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2016/06/07

共産主義者による日本人差別の歴史


6月5日の川崎デモで、デモ主催者とデモ妨害側がモミ合いになったそうですね。

日本が本当に差別国家なら、弾圧されている方はデモに反対なんかできませんよ?

共産主義者は自分らが差別されているふりをして、日露戦争後から111年間も日本人を差別してきました。

戦後日本で報道され続ける清潔で行き届いた日系アメリカ人収容所、アレも大ウソで実際は非人道的な虐待、虐殺が行われ、超有名な強制収容所のモデルではないかと思うほどです。


「レイシスト帰れ」がブーメラン
111年間も日本人に粘着している共産主義者↓↓↓
レイシスト帰れ1


日本人弾圧を喜ぶ国際金融資本の手下
左から民進党有田芳生議員、共産党畑野議員、社民党福島みずほ議員↓↓↓
レイシスト共産党1


本当の日系アメリカ人収容所では虐殺が行われていた↓↓↓
99年の愛日系人1


【本当の「差別」とは国を挙げて弾圧されること】

施行後さっそく川崎・渋谷で大混乱 「言論の自由を妨害するな」×「ヘイトデモやめろ!」 DJポリスも出動し…
2016年6月6日 産経ニュース

ヘイトスピーチ(憎悪表現)解消法が施行されて最初の日曜日となった5日、在日コリアン排斥などを訴えるデモをめぐり、川崎市と東京・渋谷で主催者側とデモを阻止しようとするグループがもみ合いになる事態が相次いだ。川崎市のデモは中止され、渋谷のデモは実施されたが反対派が進路に座り込むなどしてともに騒然となった。通行人らからは「大声でいがみ合って怖い」との声が聞かれた。(後略)


アメリカで始まった大々的な日本人弾圧の歴史

日本が日露戦争に勝利した1905(明治38)年、アメリカでは排日熱が高まっていました。

その理由は日露戦争に勝利した日本を脅威に感じたから、日本が満州をアメリカに譲らなかったからといわれています。

そしてアメリカでは排日同盟が組織されました。「同盟」なので共産主義的団体だと推察できます。

なぜなら共産主義者はタテの人間関係を排撃して、友愛やネットワークというヨコつながりの人間関係を好むからです。


鳩山由紀夫肖像


戦前、極左日本人・朝鮮人を育てて日本や朝鮮に送りこんだ共産アメリカでは、排日同盟のほかにも排斥同盟などの団体がいくつも組織され、その同盟員の数は約450万人に達したそうです。

1906(明治39)年にはカリフォルニア州で「日本人学童隔離法案」が成立し、日本人学童は中国人の学校に通うよう命令されました。

国家的には、有名な日本人を弾圧する二法案が可決成立しました。



(1)1913(大正2)年…排日土地法が成立、日本人の土地所有、三年以上の土地賃借の禁止

(2)1924(大正13)年…排日移民法が成立。それまで無制限だった日本人移民が年146名に制限される



アメリカで制作された排日土地法ポスター↓↓↓排日土地法ポスター

日本人を強制収容したユダヤ人

そしてとうとう1941(昭和16)年12月8日、太平洋戦争の火蓋が切って落とされると日本人は民間人も収容所に収容され、戦争捕虜のような扱いを受けることになったのです。

その日本人強制収容政策と原爆製造・使用を管理したのは同一人物でした。

その人物とは原爆投下がアメリカ兵100万人の命を救った説を捏造したヘンリー・スチムソンです。

この人物は陸軍長官や国務長官などの要職を歴任していますが、ニューヨークの裕福な家に生まれてイェール大学を卒業という生い立ちを見れば共産主義者(ユダヤ人)であることがわかりますね。


ヘンリー・スティムソン1
【写真出典】Wikipedia


【映画「ある愛の詩」】
「彼はイェールよ」=彼はユダヤ人よというセリフが出てくる(動画は音楽のみ)

日系アメリカ人収容所一覧(一部抜粋)

アメリカおよび連合国側が設けた日本人収容所を一部抜粋してみました。

これらの収容所に約13万人の日本人が土地も家も財産も剥奪されて強制収容され、虐待、虐殺されました。

これ以外では、カナダ、メキシコ、キューバ、パナマなどでも約30万人の日本人が虐待を受けたそうです。

・リヴィングストン抑留所
・ハワイ抑留所
・ミゾラ抑留所
・マッコイ抑留所
・ロウアー抑留所
・ハート・マウンテン抑留所
・ジェロム抑留所
・ケネディ抑留所
・クリスタル・シティ抑留所
・マンザナール抑留所
・ニューカレドニア収容所
・フェニックス収容所
・ボスト収容所
・タクソン収容所
・ボストン抑留所
・ギラ・リヴァー抑留所
・グラナダ抑留所
・ミニドカ抑留所
・トッパース抑留所
・サンタフェ抑留所
・クースキア抑留所
・エンジェル島抑留所
・マデガン・ゼネラル・ホスピタル抑留所
・デトロイト抑留所
・チュール・レイク抑留所
・サンド・アイランド抑留所
・シーゴーヴィル抑留所
・コスキタ抑留所
・グリーンウッド抑留所
・第一〇一抑留所
・フォート・サム・ヒューストン収容所
・シーゴヴィル収容所
・フォーレスト抑留所
・ローズバーグ抑留所
・クリスタルシュノリ抑留所
・シカゴ抑留所
・リンユルン抑留所
・コロラドリバー集団生活所
・フォトリンコルン抑留所
・デオリー抑留所(インド)
・ラブデー抑留所(オーストラリア)
・ヘイ抑留所(オーストラリア)
・ポケン収容所(スイス) 他

【出典】
アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B02032520300:大東亜戦争関係一件/交戦国間敵国人及俘虜取扱振関係/一般及諸問題/在敵国本邦人収容所視察報告/在米の部第一巻
アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B02032523300:大東亜戦争関係一件/交戦国間敵国人及俘虜取扱振関係/一般及諸問題/在敵国本邦人収容所視察報告/在米ノ部 第二巻

日本人が収容所で受けた虐待・虐殺↓↓↓

・日米開戦の当日、日本人一斉検挙(サンフランシスコ)

・日本人追放令が公布され、日本人3万余人がロッキー山麓の不毛地「死の谷」に強制収容(西部太平洋岸)

・日本人をアリゾナの砂漠地帯に追放(ロスアンゼルス)

・日本人収容所の周囲には二重、三重の鉄条網が張られ、武器を持った見張りが立つ(全米の日本人収容所)

・1942(昭和17)年6月第一次交換船出発までに悶死、病死、射殺された日本人十数名、サンペトロ在住25年の本多医学博士は邦人待遇改善を申し出て虐待され死亡(サンペトロ収容所)

・垣根に足をかけただけの日本人を射殺(オクラホマ州の収容所)

・重病の妻を介抱する夫を強制収容

・強制収容した日本人に星条旗への敬礼を強要

・日本のスパイの巨魁という理由をつけて日本人を逮捕

・毎夜、収容所の点検をして日本人収容者を睡眠不足にさせ、神経衰弱患者が続出

・在留日本人数百名がサンド島に監禁され強制労働させられる(ハワイ)

・ガン患者などの重病を患う日本人から強制収容して故意に死亡させる(ロスアンゼルス)

・高齢の日本人収容者に零下20度の中、破れた夏服のまま、屋外に食事に行かせる(ミゾラ抑留所)

・定員2名の地下留置場に十数名が押しこまれ、トイレに行くことすら禁止される(ロスアンゼルス警察署)

・ソロモン海戦で日本が勝利すると日本人収容者に言語に絶する虐待を加えた。その知らせを聞いた収容者が強制労働をボイコットするとアメリカ当局は軍隊を出動させ、全員刑務所に監禁した(アリゾナ州強制労働農園)

・日本人男女を丸ハダカにして身体検査(交換船が出航する港)



余談ですけど、最近韓国が「朝鮮人収容所」を捏造しようとしているので先回りして書いておきますが、戦前日本在留朝鮮人は200万人以上いたのに、朝鮮人収容所が軍艦島だけとは"バカか?"と思います。

しょせん、朝鮮人強制連行は捏造ってことですね。


決着一転…韓国、土壇場で「強制労働」に固執か 「軍艦島」をナチス収容所と比較も
2015年7月5日 産経新聞 (ウェブ魚拓)

【ボン=宮下日出男】「明治日本の産業革命遺産」をめぐり、ドイツ西部ボンで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会は日韓の調整がつかず、土壇場で紛糾した。普遍的な価値を持つ世界遺産の審査の場が日韓の歴史問題に翻弄された形で、他の委員国からは困惑する声も出た。

(中略)

 関係者によると、韓国側は委員会でも激しいロビー活動を展開。「軍艦島」の通称で知られる端島炭坑(長崎市)をナチス・ドイツによるアウシュビッツ強制収容所と比較して、他国に理解を訴えたという。


世界一有名な収容所と日本人収容所はソックリ

戦前日本から北米、南米などに移民していった日本人たちは、日本政府の制止も聞かず怒濤のように日本に移民してきた朝鮮人と、それら無法外国人を偏愛する日本政府犠牲者でした。

そして世界一有名で再検証が禁止されている強制収容所と日本人収容所で起きたことは、おどろくほどよく似ている。

【世界一有名な強制収容所】
ホロコースト法律1法律で禁止されているユダヤ人虐殺・ホロコースト見直し論【アウシュビッツからアンネの日記まで】

【マンザナー(マンザナール)日系人収容所】
マンザナール収容所1
【写真出典】Wikipedia



世界一有名な強制収容所は絶対不可侵的扱いで、日本人収容所はなぜあんなに衣食住足りてたかのように捏造されて戦後日本人をダマしてきたのでしょうか?

それに当時国を持たなかった人種、民族が戦後71年経った今でも、ドイツや日本という国家を糾弾できることが不思議でなりません。

しかも当時「弱者」だった彼らが、当時寄生していた国をいまだに迫害し続けている。

そういうことができるのは、やはりインターナショナルだからでしょうね。

われら日本人が受けた真実の差別、弾圧は隠ぺいされ、エセ被圧迫民族は「日本人はレイシスト」と世界に宣伝する。

これが「本当の差別」ではないでしょうか?

戦前弾圧されたわれらのご先祖さまたちも、自分たちが受けている差別、弾圧を外部に知らせることができなかったのです。

ウリ「日本人のヘイトスピーチやめさせろニダ!」

日本国「ハイハイ、ヘイトスピーチ解消法案成立させましたよ」

日本警察「ハイハイ、日本人のヘイトデモやめさせましたよ」

ってな状態で、どこが「差別」されているのでしょうか?

本当の差別とは存在を否定され、いない者としてあつかわれることです。

日系アメリカ人が受けた差別、弾圧のように、国を挙げて法まで成立させて排斥されることが本当の差別です。

エセ被圧迫民族と外国人偏愛日本政府のせいで、日本人差別が日本国内にまで侵入してきました。

このままでは終戦後GHQが言ったように「日本人を日本という監獄に押しこめた」という状況になってしまいます。

われら日本人はこれらの差別、弾圧を粉砕していかねばなりません。

日本国の名誉と弥栄を守り、差別されて死んでいったご先祖さまを慰霊するために。

とりあえず外国人に肩入れする候補者は、選挙でかたっぱしから落選させましょう。

本記事の資料:
日本人収容所の惨劇にナチスの強制収容所の写真を貼ってみた


出典:1943(昭和18)年 大日本産業報国会編 「鬼畜米英罪悪集」 



 抑留邦人への暴虐

 大東亜戦争開始以来、敵国在留日本人に加へられたる非道なる圧迫は、言語に絶するものがある。天人共に許すべからざる暴虐の下に、抑留同胞は、いまなほ呻吟している。

 現在、敵国で、監禁生活に苦難の日を送っている同胞の概数は、北米の五千、カナダの二百五十、印度(インド)の二千余、濠洲の三千五百を算している。この他北米では、拘禁所にこそ収容されてはいないが、多年、太平洋岸で、刻苦経営、営々として絶えざる奮闘によって築き上げた地盤を根こそぎに剥奪され、流人の如く追放移動を強制されたものは、実に十三万を突破している。さらにカナダ、メキシコ、キューバ、パナマ等を加ふれば、約三十万の同胞が非人道的な虐待を受けている。

 鉄条網でめぐらされたアメリカ北端の拘禁所の鉄窓から、零度二十度の寒さに、やぶれた夏服を八十歳の老の身にまといながらも「自分達の身は、どうなろうともかまわない。祖国の同胞よ、大東亜戦争に勝ちぬくために、頑張ってくれ!」と血の叫びをあげている。この抑留邦人の悲痛な声が、太平洋の怒濤を越えて、聴えてくるではないか!

 遠く敵国に残って、あらゆる苦難をなめつくしている同胞にとって、たった一つの光明と希望は、祖国日本が、米英の最後の息の根を止めて、大東亜戦争に完勝することにあるのだ。

 ここに文明の仮面をかぶる鬼畜が、在留邦人に加へた暴虐行為を列挙する。だがしかし、これは交換船で帰朝(きちょう。日本に帰国すること)した人々によって齎(もたら)された実話のほんの一部分にすぎない。


 日米開戦の当日、日本人の一斉検挙がはじまった。サンフランシスコでは、日本人を一人捕らえるに、武装警官が五名もやって来た。


ナチス銃殺2

 
 捕えられた人達は、雨天体操場のような移民収容所に監禁された。食事の如きもアイスクリームの容器位のものに、ボロボロの支那米をたった一杯与えたのみであった。


ナチス収容者1



 日本人追放令により、西部太平洋岸に数十年住みなれた邦人は、農園から、商店から、住宅から、たたき出された。三万余人の邦人は、ロッキー山麓の不毛地の一番奥に収容させられた。そこは、山から塩が流れ出て、塩の沙漠になっている不毛地である。そこは「死の谷」といわれて、広い土地はあっても誰もよりつかなかったという所である。


ナチス列車と人1

強制収容される日系アメリカ人1


 アリゾナの沙漠地帯へも、ロスアンゼルス在住の同胞が多数追放された。ここは原住民のインデアンを殺すだけ殺して、いま山の奥へ追込んでいるのである。その入口に九万エーカーの土地を、アメリカ陸軍が租借して日本人を入れている。そこで邦人は、種を播き苗代を搔いて苦しい自活をしている。邦人は一杯のお茶ものめず、食物は、小麦粉を練って何か拵(こしら)えて食べている。実にあわれな生活をしているのである。


 アメリカ各地の収容所には、約五千の同胞が抑留されている。各収容所の周囲はすべて、二重、三重の鉄条網で取巻き、四隅に見張櫓(みはりやぐら)を設けている。機関銃および探照燈で、武装警官が厳重警戒している。邦人をまるで戦時捕虜の如く取扱っているのである。


ナチス鉄条網1



 昭和十七年六月第一次交換船の出発までに、各収容所内で悶死したもの、病死したもの、射殺されたものなど十数名に達した。サンペトロ在住二十五年という本多医学博士は、被抑留邦人を代表して待遇改善方を申出たところ、官憲の苛酷な虐待をうけて遂に死亡した。これがため本多夫人は発狂した。


ナチスビルケナウ収容所1



 抑留された人の中には、五人も子供のある人もいた。重病で頭の上らない妻を、看病している夫を無慈悲にも引張っていった。寒中、職場からシャツ一枚で拘引された同胞もあった。またオクラホマ州の収容所で一邦人は垣根に足をかけただけで射殺された。


ナチス母親銃殺1



 夫が捕えられその留守宅では、妻は一銭の金もなくパン一斤を買うことも出来ず、電気は消されガスは止められた。暗い部屋で空腹に泣く子供をすかしながら、祖国日本の勝利を祈っていた。水を飲んで空腹をこらえても、断じて米国官憲に頭を下げずに頑張っていた。


ナチスユダヤ人女性1



 キャンプの抑留同胞に、米国の国旗に敬礼をせよという命令が出たことがあった。しかし、邦人達は「我々は、敵国の国旗に敬礼は出来ない」と勇敢に拒絶した。そのとき米軍の司令官が「日本では米国の俘虜に敬礼をさている。お前達も礼をしなければいけない」といった。
 
 そこで抑留邦人達は、「日本にいる米国の捕虜は戦闘員である。武器をすてて日本軍に降服したものであるが、われらは非戦闘員である。捕虜ではない。それでも敬礼をせよというのなら、全員切腹して相果てる」と一蹴したのである。
 
 そこで敵の軍司令官も折れて「敬礼せんでもよい。唯(ただ)ぼんやり立っておれ」といった。


 日本のスパイの巨魁(きょかい)が、密書を焼いているところを捕えたと、アメリカの新聞が大々的に報道したことがあった。

 それは、枯草を処理しようと思って焼いていたところを捕えたものである。
「お前はなにをしていたか」
「枯草を焼いていたところです」
「いや、密書を焼いていたのだろう」
といって、とうとう日本のスパイの巨魁にされてしまった。


 米官憲は毎日のように、深夜抑留邦人を点検した。これは捕えて来ると何の証拠も見付からないから、神経を刺戟(しげき)して錯覚をおこさせて、泥を吐かせようとした。睡眠不足から神経衰弱患者が続出した。


ナチス収容所看守1



 ハワイ在留邦人数百名は、サンド島に監禁された。炎天下で溝掘り、道路工事など不眠不休の強制労働をさせられた。この強制労働のうちには、重い石を運んではまた元の場所にもどさせるような侮辱的な行動も多かった。


 ロスアンゼルス日本人会長、藤岡四郎氏は、胆石病で重態であったところを捕えられた。アメリカ官憲は、胃癌、直腸癌、糖尿病、肺結核というような重病人を床から引摺り出して抑留所へぶちこんだ。これがため、病死者が続出した。


 ミゾラの抑留所では、捕まった人達の平均年齢は六十二歳であった。よぼよぼのお爺さんは、みんな在米数十年の人達である。アメリカのためにも広大な平原を開き、鉄道を拵えた。また砂原で人間の住まなかった沙漠を、緑滴る農園に仕上げた功労者でもあった。これらのアメリカの恩人ともいうべき老人達が零下二十度の雪の降る中を、破れた夏服で震えながら、傘もささずに、収容所のバラックまで御飯を食いに行ったのである。

 これは、人道を弁(わきま)える人種のなしうることでは、断じてない。


ナチスアウシュビッツ入口1



 ロスアンゼルスの警察署に拘留された邦人は、定員二名の地下留置場に、十数名も押しこまれた。排泄物も外部で行うことは禁止され、小さな部屋は、排泄物の悪臭のため窒息者すら出た。


ナチスベッド1

ナチス収容所トイレ1
☞アウシュビッツのトイレ




 山奥のキャンプに抑留されている、よぼよぼの老人達のうちに、八十三歳になる憐(あわ)れな同胞がいた。第一回の交換船で、引上げることになった若い友人をとらえて、
「この戦争がすむまでは、自分の生命は続かない。ここで死ぬことだろう。だが、君は日本へ帰ったら日本の人に言い伝えてくれ。自分は、ここで身を生き埋(うめ)になって死んでも良い。どうか日本は、この戦争に勝ってくれ。石に噛(かじ)りついても、砂を噛(か)んでも勝ってくれ。 ─── 」

 老の瞳に涙を流して、悲痛な伝言をしたのである。

 
 ソロモン海戦の赫々(かっかく。あらわれて盛んなさま。功名などの人にすぐれているさま)たる大戦果が判明すると、米当局は抑留中の日本人に対し、言語に絶した非人道的な圧迫を加へた。これを知ったアリゾナ州の農園に強制労働をさせられていた二万余の同胞は、極度に憤激した。このうち約七千人は五日間にわたって、抑留邦人への暴圧に抗議する意味をこめて、労働拒絶の団体行動に出た。米当局は軍隊を出動させて罷業(ひぎょう。労働を拒否すること)参加者を全部刑務所へ監禁した。


ナチス収容所の兵士たち1


天安門事件1☞天安門事件で出動した中国人民解放軍の戦車。ソ連収容所で囚人の暴動が起きた場合も戦車が出動して鎮圧した。



 交換船に乗船する前に、男も女もみんな丸裸にされた。腋の下、足の指の間迄も隈なく検査された。男は四つ這(よつんばい)にまでされた。また乗船者の所持品のうち、金目のものは、すべて没収され、子供の玩具まで取上げた。


ナチス裸1


【写真出典】【悲惨な戦争の現実】アウシュヴィッツ強制収容所の写真【グロなし】



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