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2016/06/01

金日成の慰安婦部隊


元従軍慰安婦キル・ウォンオク(吉元玉)がカナダで

「日本人は人として生きるため早く改心して」

と発言しました。

なので反論しますが、慰安婦部隊を従えていたのは金日成軍(正しくは軍ではなく共産匪賊団)です。

さすが従北朝日新聞。

北朝鮮がやったことを韓国を使って「日本がやった!」と宣伝させているわけだ。

「従軍慰安婦」というのは金日成をヒントに捏造した話だったわけだ。

それはそうと、韓国は自称従軍慰安婦全員、親北罪で逮捕するべきではありませんか?

それとも対日ヘイト国家韓国では

親北罪<親日罪

なんですかね?

【首領様じゃなくて日本がやったニダ!キル・ウォンオク】
元従軍慰安婦吉元玉1

【韓国全体が親北罪。"闘争"は共産主義用語】

【慰安婦問題】 カナダが泣いたドキュメンタリー映画「謝罪」~吉元玉ハルモニ「日本人は人として生きるため早く改心して」
2016年5月28日 YTNニュース(韓国語)

アンカー:日本軍慰安婦被害者のキル・ウォンオク、ハルモニの痛みを扱ったドキュメンタリー映画がカナダ映画祭で上映され大きな反響を起こしました。吉元玉(キル・ウォンオク)、ハルモニは映画祭出席はもちろん、現地の学校を訪問して平和講演もしました。異郷万里で日本の覚醒を促す大変なけんかをしているハルモニにジョン・ヨン、リポーターが会いました。

(中略)

[ティファニー・シュン/映画'謝罪'監督:私の目標はこの映画を通じて人々が戦争の影響をさらに深く理解し(日本が)心から謝罪をするように国際的な行動が起きるようにするところにあります。]

映画の中の証言がカナダの観客にさらに深く届くようにしようと映画祭主宰側は映画の主人公のキルハルモニを招待しました。ハルモニはこれを契機に日本の謝罪をさらに促すため、つらい飛行機旅行を拒みませんでした。ハルモニの闘争がスクリーンの外でまた始まったのです。

[キル・ウォンオク/日本軍慰安婦被害者:一日も早く日本の人々が人として生きるために改心してはやく賠償してくれたらいいですね。] (後略)

ソースURL:YTNニュース(韓国語) カナダを鳴った慰安婦被害ハルモニの闘争
http://www.ytn.co.kr/_ln/0104_201605282327274670


慰安婦部隊を従えていた金日成軍と身辺清潔だった日本人男性

金日成の慰安婦部隊…金日成の生い立ちもサラッと

金日成の血筋は三代にわたって反日だったそうです。

祖父も父も日本官憲によって投獄され、死亡して、寡婦になった母も去り、一人になった彼は17歳で共産匪賊団に身を投じます。

そしてのち、東北抗日連合郡第一路第二方面軍の指揮官となり、慰安婦部隊を従える身分になったのでした。

共産匪賊団の名称にある「東北」とは中国の東北地方すなわち満州のことです。


出典:1950(昭和25)年 文藝春秋新社 「文藝春秋」十月特別号所収
     渡邊龍策 「金日成真疑調書」



 金日成軍

 現在の北鮮軍は、従来の金日成部隊(戦前満州で策動した共産匪賊団体。東北抗日聯合郡第一路第二方面軍)及び義勇保安隊(日本敗戦後、朝鮮人が組織した日本人狩りを行う集団)を母体として、一九四八年創設され、朝鮮人民軍と名づけられたのであるが、現兵力、装備はさておいて、その人民軍の根幹である、かつての金日成軍とは、いかなるものであったか。この問題に少し触れてみよう。

 最初、満洲東辺道(満州の朝鮮半島に近い地域)に蟠踞(ばんきょ。そのあたり一帯に勢力をふるうこと)して、僅か三十名足らずの兵力からなった抗日遊撃隊は、実に根強い抗日意識に燃えた、同志の結合であったということである。

(中略)

 日成の祖父の亨権は、かつて日本警察官射殺の科(とが)で、牢獄につながれ、父も牢屋の人となったが釈放された。父は亨稷といい、一九一九年三月一日の大韓国独立宣言文発表の日、かの有名な「万歳事件」の犠牲者として、再度獄屋の人となった。これらの事実を目前に見せつけられた七歳の少年日成の小さな胸には、はや抗日への魂が炎(も)え上っていたのだ。

 父は逝き、母は去り、両親を失った日成が十七歳になった時、父の遺品のピストルを腰に、かつて万歳事件に厥起(けっき)した李紅光の部隊(正しくは共産匪賊団)に身を投じたのであった。

 彼の所属した支隊は、部隊の中心をなしていたが、その支隊の一小隊中の粒選りを率いて、反日意識に猛る同志を集めて、抗日遊撃隊を組織したのであった。

 遊撃隊を編成した当初の武器としては、まことに粗末なもので、拳銃、火縄銃、日本兵の三八式歩兵銃という程度のものであって、後になって、新兵器を入手しているが、おそらく、ソ連から間島省をへて運ばれたものに違いない。間島省には兵器工場はあったが、微微たるもので、話にならぬものであるから、そこでは優秀兵器など整備出来るわけはない。

 後年強化された金日成の兵力は、三万といわれ、大行李、小行李、慰安婦部隊を従え、軍紀と秩序が保たれていたといわれる。(後略)

〔管理人注〕
行李…竹や柳、籐(とう)などで編んだつづらかご。 



金日成28歳の慰安婦は6名

日本の記録にも「女子六名」の記載がありました。

残虐のかぎりを尽くした共産匪賊に従う女子六名、これが朝鮮人なのか日本人なのかは不明ですが、終戦直後に朝鮮、ソ連、中国、日本の共産主義者が日本人女性を慰安婦にしたことを考えると日本人女性だった可能性はまったくない、とは言えません。

満州の共産匪賊はたびたび、在満日本人居留民を襲撃して虐殺したり、拉致したりしていますから。

しかしこの第二方面軍の幹部らは28歳、30歳、35歳とありますが、日本軍ならもう老兵あつかいされる年齢です。おさかんだったのですね、「命がけの抗日運動」だったにしては。


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C13021441100:昭和14年度 陸軍省 「3 行軍地方一般の状況」 3コマ目



指揮 金日成(二八)
 主任 呂伯岐(三〇)
 副官所長 金海山(三五)
  女子六名

東北抗日軍1

赤枠内拡大↓↓↓
東北抗日軍2



朝鮮人が日本人に自己投影する理由

親日派金玉均の弟子だった金振九氏によると、

朝鮮人は生まれながらにして日本をうらみ、軽蔑する。口にするのも汚らわしい日本のことなど知りたくもない

のだそうです。

だから日本の戦争犯罪を捏造するときは、自分たちがやったことを日本人がやったことにするしかないのです。


出典:1936(昭和11)年 名古屋出版社 金振九 「国癌切開」 2、日本軽視の習癖



 兎(と)に角(かく)、朝鮮人に生(うま)るれば、生れながらにして、日本を怨敵視し、軽蔑したのであります。軽視したのは、いうまでもなく、支那崇拝の反映でありますが、ここに、寒心すべき事実は、日本を敵視はするものの、その相手の事情をば、意想外に暗いことであります。

(中略)

 敵国は、知りたくもない、その名前を口にすることすらも、これを文章に書くことも、汚らわしいといったような、小胆狭量なものが、朝鮮の指導者であり、憎いものにはよく調べもせずに、頭から『殺其父(そのちちをころす』とか、『殺其君(そのきみをころす)』とかいったような没見識にして、無責任な悪口を浴びせるのが、朝鮮の漢学者であったのです。

【金振九氏】
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身辺清潔だった日本人男性

戦後、GHQの日本人弱体化政策によってすっかり快楽におぼれてしまった現代人には想像もつかないかも知れませんが、戦前の日本人男子のほとんどは結婚するまで交際する女性もない、実に身ぎれいな生活をしていました。


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☞GHQが日本に蔓延させた低俗なアメリカ文化


管理人の祖母は明治生まれ(しかも19世紀)でしたが、その祖母はよく「男女七歳にして席を同じうせず(7歳にもなれば男女の別を明らかにし、みだりに交際してはならない) 」と、きびしく言っておりました。

そのきびしさは血縁のあるイトコと遊ぶ場合でも適用されました。

「戦前は結婚式当日まで相手の顔を知らなかった」というのは、今でも耳にすることがあると思います。

大東亜戦争に出征した日本人男性は大半が明治生まれか大正生まれですから、ほぼ全員がうちの祖母のようなきびしい両親に育てられたことと思います。

従軍慰安婦というのは性に奔放で、人権のカケラもない朝鮮、中国で捏造された、日本人差別、日本人蔑視に満ちた日本悪宣伝です。

今後、特亜三国が「日本の戦争犯罪」を捏造するたびに、われら日本人は逆に「まーた特亜三国がやったことだろ?」と疑って、思いっきり洗ってやればよいのです。

【生き残り特攻隊員の手記から】

出典:1976(昭和51)年 現代評論社 苗村七郎 「万世特攻隊員の遺書」
     特攻隊と「お国のため」



 またある女流作家から「特攻隊の未亡人のことをテーマに小説を書きたいので資料を提供してほしい」との申入れがあった。しかし考えてみると、特攻に征った人で妻帯者だったのは数えるほどしかいないし、また若くして散華した純真な隊員たちは、いまなら驚くほどに身辺も清潔であったのである。

 たとえば下堂前正八君の遺書を拝見すると、


環境について
一、衣類のほか若干の茶道具在りしも現在下宿に在る他に無し

二、婦人関係慰問文通者あるも将来を誓ふ様な者は一人もなし

三、借財(借金)なし

四、郵便貯金二通あり 金額は僅少なるも神明神社に奉納下さい
  環境極めて単一なれば何ら配意する処なし
  万事戦友に依頼す


とある。軍歴六年の営外居住曹長(当時満二六歳)でさえ、このように婦人関係というものに注意を払っていたのである。

(中略)

 特攻隊員といえば日本軍人総数の何万分の一くらいしかいなかったのだから、そのまた何パーセントかの人たちを対象に、いろんな推測をして小説にすれば内容的にも大受けをするかもしれないけれども、今田少尉や下堂前曹長の遺書にあるように、彼らの身辺は婦人関係でもまことに清らかであり、現代の青少年から考えれば不思議にさえ思えることが、当時は普通のことであり、また実際にあったのである。

現代の世相のなかから見た、色のついた解釈をしようという考え方は唾棄すべきことである。




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