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2016/08/25

韓国のコレラ大流行の歴史


韓国でコレラが発生したそうですが、日本のテレビ局はまったく報道しません。
コレラは感染拡大が早く死亡率の高い伝染病です。

日本人が感染すれば、まちがいなく病状は重くなるでしょう。

なぜなら、赤痢に耐性がある朝鮮人がコレラでは死亡するからです。

こういった韓国のコレラ発生は決して単発ではなく、古くは西暦1400年代(李氏朝鮮成宗王の時代)にコレラ大流行の記録が見られ、以来大流行を繰り返してきました。

そして戦前は、コレラの発生源は中国上海だとされていました。


朝鮮におけるコレラ大流行 李氏朝鮮時代から近代まで↓↓↓
【李氏朝鮮時代】

・成宗王(在位1469年~1494年)
・中宗王(在位1506年~1544年)
・正祖王(在位1776年~1800年)→37万979人が死亡


【日韓併合時代】

・1919(大正8)年…患者16,915人、死者11533人、保菌者1070人
・1919(大正9)年…患者24,229人、死者13,568人、保菌者3,765人

国立感染症研究所のサイトによると、「法による入院の勧告は、無症状のものは対象とならない」ですってw


【日本敗戦直後 1946(昭和21)年】

・5月15日
上海から釜山に上陸した朝鮮人のコレラ患者が仁川で死亡

・同月20日
釜山で40名感染(うち13名死亡)、大田で4名感染(うち2名死亡)、仁川1名死亡

・同月30日
コレラ患者が100名にのぼり、京城(現ソウル)でも3名が発病。日本人引揚げが延期になる。

・同月30日(日本国内)
朝鮮に送還した元在日朝鮮人が西日本に密航してくるので、GHQが日本政府に密入国者取締強化を指令。逮捕された密入国朝鮮人は隔離され、連合軍事裁判にかけられて、朝鮮に強制送還された

・6月14日
朝鮮の群山発~博多着の引揚船Q27内でコレラ患者1名発生。また引揚船Q52でもコレラが発生したため、厚生省が朝鮮を「コレラ」流行地に指定

・6月15日
上海より佐世保入港の引揚船VH5にてコレラ患者が続発、15日までに14名の患者が発生



戦前、コレラの発生源とされた中国上海と朝鮮は、地図で見るとけっこう近い距離にあります。上海でコレラに感染した朝鮮人が帰鮮して爆発的にコレラが流行するパターンだったそうです↓↓↓
上海朝鮮地図1


戦前上海は「魔都(まと)上海」と呼ばれた不潔な都市で、名物は物乞い、有名なものは人の死体が浮いている上海クリークでした↓↓↓
上海朝鮮地図2
【写真注釈】世界の魔都上海。競馬、賭博、阿片(アヘン)、殺人ギャング、女、インチキ、エロ、グロ、テロ、等々有(あら)ゆる近代的感覚と、東洋的な妖気が混沌として渦巻き人口三百万の国際都市上海は、今や其の怪奇な全貌は砲煙弾雨一大修羅場と化した。写真は世界の動悸を高めた大上海の表玄関上海バンド。


上海呉淞の砲台で万歳を叫ぶ日本軍↓↓↓
上海朝鮮地図3

【コレラ菌】
経口感染し潜伏期間は1日、白いカユ状の激しい下痢と嘔吐に見舞われ、下痢の量は体重の2倍に達する場合もあるという。コレラ菌1

【日中韓外相会議】
岸田外務大臣、韓国外相と手をつないじゃいました。食事会も開いたそうで。朝鮮人にはコレラ保菌者がいたので「強制連行」なんかしていませんが?

21世紀になってもコレラを根絶できない韓国


韓国でコレラ、15年ぶりの検出 - Sputnik 日本
2016年8月23日

韓国では15年ぶりにコレラ菌が検出された。23日、聨合通信が同国の感染防止管理センターの発表を引用して報じた。

コレラが発見されたのは59歳の男性。男性は海外渡航歴がないことから、感染源は韓国国内であることがわかった。

聨合通信の報道によれば、コレラの検出が確定されたのは8月22日。患者はすでに回復しており、近々退院の予定。

韓国でコレラ患者が発生したのは2001年。当時、162人が感染下が、海外渡航者を除いてはこの15年間に国内の感染源による流行はない。

現在、韓国ではコレラの感染源の特定作業が行われている。男性は輸入食品を口にしたか可能性が疑われているほか、男性が立ち寄った食堂が調べられている。


朝鮮のコレラ大流行の資料

李氏朝鮮~日韓併合時代

1919(大正8)年といえば朝鮮で三・一独立万歳騒擾事件が起きた年です。この騒擾は60日間にもおよび、朝鮮人は手に手に刃物や凶器をにぎって在鮮日本人を襲撃しました。

そしてコレラが大流行。

三・一以降朝鮮人は「在鮮日本人とは一切断交、愛せよ鮮産」という運動をやっていたので、コレラに感染しても日本人の医師にはかからず、例の巫女による祈祷や民間療法に走って、感染を拡大させたのでしょうね。

「鮮産」といっても、ほとんど日本人が生産したものだったと思いますけどね。

グータラ朝鮮人↓↓↓
強制連行 朝鮮人昼寝1

しかし、戦前から朝鮮人に優しい日本政府は、この年から翌年までのコレラ大流行期間中、当時の金額で372万円という巨費を投じて、朝鮮人コレラ患者を救済、治療しました。

日本政府がこういうことをするから朝鮮人が「日本人を襲撃すれば日本政府から大切にされる」と学習してしまうのです。

自国民を虐殺した異民族に優しくする政府って、日本政府ぐらいじゃないですか?

撤去しない慰安婦像と日本国民の血税10億円を韓国に拠出、と同じ構図ですね。


出典:1933(昭和8)-1935(昭和10)年 朝鮮総督府編 「朝鮮事情 昭和10年版」 第八節 伝染病予防



(一)コレラ

流行の歴史はきわめて古く、李朝に入っても、大小の流行を継続し、なかんずく成宗・中宗・正祖の朝等にはほとんど全域にわたる流行を引き起し、正祖朝の死亡者のみでも37万979人を出した。

【コレラが流行した王朝】
成宗…在位1469年~1494年(旧暦1495年)
中宗…在位1506年~1544年
正祖…在位1776年~1800年

李朝系図_コレラが流行した王朝

併合後においても昭和八年までの二十三年間において十五年間にわたってコレラ患者が発生し、その総数4万4211人、死者2万7060人を出したが、なかんずく大正八年(管理人注:三・一独立万歳騒擾事件が発生した年)の患者は1万6915人、死者1万1533人、保菌者1070人、同九年には患者2万4229人、死者1万3568人、保菌者3765人を出し、この両年度において費やした国費(府面〔管理人注:日本の町村のようなもの〕費に対する補助を含む)372万余円もの多額に達した。

朝鮮に侵入するコレラは主としてその発生源を上海地方に発し、一経路は日本国内諸港、他の一経路は南満洲を経て侵入するものである。

そのため朝鮮総督府では例年コレラ患者が上海に発生した時を第一期として沿海地方および国境地方民に対し予防注射を実施するとともに、海港検疫の厳行に努めつつある。

【沿海地方および南満洲地図】
満州地図_南満州


しかし、支那および満洲の衛生状況は容易に知りがたく、しかも日本・朝鮮・満洲・支那間においては下級船舶の交通が頻繁であり、さらに北方一帯は国境に接しているので警戒線の間隙に乗じて不慮の侵入をこうむる状況にある。

コレラは一度侵入すると、衛生施設の不完全および民衆衛生思想の欠如によってたちまち流行が増大するので、朝鮮総督府では大正十年コレラ予防宣伝のための映画を作成し、朝鮮各道に配付するとともに、海外におけるコレラ状況の周知に努め、一般民の警戒心を喚起するなど、深甚なる考慮を払いつつある。



朝鮮におけるコレラ患者数及死者数:朝鮮総督府調
1911(明治44)年~1938(昭和13)年まで

朝鮮人口は在鮮日本人口の約10倍でしたが、朝鮮人のコレラ感染率は高すぎません?

実     数
患  者死  者
日本人朝鮮人外国人日本人朝鮮人外国人
1911
明治44
4--42--2
1912
明治45
大正元
5072-1223146-77
1913
大正2
-1-1-1-1
1914
大正3
--------
1915
大正4
-1-1-1-1
1916
大正5
3841,68022,0662301,02211,253
1917
大正6
-----1-1
1918
大正7
--------
1919
大正8
27216,6172616,91517911,3391511,533
1920
大正9
17824,045624,22911013,453513,568
1921
大正10
-1-1-1-1
1922
大正11
138140121123
1923
大正12
--------
1924
大正13
--------
1925
大正14
-6-6-5-5
1926
大正15
昭和元
324812523156-159
1927
昭和2
--------
1928
昭和3
--------
1929
昭和4
-18-18-15-15
1930
昭和5
--------
1931
昭和6
--------
1932
昭和7
367-70236-38
1933
昭和8
--------
1934
昭和9
--------
1935
昭和10
--------
1936
昭和11
--------
1937
昭和12
1--11--1
1938
昭和13
-50-50-32-32
合 計89642,8443643,77655926,1292226,710
【出典】1941(昭和16)年4月 朝鮮総督府警務局 「朝鮮防疫統計 昭和14年」

日本敗戦後の朝鮮コレラ大流行の記録:朝鮮引揚者の手記


出典:1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録大東亜戦史 朝鮮篇」 元京城(現ソウル)日本人世話会 森田芳夫 「脱出-朝鮮引揚史 その五-」



 南鮮にコレラ発生

 五月十五日に上海から釜山に上陸した朝鮮人のコレラ患者が仁川で死亡してから、南鮮にコレラがひろがった。

二十日には釜山に四十名(内十三名死亡)、大田に四名(内二名死亡)、仁川に一名(死亡)と発表され、軍政庁は直ちにコレラ防疫本部をもうけて本格的活動をはじめた。三十日には患者は百名になり、京城にも三名発病している。

 軍政庁ではこのとき日本人脱出に関連して三つの措置をとった。

 第一に、釜山の港を閉鎖し、その代りに群山と仁川を引揚港とした。

(中略)

 六月四日から十一日までに、三隻の引揚船で四千四百名が引き揚げていった。その内、六月十二日出航した引揚船Q027はその中から二十一名のコレラ患者が発生したため、博多に上陸できず、九州の南端をまわって、浦賀に入港している。


朝鮮人自称元従軍慰安婦の証言と一致する資料は一つもありませんが、

証言とはふつう記録と一致するものです。上記の朝鮮引揚者の手記と日本政府のコレラ関係資料は一致します↓↓↓

GHQから日本政府への指令
「在日朝鮮人は仁川、群山に送還しろ。釜山はコレラ流行のため使用するな」


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C15010113600:終連報丙第235号 昭和21年6月11日 渉外課 GHQとの連絡 6月5日付



昭和二十一年六月十一日(火) 渉外課

GHQトノ連絡 六月五日付

一、朝鮮人送還及送還計画に従わずして帰還特権を喪失せるものとして日本政府に於て『チェック』せるものの数を毎月報告方指令すべきに付準備せられ度(た)し 毎月十日に其の前月の分を報告する様指令すべし

朝鮮向船は仁川及群山に向け就航を再開すべし、釜山は「コレラ」の為使用せず

目下博多に集結せる鮮人は一五〇〇位なり

終連報コレラ1



昭和21年6月17日 厚生省
「Q27にコレラ発生、朝鮮をコレラ流行地として指定した」


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C15010114500:終連報丙第244号 昭和21年6月18日 総務課 各省連絡事項(6月17日)



情報 普通配布
各省連絡事項(六月十七日)

一、厚生省

上海より佐世保入港のVH5に「コレラ」続発 土曜日(十五日)迄に、十四名。

群山より博多着のQ27に六月十四日「コレラ」一名発生 又Q52に「コレラ」発生 由って朝鮮を「コレラ」流行地として指定せり

終連報コレラQO271


GHQから日本政府への指令
「コレラが流行している朝鮮からの密航上陸者は逮捕、隔離せよ。その後の措置は占領軍事裁判で裁判し、朝鮮に強制送還する」


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C15010112200:終連報丙第221号 昭和21年5月31日 渉外課 GHQとの連絡 5月30日附



昭和二十一年五月三十一日(金) 渉外課

GHQとの連絡 五月三十日附

二、日本の西部の港に密航して渡来するものある処(ところ)右は朝鮮に「コレラ」流行して居る際検疫の方法なく危険なるを以て数日中に日本政府に対し取締を強化し密航上陸者は之(これ)を逮捕隔離し置く様指令すべきに付予(あらかじ)め手配あり度(た)し、其の後の措置は占領軍事裁判廷に於て裁判することと致し度く研究中、朝鮮人ならば強制送還することとなるべし 

終連報コレラ2


上海の物乞い


出典:1925(大正14)年 東京宝文館 田子静江 「愛児のために欧米を訪ねて」



 乞食の多い城内瞥見

 城内見物を思い立って、友人の御良人(夫)をわずらわして案内を願った。

城内というのは支那人だけの町である。其処(そこ)には秩序もなく、規律もなく、 商店はゴチャゴチャと並んでいる。そして沢山(たくさん)の人々がウヨウヨと歩いて居る。

何事をしているのか、何事をしようとしているのか、大概の人は煙草をのんだり物を食べたりしている、商店では、うるさく品物を買うことを勧める。

乞食は山のようにいる、人の行く先を遮っては、金をねだる、神様に御さいせんをあげた序(つい)でに一人の乞食に十銭やると、数十人の乞食は一度に集まって来る。四面攻撃を受けて歩くことさえ出来ない。

昔有名であったとか云(い)う池も、今は濁った溝(どぶ)に過ぎない。水の色さえなく青いカララがかかって、其の中に食べ残しの食物、果物の皮などが捨てられてある。

年頃十一、二とも思われる二人の少女が泥にまみれて、赤ちゃけた髪、やせて艶のない青黒い顔をして、私共一行の前方を遮っては、地面に頭をすりつけて、金をねだる。



捏造従軍慰安婦に10億円支払う日本政府へ
日本軍人心得「朝鮮人との接触を一切禁止する」【現代語訳】


出典:1916(大正5)年 厚生堂 鴨江生 「朝鮮の研究:軍人必読 附・朝鮮赴任者心得」



 第二節 行軍宿営間の注意

一 朝鮮上陸後、行軍の間、毎朝出発の際は必ず水筒の充填を忘れてはならない

二 守備地までの行軍途中宿泊を要する場合には先発者を出し、途中における湯茶の供給ならびに宿営の設備をさせることを要す

三 宿営を選定するにはまず地方官憲と交渉して伝染病の有無その他一般衛生上を顧慮することを要す

四 朝鮮人家屋に宿泊する場合はなるべく舎内外の大掃除を行い、ことに障子、壁のすき間などから臭虫類が進出するので特に注意して掃除し、あるいは紙片を貼ってその進出を防ぎ、絶対に朝鮮人との交通を遮断すること

(五 省略)

六 便所は朝鮮人との混用を避け別に急造することを要す

(七、八省略)

九 朝鮮人の食器は厳に使用してはならない

(十、十一省略)

十二 行軍宿営中、下痢もしくは熱のある者その他身体に異常を呈する者はすみやかに付近部隊付軍医あるいは地方医師の診断を受けることを要す(後略)




いまのところ、厚生労働省も外務省も韓国のコレラについて何の勧告も出していません。

また「差別」だの「面倒」だのという理由で、日本国民を伝染病の危機にさらすのでしょうかね?

厚生労働省新着情報1

外務省大韓民国危険情報1


【地図写真出典】
1932(昭和7)年 省文社 省文社編集部編 「満洲・上海事変写真帖」

【李朝系図出典】
1906(明治39)年 水野書店 村田稔亮 「新編東洋史〔本編〕」
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