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2016/08/12

「人間宣言」に見るマスコミの勅語工作


昭和21(1946)年元旦の詔書は「昭和天皇の人間宣言」だと言われていますが、これはマスコミによる勅語工作です。

昭和天皇は人間宣言などなさっておられません。

先日の今上天皇のお言葉と同じで、「人間」や「宣言」という言葉は一つも入っていないにもかかわらず、マスコミが「天皇の人間宣言」として大々的に報道しただけです。

ではマスコミはどんな理屈で「人間宣言」ではない詔書を「人間宣言」だと報道したのでしょうか?

それは日本古来の詔(みことのり)の読み方をすっ飛ばして、"信教の自由"を掲げるGHQの神道弾圧に加担したからです。


【もとより「人間」であらせられた昭和天皇】
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もとより戦前日本人の天皇観は戦後日本人よりもまっとうで、

天皇は天照大神の御血統と精神を現承された尊い人

と認識していました。今とちがってごく普通に「天皇は天照大神の御子孫」と語られ、教育されていたからです。

日本人にとっての「神」は天皇ではなく天照大神でした。

なので「元旦の詔書」は、昭和天皇が日本人にとってごく当たり前のことを、ごく当たり前に述べられただけのことでした。

そしてGHQが期待したほどのセンセーションも起りませんでした。

鬼の首をとったように勢いづいたのは砂上の楼閣に住んでいるサヨクだけです。

にもかかわらず、GHQは

日本の世界侵略の根源は神である天皇を奉ずる日本人の思い上がりにあった

と既成事実化したかったので「元旦の詔書」を「天皇の人間宣言」として、世界に向け宣伝させたのです。

「そうする方が世界から見た印象もよくなるよ」

という建前で、戦勝国として横柄に振る舞い、鬼畜のような要求を日本に突きつけながら

安土桃山時代から宣教師を送りこんでいるのに中国人や朝鮮人のようにキリスト教に改宗しないイマイマしい日本人、

少しも白人を崇拝しない日本人、

が尊崇する天皇を「神格」から引きずり下ろしたのです。
日本古来の詔(みことのり)の読み方とは

昭和天皇の侍従だった木下道雄氏によると、古来から現御神や現神(どちらもアキツミカミと読む)の下に必ず「と」を付けて読むことになっているそうです。

この「と」は「として」という意味で「神の御心を心として天(あめ)の下しろしめす天皇」という、慎み深い天皇の自称を表すそうです。


元昭和天皇侍従 木下道雄氏
宣命(せんみょう)では必ず「現御神」に「と」の一字を加えて読む
「現御神」は天皇ではなく「しろしめす」に冠する副詞である


出典:1968(昭和43)年 新小説社 木下道雄 「宮中見聞録」
      昭和二十一年の元旦の詔書について



 「天皇ヲ以テ現御神トシ且ツ云々」に付(つい)ては、特にここで一言しておきたい。

元来、現御神、或いは現神、又は明神(アキツミカミ)なる文字は、奈良朝頃の天皇の宣命(詔)に多く見られるもので、宣命の冒頭に、

  現御神大八嶋国(オオヤシマグニ)しろしめす天皇

  現神御宇(アメノシタ)しろしめす倭根子天皇(ヤマトネコスメラ)

  明神大八洲(オオヤシマグニ)しろしめす倭根子天皇

 と書いた十数の宣命が残っているが、いずれも、現御神、或は現神、或は明神の下に必ず「と」の一字を加えて読むことになっている。

 これは「として」の意味であって、神の御心を心として、天の下しろしめす天皇、という至って慎しみ深い天皇の自称であった。

「現御神と」は「天皇」を形容する形容詞ではなく、「しろしめす」に冠する副詞だったのである。

(中略)

 陛下が、きびしく注意なさるのは、この言葉の乱れ以後の天皇観即ち天皇は現御神なり、とする見解について反対の御意見を示されたのである。

※管理人注:しろしめす=しらす(知)。統治する。天皇の統治作用または統治現象を示す語。


そして、一般に「元旦の詔書」の「神格否定の段」とされている部分でも「天皇を以て現御神とし」となっています。

なのでこの部分は「天皇は神である」という意味ではなく、「現御神としての天皇」つまり「天照大神の心を心として天の下しろしめす(人間である)天皇」という意味になります。


朕と爾等(なんじら)国民との間の紐帯(じゅうたい)は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非(あら)ず。天皇を以て現御神(あきつみかみ)日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして延び(ひい)て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基くものにも非ず。

※管理人注:紐帯…じゅうたい:ひもとおびの意から二つのものを結びつける役割をなしているもの。


さらに、法学博士里見岸雄氏によると、この段を正しく読むには「現御神」「架空なる観念」「且」の三語と「単なる」の意味を理解することが必要だとしています。

つまり


・現御神(アキツミカミ)=天照大神の心を心として天の下しろしめす、天照大神の子孫である天皇

・架空なる観念=現御神を奉ずる日本国民が世界を支配する運命を有すると考えた架空の観念

・且=副詞では「一方では」「そばから」、接続詞ならば「その上に」などの意

・単なる=天皇と国民の絆は神話や伝説だけでなく、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれている



なので、マスコミが「天皇の人間宣言」と宣伝した「元旦の詔書」の正しい意味は



天皇と国民の結びつきは終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれており、天皇を天照大神の心を心として天の下しろしめす現御神(現人神:アラヒトガミ)とし、神を奉ずる日本人は他民族よりも優秀な民族だと妄信して世界支配を企図したという架空の観念によるものではない



というものであり、戦前の日本人はこの詔書の意味を正しく理解していました。

昭和天皇が「元旦の詔書」で否定したものは元からありもしない「天皇の神格」ではなく、共産主義者や俗流民主主義者、キリスト教関係者の「日本は侵略国家」という架空の観念だったのです。

【架空の観念をつくりだしたブーメランGHQ】
リンガエンに上陸するマッカーサー

アメリカや共産主義者は日本の天皇を「神格から引きずりおろし」、人間宣言などしていないのに「人間宣言した」とするのならば、

"科学的"共産主義者であるはずの

こいつや

北朝鮮1

こいつの

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「神格化」は批判しないのですか?

とにかく日本人はマスコミの煽動や世論誘導が我々の優しさにツケこもうとし、

「生前退位」などという造語が耳に入るのをブロックしましょう。

戦後日本の皇室の命運は"主権者"である私たち国民の判断にかかっているのですから。

アメリカ語には「譲位」という単語はない?
神→人間→皇室消滅をたくらんでいるのは世界の王になりたいアメリカ?

日本の難題をこしらえたのはアメリカ↓↓↓

【寄稿】天皇「生前退位」が示すこと 次の天皇が向き合う日本の難題
2016年8月9日 ウォールストリートジャーナル

 日本の明仁天皇が8日、生前退位の意向を遠回しに表明した。これは、日本初の近代的天皇にとって終わりの始まりを示すものだ。



王国王(国に王たる王=民族の王)である天皇と西洋の得国王(国を得たる王=侵略者である王)は性質がちがいます↓↓↓

生前退位した世界の君主
2016年8月9日 ウォールストリートジャーナル

英国のエドワード8世、カンボジアのノロドム・シアヌーク国王、ローマ法王ベネディクト16世、カタールのハマド首長など、生前に退位した世界の君主。



元宮内省総務課長 筧素彦氏
マスコミの勅語工作 昭和天皇は「元旦の詔書は五箇条のご誓文が主眼」と仰せられた由


出典:1987(昭和62)年 日本教文社 筧素彦 「今上陛下と母宮貞明皇后」 あとがき



 あの二十一年元旦の、いわゆる「人間宣言」として、マスコミにもてはやされた勅語工作であると思う。あれは内閣の所管だったので、当時、宮内大臣官房総務課長だった私は全くのツンボ桟敷で一切関知しなかった。後年、陛下が記者会見の席で、「あれは五箇条のご誓文が主眼」という意味のことを仰せられた由である。



【五箇条のご誓文:通釈付き】
五個条の御誓文 (明治元年三月十四日)

一 広ク会議ヲ起シ万機公論ニ決スベシ

一 上下(シャッカ)心ヲ一(イツ)ニシテ盛(サカン)ニ経綸(ケイリン)ヲ行フベシ

一 官武一途庶民ニ至ル迄各々(オノオノ)其(ソノ)志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦(ウ)マサラシメン事ヲ要ス

一 智識ヲ世界ニ求メ大(オオイ)ニ皇基(コウキ)ヲ振起(シンキ)スベシ

我ガ国未曾有ノ変革ヲ為(ナ)サントシ朕躬(ミ)ヲ以テ衆(シュウ)ニ先ンジ天地神明ニ誓ヒ大ニ此(コノ)国是ヲ定メ万民保全(ホウゼン)ノ道ヲ立(タテ)ントス衆亦(マタ)此旨趣(シシュ)ニ基(モトヅ)キ協心(キョウシン)努力セヨ


【通釈】

一 広く会議を開いて、すべての政事は、多くの者の是とする方針に従って決めよう。

一 身分の貴賤を問わず、上(かみ)の者も下(しも)の者も一致して国家を治めととのえる道を講じよう。

一 官人(かんじん)武人の区別なく、下(しも)人民に至るまで、各々其の志す所を仕(し)通し、人の心にあきの来ぬようにする事が肝要である。

一 昔からの悪い風俗や習慣を破り、天地自然の正しき道に基いて行動しよう。

一 智識に内外の区別はなき故、智識を世界に求めて、大(おおい)に皇国の発展を図ろう。

我が国に於て、未(いま)だ曾(かつ)て無い改革を為(な)そうとするに当り、吾(わ)れ(明治天皇)躬(みづか)ら国民に先んじて、天地の神神に誓い、大に此の国の政治の大方針を定め、人民の安全を保護(ほうご)する道を立てようと思う。汝等(なんじら)臣民たる者は亦此のおもむきに基き、一心同体となって努め励めよ。


【出典】
1918(大正7)年 科外教育叢書刊行会 前島義教 「十大詔勅謹解」



法学博士 里見岸雄氏
昭和天皇が元旦の詔書で否定したものは後人がつくりあげた架空の観念である


出典:1961(昭和36)年 錦正社 里見岸雄 「萬世一系の天皇」 第三章 天皇存立の根拠と属性 第一節 神授説と「国民総意説」 



 1 元旦の詔書

 天皇、もう一層論理的に言えば皇位の根拠が変った、と憲法学者などは言う。そしてその証明として昭和二十一年元旦の詔書と日本国憲法の前文に於ける国民主権の宣言と第一条とがあげられる。

つまり、天皇存立の根拠が、曾(かつ)ては神話、又は天照大神の神意にあったのが、新憲法によって否定され、国民の総意に基くことになったというのである。

一往、異論をさしはさみ難い見解のように思えるが、実はここに大いに検討を要するものがあるようだ。

元旦の詔書はその文体がそれまでの、詔書文体と異り、英語臭の強いものであることは否み難いと思うがこの文体及び内容から考え、且つ占領が開始されてから僅か四ヶ月であり、所謂(いわゆる)初期占領政策が最も峻烈に命令されていた時期であったことから考え、この詔書は、大体、マッカーサーの指示により原案が起草され、それについて日米間の会談があり、米軍当局の同意、即ち認可があった上で正式詔書として確定され、元旦に発表されたものであることに間違いはない。

 以上の点を考慮に入れながら元旦の詔書を見ると、文語体で書かれてをり、全体四段から成り立っているが、その第一、第二、第四の各段は、通常の勅語の文体であり格別異様な感を受けない。

第三段は、所謂「神格否定」段といわれるもので、


 朕と爾等(なんじら)国民との間の紐帯(じゅうたい:ひもとおびの意から二つのものを結びつける役割をなしているもの)は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非(あら)ず。天皇を以て現御神(あきつみかみ)とし且日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして延び(ひい)て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基くものにも非ず。


とある。この文章は卒読(そつどく:本などをざっと読み終えること)すれば今日一般に俗解されているような意味にとられ易いが、精読すれば却って妙味尽きざるものがあり、誰が此の原案を起草したにせよ、又、当時の国情として起草の大任に当った者は、実に尋常一様ならざる苦慮を廻(めぐ)らしたものであろう。

いずれにしても、深くさぐれば期せずして皮肉にも転禍為福的国体開顕となっているのは、信仰的に表現すれば、やはり稜威(みいつ:天皇のご威光)の然らしめたものであろう。

すなわち此の一段の『単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものにあらず』の一句に於て『単なる』の一語が含む意味を無視すべきではあるまい。

ここに若(も)し『単なる』の一語が無いとすれば、全面的に神話と伝説とに依って生じたのではない、という意味になるが、『単なる』の一語があることにより、それは『ただ単に、神話や伝説を盲信したことによって生じたものではない』という意味になる。


いかに勅言であっても、日本の歴史の過去の現実を抹殺することはできない。

此の詔書の第四段は、将来の事を曰(い)ったものか、過去の事を説明したものかと考えてみれば、明(あきらか)に後者である。

天皇が将来に就(つい)ての御決心を表明なされたものではない。詔書には神話と伝説があげられただけで歴史には言及がない。

だが、終戦時以前の歴史を見れば、神話と伝説(それがどの範囲のものか詔書では明かでないが)君民間の結合に於て重要な役割を果していた事実は、詔書の権威を以てするも、マッカーサーの超憲法的権力を以てするも、到底否定し去ることは出来ぬ。


注釈:神話と伝説の重要な役割:これを天皇の御側に於て見れば、例えば明治天皇御製に『神代よりうけし宝を護りにて治め来にけり日の本つ国』、「憲法発布の告文(ツゲブミまたはコウモン)」に『皇朕レ天壤無窮ノ宏謨(こうぼ:大きなはかりごと)ニ循(シタガ)ヒ、惟神(いしん:神の心のままで人為を加えないこと。かんながら)ノ宝祚ヲ承継シ旧図ヲ保持シテ敢テ失墜スル無シ』等。
これを国民の側に於て見れば大正四年十一月十日内閣総理大臣大隈重信が即位式に上った「寿詞」に『皇祖天壤無窮ノ神勅ヲ皇孫ニ賜ヒテ八洲(やしま)ニ君臨セシメ三種ノ神器ヲ親授シテ五部ノ神ヲ臣事セシメ給フ万世不易ノ皇基確然トシテ爰(ここ)ニ定マル』等。



詔書の文章は、幾分正確さを欠くものの如くであるが、この事実を抹殺しようとしたものではないことは論ずるまでもないと思う。『単なる』という一語、重き事千釣(せんきん:非常に重いこと)の如しといわねばならぬ。

『単なる』の語を「ただそれだけではない」という意味に解せば、「ただ単に神話と伝説とに依っただけではなく別に、終始相互の信頼と敬愛とに依って結ばれてきたのだ」という意味になる。

『終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ(たるものにして)神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず』とあれば神話と伝説を完全に否定したことになるが『単なる』の語があるのだから、それは神話と伝説とに依っていた過去の事実を半面に於て認めたものとするのが、日本語として正しい解釈といわねばならぬ。

この見解に立って更に考を押し進めると、神話と伝説とを根拠とした過去の事実の内容が問題となる。

これに関し過去の事実はどうであったか。記紀その他の書に語られている神話と伝説も種々雑多なことに亙(わた)っているがそれらのすべてをそのままに認めて依りどころとしたのであろうか。

『朕と爾等国民との紐帯』とされたものは神話伝承のすべてではなく、厳密に曰(い)えば天照大神を皇祖とする一点であった。即ち皇祖天照大神の撰国垂統と統治垂訓とを、数多くの神話や伝説の中から撰択して、君民関係の紐帯としたのであった。

これは否定しようの無い事実なのである。すなわち、神話や伝説でさえあればそのすべてを盲信したというのではなく、天照大神が皇祖であるという神話や伝説を民族普遍の信仰としたのであり、この信仰が根源となり歴代天皇の統治と国民の崇敬という史的事実が結集し、この伝統の上に立って、今上天皇の御人柄も加わり、相互の信頼と敬愛が深まってきた、君民関係である。

 詔書の『朕と爾等国民との間の紐帯は』の句は、更に次の『天皇を以て現御神(あきつみかみ)とし……』の文にもかかっているが、この後半には、現御神と、日本民族の世界支配の二つを『架空なる観念』とし、君民間の紐帯はこの『架空なる観念』に依るものでもないという御趣旨である。


ところで、ここに現御神という語があるため、俗流民主主義は、これを天皇御自身による神格否定即ち人間宣言と解したものと思われるが、この一文を内容的に決定する鍵は『現御神』『架空なる観念』及び『且』の三語の意味如何に存する。

さて現御神であるが、この語に於ける神とは果して何であるか。これは次項で説明する通り、西洋語のゴッドを訳したものでない事は多言を要しないが、人間である天皇の御先祖、即ち皇祖を神としたものであって、宇宙の想像者(造物主)、主宰者(支配者)という意味の神ではない。

宗教的意味が無いではないが、精霊崇拝的であって、人間神である。現御神とは天皇が、生きた神様である、人間の形を示した全智全能の神である、などという意味ではなく、皇祖の御血統が絶えることなくつづき、それと共に皇祖の精神を現承された尊い人という意味にほかならない。

天皇を天照大神の正統継承者たる御子孫という意味で現御神と称したことは、決して架空な概念ではなく、社会的、歴史的に十分根拠のあることで、書紀に就(つい)て見ても孝徳天皇の大化元年以来のことだから、この「あった事実」を架空なる観念とすることは出来ない。

祝詞(のりと)宣命(せんみょう)の中に、天皇自ら現御神の称を用いられた事実、万葉集などに天皇を現御神とした事実は、歴史上の事に属し、そういう表現を用いるようになったのは社会的根拠あってのことで、架空に創作したものではない。


注釈:アキツミカミ、アラヒトガミ:天皇を皇祖天照大神の御子孫として尊称する語であって祝詞宣命、万葉集などに多く用いられ、明神、明津神、現神、現津神(共にアキツミカミ)現人神(アラヒトガミ)ともいう。日本書紀では孝徳紀大化元年七月丙子(ひのえねのひ)の条以下に見えている。




注釈:宣命は純粋の国語:「令義解」の詔書式、「延喜式」巻八の「出雲国造神賀詞」、「続日本紀」の文武天皇以下の即位宣命、「万葉集」巻三、、「讃久邇新京歌」その他、ノリトは、神に対して宣(の)り申す言葉であって「延喜式」巻八に収められている二十六篇がその代表的なものである。センミョウは、宣は宣読・命は勅命の意味、天皇のみことのり(お言葉)を宣布すること、従ってその文を指す。純粋の国語であって、宣命体といわれるが、平安世初期から現れ、後朝まで神前の儀式文として用いられ現代に至る。



今上天皇がこの歴史的事実を抹消なさることは不可能であるから、この詔書の『現御神とし』が、そのような不可能な事をなさろうとしたものと解すべきであるまい。

そこで第四段の後半の文章を正解するためには『且』の一語に注意する必要がある。

「且」は副詞とすれば、「一方では」「そばから」、接続詞とすれば「その上に」などの意であるから、詔書の『現御神とし』の語は、その後の『日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延(ひい)て世界を支配すべき運命を有す』とした『架空なる観念』に利用されたものとしての場合を言われたものと見るべきであろう。

かかる軍国主義、世界支配及びその根源として現御神の観念を利用する思想こそ、日本の神話・伝説に影も形もないものであって、一部の後人が、つくりあげた架空の観念であるから、詔書はそれを否定されたものである。

だから、詔書の正意は「現御神」の正当の意義を全面的に否定されたものではなく、軍国主義や世界支配に利用すべく歪曲してつくり出した架空な観念としての「現御神」であること、文底の論理顕然たるものがある。

すなわち、後半の文は、『天皇を以て現御神とするそばから、(現御神の本義にそむき、現御神の観念を利用し)(現御神を奉ずるのだから)日本国民は以て他の民族に優越せる民族だと妄信し、そこから延長して世界を支配する運命を有す(ると考えた)架空の観念に基くものでもない』と解すべきだ。

つまり、俗流民主主義の解しているような"神格否定"だの"人間宣言"だのというのは、この詔書の文・義・意を正読し得ず、ただ何が何でも天皇神聖の観念を打破したいという占領目的に躍らされた敗戦脳震盪的民主主義思想がつくり出した"架空の観念"にほかならないのである。



昭和21(1946)年元旦の詔書

新年ニ当リ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス国民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ


茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初國是トシテ五箇條ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、

一、廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ

一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フヘシ

一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス

一、舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ

一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ

叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、舊來ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民拳ゲテ平和主義ニ徹シ、敎養豐カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ圖リ、新日本ヲ建設スベシ。

大小都市ノ蒙リタル戰禍、罹災者ノ艱苦、產業ノ停頓、食糧ノ不足、失業者增加ノ趨勢等ハ眞ニ心ヲ痛マシムルモノアリ。然リト雖モ、我國民ガ現在ノ試煉ニ直面シ、且徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全ウセバ、獨リ我國ノミナラズ全人類ノ爲ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。

夫レ家ヲ愛スル心ト國ヲ愛スル心トハ我國ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ實ニ此ノ心ヲ擴充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、獻身的努カヲ效スベキノ秋ナリ。

惟フニ長キニ亘レル戰爭ノ敗北ニ終リタル結果、我國民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰へ、爲ニ思想混亂ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。

然レドモ朕ハ爾等國民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等國民トノ間ノ紐帶ハ、終始相互ノ信賴ト敬愛トニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳說トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現アキツ御ミ神カミトシ、且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ。 朕ノ政府ハ國民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ爲、アラユル施策ト經營トニ萬全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我國民ガ時艱ニ蹶起シ、當面ノ困苦克服ノ爲ニ、又產業及文運振興ノ爲ニ勇往センコトヲ希念ス。我國民ガ其ノ公民生活ニ於テ團結シ、相倚リ相扶ケ、寬容相許スノ氣風ヲ作興スルニ於テハ、能ク我至高ノ傳統ニ恥ヂザル眞價ヲ發揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ實ニ我國民ガ人類ノ福祉ト向上トノ爲、絕大ナル貢獻ヲ爲ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。

一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕ハ朕ノ信賴スル國民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ自ラ勵マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。

御    名      御    璽

昭和二十一年一月一日
(総理大臣らの連名省略)



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