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2016/08/14

中国軍の遺棄死体をカウントした日本軍【グロなし】


稲田朋美新防衛大臣の着任にともない、中共サマが今年もまた「日本の国会議員は靖国神社参拝に行くな!」と内政干渉しています。

その中共サマですが、シナ事変中は日本軍と抗戦したあと、自軍の兵の死体を置き去りにして逃亡していました。

日本軍は中共が捨てて行った敵兵の死体の数を数え、記録し、埋葬して、戦場の清掃までして、それから移動していました。

中共が捨てて行った兵の死体の数は1939(昭和14)年9月中だけで13,887体、1940(昭和15)年は第百十師団参謀部の記録だけで216,039体、1941(昭和16)年は同じく第百十師団参謀部の記録で116,528体にものぼっています。

その2年間の死体数を合算すると332,567体ですので、8年間におよんだシナ事変だと単純に4倍して1,330,238体となり、

中共サマは約133万体の兵の死体を捨てて逃げた

ことになります。

共産主義国にとって大切なものの順番は、党>国>人民ですが、そういう人の命を大切にしない連中に

靖国神社に参拝するな!

と指図される覚えは、日本にはありません。


【昭和14年9月中における北支那方面軍総合戦果(戦時月報による)】
交戦回数
交戦した
敵側兵力
敵の損害わが損害
遺棄死体俘虜戦死戦傷
駐蒙軍615,63952444164
第一軍36571,1654,075674194196
第十二軍44785,2285,345394105201
直轄第十四師団4518,600476523797
第三十五師団13417,564447291644
第百十師団22537,8432,142373
(774)
90167
第二十七師団16919,891677126625
独立混成
第十五旅団
447,400201101015
1,265263,33013,8871,7044621,061
備   考( )内の数字は帰順兵の数を示す
【出典】1968(昭和43)年 朝雲新聞社 防衛庁防衛研修所戦史室 「戦史叢書 北支の治安戦〈1〉」


【総合戦果一覧表(第百十師団参謀部 昭和17.3.20)】
区   分北支那方面軍第百十師団
昭和15年昭和16年昭和15年昭和16年
交戦回数総 計20,75217,1985,1375,886
一カ月1,7291,433428490
一 日57461316
遺棄死体総 計189,83398,31826,20618,210
一カ月15,8198,1932,1831,515
一 日5213697149
わが損害戦死総 計5,4362,352758495
一カ月4531966341
一 日15.16.521.3
戦傷総 計12,2795,0011,5581,251
一カ月1,023416129104
一 日341994.33
敵の襲撃回数総 計--114662
一カ月--954
一 日--3日1回1.8
【出典】1968(昭和43)年 朝雲新聞社 防衛庁防衛研修所戦史室 「戦史叢書 北支の治安戦〈1〉」


こういう数字をあげると、

その約133万人の中国人を殺したのは日本軍だ!!

という赤い声が聞こえてきそうですが、殺したのは日本軍ではなく、山東省の山賊ふぜいだったくせに言うことは立派だった中共と国民党です。

日本の極左野党は「戦争になったら子供が兵隊にとられるのです!!」などと力説していますが、中国ではそこらへんにいる農民を戦場まで強制連行して、


こういうハダカ同然の農民↓↓↓
20150523_nouminhei.jpg

鎖で木や杭につないで小銃を渡して「死にたくなかったら撃てっ!」と命令して、自分らは逃亡していたのですよ?

5分前には農民だったのに、5分後には兵隊ですよ? なんの訓練もなしに。

管理人の伯父たちや義父は中国に出征しましたが、こういう中国軍の残虐さを何度も見たそうです。

戦いながらも本当に胸がつぶれる思いがしたそうです。

その胸がつぶれる思いをしながら中国軍の農民兵と戦い、農民兵の死体の数を数え葬った、その日本兵が眠る場所が靖国神社なのです。

国防部だってw人民の命を犠牲にして生きのびた中共サマがwww


国防部、日本軍の「殺人競争」には動かぬ証拠がある
2016念8月8日 人民網日本語版

 国防部(国防省)報道局は公式微博(ウェイボー)で、日本の稲田朋美新防衛大臣が記者会見で南京大虐殺事件について、「百人斬り」の存在を否定したと報じた。

 これについて、中国国防部は「日本は第2次大戦時に驚くべき『南京大虐殺』を行ない、人間性のない『殺人競争』を行なった。これには動かぬ証拠があり、疑いの余地はない。日本側が歴史を改竄すれば、歴史の覆轍を踏むだけであり、歴史を否認すれば、中日関係に未来はない」と表明した。

【記者】日本メディアによると、日本の稲田新防衛大臣は4日メディア複数の取材に応じた。南京大虐殺事件について、彼女は「百人斬り」(殺人競争)があったとは思わないと表明した。これについて中国国防部のコメントは。

【国防部】日本の稲田新防衛大臣の発言には強い憤りを覚える。70数年前、日本軍は第2次大戦時に驚くべき「南京大虐殺」を行ない、人間性のない「殺人競争」を行なった。これには動かぬ証拠があり、疑いの余地はない。日本の防衛大臣が歴史を顧みず、こうした事実を公然と否認したのは、侵略の歴史を美化し、国際秩序に挑戦し、「軍国主義」の霊魂を呼び戻すものに他ならない。「歴史を鑑として、未来が分かる」。われわれは指摘しなければならない。歴史を直視することが、歴史問題解決の基礎だ。歴史を改竄すれば、歴史の覆轍を踏むだけだ。歴史を否認すれば、中日関係に未来はない。(編集NA)

「人民網日本語版」2016年8月8日

中共や国民党に家や夫を奪われた中国人民と日本軍
食糧配給↓↓↓
日本軍中国食糧配給1

中国人民に医療を施す日本軍↓↓↓
日本軍中国宣撫班施療1


宣撫班(せんぶはん)とは武器を持たない、丸腰の日本兵で、本隊よりも先に目的地に到着して危機に瀕した中国人民に食をとらせ、家を建てつつ、反共宣伝を行っていた部隊のことです。

【宣撫班の任務】

senbu_han.jpg

【従軍宣撫】
・帰来勧告 (南京に中国人民がもどってきた理由)
治安維持会の組織指導 (共産党の侵入を防ぐため)
・諸情報の収集
対敵宣伝 (共産主義は悪だと宣伝する)
・人夫、馬車、物資の調達、宿舎斡旋
・兵器、弾薬、薬莢(やっきょう) の収集
・清掃工作 - 戦場清掃、抗日物件 (天皇陛下を侮辱するもの等)の抹消、親日物件の展示
・軍協力工作 - 国共両党組織体の潰滅、兵站線保護



その他の中共の遺棄死体に関する資料

日本軍は共産党の思想侵略と容共連合国の経済・領土侵略と戦いました。


出典:1968(昭和43)年 朝雲新聞社 防衛庁防衛研修所戦史室 「戦史叢書 北支の治安戦〈1〉」 第四章 昭和十六年度の治安戦



 作戦経過の概要

 本作戦は関東軍特別演習(七月上旬から行われた大規模な関東軍の動員集中行動の秘匿名称、略して「関特演」という)の影響を受け、方面軍の年度計画による予定よりも約一カ月遅れて、八月中旬に発起されることとなり、方面軍は八月初め、情報主任参謀の会同を実施するとともに、既に示達済みの作戦計画により本格的な作戦準備を開始した。

(中略)

作戦第一期(八月十四日~九月四日)

一 第一次作戦(八月十四日~二十一日)

 この作戦において、冀中軍区司令呂正操は便衣に着替えて部下数名を伴い、南方に逃走し、第一〇軍分区司令朱占魁も、十五日、水上部隊の一部がその本拠大保鎮(安平西方一六キロ)を占領する直前、西方に逃れ、第一八、第一九の両団長は負傷したことが判明した。

冀中南部地区掃蕩作戦の戦果は次のとおりである。

 中共軍死体 五七〇、同俘虜 一七

 鹵獲品  迫撃砲二、自動小銃二、小銃三〇〇、拳銃五一 手榴弾 一,二九〇 地雷二五、そのほか被服、軍需品等多数

【中共軍の手榴弾製造所】
chukyo_shuryudan.jpg


二 第二次作戦(冀西地区への進攻、八月二十三日~九月四日)

(中略)

 八月三十一日までに判明した中間総合戦果は次のとおりで、中共側に与えた人的損害はまだ多くない。

 中共軍死体 九五 俘虜 四五三

 鹵獲品 山砲二、追撃砲一、重機七、軽機一三、小銃四五〇、その他多数の軍需品

 覆滅した施設 陳家院の辺区司令部、第一~第四各軍分区司令部、兵舎一〇、軍需品倉庫一七、兵器弾薬製造所九、火薬庫七 


政治及び宣伝報道工作

 旅団は、作戦に膚接して行なう政治工作に関しては、昭和十六年八月三日発令の独混四旅作命甲第一二七号別冊において、詳細に計画し準備した。

特に、政治工作班の活動に期待し、作戦に参加する各支隊ごとに編成訓練をさせたほか、旅団においても、日、中双方の厳選した人員に対し、各支隊政治工作班基幹要員として周到な特別訓練を施し、八月十一日、各支隊に配属した。

(中略)

 今回、日本軍が作戦を開始した晋察冀辺区は、北支に存在する抗日根拠中、その歴史と赤色諸工作の進展等から見て、最も有力なものであり、北支治安の癌をなしていたのである。

本年初夏以来、日本軍は冀東作戦及び冀中作戦において各所に敵軍を撃破捕捉し、第一三団長陳群を捕虜とし、第十軍分区司令朱占魁を負傷せしめた。

このほか、多大の戦果をあげ、敵の軍事的抗戦力を徹底的に破砕したばかりでなく、新中国行政機関、県警備隊、郷村自衛団等の自主的協力により、該地区に浸潤した赤色勢力を剔抉(てっけつ:えぐってほじくりだすこと。悪事などをあばき出すこと)して剿(掃)共の実をあげ、治安の拡大をもたらしたものである。 

【捕えられた八路軍工作員を訊問する県警備隊】
訊問しているのは満服を着た中国人(満州人)
中国県警備隊1


 特に七月七日から開始された第二次治安強化運動は、その展開以来華北当局の指導よろしきを得て着々実効を収めつつある。

殊に接敵地区にあっては、対共自衛組織を強化し県警備隊その他武装団体をもって、諸所に散在する共匪(共産匪賊。中国共産党、中共や国民党に金で飼われていた極左朝鮮人、満州人のこと)の討伐を敢行し、省長、県長等が討伐の陣頭に立ち、剿共に挺身しつつあるのは、かつて前例を見ないものである。

【華北当局とは中華民国維新政府のこと】
南京大虐殺中華民国維新政府


本作戦の成果

 本作戦の総合戦果は、第百十師団の場合、作戦途中の十月二十七日現在では次のとおりであった。

 敵の損害 遺屍(遺棄死体) 五,六一六
      俘虜       三,七六九

 主要鹵獲品 追撃砲七、重機一四、軽機五四、自動小銃一〇三、洋砲七八四、小銃二,四一三、同弾薬一一六,七七七、拳銃四四四、銃剣三,七〇七、手榴弾一四四,五〇四

 わが損害 戦死八四、負傷二二四

 この数字は対共粛正作戦の戦果としては相当大きなものである。



アジア歴史資料センターでも[遺棄死体]で検索すると、たくさん資料がヒットします。


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C06040954500:陸軍省 「10月15日 中央軍報告の捕虜、遺棄死体数 満洲軍総司令部」



中央軍前面ニ遺棄セル敵ノ死体ハ総計二千五百ニ達スル見込ナリト 各軍ニテ今迄ニ調査シ得タル敵ノ遺棄セル死体ハ総計八千五百五十人ニ達セリ 

遺棄死体中国1



【資料出典】
1939(昭和14)念 軍事思想普及会 陸軍省情報部、海軍省軍事普及部編 「靖国の絵巻」
アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A06031084300:昭和17年11月25日 内閣情報局 「写真週報 248号」


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