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2016/05/17

共産党は予言する


南海トラフ大地震が起きると言われている矢先、今度は関東地方で地震がありました。

この南海トラフ大地震宣伝と同じで、戦前共産党も第二次世界大戦に関する予言を連発して的中させていました。

前もって「日本軍が〇〇と衝突するぞー!」と言いふらしておくと、いざその流言が事実になった時だれもその裏を疑わないからです。

"予言する→的中"

という性質が共産党がカルト宗教といわれるゆえんでもあります。そして共産党が危機を自作自演する理由でもあります。


いま反日マスコミが連日のように報道していることといえば、



・南海トラフ大地震

・中国と北朝鮮の脅威

・日本がアメリカの戦争に巻きこまれる



の3つですから、これらはすでに共産主義者によって予定されているのかも知れません。


世間では人工地震があるのかないのか意見が割れているところですが、

考えてみれば東日本大震災や熊本地震はまったく予知できず、本震後の余震すら予想できないのに、南海トラフだけは必ず起きるような報道をするのは不自然な気がします。


【南海トラフ地震想定図】
南海トラフ1☞【出典】Wikipedia


【「予言」と「呪い」は紙一重】

タイムトラベラー2062年の人、次は5月17日に2chに再登場?ネットはざわざわ
2016年5月16日 ネタりか(おたくま経済新聞)

■南海トラフへの警告を示唆

4月15日の予告日を前に、14日の朝から2ちゃんねるオカルト版は活気づいていました。2062氏との再会へ向け着々とスレッドが消化されていたのです。そこに発生した、熊本地震の前震と言われるM6.5の地震。

翌15日。2062氏は約束どおり再登場を果たしました。そして前と同じく、他のユーザーからの質問にいくつか答えているのです。

彼は約6年前、2016年に行く目的を「大切なことを伝えるため」とも言い残していました。そこで答えを待ち続けた人達から「あなたが2016年の我々に伝えたかった大事なことを、先ず最初に私達に教えて下さい。」という質問が投げかけられました。

これに対し、2062氏は「そうだったな。 南海トラフのことだ。この時代の科学技術で既に起こることが予見されているはずだ。先輩方には行動してほしいと思っている。」と、今後発生が危惧されている南海トラフ地震への警告を示唆。さらに、次に再会できるのは5月17日と言い残し去って行きました。(後略)


1928(昭和3)年には完成していた第二次世界大戦のシナリオ

戦前共産党の予言を6個ピックアップしてみました。

第二次世界大戦に関係した予言でもっとも古いものは、1928年にコミンテルンが朝鮮独立運動の指令書として決議した「十二月テーゼ」なので、その頃には日本敗戦までのシナリオが出来ていたと思われます。

「悪魔は人間とは逆に思考する」と言いますが、共産党も悪魔ですね。

もう地震は起きて欲しくないので、これまでの共産党の予言が自作自演だったと
暴露しておくことにしました。

闇は白日の下に引きずり出せば、闇ではなくなるのです。


【共産党の予言一覧表】
年月日予言者と予言内容事実化した年月日
1922/
大正11年
レーニン
1933(昭和8)年10月のスペイン革命
1933/昭和8年
10月
スペイン革命
1928/
昭和3年
コミンテルン
極左朝鮮人への指令書「十二月テーゼ」
の中で1941(昭和16)年の太平洋戦争
1941(昭和16)年
12月8日
太平洋戦争
1929/
昭和4年
偽書「田中上奏文」
日本の満州・世界侵略
1931/昭和6年
9月18日
満州事変
1933/
昭和8年
日本共産党幹部佐野学、鍋山貞親
第二次世界大戦と日本敗戦
1937/昭和12年
7月7日
蘆溝橋事件
1936/
昭和11年
毛沢東
1937年の支那事変、日本軍の南進、敗戦
1941/昭和16年
12月8日
太平洋戦争
1937/
昭和12年
6月
中国でのウワサ
翌月7日の蘆溝橋事件
1937/昭和12年
7月7日
蘆溝橋事件


各予言の資料です↓↓↓

1922(大正11)年
レーニンが1933(昭和8)年10月のスペイン革命を予言


出典:1936(昭和11)年 大阪毎日新聞社 上原虎重著「欧州の危機を孕(はら)むスペインの内乱:第二次世界大戦一歩前」 右が勝てば軍部独裁、左なら赤一色



一九二二年モスクワに開かれた国際共産党大会でレーニンは、「ソヴィエト・ロシヤについで革命の赤旗(せっき)を翻(ひるがえ)す最初の国はスペインであろう」といって、滅多のことに驚かない赤い代表者たちをして一驚を喫(きっ)せしめった。だが氷のようなひややかな頭の持主であるレーニンは、相当の理由があってこの予言をしたのだ。

【レーニン】
レーニン1



1928(昭和3)年
コミンテルンが1941(昭和16)年の太平洋戦争を予言

朝鮮人は13年後に太平洋戦争が勃発することを知っていたということです。


出典:1933(昭和8)年 朝鮮総督府警務局 「高等警察報第一号」 19ページ
(一)コミンテルン執行委員会政治書記局の朝鮮に於ける革命闘士たる農民及労働者に対する決議(十二月テーゼ)



 朝鮮問題決議

居留地関東と共に朝鮮は日本帝国主義軍隊のソヴェート連邦及支那攻撃上亜細亜(アジア)に於ける主要地点である。太平洋上に於ける将来の戦争が近寄るに従って朝鮮の経済的、軍事的重要さは増大す。解放運動を弾圧し又一般軍事行動に出ずべき日本の大軍隊(警察竝兵力)を朝鮮に置かなければならぬ。

【日本敗戦=祖国独立を喜ぶ在日朝鮮人】
j_shintyugun.jpg☞「解放」とは日本の植民地支配からの解放ではなく、階級(資本家-労働者、教師-生徒、親-子、兄-弟など)がある資本主義から解放されて共産圏の属領になったという意味。日韓併合時代、全力で否定した資本主義国日本に朝鮮人がまだいるふしぎ。



1929(昭和4)年9月
偽書「田中上奏文」が将来の満州事変、支那事変、第二次世界大戦を予言

テレビ朝日の捏造憲法9条提案でおなじみの幣原喜重郎外相は現地保護主義(日本人居留民を武力で保護する政策)を採らなかったため、中国のお気に入りでした。

ところが南京事件が起きて在支日本人が多数虐殺されると、国民からの攻撃で民政党内閣は倒れてしまい、そのあとに現地保護主義を採る田中義一内閣が発足しました。

もうおわかりですね。田中上奏文とは田中義一内閣打倒のために、アメリカや支那によって偽造され拡散された日本悪宣伝だったのです。

田中上奏文によって田中義一内閣が倒れ、幣原外交が復活すると支那はそれを熱烈大歓迎したと重光葵氏は手記に記しています。


出典:1952(昭和27)年 中央公論社 重光葵 「昭和之動乱」 上巻 



 田中上奏文

 田中大将は、長閥(長州閥)の寵児として、早くより軍部の要職に歴任し、佐官時代から既に陸軍の主動的(原文ママ)地位を占めて、先輩たる維新の元勲を夢見ていた。

大戦末期のシベリア出兵の際(一九一八年八月)は、参謀次長の職にあって、実権をもってこれを指導した。然(しか)し、彼が表面に立って直接対支政策に当ったのは、政友会総裁として民政党内閣を継ぎ、自ら内閣を組織してからのことである。

政友会多年の自由主義的対外政策(幣原外交のように現地保護主義を執らない政策)は、この時より軍部的田中外交に置き換へられてしまった。

(中略)

 東方会議の前後から、支那新聞に田中上奏文なるものが掲載され始め、これが日本の最高政策に関する機密文書田中覚書として広く世界に宣伝せられた。田中大将が、日本の対外政策に関する意見を上奏した形式のものとして流布せられたのである。

その内容は、日本が満洲を占領し、北支より更に東亜全域にわたって軍事行動を起し、遂に世界を征服する計画を、具体的に順序を立てて立案記述したもので、日本文として一応体をなした文書であった。ただ数ヶ所にわたって事実を誤った所がある。

 日本においては、かかる公文書の実在せぬことを疑ふものはなく、単に悪意の宣伝として顧(かえりみ)るものはなかったが、外国においては、支那を初めとして、これが日本の真の企図を記述した文書であると信ぜられた。

記者(重光葵本人)は当時外務本省にあって、この文書の出所若(も)しくはこれに類似するものの存否について、かなり調査を進めたが、何等(なんら)の手掛りになるものを見出すことは、出来なかったのみならず、かかる文書が存在せず、またその内容は田中大将自身の意見でもない、ことを確め得た。

【田中義一大将】
田中義一1



1933(昭和8)年6月
日本共産党幹部佐野学、鍋山貞親が第二次世界大戦と日本敗戦を予言

これは予言というより証言に近いものですが、日本共産党はコミンテルン(モスクワ)から日本敗戦政策を指令されていました。

現在ならば日本共産党は中国共産党から同じ指令を受けているということでしょうね。

佐野、鍋山両名は第二次世界大戦が「世界資本主義とアジア諸民族との闘争」だったことまで暴露しちゃってます。


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C14010505600:昭和11年 陸軍省/警保局調査室 「第3章 共産党転向派の理論と日本化」 2コマ目



 第三章 共産党転向派の理論と日本化

 昭和八年六月に発表された日本共産党首脳部の佐野学、鍋山貞親の転向声明書は、左翼陣営のみならず一般社会に大きな衝動を与へたが、之(これ)は、彼等が昭和七年十月の所謂赤色ギャング事件でその腐敗を曝露するに至った日本共産党の、根本的は戦略規定の誤謬、この結果の運動の完全な破綻を見て、彼等の従来の思想及び活動に反省を加ふるに至ったことに因るのであるが、それ以外に、上に述べ来った様な左翼陣形内に於ける日本化の底流 殊に満洲事変以来、一層弘まって来た国民主義的な国家革新の思想が、多大の影響を与へたものであると考えられる。

(中略)

 佐野、鍋山の転向理論の概要に就(つ)いては、彼等自信「要項」として八ヶ条を挙げている。

一、我々は第一に現在の共産党が次第に労働階級の党でなくなり、真の労働者の関心及び闘争の外に立つに至ったこと、第二にコミンターン(コミンテルン。国際共産党)が諸国の労働階級の生活及び闘争から離れ去り其(その)国際主義の破綻しつつあること、第三に接近せる戦争情勢に対しコミンターンが日本の党に課する敗戦政策の日本民族及びその労働者に有害なることの三主要理由に由ってコミンターンとの分離を主張する。

(中略)

四、戦争についてコミンターンのアナーキスト(無政府主義)的敗戦主義に反対する。日本の支那及びアメリカ資本に対する戦争は進歩的である。戦争と内部改革は必然に結合する。労働階級は戦争に際して不可避に必要となる生産機構の労働者管理及び人民武装の基礎において戦争に積極的に参加すべく、戦争に必ず勝たねばならぬことを主張する。新世界戦争の主要内容は世界資本主義とアジア諸民族との闘争であるが故に、日本労働者はアジアの勤労者人民の先頭に立つ任務が有る。現下の情勢の下において蘇聯(ソ連)邦及び支那ソヴェート政策に対する戦争は進歩的でもなく得策でもない。

【佐野学】
佐野学2☞【写真出典】Wikipedia


【鍋山貞親】
鍋山貞親2
☞【写真出典】Wikipedia



1936(昭和11)年7月16日
毛沢東が支那事変の戦局を予言


出典:1953(昭和28)年 筑摩書房 エドガー・スノウ 「中国の赤い星」
   ※写真出典も同じ



 3 日本との戦争

私の質問「この戦争はどれくらいつづくと思いますか」

毛の返答「それは中国人民戦線の力、中国と日本のいろいろな要因、中国に与えられる国際的援助のていど、ならびに日本の革命的発展の速度に左右されます。もし中国人民戦線が立派に協調をとげ、有効な組織をもち、また各国政府が日本帝国主義の脅威を認識して中国にたいする援助をおしまないならば、そうして日本に革命が急速に生長すれば、戦争は短く、勝利はすみやかにえられるでしょう。しかし反対に、以上の条件が実現されないならば戦争は非常に長期化するでしょうが、けっきょくは同じことで日本は負けるでしょう。ただ犠牲は多く、全世界にとって戦争は苦痛な期間となるでしょう」

質問「このような戦争は政治的、軍事的にどんな発展のコースをとると考えますか」

返答「これには二つの問題がふくまれております。外国列強の政策と、中国軍の戦略です。 日本の大陸政策は確定し、よく知られています。中国の主権をこれ以上犠牲にし、経済的・政治的・領土的妥協と譲歩とによって日本の前進をとどめうると考えることは、ユートピア的空想といわねばなりません。南京は過去において、この戦略にもとづく誤った政策をとりました。その結果を見たいと思えば東亜の地図を一見すれば十分です。

しかし私たちは華北(中国北部)だけでなく、揚子江下流流域と南方の海港が、すでに日本大陸政策の計画に入っていることを欲知っています。その上に日本海軍は中国の沿岸を封鎖し、フィリッピン、シャム(現タイ)、印度シナ、マレイ、蘭領東印度を占領する野望をもっていることはきわめて明らかです。

戦争になれば日本は以上の国々をその戦略基地と化し、イギリス、フランス、アメリカを中国から切断し、南太平洋の海を独占しようと試みるでしょう。これらの行動は日本の海軍戦略計画のうちにふくまれており、私たちはそのうつしを見たことがあります。そうしてこういう海軍戦略は、日本の地上戦略と統合されるでしょう」

【中国共産党毛沢東(左)と朱徳】
毛沢東と朱徳

【子どもたちを戦場に送る中国共産党】
中共小紅鬼たち

中共小さな紅軍大佐



1937(昭和12)年6月中国
翌月7日の蘆溝橋事件がウワサで流れる


出典:1988(昭和63)年 文藝春秋「『文藝春秋』にみる昭和史」第一巻所収
    「砲声殷々(いんいん)たる北平における日支両国青年座談会」



 北京(当時は北平)郊外の蘆溝橋で"ナゾの一発"から日中戦争ははじまったのが、昭和十二年七月七日。それから四日後の十一日の夜、この座談会はもたれたという。

(前略)

 吉村さん、今度の事件が支那側の計画的な行為だと言われましたが、我々の方にも日本側の計画的な行為だと思われることがあるんです。

吉村 それはどんなことですか。

 六月の中旬から下旬にかけて、平津地方の支那人の間には、妙な噂が立っていたんです。それは 「××が何かやろうとしている。目下計画中だ、近いうちにきっとひと騒動、起こるぞ」 という噂です。そのために平津地方の民衆は内心ビクビクして不安に慄(ふる)えているやさきに突発したんですから、皆がそれやったと思いこんでしまったんです。

 それは少し悪性な流言蜚語ですね。


rokoukyou01.jpg☞蘆溝橋事件直後、停戦交渉のためナワをよじのぼり中国軍のいる宛平城にはいろうとする寺平中尉。この交渉は決裂した。中国に「対話」は通じないってこと。


…もう地震が起きませんように。

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