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2016/06/17

朝鮮人による殺人、強盗殺人事件@戦前


現代ビジネスの記事に、日本では「マイノリティの権利」を脅かすヘイトスピーチが盛んに行われてきた、と書かれていました。

しかし事実は、日韓併合前から日本人が朝鮮人によって「権利」どころか「生存」そのものを脅かされてきたのです。

朝鮮人は中華思想による日本人蔑視から、朝鮮の親日派や日本の要人を暗殺、虐殺し、日本に渡航してきては日本の民間人を殺害して金品を強奪するという事件をひんぱんに起しました。


↓↓↓今はすっかり被害者ヅラ↓↓↓
朝鮮人群衆性川崎4


祖国で受ける差別から逃げてきた在日朝鮮人が、日本人に「黙れ」と要求するのはお門違いです。

そして日本国が朝鮮半島の差別問題を代わりに引き受けるのもまちがっている。

日本人から見た朝鮮人とは、ドイツでユダヤ人を迫害しまくったナチスドイツが、今度はイスラエルに乗りこんでユダヤ人迫害をやっているのに等しいのです。

マスコミもマスコミで、事実にもとづかない記事で在日朝鮮人に肩入れし、日本人を誹謗中傷する行為こそが対日ヘイトです。


出稼ぎ朝鮮人の実状について書かれた大正時代の新聞記事
「彼らは主に南鮮から希望を抱いて渡航してきた」


【国民新聞 1922(大正11)年8月29日-1922年9月23日】
朝鮮の労働者 鈴木文治(出典:神戸大学新聞記事文庫

十出稼ぎ朝鮮人
新聞記事出稼朝鮮人1

出稼ぎの朝鮮人は大体二種ある。一は間島方面に出稼(むしろ移住)するもの、一は日本内地に向って出て来るものである。(中略)併しここには日本内地(日本国内)との関係より、内地出稼ぎの労働者について記そう。
日本内地に出稼ぎする朝鮮労働者の産地は、何といっても全羅南北(殊に南道)慶尚南北の四道である。
新聞記事出稼朝鮮人4

出稼の労働者は悉(ことごと)く農家の子弟である。朝鮮農家(小作人)の生活の悲惨なることは後の説くが、彼等は農村にあっても仕事のない人々である。そして彼等の中の或者が早く内地に働きに出かけ、書信その他の方法で呼寄せる。又は内地の様子を聞いては、小額の旅費を工面して、確たる目的もなしに飛び出すのである。近来は内地工場よりの契約労働もある。関釜連絡船や毎航は、常に此種の労働者の百や二百を乗せないことはないという有様である。
新聞記事出稼朝鮮人2

只(ただ)漠然たる希望を抱いて渡航するものである。然(しか)るに出稼先たる内地の事情は必ずしも彼等に可(か)なるのではない。故に彼等は往々として内地の労働者と衝突し、時として血を見るような惨劇を演出する。而(そ)してその結果は内地人(日本人)よりは嫌忌され、内地人に対しては憎悪の念を持つ。今や朝鮮人の内地に労働するもの三万を超ゆ。正に放任すべからざる(放任できない)状態である。
新聞記事出稼朝鮮人3



司法省調査課:朝鮮人による殺人事件(明治~大正時代:抜粋)
日本に関係した者は同胞だろうがアメリカ人だろうが感情で殺しまくった


・1893(明治26)年…李朝が派遣した李逸植が朴泳考を東京にて殺害計画

・1894(明治27)年3月…亡命中だった金玉均が上海で李朝が派遣した洪鐘宇によって殺害される

・1895(明治25)年ころ…法務協弁金鶴羽暗殺

・1896(明治29)年2月…総理大臣金宏集および農商工部大臣鄭秉夏虐殺

・1903(明治36)年11月…亡命中の禹範善が呉港において刺客高永根に殺害される

・1906(明治39)年2月…軍相李根澤が京城(現ソウル)の私邸において李根喆ほか2名に襲撃され、12カ所の重傷を負う

・1906(明治39)年…農商工部大臣権重顯襲撃

・1908(明治41)年…韓国外交顧問アメリカ人スチーブンスがサンフランシスコにおいて「日本にワイロをもらって大韓帝国の外交権を剥奪した」と思いこんだ韓国人によって殺害される

・1909(明治42)年…伊藤博文がハルピンにおいて安重根に暗殺される

・1909(明治42)年…李完用が京城明治町の坂道にて刺される

・1921(大正10)年2月…中枢院副参議閔元植が東京駅ホテルにて梁槿煥に殺害される

【民間人殺害事件】

・1922(大正11)年6月2日…東京府下大久保において、李判能(当時28歳)が遠藤五百次郎ほか十数名を殺傷

・1927(昭和2)年4月10日…京都府乙訓郡上植野において、尹南植(28歳)が脇千代ほか一名を殺害




司法省調査課:在日朝鮮人による強盗殺人事件(大正時代:抜粋)
朝鮮人は日韓併合から3年後には日本に渡航してきて雇用主の日本人を一家みな殺しにし金品を強奪するなどの事件を起した


・1926(大正15)年1月13日…瀬戸内海岡山県下水島灘の観音丸船内にて尹文到(明治27年生)が船長岩川新二郎、船員坂井鶴吉を石および樫(かし。かしのき。非常に固い)棒で強打、殺害し金品を強奪鬱陵島※に逃走


・1922(大正11)年12月20日…京都市下京四条通自転車商上口與之松方において、同家に雇用されていた卓宇甲(明治35年生)が上口與之松および妻子供三名を金づちまたは出刃庖丁をもって殺害、金品を強奪逃走


【自民党「対鮮ヘイトスピーチは恥ずべきこと」】
西田昌司議員1
☞京都はBKDの地元じゃんよwww


・1915(大正4)年11月13日…大阪市東区鎗屋町八百屋商佐々木芳松方において、李鳳和(明治25年生)が佐々木芳松を絞殺し、金を強奪逃走した。


・1913(大正2)年7月28日…山口県熊毛郡長島の沖合、第六幸福丸内において、リュウセイバン(朝鮮仁川生、当時32歳)が船長鎗野島吉および妻ハツを殺害して現金を強奪した




【中華思想より古いレイシズムがあるのか?】

データで読み解く 「在日コリアン」への偏見とネットの関係 新旧二つのレイシズムが共存
2016年6月15日 現代ビジネス

ヘイトスピーチ対策法の施行

先日、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」、いわゆる「ヘイトスピーチ対策法」が衆院本会議で可決・成立し、施行された(2016年5月24日成立、6月3日施行)。

「ヘイトスピーチ」という語は、近年マスコミでも頻繁に報道されるようになったため、ご存知の方が多いだろう。直訳すると「憎悪表現」、より適切な日本語訳としては「差別扇動表現」である。

言論・表現の自由を保障する憲法との整合性を巡る長い議論を経てこの法律が制定されるに至ったのは、日本社会において、マイノリティの権利を脅かすヘイトスピーチが盛んに行われてきたという現実によるものである。

(中略)

「古いレイシズム」と「新しいレイシズム」

実のところ、こうした「特権言説」は、在日コリアンに対してのみ見られる特殊な言説ではない。アメリカでは、黒人に対するレイシズムの社会心理学的研究が長い間おこなわれてきた。その中で、レイシズムには「古いレイシズム」と「新しいレイシズム」が存在することが示されている。

「古いレイシズム」とは、「黒人は怠惰で能力が低い」といった信念(belief)にもとづく露骨な偏見であるが、これは読者も容易に想起できるだろう。小中学校の道徳の時間に「差別はいけません。自分と異なる人々に対して偏見を抱いてはいけません」と教わるときにも、念頭にあったのはこの種のレイシズムであったはずだ。

(中略)

Twitterの分析から分かること

筆者は、2012年11月から2013年2月にかけて、Twitter上でのコリアン(在日コリアン以外も含む)に関連すると思われる日本語の投稿を収集し、分析した。資源の制約上、およそ11万件の投稿が分析対象となった(これらは同時期に投稿されたもののごく一部である)。

詳しい手法の説明は割愛するが、分析対象の投稿のうち12.2%が「新しいレイシズム」に、10.8%が「古いレイシズム」に何らかの形で関連するものであった。

さらに、これらの投稿のそれぞれおよそ90%は、単にレイシズムに関連するだけでなく、積極的にレイシズムを表明するものであった。日本において、Twitterというコミュニティ上では、「新しいレイシズム」と「古いレイシズム」がほぼ同程度に広められていることが分かる。

実は現在ですら「古いレイシズム」も広範に見られるのが何故なのかは、明らかではない。日本においては「古いレイシズム」を抑制するような規範はそもそも成立していなかったのかもしれない。あるいは、そうした規範は確かに成立したのだが、インターネット社会においてはそれが機能していないのかもしれない。(後略)



最近、自民党の変節がすこぶる激しいように感じられます。

ヘイトスピーチ解消法成立によって、今後日本では満州朝鮮アメリカ東南アジア南方で報道されることなく行われた日本人虐殺がこの日本国内で行われるのかも知れません。

白人がつぶしたいのはこの日本です。

世界最古の歴史を持つ日本、世界最高位の天皇陛下、そして日本人のしぶとい民族主義、それらをつぶしてしまわないと世界の王になりたい者は王になれないからです。

日本政府は完全にアメリカ追従ですし、日本に朝鮮人を混ぜこんだのはアメリカですから、在日朝鮮人問題はアメリカに訴える方がいいかも知れませんね。

「在日朝鮮人は工作員として役立たずになりました。このまま戦争に突入すれば太平洋戦争の時のように在日朝鮮人が日本の後方を撹乱しますから、日本は参戦できません」と。


チマチョゴリで阿波踊り。これのどこが被害者ですか?↓↓↓
チマチョゴリで阿波踊り1


本記事の資料:
朝鮮人による日本人殺害事件@戦前【現代語訳】 
事件の原因は
・色情…男色
・怨恨…「日本人に朝鮮人と呼ばれた」
・復讐…カンちがいやまた聞きで日本人を殺害


出典:1927(昭和2)年12月 司法省調査課 「報告書集 10」



四、殺人は他の犯罪のように発生件数は多くはないが、日本在留朝鮮人の殺人強盗は注目に値する。

イ、朝鮮人による殺人と日本人のそれとを比較すると、殺人犯は朝鮮における朝鮮人よりも日本国内における日本人の方が人口と比較していちじるしく高い。ところが、日本における朝鮮人殺人犯は近来、朝鮮における日本人殺人犯よりも発生件数が多い。

日本において
日本人殺人犯(男)
日本において
朝鮮人殺人犯(男)
朝鮮において
朝鮮人殺人犯(男)
朝鮮において
日本人殺人犯(男)
1912/
大正元年
573不明151不明
1913/
大正2年
614不明112不明
1914/
大正3年
664不明140不明
1915/
大正4年
7051018
1916/
大正5年
6039913
1917/
大正6年
5202865
1918/
大正7年
538118811
1919/
大正8年
5462不明不明
1920/
大正9年
60131245
1921/
大正10年
534610711
1922/
大正11年
50491087
1923/
大正12年
55412819
1924/
大正13年
58410756
1925/
大正14年
67210608
:三・一独立万歳騒擾事件が発生した年。


(中略)

 朝鮮は李朝以前より文を尊び、武官は文官の下に置いて武をいやしむ風があるが、日本では武家の覇を称えて長い間武を尊んできたので、日本人と朝鮮人の気質は同じだとはいえない。

しかし、朝鮮では党争はげしく、その余弊として政治党派間の暗殺は少なくなかった。すなわち

李朝末期の明治二十六年李逸植を東京に派遣して朴泳考を殺害しようと計画したり、

明治二十七年三月亡命中だった金玉均はわが国を出てアメリカに渡る途中、シナ上海において李朝政府に依頼された洪鐘宇によって殺害され、

明治二十八年頃法務協弁金鶴羽は暗殺され、

明治二十九年二月総理大臣金宏集および農商工部大臣鄭秉夏を虐殺した。

明治三十六年十一月亡命中だった禹範善は呉港において刺客高永根に殺害され、

明治三十九年二月軍相李根澤は京城(現ソウル)中署梭洞私邸において李根喆ほか二名のため十二カ所の重傷を負った。

また同年農商工部大臣権重顯途上に要撃され、

明治四十一年韓国外交顧問アメリカ人スチーブンスは暇を賜り、アメリカに帰国した際サンフランシスコ港にて韓国人に殺害され、

明治四十二年伊藤博文はハルピンにおいて安重根に狙撃され、

同年李完用は京城明治町の坂道にて刺され、

最近では大正十年二月東京駅ホテルにて中枢院副参議閔元植を殺害した梁槿煥

のように枚挙にいとまがない。

 日本国内の朝鮮人による殺人事件の動機「色情に原因するもの」のうち、特に目につくのは男色である(もちろん数は多くない)。朝鮮では昔から総角(チョンガー)といわれる男子独身者が多かった結果、男色が盛んに行われ、総角(チョンガー)でこの洗礼を受けぬ者はないといわれるほど行われた、それである。

「怨恨に原因するもの」としては日本人より「"朝鮮人"と呼ばれた」とか、日本人と兄弟分のさかずきを交わそうとしていたところに他の日本人が来て「朝鮮人と兄弟分のさかずきをするというバカなことがあるかと言われ、朝鮮生まれの被告は非常な侮辱を感じ」その者を殺害したという例を多く見られる。朝鮮人にも罵倒される原因について三省(日に何度も反省すること)すべき点があると同時に日本人もこのような罵倒はもっとも慎むべきであると考える。

「復讐に原因するもの」としては、「朝鮮人の同郷の者が日本人に殴打されて憤慨した」とかまたは「実弟李仁榮が脚気(かっけ)で死んだのを日本人に殴打されたのだと誤解して復讐するために日本人を殺した」とかの動機が少なくない。

朝鮮人は一般に復讐心が強いと言われている。朝鮮でも

「平壌の田舎で殺人事件があって犯人を捕え、警察署の留置場から裁判所に護送する途中、被害者の子が突然『親のかたき、覚悟しろ!』と鎌をもって踊りでた。犯人は不意打ちをくらって狼狽し、護送者を振り放し、『助けてくれ、人殺し!』と元の監獄へ逃げこんだという奇談がある。また愈城の田金で十五、六歳の子どもがあやまって友だちを殺し、警察に自首したが、刑は軽く服役も満期になったが復讐を恐れてどうしても帰村しない、仕方がないから小使いにしたところ、喜んで勉学に励んでおった(朝鮮風俗集)」

という例のごとく、朝鮮人は近しい者の死を知るとすぐに復讐に出て、その死の原因が過失によるものであっても犯人をかたきとしてねらうという、民度の低さにある。

 朝鮮人は復讐心が強く、その結果、相手も自分と同じだと考えて相手方の復讐をおそれ、それを避けようと殺人を敢行する者の多いことには驚くほかない。

(中略)


日本人との感情上の衝突は大正十一年六月二日東京府下大久保において遠藤五百次郎ほか十数名を殺傷した李判能(当時二十八歳)のごとき、最近においては昭和二年四月十日京都府乙訓郡上植野において脇千代ほか一名を殺害した尹南植(二十一歳)のごとき惨劇を起している。

 朝鮮人が殺人に使用する凶器として特異なのは棒または石を使用しているのを見る点である。もちろん日本国内において土木工事などに従事する朝鮮人は日本人をマネて、匕首(あいくち)などを携帯し、これを用いた事例もすくなくないが棒または石で撲殺したのを多く見る。

朝鮮では便戦と称して石合戦をする遊びがあり、石投げに慣れており、朝鮮内でも殺人の凶器として使用される事が多いのである。


本記事の資料:
朝鮮人による強盗殺人事件@戦前【現代語訳】


出典:1927(昭和2)年12月 司法省調査課 「報告書集 10」



ロ、強盗

 併合当時、朝鮮には比較的強盗が多いと観察されたことはすでに説いた。日本人の強盗事件と受刑者数において比較してみれば、人口との比較をまつまでもなく、朝鮮人の強盗犯がいちじるしく多いことがわかる。

朝鮮において
朝鮮人の強盗(男)
朝鮮において
日本人の強盗(男)
日本において
日本人の強盗(男)
日本において
朝鮮人の強盗(男)
1912/
大正元年
7976499
1913/
大正2年
7199481不明
1914/
大正3年
7699511
1915/
大正4年
7577575
1916/
大正5年
55275483
1917/
大正6年
5116394
1918/
大正7年
42653583
1919/
大正8年
3456
1920/
大正9年
71242976
1921/
大正10年
100362801
1922/
大正11年
48472746
1923/
大正12年
46822925
1924/
大正13年
51173205
1925/
大正14年
70954929
:三・一独立万歳騒擾事件が発生した年。


 朝鮮併合当時の状況として「犯罪の種類の中でもっとも多いのは強盗で窃盗はいちじるしく少ない」とし、その理由として 「韓人の知識が発達せず且つ、日本人のように身体が敏捷に動かないので、人の物を奪うにしても巧みに人の目を盗んで自己の利欲をみたすことができないだろうと思えば、いきおい人を脅迫するとか暴行を加えるとかしなければ目的を達しない」(明治四十三年六月刑事法評林安住時太郎韓国刑事一班) と。

朝鮮では保護国時代およびそれ以前、火賊と呼ばれた負褓商(ほふしょう。朝鮮で各地の市場を巡回する行商人をさす)あるいは団体などの一団が各地で良民を襲撃して財貨を強奪する被害おびただしく、そしてその後明治四十三年併合当時の騒擾以来暴徒となり義兵という美名に隠れて掠奪を各地においてなした強盗があった。

その後またまた大正八年いわゆる万歳騒動(三・一独立万歳騒擾事件)以後、いわゆる時局標榜の強盗が各地に起り、義務金と称して金(かね)を強奪するものが多く発生した結果、朝鮮には強盗犯が多いと説く者もある。

大正十三年度朝鮮総督府施政年報に強盗犯は 「大正九年、十年にわたり激増したのは主として大正八年三月独立騒擾事件の発生にともない、不逞の輩(やから)が民心の弱点に乗じて強盗を独立資金徴発の手段とし、または草賊(そうぞく。山野をうろついている盗賊、おいはぎ、とるにたらぬ賊徒)の残党が独立資金徴発にかこつけてのさばるようになった結果、一時異常となったもの」 とし 「朝鮮における犯罪は往時における強盗または殺人等のような残忍なるものが多いが併合後、諸般制度の確定と警務機関の整頓とにともない、前記の犯罪は年をおうごとに減少の傾向が見られる」 とするも、比較上は今日においても少ないとは言えない。

朝鮮における強盗被害件数は以下のとおりである。

1916/
大正5年
1917/
大正6年
1918/
大正7年
1919/
大正8年
1920/
大正9年
1921/
大正10年
1922/
大正11年
1923/
大正12年
1924/
大正13年
1925/
大正14年
1555件1398件1126件1389件3127件3023件1972件2263件2255件2191件


 日本国内における朝鮮人の強盗殺人にして、その当時世間の耳目をそばだてた事例は、

大正十五年一月十三日、瀬戸内海岡山県下水島灘の観音丸船内にて船長岩川新二郎、船員坂井鶴吉を石および樫(かし。かしのき。非常に固い)棒で強打、殺害し金品を強奪、鬱陵島※に逃走した尹文到(明治二十七年生)。

大正十一年十二月二十日、京都市下京四条通自転車商上口與之松方において同人および妻子供三名を金槌または出刃庖丁をもって殺害、金品を強奪逃走した同家雇い人卓宇甲(明治三十五年生)。

大正四年十一月十三日、大阪市東区鎗屋町八百屋商佐々木芳松方において同人を絞殺し、金を強奪逃走した李鳳和(明治二十五年生)。

また大正二年七月二十八日、山口県熊毛郡長島の沖合、第六幸福丸内において船長鎗野島吉および妻ハツを殺害して現金を強奪したリュウセイバン(朝鮮仁川生、当時三十二歳)

などであり、その残虐ぶりは世人をして目をおおうほどであった。


【管理人注】※:朝鮮人が逃走した先は、日本に近い竹島ではなく鬱陵島であることに注目。




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