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2016/09/23

慰安所は営外施設だった


元従軍慰安婦の証言では、日本軍に強制連行された朝鮮の少女たちは必ず日本軍の兵営内に監禁されて虐待されます。

兵営とは兵隊の宿舎のことです。

でも実際の慰安所は兵営の中ではなく、外にありました。

ふつうに考えても民間人を数十万人もあっちこっちの兵営内に監禁するというのは「機密保全上、風紀上どうなの?」というハナシです。

どこの国の軍隊でもこんなバカなことはやりません。

なので元従軍慰安婦のハルモニどもの証言は、ぜんぶウソです。


朝鮮人少女が日本軍兵営内で暴行される捏造アニメ2本立て↓↓↓






実際の慰安所…陸軍の場合@マニラ

で囲んだ部分が慰安所の所在地。将校倶楽部のそばに慰安所がありますが、将校倶楽部とは海軍さんがつどって談笑するお上品なクラブで性サービスはありませんでした。
慰安所マニラ3【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C14010080900:昭和18年1月15日 陸軍省 「『マニラ』防衛地域内軍人軍属外出取締規定 『マニラ』防衛司令部」


実際の慰安所…海軍陸戦隊の場合@中国

海軍陸戦隊の所在地…靶子路北四川路角。
慰安所海軍陸戦隊所在地1

右側が慰安所所在地…北四川路横濱橋傍美媚里、北四川路克明里四、五、六号、同同七、八、九号。陸戦隊内ではありません。
慰安所海軍北四川2【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C14120190800:海軍省 「第7項 衛生」


帝国陸軍「営外施設規定」
「営外施設とは兵営外で民間人が経営するものをいう」

〔 〕内は管理人による注釈です。


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C13010769700:1943(昭和18)年 陸軍省 「営外施設規定」



(1コマ目)

営外施設規定陸軍省1_2

 営外施設規定

 一、総則

第一条 本規定ハ昭和十七年七月仁集参密第二九四号営外施設拡充要綱ニ基キ営外施設ノ建設、経営、利用、監督等師団ニ於テ実施スベキ事項ニ関シ其〔ソノ〕要領ヲ定ムルモノトス

営外施設ニ関スル建築、物件ノ備付〔ソナエツケ〕飲食品ノ補給又ハ払下〔ハライサゲ〕、従業員ノ雇用ノ施設内ノ取締等ニ関シ本規定ニ定メザル事項ハ陸軍営繕事務規程、野戦酒保規定其他各関係法規ノ定ムル所ニ依ルモノトス

第二条 本規定ニ於テ営外施設ト称スルハ営外酒保、特殊慰安所、偕行社及其他ノ地方団体等ノ篤志ニ依リ開設シタル軍人慰安施設ヲ謂フモノトス

第三条 営外施設ハ本規程ニ於テ特ニ定メタル場合ヲ除クノ外〔ホカ〕当該駐屯地ニ於ケル高級先任ノ部隊長(以下管理部隊長ト称ス)管理シ経営又ハ指導監督ニ任ズルモノトス

二部隊以下同一地ニ駐屯スル場合ニ於テハ前項ノ管理部隊長ハ各関係部隊ヨリ委員ヲ差出サシメ委員制度ノ下ニ管理セシムルコトヲ得ルモノトス

第四条 各地区警備隊長ハ当該警備地域ニ於ケル営外施設ヲ統轄シ各駐屯地ノ実情ニ即応スル所要ノ施設ヲ拡充整備シテ之〔コレ〕)ガ均霑〔キンテン:各人ガ平等ニ利益ヲ得ルコト〕ヲ図リ且経営利用監督等ニ関シ良金ヲ保持セシムルモノトス

第五条 営外施設ハ下級将校下士官兵ニ対スルモノニハ特ニ重点ヲ置キ施設スルモノトス

第六条 営外施設ハ下士官兵用ト将校准士官用トハ区別シテ之ヲ施設共用セシメザルモノトス

 但シ本規定ニ於テ特ニ定メタル場合ハ此〔コ〕ノ限〔カギリ〕ニアラズ

第七条 営外施設ハ総〔スベ〕テ各部隊共用トシ自隊専用ノ施設等ハ一切之ヲ設クルヲ得ザルモノトス

第八条 各部隊等当該駐屯地ニ営外施設ヲ開設セントスルトキハ施設ノ要領、経営ノ方法、其他必要ノ事項ヲ具シ順序ヲ経テ之ヲ師団長ニ具申スルモノトス

第九条 営外施設ノ建設ニ関スル業務ハ経理部長之ヲ担任スルモノトシ、営外施設ニ対スル物件ノ備付飲食品ノ補給又ハ払下要員ノ雇用(官費支弁ノ者ニ限ル)等ハ各管理部隊長ニ於テ経理部長ト協議ノ上実施スルモノトス

第一〇条 各地区警備隊長ハ毎年十二月末日ニ於ケル警備地域内各地ニ於ケル営外施設ノ設置、経営利用等ノ状況ヲ師団長ニ報告スルモノトス

(中略)

(7コマ目)
営外施設規定陸軍省特殊慰安所1

 三 特殊慰安所

第十九条 中隊以上ノ駐屯地ニシテ該地ノ情況ニ依リ之〔コレ〕ヲ必要トスル場合ニ於テ衛生的且廉価ナル慰安ノ為、軍人軍属専用ノ特殊慰安所ヲ開設スルコトヲ得ルモノトス

第二〇条 特殊慰安所ハ部隊ニ於テ直営セズ委託経営セシムルモノトス

第二一条 特殊慰安所ノ建物ハ軽微ナル程度ニ於テ経理部長別途経費ヲ以テ之ヲ実施シ管理部長ヨリ受托(諾)経営者ニ無償貸与スルモノトシ尓〔爾〕後ノ保続ハ受托経営者ノ負担トス

第二二条 特殊慰安所ノ経営ニ必要ナル飲食品等ハ野戦酒保品ヲ払下グルコトヲ得ルモノトシ其細部ハ軍医部長之ヲ定ムルモノトス

第二三条 特殊慰安所ノ経営ニ必要ナル薬品、防護用品等ハ官物ヲ交付スルコトを得ルモノトシ其細部ハ軍医部長之ヲ定ムルモノトス

第二四条 師団司令部所在地ニ於ケル特殊慰安所ノ管理、経営等ニ就(ツイ)テハ前条ニ依ルノ外別ニ定ムル所ニ依ルモノトス

(中略)

(10コマ目)

 五、其ノ他

第三三条 部外団体又ハ個人等ニテ営利ヲ目的トスルコトナク慰安娯楽施設ヲ設置シ軍人軍属ノ利用ニ提供スル場合ニアリテハ前各条ニ準ジ備付物品ノ一部ヲ貸与シ又ハ必需品ヲ配給シ若〔モシ〕クハ補助金ヲ交付スルコトヲ得ルモノトス

第三四条 営外施設ニシテ部外ノモノヲ利用スル場合ニアリテハ前各号ニ準ジ所要ノ援助ヲ与フルコトヲ得ルモノトス



〔管理人注〕
特殊慰安所ハ部隊ニ於テ直営セズ委託経営セシムルモノトスについて補足

日本軍は新たな占領地への進出方法を新聞発表していました。その広告を見て企業や個人が経営するカフェや飲食店、遊廓なども占領地へ進出して行きました。それら遊廓の中で軍に指定された店が「慰安所」として利用されました。ですからサヨクがいう「慰安所経営を民間に委託した日本軍が悪い」は誤りです。進出して行った遊廓の中には朝鮮人経営のものもありました。
慰安所南方軍占領地区1【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A06030002000:昭和18年12月 内務省 「南方陸軍占領地区渡航者身許証明ニ関スル件」

新聞広告を見て多くの遊廓が占領地で開店した結果、慰安婦が飽和状態になることもありました。「尚慰安婦は既に南方地域に於ては飽和状況なる由に付き念の為」とあります。
慰安所慰安婦飽和1【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C01000831600:昭和17年11月18日 陸軍省 「渡航手続に関する件」



それでは、日本軍に強制連行されて日本軍兵営内で強姦されたというハルモニどもの証言をごらんください。


ニューヨーク慰安婦1


チョン・オクスン


10日ほどして、恵山市の日本陸軍の守備隊に連れて行かれました。そこには私のような朝鮮人の女の子が400人くらいいて、毎日、5000人を超える日本兵のため性奴隷として働かされました。

(中略)

その守備隊にいた少女の半数以上が殺されたと思います。

ソース:女性に対する暴力-戦時における軍の制奴隷制度問題に関して、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国及び日本への訪問調査に基づく報告書-(クマラスワミ文書)


ファン・ソギョン


私たちは汽車に乗せられ、ついでトラックに乗り換え、数日かかって中国の牡丹江のそばにある大きな家に着きました。そこが工場だと思ったのですが、工場などどこにもないことが分かりました。女の子たちはそれぞれ小さな部屋をあてがわれました。中には藁(わら)布団が敷いてあって、ドアには番号がついていました。

(中略)

何が起きているのか分からないまま、二日待たされた後、軍服を着て帯剣した兵隊が部屋に入ってきました。『言うとおりにするか、どうだ』と言うや私の髪を引っ張り、床に押し倒して脚を広げろと命じました。

ソース:女性に対する暴力-戦時における軍の制奴隷制度問題に関して、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国及び日本への訪問調査に基づく報告書-(クマラスワミ文書)


ファン・クムジュイ


やはり生き残った一人のファン・クムジュイが本特別報告者に語ったところでは、中国の吉林省の慰安所に着いた最初の日に、日本兵から五つの命令に従わなければ死ぬぞと言われた。天皇の命令、日本政府の命令、彼女が属している陸軍中隊の命令、中隊の中の分隊の命令、そして彼女が働くテントの保有者であるその兵隊の命令である。

ソース:女性に対する暴力-戦時における軍の制奴隷制度問題に関して、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国及び日本への訪問調査に基づく報告書-(クマラスワミ文書)


キム・ボクスン


韓国のキム・ボクスンも生き残ったひとりだが、性奴隷だった時の生活は直接軍に規制されていたと証言している。毎日午後3時から7時まで下士官の相手をして、9時以降は将校の相手をさせられたのである。

ソース:女性に対する暴力-戦時における軍の制奴隷制度問題に関して、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国及び日本への訪問調査に基づく報告書-(クマラスワミ文書)


イ・ヨンス


イ・ヨンス氏は16歳だった1944年、日本軍に引きずられて船などに乗った後、台湾内の日本軍部隊に行ったと伝え、「2年間、強姦に遭い、性関係を拒否するという理由で電気ショックなどの虐待にあった」と述べた。

ソース:【慰安婦問題】「性関係を拒否すると電気ショックなどの虐待受けた」 元慰安婦が米国で証言 2015年4月24日 WoW!Korea


パク・ソリブ


ある日本軍部隊で昼間は清掃と皿洗いなど雑事をし、夜は日本軍を相手にしたという。言うことを聞かなければ銃と軍靴で殴打され、日本語を使うよう強要されたと話した。自分の他にも多くの女性がいたが逃げようとして死ぬほど殴られる姿も見たと話した。4カ月余り日本で様々な苦難に会う間に光復になって日本から帰国船に乗って釜山へ渡ってきた。

ソース:京郷新聞(韓国語) 「日帝警察に引きずられて行った慰安婦であった」・・・90才ハルモニ70年ぶりの告白
http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201601131438371


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