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2016/06/11

朝鮮人の群衆性を加速させるヘイト法


神奈川県の黒岩知事が県議会一般質問で「ヘイトスピーチは人権尊重の観点から決してあってはならない」と答弁したそうです。

自民党西田議員は「ヘイト法は理念法」などと気休めを述べていますが、戦前から終戦後にかけて、朝鮮人はいつも群衆となって日本人の子どもを襲撃し、日本人女性を強姦、輪姦し、実力行使であらゆる残虐を尽くしてきました。

実際、川崎デモも法の後ろ楯を得た群衆が実力行使で許可された合法デモを排除しているので、こういった騒乱は今後も頻発するでしょう。

なぜなら朝鮮人は「民族の団結」を確認するため、それから「責任を回避するため」に群衆になり、日本人を襲撃してきたからです。

そしてそれは彼らにとって唯一の成功体験だからです。


【神奈川県黒岩知事「ヘイト法がデモ中止の大きな後ろ盾になった」】

黒岩・神奈川県知事「ヘイト絶対に行わせない」
2016年6月11日 読売オンライン

黒岩・神奈川県知事は9日、民族差別を助長するヘイトスピーチ(憎悪表現)を繰り返す団体などに対し、「県の施設では、ヘイトスピーチを絶対に行わせないという強い意思を持って対応する」と述べた。

県議会本会議で自民党の石川巧県議の一般質問に答えた。県によると、5月24日に成立した対策法を受け、今後ヘイトスピーチを行う可能性が高い団体から、県が管理する公園やホールの利用申請があった場合、使用の不許可を含めて慎重に対応するという。

 ヘイトスピーチを巡っては、川崎市中原区で5日に計画されていたデモが、市民の抗議などで当日中止になった。黒岩知事は「表現の自由との兼ね合いから難しい対応が求められる中、法律が中止の大きな後ろ盾になった」と評価した。さらに「(市民の抗議で)ヘイトスピーチは許さないと強く訴えたことは、差別の解消に向け大きな力になると感じた」と述べた。


気がつけばいつも群衆

【ソ連軍進駐を拍手で迎える朝鮮人の群衆 1945(昭和20)年8月】
こののち在鮮日本人約3万人が虐殺され、軍人もふくめ約10万人が行方不明に。Sovetkorean.jpg

【米軍進駐を拍手で迎える朝鮮人の群衆】
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【日本敗戦を喜ぶ朝鮮人の群衆】
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【朝鮮進駐軍】
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【皇居前広場に押しよせた日共と朝鮮人の群衆】
1946(昭和21)年5月1日、第17回メーデー。
第17回メーデー皇居前広場1946

【皇居内になだれこむ日共と朝鮮人の群衆】
1946(昭和21)年5月12日。
S210501食糧メーデー

阪神教育事件 朝鮮人の群衆】
1948(昭和23)年4月14日~26日。
戦後阪神教育事件1

長田区役所襲撃事件 朝鮮人の群衆】
1950(昭和25)年11月20日~27日。
長田区役所襲撃事件1

【血のメーデー事件 警察官に襲いかかる日共と朝鮮人の群衆】
1952(昭和27)年5月1日、皇居前広場。この警察官の中に管理人の身内もいた。事件の一週間くらい前から日本中が異様な緊張感に包まれていたという。ti_no_May+Day_jiken1_convert_2.jpg

【また実力行使でいくぜ宣言】
2016年6月5日川崎デモ。日本人13万人の命をオモチャにした民族がこの被害者ヅラ。吐気がするとはこのこと。朝鮮人群衆性川崎4
少数派日本人をヘイトしまくった朝鮮人

ヘイトスピーチ解消法はあくまでも少数派を保護する法であって、多数派である
日本人には適用されないそうですね。

ヘイトスピーチ解消法を成立させた自民党の思考は、この女弁護士と同じだったわけです↓

上瀧浩子日本人は誰でも殺せ1

しかし、日韓併合時代、朝鮮では多数派だった朝鮮人が少数派日本人を虐待していました。

朝鮮人は日本人の朝鮮渡航に反対していたので、朝鮮は日本の"植民"地になれませんでした。なので在鮮日本人口は朝鮮人の10分の1ていどでした。

いつでもどこでも、朝鮮人に都合のいい法律が成立するんですね。

戦前朝鮮人の対日群衆犯罪:一例↓↓↓

●1924(大正13)年 朝鮮総督府:主として三・一独立騒擾事件に関して

・三・一の群衆は三隊に分かれ、一隊はアメリカ領事館、フランス領事館を歴訪、第三群の大群は朝鮮総督府に向った

・朝鮮人の群衆は警官の剣、憲兵隊のピストルを見くびって制止を聞かなかった

・三・一前はナイフがよく売れた

・三・一で日本人は朝鮮人にまちぶせ攻撃され、日本人の子どもも襲撃され、婦人は強姦、輪姦された

"少数"だった日本人は汽車、電車の車中、公園いたる所で朝鮮人に迫害され侮辱された

・日本人官吏の妻は毎夜朝鮮人に投石され発狂した

・日本人は警戒員の目の届かない所で朝鮮人に暴行された

・朝鮮人は4、50名~100名の群衆となって派出所を襲撃した

・約500名からなる朝鮮人の群衆は地方の面事務所(役所)を襲撃し面長を殴打負傷させた

・ソウルでは夜、日本人は一人歩きできなくなった


1926(大正15)年 朝鮮総督府:

・朝鮮の群衆は世界的思潮(社会・共産主義)によるものであるが、朝鮮の群衆は他と異なる環境と人から成る

・朝鮮の群衆は"責任感の薄さ"から意外の行動をすることが少なくない

・注視していないと事件は不測の時に出現する

・朝鮮人の運動が熾烈になると、ほとんど決まって群衆状態となっている

・朝鮮人の心をとらえるのは「日本人が朝鮮人をどうかした」という言葉であり、この言葉を聞くと朝鮮人は興奮、憤激し直ちに一つの固まった群衆となる


●1927(昭和2)年-1935(昭和10)年 大阪市社会部労働課:

・朝鮮人はその群衆性が災いして日本人と融和できない

・朝鮮人の群衆心の特徴は残忍性が強いことである

・朝鮮人の群衆を煽動するのは社会・共産主義者である

・朝鮮人はどんなに残忍な光景が演ぜられようとも傍観している

・特に「日本人にやられた」と聞くと、それが事実でなくとも直ちに群衆となって不当な要求をする

・朝鮮人の群衆は煽動を妄信し交番を破壊するなど制止できない危険集団と化す

・朝鮮人は血の雨を降らすという粗暴残忍なことをあえてする



「ヘイトスピーチは恥ずべきこと」だなんて、日本人は本当にキレイゴトが好きですね。

大本営も「五族協和」「王道楽土の建設」などのキレイゴトを唱えていましたが、それに反抗したのが朝鮮、中国です。

「五族協和」とは「支那人、朝鮮人、蒙古(モンゴル)人、満州人、日本人がなかよく共存していこうね」という、今さかんに宣伝されている「多文化共生」と同じ考え方です。

戦前日本国がこのキレイゴトをスローガンにしたために、外地で、日本国内で数えきれないほど多くの日本人が殺されたことを日本政府は忘れたのですか?

大東亜戦争は日本の侵略戦争ではなく、日本がソ連の思想侵略とアメリカの経済侵略と戦った戦争です。

反知性的で思考停止しているのは、日本人を大虐殺した民族を法で保護して日本人よりも上位に置く日本政府の方です。

害をおよぼすものを遠ざけるのは生物として当然の反応であって、日本政府は戦前と同じく、また日本人にその本能さえ捨てろと言っている。


朝鮮半島に眠る日本人たちが味わった地獄、引揚げを開始した時の夏服のままで極寒の朝鮮に放り出され、食べるものもなく、冷たい雨に打たれながら家族で抱き合って泣き、朝鮮人や連合軍の日本人狩りにおびえ、強制収容されては狭い房に押し込められて遊び半分で拳銃で撃たれ、娘たちは強制的に朝鮮人、ソ連人、中国人の慰安婦にされ、猛威をふるう伝染病で家族が全滅していく……

朝鮮の凍った大地を一日がかりで掘って同胞の遺体を埋めた日本人たちの慟哭が聞こえますか?

この日本人たちは日本政府の失策で殺されたのです。

日本政府と朝鮮総督府の「日鮮融和」、「内鮮(日本と朝鮮)一家主義」、「大アジア主義」というバカげたグローバル政策によって。

戦前日本政府も国民に、相手が共産主義に染まっていようがどうだろうが「朝鮮人、中国人と協和しろ」と垂れ、「日本人はアジア人の鑑(かがみ)たれ。指導的民族である日本人は恥ずかしいことをやるな」と垂れて、屈従と忍耐を日本国民に強いた。そのくせ万一の場合の保護政策は何も考えていなかった。

そうして日本人があらゆる侮辱、凌辱に耐えた結果、助長した朝鮮人に日本人はなぶり殺しにされた。そして現在もその人たちの遺骨は朝鮮全土に放置されている。

日本人の遺体は凍った川に投げ捨てられ、春になるとその遺体はゆっくりと流れていったそうです。

だれにも守られず、日本人の10倍いる共産朝鮮人によって虐殺され、その死すら戦後政府によって隠ぺいされた日本人たちに、日本政府は

「ヘイトスピーチは恥ずべきこと」

などと言えますか?

また「おなじあやまち」をくりかえすのですか?


【平成の大本営「死なばもろとも、一億玉砕」】
自民、理念なき妥協の産物 ヘイトスピーチ法案 将来、不当な規制可能性も~ 「ヘイトスピーチは恥ずべきものだという共通認識でやってきた。ぜひその趣旨を多くの国民に共有してもらいたい」法案提出者の自民党の西田昌司氏は、12日の同委で法案の必要性をこう答弁。質問で「一緒にヘイトスピーチ根絶のため、国会の内外で力を尽くそう」と呼びかけた共産党の仁比聡平氏と、共闘ぶりを演出した。
本記事の資料

1927(昭和2)年-1935(昭和10)年 大阪市社会部労働課:

・朝鮮人はその群衆性が災いして日本人と融和できない
・朝鮮人の群衆心の特徴は残忍性が強いことである
・朝鮮人の群衆を煽動するのは社会・共産主義者である
・朝鮮人はどんなに残忍な光景が演ぜられようとも傍観している
・特に「日本人にやられた」と聞くと、それが事実でなくとも直ちに群衆となって不当な要求をする
・朝鮮人の群衆は煽動を妄信し交番を破壊するなど制止できない危険集団と化す
・朝鮮人は血の雨を降らすという粗暴残忍なことをあえてする


出典:1927(昭和2)年-1935(昭和10)年 大阪市社会部労働課編〔大阪市〕社会部報告 第123号 「なぜ朝鮮人は渡来するか」



 五 朝鮮人の群衆性

-1-


 内地(日本国内)の文化生活を夢みつつ遥々(はるばる)海峡を渡って本市へ流れ来る朝鮮人は、年々決河の勢(いきおい)を以って増加しつつある。しかし釜山埠頭で結んだ彼等(かれら)の甘夢はその内地移住と共に見事に裏切られて、貧困と争闘のうちに喘ぎつつあるのが殆(ほと)んど例外なき彼等の哀れむべき現状である。

何が彼等をそうさせたか、吾々(われわれ)はその原因の一つとして朝鮮人の群衆性を見逃すことは出来ない。即ち彼等はその群衆性に禍(わざわい)されて内地人(日本人)と融和し、或(あるい)は内地の文化生活にき均霑(きんてん。各人が平等に利益を得ること)するを得ないのである。

 群衆の成立は群衆心の成立によるものであり、謂(い)うところの群衆心の特徴は衝動性の劇(はげ)しいこと、妄信的且つ被暗示的であること、誇張性の強きこと、残忍性の強きことである。いま朝鮮人の性情を見るに、彼等は天性付和雷同性(ふわらいどう。定見もなく他人の意見に同調し従うこと)を有し、闘争を好み、議論を喜び、よくこれら群衆心の諸特徴を具(そな)えている。

又群衆の組織に必要なのは指導者であるが、而(し)かも朝鮮に於いては近時社会主義思想を喰物としてその抱懐する不平不満を解決せんとする所謂(いわゆる)新人主義者(社会主義者、共産主義者)あり、常に巧(たくみ)に群衆を煽動利用して自己の名と勢力を扶植するに汲々たるものが少なくないから、いづれの点よりするも朝鮮人はその群衆性を発揮するに極めて好都合な条件の下におかれてあるものといえる。

【おろかなる民衆を煽動して自己の名声、勢力を得る共産主義者】
2016(平成28)年6月5日。
朝鮮人群衆性川崎1

【共産主義者に煽動されるおろかなる民衆】
朝鮮人群衆性川崎5


(中略)

-6-


 また朝鮮では縄のれん式の飲食店が非常に多く飲食店につきものの喧嘩(けんか)がしきりに起るのであるが、一たび喧嘩が始まるや周囲には幾十人幾百人もの人々がこれを取り巻く。喧嘩の時間は二十分三十分長きは一時間にも亘(わた)るが、見物人は好奇心からいつまでも引揚げようとはしないのみか、大部分の者は全く傍観の態度で如何(いか)に残忍な光景が演ぜられようがただ拱手傍観、同情とか義憤から一人の加勢者も飛び出さない有様である。

 また何かの事故で誰かが交番に連行された場合には、直ちに黒山のような群衆が現われる。そして警官との小競合(こぜりあい)が始まったような時に、もし誰かが警官の横暴又は暴行を加えたなどの言句殊に「内地人巡査がわが親愛なる同胞を殴打して将(まさ)に死に致さんとしている」というようなことを揚言すると、群衆は忽(たちま)ちこれを妄信し遂に一個の集団を作って交番所を包囲し或は投石、破壊、闖入、反抗などの暴挙に出で制止すべからざる(制止できない)危険団と化するのが常である。

(中略)

-7-


 上述の如き朝鮮人の群衆性が本市(大阪市)に於いていかに現われているかというに、彼等は本市に来住するも多く場末に群居して特殊社会を形成し、容易に内地人と融和しようとしない。彼等は殆んど衝動的に付和雷同性を有し、事ごとに群衆を構成して粗暴なる行動に出づるを常とし、労働争議に、借家争議に、或は学童が殴られたとか、老母が爆殺されたとかいえば、直ちに仲間を糾合し団結の威力を示して不当なる要求をなす風がある。僅かな言葉の行違いや感情のもつれのために互(たがい)に徒党を組んで相争い、女や酒を原因として血の雨を降らすというような粗暴残忍なことも敢(あえ)てする。


1924(大正13)年 朝鮮総督府:主として三・一独立騒擾事件に関して

・三・一の群衆は三隊に分かれ、一隊はアメリカ領事館、フランス領事館を歴訪、第三群の大群は朝鮮総督府に向った
・朝鮮人の群衆は警官の剣、憲兵隊のピストルを見くびって制止を聞かなかった
・三・一前はナイフがよく売れた
・三・一で日本人は朝鮮人にまちぶせ攻撃され、日本人の子どもも襲撃され、婦人は強姦、輪姦された
・"少数"だった日本人は汽車、電車の車中、公園いたる所で朝鮮人に迫害され侮辱された
・日本人官吏の妻は毎夜朝鮮人に投石され発狂した
・日本人は警戒員の目の届かない所で朝鮮人に暴行された
・朝鮮人は4、50名~100名の群衆となって派出所を襲撃した
・約500名からなる朝鮮人の群衆は地方の面事務所(役所)を襲撃し面長を殴打負傷させた
・ソウルでは夜、日本人は一人歩きできなくなった


出典:1924(大正13)年 朝鮮総督府庶務部調査課 「朝鮮の独立思想及運動」



 第四節 示威運動

 一方民族代表と称する孫秉煕以下三十人の有志は明月館支店に独立宣言を了し万歳を三唱して将(まさ)に食卓に就(つ)かん(就こうと)するや警察官に拘束せられ直ちに本町警察署に引かれることになった。その途中彼等(かれら)の乗せられて居る自動車は熱狂せる群衆で填(埋)められ万歳と喝采を浴せかけられる、自動車上の人も亦(また)之(これ)に応え警官監視の際に乗じて車上からは多くの印刷物(独立宣言書)が撒布された。

 有志の乗せられて居る自動車が警察署の門内に消えてしまうや群衆は三隊に分れて示威運動を初めたのである。その一隊は先王の柩が安置され王の近親が昼夜となく慟哭している徳寿宮に向えその境内に集合した、此処(ここ)では遉(さすが)に静粛を保ち万歳を三唱し、朝鮮人街路を行列して歩いた。

 他の一群は外国領事館を歴訪することに決し第一に米国領事館、その次に仏国領事館へと向った。而(そ)して第三群は最も大群を以て成り、之(これ)は総督府を目ざしてその進路を向けたのである。

 この第三大群衆が総督府への途、朝鮮銀行の側(そば)を通って本町筋に来り、乗り込まん(乗り込もう)とする事態急なるを見た当局は直ちに龍山から三個中隊の出動を促し市内の警戒に任ぜしめた(任じた)のである、群衆が本町入口に向うや警官や憲兵は之に対して解散を命じた、けれども熱して勢いこんでいる群衆は之には耳を傾けない、警戒線を突破して続々侵入した、警官や憲兵は腰間の武器を利用せむとしても身に寸鉄を持たぬ群衆は、警官の剣も憲兵の拳銃も単なる威(おど)しに過ぎないものであると見縊(くび)って少しもその制止を聴こうとしない。

 そこで警官や憲兵は本町通に入れて両方から之を封鎖して之を監視し不穏の行動ある者は検挙する方策を執った、日は西山に春づいて、夜の帳(とばり)は降れん(降ろう)としている、かくて不穏の行動ある者は次々検束された、その前を妨げられその後れ鎖(とざ)された群衆中に、この狭き通りに封鎖されたのは警官や憲兵が夜の至るのを待ちて吾等(われら)を圧殺する為(た)めであると揚言する者があった、と群衆の恐怖は高調され、逃走を試み警戒線を突破せんと試むる者、他に逃路を求めて走らんとする者、前者は警戒の警官や憲兵と衝突したが、大部分は後者の方途に出た。

(中略)

 第六節 暴行

 騒擾(そうじょう。さわぎ乱れること)前本町筋の金物店からナイフが多く売れて居(お)った、商店では何(ど)うしてこの様に売れるのかと怪んで居た、処(ところ)が其(そ)の後間もなく独立運動が行われた、だから無抵抗主義を標榜はしていても、どんな暴行が行われるかも知れないと云う恐惶(きょうこう。おそれつつしむこと)が内地人の間に湧いた、そして一日後五日後各所で投石や要撃(ようげき。まちぶせ攻撃)が行われた事が伝えられた。

(中略)

 かく人種感情的対立になって来ては仕末(しまつ)に了(お)えない。鐘路方面に通う内地人小学生徒が鮮人に暴行され欠席しなければならないような事となった、この小供(こども)を持つ父兄が憤慨するのは無理もない、場末に近い内地人の稀薄な所では幾人かの内地人婦人が強姦せられた、東部では訓錬院に連れ行かれ輪姦の結果人事不省(じんじふせい。知覚を失うこと。意識を失うこと)に陥れられた者もあり、西部ではある教養ある婦人が辱められたために憤死してしまったとも伝えられた。

(中略)

 汽車の中に於て、電車の中に於て、公園に於て、郊外に於て少数の内地人は多数の朝鮮人の為(た)めに迫害され、侮辱された、市内でも日中は軍隊、警官や憲兵やの警戒がある為め何事もなくても、夜中は日中とは反対に彼等の独(ひと)り舞台の如く各所に集合して万歳を唱え警官が来るや散じ去れば又集まる、只(ただ)それのみではなく各所を横行して居るが為めに奔命(ほんめい。君命に従って奔走すること)に疲れたる警戒員の眼の届かない所では内地人に対する暴行が行われた、寿松洞の一官舎に住居した官吏の妻は毎夜投石せらるる(される)が為めに神経衰弱の結果発狂した者さえある。投石は交通機関の電車にも行われ三月二十三日以降四月に陟(のぼ)り夜間市内外各所に於て電車は投石の結果硝子(ガラス)を破られ、負傷者を出し又は停車され、乗客は脅迫され下車せしめられた(させられた)。

 暴民は四五十名又は百名の集団をなして市内鮮人町の警察官派出所の襲撃をなし、数箇所の派出所に投石窓硝子を破壊し、中には多数を恃(たの)んで警官の制止に服せず、頑強に抵抗し遂に死亡者(三名)を出したものさえある。

 市内に意を得ない処(ところ)の暴民は其の勢(いきおい)を市外に向け、空地、山上等に集合して万歳を唱え暴行は面事務所(現在の市役所、町役場に相当する)襲撃となり、纛(トウまたはトク)面事務所の如きは三月二十六日の夜約五百の暴民に襲われその雨戸を破壊され面書記は殴打負傷せしめられた(させられた)。

 之等(これら)の場合に使用せれた(原文ママ)暴民の武器は棍棒、割木、木槍(きやり)及び最も得易く得意とする投石であった。

 玆(ここ)に於てか数に於て少ない内地人は夜の京城(現ソウル)に於ける通行の自由を封ぜられたようになった、夜は四、五人の同行者がなければ出歩けないことになってしまったのである。


1926(大正15)年 朝鮮総督府:

・朝鮮の群衆は世界的思潮(社会・共産主義)によるものであるが、朝鮮の群衆は他と異なる環境と人から成る
・朝鮮の群衆は"責任感の薄さ"から意外の行動をすることが少なくない
・注視していないと事件は不測の時に出現する
・朝鮮人の運動が熾烈になると、ほとんど決まって群衆状態となっている
・朝鮮人の心をとらえるのは「日本人が朝鮮人をどうかした」という言葉であり、この言葉を聞くと朝鮮人は興奮、憤激し直ちに一つの固まった群衆となる


出典:1926(大正15)年 朝鮮総督府 村山智順 「朝鮮の群衆」



 はしがき

 朝鮮に於ける聚団(聚:じゅは集まる、集まりの意)現象は近時著しく眼について来た。これは現世紀に流るる世界的思潮の一特色たる多数主義、団結力万能観念の波及に依るものであるから、朝鮮に於ける聚団現象も世界各地に頻発するものと異相なき訳(わけ)であるが、朝鮮は朝鮮及び朝鮮人という他と異なる環境と人とから成り、その社会生活関係に朝鮮的なものを有(も)って居るから、従って此処(ここ)に生起する聚団現象にも朝鮮的なところがある筈(はず)である。

 朝鮮に於ける聚団、即ち団体的に運動をなすものには大別して民族運動、社会主義運動を標榜するものを始めとし、それぞれの目的達成の為(ため)に結ばれた会、組合など数(かず)限(かぎり)なく存在する。之等(これら)のものは或(ある)特定の規約の下に比較的長期間に渡る、即ち永続性を有する聚団であるが、此(この)種のものと幾分その赴きを異にし、一定の規約或(あるい)は永続的性質を有たないところの聚団がある。それは群衆である。

 群衆に対しては、従来その聚団関係が、無秩序的であり一時的であるところから、左程(さほど)注意せず突発的な烏合の衆として重要視して居なかった傾きがあった。けれども無組織的なるだけ聚団構成が容易であり、無秩序的であるだけに、責任感の薄いところから意外の行動を敢(あえ)てすることが少くない。

永続性のないが為(た)め之(これ)に対して平生(へいぜい。ひごろ。ふだん)注意しないことになり、従って事件が不測の時に出現する場合がある。又秩序あり永続的な聚団でも、その運動が熾烈になって来る場合は殆(ほとん)どきまって群衆状態となって居る。だから群衆の観察は、群衆それ自体を了解するだけでなく、聚団現象としての行動を現解する上に於ても重要なことがらである。

(中略)

 第二節 交番前の群衆

 何等(なんら)かの事故で人が交番(駐在所派出所)に連行又は検束された場合そこには直ちに黒山のような群衆があらわれる。之等(これら)の群衆は変ったこと見たさ知りたさの好奇心から集まった者達であり、何か事件が勃発し、展開して行くのを待つ人達であるから、警官の制止や解散命令だけでは寸散尺集遂には如何に解散させようとしても後ろは十重二十重の人垣が築かれた為(た)めに身動きもならない事になってしまう。

被検束者の仲間は此(こ)の群衆を背景にして被検束者を脱還(原文ママ)せむと試むる、そして警官と小競合(こぜりあい)を始める場合があるが、此の時誰かが警官の横暴又は暴行を加えた等の言葉を揚言するや群衆は之(これ)を妄信して遂に一個の集団となり、交番を包囲し、悪罵喧囂(けんごう。やかましいこと。さわがしいこと)を極め、投石、破壊、闖入、反抗を敢てし遂に制止すべからざる(できない)危険団と化ってしまうこともある。

(中略)

 之等(これら)の不良輩は平素警察官に睨まれて、勝手な行動が出来ないところから、かかる際に警官を非難しようと、直ちに警官が人権蹂躙を敢てして居ると云うような事を揚言する、殊に彼等(かれら)の最も好んで言う言葉は「日本人巡査が、(又は日本政府に使われて居る巡査が)我が親愛なる同胞を殴打し将(まさ)に死に致さんとして居る、誰が之(これ)を救う者はない」と云う風な言い方である。

この内地人(日本人)が鮮人をどうかしたと云う言葉は最も鮮人の心を惹(ひ)くものらしく、この言葉を耳にした群衆は直ちに昂奮し、奮激して烏合の衆が一つの固まった群衆となってしまう、これを知って居る彼等は、よくこの手を施すのである。



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