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2016/06/03

韓国が強制連行を否定する証拠を世界記憶遺産に登録!


韓国の衡平(こうへい)運動が世界記憶遺産に登録されたそうですね。

実にめでたいニュースです。

衡平運動というのは共産主義の差別撤廃運動のことです。

なので日本人は、共産党の侵略と戦っていた日本が赤化した朝鮮人を強制連行したり、従軍慰安婦にしたりするはずがないと公然と否定できるようになりました。

いまや世界は反中国、反北朝鮮ですからね。

韓国は日本の世界遺産登録を妨害したので、こんなバチが当ったのでしょう。

ということで、お祝いも兼ねて朝鮮衡平運動とそれがらみの事件についてアップしました。


【おろかな韓国、日本はラッキー】

世界記憶遺産アジア版 .
つながる記憶遺産 反差別、朝鮮との絆 水平社資料を登録

2016年5月29日 毎日新聞

水平社資料、ユネスコ・アジア版に

 部落解放運動を進めた「水平社」と、日本の植民地支配下の朝鮮半島で差別解消に向けて作られた「衡平社(ヒョンピョンサ)」の交流を伝える資料が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)アジア太平洋地域版の記憶遺産に登録された。


 文部科学省によると、同記憶遺産には今年5月時点で、極東国際軍事裁判の記録(ニュージーランド)など46件が登録されているが、日本からは初めて。「水平社と衡平社 国境を越えた被差別民衆連帯の記録」として登録された。水平社を創立した1人の米田富が衡平社の創立過程などを記録した手帳(1924年)や、衡平社の趣意書を紹介した日本の雑誌(29年)など5点が含まれる。

 水平社は人間の尊厳と平等を訴えて22年に創立され、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」とうたった水平社宣言で知られる。

 衡平社は23年、朝鮮王朝時代から一般集落に居住できないなど過酷な身分差別を受けてきた人々「白丁(ぺクチョン)」を中心に創立された。

 資料を所蔵し、登録申請した水平社博物館(奈良県御所市)の守安敏司前館長は「手を取り合った過去を思い起こし、日韓の新たな協力を築くきっかけにしたい」と話している。登録資料(一部レプリカ)は水平社博物館に展示されている。【塩路佳子】


これくらいめでたい 韓国衡平運動世界記憶遺産登録

共産主義者が日独伊侵略同盟などと呼んだりする日独伊三国同盟ですが、その前身は日独防共協定でした。

これは世界的な事実なので、捏造することはできません。

日独防共協定成立@1936(昭和11)年11月26日付
朝日新聞↓
asahi_boukyou_kyoutei.jpg


日独伊三国同盟成立@1940(昭和15)年9月28日付朝日新聞↓日独伊三国同盟2


朝日新聞ですら日独伊三国同盟成立の記事に


"日独伊三国同盟の成立はかつて防共協定によって結ばれた三国枢軸を一段と強化し現状維持国家群に対する枢軸国家の新らしい姿勢として国際政局に大きな波紋を投げているが、これを我が国の外交政策の上から見る時は、第二次近衛内閣成立以来の重要課題となっていた帝国外交の一大転換が玆(ここ)に一応の完成を見て、今後全く新しい外交発足をなすものとして注目される"

※管理人注
・枢軸…第二次世界大戦における反共国のこと。また現状維持国家群に対し、領有する植民地が少ないあるいは領有していなかったため「不満足国」ともいわれた。
・現状維持国家群…第二次世界大戦における容共国または第一次世界大戦における日本以外の戦勝国および広大な植民地を領有している国のこと。「満足国」とも言った。中国の南沙諸島侵略について連合国は「現状変更を望まない」と言っているのはみずからが満足国であるため。戦前日本はドイツから継承した中国の権益を米英に蹂躙されたので不満足国となった。


と書いています。

赤枠内拡大↓↓↓
日独伊三国同盟3

そして日本軍は「敵は共産党だ!!」と公言しています。満州国建国もソ連南下を防止するためであって、中国、朝鮮の対日ヘイトスピーチにある「侵略」ではありません。

帝国陸軍「課せられた問題は共産党掃滅」
剿共自衛1【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C13031979500:昭和17年8月 陸軍省 「剿共自衛」


しかも当時の朝鮮では1917(大正6)年のロシア革命後、共産運動が急速に進み、1935(昭和10)年時点で朝鮮総督府は

「朝鮮のだれもが共産運動の雰囲気にまきこまれた」

と調査資料に記しています。

長い年月、朝鮮の共産運動は醸成され続けたので、日本敗戦と同時に一気に革命熱が爆発し、朝鮮人は「この帝国主義者めが!」と数万人にのぼる日本人を虐殺したのです。ただの「思想」のためだけに。

文章の流れで長くなりましたが、要点はラストの赤文字の部分です↓↓↓

出典:1923(大正12)年-1935(昭和10)年 朝鮮総督府 [朝鮮総督府]調査資料 第20集 「朝鮮人の思想と性格」 第一編 朝鮮人の概観 七 朝鮮人思想の傾向



 併(しか)し昔より幾多の変遷を経て来た朝鮮の思想界には左程(さほど)変った思想を見出されなかった。と云(い)うのも変遷其(そ)のものが一向性質に於て激しき変りを示すことなくまったく同一轍を踏み来たったのが其の一原因であり、今一つは遠き昔より彼(か)の儒教両思想が殆(ほと)んど民心の牛耳を取って来たのに原因する。

中にも儒教は一層其の根を深く一般の頭に挿(さ)し込み彼等(かれら)をして何んともし得ない位に風靡したものである。諸般の施設、制度政治の精神さえ儒教に立脚せざるは皆無であった。

而(そ)して一向外界との接触なく唯(ただ)狭苦しき半島内に於て儒教思想に化され、その思想に立脚した統治の手に治められて来たりし為(た)め、其の思想は何時(いつ)も激変なく多少反発的思想が台頭したとしてもそれは局部的にして甚(はなは)だ萎微不振たりしものであった。

それが漸く近世に鎖国の桎梏(しっこく。手かせ足かせ)を脱れ朝鮮以外の者と接触する様になり、且つ又泰西(たいせい。西洋)の思想をも国情をも吟味するに至ってから始めて一般の思想は稍々(やや)動き出したのである。

朝鮮人は余りにも儒教そのものに飽きて居るそして彼等は幾許(いくばく)でも外地の文物を味(あじわ)い弄(もてあそ)ぶ事が自由になった。玆(ここ)に於て彼等は段々と儒教の覊絆(きはん。束縛)を離れんとし同時に思想界は揺ぎ出したのである。

其の後彼等の環境は一変して日韓合併となった進んで世界には社会主義的運動が熾烈となって来た。環境は変る押し寄せる思想には感染する。折しも欧州大戦(第一次世界大戦)の結果民族自決主義が唱えられ露西亜(ロシア)に於ては赤化の運動が勃発した。彼等は之(これ)を機会として所謂(いわゆる)大正八年の独立騒擾(三・一独立運動)を起し且つ又到る処に於て露骨に左傾運動を遣(や)り出した。それが月日と共に益々激しく成って来て昨今は殆んど誰も此(こ)の雰囲気に捲き込まれたのである。




共産主義は伝染病やカルト宗教のように接触感染または口伝えで広まるものですから、敵と結託している民族を手当たり次第に強制連行したり、従軍慰安婦にして兵にあてがうなど

絶対にありえない!!!

のです。

カンタンな話、現在も「反日~、反日~」とさけんでいる朝鮮半島や中国に行って現地人を数十万人強制連行してきて、日本の企業に押しこんだり、従軍慰安婦にして自衛隊員一人一人にあてがうか?ってことです。

ありえないですよね?

そんなことしたら刺されるか、飲み水に毒を入れられるか、性病をうつされて悶絶するか、企業秘密や機密を本国に流されるか、放火されるか、夜ごと天皇制の悪と戦争の真実(という虚偽)、人民平等の桃源郷で洗脳されて人生まちがうしかありませんよね。

戦前日本も現在日本とまるっきり同じ状態だったのです。

当時の日本にしてみれば朝鮮を近代国家にするために巨額の投資をし、防衛まで担っていたのに当の朝鮮人は反共日本を裏切って共産主義者を受け入れ、赤化していました。

日本にしてみれば実に胸クソの悪い話です。

しかし事大主義の朝鮮人にしてみれば、心から敬愛するアメリカ様やソ連様、中国様が推奨する共産主義になびかずにはいられなかったのでしょうね。

ま、その事大主義のおかげで、真実の歴史を知らない韓国が強制連行否定の証拠を世界記憶遺産に登録してくれたので、日本人は公然と特ア三国や共産主義者の日本悪宣伝を否定できることになりました。

よかったですね。

「強制連行なんかやってねーよ!」という証拠は、共産主義的超国家機関国連にありまーす。

韓国はまだ日本から賠償金を盗るつもりのようですwww
↓↓↓

東南海強制連行1強制動員:東南海地震で死んだ朝鮮人二人に日本政府の補償・謝罪求める 2016年6月1日 朝鮮日報


高校生従軍慰安婦1慰安婦合意:韓国女子高生、国連NGO大会で日本に謝罪要求へ 2016年5月28日 朝鮮日報

「差別だ、差別だ」と言い続けて93年 朝鮮人の衡平運動とは

南鮮地方の普通民「生意気な白丁のくせに」
共産主義者が衡平運動を指導

戦前、日本に移民してきた朝鮮人の大半が南鮮出身の白丁でした。彼らは祖国で受ける弾圧から逃れて日本に移民してきたのです。

共産主義者が彼らを衡平運動へと駆りたてたのは、革命勢力として彼らを利用するためでした。


出典:1926(大正15)年 朝鮮総督府 村山智順 「朝鮮の群衆」 第四章 階級争議にあらはれた群衆



 第二節 衡平運動

 大正十二年五月朝鮮の一角慶南晋州に衡平社の設立を見るや、それはやがて朝鮮社会階級争議の火花を散すようになった。之(これ)を世に衡平運動と称する。云(い)うまでもなく衡平社は朝鮮最下階級を為(な)す白丁の組織せるもので、その運動の目ざすところは、自らの生活向上と他からの差別待遇を改(あらため)うと云(いわ)させよう事にあった。

 この衡平運動の勃発した動因に就(つい)ては数種のものを数えることが出来る。が就中(なかんずく)その直接主要なるものは次の如きものであろう。即ち対抗的反感、社会運動者の援助、及び内地(日本国内)水平運動の影響等であろう。

(中略)

 然(しか)るに南鮮地方では、その数の多いこと、聚団(聚〔じゅ〕は集めるの意)をなして居ること及び南鮮地方の普通民はその昔(むか)し常民として両班に虐げられた模倣から白丁に対しては己れ両班気取りで圧迫を加えることを何とも思って居ない。之(これ)に対して教育と時勢に覚醒(共産主義にめざめること)して来た白丁が屈辱を感ぜずには居られない。何かの事柄で普通民と対立して行こうと云う、一方普通民は「生意気な白丁のくせに」と蔑視すると云う相反する二つの気分が熾烈に衝突することを免れ得ず、機会があれば将(まさ)に爆発せんとして居たのである。

 朝鮮に於ける社会運動と目すべき、小作争議、労働争議が所謂(いわゆる)新人と自称する青年思想主義者に依って援助され、指導されたと等しく、衡平運動も亦(また)之等(これら)の主義者(共産主義者)の援助に俟(ま)つところ甚(はなは)だ多く寧(むし)ろ該運動は主義者の画策せる運動の如く考えられないでもない位である。

所謂新人主義(共産主義)者は現状打破に依って合理的な社会の出現に努むると云う看板をかけては居るが、政治的にも経済的にも社会的にも相等(当)の地位を贏(勝)ち得ざる不平が常に鬱勃として機会だにあらば、利用し得るものあらば、之(これ)をとらえて自己の勢力拡張を目碌(ろ)み、多数の群衆力を得て、の抱懐せる主義目的を達せんとし、併(あわ)せて調査、出張、経営等の名の下に物質上の供給を得んとするものであるから、何等(なんら)か反感を有し不平を抱く何者に向っても、之を煽動し、之を後援し、之を指導し以て自家掌中のものとすることに汲々たるものである。




1923(大正12)年4月 朝鮮に衡平社設立
なぜか朝鮮総督府に抗議、要求そして共産主義者と連携へ


衡平運動者らは資本金二十万円の皮革会社を設立してその利益を衡平運動費にあてることを決議しました。

そしてなぜか李王家や両班、地主ではなく、朝鮮総督府に白丁解放施設を作れだのなんだのと要求し始めました。

中華思想によれば日本人は朝鮮人よりも身分が低い民族なのだそうですが、この性質は国としてもまったく変わることなく、在日朝鮮人やその祖国はもう朝鮮半島に縁もゆかりもない日本に対し、在日同胞を保護する法整備をやれなどと要求したりする。

実際に朝鮮人を21万人強制連行したロシアには「賠償」の「ば」の字も言えないどころか、逆に「ソウルまでシベリア鉄道を敷設してくれ」と頼んだりする民族性ですから、衡平運動もみずからの解放というより自分より「身分」が下とされる民族を弾圧する、そんなふうにゆがんでしまっているのでしょう。

しょせん本当の問題に取り組む勇気のない者には真の衡平運動など実践できるわけがないし、差別撤廃をさけぶ資格もなく、かえってわけのわからない弊害を生む危険がある。

ヘイトスピーチ解消法案にしてもそれは「差別撤廃」のためではなく、日本人弾圧のために成立したと言っていい。

本当の差別とはアメリカのように排日移民法や排日土地法を成立させて、国を挙げて特定の人種、民族を弾圧することを言うのです。

それに日本は共産朝鮮民族を強制連行などしていないのですから、これまでさんざん強制連行やら従軍慰安婦などと対日ヘイトスピーチを世界にまき散らしてきた民族は、これからも非難されるでしょう。


出典:1936(昭和11)年 日本警察社編 「思想警察通論」  水平運動と衡平運動



 わが国に於ける水平運動は以上の如くであるが、朝鮮に於てもこれと同一な性質を有する衡平運動がある。

 元来、朝鮮には両班(ヤンバン)・常民・白丁(ピャクチョン)の三階級に別れ、政治的経済的実権は殆(ほと)んど両班階級の独占するところであり、常民階級は政治的特権こそ有しないが経済的実力は相当に持っていたが、白丁に至っては全くそれ等の特権実力を有せず、ただ上述の両階級から殆んど奴隷の如く待遇せられ最下層民として動物視せられて来た。

 ところがわが国に勃興した水平運動の刺戟を受けた白丁階級がその解放運動組織を持つに至った。 これが衡平運動である。

 大正十二年四月、晋州大安洞に於て衡平社を創立し、水平運動と同一の趣旨により自己の組織力によって賤称蔑視差別待遇から自らを解放し一切平等化運動を起した。これも亦(また)忽(たちま)ち全島に亙(わた)って進展し、大正十三年には釜山に臨時大会を開いて気勢を挙げ、資本金二十万円の皮革会社を起してその利益を衡平運動費に充つることを決議するに至った。

 かくの如くして組織された衡平社は、朝鮮総督府に対して白丁階級の解放施設に関して各種の要求決議をなし、急速なる実現を見ざるを以て総督府と抗争的態度を持つに至り、一方に於ては経済的運動化し無産階級運動(共産運動。無産階級とは生産手段を持たない労働者をさす)と気脈を通ずるに至って最初の出発趣旨とその方向を異にするに至った。更(さ)らに一方に於ては独立運動・民族運動に通ずるものを生じ、その行動は著しく統制を紊(みだ)し活動力を減衰せしめてしまった。




朝鮮の白丁差別がスゴイ 襲撃、殴打、不当罰金
1928(昭和3)年8月22日付京城日報


朝鮮の普通民は白丁を理由もなく殴ったり、襲撃したり、不当な罰金を科すことが許されていました。

その「白丁を迫害する自由」は、朝鮮人である朝鮮警察官も行使していました。


京城日報衡平運動1

衡平運動で事件殖える
六月以降だけでも十数件の不祥事

朝鮮における衡平社の差別撤廃運動は、内地の水平社、その他団体の刺激を受けて年々組織的なる勢力を増しつつあったがこれがために普通民との衝突は必然的に増加し殊に六月以降全鮮に勃発したおもなる事件は十数件におよびその性質はまことに憂うべき状態を示しているが最近注目された争議を掲ぐれば左の通りである。


契樹支部事件
 六月二十二日契樹衡平社支部
 創立当時同地普通民は差別撤廃運動する不都合であると称し衡平社支部を襲撃し大争闘を演じ支部員は普通民側二十余名を相手に告訴を提起した衡平社本部は傍観中


忠南某事件
 七月九日某署長は同地衡平社員を呼出し説諭するに当り武道場に呼入れ侮辱的言辞を為したとて問題惹起し衡平社本部に於ては本月八日署長宛警告文を発送し、更らに督促状を発すべく幹部等は目下協議している


論山事件
 七月十四日社員対普通民の喧嘩に対し駐在所巡査が不公平なる処置を取り差別的言辞を弄したことがあったが同件は当時すでに解決していたところ同月二十九日総本部では四名の代表を派遣し署長に警告文を差出し尚近く委員会を開催対策を講究すべく準備中である


成歓事件
 七月十五日頃某駐在所員が三ヶ月前の社員対普通民の紛糾事件に就き突然社員を呼出し金十五円を被害者に提供せよというたに対し事件発生し、本部では目下対策を協議中


全北任実郡事件
 七月二十四日面事務所小使某が白丁より肉を買うなど告げたが動機となり面長が侮辱的言辞を弄したとて総本部では直ちに面長に警告文を前後二回発送し、面長は八月九日回答して来たが本部では目下対策再協議中


新泰院事件
 七月二十日新泰院支部定期総会開催の際同地労働組合より会館借入れに当りその一部の者が吾等の会館を白丁に借しては穢れると拒絶したことより事件発生□本部では同一運動に立つ労働組合員よりこの言葉を聴うは由々敷問題なりとして警告文を発送すべく真相調査中である


堤川事件
 七月三十日社員某が豚買入れの際普通民と飲酒の上での喧嘩が動火線となり社員某は診断書を添えて告許したので加害者普通のは忠州地方法院に廻送された


天安事件
 八月六日社員某が犬買入れの際普通民より殴打されたので天安衡平社員は直ちに自動車で乗りつけ当局から解散されたので対策を協議している


礼山事件
 八月十二日同地に於て忠南衡平社大会閉会後普通民約千名が衡平社を襲撃血の雨を降らさんとしたが解散を命ぜられた普通民は牛肉非買同盟を組織すべく協議中なので本部では支部に命じ成行を□視している


舒川事件
 八月十三日、十六日同地よりの報道によれば犬肉販売のかどで衡平社員が三円の罰金に処せられた、犬肉販売は従来時に許可されていたものを突然この制裁を加えたは遺憾であると本部では社員に調査方を命じている、



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