HOME > 華僑・僑生 > title - 華僑の多重国籍者
2016/09/15

華僑の多重国籍者


蓮舫氏の二重国籍疑惑で紛糾している日本列島ですが、戦前は三つの国籍を持つ華僑もいたそうです。

戦前華僑の中で一番の富豪といわれた黄仲涵はシンガポール在住でしたが、黄氏は日本・イギリス・オランダの国籍を持っていました。

黄氏が多重国籍になった理由を戦前アジアの事情から察するに、白人の迫害排斥から逃れて西洋列国の植民地を転々としているうちに多重国籍になったようです。

「華僑」といえば「祖国に送金する富豪」というイメージがありますが、そのルーツは中国南部広東省と福建省の貧しい小作農でした。

食いつめた小作農らは中国を出国したあと、主に南洋の西洋列国の植民地を転々としながらで苦力(クーリー)などの肉体労働をすることが多かったのです。

また、華僑の中には祖国清国から財産を搾取されないように外国籍になる者もいたそうです。国籍は手段の一つだったのでしょうね。

もし蓮舫氏の家系も華僑らしくアジアやアメリカ大陸を転々としていたのなら、三重国籍、四重国籍も考えられるかも知れません。


戦前華僑が多重国籍になった理由↓↓↓

・中国は内乱や革命で国力なく、国体もない不安定な弱い国だったので、華僑を保護すべき清国および中華民国の国籍法が外地で尊重されなかった

・1892(光緒18)年に清国国籍法が施行され、両親のどちらかが清国人であれば子は清国籍になった

・1911(明治44)年(辛亥革命が起きた年)にオランダ領東インド(現在のインドネシア)にオランダ国籍法が施行され、オランダ領東インドで出生した華僑はオランダ領東インド籍となり支那国籍を失った

・オランダの植民地ではオランダ人による華僑迫害が熾烈だったため、全財産を持ってイギリス領など他の西洋列国の植民地に移民する華僑がいた

・日本人は政府の後ろ楯があったので中国人ほど白人に迫害されなかった。当時の台湾人は日本国籍だった。「そうだ、台湾行こう」




蓮舫1


【華僑の故郷南洋】
南洋地図1【出典】1933(昭和8)年 和楽路屋編 「最新大日本県別地図:併市町村名大鑑」


【戦前華僑の人口-1934(昭和9)年南京僑務委員会の統計】
国  名人 口(人)
暹羅(現タイ)2,500,000
英領馬来半島および海峡植民地(現マレーシア)1,709,392
蘭領印度(オランダ領インドシナ=現インドネシア)1,232650
香港825,645
仏領印度支那(現ベトナム・ラオス・カンボジア)381,471
蘇聯邦(ソビエト社会主義共和国連邦=現ロシア)251,500
緬甸(ビルマ=現ミャンマー)193,589
澳門(マカオ)119,875
比律賓群島(フィリピン)110,500
英領ボルネオ(ボルネオ島)75,000
北米合衆国(アメリカ合衆国)74,954
台湾46,691
加奈陀(カナダ)42,100
朝鮮41,303
西印度諸島36,400
布哇(ジャワ)27,179
墨西哥(メキシコ)25,000
日本20,074
印度(インド)15,000
濠洲(オーストラリア)15,500
印度洋諸島5,000
仏領太平洋諸島5,000
南阿弗利加(南アフリカ)4,500
葡領チモール(ポルトガル領チモール=現ティモール島)3,500
新西蘭(ニュージーランド)2,854
太平洋小島1,000
埃及(エジプト)75
欧州諸国30,335
南米諸国15,950
中米諸国9,400
合   計7,821,437
【出典】1935(昭和10)年 外務省通商第二課 「華僑ノ現勢」 第三章 華僑ノ数
本記事の資料-華僑アラカルト

華僑のルーツは広東省、福建省の貧民


出典:1935(昭和10)年 外務省通商第二課 「華僑ノ現勢」 第二章 華僑発展ノ動機及成功ノ要因



 第一節 華僑発展の動機

一体儒教の感化を受けて郷土執着の観念強く、祖先崇拝の念に富む支那人が、祖先伝来の地を離れて遠く海外に移住し、その数一千万を数えるまでに発展したことは一見不可思議のように思われるが、支那人をしてかくも海外に発展させたのには相当の理由がある。

支那人の海外移住が始まったのは二千年の昔にさかのぼるが、当時漢民族の本拠地である支那本部ことに広東および福建地方は人口過剰にしてその住民はむしろ現在以上の行き詰まり状態にあえいでいた。

いま試みにこの状態を想像するため、近年における支那農村の現状を見るも(以下戸田氏の「華僑の現状と邦商対策」中より引用)大多数の農民は極端に生活の保障を奪われている。

たとえば武漢民政府土地委員会の調査に基づき、耕地を所有する農民といわゆる無産(道具や土地などの生産手段を持たない)百姓とを比較すると、土地を所有する農民が一億五千万人であるに対し、土地を所有しない小作農および土地を失って遊民に落ちぶれてしまったものは一億八千六百万人を数え、いわゆる無産百姓は農民総数の六割を占めている。

さらに耕作面積の点から見ても、一戸あたり平地わずかに二反五畝にすぎない。このような農村構成では彼らの理想である致富の希望を達成することは出来ないのみならず、生計を立てることさえ困難であるが、これはいうまでもなく人口過剰による当然の帰趨である。



・華僑は本国に多額の送金、本国の政治運動に資金提供
・華僑は実勢力を利用して本国の政治運動に参加する(例:南洋における日貨排斥運動)


出典:1935(昭和10)年 外務省通商第二課 「華僑ノ現勢」 第一章 緒言



 華僑とはその語源的解釈もしくは本質的解釈はとにかく、通俗的には外国に移住する支那人の謂(いい:意味)で、その大部分はいわゆる移民である。

現在その確実な数は不明であるが非常に多数に上り、支那の経済、金融ないし貿易決済上、きわて重要な地位を占めているだけでなく各在留地においても商業経済上、一大勢力を構成し、その文化に対しても少なからず貢献している。

(中略)

一方華僑は従来本国に対し年々多額の送金をし、時には、本国の政治運動に資金を提供し、しかもその実際運動にさえ参加してきた。

たとえば南洋における華僑がその実勢力を利用し、日貨排斥運動に対ししばしば重要な役割を演じてきたことは今ここに新しくいう必要はないであろう。



台湾籍の華僑も出身は中国南部


出典:1923(大正12)年 大阪屋号書店 後藤朝太郎 「おもしろい支那の風俗」



 八 華僑の海洋的発展振り

 台湾人郭春秧翁が南洋に於ける事業振りの偉大なることは台湾に興味を有する台、内人(内地人=日本人)の齋(ひと)しく周知のことである。

辜顯榮翁や故顔雲年翁、林熊徴氏等を数える人々は又必ず郭翁を省くわけにいかぬ。

郭翁は台湾に籍があるから純粋の華僑とは云えないが支那の人々で南洋馬来(マレー)半島から一帯太平洋方面に出掛けて、その到る処に自己の天地を開拓しその地に住居し着々功を収めて居るものが中々ある。之(これ)を一般に華僑と概称しているのである。

ひとり南洋太平洋方面ばかりでなく米国、南米その他たいていの処は支那民族の蔓(ひろ)がっていない処はない。

然(しか)し主に普通華僑とは南洋方面にひろがっている連中を指して云っているようである。これは主として広東人福建人の渡航者の南洋方面で活躍せるものが多いので地理上の関係からも南洋方面がその主要な舞台となっている為(た)めである。



・清朝の国籍法「親のどちらかが中国人であれば子は中国人とする。外国で生まれ育った者も希望すれば支那国籍を与える」
・華僑富豪黄仲涵は日・英・オランダ国籍を持っていた


出典:1927(昭和2)年 南満洲鉄道東亜経済調査局 経済資料;第13巻 第12号 「華僑」 第四章 華僑と本国



 第三節 華僑と本国との関係

次に華僑の将来に就いて注意すべき條項を左に述べる。

一、(省略)

二、国籍法の保証、国籍法は人民と国家とを結び付くるもので、これに根拠して始めて(原文ママ)国家は人民を保護することが出来る。支那人が各国に散在して圧迫を受けているのは、国が弱いからでもあるが、一方では外交官が国籍法を守ることが出来ないことから端を発している。

支那の国籍法は一八九二年(光緒十八年)に頒布されたもので、出生時に父或(あるい)は母が支那人であれば支那人とする、と、又施行細則には、外国で生長したものでも支那国籍に入ることを希望するものは支那国籍を与えるとある。

然るに駐蘭公使陸徴祥は一九一一年に和蘭(オランダ)国籍法を承認した。一九一〇年に和蘭で頒布された蘭領東印度国籍法では、蘭領東印度で出生したものは皆蘭領東印度人となすとあり、ために蘭領にある多数の支那人は国家の保障権を失った。

其(その)他英米仏領でも支那の外交官は国籍法に根拠して国法を保護することは出来ない。嘗(かつ)て華僑中第一の富豪と云われ財産一億六千万元を有した黄仲涵が死んで遺産争いが起った時も、シンガポールの法廷に訴えた所が、黄は日英蘭三国の国籍を有(も)って居るため容易に解決し得られなかった



・中国人は国が弱いので西洋列国に排斥される
・日本人は政府の後ろ楯があるので排斥されない


出典:1927(昭和2)年 南満洲鉄道東亜経済調査局 経済資料;第13巻 第12号 「華僑」 第四章 華僑と本国



イ、政治、南洋の政治には英蘭共に自国の立場から一つの共通点を有(も)って居る。英は大国で属国も多いから其(その)態度も寛大であって、住民には厳刻(原文ママ)でなく、政治修明であるが、和蘭(オランダ)は国が小さく其地位維持のためには外人を排斥して余力を遺さない。

ただ日本人は政府の後楯があるからそうではないが、支那人に至っては絶えず排斥さるる。和蘭人は一方では土民を経済的に援助して支那人の基礎を覆さんとしている。



オランダの華僑排斥から逃れ、英領に移住した華僑たち


出典:1927(昭和2)年 南満洲鉄道東亜経済調査局 経済資料;第13巻 第12号 「華僑」 第四章 華僑と本国



 シンガポールは南洋の中心であるが、馬来(マレー)は錫とゴムを産し、東印度は砂糖を産する。然(しか)し東印度の産物は馬来に及ばない。

和蘭(オランダ)人は華僑を排斥し土人(原文ママ:原住民)の経済的勢力扶殖に努めて居るが、経営十年来未だ其(その)効を見ない。

且つ欧州戦(第一次世界大戦)後盛んに搾取するから支那人は多く資産を携えて英領に逃れ、益々英領の発達を促す。



国籍は手段の一つ?財産を守るため外国籍に入ることをくわだてた
華僑たち


出典:1936(昭和11)年 巌松堂書店 台湾総督府編 「清国行政法:臨時台湾旧慣調査会 第一部報告 第2巻」



 蓋(ケダ)シ清国人ニシテ自国ノ法網ヲ脱センカ為擅(ホシイママ)ニ外国ノ国籍ニ入リ生命財産ノ保護ヲ得ンコトヲ企ツルノ弊少ナカラザルコト前ニ述ベタルカ如シ

 国籍條例

  第一章 固有籍

第一條 左ニ掲クル者ハ清国内ニ於テ生マレタルト否トヲ問ハス均シク清国ノ国籍ニ属ス

一 出生ノ時父カ清国人ナル者

二 父ノ死後ニ出生シタル子ニシテ父死亡ノ時清国人ナリシ者

三 母清国人ニシテ父知レス又国籍ヲ有セサル者



戦前南洋華僑の大富豪は、
張振勲、陸佑、戴春榮、黄仲涵、陳嘉庚、黄奕住


出典:1927(昭和2)年 南満洲鉄道東亜経済調査局 経済資料;第13巻 第12号 「華僑」 第四章 華僑と本国



 南洋は実に天国で土地肥え物産に富んで居るが、華僑はここに苦心経営の結果、大に富をなしたものが少なくない。

昔張振勲は其(その)富数千万と称せられて居るが、今の黄仲涵、陳嘉庚は其富一億以上ありと見られ、支那本国の富豪とは比較にならない。

近年華僑が本国に帰って産業に投資しようとする者が多くなったが、本国の混乱状態でいずれも躊躇して居る。政府は之(これ)がために必要な方法を講じなければならぬ。即ち

一、企業家の奨励、馬来(マレー)のゴム、蘭領印度の砂糖、錫鉱、ヒリッピン(フィリピン)の煙草等では皆支那人が其実権を握っている。

其代表的人物としては張振勲、陸佑、戴春榮、黄仲涵、陳嘉庚、黄奕住等がある。彼等(かれら)の中には既に物故したものもあるが、いずれも資産千万元以上を擁し、其南洋に於ける事業は偉大なものである。



関連記事
スポンサーサイト