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2016/09/12

日本人が自警団を組織した理由|関東大震災


従軍慰安婦の真実が暴かれ手づまりになったのか、最近半島民族の対日ヘイトスピーチが関東大震災にシフトしています。

関東大震災で日本人が自警団を組織した理由は、当時の背景から推察して、三つの理由が考えられます。


1 朝鮮人の共産運動による日本人虐殺事件
間島・琿春事件
三・一独立万歳騒擾事件

2 朝鮮人のドサクサにまぎれる民族性
第一次世界大戦勃発時に朝鮮独立運動開始
李太王国葬の準備中に三・一独立万歳騒擾事件勃発

3 日本在留朝鮮人の共産運動
→当時の東京市には朝鮮人が組織した思想団体が約30団体あり、そのうち11団体が要監視対象でした(記事下部に資料あります↓)


朝鮮人という大虐殺魔の所業が、未曾有の大災害時に人々の脳裏に瞬時によぎったとしても不思議ではありません。

結果的には日本人が手近な物で武装したところでソ連や中国に拳銃や爆弾を支給されていた朝鮮人にかなうはずもなく、日本人は関東大震災においても朝鮮人に虐殺されました。


千葉方面で保護され帰国する在日中国人2000名。なぜ朝鮮人だけが虐殺されたのでしょうね?
関東大震災支那人帰国1

関東大震災で全焼した内務省(現在の警察庁)
関東大震災内務省1

同じく全焼した小石川砲兵工廠。朝鮮人を虐殺した機関銃はどこから?
関東大震災小石川砲兵工廠1

陸軍工兵隊による橋梁工事。災害後のインフラ復旧は最優先事項
関東大震災陸軍工兵隊橋梁工事1

同じく陸軍工兵隊による焼失電車取り壊し。この時代はすべて人力
関東大震災陸軍工兵隊電車取り壊し1

芝浦に到着した食料品を陸揚げする軍隊
関東大震災芝浦食料品海軍1

陸軍被服廠の死者を探し火葬する帝国陸軍
関東大震災被服廠横死者火葬1

たずね人の貼り紙で埋めつくされた楠木正成公と西郷隆盛の銅像
関東大震災たずね人楠公1

関東大震災たずね人西郷像1
地割れで亀裂が入った道路
関東大震災道路亀裂1

朝鮮人を虐殺したとされる自警団。大阪の米が到着するのに三日かかってみな空腹だった
関東大震災自警団

この混乱の中で自警団と日本軍は正確に朝鮮人だけを数千人選びだし、虐殺したのだそうです。

大虐殺魔朝鮮人が被害者ヅラ
「この地で子子孫孫が安心して平和に暮らしていけるように」


【民団】ヘイトスピーチを根絶し、この地(日本)で子子孫孫が安心して平和に暮らしていけるよう団結しよう
虐殺の真相究明を…韓国中央会館で93周年関東大震災追念式
首都圏民団役員らが参列した関東大震災同胞追念式


 関東大震災(1923年)発生から93周年になる9月1日、東京、神奈川、千葉、埼玉など、首都圏の民団各地方本部で追悼式が営まれた。

 参列者は大震災の混乱時に、当時の日本軍や警察、各地につくられた「自警団」などによって虐殺された数千人にも及ぶ同胞の冥福を改めて祈るとともに、事件の真相究明と日本政府の謝罪を求めた。また、大震災の虐殺が、現在のヘイトスピーチの原点であると指弾し、ヘイトの根絶を誓った。

(中略)

 李大使と呉団長の代表献花の後、金秀吉東京本部団長が、「非人間的な蛮行を永遠に糾弾し、虐殺の事実を後世に伝えていくのが私たちの使命だと認識し、参列した。民族差別を扇動し、在日同胞の人権と生命を脅かすヘイトスピーチを根絶し、この地で子子孫孫が安心して平和に暮らしていけるよう、地域住民として共生共栄の社会構築へ同胞が団結しよう」と追念辞を述べた。

 参列者全員が献花をした後、大震災が起きた午前11時58分に全員が起立して黙とうをささげた。

(2016.9.7 民団新聞)

http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=0&;newsid=22315



強制連行されてきて日本軍に銃口を突きつけられ強制労働?
東京で朝鮮独立運動=朝鮮民族解放共産運動に狂奔していた要監視
朝鮮人思想団体

どの団体も関東大震災で被災していますが、震災後も虐殺されずに共産運動を続行しています。

中には会員1000名という団体(朝鮮留学生学友会)もあり、思想的には左傾していました。

(一)要注意団体

朝鮮人団体は震災前六十以上に達し、其(そ)の内事実上の存在は約半数にして此等(これら)は殆(ほとん)ど宗教、学術研鑽、親睦、相互扶助等に藉口(しゃこう:口実)し若(もしく)は稀に労働運動社会主義の研究を標榜し、主として学生に於て組織したるが比較的勢力あり且つ毎(つね)に左傾行動に出ずる等特に注意を要すべきものは別紙11団体と認むべく、震災後一般に徐々に復起(帰)しつつあるも資金に乏しきと人物なきに依り概ね振わず

要注意団体中、日本在留朝鮮人労働状況調査会は自然解散となり苦学生同友会は単に其の名のみを存し、黒友会も亦(また)曩(先)に朴烈一派の秘密結社事件にて検挙せられてより全然休止の状態にあり

※表中の●は判読不明文字です。
(イ)東京朝鮮基督教青年会
事務所(仮)市外千駄ヶ谷877金洛泳方
創立年月1906(明治39)年11月
現会員数200名
機関紙若い人(資料はハングル表記)
趣旨綱領基督教信者の和親を図る
幹 部(理事長)蔡弼近、崔秉万
(理事) 韓偉健、金洛泳
(理事) 姜鳳羽、金相敦
行 動会館は客年(去年)九月罹災焼失
依って再築を急ぎ余念なく奔走中
先(ま)ず前名誉総務ジョルゲンソン帰来の際、米国より資金を得よう
したが失敗に終る
さらに内鮮基督教関係者の寄付に頼ろうとしたが日本人の恩恵に浴したく
ないとの反対多く、結局京城(現ソウル)基督教青年会を主として朝鮮内
のみの寄付募集をすることに決し、すでに着手した
そして最近単に礼拝所として従前の敷地神田区西小川街2の5に仮小屋を
設けた
・本年より従来の役員制度の一部会長、総務、幹事を改め、理事長一、
理事三を置くこととした
(ロ)朝鮮留学生学友会
事務所(仮)市外下戸塚519敷島館内
創立年月1912(大正元)年10月
現会員数1,000名
機関紙学之光
趣旨綱領相互の信睦(原文ママ)ならびに学術研鑽
幹 部(代表委員)金聖鉉
(委員)   李加星、韓偉健、李東済、金松殷、玉濬珍、李鈺、
    申鉉声等35名 
行 動本年2月5日震災後、第一回総会を開催し予算等を決議した
北星会、蛍雪会、労働同盟会、学興会その他と提携、東亜日報排斥運動
を駒場農科大学運動場に開催した
本会はキリスト教青年会と異名同体ともいうべく、その事務所を青年会館
内に置いている関係上会館の再築には最も意を注いでいる
集会場としては唯一の日華日鮮会館を利用する
・本会役員名称最近委員制に変更した
(ハ)朝鮮連合耶蘇教会
事務所(仮)市外千駄ヶ谷877金洛泳方
創立年月1906(明治39)年1月
現会員数150名
趣旨綱領基督教伝導
幹 部(牧師)呉基善
(委員)崔秉万、金洛泳、宋昌根、田栄澤
行 動●●基督教青年会および学友会を背景として行動し、事務所も従来同青年
会館内に置いているが、罹災後一時九段メソジスト教会において日曜礼
拝をしていたが、近時会館の焼跡仮小屋にて行うこととした
牧師呉基善が帰鮮して不在であるため行動すこぶる振るわず
(ニ)東京天道教青年会
事務所小石川区大塚坂下町190
創立年月1921(大正10)年2月
現会員数50名
趣旨綱領天道教宗旨宣伝ならびに教徒の親睦
幹 部(布徳部長)朴思稷
(幹議員)閔奭鉉、方定煥
行 動一昨秋会館建設を志し奔走したが京城中央院紊乱の余波を受け却って昨春
より経費を減額され宗理院の維持さえ困難となった
そのため自強会と称する労働宿泊所の経営によって収益すべく計画し、
当局の諒解の下にバラックおよび建築用材を無償公布を受けるべく運動
していたが成就はおぼつかない
(ホ)北星会
事務所一定せず
創立年月1922(大正11)年11月
現会員数50名
機関紙斥候隊
趣旨綱領共産主義を標榜する
幹 部卞煕瑢、金鐘範、白武、宋奉禹、朴衡秉、李憲、崔甲春、金若水
行 動震災後、白武、卞煕瑢、李憲、朴衡秉等相諮り、会勢挽回に努めたが
資金の欠乏および幹部の半数以上が帰鮮中
引き続き休止の状況にして寧(むし)ろ昨夏巡回講演団を組織、渡鮮
以来朝鮮内における行動に注意を要すべきものあり
(ヘ)黒友会
事務所ナシ
創立年月1922(大正11)年11月
現会員数30名
趣旨綱領無政府主義を標榜する
機関紙現社会。民衆運動
幹 部朴烈、金重漢、洪鎮祐、鄭泰成、李弼鉉
行 動客年(去年)9月朴烈一派の秘密結社事件検挙されてより全然行動ナシ
これより前、一時戦線同盟抹殺社等の日本人思想団体と接近の報が
あったが会自体に秩序なく且つ朴烈の専横なる態度が同志の反感を
買い、会勢しばらく不振の状態にある
(ト)東京朝鮮労働同盟会
事務所市外淀橋町角筈725
創立年月1922(大正11)年11月
現会員数60名
機関紙労働同盟
趣旨綱領労働者の救済および人格向上を図る
幹 部李憲、崔甲春、白武、孫奉元、李鈺、柳震杰、金天海、姜大鵾
行 動北星会の姉妹会とも見るべく必ずしも労働運動のみを目的とせず、あら
ゆる会合に参加し12年夏日華日鮮会館に主催大会を開き解散を命ぜ
られてよりにわかに気勢を加え、内鮮(日本と朝鮮)労働運動の結合を
志したが、震災のため頓挫した
本年1月突如機関紙「労働同盟」を発刊して再び台頭してきたが、最近
李憲は多く朝鮮に在り、白武もまた時々朝鮮と往復して代表と称して
朝鮮内における思想労働運動に接触している
メーデー当日、本会旗の下に20余名参加した
(チ)在日本朝鮮無産青年会
事務所市外淀橋町角筈725
創立年月1923(大正12)年6月
現会員ナシ
趣旨綱領ナシ
幹 部白武、李憲
行 動全然朝鮮労働同盟会の異名というべきもので、客年(去年)6月末白武、
崔甲春、李憲等数名が本会創立を声明し、当時鮮人刊行の雑誌にも
広告を出したが特定会員なく趣旨綱領のようなものもなし
要するに時としてその名を利用するのみ
(リ)苦学生同友会
事務所ナシ
創立年月1920(大正9)年11月
現会員数50名
趣旨綱領苦学生および労働者の相互扶助
幹 部朴烈、鄭泰成ほか数名
行 動本会は創立当時朴烈、金若水、白武、崔甲春、黄●禹、林澤竜等を
幹部として200名以上の会員を有したが、10年末分裂して相愛会、
蛍雪会を生むにおよんで漸次衰微状態を呈し、昨春純労働団体の
ように思える会名を利用してメーデーに参加したことを最後にさらに
行動なし
本会の前途は自然解散とみなすべきか
(ヌ)苦学生蛍雪会
事務所市外高田町雑司ヶ谷429日華日鮮会館内
創立年月1921(大正10)年12月
現会員数100名
機関紙自由生活
趣旨綱領苦学生、労働者相互扶助親睦
幹 部(会長)劉瑛泰
(幹事)李祥鉉、李寅幌、崔履夏、禹象汝、孫鐘珍、金聖敏
行 動苦学生団体として一時勢力あり
左傾行動にも出でたるが11年より宿舎建設を企画して以来、幹部の
動揺とあいまって漸次不振の情況となった
そして該宿舎は内外幾多の紛糾を重ねて一部の使用を許容され、
これが全権の獲否は一に全員の活動にまつのほかなしとし、昨夏
基金醸成のため朝鮮内を巡回、演劇を試みたが成績思わしからず
本団の帰京に先立ち震災あり且つ幹部に人物がおらず本年1月怱々
(あわただしく)善後策を協議したがなんら実行に至らず
現会員10名内外はほとんど労働に従事し、通学者3名のみ
(ル)女子学興会
事務所ナシ
創立年月1920(大正9)年1月
現会員数30名
趣旨綱領朝鮮女子の教育普及を図り相互の和親を旨とす
幹 部(会長)崔真相
(総務)朴命連
(幹事)韓連順、崔英相、金良
行 動大正4年に創設した女子親睦会の後身にして常に学友会と連繋を結び
行動してきたが、昨春劉英俊、黄信徳、韓小済相次いで脱退するに至り、
一時に(会勢は)挫折した
震災後まったく休止の情態となったが近時まれに金命連、崔真相等の
集会列席を見ることあり
・従来事務所を劉英俊の下宿としていたが当人の脱退により、事務所は
なくなった
【資料出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B03041602800:大正13年05月31日 外務省 「三/1 在京朝鮮人状況 1」

在日在鮮朝鮮人の不穏策動-新聞記事

関東大震災が起きた1923(大正12)年、あまりにも多くの朝鮮人が渡航してくるので先に日本に移民してきた朝鮮人が「朝鮮人の渡航反対運動を展開した」と書かれています。

日本在留朝鮮人も朝鮮人の日本渡航を不愉快に思っていたのです。


潮のように流れ込む鮮人の群 (一〜四)
大阪毎日新聞 1923.4.24-1923.4.27(大正12)

新聞記事潮のように1

(一) 三月には二万と七千人 長白山の月にそむいて内地へ内地へ 無責任な吹聴などに浮かされた人々 内地の鮮人も驚いて渡航差止運動

朝鮮人が盛にやって来る!汽車で梅田から汽船で川口から日毎々々に夥しい群れが束になって大阪へと流れ込んで来る、大阪ばかりじゃない、ただ内地へ!内地へ!とまるで金の生る木でもあるかのように白衣の人が玄海灘を渡る、釜山の埠頭で調べて見たら先月の如きは一日平均千人も内地へ渡航しているとは少々驚く、一日に千人だとすると一月三万人になる

「これはどうもチト素晴し過る」と内地人は驚いている、警察も寒心している、それよりも内地に土着している朝鮮人自らが頗る穏かでない「来ても駄目だぞ!首を縊る木はあっても金の生る木は一本も無い」と態々釜山まで禁札を立てに行く人、悪ブローカーを取締って呉れと当局へ運動する人、朝鮮人を保護せよ!と宣伝する人等俄に騒ぎが大きくなって来た、

大阪府の方面委員で朝鮮人問題の熱心な研究者である紀本氏の調べたところでは、本年一月の内地渡航者は九千九百八十人二月が七千二百十八人三月は一躍して二万七千五百六十五人となっているが爾来今日に至って日と共に其数が増して行くとの事である、

なるほどこれでは騒がないではいられまい、一体なぜ斯(こ)うも無暗矢鱈に朝鮮を空しうするまで滔々としてやって来るのか?それには大いに原因もあり理由もある、先ず昨年十二月の旅券廃止と鮮地の飢饉とはその近因で、その遠因に至ってはこれは大きな社会問題となる、抑(そもそ)も朝鮮には中流階級が無い少数のブルジョア多数のプロレタリアトトの二階級だ、云い換えれば少数の地主様と無数の小作人との二対立である、だから田舎の朝鮮人はその大部分が無財産の水呑百姓だ、従って一般の生活程度が内地に比べてお話にならないほど低い迚(とて)も丹波の山ン中と紐育との懸隔どころの度合じゃない彼等の住宅は申し合せたように土を重ねて藁で包んだ三畳半の掘立小屋だ、その建築費最上級で五十円併しそれが並や大抵の勤倹力行では儲けられないという家の内部は勿論土間でアンベラの一枚も敷いてあれば文化生活に属する部、温突を燃やすから夜具布団の類は要らない着のみ着のままのゴロ臥(ね)

その着物が上着下着ともで二円見当大切に被る人はそれで一生押し通す行屎にも走尿にも顔や手足は滅多に洗わぬ、食べ物にしたって粟と砕米と黍を混ぜた飯に味噌か菜葉漬の副食物は都会生活を摸た最上等の格、甚しきに至っては水と草(草だって六十幾種も食えるのがある)もっと手酷い連中は食土に木の芽を入れて食ってるという、泥の木の芽あえに至っては珍品過ぎて怖ろしくなる、

一日の生活費十銭から二、三十銭収入亦これに準じて五十銭も儲ける者働き手の方だ、この手合いに内地人の生活を見せれば食うや食わずのドン底生活も王候の富貴と羨ましかろうわずか五銭の素饂飩も大牢の滋味だ、それに内地から帰省する連中が「内地はいい処だ汽車、電車、飛行機、自動車、銀行、会社、活動写真、電気灯、瓦斯灯、イルミネーション、アーク灯の文華燦然よき衣着美しい人が右往左往に歓楽を追い唄い歩き踊り狂っている」ような無責任の宣伝をやる。

【出典】神戸大学新聞記事文庫:大阪毎日新聞(13-025)




赤化団の一味 東亜共産党員捕わる
弁当箱の中に拳銃を忍ばせ京城に潜入した不逞漢

大阪毎日新聞 1923.5.1(大正12)

新聞記事東亜共産党員京城1

李王家外戚李達鎔候爵家から不逞漢やピストル弾丸及び不穏文書を発見押収し其筋で秘密裏に活動中のことは既報したが三十日京畿道警察部では右事件に関し黄暾(二十五)外七名を拘束三名は不拘束のまま一件書類を京城地方法院検事局に送ると共に事件の内容につき左の如く発表した(京城来電)

黄暾及び金大先は大正八年制令違反で懲役六箇月に処せられたもので黄は大正四年実父夏淵と支那に走ったが大正九年夏淵が在間島不逞鮮人軍政署に加盟し討伐隊に射殺されてから益々憤慨し日本当局に反感を抱き本年一月莫斯科共産党に加盟せんと同地に赴く途中支那汪清県神仙頭に於て赤籏団長崔渓立に出遭い朝鮮赤化の急を説かれて同団に加入すると共に同団長からゴール式自動七連発拳銃並に弾丸数十発赤籏団警告文一通旅費として金六十円を受取り拳銃は柳製弁当箱の下に入れ油紙で覆うた上に飯を盛り風呂敷包みとして之を一人の老婆に持たせ豆満江を渡って三月十五日京城に潜入し昭格洞安明淳方に於て同志金大先外五名の同志を得共産主義宣伝に妨害を為す官吏富豪を暗殺し資金を募集し進んで爆弾を密輸して官省を破壊せんとの計画の下に東亜共産党の印章等を作り共産主義宣伝の警告文富豪に対する脅迫文同宣伝資金請求書等を印刷し時機の至るを待つうち黄暾、金大先両名は三月二十九日午後八時頃拳銃と前記印刷物を携帯し南大門通布木商柳在明方に進入し東亜共産党宣伝費として六七千円を強奪し更に不良学生と団結し所期の目的を達せんと計画中四月二十日京畿道刑事課の手に逮捕されたもので団員全部は中等学校以上の教育を受け極端な俳日主義を有しているものである

【出典】神戸大学新聞記事文庫:大阪毎日新聞(6-002)


事大朝鮮人の共産運動はその特質として在朝鮮同胞やソ連、中国、アメリカと連繋していたことが挙げられます。

それら朝鮮人と連合国の橋渡し役だったのが在日在鮮のキリスト教団体と宣教師でした。

こういう朝鮮人の不穏策動は連日のように新聞報道されていたので、関東大震災で日本人が自警団を組織するのは当然のことですね。


厳重なる警戒網に不逞鮮人の陰謀成らず
咸鏡北道方面に於ける不逞鮮人の陰謀事件発表さる

大正日日新聞 1920.5.1(大正9)

新聞記事不逞鮮人の陰謀成らず1

朝鮮総督府警務課では二十八日朝咸鏡北道穏城地方の国境外に不逞鮮人団襲来の状況を公表した全文左の通りである

警務局発表不逞鮮人は兼て国境武力侵取の計画あり彼等は豆満江の結氷に乗じて三月十五日から同二十七日に至る十数日の間二百名内外又は数十名の集団に分れて夜陰に乗じて前後数回に温城軍内に襲来したが該方面一帯の警戒頗る厳重である為め容易に目的を達するを得ず其の後襲再び来する事はなかった西間島より北間島に亘る不逞鮮人の鮮地侵入計画は彼等の間に於ける久しき間の揚言で、彼等は時々之を揚言して其の一味の存在を表明する手段を執り表面機を見て計画を実行するが如く装い尚美名にかりて其実暴行脅迫等で生活を維持し居た

(中略)

偶浦塩(ウラジオストク)過激派(ボルシェビキ)より売られた武器を以て愈(いよいよ)朝鮮内に侵入する事とした然るに彼等の揚言の武力侵入は其後容易に実現せられ三月に入り豆満江の解氷は二旬後の眼前に迫った十日頃に繁山対岸地方に不逞鮮人の蠢動を見たが我警備の厳密な為め終に侵入する能わず止むなく温城対岸方面に転出し多く夜は闇に乗じて数回に渉り沿岸の村落に潜入した、三月十五日午後九時頃武装せる約二百の不逞鮮人団豊里洞臨時警察官駐在所の附近に進入し同駐在所に向って発砲したから予て警戒中の内鮮人四名の巡査は一面鮮人夜警員二名に命じて急に隣接警察官署に報じ同時に同駐在所後方の丘に上りて彼等の交戦約一時間にて対岸に撃退した其時夜警委員の一名不幸にも敵弾に当って殪れた(京城来電)

【出典】神戸大学新聞記事文庫:大正日日新聞(3-017)



不逞鮮人の陰謀 (一〜三)
男女の秘密結社大韓独立青年外交団と大韓独立愛国婦人会
ついに其本拠は根底より覆さる

満州日日新聞 1919.12.22-1919.12.25(大正8)

新聞記事不逞鮮人秘密結社1

(一)
慶尚北道第三部は去る十一月上旬大邱府内の耶蘇教婦人中愛国婦人会の名義を以て密かに朝鮮独立資金と称し金員を募集し居るものあるを探知し秘密裏に調査の歩を進めたるに本年四月以来各道の不逞鮮婦人を以て愛国婦人会も称する一種の秘密結社を設け根拠を京城に各道には支部を置きて暗中飛躍を為し独立運動に奔走し一方には之れも相関連して不逞鮮人男子の組織せる青年外交団と称する秘密結社あり之亦京城に根拠を置き各地に支部を設けて独立運動をなし居れりとの事判明したるを以て益関係者の物色と証拠物件の所在を苦心厳探したる結果蓮建洞李炳奎なる耶蘇教徒の家宅捜査を行い土中深く鍋内に埋蔵しある有力なる証拠物件秘密文書の多数を発見押収し之に依って略ぼ秘密結社の内情を確むるを得たるより同月二十七日更に高等警察課長以下多数の部員は変装京城に来り警務局の指揮の下に関係各道の第三部と相呼応じて二十八日未明を期し愈々前期秘密結社の壊滅不逞団逮捕の行動を開始し二十九日までに青年外交団総務其の他の幹部以下八名愛国婦人会会長支部長其他二十数名を逮捕して大邸に護送し引継ぎ未逮捕者の検挙を続行したり

此(こ)の両秘密結社は他事件とも干係あり事態極めて続行せるのみならず青年団員の如き幹部中既に最近上海地方に不断の連絡をとるべく派遣せられたるもの其他尚十数名の関係者あり婦人会の会員の如きを合すれば約二千名と称するも検挙は特にその幹部に限り雑輩に及ばさざるも這回の検挙は確実に彼等の秘密結社を根底より破壊したるものにして事件は慶北第三部に於て厳密取調の上去十一日大邱地方法院検事局に送致したるが今回既に逮捕されたる青年外交団の有力なる関係者は如左(左の如く)

秉哲事
(首魁、総務 無職 李秉徹(二一)
総務 農 安在鴻(二九)
外交部長 事務員 金演祐(二六)
団員 無職 邸泰栄(三四)
上海支部長 僧侶 宋世浩 (三〇)
大田支部長 李鍋承 (三〇)
忠州支部長農 尹宇栄(四二)
関係者 元医師 測量師 安佑容(三九)
同 精米所 雇人 李炳奎(三三)
同 銀房雇人 李炳浩(二八)
公寧支部長 羅泰資格()

(二)
排日の巨魁廷秉呉思えらく内外相呼応して独立運動に従事せむとせば相当なる人物を拉致せざる可らずとし其最も適任者として同人が曾て鐘路基督教青年会館に出入中師事したることある安在鴻を動かすの意あり

八月上旬同志と共に京城府花洞百三十八番地柳瑾方に在宿する安在鴻を訪い言葉を尽して本国の統率を依嘱せり安在鴻は明治四十一年京城鐘路基督教青年会館内中学部に入学三ヶ年修行の後笈を負うて東京早稲田大学政治科に入学せしものなるが留学中は在京留学生間に於て組織する学友会の会長たりしことあり

熱心なる耶蘇教信者にして不穏思想を抱持し性狡橘弁才あり留学生間各種の集会に列席し不穏の言動に出でつつありしものなり大正三年七月同校を卒業帰鮮するや一時京城鐘路基督教青年会館に寄寓し教育部の副幹事たり

陰に陽に青年部耶蘇教徒の不穏思想を助長したること少からず晩近郷里にありて時勢を観望しつつありしが騒擾事件発生以来平素意気相投ぜる崔南善(明治大学卒業)は孫秉燕以下三十三名の署名に係る独立宣言書を起草して拘禁せらるるあり

【出典】神戸大学新聞記事文庫:満州日日新聞(17-065)



【写真出典】
1925(大正14)年 警視庁 「大正大震火災誌」
1926(大正15)年 内務省社会局編 「大正震災志写真帖」

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