましたが、松根油で動くパルス・ジェットエンジンの構造は簡単だったそうです。


【参考:特殊攻撃機「橘花」】
橘花



出典:1995(平成7)年 光人社 雑誌「丸」編集部編「日本軍用機写真総集」



 試作特殊攻撃機「梅花」

 昭和20年7月、東京帝国大学航空研究所の小川太一郎博士、谷一郎博士らによって計画されたパルス・ジェット動力の特殊攻撃機案は、海軍航空本部で採用され、試作することになった。機名は「試製梅花」と名付けられ、機体は川西、動力は一技廠(第一技術廠)小田原疎開工場で担当することになった。

 しかし間もなく終戦となり、機体は川西と一技廠で基礎設計中、動力は一技廠小田原疎開工場で試運転中に中止となり、この日本最初のパルス・ジェット機は、ついに実現しなかった。

 本機の設計上の特性は、つぎの通りであるが、いいかえれば「有人V-1兵器」ともいうべきもので、日本海軍が試作命令を出した最後の飛行機となった。

(1)疎開工場の状況、工員技量の低下、資材の欠乏などを考慮して、なるべく小型、簡単、軽量とし、また訓練時の着陸速度を制限して、主翼面積7.59平方メートル、全備重量1430キログラムとした。

(2)パルス・ジェットエンジンは、構造は簡単で工程数が少なく、製作、取り扱いが容易で、松根油を燃料とすることができる。

(3)ジュラルミン材の不足のため、主要材を木材および鋼材とした。

(4)動力配置はドイツのV-1を参考として、三通りの方法が考えられたが、けっきょく第一案のエンジン背負型(V-1、Hel62と同型式)がとりあげられた。

(5)翼型は、谷博士の研究によるLB係層流翼を採用した。

(6)爆弾は当初100キログラムのものを機首に装備することになっていたが、のちに250キログラムに増大する予定であった。

 航続距離は高度4000メートルで275キロメートル/h、航続時間は45分であった。




重光葵
「松の根を煮る釜の配布がなかった」
「レイテ戦で日本は運送船を消費し尽くした」


出典:1953(昭和28)年 中央公論社 重光葵 「昭和之動乱」下巻 
     軍需生産の混乱



 生産の思う通りに行かない根本原因は、もとより原料資材の不足と、生産の設備の未だ十分ならざる点にあったのである。

 支那方面よりする鉄鉱その他の原料品の輸入は急に妨げられ、南洋の油やボーキサイトも輸送困難となった。アルミニューム生産に事欠くようになったため、飛行機の製造能力は増加しても、原料に不足を告げるようになった。

(中略)

 最後には、飛行機の数よりもこれを動かすガソリンに事を欠くようになり、油を製造するために、松の根を掘ってこれを煮るという方法を思いついた。国を挙げて松根油採取が奨励されたが、松の根は、地方民の汗をもって掘られ、且つ集められても、これを煮る釜の配布がないために、枯渇して用をなさぬという有様であった。

 サイパン玉砕(一九四四年六月)後、空襲は頻発し、交通機関は故障を生じ、工場は破壊されて行って、軍需品の供給も前線との連絡も、全く混乱に陥るに至った。

(中略)

 小磯総理は、ルソンの戦こそ真に天王山である、と述べ、政府は、軍部の要求をすべて容れて、民需を犠牲にし、手持ちの船腹を悉(ことごと)く提供して協力した。

天王山が動いた、と評しながらも、国民は大なる期待をこの戦争にかけたのであった。しかし、レーテ戦で我が連合艦隊は致命傷を受けて、再び立つ能(あた)わざる弱勢のものとなり、我が運送船は最後の船腹をも消費し尽したため、ルソン戦に対する海上よりの応援は不可能のことであり、山下軍は、大規模に、海上孤島におけると同じく、最期の玉砕戦を戦わなければならなかった。


【元従軍慰安婦イ・ヨンス
「1944年秋に日本軍に強制連行された、1943年だったかもニダ」。
米軍の反攻は1941(昭和16)年に開始され、1943(昭和18)年7月サイパン島守備隊玉砕、8月テニアン島守備隊・グァム島守備隊玉砕と戦況は悪化していた。イ・ヨンス1


【1944(昭和19)年10月11日「琉球方面に敵機動部隊が現出」】
敵機動部隊はイ・ヨンスが強制連行されて行く台湾、フィリピン方面に南下すると予測された。韓国はこういう非常時でも日本軍が朝鮮半島に来て朝鮮人女性を強制連行して行ったと主張し、従軍慰安婦被害者は敵機動部隊が出没していても容易に慰安所に到着したと証言するのである。
機密戦争日誌昭和19年10月1



石油だけでなく石炭の供給も逼迫した日本


出典:1970(昭和45)年 朝雲新聞社 防衛庁防衛研修所戦史室 「戦史叢書 陸軍軍需動員〈2〉実施編」 昭和十九年度における軍需動員 物動実施計画の推移



 なお第三・四半期物動実施計画においては石炭が特に問題となった。外地からの取得は困難となり、供給力が減少したほか、配炭に輸送上の隘路(あいろ:狭くて通りにくい路)もあり、製鉄、液体燃料、電力、輸送、軍需のみに若干の優先考慮を払う程度で、平均すれば前記の二五%規正(きせい:悪いところを正しくなおすこと)であった。したがって航空機生産すら石炭不足に深刻に悩む状況であった。

 第三・四半期物動実施計画は十月五日閣議決定した。整備局長は翌六日、局長会報においてこの旨を報告している。

 戦備課は同日この物動実施計画について関係主務者に説明した。「機密戦争日誌」には同日次のとおり記されている。

 第三・四半期物動計画ニ関シ戦備課ヨリ説明ヲ受ク 概括シテ第一・四半期ニ比シ七〇~五〇%ノ国力ナリ 最大隘路ハ石炭ニシテ 最低需要ニ比シ一四〇万瓲(トン)減ナリ 速急ニ対策ヲ講スルノ要アリ


機密戦争日誌昭和19年10月2【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C12120325600:陸軍省 昭和19年10月1日~昭和19年10月31日「昭和19年10月 機密戦争日誌」



松根油を3万トン生産するために必要だったものは、人手20万人、
釜2万個


出典:1970(昭和45)年 朝雲新聞社 防衛庁防衛研修所戦史室 「戦史叢書 陸軍軍需動員〈2〉実施編」 昭和十九年度における軍需動員 逼迫する液体燃料



 松根油

 松根油は松根四〇〇瓲(トン)から松根油一竏(キロリットル)を採油しようとするもので、松根を掘るため多大の努力を要し、また採油のため多数の釜を必要とするものであった。

 十月二十八日の局長会報では「松根を掘るため延(のべ)一二〇〇万人必要」と説明されており、また島田農相は「十九年度に松根油四・二万竏(キロリットル)生産のため、延一六〇〇万人必要、軍でも援助されたし。また釜の製作でも援助されたし」と述べたと伝えられた。

 燃料本部は十一月十七日「松根油一〇〇〇十二月中に完成、他は資材入手次第着手する」旨報告した。

 日満支燃料自給対策用資材は優先的に取り扱われたが、その捻出は相当困難で、軍需省総動員局主務者は「目標変更の要あり」とも申し出ている。

 いずれにしても松根の採取は液体燃料対策の一環として全国的に実施された。

 なお松根油の生産は満洲においても強行された。昭和二十年二月、関東軍参謀原善四郎中佐は陸軍省で要旨次のとおり報告している。

 松根油 政府案 三万瓲(トン) 労務二〇万 確保スミ 差向キ七・五万瓲 目標ヲ三〇万瓲トスル 問題ハ釜(三〇万瓲ニテ二万釜)ト技術者 海軍ニ於テハ釜ノ送付処置スミ



関連記事
スポンサーサイト