HOME > 関東大震災 > title - 日本人を弾圧する日本政府|関東大震災
2016/05/19

日本人を弾圧する日本政府|関東大震災


四月末のことですが、日本共産党池内さおり議員の質問に対し、河野太郎国家公安委員長が

「在日朝鮮人に対するヘイトスピーチ、デマについて警察を指導します」

と答弁したそうです。

戦前からずっとこの調子で日本政府は日本人を弾圧してきました。

関東大震災の時も内務省(現在の警察庁にあたる)は、二百十日(九月一日)ころに義烈団による対日テロがあるという情報を入手していました。

それなのに日本政府は日本人を朝鮮人のテロから守るどころか、「流言蜚語を広めた者は処罰されます」というデマビラをまいて日本人のテロ犠牲者を増やしたのでした。

義烈団というのは朝鮮人が中国で組織した日本人暗殺専門テロ集団です。


義烈団(ぎれつだん)とは

1920(大正9)年4月(司法省調査課の資料では1902年=明治35年)、不逞鮮人によりいわゆる仮政府を上海に組織したのち、その附属機関として暗殺機関救国冒険団が組織され、同団が一年ならずして廃滅する際、新たに組織されたのが義烈団である。

義烈団は上海、北京を本拠地として金元鳳がこれを統率した。

義烈団の主義目的は

・朝鮮民族の生存を維持せんとするため強盗日本を駆逐する、そのために革命を起す

・わが民族の新生命を開拓するには十万の兵を養成するより、一擲(てき)の爆弾を要す

・わが団のめざすところは東京と京城(現ソウル)の二カ所であって、まず朝鮮総督を殺すこと、代々の総督を殺し続ければその後継者はいなくなる

東京市民を年二回おどろかせば朝鮮独立問題は日本人の方から提唱される

などであり、実際に爆弾投擲事件を起した。

・1922(大正11)年3月28日…陸軍大将田中義一暗殺未遂事件(上海)。義烈団暗殺部の全益相(本名金鳳男)、呉成侖が爆弾を投じる

・1924(大正13)年1月5日…東京二重橋爆弾投擲事件。金祉燮が警察官に爆弾を投じる、など。

【出典】1924(大正13)年 東亜社出版部 内藤順太郎 「社会主義運動と第二憲政擁護運動」


【戦前から朝鮮人を擁護煽動する共産党】
共産党池内さおり2

【日本政府が被災者にまいたビラ】
kantoushinsai_bira2.jpg

日本政府がバカだったせいで、16、7歳の少女が朝鮮人4名に暴行され、その死体が荒川放水路に投げ捨てられるという事件も起きました。

関東大震災という大災害にあいながらも助かった命が、バカな日本政府のせいで朝鮮人に奪われてしまったのです。


【戦前からテロリストを擁護しつづける日本共産党】

ヘイト対策の強化を 池内氏に大臣が警察への教育明言
2016年5月1日 しんぶん赤旗

日本共産党の池内さおり議員は4月27日の衆院内閣委員会で、熊本地震に乗じて「ライオンが逃げた」「ショッピングモールが燃えている」などの流言飛語がツイッターで拡散した問題をとりあげました。

池内氏は、今回は市民の良識ある対応で収束したが、関係行政機関によるデマを打ち消す情報発信が必要だと主張しました。

その上で、とくに「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」という流言飛語について、関東大震災以来、災害が起きるたびに同様のデマが繰り返されていると指摘。

背景には政府がヘイトスピーチに対して厳しく対処してこなかった問題もあると述べ、政府がヘイトスピーチを禁止する意思を明確にするよう求めました。

池内氏は、3月27日に東京都新宿区内でヘイトスピーチデモに抗議した市民3人が警備の警察官に首を絞められるなどの暴行を受けた事件を取り上げ、警察官の中にヘイトスピーチをする側への共感があって起きたのなら看過できない重大な問題だと指摘。

警察官には、直面しているさまざまな人権課題に即した人権教育を徹底すべきだと迫りました。

河野太郎国家公安委員長は「最近こうした憎むべきヘイトスピーチ、それを行うデモが行われるようになってきた現況に鑑み、それに沿った適切な教育をしっかり警察の中でもやるよう指導したい」と答弁しました。

(2016年5月1日付しんぶん付赤旗 写真提供:しんぶん赤旗)

ソースURL:http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-05-01/2016050104_03_1.html


日本人を守らない日本政府と朝鮮人の対日テロを煽動した共産党


内務省職員の手記によると、内務省は事前に「一派の者が二百十日前後を期して、不穏計画を実行しようとしている」という情報を入手していたそうです。

そしてその情報をもとに視察、警戒するよう海軍省、呉鎮守府長官、各府県知事に無線電信で伝達し、震災の被害状況などをまとめて陸軍伝令、警察伝令として市内に広めたのだそうです。

内務省がそうした理由は「人心の不安の緩和」でした。

コレ↓↓↓

出典:1933(昭和8)年 川村貞四郎 「官界の表裏」



 四、震災情報

 昨日の午後四時より今日の午後二時まで、自分は一に上司の命を奉じて遠く使し、不眠の活動を続けて、今其(そ)の重責を果たしたのであるから、暫(しば)しの休息をなさんとはしたものの、此(こ)の混雑を見ては、如何(いかん)ともすることが出来なかった。

非常徴発令、臨時震災救護事務局官制の発布を側目にし、自分は職責上、一派の者が二百十日前後を期して、不穏計画を実行せんとするの情報を得てをったから、之(これ)が視察警戒方を海軍省の手を経て、無線電信を以て呉鎮守府長官に送り、各府県知事に伝達して貰う等の置措(原文ママ)を為(な)すは勿論(もちろん)、N閣下の指揮の下に、先(ま)づ情報部に於て震災彙報発行に従事し、沈着なるタイピストを急がして正確なる情報を整理し、報発行を督励して午後七時には其の第一報を発行し、陸軍伝令及(および)警察伝令もて全市内に配布せしめた。

之が為(ため)に報道機関の全滅に因る様々なる流言蜚語を防止し、人心の不安を緩和し、治安の維持罹災民の救済等に関する政府の措置を市民に伝えることが出来たのであった。


 五、朝鮮人事件

 然(しか)るに此の夜、何処(どこ)からともなく鮮人襲撃の浮説が伝わって来た。自分は警保局の一員として平生鮮人問題を取り扱ってをって、義烈団の不穏行動に付(つい)て頻々たる情報に接してをった関係から、直(すぐ)に此(これ)が真相を究め、臨機の措置を取るべく上司の命をうけ、直様(すぐさま)警備部で勤務することとなった。

即ち戒厳令下の警備部、警視庁、陸軍省、戒厳司令部の間をとびまわり、其の連絡に当ったのである。日比谷所在第一中学校に本拠をすえた警視庁に出張しては、警察情報を見聞し、彼処此処(あちこち)より来る鮮人襲撃の噂に悩まされつつも、之が対策を講じたのであった。警視庁の鮮人逮捕及保護対策に耳を傾けては、参謀本部に走り奔走維(こ)れ努め、辛くも一夜を明かし一安心して警備司令部に帰った。



そして内務省が人心の安定のために、朝鮮人を警戒するなというデマビラをまいた結果、朝鮮人に襲われて命を落とした日本人が続出しました。

しかも被害状況を伝える新聞を見ると、朝鮮人が用いた武器はピストル、爆弾が多い。これは対日テロ集団「義烈団」の特徴です。


 明治三十五年(一九〇二年)頃支那北京を本部として設立せられたる義烈団なる秘密結社に於ては爆弾部短銃部を設けて日本大官の暗殺を計画し朝鮮に於て狂暴の挙に出て居った(後略)。

【出典】1927(昭和2)年12月 司法省調査課 「報告書集 10」


朝鮮人暴動の被害を伝える新聞。飲料水に毒を入れようとした朝鮮人の記事もある。日本共産党はこれらの事実を国会で「デマ」と言った↓↓↓

関東一帯を騒がした鮮人暴動の正体はこれ
放火殺人暴行掠奪につぎ橋梁破壊も企てた不逞団
(記事差止め昨日解除)


東京時事新報 1923.10.22(大正12)

関東大震災朝鮮人犯罪1

九月一日の震災後東京始め関東一帯の人を騒がせた流言蜚語の為めに遂に内鮮人にして殺害されるもの算無く、是が流言の出所に就いては尚お闡明されて居ないが、一部の不逞鮮人が混乱裏に左の如く有ゆる犯行を逞うした事で、司法当局は爾来極力是が犯罪検挙に努めた結果昨二十日一先ず取調べを終り、同時に記事差止めを解除した 既に起訴されたもの十数件、此外(このほか)治安警察法違犯、窃盗、横領等により起訴した鮮人二十三名、放火、毒薬投入、爆弾携帯、掠奪、婦人に対する暴行その他の事件につき、東京横浜に於て捜査中のもの亦少くない

掠奪
九月二日午後六時頃本所区中の郷附近 鄭 塋
住所氏名不詳の罹災者より数回に衣類諸道具類を掠奪し吾嬬町清地方面へ運搬の途中押えられた


放火
九月一日午後八時過日本橋北鞘町にて 氏名不詳鮮人一
石橋際大谷倉庫に放火した


婦人に暴行
九月二日午後十一時過ぎ本所柳島元町金孫順
避難中の氏名不詳の一内地婦人に暴行を加えんとして遂げず、衣類高十点を強奪し亀戸署に拘禁されたが、同署類焼に瀕したなめ二日解放され行方不明


三十名の一団 柳島の呉服屋で掠奪
 九月一日午後十一時過本所区柳島姜金山外三十名位の一団
柳島元町一六九呉服商中里奥三方に乱入し、店員に暴行を加え各一抱の呉服類を強奪した、犯人中姜金山は亀戸署に拘禁されたが、類焼に瀕して解放され行方不明


掠奪
九月一日午後六時より十一時本所区押上町一六五呉服商牧野弥八方、柳島元町洋品店鹿取孝次郎方同洋食店安田組二方、同一六九村上与三方、氏名不詳鮮人、十五六名
金品を掠奪し酒食を貪る日本刀、棍棒等を以て襲撃し内四名取押えられ、一名は東森下町に放火し金某は日島渡辺倉庫に爆発物を以て放火した


放火爆弾
九月一日夜より三日月島二号地、月島渡辺倉庫の号、深川区東森下町附近汁粉屋自称金某外氏名不詳鮮人四名
兇器をたずさえて五名本所区菊川町方面より月島に入込み短銃を発射し或は放火、掠奪、爆弾放擲


強奪
九月二日午後二時過深川区富川町三五高橋勝治方前道路氏名不詳鮮人三名
高橋勝治を兇器を以て負傷せしめ金銭を強奪せんとして果さず逃走


少女を殺す
九月二日夜南葛飾郡木田町四つ木荒川放水路堤上氏名不詳鮮人四名
避難中の十六七歳の少女に暴行を加え後殺害して死体を荒川放水路に放棄した



棍棒
九月二日午後十時頃南葛飾郡小松川町字新町三九六二四軒長屋裏手氏名不詳鮮人一名
榎本豊吉に棍棒を以て負傷せしめ逃走した

関東大震災朝鮮人犯罪2

拳銃
九月二日午後九時頃、吾嬬町請地京成電車踏切、崔先卜、金実経
警戒中の在郷軍人団に対し拳銃を発射して逃走した


狙撃
九月二日午後十一時頃吾嬬町伊藤染工場林松致
震災後白磨六連発の短銃及び実弾数十発を携帯して徘徊し群衆中に数発を発射逃走した


中尉を包囲した三十人の不逞団
 九月二日午後十一時頃、南葛飾郡小松川橋第一、第二橋中間堤上氏名不詳鮮人三十名位
軍務をおび通行中の陸軍野戦重砲兵第七連隊第一中隊長代理砲兵中尉高橋克巳のオートバイを包囲し、棍棒を以て危害を加えんとしたが中尉はすきを見て脱出した


抜刀
九月二日午後十一時頃小松川町荒川放水路堤上氏名不詳鮮人一名
抜刀を携え自警団員を装い罹災民の隙を窺う中、取押えられ後逃走す


流言
九月二日午後十一時頃吾嬬町大字木下一八一道路氏名不詳鮮人一名
海嘯(かいしょう:河口などで満潮時の海水と川の流れとがぶつかって高い波になる現象)来るを連呼して疾走し、民心を攪乱し取押えられたが逃走したす


暴行
九月二日夜吾嬬町氏名不詳鮮人一名
氏名不詳の内地婦人に暴行を加えた


橋梁破壊
九月二日午後十一時頃南葛飾郡瑞江村下江戸川橋氏名不詳鮮人
下江戸川橋を破壊せんとして鉄棒を持って同橋橋柱を破壊中、警備中の騎兵に発見されて射殺された


飲料水へ毒 あべこべに飲まされて悶死
 九月三日午前九時頃本所菊川町十字路附近自称李王源
毒薬亜秕酸(あひさん)七八匁を懐中し本所区徳右衛門町菊川町方面焼跡残存者が唯一の飲料水供給所たる菊川町の水道消防栓附近を徘徊中群衆に捕われたが、亜秕酸を食塩と強弁し強いて嚥下せしめられて忽ち悶死した

(※亜秕酸:酸化砒素の俗称。無味無臭の白色粉末。猛毒。飲めば腹痛、嘔吐を起こし、心臓がマヒして死ぬ)


爆弾
九月二日午後八時頃荒川放水路本田橋際堤上呉河模
ダイナマイト十一箇(個)雷管十五個導火線五本を所持し本田橋際堤上取押えられた


殺人
九月三日早朝南葛飾郡砂町小学校脇蓮田附近氏名不詳鮮人
挙動不審で内地人に誰何され突如隠し持ったピストルで同人を狙撃して殺害し、続いて同町附近通行中の内地人を狙撃し擦過傷を負わせて逃走した

関東大震災朝鮮人犯罪3

歩兵に抵抗
九月三日午前六時頃日本橋区両国橋西袂氏名不詳鮮人
一隊陸衛歩兵第軍連に歩兵二等卒浦谷善次の両国附近巡察中に対し、鉄棒を以て抵抗し爆弾を取出し投げつけんとしたので射殺された


いたずら
九月三日午前二時頃吾嬬町請地東武鉄道線路上氏名不詳鮮人一名
線路上に眠っている避難者の枕辺に水を注ぎ海嘯海嘯と連呼したため一大混乱を惹起した



朝鮮人の対日テロは東京だけにとどまらず、八王子、横浜にもなだれこんで行きました。

そのため八王子には列車が入れなくなり、横浜では警察の呼びかけで青年団が武装し、軍に出兵を要請するという事態におちいりました。

朝鮮人の対日テロがどれだけ大規模だったか想像できますね。

被害者である八王子や横浜の住民は朝鮮人に襲われたせいで、家族を探すこともできなかったと思います。

コレ↓↓↓

阿鼻叫喚の帝都を縦横に馳駆して廻った本社吉田特派員の視察記
大阪朝日新聞 1923.9.3(大正12)

関東大震災何の窮民か1

何の窮民か 兇器を携えて暴行 横浜八王子物騒との情報
【二日午後七時金沢某所着電長野よりの情報】二日正午戒厳令発布と東京を追払われた約二百名の不逞漢いろいろの兇器を携え八王子市に入り込み不穏の形勢あり、夕方に至り悪化して暴徒と化し市民は附近の山中に避難し、警察署は官公吏、青年団に武装を許し相対峙している、列車は八王子に入るを得ず、右不逞漢は東京、横浜に連絡を有するものと伝えらると
横浜の罹災民避難地へ不逞漢多数暴れ込み出兵を要求したと(串本電報)
横浜地方ではこの機に乗ずる不逞鮮人に対する警戒頗る厳重を極むとの情報が来た



この惨状にあっても日本政府は、朝鮮人に襲撃された日本国民に

「冷静さを失うな、日鮮同化の根本主義にそむくな」

と告諭する始末でした。日本人がブチ切れて自警団を組織したのは当然ですね。

だって国は日本国民を守らないのですから↓↓↓

平素の冷静を失う勿(なか)れ 日鮮同化の根本主義に戻るな
大阪毎日新聞 1923.9.8(大正12)

関東大震災平素の冷静1

内閣は左の告諭を発布した(東京電話)

 今次の災害に乗じて一部不逞鮮人の妄動ありとし民衆自から濫りに鮮人に迫害を加うるが如きは固(もと)より日鮮同化の根本主義に悖戻(はいれい:そむきもとること)するのみならず諸外国に報ぜられても決して好ましきことにあらず 国家の非常時に方(あた)り克(よ)く平素の冷静を失わず慎重善後の措置を誤らず以て我(わが)国民性と平和の精神を発揮せんことは此際(このさい)特に望む処にして民衆各自の節制に求むる次第なり



在日朝鮮人がテロを起こした理由は、朝鮮独立運動の一環でした。

義烈団の本拠地だった上海はユダヤ財閥のアジア侵略の拠点であり、中国の中でもとりわけ反日運動が激しい都市でした。

もともと共産主義はユダヤ人が考えだした思想なので、その流れで朝鮮人を煽動したのは共産党であり、関東大震災時の対日テロも共産党の指令によるものと考えてまちがいありません。

ピストルや爆弾も中国から持ちこまれたと考えてまちがいありません。↓↓↓

天殃の余慶 (一〜五) 小松 緑
中外商業新報 1923.11.24-1923.11.28(大正12)

関東大震災天殃の余慶1

それに一部の不逞鮮人がシャンハイに本部を設けて常に独立運動を鼓吹しつつある事実や、爆弾を貯蔵した怪き鮮人の逮捕された事実や、一部の社会主義者が鮮人を扇動して何事か目論見つつあるという事実などが、遠い以前から内地人の神経を絶えず刺戟していた。

第一、震災後、全市及び各地方をして直に自警団なるものが組織され、これによって一時警察力の停頓し法律制裁の及ばざる場合に、往々発生する強盗、強姦、殺人、放火などを未然に防止し得たのは偶然の事ながら実は流言ひ語のお蔭であった

第二、朝鮮人をして、平生みだりに独立運動などに腐心するは百害ありて寸益なく、あたかも天に向うて唾するに似て結局自ら災を招く所以に過ぎざるを悟らしめたに違いない



関東大震災朝鮮人虐殺にしても、大勢の朝鮮人を日本に強制連行してきて殺したというのもおかしな話です。

しかも関東大震災が起きた時は、第一次世界大戦軍需景気の反動不況だったのですから、大勢の朝鮮人を日本に強制連行してくる理由もないのです。

もし日本が朝鮮人虐殺を企図したのなら、朝鮮で実行したでしょう。

河野太郎国家公安委員長の答弁にしても、いまはもう朝鮮人が反抗した「五族協和」の日本ではないのですし、日本人側に立った答弁をするべきだったと思います。

日本人に「冷静さを失うな」と告諭した山本権兵衛内閣が倒れると、日本人の反共精神が高まったそうです。

当然ですよね。



関連記事
スポンサーサイト