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2016/05/23

在日米軍を呼びこんだ日本共産党


沖縄で元米兵による殺人事件が発生して、日共やマスコミが「基地あるがゆえの犯罪」などと宣伝していますが、米軍を日本に進駐させたのは日本共産党です。

戦前日本の共産主義者を育てたのはアメリカ共産党でしたし、日本敗戦のとき日本共産党は

「連合軍はわれわれの敵ではない、のみならず民主主義革命の有力なる味方であり、われわれにとってまさしく解放軍そのものである」

と言っています。

その後、日本共産党はGHQ総司令部に対して感謝示威運動までやって、それから皇居に向かって行きました。

【1946年第17回メーデーの群衆 皇居前広場】
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日本共産党が日本敗戦工作にいそしんだ結果、日本は戦争に負け、以来70年以上
米軍が日本に進駐しているのですから、米軍を日本に呼びこんだのは日本共産党です。

日本が戦争に勝利していたなら、在日米軍は存在しませんでした。

日本の共産主義者こそが米軍が起こした事件の被害者に謝罪するべきです。

米軍の日本人女性を強姦死させたり、日本の病院船や野戦病院を無差別攻撃するといった凶暴性を日本共産党はハナから知っていたはずです。


【1945(昭和20)年10月GHQによって釈放された日共の徳田球一ら】
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【戦争を知らない子供たちSEALDsりゅうきゅう「米軍に抗議する」w】
SEALDsりゅうきゅう


【くだらん思想のために日本に悲劇をもたらす赤魔】

元米兵事件「日本政府の責任は重い」 共産・志位氏
2016年5月20日 朝日新聞

■志位和夫・共産党委員長

 (沖縄の元米兵による死体遺棄事件に)卑劣な蛮行を強い憤りをもって抗議をする。基地があるがゆえの犯罪であり、事件。米軍はこういう事件が起こると、必ず再発防止、綱紀粛正と言うが、守られたためしがない。基地撤去が最も有効な再発防止策だと言ってきた。それに対して、真剣に取り組んでこなかった日本政府の責任は非常に重い。(20日、記者団に)


日本共産党の変質


(  )および〔  〕内は管理人による注釈です。

1945年
日本共産党「米軍はわれわれの味方であり友軍である!」


出典:1976(昭和51)年 新潮社 加瀬英明 「天皇家の戦い」
      Ⅷ 「戦犯第一号はヒロヒトだ」



 非合法だった日本共産党が、天皇の官吏たちの目を逃れて、山形県五色温泉において第三回党大会を開いたのが、一九二六年であったから、十九年ぶりのことであった。

 一日に開かれた党大会では、徳田が病気のために出席できなかったので、“中央準備委員会”を代表して、黒木重徳が立って挨拶(あいさつ)した。

(中略)

 大会第二日目には、徳田が出席して、長広舌を振るった。

十二日付の“(アカハタ)再刊第六号”には、「天皇制が存在する以上生活の安定向上は不可能」という大見出しのもとに、「同志徳田」の一般報告を掲載している。

「国際情勢を検討すれば、ドイツ、イタリーのファシズムは崩壊し、その徹底的打倒を目指し民主革命は急速に進展をみせている、フランスの如き先進国ではプロレタリア革命へ発展し、日本においては天皇制はまさに崩壊に瀕しているが、いまだ完全に打倒されてはいない……」

「連合軍はわれわれの敵ではない、のみならず民主主義革命の有力なる味方であり、われわれにとってまさしく解放軍そのものである、われわれが公然と合法舞台に現れ、農村に工場に活動を展開し得るに至ったのは全くそのお陰であることを深く銘記せねばならない」

【赤旗紙面に掲載された昭和天皇を戯画化したマンガ】
20110910「赤旗」に載った昭和天皇を戯画化したもの



1947年
日本共産党「アメリカ帝国主義者は日本を植民地支配している!」

1946年ころ米軍が反共に思想転向すると、日共はアメリカを攻撃し始めました。

日本の共産主義者が「米軍基地ハンタ~イ!」などと抗議しているのは、彼らの都合によるものです。ホント、ハタ迷惑ですね。


出典:1955(昭和30)年 理論社 理論社編集部 「徳田球一伝」



 三十年の斗(たたか)いの上に
  日本共産党創立三十周年に際して

 アメリカ帝国主義者は、すでに一九四六年五月、アチソン声明によって反共的態度を明らかにした。そして吉田反動政府を、育成することに力をつくした。

しかしながら、二・一ストライキ前までは、公然とストライキの禁止まではでなかったが、いよいよ共産主義者の指導がつよく、労働者も生産管理をもって前進する覚悟が、明らかになったので、ついに一九四七年一月三十一日ゼネスト禁止命令をだした。

この反ポツダム宣言の主旨をあらゆる場面に拡大し、現在の植民地支配にまで発展さす第一歩をふみだしたのである。



日本進駐を開始したときの米軍は明らかに共産主義でした。

米軍が反共に転向したのは、共産主義の危険性に気づいたのではなく、日本弱体化政策の一つである○×式二択思考法によるものでしょう。

○×式二択思考法とはマスコミがよく使う「日本は中国を取るか?またはアメリカか?」という言いまわしです。

○と×、AとBなどのどちらかを選ばせることで日本人から思考力を奪い、「日本は日本である」という観念を忘れさせるのです。

1945年10月15日
重光葵「占領軍総司令部は日共を出獄させ、三国同盟(日独伊防共協定)が戦争を誘発したと宣伝している」


出典:1986(昭和61)年 中央公論社 重光葵 「重光葵手記」 戦争をあとにして



 帝国ホテルの暁夢

 食糧配給の問題も商工業復活の問題も何れも皆司令部の指揮下に入った。司令部は更に日本国民の再教育及(および)政治民主化の問題を実際に取り上げて、日本を根本的に改造せんとする政策に進んだ。

 従来治安法(管理人注:治安維持法)によって引っかかったものを、罪名如何に拘(かかわ)らず政治犯人なりとして総(すべ)て釈放することを要求し、其(そ)の数は数千を下らずと云われて居る。

之(これ)に依って共産党員を始め、過去に於て左翼狩りに依って引っ張られたもの全部は無条件に釈放せられ(十月六日共産党首領十六名出獄)、共産党は総司令部に対して感謝示威運動を行いて、宮城(管理人注:皇居)に迫った。東京は恰(あたか)も共産革命の前夜にあるが如き観を呈して居る。

(中略)

 ラジオ解説者は東久邇内閣の前日(原文ママ)「戦時に於ける戦争指導者の責任よりも開戦に至らしめた政治指導者の責任は更に大である。戦争は三国同盟によって誘発せられた。然(しか)るに三国同盟締結の最も大なる直接責任者が今日尚内閣に在って恬(てん)として自ら顧みず、おとる袞龍(こんりゅう:袞龍の御衣〔ぎょい〕は天皇の衣という意味)の袖に隠れて自らの地位を救わんとして居る」と述べて、近衛に決意を促したのは世の注意を曳(ひ)いた。

ラジオ放送は已(すで)に完全に占領軍の管理下にあるのである。 

          昭和二十年十月十五日 記

【三国同盟の前身は日独防共協定】
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1946年4月20日
重光葵「占領軍は神道の戦争責任を問おうとした」

アメリカが日本の宗教を破壊したい理由は、日本人がキリスト教に改宗せず、白人を崇拝しないからだそうです。

その点、ソッコーでキリスト教に改宗したシナや朝鮮は“うい奴”なのでしょうね、アメリカから見れば。


出典:1986(昭和61)年 中央公論社 重光葵 「重光葵手記」 戦争をあとにして



 団欒(だんらん)

 吾々(われわれ)の非常に心配して居た梨本宮殿下は四月十三日巣鴨から遂に釈放されて、国民一同非常に喜んだ。

梨本宮殿下は日本神道を総裁せられる形式上の地位にあり、占領軍は神道の戦争責任を問うべく総裁の宮を巣鴨に逮捕拘禁した訳(わけ)である。

 軍事裁判は進行し、俘虜虐待の理由で死刑の宣告を受けて直(すぐ)に絞殺せられるものが続出する有様である。

其の罪状が日本のラジオで宣伝される。ラジオは日本の侵略史を放送し、日本の内閣や指導者の各々(おのおの)の責任を追及することが急である。蘇聯(ソ連)の検察団も到着したと報ぜられた。

          昭和二十一年四月二十日 記

【民間人虐殺から原爆投下までやった白人が日本人に殴られただけで】
戦犯裁判マニラ捕虜1946




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